>>95
後醍醐は、間違いなく最低の帝だと思う。
鎌倉末期は、皇室が持明院統と大覚寺統に分裂していて、
さらに持明院統も大覚寺統も分裂状態だった。
そのかなかで即位したのが後醍醐、
要は自分も皇子を即位させたいために内乱をおこし、
結果、多くの人間が巻き込まれ、崩御後も両朝で対立が続くことに。

先代の持明院統の花園天皇は、後醍醐より年下だが、冷静に後醍醐を見ていて、
その博識等は感心しているが、元弘の乱で後醍醐が白帷子一枚で捕虜になったときは、
かなり激怒されたようで、その詳細が自筆の日記に残っている。