邪馬台国畿内説 Part765
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邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4〜6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1644243106/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にありえない。 ×おじさん,お早うございます。姫氏って紀元前500くらいの話でしょ、で小国は日本で、ひょっとしたら任那の小国日本じゃあないの、 こんな荒らしばかりして議論する能力のない九州説信者
終わってるな 恥を知らないというか、
↓こういう状況だから
都道府県別精神病床数
https://todo-ran.com/t/kiji/14415 それは九州説支持者に人間としておかしい人が多いのと関係あるとは思えないんだが 以前から考古学の世界で邪馬台国問題にあまり触れるな、と言われてたのは事実なんだ。
説明会で全く関係がなくても何でも邪馬台国問題にする、特にアマチュア歴史論をぶつけてくる人が多いんだよ。 しかし廣志の文章は短いけど見れば見る程興味深いね。伊都の位置は出雲でも亀岡か篠山辺りと見るのが正しいのかな。
亀岡は元々出雲大神宮の所在地だし、保津川には女王の土地開墾逸話なんてのもある。
ここにあるヤマイチ国とは現在の生駒東エリアを見るのが正解かな。椿井大塚古墳が木津川沿いなのも、山城の名前も説明出来そうだ。 ウザイな九州説のオッサンか爺サンは早く亡くなればいいな こんな荒らしばかりして議論する能力のない九州説信者
説としても人間としても終わってるな 何処から送信されているかとか
IPアドレスは割り出せるのにな
無駄な容量ばかり使いやがって このへんなのは九州説なのかねぇ?皇国さんもありますよね、
まあ、何れにしろ物的証拠として箸墓は存在し、記紀は百襲とする。卑弥呼とトヨは実在し、倭人伝は鬼道で30ヶ国を代表した女王である。鬼道とは、道、道即ち五斗米道老子道徳経。百襲は老子道徳経を引用され、意地悪く処刑される。
箸墓は女王卑弥呼以外にいない。 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと/やまとととびももそひめのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。
第7代孝霊天皇皇女で、大物主神(三輪山の神)との神婚譚や箸墓古墳(奈良県桜井市)伝承で知られる、巫女的な女性である。
おおみわじんじゃ(大神神社)にお参りに行こう 倭迹迹日百襲姫命:
「倭」が付いてるから倭国の姫で、つまり親魏倭王の卑弥呼だったんだー、
と宣った某論者がいたなー。 鬼道が道ということもあり他説は終了しました。また、曹操が張魯等を取り込んだ事に依り何晏王弼らが玄学を生むにいたると考えます。卑弥呼は易経も身に付けていたでしょう。歴史上の人物から比定者と言える者は、張魯の娘張h瑛しか存在しません。 畿内説です。ただここから先が、邪馬台国に触れるなという所に入っていくわけです。 そうか、邪馬台国に触れるな・・、か!
畿内説も少しは大人になってきたのだなww そもそも「馬」のつく国は、帯方郡下の馬韓族の先鋒工作部隊、
そこんところを踏まえれば、答えは自ずから見えてくる。
H田や、F田や、Y本や、I野や、T澤らがマズったのさ。 だから記紀に関わってくるだけの話ですよ。他説はありません、終了しました。 張h瑛 †
>五斗米道の教祖・張魯の娘で名が明らかになっている人物。出典は彼女自身の墓。
>ぶっちゃけると「名前しかわからない」と言っていいくらい生前の事跡は不明。
>つまり誰に嫁いだとかいう記録はないのだ。
21-22歳で死んだとして墓は残っているそうだが、
それにしては墓が立派過ぎる。
実は幼少のころ渡来して、鬼道の女王(卑弥呼)に担ぎ上げられたというウワサもある。 その墓は、晋代に建てられたとも言われているのよ。年頃は、ぴったりだしね、鬼道易経を学ぶ環境、荒廃したなかで人々を纏めるやり方も父或は他の指導者から学べるのよ。だから他に居ないの。百襲姫では師が曖昧で占い師じゃあ、お遊び。それに、曹叡が我甚哀汝とは言わないし親魏にも値しない。 乱世を治めるべく、曹操は鬼道に傾倒していたわけだから、
曹操の時代に開かれた帯方郡もその術法を用いていたことは大いにあり得る。
それに後継の臺与も宗女13歳とあり、これは「同宗の一女」という意味なので、やはり五斗米道の巫女だったのではないか・・、 でも、しかしながら記紀は百襲姫を老子道徳経、玄牝の門を塞いで死なせています。記紀編纂者は卑弥呼が何者か解って書いてあります。それが逆に百襲が卑弥呼であり、老子道徳経の巫女であったと証明しているんです。 >臺与も宗女13歳
そうだったのですか、これで3世紀の歴史はわかった
4世紀の畿内の歴史に詳しい方
4世紀について知っておられる事を教えて下さい(_ _;) 邪馬台国の事じゃなくて良いです 九州説の先生が昔ね、「邪馬台国は畿内でなければどこでもいい!」なんて言ってるからな。
私はこの発言で九州説を止めたんだからな。
四世紀の様子なら記紀の崇神天皇以降の記述が基本になるだろう。
倭姫命の話が台与の後の話になるだろうね。
女王から男王に切り替わる話。 >>358 孝霊厨
>私はこの発言で九州説を止めたんだからな。
だからって畿内説か? お前はその程度。 わははははは @阿波 三世紀当時の中国で鬼道といえば曹操お気に入りの五斗米道(ないし太平道)のこと
つまり「卑弥呼は鬼道に仕えよく衆を惑わす・・」ば、五斗米道の巫女だったという意味になる。
孝霊皇女なら、ピタリではないが、まずまず年代が合う。わかっててわざとモモソを箸墓に当てたのは容易に想像できる。 その先生の発言なんて相当昔だからな。
まだ発掘作業をバイトで手伝いしてた頃で発見物も少ない頃。
まあ今は畿内説で確定済み、阿波説?
20年前ならともかく、所詮は推測が大半でもはや何の興味もわかないよ。 他説の追随を許さない、「阿波」の圧倒的遺跡群。
記紀神話を物語る、記紀登場の神名古神社群。
旧説(畿内説や九州説)の御用学者やミーハー相手のマスコミが「阿波」に跪くのは、時間の問題。 @阿波 張魯の娘の名は張h瑛(ちょう きえい)、「建安元年(196年)出生、建安十七年(217年)に死去、享年22」とあるなら卑弥呼とは少し年代が合わないんだよね。
まあ鬼道は道教で間違いはない。黄幢もらう意味理解出来るくらいだし。 道教の宮と考えるなら時期的にも場所も巻向辺りが最適なのは間違いないからな。
河を東に向かって行き、神仙の住む山という思想にピッタリ。
水銀朱の山があったり桃の種も沢山出てくるのは出来すぎな位だ。 >>364 孝霊厨
>道教の宮と考えるなら時期的にも場所も巻向辺りが最適なのは間違いないからな。
碌に人が住んで居ない寒村の纏向のはずなかろうがよ。 @阿波 阿波くんはまず磯城県を阿波に探さないとね。でなきゃ百襲姫が誕生出来ないよ。 旧黒田村であった徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり。 @阿波 畿内の河内辺りから桜井辺りまでが磯城なのは、神武伝承でも登場するエシキ、オトシキの兄弟がこの地で戦う逸話からも、
かなり古い地名なのは証明されているからな推測以前の話。
百襲姫はこの磯城県主の娘であるハエイロネと孝霊天皇の皇女で磯城郡田原本町に出生場所も宮比定も確認済み。
何より聖徳太子が飛鳥と斑鳩を通う太子の斜め道でさえ、孝霊天皇の宮の前を通る位だ。
東西南北が整備された奈良盆地でも、ここだけは斜め。 阿波先生、藤原真作を追うと途中で切れるんですよ、どうなってんですかねぇ、ところで阿波守の前は誰ですか?誰か居たんですか? h瑛の年頃は、年代ぴったりよ。239年が44歳。この頃の中華の皇后の寿命がこの歳位、年長大、ぴったりなのよ。ただ、22で死んでるんだけどね、歴史上比定者として彼女しか相応しいのがいないの、張魯の家系は美人だし、僕は曹操が死に張魯の長男らは解放され五斗米を続けるために山に向かったし、晋のときには紹興だったかで反乱まで起こし信者が後追ってるよね、h瑛は女でもあり国を出たんだろうと。で曹叡は、朝貢を忠孝と言ったのよ。忠義と孝行。辺境の蛮夷に孝行はないでしょ。 >>308
>このへんなのは九州説なのかねぇ?皇国さんもありますよね、
まあ、何れにしろ物的証拠として箸墓は存在し、記紀は百襲とする。卑弥呼とトヨは実在し、倭人伝は鬼道で30ヶ国を代表した女王である。鬼道とは、道、道即ち五斗米道老子道徳経。百襲は老子道徳経を引用され、意地悪く処刑される。
箸墓は女王卑弥呼以外にいない。
この変へんなのは、
「南≠東」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定や、
二中歴の年代歴に拠って「天孫族の委奴國の阿毎氏系の神武即位元年は紀元前91年頃」などの、
箸墓はプラズマ化の失敗に拠って実際は4世紀前半」などの、
史料事実や史料実態が判らず、曲解捏造の嘘吐き騙しのオレオレ詐欺師の
大和説者なのかねぇ?。
まあ、何れにしろ文献考古の史料実態による限り、大和は、
「九州倭國の東征毛人五十五國の別種倭種の旧小国の附庸國」であったのであり、
九州倭國の東海姫氏國から王位を奪って天皇を称して年号を開始した「磐井」を、
大和のヲホド継体が、反乱して、九州倭國のNo.2的な「弟」の地位になり、
九州倭國の白村江の大敗で、(日本國が認められた)大和の天智が「称制」して、
天武(サチヤマ?)が、天智の子供を倒して都を大和に移して、
701年に大宝元年を建元して大和が九州倭國を併合吸収継承して、
西日本を統括的支配する「日本國」になった。 >>372の訂正
>>308ではなく、>>304に対する投稿でした。 ×おじさん粘り腰ですね
。×おじさんの卑弥呼に親魏を与える理由を教えて下さい。 女王共立の時に実在したとすれば、h瑛10歳くらいの時に渡来したことになる。
倭にいちゃって帰ってこない・・、では隣近所の手前もあるし、若くして死んだことにしたんだろうねえ。
臺与の共立も13だったし、ありえない想定ではない。、 >>337~>>339
箸墓は(冢≠前方後円墳やプラズマ化の失敗に拠って)4世紀だし、
孝霊は(二中歴に拠って)紀元100年頃の大和政権王であり、
卑弥呼や壹與の頃の大和王は垂仁になるし、
いずれにしても、「大和政権は、九州倭國の東征毛人五十五國の別種分家の扶養国」であり、
この男らはバツだな。 それは違いますね、倭大乱(乱)が起きたのは、180年頃でしょ、h瑛はまだ本国です。共立が乱の時期なんて書いてありませんよ。隋書か旧唐書には、倭国乱れ主無しとなってます。180年共立じゃあ、239年卑弥呼は幾つですか?勘違いですよ。 >>340
>倭迹迹日百襲姫命:
「倭」が付いてるから倭国の姫で、つまり親魏倭王の卑弥呼だったんだー、
と宣った某論者がいたなー。
いえ大和王権は、九州倭國の東征毛人五十五國で出来た別種分家の倭種の、
地方の市を監督する大倭職の旧小国であり、
卑弥呼の頃の大和王は崇神になりますから、
「倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼」説はバツです 五斗米道は7歳になると教育がなされます。宗女台与は、6年は教育を受けていると考えています。 >>371
まあね、卑弥呼に誰が鬼道をもたらしたかという問題は興味深いからね。ただあまりに資料が少ないから想像の域を出ないのが辛い所。
神獣鏡が三世紀畿内までは到達しているので、どういう経緯で畿内まで来たのかがこれからの課題。
最新(数年前になるが)では奈良盆地西部上牧町、真美ケ丘辺りからも三世紀初頭の画文帯神獣が出てるしな。 >>354
「宗女」は宗教とは関係ない
同じ一族の女性という意味
「宗」は同族集団の先祖を敬う概念 しかし久し振りに日本史板覗いたが荒らしは酷いね。
廣志を再注目出来たのは本当に良かった。廣志の伊都は本来出雲の事で、ヤマイチ国との位置関係は解決したし。
元々龍田の祭神がシナツヒコな時点で、対大陸の拠点が信貴山にある事は判っていたが、
隣接しているシマ国が近つ飛鳥と気付けたのは収穫だった。 宗女台与で、丸く治まったということであり、その後確実に巨大前方後円墳が造られ、倭五大王が生まれて行くでしょ。倭人の占い師では、魏の歴史書に2000字を使いません、韓伝と同じ扱いの筈です、陳寿は残す必要があるから2000字を割いたのです。 >>381
だから、五斗米道の巫女のh瑛を卑弥呼と見れば、
同じ張魯一族の巫女が、宗女臺与に最もふさわしいことになるというわけ。 >>341
>鬼道が道ということもあり他説は終了しました。
また、曹操が張魯等を取り込んだ事に依り何晏王弼らが玄学を生むにいたると考えます。
卑弥呼は易経も身に付けていたでしょう。
歴史上の人物から比定者と言える者は、張魯の娘張h瑛しか存在しません。
可能性は1%位あるかも知れないが、
卑弥呼は、(松野氏)姫氏系図に拠れば、呉王夫差の遺民の姫氏の娘とされているが、
帝紀の記載でも「俾」が使われて、「卑や俾」が「姓」であったように使われており、
「狗奴國男王卑彌弓呼」の「卑」と同じ姓であるように書かれており、
「卑」氏は、元は中国の北部方面にいた氏族の「姓」である、という記載を見た事があり、
倭人傳の直後に書かれた、
評曰:史漢著朝鮮兩越東京撰錄西羗。魏世匈奴遂衰、更有烏丸鮮卑,爰及東夷使譯時通、記述隨事、豈常也哉!
