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卑弥呼=天照大神の方が盛り上がるやん?

0001日本@名無史さん
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2024/04/15(月) 06:58:46.99
百襲姫や托卵女王よりネームバリューあるやん
0079日本@名無史さん
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2024/05/01(水) 23:28:25.39
盛り上がるじゃ無く、卑弥呼=「日の巫女」で=天照大神
0080日本@名無史さん
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2024/05/01(水) 23:35:52.66
卑弥呼はヒミコなんて発音じゃないから
0081日本@名無史さん
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2024/05/04(土) 17:58:03.67
卑は万葉仮名で比、毘、日だから合ってる
0082日本@名無史さん
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2024/05/04(土) 18:09:12.79
また、現在の「は」は当時[pa]と発音された。(第6回参照)
 以上から、"卑弥呼"は、[漢語]ピミフ ピミハ ピミホゥ→[当時]ピミク ピミカ ピミコ→[後世]ヒミク ヒミカ ヒミコ

http://himiko-y.com/scrp3/himiko.htm
0083日本@名無史さん
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2024/05/05(日) 09:16:13.21
卑弥呼の発音に関しては諸説あって分からないから
邪馬壹国論争の争点にすべきではない
0084日本@名無史さん
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2024/05/08(水) 01:12:50.17
天照大神は600年のアマテラスヒコだよ
0085日本@名無史さん
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2024/05/08(水) 06:54:22.76
>>84
流石に100年前の話を神話にはしないだろ
神話の神様の名前を名乗った奴がいた
という話だろう
0086日本@名無史さん
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2024/05/10(金) 00:14:10.89
日食起きてるの北陸で
神功皇后も継体天皇も北陸方面で
やっぱ近畿は狗奴国でしたね

継体天皇に制圧されて
馬とか大陸文化入ってきて良かったですね
ってなるので

情報が少なかった時代のアホ教授に都合が悪い
0087日本@名無史さん
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2024/05/16(木) 01:12:46.58
卑弥呼は魏の謀略で男弟の反乱で殺されたから神として祀ったんだよ
0088日本@名無史さん
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2024/05/16(木) 01:55:05.81
天照大神は卑弥呼ではない事は100%確定している。
なぜなら、天照大神はスサノウの兄弟姉妹であり、
スサノウは吉野ヶ里周辺から出雲荒神谷遺跡に進出した部族であることが確定しており、
コレが前3世紀の事になるので、
天照大神も前3世紀の人物となり、
卑弥呼は3世紀の人物なので、
時代が500~600年は違う。
卑弥呼は天照大神を祀った巫女の倭姫命で間違いないだろう。
0089日本@名無史さん
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2024/05/16(木) 07:36:06.63
>スサノウは吉野ヶ里周辺から出雲荒神谷遺跡に進出した部族であることが確定しており

してないな
0090日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 10:51:14.91
天照大神は太陽の神だから日食以外は外に出てる
卑弥呼は引きこもり

