写真を残して欲しかった幕末の人物
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ベタだが西郷隆盛と沖田総司と吉田松陰
というか有名どころで写真撮ってない・残ってない人全員 西郷はキヨソネ画とは全然似てないらしいしね
目は寧ろ細かった もうすぐ暴露される、世界一の悪人集団である京都の知恩院の秘密!!
あらゆる陰謀で小沢一郎を攻撃しているのも知恩院だ!!
暴露まで秒読み態勢に入っている!!!!!!!!!!!
人体チップ埋め込み推進者もこいつらだ!!
でもこれは大した秘密じゃない。
世界最大の秘密はもうすぐ暴かれる!!
大村益次郎のデコが本当にあんなにでかかったのか知りたい 本寿院とか実成院とかも明治まで生きたんだから、写真残ってないもんかなー
将軍生母だぜー見てみたいもんだ 壬生浪士組13人勢揃いの集合写真があったらおもしろかったのにな
美男子だったという原田左之助あたりが今より歴女人気が高かったかもしれん 美貌すぎたため水戸斉昭に手籠めにされてしまった唐橋(23歳) いぞう だな
その剣は実戦では同時代ではナンバーワン
斎藤や沖田でも全く歯が立たない人斬りだった 沖田かな
>>20
ダンダラ羽織の姿ならあるじゃん >>21
>ダンダラ羽織の姿ならあるじゃん
あれは合成じゃん >>13
家茂の写真は一応あったらしいと本で読んだ
何かの手違いでなくなったとかなんとか書いてあった記憶が >>25
確か墓を調査した際に、あったって話だよね。
で、次の日になったら消えてしまったとか。 >>27
和宮の墓調査したときに遺体が持ってた写真が家茂じゃないかと
言われてるけど、実物は空気に触れたせいか翌日には消えてしまったので
今となっては誰の写真だったのか不明って話だったと思う 鷹司政通。
「容貌魁偉」だぜ。
あと10年遅かったらもうちょっと活躍してただろうし。 >>28
もったいないよね
写真の写真を撮っておくべきだったw >>28消えた原版が保存されてれば今の技術なら再現可能と思うが・・・酸化して見えなくなっただけだろ? お元、引田屋の女将、お龍の妹、岡田以蔵の彼女、近藤長次郎の妻、近藤勇夫人 >>43
近藤勇夫人・ツネ
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu3/tune.html 一橋家はゴサンキョウ、オサンケではありません。
ケチ吝嗇将軍吉宗がつくった将軍家部屋住つまり将軍予備家系。
要はオサンケでは足りんつうことで、血筋からゴサンキョウ(御三卿)とし
将軍予備軍を殖やしたワケだ。
各藩の殿様だって「部屋住」つう自分の替わりの血族を子飼いにしてたんだから尤もだろ。
徳川将軍は全部遺骨残ってるんじゃないの?頭蓋骨あれば顔面再現できるよな。 家茂の頭蓋骨はこの前テレビで見たけど本当に虫歯だらけだったな 西郷さんと松陰先生かな
西郷さんの銅像は、親戚、家族が実物とは全然似ていないと言っている
くらいだから 将軍家茂が上洛した際に高杉晋作が、
「いよっ、征夷大将軍!」と茶化す場面の動画をアップして欲しい 吉田松陰
松陰によく似ていると言われていたという弟の写真をウィキかどこかで見た事があるが、
目の細さとか、松陰の肖像画にそっくりだった >>48
あの銅像は高村光雲のイメージ選考で作成されたらしく、
考証的なものはいい加減らしい。実際の西郷はあんな着流し姿で
出歩事はしなかったそうだ。
ルックスは弟の西郷従道や親類の大山巌、残されてる肖像画から
顔の類型的なモノは想像できるので自分は写真なくてもいいw 弟でも全然似てない事例も沢山あるのに
従兄弟まで参考にするとはアホとしかいいようがないな 写真がある時代に、写真撮影をせず、自画像が残ってるのは
白虎隊の士中二番隊の一部の隊員。個人名まで明記されてるが
一体何を見て書かれたのやら(笑) >>6
本のタイトルは忘れたけど、昭和40年代〜50年代頃に発行された本だったか。
