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辰王が日本に移動した Part10
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0001日本@名無史さん
垢版 |
2021/03/22(月) 21:16:49.26
前スレ https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1610284381/l50  

長期的には辰王が300年かけて倭国に移り日本を作った。そのあらすじは、

高句麗が南下すると三韓にいた辰王が分裂した。
倭国に移った辰王は倭の五王となり倭国を統一し大王を称した。
残った辰王は百済をつくり辰朝を自任した。が、高句麗の圧迫で南下し続けた。
百済昆支王は倭国に南下し大王政権を襲った(昆支系大王は百済の傀儡政権)。
アマタリシヒコ大王(=上宮法皇、昆支系)が100年ぶりに朝貢を再開したのは百済からの脱却の意味があり、不審な死を遂げた。
百済の翹岐王が入鹿を殺し、昆支系を一掃して、倭国を律令制で統一し、孝徳と呼ばれた。
その皇子が大海人と見られる。大海人は倭国王であり、百済残党に援軍を送ったが
白村江の敗北で百済はなくなり、大挙して百済は倭国に押し寄せ、扶余勇を中心に大宰府から近江にかけての政府「日本」を作った。
百済人が倭号を乗っ取り日本国に変更した。
大海人は扶余勇の従兄弟で格上の扶余勇に従った。扶余勇崩御後壬申の乱を起こし統一した。ここに分裂した辰王は合流した。

天武は新羅に傾斜し、その後の政権は天平文化の洗礼を受けた。

辰王を意識した桓武は平安京に移った。

中国が遼の時代に入ると日本は契丹人と女真族が侵入し、朝廷は契丹人に政権を奪われた。

詳しくは「国際的視点からの古代史考」にある。(http://sites.google.com/view/jhistory/
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