という文からも、
「卑」の文字は鮮卑の「卑」である事や、
鮮卑は南朝から「紅毛碧眼の白豚」と蔑まれた記録がある事から、
アーリア系(イラン系)のヨーロッパ系白人部族が、胡人と同じように、
中国の北方(バイカル湖からアムール川を下って来て満州西部山地の部族であった可能性が高い。
そして、列島の日本海岸付近にも、
秋田美人や越などの「紅毛碧眼」部族の(3分の1位の)混在地域があり、
洲胡の済州島も「胡人の鮮卑部族の渡来國」であった可能性もあり、
卑弥呼らや卑彌弓呼は、呉王夫差の遺民の姫氏への「混血的」部族の出であった可能性が高く、
卑弥呼はその美貌から人気があって倭王に共立された、という可能性が高い。
>また、興味深いのは欠史8代の系譜ですね。
神武後裔の欠史八代は、当然、
九州倭國の東征毛人五十五國で出来た別種分家の倭種の旧小国で、
九州倭國の地方の市を監督する大倭職の地位であった。 >>352
>(張h瑛)その墓は、晋代に建てられたとも言われているのよ。年頃は、ぴったりだしね、
鬼道易経を学ぶ環境、荒廃したなかで人々を纏めるやり方も父或は他の指導者から学べるのよ。
だから他に居ないの。百襲姫では師が曖昧で占い師じゃあ、お遊び。
それに、曹叡が我甚哀汝とは言わないし親魏にも値しない。
「張h瑛」では、(卑弥呼とは)苗字が違うし、列島へ来る理由もありませんからね。 >>355
>でも、しかしながら記紀は百襲姫を老子道徳経、玄牝の門を塞いで死なせています。
記紀編纂者は卑弥呼が何者か解って書いてあります。
それが逆に百襲が卑弥呼であり、老子道徳経の巫女であったと証明しているんです
記紀は九州倭國や卑弥呼らの存在を全く否定している「殆ど偽書」であり、
卑弥呼の証拠には全くなりません。 >>358孝霊厨
>九州説の先生が昔ね、「邪馬台国は畿内でなければどこでもいい!」なんて言ってるからな。
私はこの発言で九州説を止めたんだからな。
「邪馬台国」も「畿内」も存在もしなかった嘘つき騙し文言であったから。
>四世紀の様子なら記紀の崇神天皇以降の記述が基本になるだろう。
倭姫命の話が台与の後の話になるだろうね。 女王から男王に切り替わる話。
いえ大和王権は、九州倭國の東征毛人五十五國で出来た別種分家の倭種の、
地方の市を監督する大倭職の旧小国であり、
卑弥呼の頃の大和王は垂仁(数回前の投稿には「崇神」と書いてしまっていたから訂正)になりますから、
「倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼」説はバツです 姉が、「夜麻登々母々曾毘売命」
弟が、四道将軍の一人 「大吉備津彦命」
式内社 阿波國名方郡 「天佐自能和氣神社(あまさしのわけじんじゃ)」
御祭神 「日子刺肩別尊」・「意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命」・「神皇産霊尊」・「高皇産霊尊」
日子刺肩別尊の母である意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、
日子刺肩別尊は、その第二子。 @阿波 >>360
>三世紀当時の中国で鬼道といえば曹操お気に入りの五斗米道(ないし太平道)のこと
つまり「卑弥呼は鬼道に仕えよく衆を惑わす・・」ば、五斗米道の巫女だったという意味になる。
孝霊皇女なら、ピタリではないが、まずまず年代が合う。
わかっててわざとモモソを箸墓に当てたのは容易に想像できる。
平安末の二中歴年代歴の「二倍年歴は一倍年歴での569年間」という説明に拠れば、
神武即位元年の「ー660年」は紀元前91年頃になり、
孝霊は紀元100年頃になり、
だからモモソはせいぜい紀元150年頃までであり、
卑弥呼の「3世紀前半末まで」とは全く合わないから、
この男もバツ。 卑弥呼は、その美貌から人気になって倭王に共立された可能性が高い。
凄い引出しですね。 >>364孝霊厨
>道教の宮と考えるなら時期的にも場所も巻向辺りが最適なのは間違いないからな。
河を東に向かって行き、神仙の住む山という思想にピッタリ。
水銀朱の山があったり桃の種も沢山出てくるのは出来すぎな位だ
「南≠東」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」や、
「大和は九州倭國の東征毛人五十五國の別種分家の倭種の扶養国」などの、
史料事実や史料実態に拠って否定されるから、
孝霊はおそらく・・・・詐欺師のバツ人間だな。 >>378の訂正
>倭迹迹日百襲姫命:
「倭」が付いてるから倭国の姫で、つまり親魏倭王の卑弥呼だったんだー、
と宣った某論者がいたなー。
いえ大和王権は、九州倭國の東征毛人五十五國で出来た別種分家の倭種の、
地方の市を監督する大倭職の旧小国であり、
卑弥呼の頃の大和王は垂仁になりますから、
「倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼」説はバツです まあ見ず知らずの人を詐欺師扱い出来るような人物は、まともな思考力なんてないのは確かだろう。
九州説はこの20年何の進展も無かったしな、他説の批判のみ、それも難癖しか出来ていない。
ヤマイチなら畿内の生駒山東側、山背、山城と呼ばれる場所なのは確定。
倭人伝における様々な矛盾は、資料が複数による混同があるで解決だね。 >>379孝霊厨
>まあね、卑弥呼に誰が鬼道をもたらしたかという問題は興味深いからね。ただあまりに資料が少ないから想像の域を出ないのが辛い所。
神獣鏡が三世紀畿内までは到達しているので、どういう経緯で畿内まで来たのかがこれからの課題。
最新(数年前になるが)では奈良盆地西部上牧町、真美ケ丘辺りからも三世紀初頭の画文帯神獣が出てるしな
初期の徳島やホケノの画文帯神獣鏡は、楽浪系鏡であり、
ホケノは3世紀最末〜4世紀の墓だとほぼ決まっているから、
「真美ケ丘辺りからも三世紀初頭の画文帯神獣」というのが、そもそも疑問。
列島の画文帯神獣鏡も、明帝の下賜の銅鏡百枚ではなく、
魏の楽浪帯方攻撃戦争から列島へ避難して来た「呉系の楽浪鏡師」らの関与鏡であったんだろう、
とほぼ確定している。 また失敗
>>379孝霊厨
>まあね、卑弥呼に誰が鬼道をもたらしたかという問題は興味深いからね。ただあまりに資料が少ないから想像の域を出ないのが辛い所。
神獣鏡が三世紀畿内までは到達しているので、どういう経緯で畿内まで来たのかがこれからの課題。
最新(数年前になるが)では奈良盆地西部上牧町、真美ケ丘辺りからも三世紀初頭の画文帯神獣が出てるしな
初期の徳島やホケノの画文帯神獣鏡は、楽浪系鏡であり、
ホケノは3世紀最末〜4世紀の墓だとほぼ決まっているから、
「真美ケ丘辺りからも三世紀初頭の画文帯神獣」というのが、そもそも疑問。
列島の画文帯神獣鏡も、明帝の下賜の銅鏡百枚ではなく、
魏の楽浪帯方攻撃戦争から列島へ避難して来た「呉系の楽浪鏡師」らの関与鏡であったんだろう、
とほぼ確定している。
の「>>379孝霊厨」は「>>380孝霊厨」の間違い 生駒山東側がヤマイチ国だとすると往馬坐伊古麻都比古神社辺りも注目してもいいかもね。
ちなみに現在の地名も壱分。 また生駒と奈良市の間にある丸山古墳も注目したいよね。年代は三世紀後半にあたるので卑弥呼とは無関係だが、最大の円墳なのは興味深い。 中国語の「鬼」は霊魂のこと
目に見えるものではないが存在しているとしたもの いいえ違います。魏志の鬼は当時の中華が蔑称につけていただけです。五斗米道の信徒も鬼卒と呼んでいます。信者に鬼をつける道なぞありません。尚、宮内庁も解ってるじゃあないですか、天皇陵がちゃんと百襲姫を最初に前方後円墳に成ってますよ。当然、老子道徳経も理解しとりますね。 >>400
「鬼卒」は単なる信者ではなく治頭、大祭酒など道者に次ぐ祭官の名称 >>400
もう少し、まともな文章が書けねえのかい。中学生邪あるまいに。 >>397孝霊厨
>生駒山東側がヤマイチ国だとすると往馬坐伊古麻都比古神社辺りも注目してもいいかもね。
ちなみに現在の地名も壱分。
「〜だとすると・・・してもいいかもね」なんて仮定を積み重ねる論法は、
確率が二重に低下して、確率が殆ど0の詐術的宗教的な説法方法であり、
仏教の説法師やオームの麻原や皇国史観の似非学者らのような、
結論先にありきの宗教家が多用して来た論法。
世間の皆様、騙されて、殺人戦争をさせられないように、気を付けましょうね。 >>400
>いいえ違います。魏志の鬼は当時の中華が蔑称につけていただけです。
いや、卑弥呼への「鬼道」形容は、
魏の役人らの使用した、「中国での鬼道」に模した形容的な文言であり、
事実とは断定できません。
>五斗米道の信徒も鬼卒と呼んでいます。信者に鬼をつける道なぞありません。
尚、宮内庁も解ってるじゃあないですか、天皇陵がちゃんと百襲姫を最初に前方後円墳に成ってますよ。
それじゃ、宮内庁も同罪ですね。
大和で最も古い前方後円墳は、石塚などの3世紀末であり、
当然、卑弥呼の「冢」ではありませんから。
当然、老子道徳経も理解しとりますね> >>394孝霊厨
>まあ見ず知らずの人を詐欺師扱い出来るような人物は、まともな思考力なんてないのは確かだろう。
まあ、孝霊厨の論は、以前に何度も否定されて、どこかへ逃亡していて、
その事を知らん振りして、またこのスレに突然顔を出して来た、一種のオレオレ詐欺師であり、
まともな思考力なんてなく、犯罪者的なのは確かだろう。
大和説も、この50年位の間、何の進展も無かったしな、
他説の批判のみ、それも難癖しか出来ていない。
邪馬壹國なら、魏志倭人伝の史料批判に拠って、
福岡平野中程〜筑紫平野及びその周辺丘陵地、
と呼ばれる場所なのはほぼ確定。 >>405の訂正
>>400
>いいえ違います。魏志の鬼は当時の中華が蔑称につけていただけです。
いや、卑弥呼への「鬼道」形容は、
魏の役人らの使用したという可能性がある、
「中国での鬼道」に模した形容的な文言であり、
事実とは断定できません。
>五斗米道の信徒も鬼卒と呼んでいます。信者に鬼をつける道なぞありません。
尚、宮内庁も解ってるじゃあないですか、天皇陵がちゃんと百襲姫を最初に前方後円墳に成ってますよ。
それじゃ、宮内庁も同罪ですね。
大和で最も古い前方後円墳は、石塚などの3世紀末であり、
当然、卑弥呼の「冢」ではありませんから。 あなた方も賢い訳で、当時の中華では太平五斗米は脅威であり民間では禁止されてる状況にあったことは解った上で、言ってるでしょ。また、ふとしたことで気付かされることも有るわけですよ。ここで色々書き込まれた人の知恵を無駄にしてるのはあなた達だけです。 >>406
日本史板があまりに荒らしが酷いので、特に見る気になれなかったのは事実ですね。
まあ2年間は考古学意外の調査仕事が多忙だった事もありますが。
北部九州は邪馬台国の可能性が日本では一番可能性がない場所なのは、以前から指摘されている、戸数の問題があるからです。
奴国の他に投馬国に邪馬台国を比定するのは倭人伝を否定する以外にありませんから。
最近書かれていた九州説の方のいろんなレスを見て見ましたが、賛同出来るものは何一つありませんね。
唯一廣志の事を例に上げてヤマイチ国を説明された方がいましたが、それは逆に伊都は出雲と解釈する事で、更に畿内説で確信できましたよ。傍国も理解できましたからね。
シマ国は河内国分、信貴山辺りから近つ飛鳥です。 生駒は生馬、生馬寺が生駒にあったからね
ただの表記の問題
生駒、生馬は魏志倭人伝の伊支馬だろう
出雲風土記にある生馬神やね
火の神さまでしょう >>409
>北部九州は邪馬台国の可能性が日本では一番可能性がない場所なのは、以前から指摘されている、戸数の問題があるからです。
行程の問題もでしょ
明らかにもう通り過ぎてる場所だから >>409孝霊厨
>・・・北部九州は邪馬台国の可能性が日本では一番可能性がない場所なのは、
孝霊が全く学問的ではなくオレオレ詐欺的なのは、
「邪馬台国」なんて、存在もしなかった嘘つき騙し文言を使って、
大和説を匂わす詐欺をしているから。これだけで、信頼性はほぼ0%。
>以前から指摘されている、戸数の問題があるからです。
奴国の他に投馬国に邪馬台国を比定するのは倭人伝を否定する以外にありませんから。
これも。相変わらずの粗雑なアホ論。
魏志倭人伝が「戸と家とを書き分けている史料事実」の説明が出来ない限り、アロなだけ。
魏朝では、「戸は(魏朝への)納税や兵役の義務を持つ単位」という数え方であり、
「家」は「魏の支配下ではなく納税や兵役の義務を持たない家族単位」という数え方。
従って、「1戸は大体1〜3人余り」位の人口になり、
国内人口学者らのような「1戸≒5人」なんて、嘘八百もいい所。
従って、邪馬壹國の「可七万戸」の人口は7万〜21万余り位にしかならないもの。
最近書かれていた大和説学者の方のいろんな論を見て見ましたが、
賛同出来るものは何一つありませんね。
唯一廣志の事を例に上げてヤマイチ国を説明された方がいましたが、
それは逆に廣志自体が、
同時代の魏の役人らの実地の見聞計測の記録や倭人伝の記録の信頼性を無視して、
後代の史家の自己解釈に拠って「同時代記録を勝手に書き換えた半分偽書」、
という価値しかない事が確認できましたからね。 >>412
>最近書かれていた大和説学者の方のいろんな論を見て見ましたが、賛同出来るものは何一つありませんね
最初から詐欺師呼ばわりして敵視してる人には、そうでしょうとも >>411
>北部九州は邪馬台国の可能性が日本では一番可能性がない場所なのは、以前から指摘されている、戸数の問題があるからです。
行程の問題もでしょ 明らかにもう通り過ぎてる場所だから
この大和説男らも、また国民を騙す詐欺最釈を書いている。
もう、何度も書いて来た事だが、
「參問倭地,絕在海中洲島之上,或絕或連,周旋可五千餘里」の「可五千餘里」の計算においては、
古田さんの行程里数の計算と全く同じように、
魏の役人らによる侏儒國までの「陸路」参問里数と解釈出来、
400余×2+300×2+500+100+(4000余−1000余)≒5=00余(里)
にほぼピッタリ合っている。
という事は、對海國と一大國のそれぞれの「二辺」の海岸沿いの陸路を通った、という事になり、
それによって、郡から邪馬壹國女王之所都の里数の方を計算すると、
7000余+1000余+400余×2+1000余+300×2+1000余+500+100≒12000余(里)
にぴったりになり、
奴國と投馬國は行って計算にもなるから、魏使らは通っておらず、
不彌國〜邪馬壹國女王之所都の間の里数は記載されていないから、
双方の出口と入り口間の里数はほぼ0里(記載最低里数の百里の半分の50里以下位)、
である事になり、「ほぼくっついている」事になり、
不彌國は博多湾岸であるから、
邪馬壹國は「福岡平野中程〜筑紫平野及びその周辺丘陵地付近」になり、
女王之所都は、「福岡平野の南半分付近の弥生銀座付近」だという事になり、
古田解釈で全く正しかった事になった。 >>412
このスレを悪質ないたずらで執拗に攻撃しているのは九州説の誰か
九州説を名乗る人であれば自説について発言する前にスレ主にこの悪行についてまず詫びるべき
いたずら以降、九州説で嬉々として書き込んでいるのはこの人物のみ 他にはいない
いたずらを知らんぷりして図々しく書き込みを続けているのはいたずらの張本人だから
そればかりか混乱を意図して新たな荒唐無稽な説も書き込んでいる模様
こんな人物の行為をきちんと処分できなければ掲示板が破壊される
スレ主や掲示板の主催者に対応を求めたいところ >>412
>従って、「1戸は大体1〜3人余り」位の人口になり、
>国内人口学者らのような「1戸≒5人」なんて、嘘八百もいい所。
>>415
現代ですら、確定人口はなかなかつかめない。
なのに三世紀の戸当り・家当り人数を適当に推定して総人口をはじき出し、
九州では収容できない・・、だから西日本全体の人口だー、などと確定的な口ぶりで結論するのは、
単なる推定・推測も基にしていかにももっともらしく振る舞う詐欺師の口上・手口である。畿内論者は猛省すべきだ。 >>413
>>最近書かれていた大和説学者の方のいろんな論を見て見ましたが、
賛同出来るものは何一つありませんね
>最初から詐欺師呼ばわりして敵視してる人には、そうでしょうとも
いや、「敵視」なんてしていない。
大和政権は、九州倭國の、
委奴の地の伊都国系の「阿毎氏」の「東征毛人五十五國」の別種分家の倭種の、
地方の市を監督する大倭職の旧小国の「倭國の部下の国」であったのであり、
卑弥呼や倭の五王らの「東海姫氏國」から権力を奪った「阿毎氏の磐井」を、
大和のヲホド継体が倒して、大和が九州倭國のNo.2の「天子の弟」的地位になってくれ、
大和は、扶桑國とも呼ばれていたが、唐の武徳中に「日本」」國号を認められ、
白村江で倭國が唐に大敗して、亡国の運命になった時、
に天智が「称制=倭國の臨時君主」して郭務ソウと折衝を終え、
天智亡き後、天武(サチヤマの事?)が天智の子供の大友を倒して、
九州倭國を諦めて、大和に都を移し、701年の大宝元年を建元して日本國を継承した。
つまり、大和日本國がなければ、九州倭國は完全に唐の支配下になって消滅して?いた。 >>416
竪穴住居跡に住める人は、上位の人たちに限られていたのではないのだろうか。 @阿波 >>416
中国では古代から戸数と人口は調査統計をしていた
それは納税の基礎とするため
一戸あたり5人程度はその資料でも裏図けられる
捻じ曲げようとしても無駄 北部九州説の人は戸数について相変わらず妙な解釈しているね。
魏志倭人伝の戸数での解釈が九州説で過大なのは、戸数辺りの人数だとかの問題じゃないでしょう。
また魏志倭人伝の情報はあくまで一部分にすぎず、三国志の中の記述としてみた場合、半島の国々の戸数と対比してみると、
14万戸は北部九州には極端に過大すぎるという理由です。
それに倭人の居住地を考えると海人という条件もありますので、基本的に内陸部や山岳地帯でも河川沿い意外はあまり考えられないですね。
畿内にあっては船や水運に関する出土品も多いのでこの点でも有利です。
海無しの奈良県であっても巻向遺跡からでさえ海魚の骨が出る位ですね。 学者風現代人による単なる推定推測をもとにした総戸数・総人口をもとに、
三世紀の倭人伝を否定し、ひいては中国古典の三国志を侮辱否定する行為であるから、
国際的には中国の歴史文化を侮辱否定する行為に他ならない。畿内論者は、自らの発言が現中国政府・人民にも及ぶことを自覚すべきだ。 >>419
>一戸あたり5人程度はその資料でも裏図けられる
倭国は中国ではないぞ。違う時代の違う史料をもとに、エイヤっと推測したに過ぎない。
学者の衣をまとった者の八卦占い程度の数字だ。 >>421
君が批判しているのは魏志倭人伝に記載されている戸数と
当時の中国の納税の基礎資料となる人口と戸数
どこにも推定推測などない >>421
つまり九州説は中国の工作員なのか、やっぱり。 >>422
確かに倭国の人口は記載されていないが
もしそれが中国の実態とかけ離れたものであれば陳寿はそれについて説明したはず >>423
何をトンマな返答をしているのか。理屈になっておらん。
そんなことより倭人伝には、末盧国からは東南へ進むべしと明記しておる。
単なる人口の推定値に依って、東南は間違いであり、北東が正しいとするのか。 まあ以前にも書きましたが私が孝霊天皇に拘るのは記紀ではスルーなのに、その名前が各地方の神社、それも重要な場所ばかりに名前があるからですね。
富士山が孝霊5年、琵琶湖の三上山が孝霊6年、阿蘇山が孝霊9年になります。
まあ年号は無くとも出雲や中国、瀬戸内海でも名前が頻繁に出ますからね。
筑紫もおそらく高良王の名前が該当するはずです。土地を借りに来た王ですからね。
名前が残る範囲からは倭人王という名前に一番相応しいでしょう。 >>424
キミは国際感覚に欠けるね。中国と日本の関係は数千年に及ぶ微妙な問題の連続だ。
畿内スレと言えど、中国政府はウオッチしていることを忘れてはイカン。 たとえば仮に投馬国が5万戸、邪馬壱国が7万戸合計12万戸がすべて一人世帯だとしても
この二国だけで人口は12万人
その他の国々、強国狗奴国も勘案すれば、到底このすべての国々が九州にあったという説は成り立たない
当時の九州の推定人口は10万5千程 >>426
その答えが廣志にあるのではないか思いますが。
廣志だとマツラもなく単に倭の東南500里に伊都国があり、その直ぐ南側にヤマイチ国があります。
これを出雲の話とみて、伊都を亀岡の出雲大神宮辺りにすると、大和は直ぐ南になりますからね。
こちらは戸数も距離の情報もありませんが、奴国等途中の国の記述もない。
つまり複数の資料があり倭人伝編纂時に記述の混乱があった可能性が高いでしょう。 >>426
人口だけじゃないよ
全ての点で東南は間違い
佐賀方面は鏡が貧困だしね >>430
>当時の九州の推定人口は10万5千程
それ見たことか。
単なる市井の一学者の単なる推定値・推測値をもとに、さも確定事項であるかのように論じているではないか。 >>426
何をトンマな返答をしているのか。理屈になっておらん。
魏志倭人伝に記録されたのは、人口数ではない。
「戸数」も「家数」も、魏の役人らによる「実地での建物数の計測」や、
「それからの見えた範囲以外の面積の推定」からの、合計「戸数や建物数」の推定数だ。
>そんなことより倭人伝には、末盧国からは東南へ進むべしと明記しておる。
単なる人口の推定値に依って、東南は間違いであり、北東が正しいとするのか。
末盧國からの「東南」も同じだ。
末盧國の出発時点で、伊都国が見えていなければ、伊都国方向を記録できるものではない。
中国大陸のような広大な地域での直接的な目的地の方向は、
「道のりの順次式説明」方法が最も適切な説明法である。
そして、案内人や道標などに従って移動し続ければよいもの。
勿論,山越えや渡河や渡水も、目的地方が判っていなければ、使えるものではない。 >>433
鏡の数は発掘事業の進展次第。未発掘の物は計上されていない。つまりこれも推定推測値だ。 >>435
これまた何をトンマな返答をしているのか。理屈になっておらん。
見えなければ、周辺の高い山々に登って方角を確認する。これは古代の常識で、簡単なことである。
九州の高山名峰の頂には、古代からの遺跡がのこっている。今でいえば、地上を見張る人工衛星の役目を果たしていたのであろう。
そんなことも知らん不勉強児童・・、 >>434
wikipeia 「近代以前の日本の人口統計」にある縄文・弥生時代の地域別推定人口は
小山修三氏による集計です日本の文化人類学者・考古学者で、専門は、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、
考古学(縄文時代)。国立民族学博物館名誉教授。とのことです
あなたがこの説に異論を唱えることは自由ですがそれを広く発表するためにはていねいな根拠の説明が求めら
れると思います >>438
著者本人も、「縄文・弥生時代の地域別推定人口」と、推定値であることを断っておる。
それを、あたかも確定値であるとして、倭人伝に適用するのが不適当であるといっておるのだ。
推定値によって、東西南北をひっくり返すのは本末転倒であろう。 >>439
その推定値に異論があるのであればその説明責任はあなたにある
しかし、あなたにはどんな反論も準備できていない
「推定値」だから確定値ではないと言い張るのみ
学問はある推定値を基にしてさらに推論を組み立ててゆくもの
あなたの方法論では何も前進しない >>441
まあ「単なる市井の一学者の単なる推定値・推測値」とか言っちゃった時点で>>434の負けなんだけどね >>441
推定値で倭人伝の東西南北をひっくり返そうとするのが、むちゃくちゃな試みだといっているのだ。
一学者の推定で、北極が南極になり、お日様が西から登るようになったりは決してしない。
万事、物事には天地・大小・本末有り、宇宙の万有引力に逆らう試みは愚行であることを知るべし。 方角間違いなんていくらでもあるんだぞw
表記ミス、それも意図的に変える可能性もあるんだわ。 >>445
単なる通行本金科玉条主義でしょ
聞く価値もない >>445
私見に依り「倭人伝の方角は間違いである」としたのは、明治の寅次郎だ。
以来、京大学閥は方角ちがいを確定事項だと言い張って居るが、なんの根拠もないことだ。
また最近は人口の推計値を援用して、畿内は確定地となったと断言しておる。
推定を以て推定地とするならそれはそれでよかろう。しかし確定事項だといっては虚偽になる。
やはり倭人伝が語る通り、末盧国から東南500里伊都国へ、更に東南100里奴国へ向かうべきであろう。
そしてそこに陸地が無いのであれば、これを誤りとするのも一理あるであろう。
しかし最近の発掘結果では、立派な遺跡が証明されておる。さらに近傍にも出土が推定される。
まさに考古学的大発展・大進歩があるのだが、それを無視して推定論の畿内説を確定事項と唱え続けるのは虚偽を流布する行為である。 >>437
>これまた何をトンマな返答をしているのか。理屈になっておらん。
見えなければ、周辺の高い山々に登って方角を確認する。これは古代の常識で、簡単なことである。
九州の高山名峰の頂には、古代からの遺跡がのこっている。今でいえば、地上を見張る人工衛星の役目を果たしていたのであろう。
そんなことも知らん不勉強児童・・、
これまたトンマなイチャモン。
魏使らは、明帝の下賜の「詔書や金印や大量の下賜のお宝」を運ぶ事が第1であり、
危険な渡海は最小限であり、道なき道や峠越えや川沿いの獣道などの危険の多い道は、
出来るだけ選択しないもの。
山の頂上に登るようなアホな事など、する筈もない。
要するに、君は、古代の魏の役人らの「常識」が判らないお人。 >>447
>そしてそこに陸地が無いのであれば、これを誤りとするのも一理あるであろう。
一理なし! そこには、陸地があり、それに見合う遺跡がある。 @阿波 畿内説は鬼道についても重視した考察をしているのも否定してはいけない。
こちらも三国志において出てくる文言であり、三世紀の対中国との関係を考察する点では決して軽視は出来ないですね。
対して九州説においてはあまりに丹や鬼道についての解釈が貧弱なのは否定出来ないですね。
三世紀以降、神仙思想の影響下にあるのは畿内でしょう。 >>438
>wikipeia 「近代以前の日本の人口統計」にある縄文・弥生時代の地域別推定人口は
小山修三氏による集計です日本の文化人類学者・考古学者で、専門は、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、
考古学(縄文時代)。国立民族学博物館名誉教授。とのことです
あなたがこの説に異論を唱えることは自由ですがそれを広く発表するためにはていねいな根拠の説明が求めら
れると思いま1su
小山が何様であろうと、そんな事には全く関心がない。
要は、小山らが、倭人伝の「戸」と「家」数から人口推定をした事が、
古田さんの「倭人伝を徹底して読む」という本で、否定されていた、
という事である。 >>450 孝霊厨
>三世紀以降、神仙思想の影響下にあるのは畿内でしょう。
碌に人が住んでいない寒村にそんなもんがあるわけなかろうが! わははははは @阿波 >>452
相変わらずまともなレスする気も無いんだね。
その態度続けるなら以降は相手にするの止めるよ。
君は単に荒らしたいだけのようだし。 >>453
なら、「阿波」のように集落遺跡を出してみろ!