その本には確かに芹沢鴨の写真が載ってた。
いかにもケンカ強そうな面構えと腰に差してる刀がゴツかったのをおぼえてる。
あの写真はその時目にして以来他では一切見ないな。 13代将軍家定の最初の正室、鷹司任子。
発掘調査で遺骨を鑑定したら、現代的な顔立ちの美人だったらしい。
時代的に写真撮影は不可能だけど(本人は夭逝)
どんな顔してたのか…。
継室は体が極端に小さかったらしいから、そっちも気になるな。
その次の篤姫は写真残ってるからいいです。
スレチだけど、発掘調査の報告書に家茂の陰毛の写真が載っていた。
専門家はスゴいわ…と思ったけど、恥ずかしい部分を公にされて家茂公もおちおち眠れないね。
ちょっと同情してしまった 手塚治虫の陽だまりの樹に表紙で出てる謎の侍は もう身わかったん? >>64をからかってる訳じゃないけど、芹沢鴨の写真って本当にあったのかな…
記録とか残ってないんだろうか 伏見宮則子女王(徳川則子)
夫は大したことがないのに娘は理知的な美女なので 西郷隆盛 写真嫌いで有名 写真がアリとしたなら それはスリカエ
のはず 上野の隆盛の銅像をみた彼の妻はチットモ似てわ せんのう
と言った >>64
他で一切で無いというのは、そういうことだ。 >>28
俺が聞いたのは、写真は有栖川宮だったので消えたということにしたというもの。
これの方が哀しい秘話だが、脚色されたのかな? >>48・72
上野の西郷さんの銅像に関しては糸子夫人が「全然似ておらん」と言ったのは有名だが
キヨッソーネの肖像画に関しては西郷と親交が深かった人が当時大勢いたのに
「似ていない」と言った人はいないから、そんなに違わなかったんだろ。
>>74
増上寺の和宮の墓の発掘は戦後の話だから、有栖川家は既に断絶しているし
天皇家に対して不敬罪もないから、それはない。 篤姫が可愛がっていた「サト姫」。
当時のねこってどんな体つきだったのかな?
人物じゃなくてスマン。 いぞうの写真本で見たけどあれは嘘もんだったのか?
体はがっしりしてて顔はのっぺりした感じの 「いぞう」って岡田か?
写真が残ってるのはたしか「井蔵」。
龍馬がらみで刑死したのは「以蔵」。
処刑された方は写真ないらしいね。 武市の写真らしきもの、見たことあるけど…
タイトルは忘れたけど人物事典だった。
肖像画にしては妙にリアルだし、てっきり写真と思い込んでた。
>>82
ありがとう、何かそんな感じだった(子供の時に見たきりなんで)
もう少し長生きしてたらなあ… >>82
リアルそうでいてやっぱりデフォルメのある絵だと思う。
そんなに瞳の大きい人がいたら実際には変だろう。 鹿児島で陶芸家やってる西郷隆盛のご子孫をテレビで見たけど、西郷さんの肖像画に似ていたよ。 肖像画にデフォルメがあったりウソの部分があったりしても
雰囲気はけっこう写してるということはままある 孝明帝。
肖像画は見たけど(モノクロで目鼻立ちもクッキリしてる)、泉涌寺にあるのとあまりにも違ってて「別人?」と思った。
大の外国嫌いだったそうだから「写真?けしからん!!」と断固拒否しただろうが。 日本に写真が伝わったのは
1841年にオランダから島津斉興に献上され、上野敏之丞が島津斉彬を撮影したのが最初なのか
1853年の黒船来航時に持ち込まれたのか
どっちなんでしょうか 河上彦斎もないな。るろ剣の某人斬りのイメージしかねえ(笑) 慶喜、島津、山内、伊達、春嶽が会議の記念にとった写真ってどこかで見れる? >>96
死後ならまだしも生きてる間に面が割れること出来んでしょ、やる事が事だけに。
近藤の写真は残ってるけど、切腹や討死の覚悟はあっただろうけど罪人として斬首…とは撮影当時は考えてもなかっただろうね
規律が厳しすぎたのも崩壊の一因だけど、緩やかだった頃に集合写真みたいなのを撮っていたならぜひ見たい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています