大久保利通 其の六
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大久保は西郷さんの人柄をよく知っていたはずだ。西郷さんが
命を賭けて最後の大仕事をしようとしてるんだから、行かせて
やるのが人情というものではないか。長年死生を共にした盟友を
切り捨て、平然と郷里へ兵を向ける。人間のすることじゃない。
権力を手に入れるとそこまで変節しちゃうものなのか。
権力の魔力は恐ろしいね。 大久保卿が今日の日本の体たらくをみたら何とおっしゃるだろう?何も言わず只落涙されるだろうか? >>3
命懸けならなにをしても許されるなんて考えは子供より始末がわるか! >>4
誰よりも金を使って権力を握ると思う
そこから先に何をするかは分からんが権力を手中に納めきったところで恨みを持つ奴の復讐に遇い…みたいな
大久保は大久保が生きた時代に頑張ったから値打ちがあるのであって「今いたら」の話題にしても値打ちはない
人っていうのはそんなもんだろ >>5
自分を慕う若者たちに惜しげもなく命をくれてやった西郷さんはリッパ。
大久保はただの権力亡者。鹿児島では大久保をよく言う者はおらん。 >>7
こういう私学校の能無し共みたいな奴が一番西郷を理解することができず、その挙げ句西郷を殺した 西郷はやや厭世的で、すぐに帰郷してしまうところがよくわからん。
あくまで薩摩を土台にして日本を変えようとしていたのか、もともと無欲な人なのか。
大久保は朝廷を握っていたから、その権威を利用してかつての藩主にも図々しく命令できた。
明治になって西郷との立ち位置がはっきりと違ってしまったように思う。
西郷も外遊していたら(しそうにないが)、二人の運命は変わっていたかもしれない。
西郷が厭世的である理由として
・本人の性格・気質の面
・禅や老荘を好む資質
・自己教育の所産
・江戸中後期の朱子・陽明学的武士教育の影響
など、如何でしょう。 >>6
今いたらを話題にする値打ちはないとか言いつつ、「誰よりも金を使って権力を握ると思う」
とか矛盾したこと言ってんじゃねえよw値打ちがねえなら、くだらない妄想書くなよw 大久保のために命を投げ出す者がいただろうか?
西郷さんはやっぱり偉かった。大久保とは人徳が
違う。 西南戦争は、西郷さんが私学校の連中の為に命を投げ出したのでは。
連中が西郷さんの為に命を投げ出してはいないと思う。
大久保公は、日本の富国殖産の為に自己を犠牲にしました。 大河キャスト出たな、大久保利ミッチー
しかし龍馬暗殺の黒幕候補にされると思うと胸糞悪い >>13
どっちでもいいじゃん。男心が男に惚れて〜♪だよ。
わからなければあんた日本人じゃない。西郷さんは
講談浪曲になるけど大久保はならない。 大久保の目の前じゃ震え上がって何も言えず、
こそこそ陰口たたくチキン共が西郷を盾にしただけだろ . -―- . さすが!! 非情の独裁者大久保!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
当時も今も西郷の考えが一切理解できない人間が西郷を狂信的にあがめるんだな 大久保利通は日本を切り開いた神である
もっと長生きするべき偉人だったのに惜しいな なんでこのスレ若干荒れてるんだ?大久保は素晴らしい政治家だと思います。 >>25
大久保はおろか西郷の事すら理解してない西郷狂信者が来るから
前のスレはこんなんじゃなかったのに >>26
だよな。なんか前スレはもっと平和だったし皆ちゃんと語ってた気がする… 話題そのものは前々スレぐらいで既に出尽くしたからな
後はドラマやら映画に登場した時にネタ的な話題ぐらいしか… 大久保より伊藤博文のほうが偉いと思う。まあキャラが違うが。 大久保は優れた政治家かもしれないが、人間として男として
武士としては西郷さんに及ばん。 嫌なことがあると何もかも投げ出すような男に、大久保が及ばないわけがない。 うろ覚えだけど、台湾出兵の件で清と交渉するときに「何かあったら責任は自分が全て負う」って言ったんだっけ?何かの論文に書いてた。凄い責任感だよな、俺には無理だわ。 >>34
清沢洌の『外政家としての大久保利通』だったと思う。
中公文庫だけど今は絶版かと。
ただこの本は太平洋戦争直前に書かれていて当時の無責任な政治家を批判する為に
大久保利通という”歴史上の人物”をモチーフにしたという背景がある。
事実に基づいて書かれているけれどそれに対する評価は当時の政治家への皮肉という意味合いが強くて
大久保利通の評伝として読むと違和感があった。 征韓論の時は遺書を書いてたらしいな
当時の政治家は文字通り命懸けだもんな、すごいわ
しかし台湾出兵の時の西郷弟の「何かあったら腹を切る」というのに対し、
「お前の命なんていくつあろうが国民には関係ないんだよ」という木戸の反論もわかる
どんなに政治家が腹括ろうが国や国民に利するものでなければ意味ない
まあ結局清との交渉で賠償金ゲットして琉球の帰属にも目途をつけた大久保最強だけど 元志士の明治の政治家の中で、一番好きだ
つか、この人くらいだろ、100パー尊敬できるの 大久保は大政奉還をどう考えていたんだろう?
小松らが大政奉還の実現のために奔走したり、倒幕の密勅を作成したり
矛盾するような動きを薩摩藩はとってるわけだけど。 「矛盾」といっているのは中村彰彦ら、根拠もなく坂本龍馬佐幕派説を言い立てている人たちだけで、
実際のところ、研究者でこの二本立てを矛盾と考えている人は少数です。
坂本龍馬の発言も武力討幕推進が圧倒的で、一部に武力を使わないかもしれないとも受け取れるものがある程度です。
大政奉還とは、幕府が政権の地位を失う討幕の好機でしかありません。
討幕派にとって有利な事象でしょう。
「大政奉還で討幕派に肩透かしを食らわせたのだ」という主張には根拠が見えません。 >>42
レスありがとう。大政奉還は大久保らにとって倒幕の布石だったんだね。
確かに、でないと小松や大久保らが大政奉還を目指す理由が意味分からんもんね。
ということは大政奉還は、慶喜にとっては倒幕を実行に移される直前の延命策であって
「英断」とか褒められたものでもなく、相当苦しい状況にあったということか。 慶喜には慶喜の目算があっただろうけど別に大久保らにとっても困る事じゃない むしろ、「江戸の幕府組織を破壊して新政府を作る」ということについては、
徳川慶喜と薩長及び土佐で意見が一致していた。
主導権をどちらがとるのかで争っただけ。
しかし、幕府を改組すればよいと思っていた江戸在住の幕府首脳や会津桑名にとっては、
大政奉還は許しがたいことだった。 袖にされた会津桑名が慶喜恭順後もヒステリックな抗戦を続けてたけど仮に負けなかったらどうするつもりだったのか気になるところだな 勝、榎本、小栗あたりは死ぬまで冷や飯食いになるんじゃない? 関係ないけど、大久保さんが堀次郎と長州藩の周布政之助・来島又兵衛らと宴会した際
周布と堀が寺田屋事件の一件で険悪な雰囲気になった際、一喝してその場をおさめた後
畳をはがして指一本で畳をのせて、場の雰囲気を和ませようとした逸話を想像すると笑える。
あの冷静沈着、無口でものすごい威厳と言われた大久保さんが畳芸w 訂正
>畳をはがして指一本で畳をのせて
↓
>畳をはがして指一本で頭に畳をのせて 政治家として大偉人の大久保さんだが
何より男前で、西洋人並の風格ですな 風格は西郷の方があったろう
そういう記録が多い
西郷はよほど雄偉な相貌してたんじゃなかとか 維新期のリーダーって皆風格あるように言われてるよな
武市や久坂は180越えで美形だったと言うし、異説はあれど坂本も大男
大久保や木戸は風貌に関しても外人からの評価が高いけど、西郷ってどうなの?
黒真珠のような瞳云々はサトウ評だっけ 西郷は髭ない方がいいと言ってたが写真を見比べたら髭ある方がいいよな ない方がいいよ。髭ある写真を見ても世間では「板垣退助?」とか言われるのがオチ。 板垣は無能っていうより人が良過ぎて駆け引きできないっていうイメージだけどな
面白そうな事ややらなきゃならん事には何でも引っ張り出されて「あぁ、うん、そうだね」って言ってる ここの人たちは異を唱えるだろうけど、今の政治家で大久保に近いのは、
やっぱ小泉だよ。
西郷は、偉大さは別として、置かれている立場は小沢だな。
10年先を見る政策、国益を守る点では、小泉なんてアメ公のポチレベル。
よく言われるのが、壊し屋の西郷、建設屋の大久保
近年稀にみる面白い政治家ではあったね、小泉。それまで何度も橋本龍太郎に
負けているからな。それを上手く国益を守る方向だったら評価されるけど。
政策がいいかげんすぎるw 小泉チルドレンは酷いし
品川弥二郎レベル >>60
麻生のじいさんが吉田茂。
吉田茂の嫁が牧野伸顕の娘。
牧野伸昭は大久保の二男。 >>60
祖先たって、母方のそのまた母方じゃないか。
本当の意味で、祖先を名乗っていいのは、直系(父方)だけだよ。 江藤の生首ブロマイドを眺めてニヤニヤしてたんだっけ? 過去スレで書かれていたけど、あの桐野(中村半次郎)でさえ、大久保が
睨みつけたら黙らせたほどの漢 それって桐野じゃなくて奈良原のことじゃないのか?
ソースが司馬か池波の小説だろうから、本当かどうかもわからん。 テンプレ無いみたいだから、叩き台みたいなの作ってみた。
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・幼少時。父が疑獄(お由羅崩れ)に連座。極貧の生活を送る。西郷は幼馴馴染み。
・親友の西郷が斉彬に抜擢され、藩中枢の空気を嗅ぐことになる。誠忠組に参加。
・斉彬死去。藩に大反動が起り、西郷が島送りになるなか、手練手管(囲碁)を
持って、久光に近づき、斉彬流の公武合体を吹き込む。公武合体にまい進。
・不屈の頑張りで、公武合体、雄藩連合を一応やり遂げるが、慶喜の策謀ですぐに行き詰る。
・勝海舟→西郷の示唆で、大久保も倒幕の意思を固め、岩倉と組んで、倒幕に向けて、
あらゆる策謀をやり倒して、明治維新(暗殺などという卑怯な事だけはやらなかった、そうです)
・維新後、太政官、大蔵卿、内務卿を歴任して、今に至る霞ヶ関官庁の原型を作る。
・以下、大久保が主導した事。(廃藩置県などは全員野球でやった)
・遷都
・殖産興業
・佐賀の乱鎮圧
・台湾征討の後始末。北京にて清国と直談判して、賠償金を得る。
・西南の役鎮圧。
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大久保さんがやった事、一つ取っても、とてつもない難事業だと思う。
そもそも下級武士が反論を操って、しかも公武合体、雄藩連合まで漕ぎ着けるなんて。
俺に任せろといって、本当に賠償までとった清国との交渉(相当強引だったみたいだが)
要するに、日本の歴史には稀な本物の大政治家だと思う。 ただ、大久保に暗い面があるのは事実のようですね。
・寺田屋事件の後始末の、田中親子の惨殺に関与?維新後これを指摘した
人物を左遷。
(そもそも寺田や事件にどう関わったかはっきりしない)
・どういうわけか、2度目の西郷の島流しからの帰還運動に自らタッチせず、
他人にやらせた。 江藤の件も暗いよね
乱の首謀者(巻き込まれただけだけど)が、逃亡したから極刑になること自体はおかしくないけど、
三条は内務卿(当時は木戸)の指示を仰ぐように言ったのに、
それをスルーして急いで裁判を行ったのは何故か
「明治六年政変」の毛利が主張してる私怨説wは有り得ないと思うが、
薩摩士族や西郷、板垣への牽制だけが理由だったのかなあ 毛利って誰を贔屓したいんだ?
大久保の本はそこまで貶してないのに江藤絡みの本だと… 阿部正弘サロン〜帝国議会開催まで藩とグループを背景にした主導権争いはずっと続いてるからな
主導権を握った側が何もしなかったという事はあり得ないし、それと争って敗れた側も大概の事をしてる。
どの程度悪どくて辛辣でモラルのない事をしたかは本人達以外には分からんだろう。
多分日記や人との会話みたいな証拠が残るような事は避けただろうから。 >>70
>寺田屋事件の後始末の、田中親子の惨殺に関与?維新後これを指摘した
人物を左遷。
詳細希望。この話、司馬の小説でしか見たことないんだけど。 >66
反大久保って何だよw
>71
三条、岩倉、木戸、その他多数の参議が江藤の命を助けようと躍起になってたの知ってたから、
江藤を東京に連れてくるようにという勅使と何が何でも会わなかったという話だったと思うが。
ま、近代以降の日本で一二を争うほど優れた政治家だろうけど、あの時代で言う事とやる事が
真逆のことをやっちゃったのは、それだけで十分に暗殺される理由にはなるだろうなぁ。
で、やっぱミッチーが大久保利通なのは、大久保利ミッチーと呼ばれるのを狙ってのことかな?
だとしたら、NHKもオヤジギャグが分かるようになってきたんだなw >>74
田中親子の件は決定的な証拠はないけどこの時期の前後は精忠組にとって有利になる行動をとってないのと大久保ならやりかねんって事で決めつけられてる匂いが… 余り言われないけど、寺田屋事件の頃までの、久光の第一の側近は
堀次郎(伊地知貞馨)なんだよね。寺田屋事件後にある事情で、藩政の
第一線からひいちゃうんだが。
その後、大久保は八面六臂の活躍をするわけだから、藩士から
特別恨みを買っていたって事は無いんじゃないかな。
寺田屋事件に関しては、道義的な連帯責任はあるという程度で直接
タッチしていないのかもね。 >>70
>どういうわけか、2度目の西郷の島流しからの帰還運動に自らタッチせず、
他人にやらせた。
大久保は、もし西郷と久光がまた喧嘩になったら、次は命はないと
考えていたんじゃないかな。
西郷の帰還後、西郷と久光の面会で、思いのほか西郷がおとなしかったんで
大久保は相当安堵してる。
「此節は一体議論もおとなしく少も懸念これなく安心仕り候」(新納嘉藤次宛手紙)
もおおおお〜〜〜〜知らぁんッ
何時ッでん大事な時におまんさぁは逃げてしもぉ!
子供より始末が悪か!! 大久保利通と諸葛亮とが被る。
1.政治に私情をはさまないところとか→大久保:西南戦争 諸葛亮:「泣いて馬ショクを切る」
2.自身は質素。
3.両者とも政治に公平だった事をのちに賞賛される
4.国家の発展のみに邁進
5.両者とも現実主義者
6.両者とも策士 >80
その条件なら竹中半兵衛なんかも当てはまるけど、
大久保は確実に野心があったと思うぞ。 大策士は案外、無欲恬淡としている、と海音寺潮五郎がいってたな。
竹中半兵衛、張良、劉白温、黒田官兵衛など。
そもそも大久保は、策を考えるタイプじゃなくて、色んな策をよく吟味して、
一度採用した策は、てこでも動かぬ意志でやり遂げる事に本領がある気がする。 >>82
そうなると本来は応変の策は不得意とされる孔明とは案外…
この人も野心(not君主)はあったように思うし 前回の龍馬伝。
最後の方、大久保怒ってた。
今回は暗殺者、見回組らしいけど
黒幕は、大久保っていいたいのかなぁ〜? ミッチーは前田慶次役でも大河に出てたな
NHK好みのキャラクターなのか? 大久保利通は子孫の麻生太郎の仕事ぶりを
どう評価するだろうか? 民主の福山哲郎は以前、bsTBSの番組で歴代の政治家で最も尊敬していると言ってた >88
民主党政権の経済政策と、インフラ&資源外交は麻生政権時に
開始されたものが多いから、仕事としては高評価になるんじゃないか?
ただ、正論を言ってたのに、小沢の謀略戦に負けた感が強いので、
その点は、自分が葬り去った江藤新平の方に似てるかも知れん。
>89
その割に、政府の失態を正当化しようと、ああ言えばこう言う的な口だけ男になってるな。
政治姿勢も能力も正反対だから、憧れ的な感じで尊敬してるのかもな。 論戦に勝つのが目的じゃどうしようもないしな。
何をするための議論か、何を実現するための謀略なねか。
結局は目的や目標が後世の評価に耐えうるかどうか。
失策、手段のまずさは減点の対象になっても軽蔑の対象にはならない。
浜口雄幸なんかはその類いだろう。 自民、民主云々より国民のレベルが大して上がってない事を嘆かれるでしょう >>88
麻生と大久保は血のつながりはあるんですか?
家系上、つながっているだけですか?
寡黙な大久保と多弁な麻生ではだいぶタイプが違うように見えますが。 大久保の次男牧野の長女雪子が吉田茂に嫁ぎ、
そこで生まれた三女の和子が麻生太賀吉に嫁ぎ、その長男が麻生太郎
女系だけど血は繋がっている 大久保と木戸って欧化主義に対してどう思っていたんだろう?
井上馨と同じ立場で、日本の伝統や文化は破壊しても構わないと
思っていたのかな。 欧化って言っても政治や経済のシステムでの導入と文化や生活面での影響は違うからな。
少なくとも行政制度や通貨管理・産業育成に関して欧米と同質かそれに対応できるものが必要だと考えていたのは間違いないだろう。
生活や文化に関しては好みの問題もあるし、欧化推進のキャンペーン主導の立場でもあった立場の人だから本当は反対でもそれを公言する訳にはいかんわな。
つまり>>98の質問に答えうるのはお亡くなりになったご本人のみということだ。 >98
少なくとも、明治維新で日本文化が破壊されたということは無かったんじゃないか?
西洋文化を導入しても、日本的に昇華して取り込んでたし。
せいぜい、留守政府が変更した時間の単位くらいだろうけど、
遅かれ早かれ変わっただろうし、文化破壊というほどのモノではない。
むしろ、現代のジェンダーフリー教育の方が、よほど文化と伝統を破壊してると思うよ。
>>98
木戸は井上と同じような感覚だろうけど大久保は結構葛藤ありそう 井上は進んで日本の伝統芸能を保護してるし。
鹿鳴館=日本文化の破壊、とか単純すぎる発想だね 大久保は内心、近代化のためなら日本文化は捨てたほうがいい、ぐらい思ってたかもな。
薩摩はものの考え方は保守的でも、物質的にはあんまりこだわらない所だし、
大久保の場合、薩摩的な鎖国根性を嫌悪していただろうし。 >>4
>大久保卿が今日の日本の体たらくをみたら何とおっしゃるだろう?何も言わず只落涙されるだろうか?
黒田清隆伯が今日の日本の体たらくをみたら何とおっしゃるだろう?何も言わず只泥酔して暴れられるだろうか? >>104
音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり もし大久保が近代化のために日本文化を捨ててもいいと考えていたなら、それこそ
大久保の目指していたものは劣化版西洋国家そのものだな。
大久保はそんなの目指していたのかなぁ。 大久保の屋敷は、表玄関と来客部分が西洋建築で豪華…
ですが一歩奥に入り、生活空間を見ると質素そのものの日本的建築w。
岩崎弥太郎が建てた屋敷も、東京に残っているけど、これとまったく同じで、
表は西洋風豪邸だが、裏に回れば日本庭園w。
何故かと言われれば、当時の日本は不平等条約改正が至上命題だったけど、
その条件が「日本が西洋的文明国になったら」でしたw。
外国人がよくやってくる表玄関たる東京には鹿鳴館があるが、一歩奥に入って地方に目をやれば……
そういう事だよ。
大久保は現実主義者だが、慎重論者でもあったから、保守的洋化論に近いのかな。
事例ごとの解決は模索したが、行政組織のような現実的な処理以外に、
西洋か非西洋かといった観念論には囚われていなかったと思う。
王政復古の直前くらいの西郷と大久保では、大久保の読みが西郷を上回ってると感じる。
見通しについて、かなり大胆な表現を使ってるよね。 だって西郷は島流しにあってたじゃん。
その間は小松・大久保が藩の要務取り仕切ってるし幕臣との折衝もほとんどこの二人。
誠忠組のほとんどは藩の端役にしか就けなかった中で万両単位の金まで動かせるようになった大久保。
そりゃもめるw >110
同感だがやはり大久保も小松にバックアップしてもらっていたのは事実
小松が亡くなった年の暮れに小松の墓参りに行った大久保は
こんなに早く小松が早死するとは思わなかったと
吉井友実と五代友厚との3人で嘆いている
後ろ盾だった小松が亡くなってから大久保は西郷と対立するようになる
暗殺された日の朝は3才の娘が泣きやまなかったので馬車に乗せて玄関前の馬回しを一回りして泣きやんだのを見てから家を出たそうだ
20日の朝日新聞夕刊に書いてありました 権力を持たないと理想を実現できません
徳川を徹底的に排除した大久保は賢い >>116
確かに明治初めの方はかなり嫌って廃除しようとしてたけど、
洋行後は使える人材は徳川だろうがなんだろうが出身関係なく登用してるよ
むしろ廃除されたのは江藤や西郷 政治家タイプの人間を排除する傾向が強まったとも言える。
旧幕臣で大久保に重用されたのは官僚タイプに限定されている。 まぁ、良くも悪くも、今の官僚至上主義的政治体制の基礎を築いた人だわな。 龍馬の考え
「徳川幕府を武力征伐したら日本の武力は内戦によりさらに弱まり、そのスキに外国に攻め込まれる
だから和睦による権力譲渡が必然」
しかし大久保は武力征伐を初めは考えてた
うーん・・・大久保は賢いとは言えないかも それ、小説内での作家の「こう坂本龍馬は言ったことにしよう」発言。
実際の坂本龍馬の発言は、
「大政奉還が徳川慶喜に受け容れられなかったら、海援隊を率いて徳川慶喜を討ち自らも死ぬ」、というもの。
討幕派そのものですよ。 なるほど
しかし和睦を先とした考えの元での考えだから
坂本思想=まず和睦 だめなら武力征伐やむなし
大久保思想=武力征伐
に変わりないでしょ 大政奉還を和睦姿勢の表れと捉えるのが間違いの元で、
討幕派にとっては大政奉還は、幕府を日本国政府の座から引き摺り下ろす策でしかないわけで、
薩摩も徳川慶喜の大政奉還発言が出ると、土佐と共に慎重姿勢のあった朝廷を懸命に説得し、受諾にこぎつけています。
坂本龍馬にとっての大政奉還も、同じであったと思いますが。 和睦を元にしてるに決まり
何言ってんの?
武力征伐ならとっくに開戦してるさ
血の気の多い西日本の人間性からしたらさ 1万円札は聖徳太子でいいから
1000円札にしてほしい
大久保利通経済産業大臣
木戸孝允文部科学大臣
を激しく希望 大村益次郎防衛大臣
江藤新平法務大臣
これは鉄板だろ >>136
北朝鮮へ丸腰の交渉を唱えるも、内閣ににおいて受け入れられず、大臣を辞職
後に下野し、鹿児島にもどるも、政府に不満をもつ地元の若者の中には
元大臣をかつぎ、政府に反乱をおこす企てが進行するのであった・・・ 大久保は現代に生まれていたら芽が出なかったかもしれない。
大久保のような剛直なやり方は、現代ではうとまれるだろ。
維新政府の要人たち=武士道的教養の持ち主たち だからこそ大久保のような人間がリーダーたりえたんじゃないかな。 >139
そうかな?
結構、小沢が近い気がするけどな。
但し、小沢一郎+政治理念−金銭欲だけど。
派閥の身内に与える「利」は、小沢のようにちょろまかした現金を渡すんじゃなく、
権限を渡すだろうから、小沢とは比較にならないほどの影響力になると思うが。
>>140
馬鹿なことを言うな!、小沢ごとき己の保身しか頭にない男と
大久保を一緒にするなど、大人と赤子以上の差があるぞ!! 小沢はどう見ても西郷の劣化コピーだろw
西郷自体があれだがw 後世の人間から見たら偉大な政治家だとは思うが、
当時を生きた士族や平民からしたら小沢と似たようなもんだろうなあ
なんせ殺されたぐらいだし 士族からは特権を次々と奪った推進者であり、また多くの
士族が望んでいた征韓論を押さえ込んだ張本人として恨まれる
のはわかるが、国民から嫌われてたというのはなんの情報?
大久保が清朝に談判に行って決着をみて帰国した時は凱旋将軍の
帰国のような大歓迎ムードだったみたいらしいし、大久保の意見で
地租の軽減も行われたよね。地租改正などの一連の改革に対しての
庶民の怨嗟は大久保個人というより明治政府そのものに対してだろ。
暗殺について言えば、大久保を暗殺した島田一郎らは大久保のみではなく
斬奸状に切るべき存在として伊藤博文、木戸孝允、岩倉具視、大隈重信、
黒田清隆、川路利良の名を挙げている。
地租軽減は大久保だってしたくなかったけど士族の武装放棄が続く状況で大規模一揆の誘発までさせたくないからしただけ。
維新後の徳政を待ち望む社会、身分社会から非身分社会への移行、金流出によるインフレ、維新政府分裂による政権不信、税制の未整備と片寄る資本投入による貧富格差。
茫漠たる不安と不満が充満する中で致し方なしにやったというのは日記や書簡からも明らか。
不満を解す一手としては正しいけど酒税やらタバコ税など片寄った物品課税を副産物として発生させた。
その後の戦費調達などを含め徴税や財政のやりくりに関しては悪影響を残した。
地租軽減に至る判断を良かったか?悪かった?を評価するのはとても難しいところだ。 大久保個人は一介の政治家であって、宗教家や博愛主義者でもなんでもないんだから
政治判断に基づいて地租軽減を行ったというのは当然。効果・実態はどうであれ、
大久保の建白は国民にとって悪くは見えなかったんではないかな。 >>141
だから
>小沢一郎+政治理念−金銭欲
と書いてるんじゃないのか?
逆に言えば、大久保は理念があり無私だったと書いてると思うが。 何よりも能力が違いすぎる
小沢など所詮選挙ごっこと派閥ごっこしか出来ない無能な金食い虫に過ぎん >>149
>選挙ごっこと派閥ごっこしか出来ない無能な金食い虫に過ぎん
これが、イコール政治理念が無いと言う事と、金銭欲があるって事だろ?
小沢は、少なくとも権力の掌握に関しては有能だが、得た権力を、
カネや保身の為に使うから、国家や国民に害があるだけ。だけってのも変だがw
大久保も権力獲得の為には、小沢なんて足下にも及ばないほど汚い事をやってる。
でも、それで得た権力は、自分の利得の為には使わず、あくまでも公のために使ったから偉大なんだよ。
ま、こんなところで小沢なんかの名前を見たくないわな
本人が大久保を誉めてるから小沢信者が工作してるのかな? 大久保は明治全期を通じての大宰相であり大政治家であった。
日本の宰相像はすべて大久保に発していると思う。
大久保から歴代の宰相が延長していると思う。
したがってあとは宰相の名前を挙げればいいようなものである。
・・・・・松本清張「史観宰相論」 >151
小沢信者なら、小沢には政治理念が無くて金に汚く国家国民に害があるとは書かないと思うが。
大久保は榎本や大鳥らは助命して自分に逆らって対立した江藤を抹殺した
江藤の抹殺したことだけはどの政治家も批判していた
ちなみに榎本はかなり優秀な政治家だと思う。
明治初期の大隈は輝いていた。
財政、外交の実力を持って有利な立場にあるはずの薩長出身者
を圧倒していた。
大久保が暗殺された後、政治闘争に敗れた大隈は政府から
追放されてしまう。
後年総理になったときには別人のように劣化していた。
大久保が暗殺されなければ、大隈も大久保の懐刀として
まったく別の政治人生を歩んでいたに違いない。 >>155
大久保は黒田や西郷が助命を言い立てたから仕方なく榎本を助けたが、
本心はかなりおもしろくなかったらしいことが日記から読み取れる。
しばらくは、榎本に敬称つけてなかったもんな。
同じ日に書いてる他の人物には「○○氏」とちゃんと氏をつけてるのに、
榎本だけは「榎本」。明らかに故意すぎてワロタw >>157
大久保の正統後継になる目もあったが、いきなり民権派に鞍替えして
五代友厚ブチ切れてたもんな。
まぁ大隈が有司専制引き継いでもどれだけ持ったかってのはあるが。 >>158
それは知らなかったなあ。
なにが気に食わなかったんだろうか。
大久保と対立した要人たち
榎本武揚
大村益次郎
江藤新平
なんか共通点ってある? >>160
他に対立した中で大物は慶喜と西郷か。渋沢や福澤も嫌ってる感じ
共通点はKYっぽいのと我を通す性格?