碌に人が住んでいない寒村にそんなもんがあるわけなかろうが! わははははは @阿波 >>453
なら、「阿波」のように、「邪馬臺国」「女王国」に相応しい集落遺跡を出してみろ!
碌に人が住んでいない寒村にそんなもんがあるわけなかろうが! わははははは @阿波 >>444
>方角間違いなんていくらでもあるんだぞw
表記ミス、それも意図的に変える可能性もあるんだわ。
ないな。
魏の役人らは、当然周代の周髀算経や礼記の、
「8尺棒の先端の、日の出から日の入りの太陽の影端移動線上の状態から東西を求め、
それを結ぶ直線と直交する方向で南北を求める」方法を知っており、
倭人も、周代に「燕の南にいた倭」や「呉にいた姫氏の後裔」であるから、
東西南北の求め方を知っている筈。 >>447
倭人伝の方角だけは正しい筈だというのが根拠では他の人の説を批判する根拠にはならない
信仰のようなもの
私は出雲を投馬國、邪馬壱国は奈良と推定している
ポイントは不弥国から投馬国へは水行の区間があること
そこから水行と陸行で邪馬台国となる
問題はこの行程は帯方郡から近い順に順番に記述されているという点
邪馬壱国からはさらに遠い国々が列記されているが
その行程のどこにも水行の区間は現れない
もし水行の区間があるのなら、その区間の出発地と到着地が明記されるはずだ
ただ境界の尽きるところについては記載がある
これは、当時の倭国は関東周辺までが領域でそれ以北は倭国ではなかったことを示していると思う >>456
>東西南北の求め方を知っている筈。
筈と言い張るだけで何の証明もできてないし
知ってたから間違えないというのも暴論 >>457
>私は出雲を投馬國、邪馬壱国は奈良と推定している
根拠遺跡を伴わない、単なる妄想推定。 信仰のようなもの。 @阿波 現地における中国からの使いが正確に方角を測れても、海を越えてどのくらい離れてるかが不正確なら多少は誤差はあるからね。
それよりも編纂者側に複数資料があるなら方角に関しては正確とは言えないだろう。
日本の古代史には出雲の国譲りもあるからね、これは伊都の場所が複数あると見るべき逸話だろう。
廣志に伊都の南にヤマイチ国があるのはその為だろうね。 >>448
>魏使らは、、、山の頂上に登るようなアホな事など、する筈もない。
>要するに、君は、古代の魏の役人らの「常識」が判らないお人
時代観がトンマ、
楽浪郡の時代には楽浪郡使、帯方郡になってからは公孫氏の使い、公孫氏亡き後は魏朝の太守の使いが、
数百年かけて何度も何度も往来した倭への道だ。
そのたびごとに方角を間違ったなどと、FtもYsもAwも畿内説も、希代のトンマ電波ぞろいだったのだ。 >>462
方角の記載ミスが発生したのは写本でのこと
おそらく一度だったろう 廣志におけるシマ国に関してはヤマイチ国=山城地区、生駒東から矢田丘陵に比定出来るので、それに隣接している大和側亀の瀬周辺から二上山麓にあたる場所、近つ飛鳥が中心の国が該当する。
ここは聖徳太子の太子道でも斑鳩とつながり場所であり、その真ん中にはヒルメ山が位置する。
巳百支国こそ巻向辺りが該当する場所になるだろう。
弥生時代後期の遺跡が集中する場所なのはいうまでもない。
次点候補は馬見丘陵地になるだろう、上牧からは三世紀の画文帯神獣鏡も出土している。 確定事項です、、という云い方は、
論戦に破れて逃げ回ろう、逃げ切ろうとする「逃亡者」の姿そのもの。哀れなり・・ >>453 孝霊厨
なら、「阿波」のように、「邪馬臺国」「女王国」に相応しい集落遺跡を出してみろ!
碌に人が住んでいない寒村にそんなもんがあるわけなかろうが! わははははは @阿波 >>450孝霊厨
畿内説は鬼道についても重視した考察をしているのも否定してはいけない。
こちらも三国志において出てくる文言であり、三世紀の対中国との関係を考察する点では決して軽視は出来ないですね。
対して九州説においてはあまりに丹や鬼道についての解釈が貧弱なのは否定出来ないですね。
三世紀以降、神仙思想の影響下にあるのは畿内でしょう。
3世紀前半の九州の卑弥呼の頃の「丹や鬼道」の根拠はいくらでもあるが、
大和の「丹や鬼道」の痕跡は、3世紀最末〜4世紀のホケノから以後。 >>463
記載ミスと決めつけるのも学問的じゃないね >>463
記載ミスと決めつけるのも学問的じゃないね >>467
>大和の「丹や鬼道」の痕跡は、3世紀最末〜4世紀のホケノから以後。
いや、連呼するだけじゃ通説は揺るがないから >>457
>倭人伝の方角だけは正しい筈だというのが根拠では他の人の説を批判する根拠にはならない
信仰のようなもの
いや、魏の役人らの実地の見聞計測した範囲内の東西南北方向は、ほぼ間違えていないし、
だから「正北抵新羅の倭國は九州」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」も間違えていない。
>私は出雲を投馬國、邪馬壱国は奈良と推定している
ポイントは不弥国から投馬国へは水行の区間があること
そこから水行と陸行で邪馬台国となる・・・
当然「邪馬台国」なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるから、この男はバツであるし、
「出雲=投馬國、邪馬壱国=奈良」説も、「南≠東」に拠って、
この男も、始めから、バツ男。 >>463
自分たちに都合の悪いことは、間違った、記載ミスした、といって逃げ回るのは使い古しの手口。
学者であろうがなかろうが、学問であろうがなかろうが、いまどき通用せぬわ。 >>461
>現地における中国からの使いが正確に方角を測れても、海を越えてどのくらい離れてるかが不正確なら多少は誤差はあるからね。
狗邪韓国から對海國や、一大國から末盧國は、どちらも見えているから、方向はほぼ間違えないし、
對海國の海岸から一大國は見えないが、
對海國の海岸の後山に登れば、一大國の最高峰の先っちょが見えるし、
南へ出航すれば、対馬海流に乗って一大國に行けるから、
やはり、方向は殆ど間違えない。
>それよりも編纂者側に複数資料があるなら方角に関しては正確とは言えないだろう。
陳寿は殆ど、魏の役人らの記録しか見る事が出来ない。
>日本の古代史には出雲の国譲りもあるからね、これは伊都の場所が複数あると見るべき逸話だろう。
廣志に伊都の南にヤマイチ国があるのはその為だろうね。〜
伊都の地名は、「伊の都」であり、一大率がいて「皆臨津搜露」できる地であり、
天孫族の阿毎氏も、
(アマ、天、海)の(イ、伊、委、倭、一、壹、怡、五)などの合成呼称であり、
糸島半島の入り口の「前原から糸島水道付近」だけにピッタリである。 江戸時代の国学者の熊襲偽僭説というのも
肥後あたりの先住民がホラでもこいとったんだろうというのが九州説の始まり
日本ではホラこき先住民だと認識されていたということ >>463
>方角の記載ミスが発生したのは写本でのこと
おそらく一度だったろう
東西南北の写本間違いなど、ほぼ100%起こり得ないな。
おそらく、この投稿子のような、
「結論先にありきの思想宗教」に狂った「狂人」であった場合だけなんだろうなあ。 そうだな。
その肥後の熊襲のホラ貝がホンモノで、
北部九州や畿内は、落ちこぼれ難民で溢れかえっていることが明らかになりつつあるわけだ。 まあ単純に伊都を先入観で北部九州にあると思い込みしたのが間違いだったんだよ。
これは私も反省しなければいけない。
日本の古い都なら出雲を忘れてはいけない。その出雲は国譲りを経験したのだからね。
まあ廣志の記述では必然的に阿波説は消える、これは確定的だね。もう今後は阿波説は論外でいいよ。 廣志における巳百支国の次が伊邪国だが、これは隣接する伊賀、もしくは伊勢になるだろうね。
つまりヤマイチ国周辺は奈良盆地周辺で全て説明可能になる。
しかも弥生時代後期の遺跡も全て考慮できるからな。廣志を再認識させてくれた九州説の人に本当に感謝します。 >>464孝霊厨
廣志におけるシマ国に関してはヤマイチ国=山城地区、生駒東から矢田丘陵に比定出来るので、それに隣接している大和側亀の瀬周辺から二上山麓にあたる場所、近つ飛鳥が中心の国が該当する。
ここは聖徳太子の太子道でも斑鳩とつながり場所であり、その真ん中にはヒルメ山が位置する。
巳百支国こそ巻向辺りが該当する場所になるだろう。
「南≠東」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、孝霊の頭がバツ。
おそらく、皇国史観の狂気の思想に狂った人種。
>弥生時代後期の遺跡が集中する場所なのはいうまでもない。
須恵那珂から須玖岡本付近の弥生銀座の方が集中している。
>次点候補は馬見丘陵地になるだろう、上牧からは三世紀の画文帯神獣鏡も出土している。
楽浪系の画文帯は、3世紀後半の徳島やホケノ以後。 蛇足だが廣志文中にある百女国なんて漢字も百襲国を想像させて興味深いね。
巳百支なんて名前も蛇と百襲なら面白そうだが。 >>478 孝霊厨
>まあ廣志の記述では必然的に阿波説は消える、これは確定的だね。もう今後は阿波説は論外でいいよ。
なら、「阿波」のように、「邪馬臺国」「女王国」に相応しい集落遺跡を出してみろ!
碌に人が住んでいない寒村にそんなもんがあるわけなかろうが! わははははは @阿波 もはや阿波説は候補としては論外なのでスルーします。
邪馬台国位置問題の興味対象じゃないので頑張ってください。 >>471
写本での記載間違いだろうと指摘してある
他の人の文章も読みなさい >>472
私が何か特殊な主張をしているのではない
後世の写本での記載間違いという説は広く受け入れられているもの >>480
上牧町の教育委員会、文化財担当なら関川氏だったので年代比定に文句あるならどうぞ。
その関川氏は九州説だけどね。
私は九州説だと三世紀どの勢力がこの地に神仙思想をもたらしたか?という根本的な矛盾を感じるので断然畿内説をとりますが。 >>476
方角については100パーセント誤記はありえない
の根拠は? >>484
>写本での記載間違いだろうと指摘してある
>他の人の文章も読みなさい
写本での記載間違いをありえることを述べて
方位だけは対象外とするのはなぜなのか? ザラコクは詰問されないうちは知らんぷりをとおすような卑怯なやつなので
判りやすく言おう
私は君が悪質ないたずら行為の犯人であるとはっきり述べた
それについての何か感想があれば述べてみなさい >>485
原本の誤りがどうの、写本の誤写がこうのとか、よけな議論をする暇があったら、
夫々と現場の方位とを比較してみよ。現場の唐津や、糸島や、博多や、宇美や、佐賀川上や、吉野ヶ里は、
三世紀そのままの方角、里数、場所に残っている生き証人だからな。その結果で判断すればよい。これほど簡単確実なことはないであろう・・。 >>490
写本に間違いがあったら
現場の地理との照合など無駄な事
こんな簡単なことも判らないのか? ザラコクなる人物像には、かねてより疑いを持っておる。
あれは、畿内説のなりすましではないか。一番の候補は、コチコチの畿内説であるスレ主の奥山だ。
(要するに、敵味方を自作自演し荒れ状態を演出してレスを稼ぎ、小銭を懐にしているだけのこと) >>492
ザラコクは平気で他説の人に成りすましたりする
このタイミングで現れた君の発言も言葉通りには受け取れない
ただ、
>ザラコクなる人物像には、かねてより疑いを持っておる。
が本当ならそれはうれしいことだが・・・ >>495
は
>>493
へのレスでした 間違えました(-_-;) >>471
>いや、魏の役人らの実地の見聞計測した範囲内の東西南北方向は、ほぼ間違えていないし、
残念ながら、魏の役人らの実地の見聞計測してません
してたら末盧国から伊都国のある方角がどっちかわかります >>492は品性が卑しいね
何の証拠もない中傷が平気で言えるなんて >>499
おそらく>>492は嵐をなんだよやってる犯人だから や>>470
>>大和の「丹や鬼道」の痕跡は、3世紀最末〜4世紀のホケノから以後。
>いや、連呼するだけじゃ通説は揺るがないから
いや、
「南≠東」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國」や、
「AMS法のプラズマ化の失敗」や「二中歴での大和王の年代」などの、
史料事実や史料実態根拠に拠って、
通説学者らの年代の詐術を尽く否定して来てある。
通説が揺るがないのは、殆どのマスコミも大学も教育委員会も文科省も、
嘘吐き騙しの「皇国史観宗教の信者」さんだから。 >>475
>江戸時代の国学者の熊襲偽僭説というたあ
肥後あたりの先住民がホラでもこいとったんだろうというのが九州説の始まり
日本ではホラこき先住民だと認識されていたということ
九州説は、直接的には、
同時代の魏の役人らによる実地の見聞計測の記録が元になった魏志倭人伝があったが、
6世紀の史料としては、梁書があり、
国内史料としては、
(松野氏)姫氏系図や、「東海姫氏國」資料群や、二中歴年代歴や、釈日本紀の記録などが、
正確な九州説を記録しているが、
記紀や風土記や社寺の伝承記録は、
701年の大宝元年からの大和日本國政権下での「禁書」令などで、
相当な量の文献が失われた。 >>477孝霊厨
>まあ単純に伊都を先入観で北部九州にあると思い込みしたのが間違いだったんだよ。
これは私も反省しなければいけない。
まあ、キミは、
「南→東」や「正北抵新羅の倭國は九州」などの、史料事実や史料実態の曲解屋否定などの、
嘘吐き騙しをして来た事を反省しなければならない。
>日本の古い都なら出雲を忘れてはいけない。その出雲は国譲りを経験したのだからね
出雲が縄文の「国引き神話」以来の西日本の中心的な国であった事は。
旧知であり、
紀元前3世紀頃の「海峡の天孫族の阿毎氏の天照らの国譲り戦争」に破れて、
支配地は縮小したが、
梁書に拠れば、6世紀にまでも「文身國」として独立的であったらしい。 >>479孝霊厨
廣志における巳百支国の次が伊邪国だが、これは隣接する伊賀、もしくは伊勢になるだろうね。
つまりヤマイチ国周辺は奈良盆地周辺で全て説明可能になる。
しかも弥生時代後期の遺跡も全て考慮できるからな。
根本的に、
「南≠東」や「正北抵新羅の倭國は九州」などの、史料事実や史料実態に拠って、
孝霊厨の解釈はバツであり、一種の分裂幻覚的な妄想患者でしかない。
>廣志を再認識させてくれた九州説の人に本当に感謝しならず
廣志自体も、
同時代の魏の役人たちの実地での見聞計測の記録を元にした魏志倭人伝の記載を、
「自己解釈に拠る書き変えをした事になる」半分バツの後代史書にしかならないから、
絶対的証拠にはならない、代物。 >>505
九州説は説じゃなくて
ただスローガンを連呼してるだけだな 九州説では、鬼道で一国に纏めあげた女王の本拠地となる痕跡がない。漢中の張魯でさえ一国まで、張陵、張衡、張脩と4代かかっているわけで、邪馬薹は師から卑弥呼、卑弥呼から台与に伝承されて行くわけであり、誰々の娘が一時的なシャーマニズムで九州を纏めたなんてのは笑い話の村一国。シャーマンなら韓伝と同様の説明がなされ、そんな蛮族に曹叡は我甚哀汝とは絶対に口にせず、親魏も与えず、陳寿は倭人伝に2000字を割くことはありません。九州説は終了です。 >>486 孝霊厨
>という根本的な矛盾を感じるので断然畿内説をとりますが。
碌に人が住んでいない寒村にそんなもんがあるわけなかろうが! わははははは @阿波 梁書に拠れば東北七千餘里。
倭国 邪馬臺國は、宮崎になる。
水行と合うのである。 >>507
>親魏も与えず、陳寿は倭人伝に2000字を割くことはありません。九州説は終了です。
なに寝ぼけたことを・・。
魏王朝は親魏を与え、陳寿は倭人伝に2000字を割いているのだから、九州説で確定だ。 >>508
碌に人が住んでいないから邪馬壹國
可七萬餘戶と見積もり 開拓地とわかる。 阿波は結局九州説の成り済ましなのがバレバレなんだよなw >>512
叩かれたら、九州説の成りすましか? 九州説も同じようなこと、言ってるぞ。 どっちもヘタレ。 わははははは @阿波 阿波は結局畿内説の成り済ましなのがバレバレなんだけど とにかく、どっちも根拠遺跡が無さ過ぎ! 有るのは儚い妄想だけ。 @阿波 >>504
下劣な妨害行為を指摘されて
なお平気でこのスレで発言する神経が判らない
君はこのスレに出入りすべきでない
君の発言など何の価値もない >>485
>私が何か特殊な主張をしているのではない
後世の写本での記載間違いという説は広く受け入れられているもの
宋明清代の写本版本全体の記載違いの校勘において、
三国志全体での差異文字発生数は、
総文字80万字位の中の4000字余り(0.5%)位の確率なのであり、
倭人伝の2000字余りでは10文字位になるが、実際には、
魏志倭人伝の中で校勘対象になったのは、「都支国」と「郡支国」や、
「黄憧」と「黄幢」や、紹興本に発生した「對海國→
對馬國」や、
「臣松之」注の「以為地應為綈,漢文帝著皁衣謂之弋綈是也。此字不體,非魏朝之失,則傳寫者誤也」
などだけ。
邪馬壹國や東治に対する校勘などは、全くない。
つまりこの男の「後世の写本での記載間違いという説」は、根拠が殆どなく、
・・・・アホ詐欺師であった事になる。 >>517
後世の写本の間違いがあったからこそ君のような説がはびこることになった
この関係性も理解できないとは・・ 写本間違い無しとして廣志をオリジナルな散文としてみると、必然的に伊都は出雲、丹波に。南側に隣接するヤマイチ国は畿内の山城から矢田丘陵辺りになります。
また傍ら国のシマ国は武内宿禰や蘇我の本拠地、近つ飛鳥です。
これ以上ハッキリとした位置関係はありませんよ。 >>486
>上牧町の教育委員会、文化財担当なら関川氏だったので年代比定に文句あるならどうぞ。
その関川氏は九州説だけどね。
関川氏も、その古代史論理に若干違和感があり、私の理解とは少し違いがあり、
全面的には賛同していない。
>私は九州説だと三世紀どの勢力がこの地に神仙思想をもたらしたか?という根本的な矛盾を感じるので断然畿内説をとりますが
神仙思想なら、
呉王夫差の遺民の姫氏や、燕の南にいた倭人の天孫族の阿毎氏や、
在地の猿田彦らの毛人や、渡来の白人系の胡人や鮮卑らとは、直接的関係がなく、
当然、魏の楽浪帯方剛撃戦争から列島へ避難渡来して来た、
「呉系の楽浪鏡師らの三角縁神獣鏡など」思想になり、景初二年頃以後の事だな。 三穂津姫なんてよくみれば孝霊天皇と百襲姫の関係や逸話の反映なんだろう。
三穂津姫は『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみ登場する。大己貴神(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔した。
出雲の美保神社(島根県松江市)で大国主神の子の事代主神とともに祀られている。丹波の出雲大神宮(京都府亀岡市)では大国主神とともに主祭神となっており、大国主神の后とされている。三保の松原(静岡市清水区)の入り口にある御穂神社も同様に、大己貴命(ここでは別名を三穂津彦命(みほつひこのみこと)としている)とともに祀られており、「羽衣の松」と縁が深い(御穂津彦命、御穂津姫命という表記もあり)。村屋坐弥冨都比売神社(奈良県磯城郡田原本町)では大物主神とともに主祭神となってる。
まあ見事に孝霊、百襲姫と逸話の場所が被っているし、何より百襲姫が生まれた場所が田原本の保津、宮古遺跡辺りになっている。
ホツはホトだしね。
日本書紀の書き手は明らかに判ってて箸墓逸話を作ったのだろう。 >>487
>方角については100パーセント誤記はありえない の根拠は?
