華族についてpart12
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明治2年の版籍奉還と同日に
堂上家136家、諸侯248家、堂上格28家、藩主格15家の
合計427家が華族と称される。
明治17年には華族令が宮内省より通達されて、
公、侯、伯、子、男の五爵の格付けが行われる。
以降の授爵者を大別すれば、
旧華族として公家華族(堂上、堂上格)と武家華族(藩主、藩主格)、
新華族として賜姓降下華族、奈良還俗華族、神官華族、分家華族、勲功華族となる。
年を経る毎に華族は増え続けて、
新憲法により華族制度が廃止された昭和22年5月には913家に達した。
前スレ
華族についてpart11
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1561986380/ 原田熊雄の夫人は岩国吉川家出身だけど
縁談が舞い込んで来た時にウチのような成り上がりの家とは身分が違うと言って最初は断ったらしい
やはり明治大正期になっても江戸時代の身分を引きずる面も残ってたんだな >>952
家柄的には旗本と支藩の大名だからそこまで不釣り合いにも見えんけどね。普通にあり得る組み合わせ。 >>953
支藩とはいえ吉川氏は6万石治める家柄だったからな。
旗本といってもピンキリだし一概に言えない。 >>953
いや普通にあり得る組み合わせ。では無い 興味深かったので調べてみた
羽柴駿河守廣家 宇喜多和泉守直家女
吉川内藏助廣正 長門中納言輝元(本家、大名)女
吉川監物廣嘉 鷲尾大納言隆量(堂上)女
吉川内藏助廣紀 石川八郎左衞門義當(寄合)女
吉川勝之助廣逵 栗原忠良(陪臣)女
吉川左京經永 中條大和守信實(高家)女
吉川吉五郎經倫 一柳土佐守末榮(大名)女
吉川和三郎經忠 織田出雲守信憑(大名)女
吉川ェ三郎經賢 なし
吉川監物經禮 木下主計頭俊懋(大名)女、毛利石見守就友(一門、大名)女
吉川尚五郎經章 長井元簡(陪臣)女
吉川駿河守經幹 木下備中守利愛(大名)女
吉川駿河守經健 毛利讚岐守元純(一門、大名)女、堤右兵衞佐功長(堂上、子爵)女、加藤遠江守泰秋女、千家尊澄(出雲國造)女 >>958
当主と妻の家柄か?
吉川家は藤原南家(女系)で血筋では毛利元就の男系子孫だから、
江戸時代はともかく、長州藩閥が幅をきかせる明治時代では爵位以上の家格があったんじゃないのか? >>959
毛利の男系子孫だからって爵位以上の家格になるなどあり得ない
大名では実際の血統より家の存続の方が大事だから誰から養子迎えてようがそんなの家柄に関係ない >>952
旧大名家のお姫様なんて面倒くさそうだから身分違いを盾に程よく断りたかったんじゃないのか
元の身分と言う形式的なこと以上に公家、武家、勲功、財閥、軍人などでは家庭環境が全然違っていて、いい悪いじゃなく正月の儀式だのから箸の上げ下ろしまで違う
その埒を越えて嫁入りした人は面食らうことばかりと言う回顧を見る
嫁ができた人なら適応するだろうが、そうじゃなければ厄介ごとの臭いがぷんぷんする 皇族の臣籍降下、名字は深く考えず付けたような平凡な感じに思うけど
実はみんな宮家由来の由緒ある土地の名前だったりするんだよな 原田熊雄の母親は商人のしかもドイツ人との混血児だし、吉川の分家とはいえ身分、育ちが違いすぎるのは確か
ただ吉川重吉はハーバード出身で華族の中では有能な人物で、原田の嫁もイギリスへ留学した才媛だろ
吉川の兄弟たちは美男美女揃いて妹たちも木戸一族や松方家に嫁いでいる
父親を早くに失い、縁戚の援助もそれほどなかった原田にとっては良縁だったんじゃない 薩長土肥って言うけど
旧藩主家で目立つのは島津と鍋島ぐらい
毛利や山内なんて空気 藩主家なんて大概国立銀行の筆頭株主なんかをやってたりして配当の年利だけで暮らしていけるレベルなんだから明治期に表立って目立とうと思わんよ。
男爵からあぶれた一門は出世に必死だろうけどね 堂上家は華族として残しておくべきだった
皇室の藩屏がないと、皇族が直接一般国民に晒されてしまうリスクがある