天照大神は鬼道を使ってない
卑弥呼は鬼道使い

まったくの別人
0091日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 11:15:01.96
中国人からみたら鬼道
実際はどんなものかは分かってない
0092日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 11:28:28.72
レインボーマンは男やん!
0093日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 13:00:47.53
斎王と卑弥呼は、どちらも女性指導者として重要な役割を担っていたという点で共通しています。しかし、時代背景や具体的な権力構造など、異なる点も存在します。斎王は天皇家から派遣された神巫であり、政治的な権力を持っていたことは確かですが、卑弥呼のように一国を統治するほどの権限はなかったと考えられています。また、斎王は必ずしも皇族出身ではなく、有力豪族の娘からも選ばれていました。さらに、斎王の人数は時代によって変動し、500人から1000人という規模ではありませんでした。
0094日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 19:29:43.89
卑弥呼=アマテラス、男弟=スサノウだから男弟が卑弥呼を殺したと言う事になるな
0095日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 19:33:03.85
ツキヨミだぞ
スサノオは出雲に逃げた
0096日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 19:40:56.47
>>94
素戔男尊が暴れて天照大神が岩戸に隠れた
昔は天皇が崩御することを『お隠れになる』という言い方してたんだよな
0097日本@名無史さん
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2024/05/18(土) 19:49:20.99
女のストリップにハアハア言うて覗きする女神って
0098日本@名無史さん
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2024/05/19(日) 02:44:47.83
男弟が卑弥呼を殺したのならこれは記紀が書けない黒歴史だな
0099日本@名無史さん
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2024/05/19(日) 07:32:32.46
天照大神の本質は威信財配布
だから畿内では饒速日も天照神となりえた
この観点から行くと九州での天照大神は卑弥呼となるな
0100ネトウヨボクメツタイ!
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2024/05/19(日) 08:00:34.23
先代旧事本紀によるとニギハヤヒは天児屋根神などと共に降臨してきたという
記紀によると天児屋根神はニニギと共に降臨しているのだが、これでは2回降臨した事になってしまう

恐らく大王家や物部一族などは自らを天孫族と考えていて、自分たちの初代は神々と共に天から降ってきた存在と信じており、これが大王家の伝承では邇邇芸、物部一族の伝承では饒速日になっていたのだろう

恐らく物部の祖神も元は邇邇芸だったが、物部の歴史が伝承されていくうちに九州から畿内に移住した初代物部族長の饒速日と天孫降臨の邇邇芸が混同され両者が合体してしまい、畿内に天孫降臨した饒速日という話が出来上がったと考察する

天火明命と同神というのも後世の付会ではなかろうか
後の神仏習合でもそうだが和人の宗教観では神々は容易に習合するからな
0101日本@名無史さん
垢版 |
2024/05/19(日) 11:32:21.02
九州の分家の神武が本家のニギハヤヒ王家を滅ばして王権を簒奪したということだよ
0102日本@名無史さん
垢版 |
2024/05/19(日) 12:24:18.82
最新の史料に基づくと、九州の分家である神武天皇が本家のニギハヤヒ王家を滅ぼして王権を簒奪したという説は、現在では否定されています。
0103日本@名無史さん
垢版 |
2024/05/19(日) 12:25:29.38
先代旧事本紀ではニギハヤヒは天児屋根神などと共に降臨してきたという記述がありますが、古事記・日本書紀では天児屋根神はニニギと共に降臨しているため、矛盾が生じます。

最新の研究では、天児屋根神は2回天降ったと考えられています。古事記・日本書紀で語られる天児屋根神は、天孫ニニギの祭祀を司るために天降った神であり、先代旧事本紀で語られる天児屋根神は、天孫降臨以前に地上を統治していた神であると解釈できます。

大王家や物部一族が自らを天孫族と考え、饒速日を天孫降臨した初代と伝承していた可能性は考えられます。しかし、ニギハヤヒと饒速日は同一神であるという説は、近年では否定されています。

ニギハヤヒは天孫ニニギの異母兄であり、天孫降臨以前に地上を統治していた神とされています。一方、饒速日は物部氏の祖神であり、天孫降臨後に九州から畿内へ移住したとされています。

ニギハヤヒと天火明命が同一視されるようになったのも、江戸時代以降のことです。この同一視は、根拠のない俗説であり、現在では否定されています。

天火明命は、天孫ニニギの息子であるホアカリの別名です。ニギハヤヒとは全く別の神です。
0106日本@名無史さん
垢版 |
2024/05/29(水) 02:12:46.82
神功皇后は、3世紀末から4世紀初めに活躍したと推定される人物です。一般的には実在したと考えられていますが、その生涯や事績については様々な議論があります。

記紀によると、神功皇后は夫である仲哀天皇の崩御後に朝鮮半島へ出兵し、新羅・高句麗・百済を平定したとされています。しかし、この記述には史実と異なる部分も多く、実際には朝鮮半島への本格的な進出は4世紀後半以降と推測されています。