この男も詐欺師じゃなあ。
私が「100パーセント誤記はありえない」なんて書く筈がない。
当然「周髀算経や礼記の東西南北」の計測の方法自体が完全100%だ」というのではなく、
「ほぼ100%だ」と言って来てあるバズだ。
当たり前の事だ。 >>489
>ザラコクは詰問されないうちは知らんぷりをとおすような卑怯なやつなので
判りやすく言おう 私は君が悪質ないたずら行為の犯人であるとはっきり述べた
それについての何か感想があれば述べてみなさい
私は、「史料事実や史料実態からの高確率的な推論」を一般国民に説明しているのであり、
大和説者らのような「史料事実や史料実態」の曲解や否定の嘘吐き騙しの投稿は、
議論する価値がない、と思っており、
その事を一般国民に、騙されないように、知らしめる事が必要だ、と思っているだけだ。 魏志倭人伝に記載されている倭国の国々は
帯方郡から近い順に並べられて
九州までで対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国6ヵ国
本州に渡り投馬国、邪馬壱国、で2ヵ国
そこからさらに奥に斯馬国、巳百支国、伊邪国、次都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国、ここは女王の境界尽きる所とある、計21ヵ国
倭国合計は29ヵ国
それに狗奴国を足して合計30ヵ国が魏にとって使訳通ずる所としてリストされている
ここからは私の推論だが陸続きの国境があるとしておよそ関東北部までが倭国の領域だったと思われる
我が国の古代史を解明する上でこの認識が共有されることを望む >>525
廣志には奴国等はなく伊都の南にヤマイチ国があるという記述だからな。
倭人伝の説明は北部九州から渡航するルート、廣志は出雲からヤマイチへ向かうルートが示してある。
なので倭人伝の奴国は北部九州で問題がないよ。 >>523
では、
「ほぼ100%ありえない」
の根拠は 欠史8代は新羅や高句麗からの渡来人の証拠をけすため
以上 >>524
嘘つき騙しとは君のことだ
このスレで君よりひどい嘘つき騙しなどいない
一般国人とは恐れ入る
君自身は一般国民というより、もし日本人だとすれば
国民の恥だ
直ちにここから立ち去るべき >>507
>九州説では、鬼道で一国に纏めあげた女王の本拠地となる痕跡がない。・・・
変な男。
卑弥呼の邪馬壹國女王之所都の地としては、
当時列島最大の都市としての「比恵那珂や須玖岡本」の所謂「弥生銀座」や、
大野や安徳台に広がる首都圏がある。 東南500里は正しい
糸島市方面は間違い。博多湾方面には行かない。 >>531
>当時列島最大の都市としての「比恵那珂や須玖岡本」の所謂「弥生銀座」
とにかく、根拠遺跡が無さ過ぎ! 有るのは儚い妄想だけ。 @阿波 >>531
卑弥呼の都が比恵那珂にあったという主張に変わったのか
比恵那珂遺跡群は福岡市の広報にはこう記されている
「奴国の中心地」
福岡市の資料くらいは目を通してから語るべき >>523
>この男も詐欺師じゃなあ。
>私が「100パーセント誤記はありえない」なんて書く筈がない。
「100パーセント」書く筈がないですか? ザラコクが一般人などと自分を一段高く見ているような発言をしたので
この際はっきりと言おう
ザラコクの知的レベルは日本人平均値から下のグループ
最下位4分の1に含まれると指摘しておきたい >>535
いい歳こいた大人の理由なき反抗って虚しいよね >>532
>東南500里は正しい
>糸島市方面は間違い。博多湾方面には行かない。
まさにその通り。これで倭人伝は完璧に解読されました。 祝! >>519孝霊厨
写本間違い無しとして廣志をオリジナルな散文としてみると、必然的に伊都は出雲、丹波に。南側に隣接するヤマイチ国は畿内の山城から矢田丘陵辺りになります。
また傍ら国のシマ国は武内宿禰や蘇我の本拠地、近つ飛鳥です。
これ以上ハッキリとした位置関係はありませんよ。
翰苑引用の「広志」は、魏志倭人伝の記載の補正追加をしている形ですから、
明らかに陳寿の魏志を見て、それの補正をした事になり、
紀元300年頃(西晋末の惠帝への倭國遣使の頃)の新情報を、
知った上での記載である事になり、
だから魏志の伊都国の位置も魏志倭人伝の伊都国の位置を踏襲しており、
「伊都国≒糸島付近」である事は、動かせません。 >>525
>伊都の東側の2万戸の奴国はどこなの?
この質問は、私宛ではないが、私も答えて上げる。
日向峠西麓平野部〜早良平野およびその周辺丘陵地、だな。 >>526
魏志倭人伝に記載されている倭国の国々は帯方郡から近い順に並べられて
九州までで対馬国、一支国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国6ヵ国
半島南岸は「倭」とされて、行程でも韓の諸国とは区別されていて、
狗邪韓国という小国が、郡からの最初の倭地到着國として「到」を使って書かれた形であり、
狗邪韓国は、倭國(女王國)の中に含まれていた可能性が高い。
>本州に渡り投馬国、邪馬壱国、で2ヵ国
投馬國と邪馬臺國女王之所都は(博多湾岸の)不彌國の「南の方」とはっきり書かれていて、
本州は東にあるから、「本州に渡って」おらず、この男はここでもインチキ詐欺。
>そこからさらに奥に斯馬国、巳百支国、伊邪国、次都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国、ここは女王の境界尽きる所とある、計21ヵ国
倭国合計は29ヵ国
それに狗奴国を足して合計30ヵ国が魏にとって使訳通ずる所としてリストされている
狗奴國は、卑弥呼共立に賛成したのか?は、不明であるし、疑わしい。
>ここからは私の推論だが陸続きの国境があるとしておよそ関東北部までが倭国の領域だったと思われる
我が国の古代史を解明する上でこの認識が共有されることを望む
倭人伝の記載では、九州島の女王國から東の方は、
「女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種。又有侏儒國在其南,人長三四尺,去女王四千餘里」
としか書かれておらず、
「およそ関東北部までが倭国の領域」なんてどこからも出て来ず、バツである。 >>545
狗邪韓国の件は君の妄想
邪馬臺國が不彌國の「南の方」は魏志倭人伝にはない
狗奴国は当然倭国には含まれないが魏と交流のある倭地にあると示されている
女王国の東、海を渡ること千余里で、また国有りは、四国のこと
申し訳ないが君への返答はここまでとする
君は語る対象にはならない >>545
私が本州にあるとした23ヵ国は君の説ではどこにあることになるのか? >>527孝霊厨
>廣志には奴国等はなく伊都の南にヤマイチ国があるという記述だからな。
廣志の書かれた頃は、西晋最後の惠帝への遣使の頃であり、
その前の壹與は、與止姫とされて東佐賀方面にいたようであり、
伊都国の南で問題がなく、
また釈日本紀に拠れば、倭國が、旧唐書などが記録した
「或曰:倭國自惡其名不雅,改為日本」に相当する上申を惠帝にした事にもなり、
しかし、東アジアでは、扶余の乱などをきっかけに西晋滅亡や楽浪滅亡が相次ぎ、
317年には江南に東晋建国があり、
倭國でも糸島の一貴山銚子塚の黄金鏡の王らが出た後、
(聖徳太子伝暦に拠れば)倭國王も、東アジアの戦乱を避けるために、
「こうやの宮〜久留米」方面に遷宮した。
>倭人伝の説明は北部九州から渡航するルート、廣志は出雲からヤマイチへ向かうルートが示してある。
なので倭人伝の奴国は北部九州で問題がないよ。
出雲など全く関係がなく、バツ。 >>528
>では、「ほぼ100%ありえない」の根拠は
魏の役人らは、周髀算経や礼記の、
「8尺棒に拠る東西南北の近似的計測法」を知っているから。 >>550
問題は写本の作者
魏の役人とは限らない >>534
>卑弥呼の都が比恵那珂にあったという主張に変わったのか
いや、前から「弥生銀座」説だ。
>比恵那珂遺跡群は福岡市の広報にはこう記されている「奴国の中心地」
福岡市の資料くらいは目を通してから語るべき
福岡市なんては、
「南→東」や「卑弥呼の冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
嘘つき騙しの大和説の教育委員会や文科省学者らの言いなりであり、
信頼性が全くなく、殆ど信用していない。 >>553
私の記憶では投馬国が鹿児島あたり
邪馬台国は熊本あたりというのが君の主張だったように思う
福岡市や教育委員会を信用しないのは勝手だが、そんな君の説は誰も支持しないと思うよ >>554
>私の記憶では投馬国が鹿児島あたり
邪馬台国は熊本あたりというのが君の主張だったように思う
別人だな。
>福岡市や教育委員会を信用しないのは勝手だが、
公的な通説大和説学者らは、
「南→東」や「卑弥呼の冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の否定の嘘吐き騙し人種であった事がほぼ確定しているから。
>そんな君の説は誰も支持しないと思うよ
国民の中の一人でも、支持してくれる人が増えれば、いいのです。 >>555
君自身が本当にそう思っているのか疑わしい
意固地になって言い張っているようにしか見えない >>555
「東南→北東」
「卑弥呼の冢→ 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
」
嘘つき野郎だな。ペテン師 道教の祭祀、斎しょう科儀、夜中星空の下で酒、乾肉等供物を並べ、天皇太一や五星列宿を祭り文書を上奏する儀礼を斎。1月15日上元7月15日お中元10月15日下元、これを天官地官水官、神々に懺悔するのを三元斎。天が未だ明けぬ時に出でて政をとる。 無駄です。老子道徳経、卑弥呼が取り入れたんです。前方後円墳はその象徴です。 青城山、あんなとこ何もありませんよ、そういうところでいいんです。 >>549
出雲が無関係という君の思考が信じられない、というより弥生時代後期の考古学の動向を無視してはいけない。
廣志の記述では北部九州は登場しない。
倭国から東南500里で伊都だからな。
この伊都とは出雲しかあり得ない、それも内陸部の出雲大神宮のあった場所が本来の出雲。
北部九州にあるのは奴国だろう。伊都はあくまで出雲の出張所として北部九州にあるだけの話。
ヤマイチ国とはその南側に隣接してるのだから山城、山背地区の事だね。 しかも筑紫の高良王は他所から来てそのままとどまる存在であり、現に奈良の葛城出身である武内宿禰を比定する意見が有力となっている。
これは高良王=孝霊天皇とすれば理解しやすい話になるだろう。
神武神話がある以上は、孝霊天皇の名前を表に出す事は出来ないからな。
逆に出雲地方には孝霊天皇に関する逸話が沢山残っているが記紀には記載されなかった。
狗奴国系である神武天皇を持ち上げる為だったのだろう。 現実に移動の話をしても、日本海側から畿内に行くには鳥取や若狭湾辺りから、川沿いに本州を越えて行くのが一番短絡ルートだからね。
標高差が本州では一番ない場所。
地名の由来を見ても丹に関する名前が丹波にはついているし、丹に向かう行き先は勿論ヤマト。
現在の天理市なんて旧名は丹波であったり、東大寺のお水取りの名前の由来も若狭湾から水が送られる事からだ。 荒魂は本来の地と別の場所に祀るという風習がある。三輪山の大物主という名の八咫の鏡も伊勢に祀られている。
猿田彦は出雲地方の伝承によると出雲の姫神の幸神と東から来て文物をもたらしたクナトの神の子とある
伊勢で猿田彦を祀る阿射加神社、大阿坂、小阿坂。大阪湾岸に大阪オサカ、浅香アサカ、小阪コサカという地名が残っている。
猿田彦が見つかったのは天の八衢だが八衢は道が幾つにも分かれる所という意味である。 堺のアサカの近く仁徳天皇陵の辺りに方違神社があり方違幸大神が祀られている。堺はなにわ、和泉、河内、阿波の境。行き先が分かれる、方を違える場所。猿田彦はイスズ川の川上に消えたが堺を流れる川はイシズ川である。
伊勢と大阪湾の類似性、伊勢は大阪湾をコピーした鎮魂の場所かもしれない。
八雲を出た人々が出雲かもね。
杵築大社の八雲の天井図は7つの雲しか描かれていない。
上津国から下津国、黄泉の国に逃れたイザナミ道敷大神。
イザナミは出雲の姫神の幸神のことかもしれないね。
黄泉比良坂は堺を流れるイシズ川の中流辺りかもね。
黄泉比良坂の上が黄泉の国。
出雲の国は和泉の国かもねえ。 邪馬台国の南の狗奴国は大和盆地の南、大和川の南の河内と和泉でしょうね。
大阪側から奈良には行けないということ。
伊吹山にはヤマト政権に最後まで抗った荒ぶる神がいたと日本書紀にある。
気多大社の謂れは興味深い。
また孝元天皇の時代(台与の頃かな)オオナムチが【化鳥、大蛇】を退治して【海路が開けた】とある。
日本海側から奈良へのアプローチも難しそうだな 今までの考え方を少し変えてみると、意外とハマりそうだね。
奈良盆地はサンチュウ、クンナカでわりと最近まで全然文化が違う国だからね。
サンチュウとは生駒辺りから山之辺、宇陀辺りの人々で名前のとおり山中の人々。
対してクンナカは国中で平野部に住む人々の事。真ん中を流れる大和川を挟んで婚姻をしないなんて話も昔はあったと聞いた。
古い集落は婚礼の荷物入れる時も方角は色々向きが違ってたりね。 狗奴国が元々九州熊本辺りから四国に相当すると思っていたが、ヤマイチ国を山城山城、つまりサンチュウエリアとみれば、奈良盆地のクンナカは狗奴国系とみればいいのかな?