でも調整型の木戸もすごい嫌ってるから一概にまとめられないか >160
同時代に並ぶ者のないほどの専門知識と立案企画力。
加えて、オランダ語とそれ以外の外国語の読み書きが出来る。
ってのが、三人の共通点且つ、大久保に無い部分。
大村と江藤に共通するのは、筋の通らない話には絶対に折れないところ。
まあ、大村と江藤は気が合い交友があったそうだ。 >>164
江藤は友達が多かったし、冗談もよく言い、書生からも尊敬され、死後も供養され続けてたが、
それで人間性が今一つと言われたら、人間性が良いって、どんな聖人君子だよw
>>157
小沢一郎に政策能力があるかどうかは解らないが、
権力の中枢にいたが権力闘争に敗れ、野党の中心人物
になったという点で、小沢は大久保より大隈に似ているのでは? 榎本が伊藤に大久保は厳しい人だが
ロシアの交渉が締結すると
大久保の自分に対する態度がコロッと変わったとボヤくと
伊藤が大爆笑したそうだ… 司馬の「歳月」読んだんだけど
大久保、ひどすぎじゃね。こういう事してて嫌われなかったんだろうか? 大久保を評価しさまざまなことも容認した岩倉だが
江藤の処罰だけは激怒した
大久保が対立した政治家
西郷隆盛 大久保は小松と久光との間を周旋したのに後々のことが… 薩長閥をまとめきれず
木戸孝允 大久保と対立したけど政界から遠ざかったのは木戸は病弱なのが要因
江藤新平 大久保が恐れた政治家
榎本武揚 ロシアとの交渉が締結すると和解
陸奥宗光 薩長閥が支配する政権に激怒
勝海舟と大久保一翁のふたりは日本のことも考えて幕府は負けを選んだと思っていた
次第に大久保と合わなくなり政府に対して距離を置くようになる
>170
まぁ、江藤の場合は、江藤が里帰りし始めた翌日から討伐軍の編成をし始めて、
反乱起こす前に討伐軍を向かわせて、反乱を起こさせるために佐賀士族を散々挑発して、
江藤を東京へ連れてこいという勅使を無視し続け、形だけの裁判で処刑して、
さらに刑に規定のなかった晒し首にしたというムチャクチャをやったからなぁ。
だから、江藤を好きな奴が大久保を嫌いだという気持ちは理解できる。
江藤の件からすると
西郷暗殺計画もありえるよね。佐賀の乱の挑発行為とかもあるし。
西南戦争も大久保が引き起こした感じなのかな。 なんか木戸が誰か宛ての手紙で書いてたよね。
「大久保は普通に話をすれば解決できるようなことをわざわざ裏から工作して
かえってややこしくするから困る」みたいな。
>>173木戸はてめえの子分が大久保になびいてくので
嫉妬しまくりですから・・・ 意外に木戸も大久保に毒殺されてたりしてなw
なんで、大久保の手を握りしめながら死んだのか、二人の関係を考えても不自然だ。 能力があって自分に従う者は出身藩の分け隔てなく使う。
自分に逆らう者は徹底的に潰す。 >175
小松は早死するし西郷とは対立し西南戦争も起きてしまう
頼りになる人達の死はつらいはず 小松 西郷 木戸
木戸の臨終の際伊藤は号泣している
>176
大久保のやり方に不満もあり
勝海舟は激怒して暗殺されても驚かず
大久保の葬儀に参列していない… >>175
木戸って版籍奉還とか征韓論とか肝心なところで病気だったり事故で怪我してたりするが、
もし大久保が仕組んでたんだとしたら怖ぇー
日記で江藤の事ボロクソ言ってるらしいね。嫌われるタイプだったんだろうな。
有能なんだろうけど。 邪魔になった田中河内介父子の暗殺に関わった可能性大。
武力倒幕路線の障害になった坂本龍馬の暗殺に関わった可能性
も否定できない。(直接または間接に見廻組に情報をリーク。) 俺が大久保なら、自らリークはしない。ただ、情報をつかんでも坂本にしらせない。
どっちに転んでも、まだ駒としては使えると判断するから。 >182
大久保が政敵が多いってのは納得できるが、江藤の政敵って大久保と汚職コンビだけだろ。
表舞台にいた期間も7年だけだし。 大久保って薩摩人の中では独特だよね。なんか爽やかじゃない感じ。
桐野のほうが魅力的に思えるもん。 大久保が長生きしていたら、日清戦争にふみ切っただろうか?
日英同盟を締結しただろうか。
韓国を併合しただろうか(ここまでは生きているの無理だね)。 >185
ビスマルクに感銘を受けてたから、朝鮮半島にはもっと早い時期に租借地を持って実質支配を強め、
清とは列強と連合して戦争して、領土を分け取りしたあと、ロシアとの衝突は避けられないから、
結局は日英同盟になってたと思うなぁ。
日英同盟自体は、英露の覇権争いがあったからこその物だし。 >>185
日韓併合は1910年
大久保は1830年生まれだから生きてりゃ丁度80歳だから
長寿ホルモンがたっぷりあったら絶対可能 長生きしたとしても
実際どう判断する解らんことだね。 大久保 木戸 西郷 は若くしてなくなったな。
この3人が山県並に長生きしてたらそうとう違っ手多と思う。 その3人は多分にメンヘラっぽいところがあるから、
案外山県よりも老害まきちらしていた可能性があるよw 木戸と西郷は体の具合よくなかったみたいだから長生きできなかっただろうけど。
木戸は反乱とかが相次いで心労で寿命縮めた感じだが。無難に生きても長寿じゃないだろうな。
大久保は比較的健康だったよね。富士山とか登ってたみたいだし。
広沢とか大村とかの暗殺された奴も長生きできそうな感じだったかな。 木戸は胃がんだそうだからあまり寿命は変わらないだろうな
西郷のフィラリアって人命に関わる病気なんだろうか?
大久保は子供の数からして健康そうだ、暗殺時にも妾が妊娠してたんだよな
広沢も写真見る限り恰幅の良い健康そうなイメージだ 西郷の金玉肥大はフィラリアの後遺症だろ?
金玉がデカくて死ぬなんて事は考えられない。
木戸以外は概ね皆さん健康だったんじゃないかな。 西郷が写真撮らせなかったのは、金玉肥大が理由だろうな。 薩長同盟に中心的に役割を果たした
西郷、小松、大久保、木戸らがこんなに早く早死するとは
伊藤や黒田は予想していなかっただろうね。 坂本中岡大久保は暗殺、西郷桂久武は自決、小松木戸は若くして病死
同席してた黒田や品川も60前に死んでるし、長生きしたのは土方くらいか 「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。
それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。
明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。
明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ」(『済世遺言』)。
大久保は長命した場合、明治21年以降は第一線から身を引いて
元老としてどの程度政策決定に与るかってとこですね。 大久保が生きてれば、大久保を起点とする有司専制と、一の秘策によって形式的にしても
天皇の意志は政府に勝るという悪しき先例を作ってしまった問題は解決出来ただろうか。
これらと、日露戦争の勝利が絡み合って、昭和の軍部独裁に繋がっていったと思うんだよな。
一番の元凶は、権力を私した山県有朋なんだろうけど。 いにしえから、この国の権力者は天皇の権威を利用してきたわけだから、
山県や昭和の軍部もまたそうしたとしても、べつだん不思議はない。
そもそも倒幕維新が天皇の権威のもとで行われたわけだし、
宰相としての大久保もフルに天皇を利用した。
そういう意味では大久保は日本の権力者の類例に漏れない。
江藤あたりなら、天皇を残しながらも、旧来の天皇制と決別するような仕組みを考えたかもしれないがな。
>いにしえから、この国の権力者は天皇の権威を利用してきた
つ源頼朝・徳川家康 >>180
超リアリストの大久保は同じく超リアリストの岩倉と共謀して
まさか意のままにならない佐幕派の孝明天皇を... 大久保が明治憲法作成の主宰者だったとしたら、どんなものになってたんだろう ? >>203
大久保とは無縁の系統の能力が必要だから、現代から見たら、かなりグダグダになってるだろうな。
論理学や弁証術なども、頭では分かっていても、言葉や文章で表現するのは苦手だろうし。 大久保が作るとなったら有能な人材集めて議論して作るだろう。
最後は大久保が決めるだろうけど。 帰朝後の憲法についての意見書では大久保はイギリス派、木戸はプロイセン派
そして大久保が生きてたら明治14年政変が起こらずイギリス派の大隈が失脚しない
でもプロイセン憲法派の井上毅を登用したのも大久保なんだよな
大久保なら大隈と伊藤・井上毅のどちらを中心にしただろうか
あれ?大久保は、天皇と議会の扱いだけ英国式で、あとはドイツ式が気に入ってなかったっけ? 島津家家来に過ぎない大久保が天下の老中に
風邪で耳が遠いふりをしたり、攻めるものなら
攻めてみろとすごんでみせたり。
10年前だったら想像すらできなかった。 幕末の大久保っていまいち存在感ないよね。
戊辰あたりでは京都でいろいろやってそうだけど。 次男の牧野伸顕は大久保の驚異的な粘り強さは受け継いでいるものの
すさまじいまでの権謀術数は受け継いでいないようだ。
(生きた時代が違うせいもあるが。) 息子に政治の才能が受け継がれるわけないしな。
二代目は良くて凡だよ。 >>208
主としては井上毅とお雇い外国人の意見を尊重しつつ
どっちが臨んだよりも微妙に大権を弱体化させた所に伊藤が落としたって感じ。
井上馨辺りも絡んでそうな気もするがw
まぁ立憲については、官僚vs民権派でごちゃごちゃしまくってたから、
妥当な落とし所だったのかなぁと思う。福沢もその辺心配してたね。 大久保が英法派と言うのは、何となく漸進主義のイメージに合ってるけどね。
日本もコモンローとエクイティの国になったんだろうかw ヨーロッパの法律ってそんなに違いあったのか。
どれを採用してもさほど代わらなかったと思う。 >>218
日本初の内務侯は大久保だから、事実上は大久保が日本初総理。 西郷は求心力が薩摩限定だし、
木戸は革命家としては一流だが、政治的な腕力が無い(本人がそういうの好きじゃない)。
大久保は藩閥を超えて求心力を持った最初のリーダーと言えるだろうな。 けど木戸は海外行く前まではかなり権力もってたろ
自分で参議増やして権力分散させたけど 木戸はいちばん人望あっただろうが、
大嫌いな相手(西郷とか)を政治的に懐柔するなどの腹芸ができないタイプだろ。 木戸は西郷嫌いというよりも軍人に政治的権力を持たせるのが嫌だったんだろ
理想はわかるが木戸はもう少し権力を持つ事を受け入れてればなあ
まだまだあの時期は大久保的にやらざるを得なかったと思う 江藤新平も己の大望を果たさんためには
大久保卿のような命を削る如き粘り強さが必要だったんだよ あれもね、岩倉使節団の政権への復帰を拒絶したのが江藤だったということを考えると
先に手を出したのは江藤なんだよね >>227
別に拒絶してないだろ、邪魔出来るような権限は江藤にないし。
外遊組や長州閥の封じ込めとかも言われるが、江藤が糾弾したのは山県や井上に対してであって、
長州閥トップで外遊してた木戸と江藤は対立してないし普通に仲良い >227
大久保が帰国後に勝手にすねて引きこもっただけじゃなかったか?
誰も何も言ってないしやってない。
出来るとしても三条・岩倉くらいしか、その権限は持ってない。
西郷も大久保も気に入らない事があるとすぐに引きこもるから子分は大変だな。 あの時点で争乱など起こして何をやりたかったんだ江藤は!
急がば回れという言葉を知らんのかアホんだら 江藤は前原や西郷と違って巻き込まれた。(西郷も巻き込まれたんだと主張する人はいるが…)
しかも争乱を起こす前から大久保が鎮圧に向かってた。
大久保を派遣するのは新政府も合意してたから新政府が起こさせたとも言えるな。
前原や西郷は後の世の為にあそこで死んどいて良かったと思うけど、江藤はもったいない
どうにか生かしておくことは出来なかったのかな >231
佐賀の乱は、反乱を起こす2週間前に鎮圧軍が出発してる。
反乱が起きたのは、鎮圧軍の先遣隊が佐賀に着いた翌日。
反乱を起こしたのは、座して死ぬよりはという感じ。
あまり知られてなかったり、大久保関連の書籍に書かれていないのは、
大久保が作った反乱だというのが、あまりにも明白だからだろう。 大久保はなんでそこまで江藤を処分したかったんだろうな
江藤にはここまでした癖に板垣とかは割とスルーだし 強いて遺恨説を挙げるなら、大蔵省を留守中にめちゃめちゃにしたことだが、
おそらくそうではなく、彼特有の警戒心だと思うね
征韓論政変での江藤の台閣辞任、帰国から佐賀士族蜂起の危険を察知したと思う。
なぜならその前にも雲井の事件が起きている。さらし首は江藤が最初じゃないからね >235
大蔵省はメチャクチャにはされてなかったと思うが。
むしろ、薩長閥の民間癒着や汚職を追及して綱紀粛正に動いただけ。
それと、学校と裁判所の建設予算を要求しまくった程度だろ。
佐賀士族は確かに蜂起しそうな雰囲気はあったが、江藤と島で沈静化に向かっていた。
実際には大久保が、新政府内でも傲慢で評判の悪い岩村高俊を佐賀県令に任命して、
佐賀士族を挑発しまくった結果、反乱が発生している。
岩村が佐賀県令だった期間は、江藤離京後から江藤処刑直後までで、実質3ヶ月に満たない。
反乱を起こさせることが目的だったと思わせるような行動や人事だった事は否めない。 あの時期すごいよなあ。2.3年まてば時勢代わりまくってたのに。 佐々木克さんも大久保の行動がいまいちわからんみたいなこと書いてたな。
強いて言えば予算を分捕ったことが彼を激怒させていたか。
しかし江藤は三条岩倉とも交友が深い。とすると、征韓論政変での留守政府派との対立で、
大久保が病的な不安に駆られ、佐賀県士族の動向を極度に警戒するようになったか… 戊辰戦争以来、大久保と江藤が意見対立すると必ず大久保が負けている。
江藤と連名で起草した、国政改革案も、実際には江藤一人で書いている。
明治二年以降の江藤は、現代でいう内閣官房長と法制局長のような仕事を
ほとんど一人でやっており、国体などの仕組みも三条や岩倉の依頼で作ってる。
留守政府で、学校や警察制度も早々とまとめて実施していく江藤を
同じ国作りの才能を持つ大久保としては、非常に邪魔に思ったのかも知れない。
と、まあ、それは置いといて、近現代の日本政府の性格って大久保にどことなく似てない?
似てないだろう。大久保は私欲で金稼ぎしないし。
外交問題でも強気な時は強気だし。 >>239
問題先送り体質は現日本政府と似てるが、それは慶喜就任前までの幕府もだったからなあ
そういや大久保は慶喜にも負けっぱなしだな 江藤は苦手な政局に首を突っ込まずに、
大久保の下で政策の実現に専念していれば良かった。
そうすれば、大久保により自由主義的な方向に
影響を及ぼすこともできた。 西郷の下で政策の実現に専念していた江藤を
西郷ともども陰謀で蹴落としたのが大久保でしょうに いつの時代でも政権なんてキレイ事では獲れないってことだな 良く言えば強力なリーダーシップ
問題はそこまでして実現したかった政治理念がいまいち見えにくいことではなかろうか 大久保と木戸は対立関係だったの?協力関係だったの?
普段は対立関係
政府がヤバイレベルの非常時は協力関係
政府の維持は全てに優先する 失敗したが、木戸を追い出そうとした時期と
木戸が辞表を出しまくりで引き留めに必死な時期と
どういう心境の変化があったのだろう 大久保と木戸がガチンコやったっつーと、明治二年の待詔院学士の一件かな?
この頃の大久保さんは空回りが多いw >>248
辞める辞める詐欺だと思ってたら台湾征伐の時にマジで辞めて下野してしまったので、
それ以降は必死になったのかもしれない
今日はその連れ戻しが成功した大阪会議の日だなw 仕組んだという程のものでもないだろ
大久保が山口まで迎えに行こうとしてたから、流石にそれはちょっと外聞が悪いw
っていうんで大坂にセッティングしただけ ここって大久保好きより江藤、木戸好きの方が多くないか? 大久保の良い所って、教科書的な業績と、私財をなげうってでも国政に精励したってことでしょ?
で、悪い所って、自分の理想というか野心のためには、どんな汚い手を使っても殺したってことでしょ?
この2つの特徴を持つ人物は、悪い所のやり方で一般ウケするかどうか決まるよね。
全く隠さない信長タイプはウケるけど、陰湿で隠蔽体質の家康や大久保みたいなのはウケない。 業績にしても大久保個人でなにかしたってのはないんじゃね?
江藤処刑して西郷反乱させて倒してその後なにかやったならいいけど
なにもやらなかったしね。 半年前は
西郷誅殺と同時に大久保を殺した島田は会津の誇り
とか言っていたくせに でしょ の人は西郷スレにも居たな。
要はいちゃもん付けたくて主観が強くゆがんでいるな。 >257
大久保が優れているのは、必要な能力は他から見つけてきて、自分はその采配と管理に徹した所。
個人でどうこうと言ってしまえば、歴史上の政治家のほとんどが個人では何もやってない。
江藤から西郷の反乱までは士族の反乱や一揆が多くて行政上の後始末があったから仕方ないけど、
日本の主権範囲の確定や、殖産興業のために、かなり確実性の高い仕事をしている。
国の制度としては、留守政府下でほとんど作っちゃったからね。
>259
オレの事を言ってるなら、西郷スレは見てないから別人だわ。 今後は留守政府の評価が高まると同時にそれを自身の復権のために
陰謀で潰した大久保の評価は下がるんじゃないかね 具体的な大久保の功績ってなんだろう。
征台の時に中国との交渉で沖縄を日本だと認めさせたとか
そんな所? とにかく不平士族を鎮圧し、明治政府を国内的には安定させただけでも
常人にはできがたい事なんじゃね。
国内を安定できたのは軍を整備した
大村なり山県の功績っぽいけど。 軍が国内の反対勢力ににらみを効かせた功績が大きいのは確かだけど、
それだけで国家運営が上手くいくってほど物事は簡単なモノじゃない。
軍事政権が国内を完全に武力で掌握してても、上手く運営されてない
国はいくらでもあるでしょ。
行政・経済・司法・その他、諸々の施策が当を得たモノで国民各層が
それをある程度認めていないと、国の運営は上手くは行かない。
大久保の凄いところは、藩閥の壁をある程度越えて有能な人材を
どしどし登用して、かれらに良いと思われる施策をどんどん実行させた
その度量と見識だと思う。
大久保の施策に対しては「有司専制」という批判が寄せられていて
それはかなりの部分事実ではあったけど、その専制が国民に対して
それなりの利得をもたらすモノであるのならばそれはそう悪いモノでは
無かったと言いうる、というのが大久保を擁護する人たちが主張する
論理だし、そこに妥当性を見いだすかどうかが彼を評価する人と
そうでない人とが別れるところになるんじゃないでしょうかね。 大久保って最初から藩を越えた登用してたっけ?
専制政治ができるようになってから藩閥関係なくとか言ってもなんか違うんじゃね? 専制政治だといくらでも藩閥政治できるわけだから
事実上、大久保政権となって藩を越えた登用に良さを感じる。 なるほど
個人的には最初に政敵潰しやってた印象の方が強いからそういう思考にはならんかった まあ、江藤の件などは苛烈。
大久保は彼の下について補佐・助言者になるものには雅量があって
対等に接して、かつ脅かす存在を潰すことには遠慮がないタイプと言えようか。 >266
黒田清隆や西郷従道が彼の子分だったから藩閥政治をしていた印象が強いかもしれないけど、
全盛期の大久保の片腕として働いた一番の大物は長州の伊藤博文と佐賀の大隈重信だった。
実際問題、薩摩では西郷の人気が圧倒的すぎて、大久保に従う人間はあんまり居なかった
というのが実際のところ。
倒幕の過程では大久保の実務家の器量というのは衆目の認めるモノだったし、
西郷との連携が上手くいっていたから薩摩の人間は大久保の言うこともきいていたけど、
幕府という大きな敵がいなくなってからは大久保の統制は効かなくなっていた。
感覚的に、薩摩人の中で「武断派・能吏派」を分けるとすると、おそらくは八対二(ことによると
九対一?)ぐらいの割合で武断派の方が多いので、武断派の英雄の西郷には味方が大勢いたけど
大久保の力を認めて付いてくる政治・行政的な能力・才覚を持った人間はあんまり居なかった。
だから大久保はしょうがないんで、薩摩閥の中以外から自分の能力を理解し協力してくれる
存在を見いださなければならなかった。
当時は薩長閥の情実人事が新政府部内ではびこっていて、それに不満を持つ他藩や幕臣出身の
能力のある人材が相当冷や飯を食わされていたので、そういう人間が大久保の元でならば
「やりがいのある仕事」が出来るという事に感激して集まってきたという側面もあるかな。
大隈に関しては最初は排除しようとしてなかったっけ
まあ後で重用したけど 初期に旧幕臣を新政府に取り込んだのは大隈、伊藤、井上ら 後ろ盾は木戸
大久保は洋行前は旧幕臣締め出しにやっきになってたけど、
洋行で殖産興業に目覚めてからこだわらなくなったんだろ
目的がはっきりしてきっぱり切り替えたからいいんでね、ってとこか
薩摩(西郷や久光)の後ろ盾が無くなったから藩外の人材を求めなければならなくなったが、
逆に、薩摩のしがらみがなくなったおかげで自由な登用が出来るようになったとも言える ああ、それはいえてるね
木戸ら長州の主要メンバーは、よく知っている長州人をしばしば推挙したのも事実だろうが、
幕末に脱藩志士のシェルターになってたという地盤もあり、
実際には登用する人間の出身にはこだわりがなかった
木戸の腹心槙村京都府知事の側近なんか会津の山本覚馬だもんな
それに対し薩長で固めるべきだと主張してたのが大久保で、
それには幕末の政治的駆け引きを通じて生まれた
旧幕臣への抜きがたい不信感があったのはもちろんだが、
薩摩藩士族を背負っているというプレッシャーがあったのは大きかっただろうな
征韓論政変で西郷と薩摩士族を切り捨てることになったのは痛かったろうが、
それによって大久保という果断な政治家が生まれ、
それを政府内の実力者たちが支える体制をとりやすくなったのは大きい
しかしそれから、実際に薩摩に手をつけるまではけっこうかかったけどね >>274
明治初年の西郷や大久保が保守派で人事が薩摩贔屓だったのは、
久光と薩摩士族の存在が原因の一つだろうね
その点敬親はすごい物分かり良いし、長州の不平士族は早めに鎮めたから、
木戸は長州に顧みる必要も無く改革派として動きやすい。士族の規模も違うしな >明治初年の西郷や大久保が保守派で人事が薩摩贔屓だったのは、
>久光と薩摩士族の存在が原因の一つだろうね
うん、もちろんそれもあるんだけど…大久保については、明らかに
人事一新しなければ旧弊は改まらず、よって旧幕臣の登用など論外だし、
新しい考えを持つ薩長の志士が政府運営を担うべきと、真剣に深刻に思っていた節がある
それはそれで、理屈としては正しいと思うんだよ
ただし現実的には、旧幕臣の実務能力を利用せずに
あの不安定な時期を改革を進めながら乗り越えるのは難しかったろうけど
特に悪貨贋貨問題は、大隈伊藤の迅速かつ的確な指揮の下に有能な旧幕臣が動いたからこそ
重大な外交問題に発展させずに乗り越えることができただろう 大久保が出身地に関係無く登用したのは、同郷人に嫌われていたという事が発端だと思うけどな。
有司専制に善悪はあるけど、山縣が悪い方向へねじ曲げてしまったので、悪い印象があるよな。 大久保がもしあそこで暗殺されずにもう少し長生きしてたら、
というのはけっこう想定しがいのあるい「歴史のif」だよな。 >>278
大体が伊藤らが引き継いだからそんなに変わる気もしない
憲法がややイギリス寄りになるぐらいじゃない?
死ぬ間際の話通り10年後に引退したら大久保がどんな晩年送ったかの方が気になる いや、後を継いだ伊藤も、山縣や大隈との政争とかがあったし
政権運営は必ずしも順風満帆じゃなくって、内政も外交も
けっこうブレがあったじゃない。
大久保が絶対的に強い立場を保ったまま明治政府を
引っ張っていったなら、良い方向であれ悪い方向であれ
もっと軸がブレない国になったんじゃないかと思うのさ。 大久保は、強い意志で政策を貫徹するという意味ではすごい政治家だと思ってるが、
政策的に「ぶれない」というほどの明確な方針、「軸」があったのかな。
わりと問題先送りしちゃうし。
もっとそういう、国の行く先についての自分の見通しを表明していれば、
あんなふうに暗殺されずにすんだ可能性もあるんじゃないかとも思う。 大久保自身は明確なビジョンを持っていたかって言うと、
必ずしもそうではないような気がする。
部下に様々な事態・事案への対処法を検討させて、
その中で一番良いと思われるモノを見定める際の判断力と、
その判断で選んだ政策を実現させるために全力を尽くすという
部分に非凡さがあったと思う。
最善を目指して国を引っ張ると言うより、次善・次次善の
案でもいいから「今現在の段階で実現可能な政策の実行」に
全力を傾けるという印象がある。
その「一度こうと決めたら全力で問題解決に当たる」
という部分を評価してる。
頻発した不平氏族の乱や西南戦争を乗り切れたのも、
この大久保の「こうと決めたら退かない」という強い
姿勢があったからだと思ってるし。
伊藤・山縣・大隈あたりがリーダーだったら、
あそこまで果断に物事を進められなかったんじゃ
ないかな。
大久保が薩摩以外の出身だったらちょっと違ってたと思います。
薩摩出身の大久保が、薩摩はおかしい、西郷は筋が違ってる、と言うことが意味があったし、
大久保の信用につながった。 >>282
同意!