また、記紀では神功皇后が息長帯比売命(息長足姫尊)と同一人物であるとされていますが、こちらも確証はありません。息長帯比売命は、神功皇后の母または姉とされる人物であり、古代日本における巫女として重要な役割を果たしたと考えられています。

さらに、記紀では押熊王やタギシミミなど、即位していない天皇が数多く登場します。これらの天皇は、ヤマト王権の権力闘争の中で排除された人物と考えられています。

以上のことから、記紀に記された天皇系譜は必ずしも史実を反映していない可能性があります。そのため、初期天皇に関する研究では、考古学や文献学などの様々な学問分野を総合的に分析することが重要です。

近年の研究では、ヤマト王権の成立時期は3世紀後半から4世紀前半頃と推定されています。これは、邪馬台国の成立時期とほぼ一致しており、両者が同一の存在であった可能性も指摘されています。しかし、邪馬台国とヤマト王権の関係については、まだ多くの謎が残されています。今後の研究によって、古代日本の歴史がより明らかにされていくことが期待されます。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2024/05/29(水) 22:53:41.11
卑弥呼の死んだ年は西暦247年
この頃高齢で孫がいたとするとその孫がニニギとニギハヤヒであり現実的に活躍した年代は250年から300年頃だろう
ちょうど纒向遺跡の成立した3世紀後半となる

そして畿内で成立した王権にとって九州の卑弥呼は現実感のない偉大な女王=天照大神と認識される可能性は高い

同時に吉備津彦、大彦などの四道将軍も天孫の同族で他地方の開拓使と考えると辻褄は合う
0109日本@名無史さん
垢版 |
2024/05/30(木) 05:46:14.27
>>108
>そして畿内で成立した王権

碌な鍛冶炉遺構や集落遺跡の無い畿内に、ヤマト王権など興る訳がない!   @阿波
0110日本@名無史さん
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2024/05/30(木) 12:37:15.49
>>109
畿内には、確認されている鍛冶炉遺構や集落遺跡は限られています。しかし、ヤマト王権が畿内に興った可能性を否定することはできません。考古学的な調査は常に進歩しており、今後新たな発見が期待されます。

以下、ヤマト王権畿内成立の可能性を示す根拠をいくつかご紹介します。

・古墳の分布: 畿内には、前方後円墳をはじめとする巨大古墳が数多く集中しています。これらの古墳は、権力を持つ豪族たちの墓と考えられています。
・政治・経済の中心地: 畿内は、古くから政治・経済の中心地として栄えていました。弥生時代には、多くのムラが集積し、ヤマト王権の前身となる勢力が生まれたと考えられています。
・中国との交流: 畿内は、中国大陸との交流拠点として重要な役割を果たしていました。邪馬台国とされる畿内の勢力は、中国王朝と交流し、政治的・経済的な力を強化したと考えられています。

もちろん、畿内におけるヤマト王権の成立過程については、まだ多くの謎が残されています。しかし、上記のような根拠から、ヤマト王権が畿内に興る可能性は十分にあると考えられます。
0111日本@名無史さん
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2024/05/30(木) 13:26:54.70
>>110
>畿内には、確認されている鍛冶炉遺構や集落遺跡は限られています。