そうなると元々孝霊天皇は天孫系だが皇女である百襲姫をサンチュウ側の神に嫁がせた話という事になるもね。
ちょっと話がつながってきたかも知れない。 魏は解ってるから、青城山まで魏の役人は行かないわ。ただ後々張政に任されてるようだから張政は行ってるな >>557
「東南≠北東」
「卑弥呼の冢=大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
嘘つき野郎だな。ペテン師 >>559
>無駄です。老子道徳経、卑弥呼が取り入れたんです。前方後円墳はその象徴です。
無駄です。
卑弥呼が老子道徳経を取り入れた、なんて証拠はありませんし、
魏の役人らには「鬼道」のように思えた、という程度です。
前方後円墳は冢ではありません。冢は「錐体や錐体台的な形状」です。 >>561
>出雲が無関係という君の思考が信じられない、
というより弥生時代後期の考古学の動向を無視してはいけない。
魏の役人らが通ったのは、狗邪韓國からの水陸行と、末盧國からの北部九州の陸行と、
豊予海峡を渡海して四国西海岸を南下して足摺付近まで行っただけです。
>廣志の記述では北部九州は登場しない。
廣志の記述でも出雲は登場しない。
>倭国から東南500里で伊都だからな。
末盧國からは、東南して、陸行五百里して、到伊都国した、です。
>この伊都とは出雲しかあり得ない、
この伊都国とは、前原〜糸島水道付近しか有り得ない
後は、全くの分裂幻覚の妄想にしかならない駄文だから、放置。 >>575
>魏の役人らが通ったのは、狗邪韓國からの水陸行と、末盧國からの北部九州の陸行と、
>豊予海峡を渡海して四国西海岸を南下して足摺付近まで行っただけです。
その通り! @阿波
>この伊都国とは、前原〜糸島水道付近しか有り得ない
違う。 伊都国は直方辺り。 @阿波 >>564孝霊厨
>しかも筑紫の高良王は他所から来てそのままとどまる存在であり、
現に奈良の葛城出身である武内宿禰を比定する意見が有力となっている。・・・
高良大社は、高句麗説とかいろんな説があったが、卑弥呼や壹與や一貴山の王らの後、
西晋〜半島での西晋滅亡、楽浪滅亡、で317年に東晋成立の影響を恐れて、
九州北岸から内陸の「こうやの宮〜久留米」への遷京があった事がきっかけで、
高良大社が出来た、という事でいいんだろう。 >>566
このお人の話は、随分昔から何度も読まされた事があるが、
「〜かも知れない」のような空想的な話ばかりで、実質的な論拠にはならない話ばかり。 =>>567
>邪馬台国の南の狗奴国は大和盆地の南、大和川の南の河内と和泉でしょうね。・・・
またこの男の書き込みの連鎖かい?。
邪馬台国なんて存在もしなかった嘘つき騙し文言であるし、
狗奴國は、南筑後〜肥後方面の国だから、バツね。 >>568
孝霊も、分裂幻覚の妄想ごっこに参入か?。
このスレも、まともな人が、殆どいなくなったみたいだな。 もう邪馬台国の所在地は大和(奈良県)で確定したのでしょ 九州説とかもう何も無いんだから、畿内説の悪口言うしかやることないんだよ。 >>579
方角は間違えないといいつつ
「東南≠北東」
「卑弥呼の冢=大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人」
嘘つき野郎だな。 >>583
自演?? 被害妄想なのか? わははははは @阿波 >>575
資料をよく読まない証拠ですね。廣志にはマツラ国も登場しません。なので伊都国は東南500里の場所で糸島等では該当しませんよ。
また伊都の南側にヤマイチ国とあるなら
この伊都とは出雲、それも丹波地方の内陸部が一番該当します。
それにシマ国が傍にあるならそれは芝山(旧シマ山)がある河内国分や蘇我の本拠地、近つ飛鳥が該当するでしょう。
元伊勢であるヒルメ山もありますからね。 また出雲や中国、丹波地方は孝霊天皇の伝承が多いエリアでもあり、
籠神社には百襲姫は日女命とある伝承、系図も
ずっと隠匿された状態で伝わってきています。
弥生時代後期の鉄器の出土も多く、こちらが対半島とのメインだった証拠も沢山ありますからね。
伊都をずっと北九州のみで考えてきたのが間違いですね。出雲、丹波のルートが廣志で描いてあります。
必然的にこれで阿波説は終了です。 >>587 孝霊厨
>弥生時代後期の鉄器の出土も多く、こちらが対半島とのメインだった証拠も沢山ありますからね。
弥生時代中期末から鉄器王国の「阿波」からの下賜品だ。 @阿波 籠神社における邊津鏡と息津鏡の存在だね。昭和62年の調査で邊津鏡は中国の前漢時代、息津鏡は後漢時代のものであることが判明して大ニュースになった。
これは弥生時代後期に北部九州と丹波地方が大陸への拠点としての役割があったに他ならない。
また海部氏系図には百襲姫が日女命という記述もあったからな。 まあ普通は倭の都といえば出雲でしょ、これを抜きで考える九州説なんて本当に考えられない。
国譲り神話なんてのもある位だしな。
また半島のから土地を引き寄せたり、山比べをするのも出雲の話なんだからな。
その当事者として登場するのがスサノオと孝霊天皇。 もう一度廣志における記述を整理すると、倭国から東南500里で伊都国、その南にヤマイチ国、傍国がシマ国と続いている。マツラも奴国も登場しない関係だから。
これは籠神社のある丹後宮津から陸を東南に進み、出雲大神宮のある亀岡辺りに該当する話。
伊勢遺跡のある三上山付近も候補だが、270年頃の情報だとすると、琵琶湖の水行表記がないので違うはず。
山城、山背のある生駒山辺りがヤマイチ国該当となるね。 >>596
罵っても反論にならないよ
伝世鏡と後代文献が証拠ななるかどうか、誰かほかの人に聞いてごらん >>597
>伝世鏡と後代文献が証拠ななるかどうか
ならない。
証拠となるのは、後代文献に見合う集落遺跡。 @阿波 >>581
もう邪馬壹國女王之所都の所在地は、ほぼ筑紫の弥生銀座で確定したのでしょ
大和説とかは、もう何も無いんだから、九州説の悪口言うしかやることないんだよ。 >>597
その理屈は変だね、論を掲げる大半の人々が出土品や伝世鏡、文献を元にしているよ。
特に九州説なんて全部そうじゃないの?
それらの資料を元に考察して、弥生時代後期遺跡等を眺めると、丹波から畿内への流れは確実にあるだろう。亀岡辺りが出雲大神宮所在地だったのもハッキリとしている。
元伊勢である丹後半島から丹に関する伝承を持つ亀岡盆地、そこから保津川をへて山城、山背へ向かうルートが畿内へ向かう最短ルートだろう。
また奈良盆地田原本にあるのは保津遺跡なんだしな。 倭国に上陸したら、
東南500里の次は東南100里と、二重に東南へ行けと書かれている。
そしてちょこっと東へ寄った後も、南至、南至、とこれまた二重書きだ。
それにもかかわらず、無理やり北東へ、東へと行進するやつらは、年頃の反抗期のお子さま知能(笑笑 >>586
資料をよく読まない証拠ですね。
廣志にはマツラ国も登場しません。なので簡略化したか?であり、
伊都国は、魏使らの安全の原則に拠って「東南す、陸行500里す」の場所で、
ほぼ前原〜糸島水道付近であり、肥前等では該当しませんよ。
また伊都の南側にヤマイチ国とあるなら
この西晋惠帝の頃のヤマイチ国とは、それも筑後川流域の筑紫平野部が一番該当します。
それにシマ国が傍にあるなら、それは糸島半島部が該当するでしょう。
伊勢もあるし、可也山もありますからね。 >>587
また出雲は、梁代まで独立国的でしたが、
中国、丹波地方は九州倭國の東征軍が入ったところで、
当然東征軍の孝霊の伝承が多いエリアでもあり、
籠神社には百襲姫は日女命とある伝承、系図も九州倭國の東征軍の成果として、
ずっと隠匿された状態で伝わってきています。
弥生時代後期の鉄器の出土も、九州に比べればはるかに少ないが、
大和に比べればある程度多く、
こちらが縄文期以来の対新羅との関係がメインだった証拠も沢山ありますからね。
伊都をずっと出雲や大和のみで考えてきたのが間違いですね。
出雲は、国引き神話から梁代まで独立的であり、
丹波のルートや阿波は、九州倭國の東征軍の別動隊の支配であり、
必然的にこれで阿波説も終了です。 2000年前の北極星の位置は
今の位置から北斗七星寄りにあった
https://i.imgur.com/isBFfmg.jpg
これでどう変わるか? わかるよねー?w
東が東南寄り・西が北西寄りになって
夏は今より暑くなって、逆に冬は寒くなるってこと
陳寿の言い分は正しいと
答え出てますよw >>590
籠神社における邊津鏡と息津鏡の存在だね。
昭和62年の調査で邊津鏡は中国の前漢時代、息津鏡は後漢時代のものであることが判明して大ニュースになった。
これは、神武ら東征が紀元前100年頃の前漢代であり、
更に、東征軍の大和の大倭職の欠史八代の時代には後漢代も入りますから、
北部九州の鉄器が出雲や丹波に運ばれた事を示し、
九州倭國の拠点としての役割があったに他ならない。
また海部氏系図には百襲姫が日女命という記述もあったらしいからな。 >>592
まあ普通は倭の都といえば筑紫の「弥生銀座」でしょう。
これを抜きで考える出雲説や阿波説や大和説なんて本当に考えられない。
国譲り神話なんてのもある位だしな。
また半島のから土地を引き寄せたり、山比べをするのも、
縄文出雲の「国引き神話」の話なんだからな。
その当事者として登場するのは、縄文だから不明。 >>595
もう一度廣志における記述を整理すると、
倭国(倭人伝では末盧國)から東南に出発して、
平坦な道なりに500里で伊都国、
その南に(紀元300年頃の)ヤマイチ国、傍国としてシマ国が書かれている。
倭人伝のマツラも奴国も登場しない。
従って、出雲も丹後も全く関係がなく、
「籠神社のある丹後宮津から陸を東南に進み、出雲大神宮のある亀岡辺り」にも関係なく、
該当しない話。
伊勢遺跡のある三上山付近も候補ではなく、
300年頃の情報だとすると、琵琶湖の水行表記もないので違うはず。
山城、山背のある生駒山辺りもヤマイチ国に該当しないね。 >>300
その理屈は変だね、論を掲げる大半の人々が出土品や伝世鏡、文献を元にしているよ。
特に九州説なんて全部そうじゃないの?
それらの資料を元に考察して、弥生時代後期遺跡等を眺めると、
丹波から畿内への流れは確実にあるだろう。
亀岡辺りが出雲大神宮所在地だったのもハッキリとしている。
元伊勢である丹後半島から丹に関する伝承を持つ亀岡盆地、そこから保津川をへて山城、山背へ向かうルートが畿内へ向かう最短ルートだろう。
また奈良盆地田原本にあるのは保津遺跡なんだしな。
いずれも、九州倭國の「自昔・・・東征毛人五十五國」の軍の、
主力軍が瀬戸内から淀川を遡って、近江や東海や南関東などに達し、
別動隊の一つが、播磨から川沿いに北上し、奥丹後や亀岡にまで達し、
別の別動隊が、北四国から阿波や淡路や紀伊や大和に達し、
大和の崇神らが、主力軍に合流して「三道将軍」や「四道将軍」として、活躍した、
という事なんだろう。 まあ北部九州説はもう無理だね。北部九州にあるのは単なる畿内方面からの出張所に過ぎないことが、廣志の記述からも説明出来てしまう。
倭国とは元々出雲の事、北部九州にある国は奴国で北部九州の伊都は出張所だろう。 >>603
ザラコクなる人物を演出して牽制・騒動を画策している畿内説。
どのみち >>1 の奥山が化けてるんだろな。 倭国に上陸したら、
東南500里へ向かえ、その次は東南100里へ進めと、二重に東南へ行けと書かれている。
そしてちょこっと東へ寄った後も、南至、南至、とこれまた二重書き、合計4重に南が出てくる。
それにもかかわらず、無理やり北東へ、東へと行進するやつらは、人前でひっくり返ってダダこねる反抗期のお子さま知能レベル(笑笑 九州説も無駄な時間だったな、まあ畿内説で確定したからって辛いのはわかるけどねw >>603
魏使らの安全の原則に拠ったら前原〜糸島水道付近など
行かないな。唐津街道で佐賀方面。
方角は間違えない。
東南陸行五百里,到伊都國
一回のみの通過ではなないから糸島方面には行かないことがわかる。 >>617
>生駒山の東が邪馬台国だったか
「丹」もない、「橘」もない、「魏志倭人伝」に合わない畿内の訳が無い。 @阿波 畿内は丹も橘もある、常識だぞw
阿波は死の国、何もない >>619
畿内は丹も橘もない、常識だぞw @阿波 >>619
ないな。近畿ならある。
で可7万戸なので狭い範囲ではない。
なので陸1月。 伊都の南にヤマト、なるほど阿波は候補から退場だよなw >>616みたいな盲信をしてるから何百年経っても九州説では邪馬台国が見つからないんだよ 畿内は室生火山群の宇陀山地に水銀鉱床が有る
大和の 宇陀の真赤土(まはに)の さ丹つかば そこもか人の わをことなさむ >>624
どあほ! 「卑彌呼」の時代に採っていたのは「阿波」だけじゃ! アホ晒すな! @阿波 日本で最古の水銀朱の精製した痕跡は、吉野川上村にある丹生神社の境内から出土した土器辺にあります。
これは祭祀目的と見られますが縄文中期からの物ですからね。
また伊勢の松阪辺りから紀伊半島沿岸部にかけては弥生時代中期以降の精製跡が分布しており
、倭人伝における
日常的に朱丹を用いる海人の条件を、紀伊半島ではクリアしています。 >>611
まあ大和説はもう無理だね。大和にあるのは単なる、
「九州倭國からの東征毛人五十五國で出来た別種分家の倭種の大倭職の出張所」に過ぎないことが、
廣志を含めて、歴代中国史書群の記述からも説明出来てしまう。
倭国とは元々燕の南の倭人と、呉王夫差の遺民の姫氏と、猿田彦ら毛人の北部九州国の事、
奴国は「日向峠西麓平野部〜早良平野及びその周辺丘陵地」であり、
北部九州の一大率の伊都は「前原〜糸島水道」付近で、
邪馬壹國は「福岡平野中程〜筑紫平野及びその周辺丘陵地」であり、
女王之所都は「比恵那珂や須玖岡本から大野の安徳台」付近だろう。 多気の丹生鉱山に隣接する天白遺跡(縄文時代)では西日本最大の環状配石遺構が見つかっており、
若杉山遺跡に近い加茂宮ノ前遺跡でも環状配石遺構が1ケ見つかっているので
東日本から移住してきた人々 >>613
>670年代には日本と名乗っていた
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/1/2/12266e2b.jpg
梁代の事が書かれた梁書には、大和は「扶桑國」と書かれて九州倭國と区別され、
九州倭國内のN0.2(弟)的存在になっていたが、
唐の武徳中に「日本國」という国号を承認された。 >>615
大和説にとっても無駄な時間だったな、
まあ九州説で確定したからって、辛いのはわかるけどね >>626 孝霊厨
>日常的に朱丹を用いる海人の条件を、紀伊半島ではクリアしています。
「倭人(阿波勢力)」だな。 @阿波 >>617
生駒山の東も、邪馬壹國ではなかったのか、
なるほど >>628
>東日本から移住してきた人々
わざわざ東日本から移住してこんでも、地元にも居るがな。 わははははは @阿波 残念ながら丹生神社が紀伊半島に集中してる時点で丹生の神は紀伊半島にいる。
これは神武伝承でも紀伊半島を目指した時点でハッキリしている事。
阿波のは品質に問題があったのかもしれないね。 >>636 孝霊厨
>残念ながら丹生神社が紀伊半島に集中してる時点で丹生の神は紀伊半島にいる。
残念ながら、後にも先にも「倭人(阿波勢力)」しか居らんがな。 わははははは
碌に鉄器も作れん畿内土民ではしょせん無理なお話だ。 わははははは @阿波 コピペだが2013年の記事。
弥生時代の環濠集落として知られる亀井遺跡(大阪府八尾市)で約30年前に出土した弥生時代前期末(約2400年前)の石製品11点が、国内最古のてんびん用の分銅とみられることが7日、奈良文化財研究所の森本晋国際遺跡研究室長の分析で分かった。
これまでの原の辻遺跡(長崎県壱岐市)の中国製とみられる青銅製分銅の「権」(弥生時代後期)より500年以上さかのぼる。古代の度量衡制度を探る上で第一級の史料となりそう。
一緒に出土した石きねには、祭祀などに用いられた貴重な赤色顔料の朱が付いていたため、朱の配分で厳密に重さを量る際に必要だったとみている。
石製品11点は長さ3〜8センチ、直径1〜4.5センチの円柱形。石材は輝緑岩などで、全体が丁寧に磨かれていた。
製作途中とみられる1点を除く10点の重さは、6種に分類できた。最軽量は8.7グラムで、ほかは17.6グラム、34.5グラムなど、最軽量の2、4、8、16倍となる値に近い。最重量は約32倍の280グラムだった。重さの違う6個1セットで、本来は2セットあったとみている。
1981年、大阪府文化財センターなどの発掘で出土。発見当時は何かをつぶして粉にする「すり石」と判断されたが、森本室長が昨年、センターの協力で調査した。
森本室長は「目分量では量れない取引や調合に使っていた可能性がある。物を量る基準を必要とする高度な社会システムがあったことを裏付ける」としている。〔共同〕
まあ水銀朱を紀伊半島から調達して磯城県の港、八尾辺りで計測、分配していたのは確実だね。 >>638 孝霊厨
>古代の度量衡制度を探る上で第一級の史料となりそう。
残念ながら、後にも先にも「倭人(阿波勢力)」しか居らんがな。 わははははは
碌に鉄器も作れん畿内土民ではしょせん無理なお話だ。 わははははは @阿波 >>638 孝霊厨
>まあ水銀朱を紀伊半島から調達して磯城県の港、八尾辺りで計測、分配していたのは確実だね。
残念ながら、後にも先にも「倭人(阿波勢力)」しか居らんがな。 わははははは
碌に鉄器も作れん畿内土民ではしょせん無理なお話だ。 わははははは @阿波 まだ諦めないのか、太一、天の中心に位置する星官。万物の出づる所は太一に造まり陰陽に化す。老子道徳経の巫女以外に無いのだよ、箸墓は大市の墓、偽称だな、卑弥呼は商売の神じゃあない、大一、天皇太一だね、それを補佐し助けるものを台と呼ぶ。伊勢は斎宮、太一がはためく。百襲の以前に前方後円墳無し、箸墓は五斗米道巫女の墓。 >>627
方角は間違えないよ
歴代中国史書群の記述からも説明出来きないな。
伊都は「前原〜糸島水道」付近ではない。
佐賀方面だな。インチキ野郎 >>643
伊都国は直方辺りだ。
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→猿田峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り) @阿波 日本海周りであろうが、瀬戸内であろうが、また九州が倭国であろうが、箸墓が卑弥呼の墓。邪馬薹が卑弥呼の道観、巻向にはもう既に紫禁城があったのだよ。 で、あるからして、
歴史上比定者にできる者は、張h瑛しか存在しない。 >>647
箸だけでなく、器(土器)も「阿波」だろうがよ。 わははははは @阿波 >>627
倭国に上陸したら、
東南500里へ進め、その次も東南100里へ向かえと、二重に東南へ行けと書かれている。
そして僅かに東へ寄った後も、南至る、南至る、とこれまた二重書きで、合計四重に南が出てくる。
にもかかわらず、無理やり北東の糸島へ、東の安徳台へ、と猪突猛進するやつは、デパートの陳列台の前でひっくり返ってダダこねる反抗期のお子さまレベル(笑笑笑笑 伊都国=三雲を認めない説が世間で受け入れられることはない
これは動かない >>644
>末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
「南≠東」に拠って、バツ。 >>645
>箸墓が卑弥呼の墓
「南≠東」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」などの、
史料事実や史料実態に拠って、バツね。 >>646
>で、あるからして、
歴史上比定者にできる者は、張h瑛しか存在しない。
日本国内史料で、「卑弥呼」の文字を記録出来たのは、
呉王夫差の遺民の姫氏松野氏系図しかない。 >>654
「東南≠北東」
徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
史料事実や史料実態に拠って、「前原〜糸島水道」付近はバツね。 まつらから500里行くと伊都国、必ず立ち寄る所。500×400m=200キロ、なんでこんなに歩くの?で、ここで揉める、これを考えるのは苦痛。場所が決まった所で次は卑弥呼の鬼道とは?皇帝曹叡の言葉、親魏の理由は?何故魏は卑弥呼に尽くす?等に移り、また日本に実在する前方後円墳、記紀との整合性も加味し、結局は卑弥呼とは何者か?どんな人間なのか?に行き着く訳で入り口で滞ると先に進まない。 と、いうわけで、卑弥呼は7歳から教育を受け217年以降列島に現れ、己れの思想を貫き列島の人々から慕われ30ヶ国を纏めた最初の大王であり、死後も伊勢に台等を残した水のように生きた巫女で今も箸墓に眠るんです。わかりましたか?で、赤福の最初の餅をついたのは阿波の技術者です。 斎しょうの天文、星占、風占、災異の讖いは巫術。隋書、601倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天が未だ明けでる時には出でて…。斎は、夜祭祀を行なう。九州説は終了です。 >>655
>日本国内史料で、「卑弥呼」の文字を記録出来たのは・・・、
あのな、「張h瑛」は母国である中国の史料に登場するんだぞ。 >>653
>「南≠東」に拠って、バツ。
方角記載など無い! 拠って、バツ。
一支国(方300里、三千家)(着岸地 勝本町 出航地 郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦) @阿波
一支国(方300里、三千家)(着岸地 勝本町 出航地 郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
一支国(方300里、三千家)(着岸地 勝本町 出航地 郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦) どこの池沼なのか知らないけど、
ウセロ、消えろと言っているのが、わからないのか?