木戸あたりが、大久保にものすごく腹を立てつつも
ものすご〜く高く評価していたってのも、そのあたりだろうな。 木戸からすると大久保は目先の事に囚われすぎで
大久保からすると木戸は現実味のない理想論者すぎで
上手く噛み合ってりゃお互いの欠点を補いあえたろうにどうしてこうなった >>285
あれでも頑張ってうまくやった方だと思うよ…あれでも…
ねえ伊藤くんww
下手したら木戸なんて江藤以上に邪魔な存在なのにあれだけ尊重したのは、やっぱり
長州のボスであることと、ハンパない知識量とコネが大事だったのかね
大久保は木戸コネ使いすぎだろ… >>285
木戸は身の毛もよだつ程大久保が嫌いらしいので仕方ない
それでも取り持った伊藤と井上は偉い >>286
大久保は木戸コネ使いすぎだろ
なにか使ってたっけ?伊藤はもう木戸から離れてたし。
>>286
だって木戸は権力握ろうとか対立勢力を圧倒しようとか思わない奴だし。
わりと疑り深い性質の大久保から見てもそれが丸わかりだったと思うと笑えるが。
まあコネはね〜、大久保は自分が藩外で学問とか武術とかしてなくて
仕事がらみ以外では人脈がほとんどないから
ありまくりの木戸は貴重な存在だったかもね。
寺島とか黒田とか大山あたりもそれなりに人脈あったろうが木戸には及ばないか。 >>282価値の一大転換、それによって起こる士族の友乱、そして西南戦争と、
日本史史上稀に見る激動のあの時代の政府のトップが
もし菅直人だったらと考えてみた・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・利通あんたけっこう凄ェよと素直に思えた。 そう言われると、
たしかに当時の政府のトップとして
存在感は抜群に思えるね。 明治初期については、顔の広さは西郷=木戸>>>大久保ってとこじゃないか。
幕末の大久保は、久光の側近としての活動が主で、藩外交渉とかの表に立つ仕事は
西郷や小松が立ってたから、ある意味当然なんだけども。
これは仕方ないね。 >>293
大久保はそうとう藩外交渉やってるよ
まだ薩摩が幕政改革をと思っていたころ賢侯ズや幕閣要人なんかと
久光の意を受けて、京や江戸へ出掛けていって強気の周旋してまわってる
このスレでなんでそのことあまり云われないのかなあと疑問なんだが
ただ、それがほぼ要人ピンポイントで人脈にまで発展しにくかったかと
あと西郷って、ネームバリューとしては木戸より上、ぶっちぎりだと思うけど、
正直人脈って意味では、おもに安政期までの資産活用って気がするんだが
不在期間が長いじゃん
木戸の本格的活動はその後だってのもあって、 自分と同世代から下に知人が多く、
しかも藩政に関わってない書生や下級武士まで網羅
結果、若い世代の明治政府への登用に生かせる人脈になったと思うんだ
江藤なんかその人脈活用の典型例じゃね?
>294
倒幕期にみられる、大久保の幕閣相手の交渉や一会桑相手の政治闘争での
手腕は確かにすごいんだけど、維新後の政局は下級武士連中が実権を
握ってしまって、維新までは強い発言力や権威を持っていた藩主・家老層を
かなり抑え込んでしまうようになったから、大久保の凄さを実感している人間の
割合が相対的に低くなってしまったんじゃ無いのかなって気がしています。
薩摩の下っ端連中はその凄さを間近で見て身に染みてるから、一睨みされた
だけで縮み上がっちゃうようだったけど、藩外の中堅・下級武士層にまでは
実感されていなかったんじゃないかな。 >>295
たしかに、維新直後の春嶽や容堂あたりは、大久保が元凶!って思ってた節があるよな
その辺の連中はよくわかってたわけだw
そうしてみると、明治二年〜六年政変前までの空回りっぷりは、
大久保の政治活動の中では例外的な停滞期といえるかもな
それだけ新しい状況に自分を適応させるのに時間がかかったんだろう 無理もないが >296
>明治二年〜六年政変前までの空回りっぷり
前半に関しては、戊辰戦争を実戦の先頭に立って戦った西郷の存在が
新政府内で大久保を遙かにしのぐ大きさになってしまったのが
原因なんじゃないかな。
政治の流れは外側からは見えにくいから、誰が維新の功労者なのか、
だれがどのくらいの割合・比重で功績があったのかが見えにくいけど、
全将兵を統率して江戸へ攻め上り、勝海舟と談判して江戸開城を
成し遂げた功績は誰の目にも明らかだったし、彰義隊討伐から
北越戦争〜会津戦争〜函館戦争までを統括した大村益次郎の
働きもそれに引けを取らないものだった。
大久保はその間あまり京都を動かずに朝廷への対応に追われて
戊辰戦争が終わった後に東京(江戸)に出てきた段階では、
戦争で手柄を立てた面々が幅をきかせていて、
相対的な発言力や存在感が低下していたんじゃなかろうか。
版籍奉還や廃藩置県にしても、それを実行し得たのは薩長の持つ
軍事力が諸藩に睨みをきかせていたという側面が大きかったから
やはり文官的な立場の大久保よりも西郷や山縣といった面々が
発言力を確保しやすかったんじゃないかと思う。 >296
続き。
後半の部分に関しては、やっぱり岩倉視察団の失敗があまりにも大きかった。
不平等な条約の改正は、幕末の頃から倒幕勢力が幕府を攻撃する際の
大義名分の一つを構成していたから、これを改正するために全力を費やす
必要があるのは新政府の中でもほぼ一致した要望だったろうけど、
国家としての正式な外交交渉に関して経験の少なかった当時の彼らに、
その交渉の難しさや実現可能性の有無を見定めるのは難しかったと思う。
特に、一度アメリカに行ってから「全権委任状が無ければ改正交渉は
出来ないよ」って相手に言われて、じゃあってんで日本にとんぼ返りして
留守政府から全権委任状を貰ってきたら「全権委任状があれば改正交渉
するとは言ってないよ」とすかされて、面目丸つぶれになったのは
まさにこれ以上は無いってくらいの痛恨の一打だった。 >>297
前半は西郷は存在感どころか薩摩にひっこんでたじゃん
岩倉とタッグ組んでる大久保の発言力が低いとは考えられないしなあ
開明派の大隈や木戸らを牽制しようとして失敗する様は空回りしてんなーとは思う うん、大久保は東京奠都問題を初めとして、例の果断さで活躍してはいるんよ
一度だけ選挙っぽいことやったけど、あの時もトップ得票。みな力は認めてる
明治三年の参議総辞職騒ぎも、改革派がちょっとやりすぎてた面があったからよくやったと思う
(あんときは広沢もかんでたし、木戸も最終的にはいちおう納得した感じで決着してる)
むしろ政権を安定させようと待詔院学士問題を起こして木戸にそっぽ向かれたり
旧幕臣アレルギーが過ぎて人事やらで大蔵民部両省を混乱させたりとか
無駄に力を使って空回りしてるって印象なんだわ >>295
あの頃の大久保は、西郷や木戸みたいな同志や同門的な連帯で繋がる他藩の人脈が少ないと思う。
久光直下だったからなぁ。 >299
>西郷は存在感どころか薩摩にひっこんでたじゃん
それはそうなんだけど、その場に居ないことによって醸し出す
存在感ってモノもあるじゃない。
賞典禄も木戸・大久保を抑えて藩主・公卿を除いた
下級層出身者としてはトップの額だったし、
新政府の新しいお膝元である江戸の町民にとっては
江戸総攻撃の中止を決断した西郷の威望はかなりの
モノだったという話を聞いたことがある。
様々な改革を行っていく中で、いろんなきしみやしこりが
生まれていくときに「こんな時あの人が居てくれれば」式の
待望論が生まれてくるってのはわりとよくあると思う。
まったく畑違いの例だけど、松下電器の経営が傾いたとき、
会長職となって一線を退いていた創業者の松下幸之助が
社員と専売小売店の一致した要望で営業本部長になって
商戦の陣頭指揮に当たった、みたいな状況に近いモノを感じてる。
実際、新政府が行き詰まって西郷を呼び戻すために動いて
西郷が鹿児島から出てきて総大将に座ったとたんに
廃藩置県に向けての流れが一気に動き出したことをみても
「西郷が居てくれなければ物事が動かない」という強烈な
印象を内外に残ることになったんじゃなかろうか。
>300
>一度だけ選挙っぽいことやったけど、あの時もトップ得票。
ごめん、そのときの投票の事を詳しく知らないんだけど、その中に西郷も
投票対象に含めてた?
もしも含んでないのなら、西郷に投票しようとした票の大部分が大久保に
流れたとも見られないだろうか。
大久保が空廻ることになったのって、幕末期の西郷・大久保の一心同体ぶりが
自身の中にも強く意識されていて「あいつが居ない分がんばらなければ」という
焦りを生んだことや、外部からの「西郷無しの大久保は、薩摩内部をまとめ切れて
無いんじゃないか」という侮りがあったから、なんじゃなかろうか。
この時期の新政府内部での対立や反目って、深刻な路線対立とかいうより
「何で俺があいつの言うことをきかなきゃならないんだ」式の感情的な対立の方が
比率が多いような気がしてるから、なおのこと大多数が「あの人の言うことならば」式に
納得のいく差配を出来る「人望」ってのが求められていたんだと思う。
大久保は、有能さは誰しも認めるところだし、その有能さに心酔する人も
大勢居たんだけど、不特定多数の有象無象の連中にまで行き渡る徳望や
人望って云う面では西郷には及ばなかったんじゃないかな。 >>300
東京奠都のときは、大阪を主張してたのに東京になったからすねてなかったか? >>303
西郷が鹿児島に引っ込んでた時期だから、西郷は対象になってないな、たしかに
自分のメインの大久保知識は佐々木氏の大久保本からだから、
微妙に大久保アゲなバイヤスがかかってる可能性もあるなw
「地租改正法の起源」とかも読んでバランス取ってるつもりではあるけど
西郷に関して圧倒的に知識が足りないんで、そのへん考えてみよう トンクス
ただ、西郷票が大久保にながれることはあったろうけど
ほぼ薩摩内に限られてたんじゃないかな
母体が大きいから数字も大きくなるかもだが
他藩の人間が西郷の代わりに大久保とかそこまで考えたかね
それと、西郷と山県は同列には考えられないんじゃないか?重みがまったくちがうかと
長州の場合、まず大村がいて、その下の前原だ山田だってうちの一人にすぎないし
軍は山県ってことで落ち着いてきても、まだ軍を背景に政治に影響を及ぼすほどではない
廃藩置県の話が山県の家で始まったってのも偶然に近いだろ
長州の連中は廃藩論は耳タコ状態だったからこそ、危機にあたって浮上した
そのころ山県が廃藩に転換してたのがプラスになったのは認めるけど
でもな、西郷+軍が政府を支えるため必要だったのはたしかだが
西郷+軍が政局を動かしたってことは、結局なかったんじゃないかと思うんだけど >>304
すねてたか? 東幸の日程がなかなか決定しないので、
東京から京都にわざわざ来て岩倉の尻を叩いたのは覚えてるんだが
東幸の推進担当者が大久保と木戸+大木だったかと
大久保としちゃ東幸のいちばんの目的は
帝を後宮や固陋な宮廷官僚から引き離すことだから
多少思惑とはズレたとしても望むところだったんじゃないの >305
>西郷が鹿児島に引っ込んでた時期だから、西郷は対象になってないな、たしかに
なるほど、そうか。
この点については知識がなかったんで、もし西郷込みでの投票だったのなら
論述が成り立たないことを覚悟していたんで、教えて貰えて助かった。
ありがとう。
>ただ、西郷票が大久保にながれることはあったろうけど
>ほぼ薩摩内に限られてたんじゃないかな
>他藩の人間が西郷の代わりに大久保とかそこまで考えたかね
これにはほぼ同意。
当時は維新に功績があった藩出身の人間達が、それぞれの立場を良くするために
あれこれと動き回っていた時期だから、薩摩の人間は薩摩出身者に票を入れ、
長州人は長州出身者に、土佐人は…、といった感じで藩閥の形成に精を出してた
ろうから。
>それと、西郷と山県は同列には考えられないんじゃないか?
あ〜、西郷と山縣を同列・同格の存在として評したつもりじゃなくって、
「実働部隊として軍を動かす際に、兵士達を御すことが出来る」存在として
この二人の名前を挙げてみたんだ。
山縣は西郷に比べたら遙かに小物だったけど、高杉・大村亡き後の長州軍の
まとめ役の一人ではあったし、華やかな政治の舞台で活躍した伊藤や井上と
違って、地味な軍政・軍令畑で徴兵令施行への足場固めを行う実務家として
振る舞っていたから、ある時期から先は「軍の(制度のこと)は山縣でないと」
というくらいの位置に来ていたと思う。
明治5年の時点で、汚職嫌いの西郷が、金にまつわる汚い噂の絶えない山縣
(多分西郷は個人的には大嫌いだったんじゃないかな)を庇わざるを得ない
ぐらいにはなっていた。
>305
続き
>でもな、西郷+軍が政府を支えるため必要だったのはたしかだが
>西郷+軍が政局を動かしたってことは、結局なかったんじゃないかと思うんだけど
この辺は、人それぞれの捉え方の違いや、人物への評価の高い低いが影響するんで
一概には言えないと思うけど、私は明治初年の不安定な政情の時期には武力の持つ
威圧効果や、反乱を抑止する力ってのは決して小さなモノではなかったと思ってる。
軍の力がそれ単独で国を動かす牽引力になった、とは思っていないけど、
ある方向に向けて動き出そうとしてエネルギーが高まっていた車輪を回すための
「最後の一押し」にはなったんじゃなかろうか、とね。
あの時期の明治政府は「廃藩置県」という体制変換の最後の総仕上げという
目標に向かって動き出そうとしていた訳で、そこで大久保や木戸といった改革派が
エネルギーを高めていった先で、動き出すかどうかを決めあぐねて逡巡していた
ところに最後の背中を押す役割を果たしたのが西郷だった、と理解している。
>明治5年の時点で、汚職嫌いの西郷が、金にまつわる汚い噂の絶えない山縣
>(多分西郷は個人的には大嫌いだったんじゃないかな)を庇わざるを得ない
>ぐらいにはなっていた。
なるほど、あの件を山県が実力つけてきた反映という側面から考えたことなかったな。
西郷の軍偏重の表れみたいにいわれがちじゃない。
>あの時期の明治政府は「廃藩置県」という体制変換の最後の総仕上げという
>目標に向かって動き出そうとしていた訳で、そこで大久保や木戸といった改革派が
>エネルギーを高めていった先で、動き出すかどうかを決めあぐねて逡巡していた
>ところに最後の背中を押す役割を果たしたのが西郷だった、と理解している。
それはたしかにそうだね。
木戸はやりたくてしょうがなかったし、大久保もいつかはやらねばと思っていた。
しかし反発の大きさを思い断行できず、しかも政府は種々の対立で不安定。
そこに軍政を掌握している山県から話が起こり、
軍部の支持を集め、最も反発しそうな士族に声望がある西郷が諾といった。
これは今やるしかない、力強い後押しを得た、と思ったのは当然だな。
軍にも西郷にも疎いんでもやもやしてたが、なんかすっきりした。感謝。
西郷に人望があったのは事実だろ
今『遠い崖』読んでるが、やっぱり幕末の西郷は凄みがあると思う
そもそも東京に集まった兵は薩摩が多かったんだし
西郷が軍を掌握していたのは当然といえば当然
それに上の評価、神格化っていうほどすごく書いてるとは思わないが >309
>あの件を山県が実力つけてきた反映という側面から考えたことなかったな。
私は最初、西郷の伝記を読んでいて山縣の汚職事件のことを知ったんだけど、
それまでその本で書かれていた西郷の汚職嫌い・清貧な生活ぶりの描写と
山縣の汚職が悪辣なのにもかかわらず西郷が彼を庇ったという事態の推移が
どうにも繋がらなくって、それであれこれと調べだしてみたんだ。
その過程で大久保の事績や江藤の業績、この二人の反目と対立の過程や
薩長主体の明治新政府内の主導権争いとかに興味を持ち始めた。
素人考えの勝手な思い込みとかもきっと沢山しているんだろうと思うけど、
いろんな本を読んで自分なりに「こういう流れでこういう事が起こったのかな」
とかあれこれ考えていくのが楽しくって、こういう場で他の人と意見を交わして
いくのがすごく面白いと感じてる。
付き合ってくれてありがとう。 >>313
自分は木戸から幕末維新史に興味もったんだわ。
だから一般的に語られるイメージって鵜呑みにしちゃあかんな、って思うとこあって、
大久保に関してはかなりイメージの再構築が進んだかなと自分では思うんだ。
特に幕末の大車輪の活躍に関してとかね。
西郷にはなかなか手が伸びなかったんだが、『遠い崖』からちょっと見る眼が改まってきて
ここでも見直す後押しをもらった感じでありがたい。
現実に身近にいる人間と同じで、歴史上の人物にもいろんな側面もあれば得手不得手もあり
それが複雑に影響しあって歴史が作られていくわけだから
知らなかった面に光を当てる情報が得られると新しい発見が誘発されてすごく楽しいなと思う。 >>298
大久保の政府内での影響力に、岩倉使節団の件がマイナスに働いたとは思わないな。
本人の心情的にはダメージ大きかったろうけどな。
帰国直後が例の征韓論政変で、ここで権力を握るきっかけとなる「思い切り」をしているわけだが
それはやはり、欧米を見てはじめて、大久保の中で
目指すべき国の方向性が具体化してきたからってのが大きいと思うんだ。
留守政府側との対立の中で、条約改正がらみのどたばたで帰国組を侮る色はあったかもしれないが
もうあの政変の決着の仕方でふっとんだだろ。 >315
>大久保の政府内での影響力に、岩倉使節団の件がマイナスに働いたとは思わないな。
(中略)
>もうあの政変の決着の仕方でふっとんだだろ。
すまん、元の書き込みは「明治六年の政変までの空回りっぷり」についてなんだ。
あの政変以後、大久保がガッチリと権力を掌握したのは私も充分承知してる。
でも、政変までは空回りというか、征韓論で政府が混乱している中で
温泉旅行に出かけてしまって一ヶ月くらい帰ってこなかったり、
旅行中に木戸との不仲が決定的になってしまい、西郷との路線対立もあって
維新三傑の3人がそれぞれバラバラになるくらいになってしまった。
この辺までは、やっぱり明治政府の権力中枢から外れてしまっている
ように見えてしまう。それを指して「空回り」って言ったつもりだった。
私がこの辺の事柄について読んだ最初のモノが毛利敏彦の『大久保利通』
『江藤新平』『明治六年政変』だったもんだから、かなり氏のバイアスが
かかった見方(政変は長州閥対江藤の派閥争いが原因とする説)に影響されて
先入観を持ってしまっているのかもしれないけど、どうもこの事件は
従来言われている大久保・木戸の内治派対西郷・板垣らの征韓派という
図式だけでは説明しきれないものがあるように感じてる。
特に西郷に関しては、戦争になってでも韓国に勅使として渡ろうという
熱望に関しては大久保と対立したとしても、それ意外に留守政府として
行ってきた施策は「太陽暦採用」「徴兵令布告」「学制の制定」など、
どれも西洋文明の持っている力を見て来て改革を志した大久保達の
考えに近しいものだったように思えるから、あそこで大久保と西郷が
決定的な決裂をしたのがどうにも腑に落ちないんだよね。 >>316
毛利敏彦はなぁ…
すこぶる江藤贔屓で例の「明治六年の政変」とか他の学者にこてんぱんに反論されて
なかったか
ともかく個人的には参考にできない人だと思った
学者談議はスレ違いだから良いとして、
洋行中の木戸と大久保の不仲ってよく聞くけどいったいどこからそう解釈してるわけ?
別々に帰ってきただけでそう結論付けてるのか?
伊藤の直話にも書いてあるけど、あれは本国からの帰国要請に大久保は素直に従い、
木戸はロシア見足り無いから残ったんだろ
>>316
佐々木克氏の解釈だと、帰国してみたら征韓云々という想定外の問題が起きていて
(三条のSOSの段階では、予算等をめぐる対立の件だったはず)
岩倉・木戸が戻らなければ自分ひとりでは何もできないだろう、と
大久保は判断したと推測されていたかな。
政変は長州閥対江藤の派閥争いが原因っていうのはありえないと自分は思ってる。
征韓論の前に予算についての争いがあって、キレた井上が辞表を出したのは事実だし、
このあたりの争いに井上の汚職疑惑を江藤が利用した面はあったろうが。
毛利説は、あまりに藩閥って考え方に重きを置きすぎていると自分は思うね。
木戸と江藤の関係は、六年政変のあとも案外良好なんだよ。
木戸が井上と山県をかばって汚職問題をもみ消したっていうのは俗説だし、
ちょっと先の話になるが、槙村の問題だって、陪審の審査を公開にしろとか、
陪審員の人選は司法省にばかり有利にならないよう公正にしろとか、
きわめて良識的な方向で文句をつけていて、おまけに江藤にまで相談している。
(しかも江藤もけっこう律儀に対応してやってるようだw)
六年政変が藩閥争いを背景にして起きたのだったら、
いくら木戸が藩閥にこだわらないほうだったっていってもありえんだろ。
ついでに言っちゃうと、大久保と木戸が岩倉使節団で不仲になったってのも、
どの程度信憑性があるのか、まだ調べがついてないんだよね。
別々に帰ってきたからもっともらしく思えるけれど、
木戸は大久保帰国後ロシア行ったあと本隊と別れベルリンで持病の治療やら憲法調査の詰めやらやっていて、
せっかくヨーロッパまではるばる来たのにそんなに中途半端に帰れないってのは本音だったろう。
(帰国直前はイタリアでふらふらしてるけどw 実はこのころ木戸は伊藤ともかなり仲直りしているw)
まあ、プロシア行く前にパリで、大久保との間で、ヨーロッパ的文明をどう取り入れるかで、
「多少悪影響があっても早急に取り入れる」(大久保)、「日本に悪影響がないよう慎重に」(木戸)
という対立的な会話があったのは事実らしいが。
それより、留守政権での改革に対し、西郷がどう関わっていたのか、自分はよくわからないんだ。
留守政権の改革は、多少行き過ぎた面もあったかもしれないが、
ほぼ使節団出発前に方向性を固めていったものだよね。
多少それが行き過ぎたからといって、あの政変につながるような対立の種になるとは思えないし、
しかも西郷がそれを理由に大久保と対立したとは思えないんだけど。
最近の毛利敏彦の本でも大久保はケチョンケチョンにされてて、相変わらずだなあと笑った
>>318
留守政府での西郷のエピソードで、大隈にハンコを預けたとか会議中も別室で板垣と男色の話にふけってた、
等の大隈の証言が有名だけど、実際どういう見解だったか分かんないなあ
どっちかというと長州や肥前中心に調べるので、西郷側からの情報が分からん 毛利氏の論説が、江藤贔屓のせいでかなり歪んだものになっているってのは、
他の本や氏を批判する論説をそれなりに読んできたので私もそう思ってる。
ただ、六年政変の西郷と大久保が決裂した朝議に関しては、毛利氏の言説が
まるっきりの間違いであったとも言い切れない。
少なくとも事実として、最終的結論としては西郷の主張する意見が通って、
ほぼ全会一致で西郷の勅使派遣が明治政府の総意として成立、
その直後に三条が急病で倒れ、
それを引き継いだ岩倉が天皇に上奏の際に否決するように主張して、
それに西郷をはじめとして一緒に下野することになる板垣・江藤・副島らが
抗議したけど翻意させられなかったので連袂辞職することになった、
という流れそれ自体は、資料でも確かめられるようだし疑いを入れる
余地が無いと思ってる。
この一連の過程をどのように理解するかが、大久保・西郷・江藤らの行動が
複雑に入り組んだこの政変の実態を推測する足がかりになるんだと思うし、
今現在でも諸説入り交じって本当に正確なところが確定しきれない理由だと
感じてる。 うん、謎だね。
その流れを表面的に見た征韓問題だけではないのかもしれないけれど、
じゃあなぜということについて、いまだに納得する説に出会っていない。
西郷・板垣・江藤それぞれに別の思惑があったのではということはうっすらと感じるけど。
「俺たちが決めたことをあとからなぜ覆す」的な感情論もないとはいえないしね。
やっぱりいちばんわからないのは西郷だな、自分は… 対外問題に対する、洋行組と留守政府組の温度差は確実にあったと思うんだわ。
木戸なんか、洋行前は征韓論者だったが帰国後には考えを変えていたわけで。
まあ大久保は、基本的にそのときそのときの事態に対応することを優先する人間だから、
直後に征台推進して木戸に激怒されるわけだがw
まあ韓国と台湾じゃ、そのとき実際に何が起きていたかって面がちがうからな。
西郷下野対応ってのも頭にあったんだろうけど。 西郷はとにかく薩摩士族に仕事を与えたかったんじゃないの? >323
てか、征韓派は板垣以外は誰も攻め込もうとは言ってないだろ。
西郷に至っては、首脳外交してくるって言ってるだけだし。
士族の仕事も、公務員系の仕事で充足されつつあったんじゃなかった? 遣韓論か。その説のこと考えると余計わけがわからなくなるんだよな。
なんで三条があんなにおろおろしてたのかとか。 >>324
政府中枢じゃないけど、桐野利秋や別府晋介らも強硬派じゃなかった?
西郷の側近的な位置の高官が強硬的な意見だから、西郷の遣韓論もそういう目で見られた面も
あるんじゃないかと思っている。
士族への配慮かどうかは知らないが、征韓論的な意識は西郷下野後も軍部内に燻ってて、
台湾出兵として再発したという見方も出来る。このときは大久保が上手く制御したけど。
これを幕末から維新を経て変化した攘夷論だとする解釈もあるみたいね。 >>326
>西郷の側近的な位置の高官が強硬的な意見だから、西郷の遣韓論もそういう目で見られた面も
>あるんじゃないかと思っている。
たしかに、西郷の真意がどこにあったかは脇に置くとしても、
西郷が遣韓だか征韓だかを言い出したことによって、
薩摩士族のムードがそっちに高まってきて、「征韓論」として世論に認識された、
っていうのは大いにありそうだね。
まずは使節を送るだけといっても通用しないぐらいに。
考えてみれば、征台で暴走する形で許可なく出兵しちゃったのは
六年政変で中央に残った西郷従道だというw
故郷に帰った連中に怯懦と思われたくないという心境が多分に影響したのか。 大久保はそうでもないが、西郷は挙兵時に大久保に相当に不信感を持ってる。
意外とこの頃から西郷が大久保に不信感や対抗意識を持つようになってたのかも 周りがいうほどあの二人仲良くないんだよなぁ
もともと大久保は西郷に振り回されてばかりだし、見解がまったく違うんだよね。
それはそれで東京と鹿児島をまとめる形で理想的だったのかもしれないけど、結局
折り合いつかなくなってるわけだし。
犬塚聞書見ると、西郷ってかなり大久保の行動に冷ややかだし腐芋連に大久保や川路
の名前列して笑ったり(芋連には自分や桐野篠原の名前書いて)。
案外西郷は大久保のことよく思ってなかったり。わからんけど 西郷は幕末の凄腕振りと明治の消極性に非常にギャップを感じるが、
それってやっぱり、最終的に斉彬の影から出ることができず、その気もなかったってことなのかな。
大久保って、頭はいいし実行力もあるんだがやっぱり学問がないって評判は本当で、
そのためか洋行前は将来の国のビジョンって具体的に持っていなくて、
側近の意見もひたすら政権の安定のために使おうとして、ビジョンがないから空振ってる感じ。
でも洋行によって具体的でわかりやすいビジョンを得ることができ、
側近だけでなく党派を超えて意見を取捨選択する判断基準を持てた。
大久保は結果的に脱皮できて、権力を握ったけど、西郷は脱皮する気もなかったという印象。 >328
閣議決定したことを、自分たちの都合で秘密裏に覆したら、そりゃ不信感を持つなという方が難しいだろ。
拒否権の所在が規定されていないのに、秘密裏に拒否を実行するって事は、これ以上無い背任行為だし。
>330
西郷は、新政府で権力から逃げてたから、権力を握るつもりは全くなかったんじゃなかろうか。
直接的な政策も農政以外は興味無さそうだし。案外、蝦夷・樺太で対露の屯田兵をやりたかったのかも。
示現流と鍬を振り下ろすのって似てるしw やればよかったのにな、対露屯田兵。
鹿児島にこもってあれこれやって危険な状況つくるよりも、
よっぽど薩摩のためにも日本のためにもなっただろうに。
そのへんが明治の西郷はもの考えてないっていうか… 1つヒントになるのは、江藤が司法卿を受けた条件は海外留学だった。
なぜかと言えば洋行で箔をつけたかったから。そこに目を付けた井上が江藤を推挙した
やはりエリートコースの洋行組と、
そいつらの留守の間に内治を進めた留守組の間には複雑な感情があったんじゃないかな >333
江藤は箔を付けたかったというよりも、好奇心と使命感で行きたかったんだと思うがな。
オランダ語とロシア語、英語少々の読み書きが出来て、海外事情はよく知ってたし。
佐賀出身者は、オランダ語以外の外国語の読み書きできる奴が多かったからな。
薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ? >>334
佐賀にそういう傾向があったのはそうなんだろうが
薩長をそれでくくっちまうのは無理があるだろ
実際に洋行経験あるのは旧幕臣除けば薩摩が断トツじゃね?