奈良を抜きに畿内を語れない。 その奈良に碌な鍛冶炉遺構や集落遺跡の無い。 致命的である。   @阿波
0112日本@名無史さん
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2024/06/01(土) 13:07:14.91
盛り上がるのは自由だが、皇室の直系の先祖が卑弥呼という女王だったならそう書いて欲しかったな。1800年続いていることになる
実在した王、しかも今の皇室のご先祖を空想上の自然神として書いたなんてものすごい損失だよ
0113日本@名無史さん
垢版 |
2024/06/01(土) 13:32:54.76
卑弥呼と壹与がそれぞれ年老いるまで女王だったとすれば
神武〜開化の9代、100〜120年ぐらいをカバーすることは可能
しかしこの9代の男性が実在しなかったとも言い切れず、10代目の崇神天皇より前は邪馬台国に臣従または対抗していた豪族の一つだったかもしれない
神功皇后は系図通りなら4世紀後半の人物であることはほぼ確定で、日本書紀編者が彼女を160年〜180年も過去にいた邪馬台国の女王と見做して書く以上、神功皇后の前後の天皇ほぼ全員、在位年数をたぶたぶ水増しして長生きしたように見せないといけなくなった
こういう作業が必要だったということは大和政権の歴代天皇は邪馬台国とは異なる王統で、邪馬台国の歴史を認めたくなかったという一つの有力な傍証になるのではないか
0114日本@名無史さん
垢版 |
2024/06/02(日) 03:33:31.28
結局大阪奈良あたりは
鉄器でハブられてた情弱狗奴国なんだろ

女王国が栄えてた時は都は越に置いて
朝鮮半島や中国北東部の沿岸部に
飛び地あって
翡翠貿易か、略奪か、
制圧して租税がわりに鉄を入手していた
財務省的な都の民が図に乗りすぎて
出雲が九州に助け求めてボコって
西側の力が強くなる
回復した都民は尾張を味方につけて
狗奴国を陥落させてここも邪馬台です
今までの狗奴国の王の親戚って神話作って
そのまま支配(神は残すから反乱やめてな)
少なからず元九州勢力の出雲民もいて
取り分で揉めていって磐井の乱
遺恨残して乙巳の変
0115日本@名無史さん
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2024/06/02(日) 07:12:52.25
学問の話
世界中の古代の王や皇帝の平均在位年数を調べた調査がある
0~400年
401年~800年みたいに400年区切りで平均在位年数を調べる
んで古代は全世界的に10年前後というのが分かってる
日本の実在が確認されてる天皇と中国の皇帝の平均在位年数は共に10年ちょっとで
半年くらいしか変わらない。
さて、『平均』在位年数なんでどの天皇が西暦何年にいたかは分からない
在位が長くて何十年の人、三年くらいの人、いろんな天皇がいたろうから。
でも『平均』だから『いつから始まったのか?』は分かる。
平均在位期間で神武天皇まで遡るとそれは西暦267年頃に該当する。
卑弥呼が死んだとされるのが248年頃というのがただの偶然かどうか極めて興味深い話
0116日本@名無史さん
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2024/06/05(水) 21:03:00.56
女王国の首都は越前だとして
やっぱり三韓征伐の時は
縄文から栄えてる
栗栽培のツガルとの関係は良かったのかな?
後ろからは攻められてはいないし
0117日本@名無史さん
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2024/06/05(水) 22:02:29.63
>>115
生成AI丸出し。
などと容易に看破できるんだからAIもまだまだ未発達だな
0119日本@名無史さん
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2024/06/07(金) 09:50:56.31
>>115
古代の王や皇帝の在位年数は全世界的に1代平均10年てホンマか?
アケメネス朝は11代230年(前559年〜前230年)、ササン朝は36代428年(後224年〜651年)、東周(平王〜王赧)は25代516年(前771年〜前256年)、秦(襄公〜子嬰)は33代573年(前778年〜前206年)、前漢は15代210年(前202年〜後8年)、新は王莽1代で15年(9年〜23年)、後漢は14代196年(25年〜220年)。

古代バビロニア帝国のネブカドネザルは在位43年だったような?インドのマウリヤ朝のアショーカは在位36年、秦の始皇帝は中国統一前だけで25年、統一後は12年、前漢の武帝は55年、ローマ皇帝のオクタビアヌスは41年。ネロ帝は14年。
0121日本@名無史さん
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2024/06/07(金) 14:59:22.02
世代の世の字は30年を表してる、古代から1世代は30年が常識だよ
0122日本@名無史さん
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2024/06/07(金) 15:33:57.81
俺はツクヨミだな。
0124日本@名無史さん
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2024/06/07(金) 20:13:26.83
古代の王や皇帝の在位年数は、王朝や時代によって大きく異なる。世界全体の一概な平均を出すことは難しいが、各王朝や個々の王・皇帝の在位年数は以下の通りである。

アケメネス朝:11代230年(平均20.9年)
ササン朝:36代428年(平均11.9年)
東周:25代516年(平均20.6年)
秦:33代573年(平均17.3年)
前漢:15代210年(平均14年)
新:1代15年(15年)
後漢:14代196年(平均14年)

個々の王・皇帝の在位年数も様々であり、ネブカドネザル(バビロニア)は43年、アショーカ(マウリヤ朝)は36年、始皇帝(秦)は中国統一前25年、統一後12年、武帝(前漢)は55年、オクタビアヌス(ローマ皇帝)は41年、ネロ帝(ローマ皇帝)は14年などである。
0126日本@名無史さん
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2024/06/11(火) 05:57:39.44
半島の慶州あたりに倭の飛び地があった
魏と結んで
背後から馬韓弁韓辰韓の征伐に協力した

馬韓と弁韓の管理を任される
→百済と任那になる
辰韓は魏が統治

近江から対馬海流に逆らって
地乗り航法でわざわざ九州まで行ったのかなあ?
リマン海流使って半島に直行して無いのかな?
(現地で鼓舞だけして後から壱岐対馬寄って
福岡で報告待ちつつ熊襲の対処とか)
0127日本@名無史さん
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2024/06/11(火) 19:04:27.59
魏は高句麗の拡大阻止が目的で
日本は鉄利権でも欲しかったのかな?

制圧後は魏の兵を高句麗に近い新羅に配置
リソースそんなに使いたくないから
残り二つは倭国にまかせたと
0128日本@名無史さん
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2024/06/16(日) 02:04:20.62
契丹古伝を紐解くと、中国の先住民は日本人と同じ倭人が住んでいたことが示唆され、中国の歴史はシウカラと漢民族の主導権争いという新たな視点で捉えることができます。

漢民族という単一民族ではなく、周を中心に漢字文化圏で統合された複数の民族の集合体が「漢民族」と称されているのです。

やがてシウカラ勢力は圧迫され、現在の中国史が形成されたと考えられます。現在、中国人の94%を占める漢民族も、チベットやウイグルへの迫害によって今後さらにその割合を高めていくでしょう。

同じD系統である私たちにとっても、これは決して他人事ではありません。

契丹古伝には、大陸の対立抗争に巻き込まれた日本列島の住民が、同胞であるシウカラを支援するため派兵したという記述も見られます。

さらに、邪馬壱国の卑弥呼もシウカラ出身であり、新羅本紀と照らし合わせると、その本名はイサハミ姫(イサハミコメ)であったことが判明します。

後継者である壱与の消息についても言及されており、第40章には「ダたるかのイヨトメ、民を率いてミマナとなる、人なき山にケンが叫び、風は入江をよぎって星は冷たい、駕してここにかつての東大国を観るに、かつての大丘は今何人あるのか、云々」と記されています。

この記述から、イヨは邪馬台国と狗奴国(くぬこく)の抗争の末、民を率いてミマナに移住したことがわかります。

契丹古伝は、単なる伝説ではなく、日本と中国の深淵な繋がりを解き明かす重要な鍵となるのです。
0129日本@名無史さん
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2024/06/18(火) 13:20:52.86
日本人は多様な民族の血を受け継いでいる: 日本神話の登場人物には、コーカサス、アルメニア、アルタイ地方を起源とする神々が数多く存在します。これは、古代日本人がこれらの地域から渡来してきたことを示唆していると言えるでしょう。
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