掲示板とか何やらとか、
そういう話でもないし、関係ない。 >>653
>「南≠東」に拠って、バツ。
方角記載など無い! 拠って、バツ。
一支国(方300里、三千家)(着岸地 勝本町 出航地 郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦) @阿波 >>656
古代中国での「目的地の位置や行程説明の原則」は、
(おそらく列島でも人類でも同じだが)、
「部分行程説明で繋いでいく」事が原則であり、
それから、全体の大体の方向や距離を推定する事が原則であり、
部分行程も、逐次的順次式に説明する事が原則であり、
また、皇帝の詔書や金印や大量の下賜品を、
卑弥呼に届け南ければならない魏の役人らは、「安全」が絶対的な必要条件であり、
渡海や水行は出来るだけ最小限であり、山越えや獣道は出来るだけ避ける事が原則だろうね。
だから、伊都国の位置は、史料事実や史料実態に拠って、「前原〜糸島水道」付近だろうね。 >>65
>まつらから500里行くと伊都国、必ず立ち寄る所。500×400m=200キロ、なんでこんなに歩くの?で、ここで揉める、これを考えるのは苦痛。場所が決まった所で次は卑弥呼の鬼道とは?皇帝曹叡の言葉、親魏の理由は?何故魏は卑弥呼に尽くす?等に移り、また日本に実在する前方後円墳、記紀との整合性も加味し、結局は卑弥呼とは何者か?どんな人間なのか?に行き着く訳で入り口で滞ると先に進まない
そりゃ、キミら大和説学者らが、
史料事実や史料実態からの帰納的確率的な読解が出来ず、
「天地開闢以来大和朝廷が日本を支配するべく天孫降臨された」、という、
分裂幻覚の妄想的な「結論先にありき」思考になっていたから。 >>659
>と、いうわけで、卑弥呼は7歳から教育を受け217年以降列島に現れ、己れの思想を貫き列島の人々から慕われ30ヶ国を纏めた最初の大王であり、死後も伊勢に台等を残した水のように生きた巫女で今も箸墓に眠るんです。わかりましたか?で、赤福の最初の餅をついたのは阿波の技術者です。
という訳で、この大和説男も、
「南→東」や「卑弥呼の冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙し男であり、
国民や人類の敵なんでしょうね。 >>666
>古代中国での「目的地の位置や行程説明の原則」は、
>(おそらく列島でも人類でも同じだが)、
>「部分行程説明で繋いでいく」事が原則であり、
ということは
繋がってない古田説は間違い >>653
>「南≠東」に拠って、バツ。
方角記載など無い! 拠って、バツ。
一支国(方300里、三千家)(着岸地 勝本町 出航地 郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦) @阿波 >>661
>斎しょうの天文、星占、風占、災異の讖いは巫術。隋書、601倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天が未だ明けでる時には出でて…。
斎は、夜祭祀を行なう。九州説は終了です
関係がありません。
隋書は、九州俀國天子(兄)と、その弟(大和王ら)の兄弟執政としての説明です。 >>671
それは特殊な人だけの特殊読みだよ
世間の普通の人は誰もそう読まない もう「白村江で負けたのは日本」って金石文が出てるんだから、九州王朝説は終わりましたよ 正直現時点で畿内説以外の選択肢なんてないと思うけどな。
倭人は呉太白の末裔を自称してたとするなら、神獣鏡の件だって国産できるのは当然の事だろう。工人だって倭国に往来してるだろうし。
三世紀の鬼道の宮なら巻向遺跡辺りに候補地なんてないんだぞ。
鏡に水銀朱、桃まで揃ってるなんて誰が見ても鬼道、道教だ。 >>674 孝霊厨
>正直現時点で畿内説以外の選択肢なんてないと思うけどな。
碌に鉄器も作れない畿内に選択肢なんてある訳ないだろうがよ。 わははははは @阿波 煽り目的の阿波君に付き合うつもりはないのでレスは一切しません。
三世紀の画文帯神獣鏡が奈良盆地西の上牧、香芝辺りから出土したのは大きいね。
久度遺跡という名前も意味が判りやすい、近所では王寺町にも久度の地名がある。
やはり邪馬台国と狗奴国の関係は元々かなり近い関係なのは間違いないだろうね。 >>676 孝霊厨
煽り目的もなにも、真実を言ってるだけのこと。
碌に鉄器も作れない畿内に選択肢なんてある訳ないだろうがよ。 わははははは @阿波 >>670
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万ズッタ浦)は、やめてくれぬかのゃ
舌噛んで、この2-3日お口の中が腫れてのう >>677
そういう中身のない発言を「煽り」という >>679 孝霊厨
煽り目的もなにも、真実を言ってるだけのこと。 @阿波 孝霊厨は、畿内説の痛いところを突かれると、すぐ「煽り」という。 @阿波 そりゃ孝霊厨じゃなくても
阿波みたいな痛いヤツの相手なんて誰もしたくないだろw 二世紀以降なんて畿内には近江と淡路島に鉄工房もあるじゃん >>683
>二世紀以降なんて畿内には近江と淡路島に鉄工房もあるじゃん
近江と淡路島が何時畿内になったんだ? わははははは @阿波 >>683
もう、畿内説はない。 諦めろ。 @阿波 >>681
泡は畿内説の痛いとこなんか突いた事はない
わけの判らないことを言って独りで笑っているだけ
会話が成立してない 近江と淡路島で畿内をガードしてんだろ、そんなの常識w
アホの泡にはわからんのだな >>687
>近江と淡路島で畿内をガードしてんだろ
わははははは もう、畿内説はない。 諦めろ。 @阿波 >>687
畿内はこれといった遺跡が無さ過ぎ。 もう、畿内説はない。 諦めろ。 @阿波 >>690
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、すぐ「煽り」だ「荒らし」だという。 @阿波 >>690
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「煽り」だ「荒らし」だといって逃げる。 @阿波 >>690
畿内はこれといった遺跡が無さ過ぎ。 もう、畿内説はない。 諦めろ。 @阿波 高霊某よ、答えてやれよ
683: 02/16(水)04:33 AAS
おはようございます
奈良の平城京の敷地内、もともとは皇族の敷地内に鎮座する宇奈多理神社
この神社は、宇佐の奈多神社からきたのだろう
この2つの神社が、九州と奈良の関係を明らかに出来る予感がする
どなたか興味あるなら調べて下さいm(__)m
福岡説スレより 古代奈良の豪族と神は九州から移動したんだろうな
宇佐の奈多宮→奈良の宇奈多理神社 >>689
>畿内はこれといった遺跡が無さ過ぎ。
無知な人が知らないだけ >>690
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「無知」だ「煽り」だ「荒らし」だといって逃げる。 @阿波 >>696
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「無知」だ「煽り」だ「荒らし」だといって逃げる。 @阿波 >>696
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「無知」だ「煽り」だ「荒らし」だと拒否するが、
少しも反証を挙げられることが出来ない。 @阿波 >>694
平城京は整地する際に神功皇后の御陵他の集中する、古墳密集地域にかかってしまっているからだろう。
大規模な前方後円墳も消失しているからな。
その為に平城京に設けられたと個人的には推測しています。
宇佐の奈多神社と関連つけるなら、破壊された中に神功皇后絡みの古墳も含まれていた可能性がある。
勿論神功皇后自体が奈良の葛城出身だから宇佐の秘密等には関係しないだろう。 平城京整地に際して破壊され、半部残ってしまった市庭古墳には注目したい。
現在は平城天皇が被葬者として5世紀の前方後円墳という事になっているが、これはかなりおかしい。
多の周辺の古墳とは明らかに異なる特徴なのと、類似の物は河内、古市古墳群のもの。
既に半分破壊されていているがもう少し古いだろう。 阿波君には過去に何度も同じ質問を受け、返答もしていますので。
阿波は狗奴国、畿内ヤマト勢力の一部という認識で邪馬台国ではい、という結論です。
なのでそういう輩にはレスはいたしません。
また廣志の文によると阿波がヤマイチの位置に
あたる事はあり得ませんので、私の中での可能性はゼロになりました。
つまり邪馬台国の候補地としてはどうでもいい場所です。 >>703
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「無知」だ「煽り」だ「荒らし」だと拒否するが、
少しも反証を挙げられることが出来ない。 @阿波 >>673
>もう「白村江で負けたのは日本」って金石文が出てるんだから、九州王朝説は終わりましたよ
ダメです。「日本」國という呼称は、舊唐書や唐会要に書かれたように、
「日本國者,倭國之別種也。以其國在日邊,故以日本為名。
或曰:倭國自惡其名不雅,改為日本。或云:日本舊小國,並倭國之地」であり、
元々、九州倭國が自ら「日本」とも称していた、と記載されており、
その事は、釈日本紀に書かれたように、
西晋惠帝の時に、当時の倭國(大和の日本国はまだ成立していない)の遣使が、
「日本」と称した記録があり、
しかし、ヲホド継体の反乱で九州倭國のNo.2の「弟」的地位になっていた大和政権も、
釈日本紀引用の延喜講記の記載のように、用明の時に、
小野妹子が隋文帝に「日本國」を申請して「倭國本国の承認を得ていない」と拒否され、
唐の武徳中になって、唐に「日本國」号を承認されたが、、
白村江でも唐は、対戦相手を「倭國」や「倭衆」や「倭賊」とのみ記録して、
大和の日本國も、九州倭國に付いて一緒に戦った事を記録しない、という事が実態であり、
従って、白村江の10年位後の墓碑に書かれた「日本」は、
九州倭國の事か?大和日本國の事か?がはっきりせず、
どちらにも可能性がある事になる。 >>674
正直現時点で九州説以外の選択肢なんてないと思うけどな。
九州の倭人は、燕の南の天孫族の倭人の渡来と、呉太白の遺民の渡来の末裔に、
徐福らの熊襲や猿田彦ら毛人などがいたのであり、
神獣鏡の件だって、魏の楽浪帯方攻撃戦争から避難しなくてはならなくなった、
呉系楽浪鏡師らの関与鏡であり、500個以上出土したのは当然の事だろう。
工人だって倭国に渡来してるだろうし。
三世紀の鬼道の都なら「弥生銀座」遺跡辺りにしか候補地なんてないんだぞ。
出雲系のト骨に変わって三角縁人獣鏡や鬼道が起きたのは、九州以外にはないぞ。 >>676
正直現時点で九州説以外の選択肢なんてないと思うけどな。
倭人の中には、紀元前5世紀の呉王夫差の末裔を自称している姫氏がいるから、
当然神獣鏡などまだ知っておらず、
倭人が国産出来なくて当然で、当然渡来の楽浪鏡師らの関与、というの事だろう。
工人技術者も、九州に渡来してる可能性はあるだろうし。
三世紀の鬼道の宮なら巻向遺跡辺りに候補地なんてないんだぞ。
鏡に水銀朱、桃まで揃ってるなんて誰が見ても3世紀最末以後だ。 >>683
>二世紀以降なんて畿内には近江と淡路島に鉄工房もあるじゃん
近江と淡路なら、どないみても、九州倭國の「東征毛人五十五國」の軍の通り道だな。 まあ結局私には廣志の再認識が畿内説を更に確信するきっかけになった。
特に傍国が河内国分、柏原市周辺だと気づかせてくれたのは目から鱗だったよ。
その柏原は鏡や鉄とも非常に所縁のある土地だしね、また金山彦、金山姫神社の所在地でもある。
三世紀後半なら鉄の痕跡も充分確認されている場所。
倭人は呉の太白の子孫を自認してたんだよな、確定だよ畿内説で。 >>703 孝霊厨
>阿波君には過去に何度も同じ質問を受け、返答もしていますので。
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「無知」だ「煽り」だ「荒らし」だと拒否するが、
少しも反証を挙げられることが出来ない。 @阿波 平城京跡にある破壊された古墳、市庭古墳は本当に残念だね。
あれは個人的にはもしかすると伊与辺りの古墳になりうるのではないか?と以前は考えていた墓の一つ、元々は円墳だと考えられていた。
もう一つ完全に消失した古墳もかなり巨大だったのも判っている。
でも無い物を期待しても仕方ないが、山城、山背がヤマイチ国候補地だとすると、もしかしてはあり得る。
椿井大塚山古墳だってこの地からはそう遠くはないからな。 >>704
>孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
痛いところって、何?
そんなもの実在するの?
泡と消える妄想じゃ無いの? >>715
畿内はこれといった遺跡が無さ過ぎ。 もう、畿内説はない。 諦めろ。 @阿波 >>716
もう同じセリフの連呼しかできないって、論破された人は惨めだね >>709
>鏡に水銀朱、桃まで揃ってるなんて誰が見ても3世紀最末以後だ。
誰が見てもと言いながら
そう言ってるのが貴方だけなのは、なぜ? >>717
孝霊厨などは、畿内説の痛いところを突かれると、
すぐ「無知」だ「煽り」だ「荒らし」だと拒否するが、
少しも反証を挙げられることが出来ない。 @阿波 何を言っても無駄、阿波は邪馬台国の位置論争とは無関係だから。
勿論日本の古代史の中では重要な場所ではありますのでそこは間違いないない。
ただ阿波君のは単に地元ひいきの話なだけで、何の学術的な考察もない、なので話す価値もない。
もしくは単なる荒らしと認識してます。 >>721 孝霊厨
>勿論日本の古代史の中では重要な場所ではありますのでそこは間違いないない。
片や畿内は、日本の古代史の中では全く重要な場所ではありません。 @阿波 >>707
同じ九州でも
博多、糸島市はないぞ。
壱岐は廃れているが
卑弥呼の時代にト骨が突如出土
は佐賀と八女の二カ所
また丹山神社も多い、国内外の水銀の拠点
大分の宇佐周辺も多い第二拠点。
糸島市、博多は楽浪居住地域になっている。 >>721 孝霊厨
>勿論日本の古代史の中では重要な場所ではありますのでそこは間違いないない。
片や畿内は、碌に鉄器も作れない所。
よって、日本の古代史の中では全く重要な場所ではありません。 @阿波 >>711
まあ結局廣志の再認識が、孝霊の、
「南→東」や「冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しがバレて、
大和説が更に破綻するきっかけになった。
特に北部九州も傍国が「河内国分、柏原市周辺だ」と妄想してくれたのは、
目から鱗だったよ。
その「柏原の鏡や鉄」ともほぼ4世紀だしね、
また「金山彦、金山姫神社」とかの「金山が実際に見つかっておらず単に地方の金市の存在を示す」だけの事や、
大和の鉄の大量の出土は三世紀最末〜4世紀」のホケノ以後である事など、
卑弥呼の都ではない事を十分に示している場所。
倭人の中の姫氏は呉王夫差の子孫を自認してたんだよな、確定だよ九州説で。 >>713
>平城京跡にある破壊された古墳、市庭古墳は本当に残念だね。
あれは個人的にはもしかすると伊与辺りの古墳になりうるのではないか?と以前は考えていた墓の一つ、元々は円墳だと考えられていた。
もう一つ完全に消失した古墳もかなり巨大だったのも判っている。
でも無い物を期待しても仕方ないが、山城、山背がヤマイチ国候補地だとすると、もしかしてはあり得る。
椿井大塚山古墳だってこの地からはそう遠くはないからな。
「南→東」は「卑弥呼の冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しの「孝霊」は、
史料事実や史料実態には拠らず、
「なりうるのではないか?」とか「もしかしてはあり得る」とかの、
一種の分裂幻覚の妄想のような記載ばかりに執着しており、
一種の精神病疾患的な病人なんでしょうね。 >>728
「東南→北東」
大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人ではない
所を卑弥呼の冢だという
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しが書いてもな。 >>731
そうだな。近畿説もそう思うけど。
邪馬壹國は近畿一帯。
http://inoues.net/honpen01.gif
若狭湾、兵庫、大坂に弥生後期、
三世紀初めに奈良の開拓着手
共立され九州に行った
卑弥呼・壹與のおかげだな。 >>733
>そうだな。近畿説もそう思うけど。
そんなこと思う理由は? ただ自分の意見に反対する者を罵るんでは、何の進歩もできないぞ 日本史板に邪馬台国スレを立てて板を荒らしまくる考古学厨は考古学板に行けよ
お前ら日本史板にいなくていいから これだけ悪態つかれてレスする理由はありませんよね、時間の無駄。
そもそも弥生時代中期以降は畿内、河内湖に周辺に大陸からの交易の流れがある事は既に証明されてますよね。
卑弥呼のいた邪馬台国なんて三世紀の話ですから、当然畿内は遺跡や出土品の点でも都としての資格は充分過ぎる程あります。
また北部九州を越える戸数を見込める唯一の場所です。
私もヤマイチ国畿内説でこれからは固めようと思います。廣志での解釈はその裏付けになりますね。 743 孝霊厨 sage ▼ New! 2022/02/16(水) 18:14:26.21 [0回目]
これだけ悪態つかれてレスする理由はありませんよね、時間の無駄。
そもそも弥生時代中期以降は畿内、河内湖に周辺に大陸からの交易の流れがある事は既に証明されてますよね。 >>734
>九州の丹生神社は全部式外社
有難う。
九州倭國の別種分家の旧小国で、後に九州倭國のN0.2の「弟」になって、
白村江の大敗の後で九州倭國を併合吸収継承した大和日本國は、
九州倭國の存在を抹殺しなければならず、
焚書坑儒ならぬ「禁書」や、全部「式外社」にする事などの暴挙まで、
していたんだね。 >>700何だかわからないわ
奈良と九州の関係を聞いてるんじゃないのかなあ
歴史は何でも奈良だと思ってますか? >>743
これだけ悪態つかれてレスする理由はありませんよね、時間の無駄。
そもそも弥生時代中期以降は、河内や大和は、
九州倭國の東征毛人五十五國で出来た分家別種の倭種の、
「地方の市を監督する大倭職」の国であったのであり、
大和や河内湖に周辺に大陸からの交易の「筑紫を介しての流れ」がある事は、
既に明らかになってますよね。
卑弥呼のいた邪馬壹も三世紀の話ですから、当然筑紫の「弥生銀座」は、
遺跡や出土品の点でも都としての資格は充分過ぎる程あります。
また列島でも最大の戸数を見込める唯一の場所です。
私も女王之所都の弥生銀座説で、これからは固めようと思います。
廣志での解釈はその裏付けになりますね。 奈良説も思い込み創作ばかりだな
九州説、四国説>>>>>>>>>>奈良創作 >>744
これだけ悪態つかれてレスする理由はありませんよね、時間の無駄。
そもそも弥生時代中期以降は、
糸島から早良平野や福岡平野や筑紫平野や、その周辺に、
大陸からの交易の流れがある事は既に証明されてますよね。 >>746
ヤマト朝廷と太宰府の関係だと思いますが?