長州の木戸なんかはそれこそ嘉永のころからの宿願でwktk状態
自分が思いの外政治的に重要になっちゃったから
文久のチャンスでは井上伊藤ら行かせて自分は我慢したし >>334
伊藤なんかは英語喋れるってんで肩で風切ってたようなw
それに、幕末のころ薩摩藩と長州藩の留学生がイギリスで会ってうんちゃら〜
みたいな話もなかったっけ 1862−1867年留学生約130名の内訳。
幕府が57名、薩摩26名、長州16名、筑前8名、仙台4名、加賀3名、
肥前2名、肥後2名、越前2名、土佐2名、備前1名、他諸藩1名すつ。
長州藩は1863年に5人をロンドンに、薩摩藩は1865年に英国留学生15名を送り出している。
> 薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
たぶん何かの記憶違いか勘違いなさっているのでしょう。 >336
薩摩と長州の留学生同士がイギリスだかフランスだかで出会ったのは実際にあったことらしいけど、
長州と薩摩とでは洋行や留学に関する考え方がかなり違うからひとくくりには出来ないと思うよ。
長州は馬関戦争や第二次長州討伐を幕府と戦う過程で外国製の武器の優秀さに目を開かされてはいたけれど、
その上で大半の人間達の意識の上では攘夷気分が横溢してて、外国人への敵意は依然として激しかった。
薩摩の場合は優秀な少年達を集めて十数人規模の留学生団を送り込んだり、幕府の向こうを張って
パリ万博に薩摩藩単独で出展したりと、かなり旺盛に外国人と付き合おうとしてた。
んで、そういう両藩と比べてみても佐賀藩士たちの海外文明についての知識量と消化吸収具合は
薩長両藩の上をいっていた。
長崎海軍伝習所で教育を受けた人間の数も諸藩の中では群を抜いていたし、語学をはじめ、
物理学・数学・化学などの科学技術関連の知識を持った人間たちの層の分厚さは
本当に他とは比べものにならないレベル。 >337
何の素養もない人間が、半年やそこら海外生活しても、大した知識を吸収出来ない。
昌平黌や適塾等の出身者なら別だけど。
佐賀藩の場合は、欧米の技術、医学、政治、歴史の書籍、新聞などを輸入し続けたから、
佐賀藩士は、幕末の時点で語学だけでなく、工業や政治体制、各国の外交関係などもよく知っていた。
そういうところが、明治初年の佐賀閥の躍進に繋がってたと思うんだが違ったっけ? >>338 >>339
うん、佐賀の賢人たちの実力は認めるよん。
ただ、
>薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
という乱暴な括りかたはちがうだろうっていっただけ。
まあ学問・知識として知ってるのと、政治家として行動するのは別だし、
岩倉使節団は、政治の中枢にいる連中が行ったことに意義があった。
佐賀からの参加者では久米邦武という燦然とかがやく星がいるなw
彼は漢学者で、佐賀の中では海外事情に通じてるって方でもなかったろうけど
広い視野と冷静な観察力で名著をものにしたよね。
木戸みたいに、幹部の中では抜きん出て目的意識を持って
精力的に視察したり学んだりした者もいた。
安場みたいに、保守的だから啓蒙のために参加させられたけど
どうしても西洋の風習に耐えられず早々に帰国、
しかし後には開明派官僚として活躍できた肥後人もいた。
伊藤みたいに調子に乗りすぎた長州人もいれば
地道に活動して敬意を勝ち取った肥田みたいな旧幕臣もいた。
佐々木みたいにいまいち調子が出なかった土佐人もw
薩摩に関しては、使節団に現地で合流した留学生や外交官の印象のが強いな。
皮肉な見方をすればコンプレックスのために洋行した連中もいたろうし、
主導権争いがメンバー選びに影響したのは事実だろうけど
佐賀びいきと先入観で 岩倉使節団への見方をゆがませてもなーと思うわけ。
それって、「幕臣のほうが新政府よりもずっと外国事情に詳しかったし開明的で知識もあった」
って論と同じじゃん。
そうですけど何か?だから新政府でも働いていただいてますが?
としかいいようがない。 >340
岩倉使節団は別だわ。
>337であげている洋行者数は、幕末の例で、
薩長の大半は、大した素養も無い奴が中心だったろって事。
岩倉使節団の中には、幕末にも洋行した面子がいるけど、
それは同じ国に行ったとしても、全く違った視点で見てるから、
特に専門知識がなくても意義がある。伊藤博文が良い例。
実際に、何の素養もないのに洋行して意義のあった人間は、
大久保利通と伊藤博文くらいだったろ?
>薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
の薩長出身者は、あくまで一般論。
実際に、大方の奴らが海外事情を知りたくても伝聞以外に知る術がないのが実情だっただろ? 伊藤は留学は意義があったろうけど岩倉使節団には同行させなかった方が良かったと思う >>341
>>337であげている洋行者数は、幕末の例で、
>薩長の大半は、大した素養も無い奴が中心だったろって事。
>>薩摩や長州出身者は、海外事情を知らないのがコンプレックスじゃなかったっけ?
>の薩長出身者は、あくまで一般論。
>実際に、大方の奴らが海外事情を知りたくても伝聞以外に知る術がないのが実情だっただろ?
佐賀に詳しい人が陥りやすい見方だなあと思うけれど、
幕末の状況に対して、学問を重視しすぎていないか?
たとえば長州ファイブについていえば、
彼らは学問をしにいったというより、軍事・技術面で役に立つものを学びにいった。
長州を、ひいては日本を強くするものを得ようとしてね。
「生きたる器械とならん」って、有名じゃん。
結果的に、国際状況への理解も深まったけどな。
彼らにとっては日本の状況はあまりに切迫していたから、
手っ取り早く役に立つものをこそ求めていたんだろ?
しかし、そうやって外国に知識を求めるべきとか、海外事情を知るべきと思っていたのも、
一部の人間だったと思うが。
海外事情を知らないことをコンプレックスにしていた連中って、具体的にはどんな人?
>実際に、何の素養もないのに洋行して意義のあった人間は、
>大久保利通と伊藤博文くらいだったろ?
素養が何を指すのかはともかくとして、いろいろ切り捨てすぎだろ。
長いスパンで岩倉使節団を中心に洋行した人間を検証すれば
さまざまに効果が見つけられると思うが。
まあ、無駄な留学生多かったのは事実で、一斉帰国令がでたりするけどなw
コンプレックス云々って、箔付けのために流行のように洋行した連中のこと?
それってコンプレックスのせいか? わからん。
それとも、大隈率いる長州&旧幕臣開化推進メンバーズ(後援木戸)に
「お前ら何もわかってない!」と非難された保守な人たちか? <副島もここにいるんではw
それってコンプレックスになったの?
>>342
木戸好きの自分だが、必ずしもそうは思わんね。政治的にいろいろ学んだといえる。 素養も無いのがほとんど、って何見て判断したのかね?
井上馨は江川や佐久間に、山尾井上勝は武田斐三郎に師事してて、
当時としては進んだ学識があったと思うがなあ。
ちなみに適塾生を出身地別に分けると一番多いのが長州。
長州と薩摩の留学生の交流は面白いよね、山尾のグラスゴー行きの資金を薩摩全員でカンパしたり、
亡くなった長州留学生を一緒に弔ったりとか。
この交流が密航を取り持ったジャーディンマセソン協会経由で日本に報告され、
薩長同盟成立にも多少は影響したんじゃないかと思う 一般がそうだったろと言ってるのに何で数少ない例ばかりあげてくるかな。
それに岩倉使節団は別って書いてるのに(笑 だから一般っていつのどれよ。
どういう人びとがコンプレックスもってたの。
あと、ほんと学問を重視しすぎ。
学問はあれば役に立つが、才覚さえあればそれほど深くなくても何とでもなるもんだ。
深いのを誇るのはかまわんが浅い者を軽視すんな。 あ、すまん 熱くなって延々スレチやってた
六年政変の話にもどろうや
どうも洋行組=エリートって感覚に違和感があるんで脱線してしまった http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/seikanronshi.htm
↑の一、留守政府の予算紛議、二、太政官制潤飾 に若干触れられているけど
・留守政府の盟約違反(省庁トップの参議増員、太政官制潤飾)の結果、
正院に権限が集中し、洋行組は意思決定から排除される形になった
・一方で留守政府の正院参議では大隈しか調整能力のある者がおらず、
省庁間の対立が激化した結果、省庁トップの江藤・大木(本来なら副島も)を参議として取り込んだので、
盟約違反もやむを得ないという認識が出来上がっていた
留守政府と使節団組の二重政府状態が生じたことが最大の原因だと思うんだなあ
そして、両者の認識が180度異なる「盟約違反」の象徴だったのが、対朝鮮外交での使節派遣決定だったと… まあそのへんがいちばん納得しやすい解釈だな。
ただでさえ、盟約に署名していない者まで参議になって好き勝手やっていると見える状況で、
改革が先走りすぎて国内一般も政府もがたがたに見え、建て直しに手間隙金がかかりそう
大久保としては抑えに西郷を置いてきたつもりが改革は抑えてないどころか
先頭に立って外征に大金がかかる可能性が高い状況を作り出そうとしている。
外交の難しさやら彼我の地力の差を欧米で思い知らされてきたとこにこれだもんな。
ただ、洋行組が意思決定から排除されたとまで言えるかどうか。
幸い天皇が「岩倉が戻るまで待て」といったから、
政府の真の実力者、岩倉・木戸が戻るのを待って反撃に出ようと大久保が思っても無理はない。
大蔵卿の座が他者に占められていたわけではなく、
井上下野後は大隈が必死になってカバーしてた状態だろ?
大久保は大蔵卿に復帰し、他の卿に倣って参議になることだって可能だったろう。
排除されたというより体制を整えていたというべきではないかな。
少し遅れて帰国した木戸だって、岩倉待ち&大久保の帰京待ち&自分の病気ってやつで
別に参議に戻ってくるなといわれたわけじゃあるまい。
ついでにいうと、このころの木戸を仮病扱いする奴も多いが本気で病気だw >現代という時代が、正義の硬骨漢江藤新平をの意志を継いだものでなく、
>阿呆の西郷隆盛をうまく利用した悪人大久保利通が望んだ形に
>成長したものなのだから、敬遠されても当然と言えよう。
>西郷隆盛も、江藤新平同様に大久保利通に殺された人と言ってよい。
http://d.hatena.ne.jp/oibore_shinsuke/20110227/1298758693
>大久保利通(笑)
>要するに精神異常者ってことか。最後は惨めに暗殺された。。。
>江藤新平の煌びやかな才能に嫉妬して、
>謀略で江藤や島を処刑し、さらし首にまでした変質者
http://www.youtube.com/watch?v=g2YtHQfhIJs
まったくその通りだな。
完全なキチガイのコンプの塊男、大久保利通なんかを賛美してるのは、鹿児島の土人ぐらいだろうに
もういい加減、歴史を改竄すんなよ
大久保利通みたいな狂人をマンセーする政治家って、選挙で必ず落とすべきだろう
歴史を知らない白痴とか罵倒する以前に、重大な人格的欠損があるとしか思えない
極悪人大久保利通を偉人のような書き方をしてる悪質な日本史教科書って
本来なら検定不合格にすべきだろう >>263
単純史観を盲信できるってサイコーだよなww
>とにかく不平士族を鎮圧し、明治政府を国内的には安定させただけでも
「不平士族」(笑)
勝てば官軍だよな
強姦して放火殺害すれば、すべて歴史から消せるんだよな
日本一の強姦民族=福岡と並ぶ鹿児島のキチガイにはww 個人的に思う征韓論争のときの各人の思惑
大久保 約束違反は許せない、権力奪取のための反対
岩倉 権力バランスが崩れることから反対
木戸 西郷が信用できないから反対
西郷 不平士族の目をそらす目的で賛成
板垣 帝国主義マンセー
江藤・副島 明治初年からの非礼で使者派遣しない方がおかしいので賛成
という感じで、本気で朝鮮へ使者派遣を考えていたのであれば、副島を正使として、
清を巻き込んで、北京から清の使者と同道するなどで交渉に挑んでいたはず。
江藤の人間関係も、大久保以外とは良好な関係が続いていたのも納得できる。
大久保の江藤にたいする憎悪みたいのはどこから来たの? >>354
大久保本人としてはウザいから虫けらを踏みつぶした。その程度の
認識だったんじゃねーの。
盟約違反で参議になり、正院に権限を引き上げる原因を作ったのは大木・江藤。
うち大木は明治六年政変の過程で大久保側に転んだが、江藤は最後まで反抗。
大久保が辞職した江藤の動向に対して警戒心を持つのは、ある意味で当然 /)
///)
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
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,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
大木って地味だが不思議な立ち位置だなあ
大久保派になったけど伊藤や大隈みたいな舎弟って感じじゃないし、
江藤とも仲良かったし木戸から何故か敬意を払われてるし
萩の乱処理しても不平士族から嫌われたとも聞かないし
明治14年政変あたりではどんな動きしてたんだろう 確かに大木は面白い。あと、佐々木あたりも面白い立ち位置な気がするな。
佐々木って、木戸あたりもそうだけど、上にあったみたいに細かい日記残してるせいで
いろいろな歴史書に引用されまくっちゃって、愚痴屋不平屋っぽくとられがちだけど、
あんがいバランス感覚のある奴って感じ。
>>356
あのチンチクリンのナルシストが、そんな程度なわけねえだろ
司法界での活躍やあれやこれやを目の当たりにして
嫉妬の炎めらめら燃やしてたんだろ >そのころ長身といわれた人物に維新の三傑、西郷隆盛や木戸孝允、大久保利通などがいますが、
>その中でも断然体躯がすぐれて大きかったのが明治天皇だったとされています。
http://www.meijijingu.or.jp/qa/gosai/11.html
明治神宮のこのふざけた文章書いてる奴には、きっちりと責任取らせないとな
何が「維新の三傑」だ。明治神宮なんて佐賀抜きでは歴史なんて全く語れないのに、喧嘩売ってるのか?
>>362
> 何が「維新の三傑」だ。明治神宮なんて佐賀抜きでは歴史なんて全く語れないのに、喧嘩売ってるのか?
(°o°) >362
佐賀藩は、倒幕では最新兵器、新政府では能吏を提供したのであって、歴史は動かしてませんよ。
佐賀で歴史を動かせる可能性があったのは江藤くらいでしょうが、江藤好きには大久保嫌いが、
大久保好きには江藤嫌いが多く、相手を不当に貶めることが多いので残念な事です。
どちらも、功罪比べれば、功の方が圧倒的に多いのですから。 佐賀藩は有能なのいるのに派閥作らなかったからな。大隈とか江藤かばったりしなかったの? >>359
大木はバランサーであり、実は江藤より実務家だね。江藤はどっちかと言うと制度設計屋
民法典編纂に関しても、江藤が強引に法典編纂を進めたのに対して、
大木はボアソナードや関係者との調整を取り、国情に合わせて編纂を薦めていってる。
大久保の面白さは、邪魔は嫌うけど、天才肌や硬骨漢を嫌うかと言えば必ずしもそうではないこと
米沢の千坂高雅なんかは旧賊軍の総督で鼻っぱしの強い男だったけど、大久保によく仕えてる 話ずれるが、天才肌といえば大久保が陸奥の陰謀はスルーしているのも面白いよね。
ってかなぜ陸奥はああもあちこちではねっかえりを目こぼしされているのかw >>362
江藤だって西郷を頭に据えてたじゃん
>>365
大隈って、大久保亡き後だが有司専制派の筆頭として期待されてたらしいね 六年政変の議論をしてたはずが、
「江藤は箔をつけたくて洋行希望」の一言でこうも脱線するとは。
大久保好きだからここに来たけど、疲れた〜〜
つきあってた人達偉いですね。
佐賀藩が幕末のころかなり先進的だったのは、佐賀に住んでたこともあり、
知ってはいたけど、
ここでこんなにヒステリックに力説されたら、うんざりしてきた〜〜 >369
重点的に明治六年政変の話をしたければ、専用のスレを立てればいい。 >>362
大久保の死から半年後には既に西郷大久保木戸を三傑と呼んでたようなので、
今更ケチつけても仕方ない
(Wikiで知ったが近デジで検索したら確かに皇国三傑伝があった)
つか佐賀がどんなに貢献してても、その説明文の文脈的には江藤は登場しないんじゃない?
180越えの大男大隈ならともかく。
…江藤の身長しらんけどな >>364
晒し首にされたのは、島義勇もいるわけだが。島の功績も凄い。
よって、2対1で、明らかに大久保の負け。大久保に少々の功績とやらがあったにしても
江藤を江戸時代の法律で裁いたのはなんの意味があったの? 「俺に反抗するヤツはこうなるぞっ!」という恐怖を反政府勢力に与えるための
デモンストレーション、かな? はっきり言えば、反乱を起こした場合の厳罰処置を見せて、薩摩の西郷周辺への威圧としたのだと思われる。 大久保はどうなると思っていたんだろうな。西郷が主導者になるとは
思ってなかったみたいだし。
桐野あたりが首謀者になって薩摩で乱が起きると思ってたのかね。
あと板垣あたりも乱起こす可能性あったよね。ひやひやもんだよな。
西郷と同時に板垣が乱起こしてたら負けてただろうし。 >377
>西郷と同時に板垣が乱起こしてたら負けてただろうし。
いや、必ずしもそうとは言い切れないんじゃない?
土佐の反政府勢力は薩摩ほどの力を持っていなかっただろうし、
それまでの神風連の乱や萩の乱の鎮圧で自信を付けていたところだから、
最終的には勝てるという自信は結構あったんじゃないかと思う。
まぁ、実際に西南戦争が始まってみれば、かなりその読みが甘かったことが
分かったってところはあっただろうけど。
大久保にとって、一番危ない橋だと思ったのは佐賀の乱の時だったんじゃないだろうか。
あの時点では新政府内部が大久保支持で固まっていたとは言い切れない状態だったし、
強いリーダーシップ・有無を言わせない強権・敵対者に対する果断な処置などを
内外に見せつけることで権力を固める必要があったんじゃないかと思ってる。 >>378
板垣-土佐グループ-陸奥-紀州新政グループ-長州若手
この繋がりが怖かった模様。
西南戦争時には蜂起しなかったものの後にこの繋がりは自由民権運動の大勢力になっている。
陸奥は自由党の過激闘志には兄貴分として一目置かれながら幕末に海援隊で活動していた時期に伊藤・井上とも昵懇だった。
伊藤が政友会の党首に収まる手引きをしたり東京市議会を押さえるのに星等の新世代の抜擢もしている。 >380
うん、それらの集団が一致結束して反政府組織として立ち上がってきてなら、確かに脅威になったとは思う。
だけど、地理的な隔たりや思想的・感情的隔たり等もあって、一枚岩に纏まれるだけの強い求心力を持った
集団ではなかったと、やっぱり思うんだ。
西南戦争において、薩摩と気質的にも地理的に近い存在だった熊本や宮崎の士族達とすらも、
西郷軍は必ずしも連携を上手く運べていなかった。
強いリーダーシップをとって全体を纏める中心的存在がいなければ、どれだけの頭数がいても
軍勢としては強い力を持たないというのを、新政府は戊辰戦争での旧幕軍や欧州諸藩との戦闘で
充分に心得ていたから、2万という数の訓練され士気の高い集団を維持していた薩軍以外は
雑魚と考えていたんじゃないかと思うんよ。
卓越した交渉術や有力者との顔の繋がりというのは、物事が政治の段階で動いている時点では
大きな意味を持つけど、ひとたび武力発動という事態に立ち至ってしまってからは、
純粋に「軍事力」としての実力の大小以外の要素は吹っ飛んでしまうと思う。 >379
土佐は、林有造が、佐賀の乱のときも西南戦争のときも、土佐の不平分子を集めて挙兵しようとしたけど、
佐賀のときは、乱の終結が早すぎて間に合わず、自分の弟が佐賀士族を煽って暴発させたことを、江藤に陳謝している。
西南戦争のときは、挙兵前に検挙されて投獄されてる。このときの黒幕は板垣だったと言われている。 後世の目から見てるから言える事かもしれないけど、
土佐は政府に不満がある連中は多いが、
考えがばらばらすぎて事を起こすにはまとまりにくすぎる感があるね。
長州若手は、東京に来ている連中は官僚的な手腕があって
事を起こすよりほかにできることがあるし、って感じ。
だけど薩長土肥に限らずあちこちで士族の不満はくすぶっていたわけで、
それへの警戒と牽制が佐賀に向かったんだろうね。 江藤新平も島義勇も、「不平士族の反乱」に勝手に括られ、
捏造高校教科書で、百数十年もの間、さらし首にされたままだ。
毛利先生が言うように、「佐賀の乱」は「佐賀戦争」が正しい。
大久保が仕掛けたのだから、「乱」ではない。 江藤は立派な人物なのに信者がこれだもんなぁ
毛利の戯言を真に受けて特攻してるようじゃ会津厨と変わらん >383
土佐は、結局維新後も、上士と下士や郷士の間で軋轢があったからなぁ。
特に、郷士系が職に恵まれず、かと言ってまとめるべき人物が全員死んでたし。
>384
佐賀の乱は、目的無く暴発したことで発生しているので、「乱」が正しい。
>385
いや、信者だから変なんだよ。
何年も前に、江藤スレでは大久保信者が大暴れして、誰も寄りつかなくなって
江藤スレ自体が何年か消えてた時期があるくらい。
西南戦争に会津の士族を導入したのって大久保の功績なの? >>385
>毛利の戯言を真に受けて特攻してるようじゃ
毛利の戯言だとさw
学界最強の怪電波・田村貞雄の耄碌爺さん本人かw
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
荒唐無稽な田村貞雄の珍反論・・・・佐賀戦争は士族反乱だとさw
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/saga.htm
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
>>386
>目的無く暴発したことで発生しているので
だから、これを説得力ある史料や論拠で証明してみないとね 毛利敏彦先生がネット使えないのをいいことに、
ネット最強の怪電波(一人ヲタでっちあげ事典ウィキペディア状態の)田村貞雄の爺さん、一匹で大暴れだからな
田村の牽強付会な糞長文なんて、いちいちまともに読んでる奴なんているのかよw
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
荒唐無稽な田村貞雄の珍反論・・・・佐賀戦争は士族反乱だとさw
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/saga.htm
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
佐賀戦争は大久保利通による謀略だが、
日本史学会で長年跋扈、悪行三昧の在日朝鮮人系学者が、
征韓派の人間を徹底的に貶める工作活動を異常な執念で行ってきた
佐賀戦争を考える上でキーとなるのが、
大久保利通の便利な鉄砲玉として暴れまわった
岩村通俊&岩村高俊の土佐の狂犬二匹 西郷本人の意図が遣韓だろうと征韓だろうと大した違いないじゃん
当時征韓ってムードが盛りあがっちゃってたことには変わりないんだろ
毛利説の問題はむしろ、六年政変の背景に江藤VS長州閥の幻影を見てることじゃないの
その後の木戸と江藤の交流を説明できないだろうに ああごめん、江藤の辞職前の話だな
辞職前だけど、江藤しょっちゅう木戸んちにきて話し込んでる 出典は木戸日記
そのことについて木戸が怒りを発散している気配もないし
とても長閥追い落とし中の行動とは思えんのだが如何 江藤の長州閥追放と言うのは、小野組転籍、山城屋和助、予算紛議
いずれも原因がまちまちだからね。長州を狙い撃ちにしたわけじゃない
(尾去沢銅山は捜査の端緒がその頃発生したに過ぎないし、
山城屋事件を追及する気なら山県を庇った西郷とも衝突するはず
また小野組転籍については木戸は裁判所寄りの立場で収拾を図っている)
だから木戸との関係が悪化するわけがないし、大久保も佐賀の4人と関係悪くなかったと思うんだよな…
江藤が予算を強引にかっぱらって、あげく10月閣議で自分が失脚する寸前までいくまではw この頃の政局を汚職まみれ長州閥+薩長閥支配のためにそれを擁護する大久保
っていう構図で見るのって、いわゆる皇国史観否定のために都合よかったんだろうな
戦後すぐ〜80年代前半あたりまでの研究者にとって
ネットでも「木戸が長州閥の汚職をもみ消し、山県・井上はすぐ政界復帰」とかいうのよく見るが、
それ見るたびに
「山県かばったのは清廉潔白な西郷ですからw」とか
「井上復帰は約2年後、大坂会議の後ミイラ取りがミイラ取りになってしぶしぶですからw」
とか突っ込みを入れてしまう 山県も井上も高杉派閥だからな。
広沢、大村という木戸派閥が暗殺されたのが木戸が
洋行以後引きこもりぎみだったのも数少ない派閥がいなくなったからだと思う。
木戸は多分大久保と対立したかったんだろうけど有能な味方がいなかったんだろうな。
江藤とかも木戸は味方に引き込みたかったんだろうし。
おや、木戸スレでボコられた派閥妄想厨ageタソがこんなとこでもだえてるw 高杉派閥なんてスレチな以上に頓珍漢で恥ずかしすぎるわな
ループしまくりでも征韓遣韓論争のほうがましだわ 大久保は最初、大坂遷都論だったけど、江戸を平定したら江戸遷都と言うのは
考えなかったんだろうか? 遷都をする先が簡単に見つかればいいけど、それはやっぱむずかしいんじゃない?