堂上家が藩屏としてお守りすべき 戦前も学習院で皇族の実態を知って、共産主義に走った華族がいたねえ >>967
昭和天皇が残そうとしたけど残せなかった。 >>964
再婚同士とは言え獅子文六が原田熊雄の相婿と言うのは戦後ならではだろう
勧める白州正子もどうかと思うが >>963
藤原一族も源氏もほとんど地名だしな
乱暴に言えば日本は地名を名字にし欧米は人名を地名にする 日本最大の財閥と言われた三井家と戦前の皇室ではどちらが資産多かったのだろうか 同じ爵位でも、幕末や明治に勲功で成り上がった家と大名や公家出身では重みが全然違うだろw 華族制度がなくなった戦後ですら結婚するときは親の家柄学歴職業とか気にしてたくらいだから
あの当時の華族が血筋や家系を気にしないはずがないだろ 逆に華族側が政界とのコネを持ちたいが為に有力な衆院議員と政略結婚なんかもあったんだろうな 中級以下の貴族が金持ちとつるむのは秦大津父以来の伝統 華麗なる一族の主人公万俵大介の妻が落ちぶれた嵯峨子爵家出身だったな。
万俵家は華族の娘を嫁にもらい一族の家格を上げるのと、
嵯峨家は万俵家に資金援助してもらうを期待した。 >>973
財閥家より多かったのか凄いな
当時は世界で最も裕福は君主だったと言われてたのは間違いじゃなかったんだな >>978
史実でもそんな話ゴロゴロあるね。
岩崎家や三井家なんかの系譜みると見事に名門華族が縁続きになってる。 最初は、長男の嫁ではなく、二男三男の嫁・娘あたりからそういう家との閨閥が出来始める。その後、しばらくすると、もう親族の一員なので、その縁者どうしの結婚という体で、長男の嫁にする場合が出てくる。 知行1万石クラスの男爵も自己破産して家財を差し押さえられたりしてるとこはわりとあるけどな
男爵なんて士族に毛が生えたようなもんよ このスレの最初にも出てたけど
華族の中でも伯爵でちょうど壁が出来ている
侯爵と伯爵の間には高い壁があって
酒井美意子によると子爵以下は論外という扱い
公爵家が結婚の際に認める最低ラインが伯爵 公爵>> 絶壁 >>侯爵>>> 超えられない壁 >>>伯爵>>> 壁 >>>子爵>>>男爵 >>984
美家子の実家の家臣一族(男爵)が自己破産した時にその尻拭いをしたからな。
ttps://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=11851&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1
子爵以下ら努力もしないクズを掴むリスクがあると言う認識なんだろう。 >>984
自分の父ちゃんが侯爵とは言え元は子爵家出身なのにずいぶんだな
実際婚姻の条件を伯爵以上などと縛ると条件の合う相手が居なくなる恐れがあり名家の連枝なら良しとするとか妥協しないとならん
嫡子の正妻は流石に気にしても、ともかく二番目以降や娘の嫁ぎ先などは適当にしておかないと贅沢言ってたら片付かん >>986
確率的には十数家しかない公爵の方に問題発生が多いように思える
岩倉、二条、西園寺など >>986
八家でも叩き上げの三家(本多、長、横山)は明治以降も成功してんだな >>984
近衛文麿が毛利子爵の娘と結婚しようとした時
近衛家側がせめて伯爵家だったら…最初難色を示したらしいな 徳川家達「配偶は家柄が対等でなければ断じて迎えず」
この言葉の通り五摂家最高の名門近衞忠房の娘と結婚。 家達の孫の家英は山本権兵衛の孫娘と付き合っていたけど、家柄が違うと大反対されていたらしい
そのまま若死にしてしまったが >>991
徳川なんて母系は馬の骨だらけなのによく言うなw 家柄である程度融通が利く庶家の士族の方が続きやすいのはこの理由か 武家も公家も母親が正妻な方が珍しいくらいだがその辺は気にしても仕方ない
これは他国も似たようなものでオスマントルコなど皇帝の母は大抵奴隷だ 表向きは正妻が母親
妾は死ぬまで使用人扱いだからな このスレッドは1000を超えました。
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