勿論対半島との関係もあり、反ヤマト朝廷的な勢力があったとは思います。
歴史は何でも奈良というより、弥生時代後期以降は畿内に権力を持った勢力が国を成立させた場所と認識しています。 >>739
>あんたが先に書いただな。
田吾作さん、何を? >>741
>これを見たからだな。
それが何なの? >>745
倭国 57年の金印 漢委奴国王
女王国 親魏倭王 近畿にある邪馬壹國(小国)なんだ。
元は小国、倭国を併合 >>754
倭奴国は倭国(=卑弥呼が共立された)の極南界 愚かな、まあどの説でも構わないが、邪馬薹は卑弥呼の国で卑弥呼を突き詰めていかないとまあダメで、また陳寿が記したのは魏志であり、最も重要なのは皇帝曹叡の言葉と判断なんですよ。後世暇な中華の賢人達が皇帝の人となりを批評しだすんですから。皇帝曹叡の判断に繋がる女王国でなければ其処は邪馬薹ではありません。天皇太一を補佐し助ける者を台と呼ぶ。宗女台与が後を継いだ時点で魏は十分理解しているんですよ。老子道徳経五斗米道巫女以外に箸墓大一の墓は、ありえません。 日本では孝霊、これは確かに重要な部分ですね、ただ崇神までとにかく皆長生きで話が信用しがたく、考古学、専門的な人間でないととても無理ですね。 表現力が低い人は何を言ってるのか分からないもんだな 陰謀論的に九州王朝等を語るのも別にいいけどね、実際記紀で歴史スルーされてるのは葛城に基盤を持つ欠史八代なんだしな。
現に葛城地方からどんどん出土品も出てきて今や弥生時代中期の時点で鏡や最大の水田跡まで確認されてる位だ。
実際会った歴史好きの人でも知らない人沢山いたからな。
まあ年齢的にあまりネットに触れない人も多いが、若い人でも結構いるのは驚きでした。
邪馬台国特集のムック本とかしか見ないんだろうね。 ただ晋書宣帝紀には240年春正月東倭が朝貢してきたとはある。が東だ。九州は終了です。 >>763
孝霊厨は、妄想の塊だからw 孝霊厨の自論根拠は、妄想と伝承のみ。 @阿波 >>755
魏志倭人伝に記載はないな。
57年までは狗奴国も範囲と推測
また、ト骨、丹、橘で範囲も広がる。
なので南至 水行二十日,水行十日,陸行一月
詳細な経路がないのは行っていないからだな。
まあ、行く必要もない開拓地域。
帰路時期の関係上、さらに日数掛かるから
行かない。 小笠原発見 海部の船乗り
350年前(江戸時代前期)、海部浅川港出航、難破し漂着
調査し幕府に報告、領有に貢献 @阿波 >>750
>九州には天照大神クラスの女性の神がいない
天照は、対馬に「天テル神社」があるし、壱岐に「天の原」があるし、
沖ノ島に「天の岩屋」もあるし、
卑弥呼も壹與も北部九州のいたし、
櫛田姫らの女王らもいた。 >>762
王遣使至帯方朝見 其後貢聘不絶 及文帝作相又數至 泰始初遣使重譯入貢
もあるな。壹與ではないかもしれない
金印返却の記禄もない。 >>756
>・・・老子道徳経五斗米道巫女以外に箸墓大一の墓は、ありえません
「箸墓」説は、「南≠東」や「卑弥呼も冢≠前方後円墳」や、
「正北抵新羅の倭國は九州」や「大和は九州倭國の東征毛人五十五國の旧小国」や、
「箸墓は4世紀」などによって、バツですね。 >>758
>日本では孝霊、これは確かに重要な部分ですね、ただ崇神までとにかく皆長生きで話が信用しがたく、考古学、専門的な人間でないととても無理ですね。
二中歴の年代歴に拠って、大和では西暦479年頃まで「二倍年歴」を使っていましたよ。 >>765
>魏志倭人伝に記載はないな。
>57年までは狗奴国も範囲と推測
奴国、○奴国、狗奴国などのナ系の国は、在来の弥生人・縄文人などの旧国家。
そこに2世紀後半、帯方郡下の漢族系馬韓族が大挙渡来し、末盧国唐津から佐賀平野に抜けて進攻(侵略)してきた。
馬韓族はさらに、筑後平野八女に邪馬国を、長崎島原に斯馬国を、肥後熊本に邪馬台国を、日向に投馬国を、と相次いで国を建てた。
つまりこれが、馬韓系「馬国連合」である。
倭人伝が書き残したのは、帯方郡によるこの倭国進出(侵略)の実記録なのである。 >>767
共立で近畿からやってきたのだから
当然いる。九州の安定化で鉄が増えだす
邪馬薹の一部が奈良なんだな。 >>762
>ただ晋書宣帝紀には240年春正月東倭が朝貢してきたとはある。が東だ。九州は終了です。
晋書なんて、はるか後代の唐代に書かれたんですから、
「同時代史書」では全くなく、参考文献程度にしかならないし、
「東倭」という文言がどこを指しているのか?も不明であり、
論拠になんか使えませんよ。 >>772
なので、岩戸伝説が
九州にも近畿にもあるのである。 >>771
倭人は呉太白の末裔じゃないとな、つまり畿内で正しい。 >>775
倭人は呉太白の末裔もいる。
要するに多種なんだな。 呉系の倭人で海人というと河内の現在の南河内や和泉地区が真っ先に思い浮かぶね。
古くから朱丹を使う点といい、少なくとも弥生時代中期以降に大陸から目指したのは畿内という事になるんだよ。
九州の方が近いのだからその痕跡が多いのは当然だが、それでも南ではなく東を目指した流れがあるのは当然の事だね。 「小笠原発見 海陽(旧海部郡)の船乗り」 令和4年2月17日 徳島新聞朝刊
350年前(江戸時代前期)、浅川港出航、難破し漂着
調査し幕府に報告、領有に貢献
東京都心から南1200`の太平洋に位置する小川原諸島は、約350年前の江戸前期、
海陽町浅川の船乗りが発見し、初めて上陸を果たしていたことは、あまり知られていない。
幕末に多くの外国船が来航した際も、この時の資料が、日本の小笠原領有に大きく貢献したといわれている。
世界遺産でもある小笠原諸島と徳島のゆかりを、あらためて紹介する。
国立公文書館が所蔵する公式資料「小笠原島紀事」(1874年)や「寛文無人島漂流記」(刊行年不明)に、
その経緯が詳しく記されている。
1669(寛文9)年10月、船頭の勘左衛門ら4人が帆船で浅川港を出港。
和歌山県有田に立ち寄ってミカンを積み、荷主ら和歌山の3人を乗せて計7人で江戸に向かった。
ところが、嵐に遭遇して静岡県沖の遠州灘で難破。70日余りの漂流の末に70年2月、小笠原諸島の母島に漂着した。
一行7人のうち勘左衛門は直後に死去してしまう。残った6人は周辺の島々を調査し、
小笠原固有の動植物の生態など貴重な島の様子を記録に残した。
その後、破損した船を新しく造り直して島を出発。八丈島を経て、5月初めに伊豆の下田に辿り着いた。
彼らは下田奉行所に、漂流の経緯や小笠原諸島の様子を詳細に報告した。
この報告書を基に、幕府は1675(延宝3)年に探検隊を組織して小笠原に派遣し、さらに詳しく調査している。
当時は無人島だった小笠原諸島には、幕末になると外国船が多く来航し、各国が領有権を主張した。
しかし、浅川の船乗りたちが発見して上陸調査し、詳しく報告した公式記録があったから、領有権争いにならず、
日本の領土として国際的に認められたという。 @阿波 >>777
糸島、博多湾の楽浪からの移民との
摩擦を避けて東だろうな。
なので、ト骨が壱岐以外から出てこない。
後期になって、佐賀、八女から出土
卑弥呼・壹與と被る。 ト骨は弥生時代中期以降に青谷から畿内方面にかけて出土例が多いからな。
それだけでも九州説ダメだろう。 >>778
倭国(阿波)「狗奴国」の末裔だ。 さすが、海人族。 @阿波 九州方面で気になる姫の存在は神夏磯媛だろう。降参して三種の神器をもってやって来る話があるからな。
これは個人的には場所的にもトヨ、イヨが女王の地位を失う逸話を示唆する可能性が考えられますね。
卑弥呼=百襲媛が讃岐や愛媛での逸話が中心なのに対して、イヨは九州寄りの活躍だったのだろう。宇佐の存在はその名残だというのが私の考察だね。
百襲媛が神大市媛と神の名前が付く点も同じ。 それにしても、池沼みたいな・・・がいるけど、何なんだろう、
もともと日本(日本人?)の話ではないんだけどな。
成り済まし、騙り、そういう何かばかりなんだろう?
天皇〜とか後付け、時代とかも・・・だしな。 かなり前の事になるんだけど、
とあるゲーム内に作成したキャラクターがいる。
キャラクター名。
とあるカブキ役者?下の名前だけ同じw 探偵eye〜?
主人公がいるでしょ「りん、りん」と言っていたり。 『セメント通り ふれあい館』
数代前に・・・説明図、地図「■」
ここに引っ越してきた家。 貼り付けている写真も・・・、
この書き込みをしている、家のなんだけどな。
『天財若子』(〜?)こういう家。 古事記「国生み」のオノコロ島
孀婦岩、伊豆諸島の最南端に位置する岩である
海洋民族の伝承
https://www.youtube.com/watch?v=psm0hmcWBQg 妹がいるんだけど・・・「りん」?妹の子供の名前と同じ、
それと謎の震災〜何やらとかw
何かしたヤシがいるんだろう?
という書き込みをしている人もいた。 三種の神器は、景行天皇の先祖が天の岩戸隠れの際に
太占で占い、賢木に八尺瓊勾玉、八尺鏡、布帛を奉げて祝詞を唱えた 『天財若子 天若』
なぜか、老婆談?ほとんど同じ・・・話をしていた。
『天若 作品』 コミック(作品)の話ではないんだけどw
某マイク・オー?5月□□日生れ、なぜか妹と同じだしな。
あの曲とか、最近・・・わかったのかな?
????〜海底〜人魚〜・・・鳳凰みたいな・・・とか。 まあ、北部九州や奈良盆地には、超先進文化技術国「邪馬臺国」や「狗奴国」が興る要素を見い出せない。 @阿波 どこのゴミの集まりなのか知らないけど、
消えろと言っているのが、わからないのか?
それが嫌なら(この書き込み)言ったことを守れ。 成り済まし、騙り・・・、
何なのか知らないけど、なぜ偉そうなことを語っているんだ?
まず必要ない人間から処分しろ、一般人ではなく、いるでしょ? 何なのか知らないけど、
・・・コミック(ジョジョ)の話と同じだと思っているのかな?
家は、オマエ(馬の骨?)の家の、
側近(警護?)〜、何やらでもないんだけどwwww ただ、なぜか・・・同じだと言っているだけ、
馬に乗っていて〜みたいな話も同じ。
老婆談によると『日本昔話 石楠花』とか、
先祖(確実に親戚、時代的にも、かなり最近)? 三世紀末の超最新文化技術は道教、神獣鏡だよ。錬丹術は後の錬金術にも繋がるんだしな。
まあ技術的には銅鐸が造れる時点で高度な物を得ている。
何より伊勢遺跡なんて通説より数百年早く煉瓦技術を使用しているぞ。 例『七夕 王母』
このような・・・も、家の話なんだけどな・・・。 「邪馬臺国」や「狗奴国」が興る要素を見い出せない。 @阿波 それにしても、何かのドラマ(日本)のスレッド、
どこのコジキなんだwwwwwwみたいな話、書き込みと同じ。
阿波、四国周辺を・・・テーマにした作品。
なぜだと思う?財何やらとか、
もともと・・・他の家(ほんとーの?)があるだろ? >>803 孝霊厨
三世紀末の超最新文化技術は鉄器鍛冶だよ。 倭国(阿波) @阿波。 明治時代とか?かなり最近の話なんだけど、
後に・・・財?みたいな家になった、人物?
その・・・話?どこのコジキwwwwwwみたいな。 実際は、それ以前、
もともとの・・・何かの家、人物(財とか)があるんだろう? >>803 孝霊厨
碌に鉄器も作れない畿内は、論外だ。 わははははは @阿波 まあ、北部九州や奈良盆地には、超先進文化技術国「邪馬臺国」や「狗奴国」が興る要素を見い出せない。 @阿波 そういう作品(映画、ドラマ〜?テレビw)とか、
観ていないから知らないんだけど、
とある・・・スレッド、そういう話、書き込みをしている人がいた。
どこの・・・なんだwwwwwwとか。
四国?そういうところが舞台になっている。 ほんとーは、近代の財(不明、家や人物)とか、
それ以前の・・・何かの家(人物)があるんだろう? ・・・、おかしな話ばかり、
老婆談wなぜか、それらしき話ばかりしていたしな。 しつこいようだが元々2ch時代、阿波スレは私の隔離スレとしても建てられくらい阿波を推していたんだから、
いくら阿波の優位性を私に説明しても無駄。そもそも四国を調査としても各所回っていたしな。
だが阿波の優位性は邪馬台国の位置問題とは直接関係ない。
畿内ヤマト朝廷を形成する一部の国という以上の認識はないからな。
まあ廣志の記述がダメ押しだね、阿波じゃヤマイチ国の説明が100%不可能。 家の話w
なんとかドラマとかあるでしょ、ほとんど観ていない、
(日本のwというか日本のなんだけど)大河〜とか、〜とか。 結論としては廣志の記述は倭国は出雲丹波の事 で伊都は亀岡辺り。
その南のヤマイチ国が山城、山背エリアでその傍国が柏原、河内国分、近つ飛鳥辺りになる。
巳百支国が奈良盆地西南部辺りだろう。
続く伊邪国は伊賀、もしくは伊勢になる。 >>815 孝霊厨
>畿内ヤマト朝廷を形成する
「魏志倭人伝」の時代に、畿内に「畿内ヤマト朝廷」なるものが存在した痕跡は微塵もない! @阿波 >>817 孝霊厨
>結論としては廣志の記述は倭国は出雲丹波の事 で伊都は亀岡辺り。
結論として、「魏志倭人伝」からの逃避に過ぎない。 @阿波 三世紀後半というと北部九州と出雲からは硯が確認され、墨書土器が三重県松阪辺りに多く出土しているからな。
これは大陸からの交易がそういうルートであったに他ならない。 >>820 孝霊厨
砥石だな。 わははははは @阿波 ほんとーの家の・・・なんだろう?
老婆談によると、何かの家・・・みたいな話もしていた。 奈良に何らかの国が成立していたことは誰もが認めるところだろうが、邪馬台国と無関係なのは確実
ろくな鉄器製作の技術もなく、鉄器が出土しない奈良にそんな国があったわけないし、
牛馬がいない以上、広い範囲を治めることは不可能で、「国」と言っても現代で言えば村のレベルでしかない 阿波では七万戸の国を想定出来る場所がないのも致命的だね。元々阿波推しをしたのも畿内説で七万戸なら畿内だけでなく阿波を含める可能性がある、と推定していただけの話だからな。
崇神天皇は高屋阿波良媛の存在から四国阿波、内陸部に基盤があるだろう。だが孝霊天皇には痕跡が全くない。
淡路島にハエイロネが宮を持つが、出身地は磯城県なので畿内勢力なのは確定済み。 例『Mike Oldfield - Let There Be Light (Full version HQ)』 ほんとーは、家の話なんだろう、
妹がいるんだけど、5月〜日生れ、同じ。
『』こういう家。 >>824 孝霊厨
阿波では七万戸の国を想定出来る場所が、大河「四国三郎吉野川」流域集落国家群。
畿内を始め、他のどこにも、こんな遺跡群は存在しない。 @阿波 >>824 孝霊厨
>出身地は磯城県なので
孝霊厨お得意の、まったく根拠のない自分勝手思い込み。 わははははは @阿波 孝霊厨は遺跡根拠を示せない遺跡素人。 わははははは @阿波 出雲の硯で思い出したが、田和山遺跡なんて実は魏志倭人伝に出てくる宮そのものの痕跡もあるからな。
本当に伊都は出雲の事で、九州は単なる勘違いという考察があってもいいかもな。 塩田とか・・・、以前、そういう話もした、
どのスレッドだったかな、もれwの書き込み。
老婆(談)が言っていたんだけど、海まで水を汲みに行ってとか。 >>832 孝霊厨
さっそく、阿波では七万戸の国を想定出来る場所が、大河「四国三郎吉野川」流域集落国家群。
からトンズラ。 わははははは @阿波 家は『』・・・こういう家、
でも、なぜか、
家は、そういう業者、職?(塩なら塩を作っているとか)でもない。 まあ阿波はせいぜい一万戸程度だな、まず葛城の水田跡を越えないと話にはならない。
四国では高知の方がはるかに多くが見込める。 『セメント通り ふれあい館』近所w
数代前に、ここに引っ越してきた家、埋立地のほうの話もしていた、
まだ、そんなに・・・現在みたいなにはwなっていなくて・・とか。 川崎区には、いつ頃から住んでいたんだろう、
ほんとーは、かなり昔から、住んでいたのかな?
その後に、いまの福島県のほうに引越したのかな?
福島県のほうに住んでいたことがあった。 出雲や丹波地方に孝霊天皇の伝承が多いから、出雲を重視するのは当然の話。
現在最大の弥生時代後期の遺跡なのは妻木晩田遺跡。ここの名前も孝霊天皇からつけられたものだからな。
出雲と大和は切っても切れない関係にあるのだから仕方ない。 『伊達郡 霊山町 霊山城』
この辺りの話もしていた、山の上のほうの・・・。 >>836 孝霊厨
無残に土砂に埋もれた葛城の水田跡をいくら持ち出しても、
大河「四国三郎吉野川」流域集落国家群の相手ではない。 わははははは @阿波 >>839 孝霊厨
>出雲や丹波地方に孝霊天皇の伝承が多いから
孝霊厨は遺跡根拠を示せない遺跡素人。 わははははは @阿波 『霊山 (福島県)』
・・・『王母 七夕』このような家。 数代前まで、どこかの城に行ったりしていた、
なぜか・・・いまの福島県(伊達郡)のほうだと言っていたしな。 例『埋立地 川崎区』
神殺し〜・・・みたいな曲と同じ、
他の勢力がやっていた、やっているのかな? 他の勢力に・・・乗っ取られた?そういう話でもない?
とある人物(時代)から見ると・・・先住民のような気もする。
正確には・・・違う、
ほんとーの何かの専門家、詳しい人物によると、
むかーしの中国の・・・。 ただ、東北地方のほうに・・・住んでいたというだけ?
実際は・・・中国(という国)の・・・。 例『第二次世界大戦』
おかしな・・・話だと(気づいている)知っている人は知っている。
何があったんだろう。 近代の〜みたいな家、人物の話。
財?何やらも没収されたとか、何があったのか、知らないけど、
・・・・・・・おかしな話ばかり? だから言っているだろう。
家の、あの写真を貼り付けた後、
「墓w荒wらwwwしwがw」
何やら〜というスレッドが建っていたことがあった。
何かの家?むかーしの何か・・・とか。 いまの福島県のw
とある山の下のほうにあった、芝居小屋(〜座)とか、
現在・・・民家園に保存されている。
老婆談によると、そこの話もしていた。 例『財 没収』
日本の?ではない・・・みたいな話も出てくる。 当時、日本が盗んだりした(?)、
他の国(渡来人など?)の・・・財とか? 戦後(〜世界大戦)の話。
日本が、他国(〜渡来系、渡来人含む?)から盗んだりした財・・・とか。 何か知っている人がいるのかな?
例『天若 作品』〜『』・・・。 老婆談w少し違うんだけど、ほとんど同じ話。
日本での話、駆け落ちした(泥棒のようなモノに?)、してきた?
・・・むかーしの中国の?何かなのかな。 泥棒のようなモノに入られたりしたというのも、
戦前、・・・明治時代・・・、もっと前?
『』こういう家の・・・w やっぱり都合が悪い書き込みなんだな。また変な荒らしがやってきた。 ほんとーに以前から書いている事なんだけど。
現在?家は、そういう家ではない。
泥棒のようなモノに・・・?、・・・、・・・とか、
でも何かのw家なんだろう。 日本の作品(〜)、
なぜか、ほとんど・・・家の話?みたいな作品ばかり。
すべてとは言わないけど、なぜか? 実際は?正確に言うと・・・、
『』ここに住んでいる家の話なんだけどな・・・w
川崎区というところの南部のほう。 数年前の、とあるスレッド。
それで、どこの、
お嬢様なんだ?みたいな書き込みをしている人もいたような。
家ではない・・・w
・・・人物に関する、そういう書き込み(話)。 詐欺、詐欺師?
よくわからないけど、
そういう事ばかりしている池沼がいるんだろう? チンピラなのか、何なのか知らないけど、
ふざけた事ばかりしてんじゃねーぞ!!という書き込みをしている人がいた。 とある企業とかあるでしょ、
かなり有名な・・・日本のw、
成り済まし、本人(ほんとーの家の)の代わりにやっている?
そういう話をしている人もいた。 正確には、犯罪・・・組織、そういう企業。
正式なモノではない。 代理、・・・入れ替わった、入れ替わっている?