江戸は大人口を抱えていたから物流が発達していたし諸々のインフラが整備されてた。
各藩の大名屋敷が広大な敷地を持っていたから、新しく大規模な施設を建設するのも容易だったし、
初期には大名屋敷そのものを接収して官庁として使ったりもしてたし。
他の地方都市ではあれだけの便利な環境はそうは無かったと思う。 まあ大阪遷都という考えも物流の中心地で陸海の利便性重視からだからな。
ただ近代国家のポテンシャルとしては200年以上中央行政を担っていた江戸という都市の方が高かったという。 まあ、統治のための利便性を求めてってのと、帝を後宮より引き離して
朝廷の体制を一新し、且つ帝を民に見える統治者にするってのが遷都の目的。
手近にあるよいところが大坂だったから最初は大坂遷都を主張したけれど、
言われてみたら江戸のほうが、引越しの大変ささっぴいてもいろいろ条件よかったんで
遷都論者は江戸行幸で話をまとめたんじゃないのかな。
まあ新政府側の有力者はだいたい西日本出身だから、
最初は京都からそんなに離れるって発想がなかったんじゃ、って気もする。
鹿児島出身の大久保からしてみれば、江戸なんて地の果てだろ。
それ考えると、江戸詰めが長かった木戸はともかくとして、
大木あたりから江戸遷都論が出てきたのはたいしたもんだけど。 大坂より江戸の方が親徳川の気が強いのでそれを鎮撫するためという理由もある
そういえば真木和泉も大坂遷都論となえていたな >大坂より江戸の方が親徳川の気が強いのでそれを鎮撫するためという理由もある
うん、それは大きい
現実的な必要があり、大きな効果が期待できたのと、
それゆえに、帝を宮廷から引っ張り出すに足る立派な大義名分になった
三条・岩倉・大久保・木戸ら、天皇を中心とする新政府を実質的なものにしようとする実力者たちには
格好の機会と映っただろう
まあ表向きは遷都どころか奠都とも言わず行幸だったわけだがw その頃荒れてた東北にも目が届きやすいってのも大きいと思う
京都公家の圧迫からも逃れられるし一石二鳥的な
当時の距離って本当に大きいものなんだなあと時々愕然とする 敬天愛人が信条の西郷信者のみなさん、
みなさんが大好きな「実行力」が生かせる時が来ましたよ!
今すぐ原発作業員に志願して、この国難を救ってください!
日本の隅っこで、議を言ってる場合じゃありませんよ! 大久保の玄孫は被災地に赴いて放射能を浴びた野菜を食べて安全を証明しようとしましたな 一方、伊藤の子孫は韓国様ありがたや〜としきりに申しております。 今週の風雲児たちに大久保出てたけどみなもとはあんまり好きじゃないんだろうなぁ みなもとさんが大久保の行動や考えに共感を持っていないのがよく伝わってくるが、
その大久保の方が正しそうに見えるのが何とも面白いね。
実際のところ、龍馬や西郷があれだけ活躍できたのも、大久保ががっちりと組織としての薩摩藩を掌握して、
面倒くさい宮廷対策や慶喜相手の政治闘争を繰り広げていたからこそだし。 実際のところ、龍馬や西郷があれだけ活躍できたのも、大久保ががっちりと組織としての薩摩藩を掌握して
>
この点は実際は小松が薩摩藩を掌握していた
大久保は龍馬との親密度は西郷と小松ほど親しいわけではない
小松の早死が惜しまれる… 確かに、大久保・西郷だけではなく、小松をはじめとした門閥層やこれまでお飾りと見られてすらいた久光らの存在も、
薩摩藩の中ではかなり大きなものだったというのが近年の研究で明らかになってきているみたいだね。 小松がいなかったら久光動かせなかったし、江戸や京都でばら蒔く金も工面できなかったからな。
他藩の要人と会うにもまだ無名だった大久保では具合が悪かった。 大久保は気がついた時には大体小松、西郷、自分の3人で行動していたらしい
とにかく小松は下級武士の面倒見がよくできる人だったらしく
土佐藩のような粛清劇はあまりなかった
土佐は粛清と暗殺のせいで使える人材がほとんど死んでしまってカスばっか残った印象
小松が生きていれば、西郷と大久保はあんな事にならなかったんだろうか… 門閥の小松が生きてれば、維新後久光があれほど邪魔者あつかいされることはなかったはず。
久光は権力を保持したまま史実以上にややこしい存在になっていたんじゃないかな。
海江田や大山綱良も実力者として君臨して、薩摩閥は内ゲバで滅茶苦茶になっていた可能性も。 いや、そこまでの力はないだろw
せいぜい小松が板ばさみになって心労で…
やっぱり死んじゃうわw 421
小松が生きていれば、西郷と大久保はあんな事にならなかったんだろうか…
小松が長生きしていれば久光との周旋も上手くいきあの西南戦争も
あれほど大規模にはならなかったはず…
3人とも早死することはなかった
後輩の黒田と西郷従道らは3人が早く死ぬとは思ってもいなかっただろう。
薩長同盟から12年後には小松、西郷、大久保は死に伊藤と山県の時代になる… だいたい明治時代はいい奴ほど早死にしとるよ。
小松帯刀など、西郷よりも賢明だったのになー 風雲児たちは大久保と作者がもはや漫才コンビ状態だな なんとなく、みなもと太郎が大久保に対して愛着を持ち始めているような気がする。 小役人たちは「お前たちが江戸や京都で無駄遣いばかりするから俺達が徴税で苦労
しとるんだろうが」とか考えてそう。
6月22日に大久保の評伝小説が出るらしい
著者紹介見たら新撰組ものばっかりで不安ではあるが… >>431
その人長州ものも書いてるよ 高杉とか山田とか
人間関係重視の傾向があるから好き嫌いは分かれるだろうが
初期の作品ほどロマンに流れなくなってきてるのでちょっと期待してる >>431
>>432
ぜひ読みたいんで作者名教えて! まあ大久保なんて武市先生が生きてたらただの小物
ぶっちゃけ能力や人物は中岡よりも下だし
芋の薩摩で恵まれてただけ >437
武市瑞山かぁ。
能力的には武市が全てにおいて上回ってると思うけど、性格的にどうだろ。
自分が正しいと思った事は譲らないのと潔癖な性格で、確実に大久保と対立しただろうから、
遅かれ早かれ、江藤新平みたいに消されたんじゃないか?
武市って同時期に久坂の方が目立つからよく分からん
岡田とか田中新兵衛を飼ってる訳だし大久保みたいに手段選ばないタイプなのかね。
知識やら人望やらはそりゃあ大久保より上だろう、明治政府で張り合えたかどうかは知らんが 人望は西郷、政治は大久保・木戸に匹敵すると言われた武市が大久保にやられると思えんけどなぁ
武市が歯向かえないのは主君の容堂くらいだし >440
その政治の部分がさ、行政や立法の能力なら武市が上回るけど、
政局という部分では大久保が遙かに勝る。 大久保は政局強いけど運が良かっただけだろう
明治政府には大久保と敵対できるだけの政治家が居なかった
木戸は鬱病だし西郷は政局家であることを捨てたから勝っただけだし
西郷が大久保を潰す気だったら大久保は負けてたろう 西郷が大久保潰してたら政局大混乱だな
その場合それほど政府関係者が西郷につくとは思えないけど
しかし木戸が鬱病っていってる時点で知識なさ杉w 西郷は欧米にいったこともないし、近代化をしきるにあたっては、大久保ほどの
能力知識はなかったんじゃ。 官僚組織をコントロールして、工業化、近代化を
すすめるのは、大久保じゃなきゃ無理だったろう。 薩摩藩の新型銃と旧型銃のコンペの際に一方的に守旧派を蔑ろにせずに
守旧派を長崎に留学させたり、一方で精忠組の突出を支持して一方で久光
との交渉を続けるというバランス感覚が武市瑞山には無かったような気がする。 西郷が大久保潰しても西郷下野ほど混乱ないでしょ
むしろ西南戦争やらが起きなかったかもしれない
実質明治維新を進めてたのは留守政府の方で行政は江藤やら佐賀閥が仕切って着々近代化を進めてた
洋行組は海外回ってる間、政局から置いてけぼりされてたからあせった 西郷に中央政治やる気があるのか?
あるならあるで開化派と衝突するだけじゃん
留守政府の改革が進んだのは西郷にやる気がなかったおかげだろ
廃藩置県前後に、どんだけ西郷が人事であほな口出ししたことか それも含めて西郷隆盛に功績はあったと思うが。
明治維新における行政上の各種改革は、西郷隆盛の承認を原動力としていたのだから。
承認もしないのが普通の上層部であり、それでは誰も近代化を進められなかっただろう。
いやそういう話じゃなく、大久保潰した場合、西郷に事態コントロールの意思があるのか
西郷下野の混乱って、単に軍隊の混乱だろ
大久保潰した混乱は、政治全体の混乱になる
だいたい大久保を潰す西郷に長州はつかんだろう 混乱は増すばかりだ
大名や士族にとって最悪の廃藩置県や徴兵制やった西郷にやる気が無かったってなぁ
薩摩や士族をギリギリまで統御コントロールできたのも西郷だからだろう
西郷が下野してから士族の乱が頻発した
もし大久保が西郷の立場で廃藩置県だの徴兵制言ったら「おはんはなにいうてもす」と首が胴から飛んでた 西郷なかりせば、廃藩置県は実現できなかった。 これを認めるとしても
西郷自身が廃藩置県を企画したのか、廃藩置県をのぞんでいたのかとなると
これは明確な回答が難しくなるんじゃないかなぁ。 廃藩置県は完全な中央
集権をめざす政策だが、西郷は全然中央集権志向じゃないし。
廃藩置県を企画したのは大久保で、それを実現するために西郷を説得し
利用したってことはある? 廃藩置県を企画したのは木戸、西郷を説得しようとしたのは山県 大久保が引きこもったときはいずれも混乱は起きてないと思うが、それでも失脚した場合は混乱が起きるのか?
西郷が下野したのは、大久保と岩倉の天皇を利用した不当な行為に嫌気が差したからだと思うんだが。 実際西郷のが幕末から大久保より革命思想あったからな
他藩士と接触したりして影響受けたんだろうが
大久保は一貫して藩官僚だったから、明治維新も徳川から薩摩が天下取った程度の態度で洋行前は大久保のが党派的
久光が絶対あれだけは止せと言ったのを西郷が中央に薩摩兵引き連れ薩長土の武力を背景に廃藩置県を達成 廃藩置県を西郷が望んでやったかのような言い方は間違いだろ
廃藩置県が実行されたのは、あまりに政府ががたがたになっていたから、というのが真相だが
たとえば三傑の廃藩置県に臨んでの考えは、
西郷…廃藩置県が必要とは考えていなかったが、今の政府の状況では確かに必要だからやろう
大久保…廃藩置県はいずれは必要かもしれないがまだ早いと思っていたが、以下同文
木戸…廃藩置県をやりたくて仕方がないが反発が強いから根回ししつつ様子見してた、西郷が同意したならやろう
そんなとこじゃないのか?
西郷が兵を率いて上京したのはそもそも廃藩置県のためじゃないだろうが
西郷の実力は認めるが、どうも西郷を評価する人ってのは不思議な飛躍をするなあ
あと、幕末までの時点で西郷が革命的だったことが、明治政権にあって改革的であることとイコールではないのは
その他の志士の皆様の状況を見ても自明じゃないんですかね
明治初期の大久保に党派的な面があったのは事実だが、少なくとも大久保は学びつつあったんだよな
そういう意味では西郷は学習してませんがな 西郷は、廃藩置県そのものは、どうでもよいと思ってたんじゃないかな。
藩主や知事は、追々、世襲から公選制にすれば良いと思っており、それまでは、
藩主をクビにすることで、武士に余計な不満を持たせたくないと考えていたのでは? 本当に西郷がその程度にしか思ってなかったとしたら、
国の会計についてなにも分かってなかったってことだな
卒兵上京して中央政府に復帰してから、政府の業務量に驚いてたって
大隈証言もあるから、そんなもんだったかもな
今の世の中でも、中央省庁に「権限や財源をよこせ」って言っていた地方行政官が、
実際に権限を手にしたときにその責任の重さや増える仕事量の重さに気がついて逃げ腰になった
みたいな話はけっこうあるみたいだしね。
もっと解りやすく言えば、自民党に政見をよこせって云ってた民主党が、
実際に政権を担当してみたら「こんなに大変だとは思わなかった」って泣き言を
いっているようなもんだろう。 廃藩置県がどうでも良いその程度ってあり縁w
当時全国で重税に苦しむ農民らの蜂起一揆が続発し
それに加え政府腐敗で反政府行動や転覆を企てる連中も出てきて、廃藩置県なんての到底出来る人間は居なかった
それで薩摩にこもってた西郷を大久保と木戸が拝み倒して中央に呼んだ
西郷は廃藩置県について使者に来た山縣にそれは正しいと言ってるし
そもそも藩政改革者の津田出を過大評価したくらい
承諾した西郷は反乱を防ぐ為、親兵にするため薩摩兵5000を率い上洛し、
大久保と木戸に対し廃藩置県の事務的な手順がついているなら、
その後のことは、おいが引き受けるもそ、もし反乱が起これば、おいが全て鎮圧するとまで言ってる ちなみに明治4年から明治6年までの2年、大久保らは大挙欧米を視察中であり、西郷首班の政府が実務を取り仕切った
留守を預かった西郷政府は廃藩置県につづき、学制頒布、国立銀行条例の公布、太陽暦の採用、徴兵令の制定、地租改正と明治維新といえる大改革はこの時期行った
その上これだけの大改革でも反乱はほぼ起こってない
その間内部でも江藤ら留守組の対立や、井上、山県らの不正が発覚したりしたが西郷は重要所でちゃんと政局を処理してる
洋行から帰った大久保らは、留守の間に大改革が行われ、江藤ら佐賀派が台頭し長州閥や洋行組が傍流になり愕然とし、反撃のための主導権握りに利用したのが遺韓論
大久保が将来的には議会制を考えてたとしても、明治6年から大久保政府がやったのは、表向きは近代化を唱えながら、民権を圧迫、言論統制、不平者や士族を罠にかけ反乱を煽り武力鎮圧、少数の人間が政治を動かす有司専制の体制 廃藩置県がなされたのは、明治4年7月14日、岩倉使節団の洋行は明治4年
11月12日だから、洋行の前だよね。廃藩置県の意思決定には、木戸や大久保の
洋行組もかかわってるわけだ。 廃藩置県やって中央集権体制を整えれば
中央の統制による近代化推進の土台ができるわけで、土台さえできれば、あとは
道に車を転がすように、物事は運ぶので、そこで西郷の政府内での役割はおわった
ともいえるかもな。留守居政府で近代化をしきっていたのは佐賀閥、江藤新平など
だろうけど、留守居政府で一番の重鎮だった西郷は農本主義者で、近代化にそれほど
熱心ではなかった。征韓論争で下野したあと、西郷と江藤は別々に蜂起して、別々に
鎮圧されたので、このふたりが結びついていれば、その後の歴史はかわったかもしれない。
そうさせずに個別に撃破できたのは、大久保の手腕というべきか。 重税に苦しむって…地租改正前と後をごっちゃにすんなw
卒兵上京前の西郷の周囲に重税に苦しむ農民がいたのなら、
それは鹿児島藩=西郷の責任だろ。
中央政府に責任があるのは府県の重税。そっちは腹心の情報で大久保のほうがよく知ってる。
もっとも、そっちを把握しすぎて、大久保は中央の財政を把握するのが
やや遅れぎみだったきらいはあるが、
どっちも西郷よりはわかってるだろ。
で、廃藩置県で全国の税収が国家に入るようになた後、
全国で一揆が起きちゃったのは、
洋行組に「やりすぎ」と批判された地租改正の結果で、
あんたの論法に則れば、西郷の責任なんじゃねえの?
もっとも鹿児島にはちっとも地租改正適用されなかったけどなw
しかも大久保木戸が廃藩置県のために拝み倒して西郷に卒兵上京してもらったって…
いまどきそんなことを言ってる歴史学者は 一 人 も い ま せ ん
勉強不足以前の問題。
三傑+岩倉それぞれの意図がありその背景に国家の危機があったのは事実だが、
それをいちいち説明しなきゃならんのかよこのスレで…
あと兵を出したのは薩摩だけじゃないよ
そして薩摩兵が多かったのは、中央(特に木戸)が鹿児島藩の兵力を削ぎたかったのもあるけど、
西郷も藩財政上、藩兵を持て余してたのもあるみたいだな。 大久保や木戸では版籍奉還がやっと
廃藩置県と並び徴兵制も大改革
それまで武士が担当してた武士たる所以の軍事占有権を奪い、一般に軍事負担を課す四民平等の大改革
西郷が熱心でなかったと言うけど、西郷はもともと天下の人心を糾合し統御することに長けてて実務家で無いだけ
西郷はそもそも蜂起する気がなかったし、板垣や江藤にもはっきり提携を断ってる
西郷が蜂起するなら下野せずに蜂起すれば良いだけ
当時参議兼陸軍大将の上に、政府の薩摩軍も握ってるんだから大久保らをやれと言ったら大久保らは死んでる
大久保が勝手に敵愾心丸出しで反政府の反乱煽って潰しただけ 大久保も木戸も私財を蓄えた、汚職してたってイメージはそんなに強くないけど
西郷は汚職と無縁、清廉というイメージが飛びぬけて強かったんだな。
地租改正後、地租改正反対一揆というのは、西郷が下野してからおきたので
汚職と無縁というイメージが強い西郷と、そういう農民一揆が結びつくことを
中央政府が警戒するのは当然だろうなぁ。 なんでまた征韓遣韓の話になってんだよ関係ないだろw 大久保は征韓論争の一方の立役者だから、大久保スレでも征韓論争について
論じられるのはしごく当然。 >>463
その大改革を急進した結果地方の士族の不満に→不満逸らしに遣韓論→反対されて下野
だろ?
大隈江藤らの「アラビア馬」の手綱をうまく引けなかった西郷の手落ちだな
そりゃ信頼して旅立った大久保も呆れるわ 遣韓論が不満そらしってw
単なる西郷の開国交渉案です
不満そらしってのは大久保の台湾出兵の方
朝鮮どころでなく清国と開戦直前まで行ってる
しかもその後遺韓大使所か江華島事件で朝鮮を武力開国させてるしw
だったら初めから西郷送っとけよ だから自分がお得意の論題wだからって遣韓征韓問題に話をそらすなよ
卒兵上京前から留守政府にいたるおまえの歴史認識が西郷マンセー史観すぎるんだよ 史実としてみれば専制政治主義の大久保や木戸が民権派の西郷を嫉妬憎悪し殺したでしかないんだよ
政府も反政府もない、思想的に文明絶対主義の福沢諭吉ですら西郷哀れむべしと政府責めてるな 台湾出兵は、漂着民が惨殺された事件を処理するという名分もあるし、アメリカの後押しも
あったというしね。 西郷による使節派遣の結果、韓国とのあいだに武力紛争がおきたら
列強がどういう態度にでてくるのかわからないから、外遊組は反対したってことじゃない?
江華島事件のあたりになると、列強の反応も多少予測できるようになってきた、だから
武力開国をめざした、とかあるかなぁ。 木戸が専制主義って…
わー話にもならんわ
あーあ、前にこの板で議論した西郷にくわしい人こないかなー
あの人だったらちゃんとした知識の裏付けあるから議論が出来て得るところも多くてよかったなー
西郷好きもピンからキリまでいるよなー 結局列強が介入したのは台湾出兵の方で朝鮮なんてどうでも良かったんだよな
西郷や副島の見識のほうが正しかった
当時列強は清国を最大の利権としてたから日本との摩擦でパワーバランス崩れるのを嫌ってた
史実としてみれば洋行組が将来的にどんな理想を考えてたとしても、政府がやったのは、
表向きは近代化を唱えながら、民権を圧迫、言論統制、不平者や士族を罠にかけ反乱を煽り武力鎮圧、少数の人間が政治を動かす有司専制だからね
結局これがなされれば大久保が暗殺されるのは当然だった 批判するのはかんたんだよな
西郷はさぞ民主的な政治を鹿児島でやったんでしょうよ
国政ではちょ、だが土佐は改革した板垣のほうが百倍マシ 列強が朝鮮どうでもよかったというのは、ちょっとね。台湾にくらべて、朝鮮への関心が
うすかったという根拠はないだろう。 アメリカもフランスも維新前後に鎖国してる朝鮮へ
いろいろちょっかいだしてる。 留守政府時の西郷は、各方面に睨みを利かせてる以外は、
江藤と双方の自宅縁側なんかで、お茶を飲みながら、
「最近の政治家は贅沢だ」と愚痴ってた程度だからな。
維新前は、斉彬の意志を継ぐという意味合いで神がかった謀略戦もやったが、
性格的に謀略は卑怯だと考えてただろうから、維新後は昼行灯的な感じだったのかも。
明治帝から直接、「この国を頼む」的な事を言われていたら、
全く違った行動を取っていたろう。 西郷は明治天皇の教育係をきめて、自分も結構明治天皇の教育をしてたんじゃ
ないか、確か。 >481
明治帝にとって西郷は、臣下というより師匠のような存在だったと思うんだわ。
だから、明治帝から西郷に頼み事のようなことはしなかったんじゃないかと。 西郷が明治天皇の教育にかかわったのって、留守政府のほんの一時だろ。 明治天皇に山岡鉄舟を養育係として就けたのも、西郷隆盛の命令によるものであった。
明治天皇の回想によるとこのような話がある。
或る時、明治天皇が少し息を抜いて稽古をした。
すると西郷隆盛が即座にやってきて、激しく怒り天皇の資格を問い、
手を抜いた稽古が問題にならなくなるほどの追加の稽古を課し、
全てをやり遂げるまでその場を離れなかった、とのこと。
以来国家を優先し、自らが楽かどうかは放棄して一生を過ごした、と伝記にはある。
明治天皇の明治期の行動には、西郷が圧倒的な影響を与えることになったということになる。 そりゃ西郷も影響与えたけどね 政治に関しては木戸のほうがちゃんと指導してる 憲法制定の際、木戸の霊前に報告の勅使が立っている
これは制定した伊藤ではなく、天皇自身の意思で行われた
天皇は、憲法制定が木戸の宿願であったことをよく理解していたからだ
この手のエピソードを、西郷信者は拾っては大げさに宣伝しており
ほかの人物の研究をしている人は、政治活動研究に集中しているからあまり出てこない
それだけの話じゃねえのw それに、西郷のそのエピソードのあとだって、天皇はしょっちゅうやる気をなくしたりひよったりしてる
そのたびに三条や岩倉や木戸が懸命に説得したり説教したり工夫して政治に興味を持つようにしたりしてる
伝記ってのはどういうスタンスで書かれているのか考えてよまなくちゃなw 丸呑みするなよw 西郷が影響与えたのも、明治天皇が西郷好きなのも事実であろうが、
「圧倒的」とか言っちゃうのがなw
普通に岩倉木戸伊藤、それ以上に山岡の方が影響力大だろ。それをも西郷のおかげにしちゃうのねw
薩摩なら高崎正風とかの方が影響与えてそう
つか大久保関係無くなってきたじゃんか、
西郷の話も良いが大久保スレなんだから大久保と関連もしくは対比させなけりゃ うん。まあ天皇教育は維新当初から、三傑と岩倉三条の共通課題なわけで、
中では大久保は、天皇との直接のエピソードは少ないかもしれないが
天皇を御簾の向こうから引っ張り出すことにかけては、一番の働きをしたともいえる。
その後も、間接的にだがいろいろと天皇教育のためには動いてるんだよ
芝居がかったエピソードだけですごいとかえらいとか評価してたらいろいろ見落とすよな 東北行幸のときも、実際に供奉したのは岩倉と木戸だが
先行していろいろな調査下準備をしたのは大久保だった
あれも、東北の人心掌握策であると同時に、天皇の政治的教育のため
大久保ってさ、案外「すごかった」的イメージだけで語られることが多い気がするんだが
もっと丁寧に、大久保の関わった仕事一つ一つ拾っていって評価しなくちゃいけないんじゃないか
まああの意志力が最大の武器だってのは確かにそうなんだけどな >>490
あれ、明治9年の話してるなら大久保も同行してなかったっけ? >>491
ごめん今確認した。
先行して準備、向こうで天皇を迎え、また別行動とって天皇の代わりに視察したり、って感じのようだ。 >>439
創作ではそういうイメージが強いが、実際の武市は目的のためなら手段を選ばない系の人間では無い
テロ嫌いの正論家だと、高杉が久坂に愚痴ってる程にww
田中と岡田も別に武市から飼われていたわけじゃないしな >>440
実際に武市は、大久保の策謀にはまったのではないか?と党員が心配してる場面が有ったけどな
平井の所に党員からそのような手紙が届いてたようだし
案外簡単にやられてしまうかもしれん 大久保の子供といえば、牧野伸顕が有名ですが、
その他の子供たちのエピソードを教えていただけませんでしょうか?
