>>655
3世紀前半の邪馬台国は北部九州の今の八女、山門あたり。
その邪馬台国と書かれた国の原地呼称はヤマド。
一方、奈良の政権が本格的に始動するのは3世紀後半から。
そこが何と呼ばれた国であったか、誰も知らんのよ。
奈良がヤマトと呼ばれるようになるのは後漢書以降だから、5世紀半ば以降ということになるな。
大倭の字と邪馬台の字が一か所に書かれているのは、後漢書しかないんよ。