それとも、ただの成り済まし、騙り? 「さあ?」
創価か何かなんじゃないのか?みたいな話ばかり。 成り済まし、騙り・・・何なのか知らないけど、
刑務所に連れて行き、死刑にしたほうが良いぞ。 オマエ(?)に言っているんだけどなwww
かなり有名な企業?日本の・・・。 ほとんど・・・正式なものではない、実態(実体)もいない、
犯罪みたいな・・・? ちなみに家は『セメント通り ふれあい館』
「■」このようにw
なっているところに住んでいる。 ほとんど犯罪と同じ、
そいつ(?)のw所有している財なども、
すべて没収して良いから、
家に、返しておいて、ちなみに家は『』こういう家だから。 ・・・(一度も)挨拶にも来ないから、言っているだけ、
「???」? 成り済まし、騙り・・・何なのか知らないけど、
消えろと言っているのが、わからないのか? 何かしたヤツがいるんだろう?と言っている人がいたでしょ。
数年前の、とあるスレッド。 刑務所というところがあるから、
そこに連れて行け、どこの池沼なんだ。 何の権利も権限もない人間が・・・いるでしょ?
説明不要、池沼か何かなんだろ? どこの馬の骨なのか知らないけど、
オマエ(?)に言っているんだよ、わからないのか? いい加減に気づいただろう。
すごい、お金持ち・・・?みたいな・・・なんだろうという話(作品とか)と同じ。
すぐに、殺せとか、〜に沈めて・・・処分しろとか。 『ウラシマまりん』キャラクター名。
これはコミックなんだけどw
他の国の映画とかでは、ありそうな・・・。 何か飼っている、番犬みたいな?・・・を、
けしかけて・・・とかw
よくわからないけど、他の国の映画にありそうな。 でも、もれの記憶には・・・・、
そういうことは、一切、ないんだけどw
老婆談によると・・・、それらしき話ばかり、
むかーし、どこに住んでいたんだろう。 何かの・・・家みたいな話。
駆け落ちした、・・・してきた?
老婆談。 ・・・たしか、
そういう作品(例えば映画、小説でも良い)とか、あったような・・・と思っている人もいるはず。 例『サメ』
ウラシマまりんのネタ?。
サメのいる・・・に落として・・・みたいな? ・・・『』こういう家w
・・・・・・・・・・・・・。 偶然にしては・・・、おかしな話ばかり。
近代の(戦争?犯罪者とか、加担者)でもないしな、
華族とか、そういうのでもない・・・。
ただ「」こういう家だと。 例『天若 作品』
『王母 七夕』
・・・女の先祖(現在、女の親戚もいる)・・・という話も同じ。 それにしても・・・、
かなり有名な、日本の企業(〜屈指の企業に成長)とか、
実体(実態)がないw・・・・・そういう論もあったような。 それにしても、
ほんとーに、
悪く言うと成り済まし、騙りとか、必要ないから、
消えろと言っているだけ・・・、わかった?理解できた? ほんとーに、そんな・・・家の人(人物)いるの?
と思っている人もいるんだろうけど、
「」この家が、そう。
『』ここに住んでいる家。 あるでしょメディア、テレビ(ラジオ、本や書籍、雑誌)とか、
そういうモノに出てきたり〜という家(職)でもない。 あんたか、荒らしは、昔から居たよなぁ、よせよ、人の嫌がるような事をするのわ。他説か皇国か知らないが、この際だから言ってやろう。箸墓に眠る巫女は、五斗米道巫女で列島最初の大王であり、道教で云うところの初代天皇太一であり、以後大王は、天がついていくんだよ。 聖人(どの教え?宗、宗派なのかは)か何かなんじゃないのか?
という書き込みをしている人もいた。
聖人を殺したりでもしたのか?とか。 あの震災の後くらい?数年前の、とあるスレッド。
なぜか詳しいような?・・・人(書き込み)がいた。
どうした聖人でも殺したのか?とか。 ウラシマまりん(キャラクター名)の設定?
テレビとか・・・必要ないという話と同じ、
必要ないというか、・・・あまり見ない?見たいものがない。
書いてあるでしょ?
ウラシマまりん(なぜかキャラクター名)の・・・w 成り済まし、騙り・・・が何かをやっているんだろう? 誰が許可(認可)をだしたりしているんだ?
・・・・・・・していたでも良い。
わかりやすく言うと「良いよ」とか。 日本の話をしているだけでw
他の国の話をしているわけではない。
あと気づいている人は気づいている。
モランボン楽団 、〜組と同じような・・・、
ザ・モモタロウに出てくる・・・。 歌え〜踊れ(踊るんだ)〜とか・・・言っているでしょ?
『ザ・モモタロウ』という作品に出てくる某(説明不要) ほんとーの話なんだろう。
いまでいうと(むかーしの芸能関係)とか、好きだったという話も同じ。
おかしな話ばかり? 某自身、本人は?出演したりしたこともない、
それとも、たまーに自身も出演していたりしたのかな? なぜか?同じような・・・、・・・、なぜか?
どこかに史料(資料)があるのかな。 日本のテレビ?メディア関係、
お前達の言っている何やらとか・・・、
悪く言うと、成り済ましなんだけど? 悪く言うと、成り済まし・・・悪く言うと。
なぜか知っている人達がいる、なぜなんだろう。 後付け、お前達の言っている何やら()とか・・・必要ない。
どこの池沼なんだ。 <ご注文は無職ですか?OP>
【ガイジ ドリーム かふぇ】
♪落ちろ!しねしねゴミ😩アンチのふりして、😏
もうちょっと近づいちゃえ😘😘😘
簡単には教えないっ😚😚
すこればわかることは内緒なの😤
くこくこ?🐔ドゥジョドゥジョ?👳🏾♂罠ですよ。😱
はじめがかんじん!🙋♀
none:none:(のーねのーね)🙆♀
くこくこ🐔🐔ドゥジョドゥジョ👳🏾♂👳🏾♂
梅干し🔴
不細工笑顔🤓でちぇいちぇい👶
スレ🏡を開けたとたん、
怒涛の死ねガイジ😇
(そんな酷いよ😢)、ありえない🙅♀
それがありえるかも、無職だけの異次元😰
(アホの馴れ合い)、覗いたら😳
私が私にレスしてました😅
なんで?🤔なんで?🤔見えている?😳(うそ!😱)
いつものコテ🤔(きっと)おんなじレス🤭(だから)
誰だ😳(平日の昼でしょ!)。毎日いるよね?😅
(これはニャース😺、馬鹿穂香🙋♀
、センチメンタルなんJ民😤?)。 どこの馬の骨なのか知らないけど、
いい加減に必要ないから、消えろと言っているだけ。 だからwどこの馬の骨なんだ?
家は『』こういう家なんだけど。 とある思考(思想)の人間とか・・・いるでしょ、
ゴミみたいな人間ばかりだという話だしな。
ただのゴミ。 それと『311 原発』
人工的に起こしたみたいだしな・・・、
日本(自作自演みたいな話)で起こした、他も同じwwwwwww
知っている人は知っている。 だから・・・、いい加減に消えろと言っているのが、わからないのか? 何がしたいのか・・・?理解できない。
例えば、そういう企業(会社)があるでしょ、オマエ(?)の家の・・・ではない。
「?????」?
・・・(まさか、ほんとーの)国の何かなんじゃないのか?
という書き込みをしている人もいた。
ほんとーは日本()の話でもない。 (日本の)国の〜自体、もともと日本の・・・ではない。
という話。 理解できない、わからないのなら、
必要ないから、消えろと言っているだけ。 どこのゴミの集団なのか知らないけど、わからないのか???? そこの企業も潰して良いから、
すべて、家に返すように、準備をしろと言っているだけ。
オマエ(馬の骨)が、ゼロから作ったわけではないだろ? それにしても『天若 作品』
なんで知っているんだろう、
間接的に何かを知っている・・・何者かがいるのかな?
ロック、ロス何やら? 例『ロック ロス 陰謀』
なぜか・・・『マダラ カオス』カオスとユダヤ〜とかw
シュテンドルフとウラシマまりん、調べてみるとわかる。
むかーし、どこかで・・?みたいなキャラクター。 それにしても日本のw
乗っ取られたのかな?・・・冤罪事件(被害者)の話?
冤罪、事件・・・・・・自体なかったみたいだしな。 ほんとーに、なんでもいいから、
日本の話・・・、成り済まし、騙りとか必要ないw
それと、とある作品とか、
なぜ家の話なんだと思う?
「?」 日本の話。
乗っ取った(乗っ取られた)、入れ替わったとか、そういう話自体ない、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・家の話。 どのスレッドだったかな。
重要、家のw
写真を貼り付けた後「それ宮様の写真でしょ」という謎のレス(返事?)もあった。
このようなゴミみたいなスレッドの話ではない。
ちなみに『』
天若〜?とか、そういう家、なんで知っていたんだろう。 老婆談によると・・・、
軍人、警官(警察?)〜でもないと言っていたしな。
子供の頃の・・・、
何かの制服を着ている子供。 成り済まし、騙り・・・、
何なのか知らないけど、いい加減に消えろと言っているだけ。 ほんとーに、誰なのか知らないけど、
何々〜の写真じゃないの?
と知っていたというのも、おかしな話。
『』と詳しく、説明していなかったときの話、
でも馬に乗っていたり、何かの刀(剣)みたいな話はしていたw >>777
>呉系の倭人で海人というと河内の現在の南河内や和泉地区が真っ先に思い浮かぶね。
古くから朱丹を使う点といい、少なくとも弥生時代中期以降に大陸から目指したのは畿内という事になるんだよ。
九州の方が近いのだからその痕跡が多いのは当然だが、それでも南ではなく東を目指した流れがあるのは当然の事だね
「南≠東」や「卑弥呼の冢≠前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」や、
「瀬戸内以東は九州倭國の東征毛人五十五國の大倭職の旧小国」などの、
史料事実や史料実態に拠って、バツですね。 >>780
>ト骨は弥生時代中期以降に青谷から畿内方面にかけて出土例が多いからな。
一大國にも非常に多いが、九州では佐賀付近から出土しているな。
>それだけでも九州説ダメだろう。
卑弥呼は、「ト骨」的女王ではなく、「鬼道」的な女王なのであり、
ト骨風習が少ない地域の方が、相応しいな。 そのスレッドw
身長とか・・・あまり関係ない、でも多少はあるかも。
家の誰だったかな、
男なんだけど、身長160(150数センチ?)もないと言っていた、
父親は(でかい)大きかったとか、・・・ドラゴンボールの話? 詳しいことは、わからないんだけど、あまり関係ない?
男:150数センチ・・・、『』こういう家。
その父親は・・・・・・・・・・・だと老婆も言っていた。 >>782
>九州方面で気になる姫の存在は神夏磯媛だろう。降参して三種の神器をもってやって来る話があるからな。
そうだったな。神夏磯媛もいたな。
>これは個人的には場所的にもトヨ、イヨが女王の地位を失う逸話を示唆する可能性が考えられますね
そんな分裂幻覚の妄想のような事は、考えられないな。 何度も説明していることなんだけど、
『』
こういう家の話w偶然にしては・・・? >>789
>古事記「国生み」のオノコロ島
孀婦岩、伊豆諸島の最南端に位置する岩である・・・
ニニギらの「国生み」神話の出発の地の、天照らの「天の原」は壱岐にあるから、
「オノコロ島」は能古島だろうな。 >>792
>三種の神器は、景行天皇の先祖が天の岩戸隠れの際に
太占で占い、賢木に八尺瓊勾玉、八尺鏡、布帛を奉げて祝詞を唱えた
何か違うな。
天孫族の阿毎氏らの「三種の神器」は、鏡と玉と剣だったような気がするが。 >>803
>三世紀末の超最新文化技術は道教、神獣鏡だよ。錬丹術は後の錬金術にも繋がるんだしな。
まあ技術的には銅鐸が造れる時点で高度な物を得ている。
何より伊勢遺跡なんて通説より数百年早く煉瓦技術を使用しているぞ
孝霊も、なんだか「おばば」みたいな投稿になって来たな。 間違えた。
>三世紀末の超最新文化技術は道教、神獣鏡だよ。錬丹術は後の錬金術にも繋がるんだしな。
まあ技術的には銅鐸が造れる時点で高度な物を得ている。
何より伊勢遺跡なんて通説より数百年早く煉瓦技術を使用しているぞ
孝霊も、なんだか「老婆」みたいな投稿になって来たな。 >>817
>結論としては廣志の記述は倭国は出雲丹波の事 で伊都は亀岡辺り。
その南のヤマイチ国が山城、山背エリアでその傍国が柏原、河内国分、近つ飛鳥辺りになる。
巳百支国が奈良盆地西南部辺りだろう。
続く伊邪国は伊賀、もしくは伊勢になる
やっぱり、孝霊は「老婆」男みたいになって来たな。 それにしてもゴミみたいな・・・ばかりやっているんだけど、何なんだろう。
日本のテレビなどの話。 ちなみに、家は・・・『』こういう家、
何度も説明しているから、知っているはず。 だから、家()は、どこかの社員とか・・・ではないw チンピラしかいないのか?
・・・チンピラとも言えない・・・、何なんだろう。 wwwwwwwwww(大爆笑という意味らしい)、
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww。
なぜだと思う?
池沼「??????」? 例『やくざてんぐ』
家の談、なぜか同じような・・・気もする。
でも少し違う。 どこのチンピラなのか知らないけど、
いい加減に「消えろ」と言っているのが、わからないのか???????
池沼「?????」 『日本昔話 石楠花』
グーグルでも、なんでも良いから、画像w 南(東)至投馬國水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
「南(東)、投馬国(倉敷辺り)に至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、
副は弥弥那利と曰ふ。五万余戸ばかり。」
南(東)至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升
次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
「倉敷、岡山辺りより、南(東)、邪馬台国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。
「官有 伊支馬イクメ」11代 垂仁天皇
伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと) - 『古事記』
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと) - 『日本書紀』
「次日彌馬 升サ・ス」 なお彌馬(みま)とは、(皇孫みま)皇族に対する尊称
@少彦男心命(すくなひこをこころのみこと) 9代開化天皇、大彦命の3兄弟、
倭迹迹日百襲姫命の甥
または、A狭穂彦王(沙本毘古さほひこ)開化天皇の孫、
妹・狭穂姫命(さほひめのみこと) 11代垂仁天皇の皇后、兄弟で垂仁暗殺未遂の謀反人
「次日彌馬 獲支ワカ」9代 開化天皇
若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと) - 『古事記』
稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)-『日本書紀』
「次日奴佳鞮ヌカタ」生駒郡平群町、本拠地の額田部氏(ぬかたべ) >卑弥呼時代ほぼ久留米市あたりまで海岸線、稲作が無理だから牟田無田って言うんだよ。
>その後、筑後川の氾濫などや1000年かけ埋め立てられてられて今がある。
有明海の干拓の歴史
https://www.maff.go.jp/kyusyu/seibibu/kokuei/18/kantaku/img/kantakuzudai.jpg
弥生時代、はるかに温暖であったせいか海水面は今よりも5m程高かったと言われている。
この平野の海抜4〜5mの線を結ぶと図1のようになる。
そして、この線上に多くの貝塚が見つかっている。
吉野ヶ里の大集落は、まさにこの海岸線に位置していたわけである。
https://suido-ishizue.jp/nihon/11/img/01/ph02.gif >凡そ、比べるとこんな感じ、
>有明湾沿いはコンクリ堤防が無い時代、筑後川氾濫、台風塩害で水田は難しい
奴国、 二万戸
福岡平野 南北20km 東西20km
投馬国、五万戸
倉敷、岡山平野 南北20km 東西40km +20km福山盆地まで合わせると。
邪馬台国、七万戸
京都、奈良盆地 南北80km 東西20km 内陸だから台風、塩害、水害が少ない。 老婆談と同じ?母親も、そういう話を聞いたことがあるとw
家の誰だったかな、(成人男性)身長150数センチ?
でも、その父親は背も高いし、大きかったw・・・知らない人がいるんだろ?
知っている人もいる・・・? 黒いコート?〜何かを着ていたり・・・みたいな話。
その父親の話。 偶然にしては、おかしな話ばかり?
〜の山の上のほうに住んでいた家・・・、数代前に引っ越して来た家。
父親は背も高いし、大きかった・・・。
その子供?の身長(成人男性)は150ちょいくらいw 戦前?老婆談によると、〜年頃(戦後?)には、たしか、いなかったと言っていたしなw
黒いコート?そういう何かを着ていて・・・どこかに行って〜とか。 でも軍人、警官(警察)でもない・・・ような話もしていたw >>972
>弥生時代、はるかに温暖であったせいか海水面は今よりも5m程高かったと言われている。
>この平野の海抜4〜5mの線を結ぶと図1のようになる。
そりゃ4000-5000年前の縄文海進時代であって、彌生末の三世紀のことではない。
シャッフルしてごまかすな!! 新スレ立てました。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1645120906/l50
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*本スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
本スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ >>980 続き
地球の地軸の首振り運動(歳差運動)により、26000年周期で氷河期ー海進期が繰り返しやってくる。
その直近の海進期は縄文時代であり、氷河が解けて、世界的に海水面が上昇した。
縄文海進は、有明海に限ったことではないのだ。 >>970
「南≠東」などの史料事実や史料実態に拠って、バツ。
史料事実や史料実態に拠らない投稿は、掲載する必要もない。 >>973
この投稿も、
「南→東」や「卑弥呼の冢→前方後円墳」や「正北抵新羅の倭國は九州」の否定などの、
史料事実や史料実態の曲解や否定の嘘吐き騙しになるから、バツであり、
掲載しない。 >>982
>地球の地軸の首振り運動(歳差運動)により、26000年周期で氷河期ー海進期が繰り返しやってくる。
その直近の海進期は縄文時代であり、氷河が解けて、世界的に海水面が上昇した。
縄文海進は、有明海に限ったことではないのだ。
ふーん。 >>985
おお、知らんかったのか?
つまり13000年で氷河期と海進期が交代でやってくる。
化石燃料による一時的な地球温暖化は別として、今の地球は寒冷化に向かっている。
現在、すでに縄文海進期から5000年ほど経過しているので、あと8000年ほどで再び氷河期がやってくるのだ。 >>984
「東南→北東」
徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人
史学に不向きな古田ぺーテン 以前から書いていることなんだけど、
知っている人は知っている。
だから、誰と間違えているんだ?
という謎の書き込みをしている人とか。
家は『』こういう家。 『天財若子 天若』
こういう家で・・・、何度も説明した。
ほんとーは?というか・・・川崎区に住んでいる。
『セメンと通り ふれあい館』 老婆談というのも戦前?それ以前の談。
明治時代、もう少し前の時代とか、
家に嫁に来てから、〜話を聞いたりしたと言っていた。
いまの福島県のほうに住んでいた、何かの直系みたいだしな。 数年前の、とあるスレッド。
ふざけた事ばかりしてんじゃねーぞ!!!
という書き込みをしている人もいたでしょ、なぜだと思う?
例『チェーンソー ゲーム』 むかーしの中国の・・・だと言っている人もいる、
『』この家w 何なんだろう。
同じよな家でも・・・少し違うのかな?
伊達郡・・・いまの福島県の・・・に住んでいた、山の上のほう。 川崎区というところの・・・、
「」
ここに住んでいるんだけど、ほんとーはw 右翼不明、暴力団、ヤクザ何なのか知らないけど、・・・どこのチンピラなんだ?? 例『117 大震災』
こういうのも、・・・・だという話をしている人がいるwww 右翼、左翼、不明w
何なのか知らないけど、消えろと言っているんだよ、わからないのか。 成り済まし、騙り?何なのか知らないけど、
オマエ(お前達でも同じ)には何の権利も権限もない、
と言っているだけ。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 6日 13時間 12分 19秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。