四男の利夫氏は海軍兵学校出身ながら、海軍少尉で終わっています。
途中で転職されたか、若くして亡くなられたのでしょうか? 武市は目的の為なら暗殺手段も決行できる度胸の持ち主
単なる人格家の正論議論のみで世の中動くと思ってた青書生でないしょ
かといって無意味な暴走やテロ活動やる気もないだけで >>496
子孫に東大教授、通産省事務次官、元首相等
がいるのは知ってる。
四男以降のエピは知らん。 大久保って政治手腕が卓抜しすぎてるため陰険陰謀めいてるようにされてるから昔から損だな 日記で心情を吐露してたら、見る目も変わったかもしれない。 江藤のかわりに大久保が死んでりゃ、今頃世界に冠たる人権大国になってただろうな。
大久保専制ではなく、極楽浄土が現出していたであろう。 大久保って薩摩人には珍しく薩摩離れしてるように見えるが、
市民という視点が希薄なところがやはり薩摩出身者かなという印象はある >502
そうは思わない。
国家運営というのはそれほど簡単なものではないし、議会制民主主義や国民主権といった思想は
国民の側の相応の成熟が必要とされるものだと思うから。
江藤が優れたビジョンの提示や制度設計の緻密さという実力を持っていたことは
重々承知しているけれども、現実に存在している難しい利害調整(既得権の奪い合い)や、
示したビジョンに向かって多くの人々の力を結集させて推進していく政治的なリーダーシップは
正直に言うと大久保に一歩も二歩も譲るところがあったと思う。
個人的には、大久保が政治のトップで江藤が官僚のトップとして、車の両輪のように
全体を統御してくれるのが理想だったと思っているんだが・・・ >>501
今の大河なら薩長は悪の権化として描かれるだろうなー
山本覚馬や新島襄は西郷や木戸には世話になってるけど、
大久保はあんまり関係なさそう
福島の応援なら安積疏水に触れてくれたら良いけど 大久保も将来的にはイギリス型の立憲君主制による議会政治を理想と目指してたようだが
その過程においては国権でもって産業を育成し民度や国民水準を引き上げる以外はないと確信してた用だ
もっとも途中で死んでしまったが >>505
龍馬伝も仁もアレだったから最近のドラマには期待しない
薩長自体を悪く書くのは西郷、木戸の存在から微妙な線だが >>502
江藤が権力握れば日本は往生してしまうとでも言いたいのか 江藤政権なるものが出来ていたら藩閥政治がずっと早くに解体されるだろうけど
いわゆる官僚主導型に切り替わるだけで大筋ではそう変化しない気がする >509
いや、大久保政権が続いていたとしても、藩閥政治はもっと早く解体に向かったんじゃないかって気がするよ。
少なくとも、大久保は藩閥にこだわらずに実力のある人間をどしどし重要な位置に付けていったから。
大久保暗殺の報を聞いて、彼に実力を評価されて仕事を任されていた前島密や河瀬秀治なんかは、
その後の日本の行く末を思って暗然としたって言ってるし、実際その通りになっていったって。 昔の文献に、木戸が三権分立だの何だのと唱えても、
当時の政治ではそれぞれの国家機関は対立しあう政治勢力であり、
権力の分立=対立する政治勢力を増やす、ということと考えられ忌避された。
三権分立をちゃんと理解している者ははなはだ少なかった、とあった。
江藤の攻撃的な主張の通し方といい大久保の内務省に何でも取り込むやり方といい、
この論には大いにうなずけるところがある。 国家としての制度設計がまだまだ手探りな状態だったし、ヨーロッパでの議会制や三権分立だって
まだそれほど確固とした盤石な理論でもなかった頃だったしね。
それまでの数百年間にわたって築き挙げ受け継がれてきた伝統的な統治形態をぶっ壊して、
一から作り直そうとしているんだから、どんなシステムが良いのか、どういう制度を採るべきなのか、
判断するのは難しいことだったと思うよ。
どの省にどの権限を与えるのか、その時のその省のトップとその部下の面子を勘案して決める、
みたいなレベルで物事を考える部分を持っていないと、政府全体が瓦解しかねないぐらいに
危うい均衡で成り立っていた集団だったからね。
>>510
つか大久保政権が続いてたら、藩閥政治は起こらないんじゃないかな
大久保死後、強力なリーダーシップが無いから藩閥で纏まざるを得なかった訳だし。
打倒藩閥政治、ではなく打倒大久保政権という形で政党政治の気運が高まり、
伊藤や大隈らがスムーズに引き継いでいく流れだったかも うーん、自分も大久保を信じたい気持ちはあるが、微妙だな。
六年政変以後の大久保は藩閥にはこだわらなくなったかもしれないが、
統制には終始一貫してこだわっている。だからこその内務省。
まあ当時それが必要な危機的状況だったのは事実だが。
西南戦争終わってほっとして軟化したみたいだけど、
政党が林立してぎゃいぎゃい論争するようになれば、
かえって「日本には議会制はまだ早い」って硬化する気もするんだわ。
木戸主導で地方官会議やったときも、
木戸的には議決出来たこともあるし一定の成果あった!って感じだが
大久保的には会議踊ってるしムダ!って印象だろ。
まあ薩摩県令大山の件が大きいんだろうが。 議会政治を理想としてた勝先生も導入は明治30年を過ぎたあたりと慎重だったからね
死んだ大久保とそう話してたのに、民権派の圧力で議会制を早めた伊藤らを
お前らはどこまで調子乗ってるんだと怒鳴りつけたらしい >515
議会制民主主義に舵を切るのは相当に遅かっただろうけど、藩閥政治をいつまでも続ける気が
なかったのは確かだろうし、個人的にはそれで良いんじゃないかとも思うんだよな。
実際問題、議会が開設しても、政党の党首が首相になるって体制が固まるのはかなり後だったし、
実際には旧制高校→帝大というコースで鍛えられた官僚達が政策を練り上げていくことで
国家を運営する体制は変わらなかったのだから、「藩閥か/議会制か」という上部構造が
変わるだけで、官僚主導の国家運営という基本線は変わらなかったと思う。
だったら、藩閥みたく私利私欲や情実人事がまかりとおる体制よりも、大久保中心の
有司専制体制で、少なくとも「仕事が出来る人間が上に立つ」という仕組みがあった方が
良かったんじゃないかな、とも思うんよ。
まぁ、薩長の場合は維新の動乱をくぐり抜けてきた面子が相応に多かったから、
結果的に有能な人間が藩閥中に多くいたんで、明治日本の興隆もあったんだけどね。
藩閥についてはどうもなぁ。
大久保が最後まで手放さなかった木戸にしても、
民権派の信望と長閥筆頭としての力と
どちらが必要だったと断言出来るかどうか。
>>516
議会民主制導入が早まったのは、伊藤のせいというより
大久保亡き後有司専制派の領袖として最有力候補だった大隈が
一朝日にして民権派に寝返ったせいだと思うけどな。
それで五代は怒り狂って薩摩に帰るしw 大久保が木戸を必要としたのは木戸の維新元勲としての重みだけ
木戸本人の政治力は低いし必要としてない、むしろ政権構想から外れてて邪魔だった
下野して野党になった格上の西郷が明治維新を起こした筆頭だから
大久保一人の格じゃ格的に大久保政府を正当化できない
実務や政治は木戸が居なくても伊藤が居たから支障なかった
もっとも木戸は下野すると言っても自分が無視されると陰険になるんで伊藤もかなりまいったらしい
藩閥も批判されるが日露戦争までは薩長閥が日本をリードした
その薩長閥がつぶれ伊藤ら元老が死んだ後、大正デモクラシーが起こり関東大震災が置き政治不信で軍閥政権が生まれ大東亜戦争になる みたいだね
大久保は伊藤なんてパシリとしては重宝したかもしれんが
長州閥のまとめ役としては眼中になかったっぽいけどな
ていうか廃藩置県では大久保たちが長州勢と秘密裏に進めてたことを知らずに
功に逸って暴露して邪魔したし 大久保のお陰で強力な明治政府が出来上がったのは確かだけど、その反動が藩閥政治と有司専制。
そして、江藤憎しでやっちゃった佐賀の乱のときの大久保の暴走が、天皇軽視の先例も作ってる。
これらの弊害は大久保死後数十年経ってから現れてるけど、その萌芽は大久保。
しかし、後世では弊害になった事も、当時では必要だった事も確か。
個人的には、留守政府の路線がそのまま続いたらどうなったかには興味があるな〜。 「醜態笑止なり」に大久保のすべてが現れてるね。男の嫉妬だわね。
しかも殖産興業は失敗、強大な内務省は戦前期を通して悪弊となった。
議会開設や人権付与に消極的で、お上意識を強く国民に押し付けたことはいまに至るまで悪影響を及ぼしている。
反論は認めない、というかあり得ない 佐々木克は、当時の薩摩では「笑止」は恥ずかしいとか困ったって意味で、
江藤を嘲ったってほどではなく大久保自身の失態も恥じているようなこと書いてたよ〜 昔は大久保好きだったけど、
大久保、西郷、久光の動向を並べてみると、
大久保は西郷を利用しただけなのが良く分かった。
西郷は主君や天皇・公家の方針に従っただけ。
農民を救いたくて建白してたら、斉彬に見いだされちゃって、
政治のゴタゴタに巻き込まれちゃった。
倒幕の方針は、西郷遠島中に大久保が工作して作っただけ。
大久保は、人を動かすのに西郷が必要になると、その時だけ呼び寄せる(幕末と明治3年)
大久保の木戸に対する行動もおんなじ。
大久保を擁護しておくと、革命後は恐怖政治・強権政治になるのは仕方がない
先に手を出して国民を虐殺しなかったことは褒めてやる >525
それだと、江藤の醜態で大久保が恥ずかしがるという意味不明なことになるぞ。
やはり、そのまま「江藤の醜態恥ずかしいよね〜」という意味だと思うが。 講談社学術文庫の記述だろ?
言葉なんて複数の意味もあるし
佐々木自身が大久保信者だからな
言葉尻はともかく執務室に生首写真を飾った汚点 江藤厨醜態笑止なりと言えばいいのかこの流れ
江藤信者の皆さんも大抵毛利大先生の受け売りじゃん
江藤がトップに立ってたら日本はもっと民主的になってたとか妄想がキツすぎる
まぁとにかく巣に帰れ まあ大久保におっかねー勘弁してほしー面があったのは事実だが
その事実を認識することで江藤や西郷の評価が高まるわけじゃないよな
ところで大久保が生首写真貼ってたのってソース何なの?
教えて君でスマソ 江藤が実権を握ってたら
法律を杓子定規に適用するような
生きにくい国になってたと思う 「江藤、醜態笑止なり」の是非はともかく、その続きの文が
「今日は都合よく済み大安心」
だからなw ここってたまに佐々木克と毛利敏彦の代理戦争みたいになるよな 純粋に学問的な意志から発した討論だったならそれも面白いんだけど、
単なる相手方への非難合戦になる場合が多いのがなぁ。 人間なんて直接会わなきゃわからんだろ
史料(笑)文献(笑) 別に人柄とか相性だかを確かめる訳じゃないだろ(笑)
政治上の業績や国家への貢献という面で判断するのは、面と向かって会わなくたって可能だよ。 毛利敏彦さんも維新前夜の群像では大久保利通の事を評価していたのにね >>538
それって、評価すべき点は評価して批判すべき点は批判してるだけでは? 江藤に対して客観視出来ない限りそういう風には見られないね どうでもいいことかもしれないけど、大久保利通の宗家は、次の女当主が
養子を取らない限り、途絶えるらしいね。
結婚してたんだけど、離婚しちゃったそうで、子どもいないから。 >540
大久保の業績に対しては公平な評価だと思うけど。
江藤が絡んだ場合の大久保の評価が辛いだけだろ?
それは、個々人の価値観の相違でしか無い。 >>541
無念の死を遂げた多くの人々の怨念がある家系...って板違いかw 門閥打破!
江藤の夢叶ったり!
なにが牧野、麻生だ。相続税300%にすべき 杓子定規って。
私腹を肥やす井上や山城屋事件の山県、県令槙村をのさばらすのが生きやすい世の中と。
いまでも変わらんですな、利権政治家が力伸ばすのと。あほらし まーた始まった
最近の江藤厨って会津厨と同レベルになってきたなぁ >547
厨はどれも同レベル。
大久保厨も江藤スレで生首連呼して荒らした事もあるから同じようなもんだ。 スレを見てると、人物の性格が信者にあらわれてるぜwww
やっぱ自分に似てる人に愛着が沸くからな
一番まとも(というか現実的)なのが大久保
木戸厨はなんかズレてる
西郷はあのまんま そういえば「大久保は神」とかいう変な人最近は見ないね 坂本龍馬は大久保利通のことをどう思ってたんだろうね。
坂本は天下の人物として徳川家〜大久保一翁・勝海舟、越前〜三岡八郎・長谷部勘右衛門
肥後〜横井小楠、薩摩〜小松帯刀・ 西郷隆盛、長州〜桂小五郎・高杉晋作
を挙げてるけど大久保利通は入ってないんだよなぁ。
ところが、坂本は別のところでは「天下の事衰頽救ふべからず、感慨の話多し。
一人薩の大久保なるもの事を共にすべし」とも評してるんだよな。
天下の人物に薩摩人を3人も入れることに遠慮したのかな。 >>553
人物として総合的に優れてるのは前者。
国政の事を話せるのは後者なのでは? >>547
江藤ファンは江藤を東京地検特捜部長と勘違いしてるんだよ。
江藤は内閣法制局長官ポジションですよ。
>>553
「天下の人物」は各政治主体のコアになる人物(派閥の領袖的な)だが、
「事を共にすべき」は、実際に政治運動の実務を仕切れる人物と言う意味では?
天下の人物は龍馬の主観的人物評価、事を共にすべき人物は感情抜きでの客観的評価でしょう 毛利敏彦氏の「大久保利通」と佐々木克「大久保利通」を読んで感銘を受けたんだが、
ここを見る限り毛利氏は偏ってるのかな…?読んでて江藤上げとはあまり感じなかったが 幕末までの薩摩閥の代表は小松と西郷(龍馬が生きている頃)
小松が病身となり西郷と共に薩摩代表になったのが大久保
維新後は小松が若くして病死、西郷は政府側と対立して下野した
木戸も病弱だったし
だから必然的に大久保がリーダーになった
ちなみに小松と木戸は病弱ということもあるけど
過労死したと言えなくもない >>556
その本はそこまで偏ってないけど江藤メインの本だと露骨すぎる 大久保は元々誠忠組のリーダ格だろう
脱藩して井伊を斬る気だった
国許で藩政を動かす事が多かったが他とは結構あってるし
坂本とは接触ないんでないか >>560
有名なエピソードとしては坂本に着物や刀をあげたり、
「義無き勅命は勅命に非ず」の手紙を坂本に持たせて長州にその意を伝えるよう頼んだりしてる。
小松や西郷のように私的に仲良かったかは分からないが、
交渉人としては重宝してただろう 新しい国の形を造り上げるために
嫌われ者になることを厭わず
「私」に生きることをしなかった大久保
イイよね〜〜〜 まあ西郷もそうだけど
大久保の敵側に立てばまた意見が違う 大久保さあってイメージと違い度量広いよな中井弘や中江兆民の様な奇傑も受け入れてるし 基本的に試してから決めるタイプだと思う
西郷は選り好み激しいけど信頼したら丸投げしてたまに投げ返されて怒るタイプw 佐々木克の「大久保利通」の中にあった、
「西南戦争の時の西郷、大久保の心事について、世の人の知らない秘密がある」
ってのがなんのことだったのか、気になってしょうがない
墓場まで持っていってしまったようだからもう永久に分からないんだろうけど、
新しい資料がひょっこり出てきたりすると面白いな 大久保って幕末期に小松と距離置き始めてる?
論文集読んでたら小松が後藤に同調した時期から西郷・大久保と分裂始まったみたいな感じ 小松は大政奉還直後から体調を崩し
王政復古の大号令に参加できなかった
体調が回復しない小松を案じていた大久保と西郷
戊辰戦争には反対していたけど
資金不足の政府のためにイギリスと交渉して
資金を調達したのは小松
あの大きな薩摩閥をまとめていいたのも小松
大久保を研究している桐野作人さんの「膏肓記」が詳しいと思う。
桐野さんは龍馬暗殺は薩摩は誰も係っていないと論じている。
今の日本には優秀な政治家より、優秀な実業家や経済人の方が必要ではないか。
大日本経済帝国1億総玉砕も間近だなぁ〜。
維新の10傑
西郷隆盛 小松帯刀 大久保利通 木戸考允 大村益次郎
前原一誠 広沢真臣 横井小楠 江藤新平 岩倉具視
明治11までに岩倉以外は亡くなったのは
日本にとって不幸なことだと思う
所詮岩倉は公卿… 他は納得の人選だが前原だけ場違いだな
参議経験者だから? 西郷・大久保・小松は一心同体
決裂したのは朝鮮派遣だけ 討幕の密勅のことは龍馬は知らなかったみたいだし
小松と龍馬は一心同体というわけではなかった
江藤への粛清はよくでてくるけど、同じ政変で対立した副島種臣への対処がよくわからん
不穏分子を一掃するなら江藤とともに下野させればよかったのに副島だけ引き留めた。
しかし副島が清に旅立つと、スパイに後をつけさせた。
外交上かかせない人物だったから江藤の道ずれにしなかったのか、
それとも親しい間柄だから手をくだせなかったのだろうか
>>541
どうでもいいことだが宗家にフサフサ具合が遺伝しなくて一安心w 初めてこのスレ読んで一番心に残ったのは、信者はその人に似るっていう文だった
それを思うとこのスレの奴らも愛しくなってくるw >>578
副島って最初の頃は大久保のブレーンみたいになってるよね。
学があるからさ。
大久保や岩倉に知識がないとこ補ってるっていうか。
まあ江藤にも岩倉はいろいろやらせてるけど。
その過程で副島と江藤の性格の違いは把握してたんじゃね?
副島は担がれるようなことにはならんだろうと。
別に大久保が反対者軒並み粛清したわけじゃあるまいし。 あけおめ
>>583
や、大久保はブレただろ?
方針転換を恐れなかったという言い方もできるが、ブレなかったってのはないわ。
>584
「ブレ」という言葉をどう取るかだな。
採った個々の政策や対応はわりかし臨機応変というか、部下が上げてきた意見でこれは良いと思ったら
自分のそれまでの考えと違うものでも取り上げることがあった。
ただ、一度正式に政権として「決めた」としたことは、最後まで貫き通すと言うだけの
覚悟なり決意なりはかなりしっかりと持っていたという点は、認めても良いと思う。 明治6年政変→征台のあたりの大久保はめっちゃブレたというか長いものに巻かれたというか、
後々の軍部に政府が引きずられる悪例の雛型になってると思う いつも思うんだけど笑止なりは仕方ないとして江藤の生首部屋に飾ったって
ソースはどっから来たの?
>>588
江藤醜態笑止なり、は近デジで大久保利通日記を読んだら本当に書いてあったけど、
写真の件は何に書いてるんだろうね
新聞とかの誇張の可能性も無いのかな
部屋に飾った写真を見てほくそ笑んだ、は流石に脚色だろうけど、
みせしめの為に各省に配布なら大久保ならやりそうな気もする >>587
征韓論も征台も副島がリシャンドルあたりにそそのかされた辺りからはじまってるんじゃなかったっけ
征台はもう少し慎重にいこうとしたけど小西郷が早漏だったばっかりに‥
>>588
跳ぶが如くの中では誰も写真をはがさなくて木戸の妹婿がそれを一人ではがしたって話だったな。名前があるちゅーことはどっかに資料があるんじゃね? 木戸の妹婿は幕末に死んだ来原良蔵しかいないけど、まさか死人が剥がせまい
恒例の捏造ならぬ司馬ソースか 妹婿ではなく娘(養子)婿なら河瀬真孝がいるけど、
Wiki見たら明治6年にイタリアとオーストリアに赴任してるらしいから剥がすのは難しいなw もしその話が本当なら、妹婿は河瀬秀治の事じゃない?秀治の嫁は幾松の妹芸者
木戸日記広沢日記によると、木戸は明治になってから妹芸者たちを仲人して結婚させている
夫婦で木戸家によく来て泊まったり、木戸は晩年九段の家を建替える時も河瀬の旧宅に数ヶ月仮住まい
河瀬秀治は明治7年から大久保の下で内務大丞だったしね…
司馬の話が史実ならだけど… 跳ぶが如くじゃなくて江藤新八と明治維新って本だった‥すんまそ
写真をはがしたのは河瀬秀治で木戸の妹婿じゃなくて幾松の妹の夫と書いてあった。
江藤新平と明治維新…作者は大叔父が江藤新平
あとがきにまず薩長藩閥政治(特に長州)憎し、そして大叔父の名誉挽回の気持ちから
執筆始めたって書いてあるぞ
大久保がノイローゼ気味とか木戸が汚職者とか始めて聞いたわ
火の無い所に煙は立たないって言うなら、大久保が江藤の写真持ってたくらいはあるかも
しれないけど、こまごました根拠が噂や難癖レベルすぎて眉唾なんだけど 身内の書いた歴史本は個人的には微妙だな
大久保の孫が編者の日本近代史本を読んだことがあるが
佐々木克の師匠と知って吹いたことがある 他のスレッド(龍馬暗殺の黒幕6)に出ている。
龍馬暗殺の新事実が本に出る。
確かに、アマゾンに仮だけど出ているよ。他のネット販売にも。
新聞社が動くのかな?
題名は、
「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 出版:彩流社
内容紹介(「彩流社」HPに出ている。)
・闇に葬られていた日記が語る衝撃的新事実!!
・暴かれた黒幕と新撰組の近藤勇らが複雑に絡み合った背後関係。
・巧みに仕組まれた暗殺の実行過程が詳らかに…。
龍馬暗殺の新資料らしいぞ。 江藤と佐賀の乱は民法編纂史研究もあって法学関係の人間までダブって著書書いてるけど、
毛利氏が比較的特殊なのであって、国権主義者ということで江藤批判してる人間も多い
(細かい指摘では面白いところもあるけど)
割と基本的な史実抑えてないから、やはり佐々木克あたりが一番穏当な指摘ではある気がする >>601
そんなに発売直後にamazonで酷評レビュー書かれたいのかいw 木戸は江藤を評価し頼りにしていたから
大久保が江藤を処刑して激怒し
久光にこれから大久保とどうつきあえばよいか相談している
江藤の処刑はやりすぎだろう >>587
征台より西南戦争が最大のぶれだと思う
早い段階で大人数送り込んで県令とっかえてたら、戦火の拡大を抑えることができたんじゃないか?
宮崎の公金が薩軍に流用されることもなかった
戦争前私学校にかなりスパイ送り込んでるけどなんか後手に回った感じ
>>607
木戸は内務卿引き受けた時点で江藤がどうなるかはわかってたと思うがね
江藤死ねって思ってたのは大久保だけじゃないし、やりすぎだったのは
むしろそうなるまでの江藤だろう。世渡り的な意味で。
木戸が怒ったのは江藤の首がふっ飛ぶまでの過程だよ、司法が司法の役割をせず、
首が飛んだ後で東京に報告する、三権分立も何もあったもんじゃ無いってね。
死ぬ前も大久保に西南はちゃんと裁判してくれって言ってたけど。
たださ〜、木戸の主張はおりこうで結構だけど、物事には抜き差しなら無い時があんのさ〜
江藤は周りから、嫌われてたし、やり方が汚いから、誰も庇う奴いないだけだろ そんな大久保を嫌い勝海舟は大久保が暗殺されても驚かず
勝は大久保の葬儀には参列していない . -―- . さすが!! 非情の独裁者大久保!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
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政治的に何もしてない坂本龍馬の名前を乱発利用し
耳目集めに奔走してる昨今の政治家は信用しない方がいい
政治家が手本にすべきは大久保利通です!
by堀井憲一郎[小島慶子キラキラ・・ポッドキャストでどうぞ(-_-)] いや、奴が手本にしようとしている人物は大久保だろ、本当のとこ。
大久保の名前を出すと角が立つから、一般ウケのいい龍馬に乗っかってるだけ。
奴が同志のように仰ぐ東京都知事も大久保信者。 http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n110613924
これさ、早稲田の古典籍総合データベースに同じものがあるんだわ。
てことで肉筆じゃないこと確定。コピーに3万とか俺には出せん。
大久保利通・岩倉具視は100年後いじめられ
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/31/200_1.html
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/C2/05/14.html
両者とも100年後に、破産宣告、殺人犯処刑と日付を合わせられた。
大久保利通の子孫は、政界から消えていくはずだったのだが、
現在の政治の混乱で、麻生太郎は首相に担ぎ出された。
これは、予定外だっただろう。 所詮西郷の引き立て役。JINでは龍馬暗殺の黒幕にされた。 大久保は西郷が流罪になってる時期に政治的には西郷を凌駕してる。
まあ、遠島にされて政治的カンが鈍ってた西郷にそれを求めても酷なんだろうけど
最後の鳥羽伏見の段階でも大久保の分析の緻密さは光ってるな。
緻密すぎて多少動揺は見せたこともあるが… >>608
西南戦争に関しては、大久保の西郷に対する信頼が楽観的すぎたのは事実。
千坂の回想では、玉石共に砕くことを覚悟しろと言う強い献言に「顔色を変じて」
とされているくらいだから、相当怒ったのは間違いない。
ただ、県令の交代は島津久光問題もあるから政治バランス的に難しいし
大久保のスタイルでもないという感じだな… >>629
JINで龍馬暗殺しようとしたのは大久保閣下ではなく小物共だろ。
最初が久坂で、次が幕府に命じられた咲の兄貴、
結局殺したのはオリキャラの長州藩士。
龍馬を殺すのは誰にするかっていうので
各方面に気を使って、みんな迷うんだろうなw
JINは完全創作ドラマだからやりやすかったと思うよ
龍馬伝とか新撰組!よりは そのてん雑魚か架空の人物にしておけばクレームこなくてすむからな まぁ普通に史料読んだら大久保が黒幕なんて与太話以外の何物でもない 大久保のいちばんの悲劇は頼りにしていた小松が病没し
いやいやながらも旧薩摩閥の矢面にたたなければならなかったこと
小松が亡くなった時家老クラスの薩摩の要人を
新政府に迎えいれようとしたけど結局断られたらしい >>636
>小松が亡くなった時家老クラスの薩摩の要人を
大久保のような下級出身の無教養な成り上がり政治屋に、つきあう
上級武士はいない。恩人の久光も裏切って、大久保利通はゲス。 島津珍彦(うずひこ)とか、さっさと東京に招聘していれば助かった人もいたんですよ。
この人は島津久光の息子ですが、明治維新に関して意図的に全く関わらなかった。
(もし失敗した場合に血統を残す意味があったとされている。)
そのため薩摩大勝利で明治維新が進むと、今度は惰弱と鹿児島城下士から貶され続け、
終いには怒りが抑えられなくなって自分で切腹して死んでしまった。 小松が亡くなってからは薩摩閥は分裂した←悲劇の始まり
彼が生きていれば大久保や西郷は長生きできただろう
小松と木戸ははっきり言えば過労死…
明治初年度の時でも木戸は体調があまりよくない状況だったらしい
だから奥さんの松子さんも木戸の渡米をずっと反対していた 小松は身分に係ることなく部下の面倒見が良くて
人望があった
大久保は親しい五代友厚とよく小松の墓参りをしている 大久保こそ日本史上最高の政治家。
もちろん欠点はあるがそれ以上の功績あり。 子孫が児童ポルノに賛成派なので、ろくでなしなのでしょう。
先を争って靴を利通のガキが靴を脱がせたらしいですが、
そうしないとこの大久保のじじいがなっとくしなかったのでは?
大久保選手は、「っちなかなか洗脳されなぁ」
言葉遣いの悪い男ですねぇ。
維新の立役者か何か知りませんが。
子孫は、ただの国粋主義者ですよ。
助けるふりして見捨てる。
私は、当時五歳でしたがけつは、触る歯は
股の写真はとるは、死んだ方がいいのでは?
人の手がえらを横取りするような男です。
書の達人?
あんなもん練習すればいいんです。
塩塚部落とやりまん看護婦を従えた。
性格破綻者。
まだ、柔道家の大久保選手に夢を持っている方もいるかもしれませんが。
だだの児童ポルノ大好きな鬼畜野郎です。
最近まで鹿児島では納骨もしてもらえない。
多額の借金を残しても見栄を張りたいろくでなし。
妾の芸妓は、格好が悪いから養女にして。
愚の骨頂ですね。
土方歳三のような、伊達な男とはほど遠いくずのようなおとこでしすね。
この大久保利通はひがみ根性の強いおとこですよ。
おまけに征韓論に反対だったくせに。
征韓論者だった。
坂本龍馬を国粋主義のあこがれの的にする。
変態鬼畜の認否人ですね。
どっちつかずのくそ野郎です」。
武士のくせに、武士の誇りを忘れ。
不平士族に暗殺される。
昔の教科書には、
土方歳三が大悪人と描かれていたらしいですが、
あのお方は、蝦夷共和国で、仲良くくらしたあっただけです。
板東武者の家系で最後まで士道を貫いた男と。
同じ武士に暗殺されたろくでなし。
勝てば官軍負ければ賊軍。
寝返りが早い人間は、男女問わずろくでなしですよ。
大久保選手自体強姦されてできた馬糞みたいな。男なので
私が股の写真一発でびびるとおもったんですかね。
鼻で笑いましたけど。
歴史は、変わる物です。
あまり、ふざけてると、痛い目みますよ。
黒塗りのベンツで特攻すっぞこらぁ!!!
…ってやつですかね。
おこってますよええ。
ハバナブラウン(秋田県) 2012/06/25(月) 21:37:27.86 ID:iJjAy7WC0 BE:2030238465-PLT(12223) ポイント特典 [sage]
「明治維新三傑」の木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通の業績をパネルや掛け軸で紹介する特別展「維新三傑展」が、山口市天花の市菜香亭で開かれている。7月30日まで。
展示室入り口に銅像や写真を使った3人の等身大パネルがあり、誰でも撮影できる。直筆の掛け軸や、木戸が坂本竜馬に宛てた書簡の写し、
功績を示した年表のパネル13枚などを展示している。
「西郷の本名ミステリー」と題したパネルでは、八つある通称の変遷に焦点を当てた。幼名の「小吉」や「吉之助」などを経て「隆盛」に至る経緯を解説している。
掛け軸3点は、3人が会談したことで知られる湯田温泉の松田屋ホテルから借りた。入館料は大人100円、小中学生50円。火曜休館。
【写真説明】山口市の菜香亭で開かれている維新三傑展
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201206260004.html
馬鹿じゃねぇの!!!!
功績!!!
葬儀に勝がばかの勝つが参列線のだぞ。
こいつは、勝の愛人のいくまつといくいくいいながら
ション女郎抱いてたんだってば。
ごうかんやろうですね。
いくまつなんて、わしは勝愛人じゃあ
近藤勇にすごんだらしいですが、
私なら、腰巻きぬがして強姦生まず女野郎ってからかいますけど。
いくまつっ早くに痴呆症になったション便女でしょ? 発見しちゃいました。
芸能人相性診断!
いくつか質問に答えるだけ。
これが無料って、神!
http://12eve.com/2/ 紙がないからはげですか。
なるほど。
すばらしい。 基地外発言すると
土方恭平が飛んできますよ。
基地外という言葉は、他者に向かってはきかける言葉ではありません。
私が、本気になるとあなたの家をぶちこわしに行きますよ。
いっぺん死んでこい!!! 大久保は韓国嫌いで朝鮮とは関わらない姿勢だったから好感もてる わかりました。
相手にしません。
交換でも強姦でも持って死んでいってください。 >>655
いやいや挑発して無理矢理開国させたじゃん
西郷の征韓論より稚拙
西郷に任せときゃ良かったんだよなあ
武士も潰せるし朝鮮潰せるし 江藤新平に謝れ。
貴様、おおくぼが
かっこつけたから
プロパガンダの江藤新平が死んだんじゃい。
大久保利通率いる官軍が駆けつけてくると近代兵器の充実度(火力)と兵力の違いもあって敗戦に追い込まれます。
証拠物件。
大久保選手は、わいせつまんこシャンしか。
どろくでなし柔道家!!!!
引きちぎるぞ!!!!
ちんこを!!!
マッチポンプ。
大久保利通。
この世の排泄物。地獄の底で、男妾をしています。 いや、大久保さんの韓国と関わらない姿勢は正しかった
伊藤博文も大久保の舎弟で反韓国よりが原因で韓国人に暗殺されたよな 何これ?
127. 名無しさん
2012年07月03日 23:04 ID:IrWzXgrE0
霧島 鹿島 日光 霞ヶ関 アメノコヤネの正体
スカイツリーはカラクニダケ
http://oo77986455645.wordpress.com/ ロシアとの暗躍があったのでしょう。
国内で殺される方は、もっと認否人ですよ…。 塩塚あゆみの母親のまぐそ看護婦長。
ホームヘルパーの実習の時は、よくもいじめてくれたな!!!
女子高生ひき殺そうとする暇があったら、整形でもしたら?
自分の娘の処女膜をさ。
なるほど。
史上最強の大馬鹿物という意味ですね!!!!
すばらしいお答えです。
<emoji:sun>柔道の大久保国体選手は、大久保利通の嫡孫で、わいせつ股写真家。
児童ポルノ法違反。<emoji:sun>
なるほど。
史上最強の大馬鹿物という意味ですね!!!!
すばらしいお答えです。
なるほど。
史上最強の大馬鹿物という意味ですね!!!!
すばらしいお答えです。
子孫が児童ポルノに賛成派なので、ろくでなしなのでしょう。
先を争って靴を利通のガキが靴を脱がせたらしいですが、
そうしないとこの大久保のじじいがなっとくしなかったのでは?
大久保選手は、「っちなかなか洗脳されなぁ」
言葉遣いの悪い男ですねぇ。
維新の立役者か何か知りませんが。
子孫は、ただの国粋主義者ですよ。
助けるふりして見捨てる。
私は、当時五歳でしたがけつは、触る歯は
股の写真はとるは、死んだ方がいいのでは?
人の手がえらを横取りするような男です。
書の達人?
あんなもん練習すればいいんです。
塩塚部落とやりまん看護婦を従えた。
性格破綻者。
まだ、柔道家の大久保選手に夢を持っている方もいるかもしれませんが。
だだの児童ポルノ大好きな鬼畜野郎です。
まぁ、「ゴミくずは窒息して死ね」ですって、
ご教育をちゃんと受けてるのかしら?
じゃあ、どこがどうすばらしいのか。説明してください。
暗殺された痴呆老人の良さを。
大久保利通は鹿児島に帰れないとか非情とか悪い印象だけど成果はきちんと評価しなければならない
馬鹿の意見−。
不平武士に殺された、痴呆老人。 あんた歳いくつ?
警察まで一緒について行ってあげようか? うん。いいよ。
連れて行ってください!!!
大好きです!!!
おまえが死ね:2012/07/17(火) 22:45:14.58 ID:KGLErjhj0
子孫が児童ポルノに賛成派なので、ろくでなしなのでしょう。
先を争って靴を利通のガキが靴を脱がせたらしいですが、
そうしないとこの大久保のじじいがなっとくしなかったのでは?
大久保選手は、「っちなかなか洗脳されなぁ」
言葉遣いの悪い男ですねぇ。
維新の立役者か何か知りませんが。
子孫は、ただの国粋主義者ですよ。
助けるふりして見捨てる。
私は、当時五歳でしたがけつは、触る歯は
股の写真はとるは、死んだ方がいいのでは?
人の手がえらを横取りするような男です。
書の達人?
あんなもん練習すればいいんです。
塩塚部落とやりまん看護婦を従えた。
性格破綻者。
まだ、柔道家の大久保選手に夢を持っている方もいるかもしれませんが。
だだの児童ポルノ大好きな鬼畜野郎です。
あのー。
警察まで大好きだらかつれてってよ!!
嘘つき!!!!
おい!!
連れてけ言ってんだよ!!!
あれかあきこ女王か?
皇室嫌いだけど。写真見たら、ぶすで卑屈なババアじゃん。
早く死ねば?
女性宮家創設する。
暇あったら、結婚しろ!!1
トシマババア!!
ぶす!
口が曲がってますよ。整形したら?
あんた歳いくつ?まだ皮もムケていない坊やなの?
いいこと? 連れて行ってほしかったら住所、氏名を言いなさい! てめえが、いえ。
おまえ、階級と名前を言えー!!!!
大好きな警察に連れて行ってほしいんだろ?
迎えに行ってやるから、ゴネてねぇで住所と名前を早く言えや! 偉大−?
はぁ?
じゃあ。何で。同じ武士階級に暗殺されたんだよ!!
馬鹿のウジ虫が語るな!!
偉大だって−!!っぷ。
っていうか、何、2チャンネルで本気になってんの?
偉大とか神とかは、ちゃんと歴史的背景を調べてから言ってください。
同じ武士階級に弾圧されて暗殺された大馬鹿物が、貴殿はよろしいと?
っていうか、個人情報保護法とか知らないの?
言うわけないじゃん。
っつかー。本当に迎えに来たら、殺すよ。
はぁ、
ああ。言い返せなくなったら呪いをかけるんだ。
大久保利通を神とあがめてる割には低脳だね。
こいつ↑は690と691が同一人物だと思っているらしい。
と、冷ややかに見つめる俺w
馬鹿に付き合ってやってるんだから感謝しろよ . -―- . さすが!! 非情の独裁者大久保!
/ ヽ
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ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
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, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
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お前よー。
いきなりなぐるんじゃねえよ。
大久保国体選手の股の稼ぎのくせによー。
身の程を知れ!!!!
しおづかかづひと、と、読みます。
明治維新と大阪維新の会に通底する、何か得たいの知れないものの正体を誰か教えてください。
その全容を誰か教えてください。
日本人の為に… お前らの神は、歴史ヒストリアにも
紹介されていませんね。
現代日本のすべての行政組織に一人ずつ大久保利通がいればどれほど日本が救われることか・・・ 実際の明治維新といえるのしたのは留守政府だし
朝鮮を開国させる云々で西郷らを下野させ内乱に至ったのは大久保の責任もある 大河ドラマじゃ冷遇されるよねこの人
まともに描かれたのは翔ぶが如くぐらいだもんな
幕末大河でも西郷、桂が確実に出てくるのに大久保は出てこない 登場だけなら桂と同じ9作品に出てるけどね(西郷は10作品)
ただ、政局の中心となる江戸や京都に上るのが西郷・桂より10年ほど遅いし、
他藩の志士人脈も狭いから、薩摩主役以外で出番が遅くて少ないのは仕方ない
それに幕末大河のほとんどは明治が描かれないので大久保の活躍も分かりにくい
来年は明治も描かれるが、
覚馬の見識に感銘を受け助命した西郷や、
新島襄と仲良くて支援してた桂の方が目立つんだろなあ
大久保も一応同志社設立支援者ではあるんだが 大河への出場回数とかどうでもいいけどな
明治政府内での実力がピカイチだったことは誰も否定できないんだし >>715
それは歴史好きなら分かるけども、そうじゃない人たちには大久保の凄さは分からんでしょ
西郷は知ってても大久保知らない人って結構いるぞ
木戸ファンだけど、大久保が維新において一番の政治家だったのは事実
ただ、一次資料や論文等の資料を読んだものでなければ凄さはわからない
自分も木戸ファンになって幕末維新の資料を読むまでわからなかった 一番凄いのは西郷さん
廃藩置県、徴兵制、集権化しながら反乱が起きなかった
西郷と大久保が何か大きな政策上の対立あったかというとさほど違いも無い >>720
要するに世間の人に大久保の凄さを知ってほしいわけ
そのためにはてっとり早く大河で主役でやってもらえばいいかな、という話 >>721
大久保は翔ぶで主役やったからなあ
清盛や義経、龍馬が40年くらい振りに主役になったのを見るに、
大久保主役大河がもしあるなら20年くらい待たなきゃならんだろうな
その頃大河枠が存続してるかは疑問だが 西郷さんは最期がまずかったけど、それまでは凄かったよな
大久保より花がある点は否めない
大久保は呼び捨てなのに、西郷は「さん」づけで呼ばれる点でも差は明らか
スレチ失礼、大久保信者にとっては一種のスパムだよねw >>95
あの家系は外交に強いのかね
内政はどうも守旧派寄りの印象があるが 「大久保利通の肖像 その生と死をめぐって」
大久保ファンなら悶絶必至。ソースの確かな素敵エピソードが
てんこ盛りで、最強レベルの萌え本である。よくぞここまで
掘り起こしてくれたと感涙にむせんだが、逆に言えば史料を
漁らない限り魅力が伝わり難い人物なのね…。
大久保のエピでいちばん感銘があるのは、高橋新吉だったかのエピだな。
部下を送る時に玄関に出て、膝をついて深々とお辞儀をするという
その大久保が唯一凄まじい顔色になって激怒したのが、西郷討伐を進言された時だったという… 正に日本のクロムウェル、若しくはロベスピエールだね。 では、しつもんです。
そのように魅力的な政治家が何故、暗殺されたのですか?
>>737
後世からの視点で良い政治家が、
必ずしも当時の人間から見て良い政治家とは限らないからな
菅や野田だって100年後には素晴らしい政治家として扱われてるかもしれん
鳩だけは祖父もポッポも永久に糞扱いだろうがなwww >>733
なんで大久保なんだろうな。
小沢のキャラ的にはどう見ても西郷隆盛なのに。 自分は小沢一郎を伊地知貞馨、清河八郎あたりに見てしまう。 幼女の股写真、国体の梅毒マニア。
嫡孫がもってんだぞ。
廃藩置県断行した意味が分からないんですけど…?
武士の風上にも置けない男が貴方たちの神なのですね。 大久保利通の事を勉強するのに最適な本があったら教えてください。
amazonで手に入るやつで >>755
@池田吉太郎「明治維新三大政治家 大久保・岩倉・伊藤論」(中央公論社)
…1975年頃の本。もう入手できないかな。
A佐々木克(監修)「大久保利通」(講談社)
B佐々木克「大久保利通と明治維新」(吉川弘文館)
…この2冊が王道というか、基本教科書なのだろう。
C佐々木克「大久保利通 明治維新と志の政治家」(山川出版社)
…まずライトに行くならこれ。
D横田庄一郎「大久保利通の肖像」(朔北社)
…やはり近刊を読むに越したことはないから、これ。
ただ、大久保の業績・人生に関し一通りの知識があった上で読むもの。
E坂野潤治「未完の明治維新」(ちくま新書)
F片岡寛光「大隈重信」(冨山房インターナショナル)
…他の志士や政治家との比較で、その思想・国家構想、人物像、時代の中の役割を見る。
この2冊は傑作。Fも単なる大隈伝ではなく、維新史論だ。
G司馬遼太郎「翔ぶが如く」(文春文庫)
…これを読破すれば、十分大久保の事もあの時代のことも、そして日本たるものが何かも分かる。 日本近代化(ひいては現代日本の存立根拠を作った)MVPは高杉晋作。
それに対し、
日本近代化過程、いや日本史上最も有能な為政者、
もっと言えばすべての分野で日本史上最有能(仕事の出来る)人間が、大久保利通。 このスレ、初めて来たのだが、大久保の本は読んでいて面白いよね。
>>758
A佐々木克(監修)「大久保利通」(講談社)
→おれの、数年来の愛読書。この本は本当に何度読み返しても面白い。
B佐々木克「大久保利通と明治維新」(吉川弘文館)
→先週、図書館から借りてきた。購入を検討中。
D横田庄一郎「大久保利通の肖像」(朔北社)
→昨日、購入。坂本龍馬とのエピソードが良かった。大久保と坂本が仲良かった話が出てくる。
龍馬暗殺の薩摩(大久保)黒幕説とかありえんな。半藤一利は薩摩黒幕説を唱えてるが、バカ野郎だ。
>>53
> 異説はあれど坂本も大男
Dの本に龍馬の話が出てくる。鹿児島訪問の帰り、熊本の横井小楠宅に龍馬が遊びに来た時の話。
同席した徳富蘆花の父親の懐古談によれば、龍馬は大男で、着物や刀は大久保からもらったものだと
龍馬が言ったそうだ。刀も薩摩示現流の良い刀で、二人が仲が良いことがわかるエピソードになってる。
大久保も大男なので、大久保の着物を着ていた龍馬もやはり大きい人だったのだろうね。 いや763みたいのはいいし、大久保は本人も関連書籍もおもしろいけど、
スレの書き込みの90%超は中身のないマンセーでつまらん 大久保利通の肖像は疑問に思ってた田中河内介の件も妄想で切り捨ててたな このスレなんか寒いな。
大久保利通だとやっぱ、明らかに役不足だな。 林董
「維新直後に功臣は多く、無論大久保一人功績があった訳ではないが、しかしあの難局に当たって、
一切の責任を自分で引き受けて、難きは自ら任じ、易きは人にさせるという、あの態度は外の人の真似のできぬところである。
あの頃はほとんど難しいことだらけであったのに、公はその責めを一切自分一人で背負った。
由来難局はこれを人になすりつけ、易きを自ら行うて独り功を修めるというのが政治家の通弊であって、
随分偉い人でもこの弊には陥りやすいが、大久保は独りで難きを背負って立った。あの人は優に日本の大黒柱となり得る人だった。
『大久保利通』(佐々木克監修 講談社学術文庫) もっとも維新の生き残りが死んだ跡
官僚機構統御できる奴いなくなったが
太平洋戦争の戦いは役人の戦い方だな 210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 17:49:27 ID:7DKgJEFs0
幕末の大久保っていまいち存在感ないよね。
戊辰あたりでは京都でいろいろやってそうだけど。
幕末の薩摩藩
窓口 小松西郷
裏工作 大久保
外交交渉 薩摩閥まとめる 小松
明治以降も小松が長生きして薩摩閥をまとめてくれていたら
明治最良の官僚とういう人物は大久保だったと思う
明治最良の官僚は榎本武揚
大久保の最大の悲劇は小松の早死 西郷の下野で
旧薩摩閥の矢面に立たざるを得なかったこと… 京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%20saigou.htm >>769
林と大久保の接点って明治4年からの岩倉使節団で、帰国後は伊藤の差配で工部省畑だったはずなのだが、
使節団でよほど近侍する機会があったのかね。幕臣登用には大久保は初期は比較的慎重だったはずだが。。
林や千坂のように大久保を賞賛してる人は内務省・大蔵省系か、外務省の書記官クラスだね。
幕臣でも中堅世代の榎本武揚や大鳥圭介が中央の要職に就いたのは西郷下野後だけど(たぶん西郷が残ってたら抜擢無理じゃないか)
中堅世代の技術官僚は接点がないのか、大久保にあまり感想残してる感じがない。
沼間守一みたいな司法官僚も、大久保の管轄と畑が違うので同様。 結局、大久保亡き後、これといった薩摩閥の首領がいないんだよね
黒田はあの通りだし、松方もイマイチ
結局、政界では伊藤、山県をはじめとする長州閥が独占した
ホントに小松が生きてたら色々かわってたよな 俺は薩長は好きではないが、大久保だけは尊敬している。彼が居なければ
果たして明治が成功したかどうか、彼は織田信長や徳川家康クラスの名宰相
だと思う。 たまに薩長はテロリストとか言う輩がいるが、国家権力が移り変わる時はだいたいそんなもんだろ
家康も例外じゃない
徳川体制のまま近代化を進めても、保守派が多いから、明治政府のようにスピーディーに近代化はできなかっただろう
しがらみの少ない下士だから出来ることがある >>779
>>たまに薩長はテロリストとか言う輩がいるが、国家権力が移り変わる時はだいたいそんなもんだろう
家康も例外じゃない
確かにその通り、だから業績の全てを無批判に讃えるべきではない(勿論、評価に値する点は評価すべきですが) 維新後も大いに働いた人なのにな
近代の始まりなんだから落ち着くまでは独裁しても仕方ないじゃないかと
思うのだけれど 独裁って考え自体が間違ってる
確かに大久保は政府の最大権力者ではあったが、何でもできたわけではない
三条や岩倉、参議連中に反対されたらどうしようもなかった
薩摩閥の黒田や川村でさえ大久保の言いなりではない
台湾出兵も一度は政府内部の反対で一度は中止になっても、西郷従道は勝手に派兵するし、西南戦争の際の大久保の薩摩派遣も伊藤の反対で中止になった >>758
>>763
ありがとう。夏休みに読みまして大変面白かったです。
正直歴史は苦手だったのですが、大久保さんのことは好きになりました。 維新後若手の政治家が大久保と小松に何が一番大変だったのか問うと
久光公のお世話 西郷さんのお世話
久光公と西郷さんの間を取り持つのがすごく大変だったらしい
だから征韓論以降の薩摩閥がいかに混乱したか想像できるわけで…
だから西郷 大久保 小松の3トップはバランスが取れていたと思われる 大久保の凄さは人類史上、同民族が同民族の衣食住をこれほどダイナミックに短期間で変えた前例が無いって事。
神か悪魔じゃないと無理。
日本だけが勃然と西洋化した時に世界中からキチガイと思われたのに
今ではアジアもアフリカも世界中があたりまえのように西洋化してる。
孫文もホーチミンもマンデラもキング牧師も、民族自立のために西洋の力を取り入れる行為は全部大久保のマネ >>793
功績は凄いんだけど、優れたものは
素直に認めようという下地が日本国民にあったせいかもね。
いくら旗振っても人が付いていかないと意味ないだろう 維新モノだと、桂小五郎って人気あるけど
木戸孝允にクラスチェンジしたら、人気なくなる不思議 まあ、大久保の末路と現在の地元での扱いを見せつけられたら
国会議員が国家的見地より、地元エゴに烏合した政策ばかり取るのも無理ないか。 >>799江戸育ちで博識多才の斉彬と違い
薩摩生まれ薩摩育ちの田舎者で大久保の解説無しでは
時勢を理解出来なかっただけです >>795
日本人は今では海外の良い物を素直に取り入れるよね
でも戦国の宣教師ヴァリニャーノは「日本人に進んだ西洋文化を教えても野蛮だとただ笑われるだけで
日本人は永遠に自分たちの文化を微塵も変えないと断言できる」といってるんだよね。
天正遣欧少年使節は西洋文化の素晴らしさを同じ日本人によって日本人に伝えさせる計画だったけど効果無かったし
やっぱ大久保みたいな超人的なモノスゴイ改革しないと無理だったと思う。
今から大久保の見よう見まねでこんどは日本をイスラム化しようとして
首都にイスラム建築建てまくって
天皇陛下にイスラムの衣装着せてターバンかぶせても
国民がついてきてくれる想像すらできない >>801
たしかに久光の言動は真意が不明で後世から見ると暗愚に見えることが多いね
ただ久光の場合は時勢を理解できなかったというより
一度臣下に降った人間の限界に縛られてたってほうが近いと思う
藩内のパワーバランスの総意に従わざるを得ないので長いスパンで見るとブレブレになる 久光と大久保が朝廷に建白した内容って
公武合体運動?幕政改革?
学校でレポートの課題が出たんだが
いまいちわかんない。 夏に大久保の墓に行ってきた
紀尾井坂の近くの公園にあるんだね 「大久保は明治全期を通じての大宰相であり大政治家だった。
伊藤(博文)も大隈重信も山県有朋も、大久保の各々の面を継承している。
伊藤は内政と外交に、初期の大隈は財政に、山県は軍隊と警察に、大久保路線のそれぞれを分担し実践した」。
『史観宰相論』松本清張 >>797
てか大久保は政治方針とか関係なく、不器用な性格過ぎたのかも
薩摩からは薩摩を裏切った卑怯者扱いされ
薩摩以外の地方からは薩長贔屓の専制独裁家して叩かれるって
相当矛盾してるし。
逆に凄く器用で、どちらからも言うほど叩かれなかった矛盾した人もいるんだよね。 >>確かにその通り、だから業績の全てを無批判に讃えるべきではない
業績とは無批判に讃えるべきものをいうんだシ
>>大久保利通みたいな政治家になりたい
ツウことはあなたは政治家ですカ しかし、大久保の政治人生は維新後は西郷と三郎への対応に追われた人生だったな。
惜しむらくはやはり、明治20年近辺までの大久保の内務卿としての仕事を見てみたかった。 >>817
三郎が一瞬誰か分かんなかったじゃねーかwwwww >>817
10年経ったら後進に任すという言葉は守られるか…
後、気になるのが明治14年の政変でどう動くか
中央集権的な政治を行ったとはいえ理想としてはイギリス流の政治にシフトしたかった辺り伊藤岩倉と割れて大隈と共に政府辞めてたかも(改進党にはいかんだろうが) 大久保利通像 碑銘
http://livedoor.blogimg.jp/john96pierre/imgs/8/7/87ef85e5.jpg
「通」という字があからさまにズレていますが、
人としての道(通)に外れた男、という意味が込められているそうです。 >>823
マジなら鹿児島人ってホント陰湿だねという感想しか出ないよ 大久保は油断をしていたね
最高権力者であるにもかかわらず、ほとんど護衛なしで出勤しようとするとは
しかも、あんなに血なまぐさい時代においてだ
大変な怨みを買っていることも、知っていたであろうになぁ ★2ch勢いランキングサイトリスト★
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※ 要サイト名検索 今時あそこまでむちゃくちゃな大久保否定なんて年配の鹿児島県民すらやるかどうか怪しい 銀河英雄伝説で言うと
大久保利通がオーベルシュタインで
手代木直右衛門勝任はドヴィリエ大主教か 大久保利通の側近には、千坂高雅や山吉盛典とか旧米沢藩士が目立つのはなぜ? >>833西南戦争で地元の鹿児島県民が使えなくなったから
米沢人つかった 大久保が長生きしていれば、牧野伸顕も父の薫陶を受けもっと
違ったタイプの政治家になっていた。
黒田も酒に逃げず、もっとシャキッとしていただろうし、
松方ともども薩摩閥トップの重責を負うことなくもっと
伸び伸びとやっていただろう。 大久保が暗殺された紀尾井坂ってよく再現映像だと林なのですが
明治時代の紀尾井坂を見ると林ではないんですが
ぐたいてきにどういう箇所で殺されたの?
林、人通りの多い官公庁、住宅街?人通りのすくない屋敷? 大久保の3大汚点:
赤松小三郎暗殺指令
田中河内介暗殺指令
江藤新平打ち首写真事件 >>837
上二つは憶測の域を出てないな
大久保ならやりかねんで決め付けるのはやめましょう 赤松小三郎暗殺指令:証人 有馬藤太
田中河内介暗殺指令:証人 小河一敏 田中河内介の暗殺に関しては、下手人は薩摩藩上層部の方針に従ったわけだが、
久光の側近の一人であった大久保なら結末を知ってはいただろうな。
寺田屋での粛正事件の直後であり、サムライの世界における処分とはこういうものだが、まあムゴい話ではあるな。 龍馬も襲われたしな。薩摩藩の定宿だから、捕り方も目をつけていたんだろうが。
しかし、今の寺田屋は立て替えた家で家主も当時と全く関係がないらしい。 何気に、いつの間にやら、会津藩公用方の権限が
伏見奉行所にまで
及んでるし
しかも寺田屋の龍馬一人を捕縛(生死は問わず)に百人も動員って 田中河内介父子暗殺の指示を出したのは
島津久光の可能性が高い。 >>837
大久保の3大汚点:
赤松小三郎暗殺指令
田中河内介暗殺指令
江藤新平打ち首写真事件
上の2件については大義のため、日本の将来のため、
私情を押し殺して行ったことかもしれないが、
打ち首写真事件は、江藤への激しい憎しみという感情に
負けてしまった結果、自らの評判を貶めてしまった。 可能性が高いというか、明白じゃないのか?
寺田屋事件に関わってるし、薩摩藩士でもなく、他藩に引き取り手のある浪士でもない、
放逐してもまた似たようなことを企むだろうだから、公武合体を推進しようとする久光にとっては邪魔者
かくまっても面倒な存在だから、言いくるめて始末しちまえってね 小河は当時薩摩の尊攘派と組んでて寺田屋の一件で狙いを潰されたとはいえ寺田屋事件後の久光派の内情を細かく知ってたとも思えない
たまたま河内介の話を振られた時にちょうど当時久光と近しかった大久保がいたから細かい事情なんて知らないけどイヤミも込めて全部大久保がやったみたいなニュアンスで言ったんじゃね?
大久保の性格だと昔の話に一々弁解しないだろうし おゆうさんの家ってどこにあったの?
今度、霞ヶ関のほうに行くんで
近くにあったらお参りしたい。 青山墓地。大久保の一族が眠っている。
最寄り駅は乃木坂か青山一丁目だが、霞ヶ関からならタクシーで行っても近いし、赤坂や六本木をブラブラしながらでも行ける距離。
墓参りに行くなら夜に行け。楽しいから。 赤松小三郎の件は西郷どんと相談して決めた上で桐野にやらせたんでしょ >>851
ありがとう!
夜にはならんとおもうがw行ってみる。
江戸から明治の頃に思いはせて来るよ。感謝。 青山墓地は明治〜戦前の歴史上人物が好きな人にとっては聖地だな。
よくこれだけ揃ったな〜と思うほど大物政治家・官僚や軍人の墓がごろごろ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/青山霊園
しかし、青山墓地の住民でもっとも有名な故人は、人間ではなく犬のハチなのかもしれない。 (その当時)サムライたちの指導者で影響力を持っていた人物が反政府にいたのか?
それが西郷隆盛。西郷が日本の歴史にい かに影響を与えたかを証明するかのように
東京の上野には彼の大きな銅像が建っている。 ――エドワード・ズウィック監督
ズウィック監督は、アイヴァン・モリスの『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』の
<第9章.西郷隆盛伝>に影響を受けたことを表明しており、「明治維新の実現に当初貢献しながらも、
やがて新政府に反旗を翻した西郷隆盛の美しくも悲劇的な生涯が、我々の架空の物語の出発点となりました」と語っている
勝元は西郷で間違いなし、大村は政府方にいた高官の混合した人物らしいです。 大村と言ったら長州の大村だと思うが。。
もちろん西南戦争当時は他界しているが、ラストサムライのモデルとしては近代陸軍創始者の大村益次郎が有力。
あの映画は近代陸軍VSサムライの戦いを描いているのだから。
もっとも映画での大村の外貌は伊藤に近い気がする。大村益次郎の肩書きと伊藤博文の外見を混ぜているのでは?
大久保はもっと寡黙で威厳があるし体格も大柄だ。あんなに卑屈な小男ではないと思う。 トムクルーズ=ジュール・ブリュネ(函館戦争で函館政府側についたフランス軍人)
勝元=西郷隆盛(榎本武揚風味)
大村=大久保利通、大村益次郎、岩崎弥太郎あたりの混合 >>859
大久保の事をちゃんと知ろうとしない奴の大久保観なんてあんなもんだよ
小林某がいい例 >>836
現・赤坂プリンス側=土堤、草むら
現・ニューオオタニ側=桑畑、茶畑、草むら ■■■
通名の方々:
テレビ局・新聞社・ラジオ局・出版社・
芸能人・テレビに出てる人・本を出している人・雑誌の表紙・芸術家・
スポーツ選手・アダルトビデオ・性風俗・ヤクザ・暴力団・部落(同和)・
教員・大学教授・ノーベル賞受賞者・医師・弁護士、検察官、裁判官・政治家・公務員・
経団連・経済同友会・公益法人・旧軍人・巣鴨プリズン・明治政府〜・
塾・予備校・専門学校・ 自動車教習所・ 商店街・飲食店・寺・2ちゃんねる・
■■■ >>859
いかにも
適当に明治政府あたり悪者にしとけ
ってな偏見の映画だったな 大久保が現代の日本で首相だったら
既得権益を守ろうとする議員から
猛烈な反発をくらいそうだ。 それでも誰かがやらないと
恨み承知でやるんだろうな 岩倉が暗殺されかかってるのに、なぜ警備をつけないんだ 福澤の後釜で一万円札の肖像には大久保利通を起用しようぜ 長州は伊藤が千円札やったんだから、薩摩元勲からもぜひ大久保を紙幣肖像に起用して欲しい。
風格も品格も備わった風貌だからうってつけだ。
維新元勲に対する最大のクレーマーの韓国人も大久保の悪口はあんまり言ってないから
その辺も折り合い付きやすいだろ。 土佐の板垣なんか50銭と100円と2回も肖像になってるのになあ。 まあ、大久保は紙幣になってもおかしくないが、地元の薩摩で人気ないからねえ。かと言って地元で大人気の西郷を札にするわけにはいかないし。
表が大久保で、裏は西郷とかどうだw まあ鹿児島でもここ10〜20年間でだいぶ大久保に対する意識は変わったように感じる。
西郷=無条件で崇拝の対象
大久保=地元鹿児島が輩出した最高クラスの偉大な政治家
こんな感じで住み分けてる印象だ。
今ぐらいの意識下であれば、大久保が紙幣になれば
それをきっかけに大久保リバイバルがぐんと進む潜在性はあると思うよ。 まあ大久保をお札にしようという話がでたら、西郷はどうするんだ!というツッコミが必ずはいるわけで、他の政治家ならば、そういう問題ないから札にもしやすいといえるねw 小林よしのりってなんで急に大久保を憎むようになったの?
今時鹿児島でもあんな見方してる奴少ないだろ まあ漫画家や小説家ってのはそんなに体制的存在じゃないし、そうなるとやはり西郷びいきになりやすいといえるね。
小林よしのりの場合はそういう傾向が極端にでたといえるねw 司馬遼太郎なんか西郷にはかなり批判的だったが、小説書くときはそれでも西郷を主役にするわけだねw 強制して私学校に入れてたとか、大島商社とか色々見ちゃうと
西郷の影響が凄くても綺麗ごとではいかないんだなと思うよ
詐欺容疑 高額でガラス玉を売りつける、あめのたま工房代表 西田 真由美 容疑者逮捕 (あきる野市)
講習会を装い、価値のないガラス玉を高額で売りつけたとして、警視庁は、詐欺の疑いで、
東京都あきる野市野辺、ステンドグラス工房あめのたま代表 西田 真由美 容疑者を逮捕した。
警視庁によると、西田容疑者はステンドグラス工房 あめのたま を経営し、
受講者約130人から「ステンドグラスには高価なガラス玉が必要」と偽り、
安価なガラス玉を一個約50万円で販売し、受講料とあわせて53万円をだまし取ったとしている。 「翔ぶが如く」とか読むと司馬は西郷を理解しようとしたものの
西南戦争での見通しや態度が不可解で諦めたみたいな感じかな…
愛すべきエピソードはなるべく入れようとしてるのは感じたけど
全体通して読むと主人公はあえて言えば大久保っぽいと思った。
・・・日本で専制(独裁)政治は長続きしない
さて、日本人が話し合いを大切にしていたという本題に戻ろう。日本における独裁制(専制政治)についての議論である。
足利義教、織田信長、井伊直弼、大久保利通など、権力を一手に集中させた独裁的な指導者は、概してロクな死に方をしていない。
義教は赤松の逆心に斃され、織田信長は明智光秀の裏切りにあって壮絶な最後を遂げた。井伊直弼は桜田門外の変で水戸浪士に暗殺され、大久保利通も紀尾井坂の変で石川県氏族島田一郎らによって暗殺された。
日本では独裁者を嫌う傾向がある。専制政治は長続きしない。
(井沢元彦『逆説の日本史1』/小学館)
今更かもしれないけど、歴博が大久保利通
ttps://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html
↑のページの写真、笑顔の内務卿とか初めて見た。。。 岩倉使節団について、どなたか教えてください。使節団が渡米していた時に、
岩倉具視はいったん日本に一時帰国したというのは本当なんでしょうか?
理由がわかりません。 >>890
大久保と伊藤が全権委任状を受け取りに一時帰国した以外で
岩倉具視自身が一時帰国したのかという質問でしょうか? >>891
続けて申し訳ありません。
大久保と伊藤が全権委任状を受け取りに一時帰国したのですか?
ここらへんよくわからないのですよ。 >>892-893
歴史が専門では無いのですが読んだ範囲では岩倉具視自身が一時帰国したのは見かけませんでした。
国書御委任状の経緯などは検索すれば記載されているサイトがありますし、論文検索サイト(ttp://ci.nii.ac.jp/)も
フリーで読める論文もありますので有用かとも思います。 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり 調べるほどその凄さに驚く
こんな日本人が居たんだな あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? ありさんマークは「みなし時間外労働賃金」という【残業代カットの違法企業】 大久保が緑茶に砂糖とミルクを入れて飲んでたって
あちこちで聞くんだけど何かソースあんのかな
妹が宇治茶が好きだと言ってたのは知ってるけど >>900
鶏卵と砂糖とミルクをまぜたもの(ミルクセーキのような物)が好んでいたって話と
極渋のお茶(京都の玉露)が好んでいたって話が混ざっている気がするが・・・。
ちなみに上記の話は講談社学術文庫の『大久保利通』(佐々木克氏監修)より。
この本の底本は『報知新聞』が1910年から掲載した関係者の回想談。 大久保って政治家としてはともかく行政指導者としての手腕を悪く言う人ってあまりいないと思うんだけど
渋沢栄一にだけは聞く耳持たない頑固者みたいに言われちゃってるよね
元々実務に疎いぶん官僚の言葉には耳を貸すタイプだったらしいのに
よほど痛いところを突かれてカッとなったのかねw ちょっと確認してみたけど渋沢って悪口がデフォの人なんだね 大久保に限らず御維新で功のあった面々は皆長身
ブーツ込みで150cmの渋沢先生が上目使いで
接する場面を想像するとツンデレ化も納得できる これ渋沢が自意識過剰で大久保が「色をなした」とか色々想像して言ってるけど
大久保のいつものパターンだと思うけどな
渋沢が予算が出せないと主張したくて「入るを図って出ずるを制する」と延々と理屈を唱える
大久保が黙って聞いている
他の人だといくら理屈を唱えても大久保が反応しないんで疲れて「こうしたら」と提案すると
大久保が「そうしましょう」と言って会話終了
しかし渋沢は理屈を唱え続けたとこで根性が尽き、大久保の死後に頑固者と悪口を本に書いた いやあ、洋行前の大蔵卿時代だと井上にも文句言われてたからなあ
この辺の跳ねっ返りの御し方とか、色々試行錯誤あったんじゃない? ちなみに渋沢栄一自身はそのような発言はしていない。
ID:Fqi6HruF0が他人の陰に隠れて嘘を言う、卑劣漢なだけ。 岩倉遣欧使節団の最大の目的は期限が迫った不平等条約の改正だった。
で、1番最初に条約を結んだ友好国アメリカに行ったら、案外簡単に条約改正出来る事になった。
が、いくら右大臣の岩倉がいたとしても全権委任状が無いとダメだと言われ、
伊藤俊輔と大久保利通が日本に帰り、全権委任状持って再びアメリカへ。
さすがに半年も待たせたので条約改正ならず。
遣欧使節団に6歳の津田梅子が参加して、日本語を忘れて帰国しました。 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) 津田梅子は一緒に船に乗った留学生で使節団じゃないし
使節団出発時には条約改正は目的に入ってなくて
米国で熱烈歓迎されたから急きょやってみよかってなったんだし
委任状持ち帰るまでの時間稼ぎ役に
あきらめやすい性格の木戸を選んだのが失敗の原因
また嘘八百書き込む変なのが沸いたな ♪ 灰の嵐に〜 守らーれたー
鶴丸城に 住んでいる 超武闘派 大名
島津久光〜
薩摩の平和を守る為 三つの僕に 命令だ〜
小松帯刀 空を 飛べ〜
西郷ドンはー 海を往けー
大久保、 朝廷に カネを撒け〜♪ >>916
大久保も留守政府の反応みて消極的になってなかったっけ?
だいたい最恵国待遇の話は日本側が粘ってどうにかなるもんじゃないし
最初から無理筋だと思う 篤姫を見て驚愕したのですが、大久保利通が実は原田泰造さんだと初めて知りました
フサイチホウオウという幻のダービー馬とalphaのma-1が欲しいです
nlstでも可 山本太郎、安倍首相をメッタ斬り!
「TPPはゲームセット、完全に詰んだ!」
抑制のない成長に基づく経済政策は終焉
日本国民はどう対処すればいいのか
新しい政権は民意を反映し、
食糧、住宅、健康、教育、最後に防衛です。
国民の意志を裏切ることは、
極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。
民衆の指導者は
職業的政治家ではない人々から見つかるのです。
世界平和の脅威は、
イスラエル、イラン、アメリカです。
イスラエルの役割は跪いて、
パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に
反対の声を上げなければなりません。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したい
という衝動(世界を支配する)をコントロール
するのは、マィトレーャの任務です。
非常に間もなく
マィトレーャをテレビで見るでしょう。
彼は「匿名」で働いております。
彼は非常に物静かなやり方で話します。
彼の控えめな態度に混乱してはなりません。
マィトレーャは毎日テレビに現れ、
質問に答えるでしょう。 伊藤博文「大久保は大きい人物だったが、木戸は小さい人物だった。」 留守政府で西郷がしょい込んだ面倒を考えると
戻ってきてから征韓論を否定するってなかなか酷な対応だけど
それをやり切るのが大久保の凄さなんだろうな これで自分は殺されるだろうとか息子に遺書書いてるからねえ 上司の小松が病気で早死してから
大久保が薩摩閥のトップにたった
小松の代わりになる人がいないのは
大久保にとって不幸だった(トップとして責任を背負うのは大変)
小松が長生きして岩倉よりひとつ下のポジションでいてくれ
薩摩閥をまとめてくれれば 下野する人も少なかった
いずれ大久保は内務卿に就任していた 一口に薩摩閥といっても、久光派やら西郷派やら大久保派やらいろいろあって
統一された“薩摩閥”というものは無いんだが
ちなみに小松と大久保とでは、もとから力関係は大久保のほうが上 大人になってから好きになったけど人気がないのを知ってショック
実利主義っぽい人たちは後年評価される傾向にあるけど大久保はなかなか評価されないね
大河とかメディアで良いように大きく取り上げられたらたいてい評価上がるのに
西郷みたいな明治の置物()が人気あるとか信じられんわ >>886
>井伊直弼は桜田門外の変で水戸浪士に暗殺され、大久保利通も紀尾井坂の変で石川県氏族島田一郎らによって暗殺された。
帝政ロシアのラスプーチンと新生ソ連のレーニンみたいなものだな。権力者が交代しただけ。 >>779
>徳川体制のまま近代化を進めても、保守派が多いから、明治政府のようにスピーディーに近代化はできなかっただろう
ソ連がナチスドイツに勝てたのも、スターリン政権がスピーディーに工業化を進めたからだよな! 大久保利通に対する評価が低いのはこんな風に思われているからか
ラストサムライを葬った男〜その1
http://still-crazy.biz/sheep/samurai.html
http://still-crazy.biz/sheep/ookubo.jpg
映画「ラストサムライ」がヒットしている。それもただヒットしているだけでなく、すこぶる評判がいい。当編集部でも「ラストサムライ見た?」「絶対見た方がいいよ」という会話が飛び交い、ふと気付けば、この映画を見ていないのは編集部で私ひとりとなっていた。
なので、ここでは映画「ラストサムライ」そのものについて語ることはできない。そういうのは映画評論家に任せておいて、ここではあの映画のモデルになった人物と、その人物を“死に追いやった"といわれている人物について、ちょっと語ってみようと思う。
(略) ラストサムライっていつの話だよw
正直いちいち評価評価ってそれしか言わない自称歴史好きって理解できんわ
大久保は本人が自分の評価を上げようとしてないから別にそれでいいじゃんとしか
じゃなきゃ精忠組の名簿を提出するときに、今そこにいない西郷の名前なんか書かんわ
薩摩には上に立つ者の心得として、成功したら部下の手柄にして、失敗したら自分の責任にせよ
ってのもあったしね 政治家としては大久保のほうが優秀なんだろうけど、人間的には西郷に魅力感じるなぁ。 自分は大久保の方が好き
別に西郷スレに行って押し付けようとは思わないけどねw 大久保の次男牧野の長女雪子が吉田茂に嫁ぎ、
そこで生まれた三女の和子が麻生太賀吉に嫁ぎ、その長男が麻生太郎
女系だけど血は繋がっている 西郷は求心力が薩摩限定だし、
木戸は革命家としては一流だが、政治的な腕力が無い(本人がそういうの好きじゃない)。
大久保は藩閥を超えて求心力を持った最初のリーダーと言えるだろうな。 そうやって他の人物を貶めて、ひいきの人物を持ち上げるのを大久保でやってほしくない
西郷・木戸(そして江藤)好きが、ちゃんと考証しないで大久保をけなすのを見てると不快なんで同類に堕ちるのは嫌だ 司馬の「歳月」読んだんだけど
大久保、ひどすぎじゃね。こういう事してて嫌われなかったんだろうか? 大久保が内務省に入ってくると
空気がピリッとしたとか言われてるよね。
そういう人って今は少なくなったよね。
政治家でも会社の社長さんでも。 大久保は佐賀の乱の後、なぜまともに裁判もしないで江藤を処刑したんですか?
政敵と言われるけど、下野して実権がない江藤を殺したい理由って何でしょうか? 江藤新平の悲惨なとこは、外見だろう。
どうみても小物感しかしない。
大久保は外見も凄いからな。 >>646
大久保を清廉潔白高潔な人格者と絶賛してた漫画家が児童ポルノで逮捕されたなwwww 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
9PT52 日本史上最強で国家国民に対する貢献度1政治家、玄人ならそう評価するだろうな。 橋本左内や由利公正のことをどう思っていたのかな。
福井藩って実はかなりすごいよな。 なんでこの人こんなに評価低いんだろうな
普通ならほっといても自然と高評価されて当然のことばかりやってるんだが
こういう人が評価低いのはなんかしらの陰謀があるはず
それがなんなのか
後に大陸進出の象徴となった西郷さん
その仕掛け人は陸軍だ
陸軍が西郷を神とするために大久保をヒールに仕立てあげたのか
同等に評価の低い岩倉と中央政局に乗り出したときからべったりだった大久保が反岩倉勢力により低評価されるようなことになってなのか
はたまた大久保とべったりだったから岩倉の評価が低くなったのか
ま、いずれにしろまっとうな評価受けてない人だわ大久保は
生きてたらどうやって日露戦争までを導き乗り越えたのかすごく興味ある
木戸とともに生きてたらのifがたまらなく見てみたい いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
XVW >>98
洋行中に木戸と伊藤が仲違いしたのに、急進的に欧米化を望む伊藤に対し、
「それでは日本が日本でなくなるではないか!」って木戸がブチ切れたからだって話があるね
そんな伊藤の逃げ場が大久保だったから、少なくとも表立っては反対姿勢示さなかったんだろうな内心はどうあれ 「日本史上最高の英雄 大久保利通〜第1回なぜ大久保利通は嫌われるのか〜」倉山満【チャンネルくらら・9月16日号】
https://www.youtube.com/watch?v=DP4WrEcPK5Y
歴史通 出口治明が選んだ日本史の4傑とは誰だ 04/28号, 2018
ビジネス界出身の歴史通が選ぶ日本史の傑物4人。広い視野を持ち、経済を重視し、権力者としての手腕にも優れる──。
いずれも魅力的な人物ばかりだ。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/17940
>日本史を彩る傑出した人物は誰かといえば、まず次の4人を挙げたいと思います。いずれも魅力的で、人物もユニーク。
平清盛と足利義満、織田信長、そして大久保利通です。 >>959
伊藤が無知なのにキリスト教国にならなきゃ不平等条約は改正できないと言って木戸がキレた 先日の西郷どんの大久保の描写は残念以外ないわ
意外とこの人のこと判ってる作家だとおもってたのに
あの単純な決別対決対立の描写はないわ 実際の所、西郷が大久保に別れの挨拶をしに行った時は、
物凄い剣幕でお互い怒鳴り散らすガチ喧嘩だったみたいよ
実際にその場面を見た人(名前失念スマソ)が記録残してる
まぁドラマの描写としてないわ〜ってのは同意 だが、出されたカステーラはしっかりと家に持って帰る吉之助サーであった。 読み解きクイズQUIZ 原田 君明に著作権あります。
西郷隆盛と西南戦争
長州藩士 京都暗殺に関与疑いと前原さん長州藩士決起事件
以前にも申した西郷黒幕説です。
京都において、山本覚馬 合津藩士 同志社大学設立 薩摩藩邸を西郷から受けた人
長州藩士 吉田松陰 寅次郎先生 佐久間象山氏同門であった人
吉田松陰に同志に謝罪す という意味と 「薩摩を判定した」場合にして同志に謝罪すべき
と言う意味を持つ これで京都府副知事で居た前原さんは長州に戻り決起を行なう。
残念なことに政府軍衝突し死罪・・・おしい人でした。 松下村塾出身
西南戦争・・・日本国西南に位置しているは偶然なれど、
西皆嘘せんようにと詰め寄った 「 西 にし 」死人皆嘘せんことを詰めよった・・・
郷 外れ取る 消えている 隆盛 鷹派に盛ってる理由何?
業
所業意味する
京都 元合津藩士 山本覚馬 薩摩藩邸から同志社大学設立で
これを明治政府 伊藤博文公と山縣有朋とで詰め寄ったと見るが
西郷 写真を極端に嫌った理由 名前を変えて 京都で新撰組等で長州藩士暗殺した業あり
と謝罪すべきこと
京都と合津藩士にバレる都合悪質なことが?あかろうか?
故に徳川慶喜同様 薩摩帰って謹慎した 反省で血と動乱やたら苦労した役職辞職した
後にも動機を問われたり 噂流された筈でして?
暗殺恐れ 決起 西南戦争に至れり と思われる。
思えば明治陛下にも衝突回避言われてたとのこと・・・中々真相表に出来ずして・・・
時に事実は小説よりも奇也 大久保利通の子孫の女性、まだ50過ぎなのにノーメイクで白髪染めもしていない
未婚どころか処女なんだろうか? 輝かしい安倍の経歴
拉致帰ってこないわ
北方領土の2島(全体の93%)あげちゃうわ
日本への移民解禁するわ
水道民営化して水道値上げさせ品質劣化させるわ new
ドヤ顔で首脳会談しては税金ばら蒔くわ
トランプに媚びてバカ高い兵器買わされたのに関税上げると脅されるわ
企業献金という名の賄賂貰ってるから大企業優遇し格差拡大するわ
日銀、年金で日本株買いまくって景気が良く見せるが、出口が見えず止めた時大暴落しかねないわ
森友、加計は日本会議やお友達だから便宜をはかり、公文書隠したり改竄するわ
議員定数、公務員給与は削減しないで(むしろ議員も給与も増やす)消費税はしっかり上げるわ
当然安倍も国も関与してるオリンピック当初予算7000億が3兆円に膨らみ
しかし猛暑の中、長時間ボランティアを強要させるわ
雇用がいいのは単に少子化で働き手が少ないのと日本企業は外需頼みでアメリカがリーマンから立ち直り好景気なだけだからな
まだありすぎて書ききれんわ
なんでこれで安倍支持できるのか不思議だ 結果論としては大久保は正しかったんじゃないかな
考えてみれば明治初期の時点で植民地化されるのと昭和の敗戦時にされるのでは訳が違うし
若かりしのマッカッサーが日本で何を見たかはデカイと思うわ 当時政府内実力ナンバー1の大久保さんがあっさり暗殺されるとか普通に考えて信じられない。権力闘争があったんだろうな。惜しい人を日本は失っていたんだな。 日本に大久保利通が居たのは大きかった
大久保が居なかったらベネズェラ見たいだったろうからな
中露も米も酷いな、不平等条約時代の日本も似たよう状況何だろうな 大久保が居なくても西郷がいるからベネズエラみたいにはならない。
ただ近代化が史実通りにいったかどうかは別の話。 西郷では大久保の代わりにはならない
大久保以上の人物は明治日本には居ない >>970
それはつまり暗殺でしか倒せないような強い政治力を持った政治家がいないということさ 大久保はいつから自身の新国家構想ができたのか気になる
戊辰戦争やってるときに京都に残っていろいろ新政府の整備やってるときになのか
欧米視察後なのか
大政奉還あたりの大久保にはそんなものまったく持ち合わせてなかったのは判るが
どのタイミングで構想ができたのか? >>956
大歴史小説家である司馬に関して言えば、大久保に対する評価が低いことはないよ。
・「跳ぶが」では、西郷を主人公にした筈が、途中から大久保を主人公のように扱っている。
台湾出兵の失敗ののち北京に乗り込んで清国の高官を相手に交渉をする場面など、神がかり的に描いている。
・「きつね馬」では、主人公の久光をピエロのように描き、その久光を討幕に導き、薩摩を雄藩に
したのは、これ、大久保の支えがあったからこそとしている。
司馬による大久保は他の作家が描いたイメージよりカリスマ性が数段上の印象。
他方、木戸に対する評価は低いよね。
・「逃げの小五郎」では、明治以降はたいした仕事をしていないと、こき下ろし、
・「竜馬」にいたっては、平時ならば、もっとふさわしい職業があったに違いないとまで、
切り捨てている。司馬にとって、木戸の明治三傑などまったくあり得ない評価だということ。 同時代の傑物からの圧倒的な評価
https://www.compass-point.jp/japanese/6014/
これ面白い
渋沢も仲良くなかったけど大久保凄いって言ってたんだな ↑
歴史初心者のバカ男です(卒業した高校の偏差値38)。
大久保すごいな。討幕運動、版籍奉還、廃藩置県、ちそ改正、不平士族の弾圧、殖産工業など
教科書に載っていたことを全て主導したんだ。
特に、版籍奉還と廃藩置県はなんていうか、大事だったと聞いたことがあるだよね。
そして、それは、木戸が中心だったみたいなことをネットで言うバカがいるけど、
ウソであることがわかった。 >>877
「大久保の国家構想」というものがそもそも有ったのかも定かではないが、
それが生まれたのは明らかに欧米視察後だと思う。 明治初期で一番改革が進んだのは
西郷留守内閣の時でこの時は大久保不在、江藤・大隈らが主導していた。大久保という人は良くも悪くも理念よりも実務優位はだから、
政治制度も内務省設置とか地味な範囲でしか創造できなかった。
構想力・先見性という点では伊藤・大隈ら第二世代には及ばなかった。 >>982
伊藤、大隈なんかと比べるなよw
伊藤、大隈は大久保利通が描いた明治のグランドデザインを踏襲したにすぎないだろうが 大久保は権力闘争に強いってだけだな
大久保の功績もこれというのがない 「日本の近代とは何であったか」ていう本、東大生とかが読む本で難しいけど
大久保についても書いてるな
大久保→松方→高橋是清→井上準之助の流れで日本資本主義が発展したらしい >>983
大久保のグランドデザインwww
なんだそれは? 一次史料きぼん。(脳内ソース不可) 明治のグランドデザイン設計したの大久保以外にいなくね? だから、大久保のグランドデザインって何だと聞いてるんだがww
無いものは答えられんわな。
大久保は決断力と実行力に長けたリーダーではあるが、その先のビジョンが無いのが痛い。
まあ、ビジョンがあった奴は大隈 江藤 木戸このあたりだが、理念先行で現実性に難があった。
明治初期の指導者は帯に短し襷に長し、の連中だったが互いに補完し合って総合力を近代化を成し遂げた。
日本にビスマルクやカエサルはいない。 >>987
まあ歴史のプロも言ってるからなあ、大久保以外にいないだろうな
https://youtu.be/xUSAAL03gKo?t=3282
月刊くらら9月号「日本史上最高の英雄 大久保利通〜第1回なぜ大久保利通は嫌われるのか〜幕末日本の憲法9条」
https://youtu.be/DP4WrEcPK5Y?t=417
リシュリュー ピット ビスマルクに大久保が匹敵するとも言ってる 大久保のグランドデザインって有司専制の国権主義だな
その後藩閥政治と軍閥政治に受け継がれて行った >>989
バラエティ番組と倉山満wwwwwwww
このスレはもはや学問板ではないなw
これじゃあ大久保利通がカワイソ過ぎる。 >>989
半藤一利は明治政府は大久保以外は全員小物って言ってたよな >>991
大学教授と歴史家が言ってるんだよ
アホだなあ君は >>989
大久保は過大評価され過ぎだw
大久保が居なくても日本は近代化したし問題もなかった
大久保の政敵だった江藤や西郷らも別に悪人じゃないし
代わりに政権を担ってたとしても近代化したのは間違いないからな
そういう意味で大久保は他と比べ特別思想やビジョンが違ったという事はなく、ただ権力闘争に強かったという以外にない >>994まあ>>979で圧倒的に評価されてるしそれが答えでしょ
当時の人からも後世の人からも >>993
だから、帯に短し襷に長しの面々から、総合点で誰が言万帰らんでちょ、という
番組の企画に1位取ったよ、イェイ! つー話じゃんかw
大久保のグランドデザインwwって何? と訊いても君も答えられないw 無いからなw
おれが笑ってるのはソコ。
>>995
994氏の言うとおり。大久保は実行力決断力はピカイチだったが、それだけ。
テレビ企画用には取り上げやすい(解り易い)人物ということ。 総合点で誰が言万帰らんでちょ ×
総合点で誰が一番か選んでちょ 〇
wwwwwwww すまん。 >>996
ランキングとったよ
じゃなくて明治のグランドデザイン作ったのは大久保って大学教授が書いてるだろ
動画で このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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