八百万の神々と仏教と儒学をいっしょくたにするレシピは絶妙に美味しい。
実際そういう信仰する習慣は日本人にはうまく溶け込んでいた。
だから廃仏毀釈のあと、バランスを欠いた人心はモラルハザードを起こした。

田中正造が政治家になって正攻法で足尾銅山の鉱毒問題をなんとかしようとしたら
四面楚歌で無理で単独直訴せざるをえなかったのも、南方熊楠が鎮守の森を守る
ために奔走するも、焼け石に水。
水俣病もイタイイタイ病も工業地帯の喘息などの公害問題は、原因分かっているのに
対処されない状態が愚かとしかいいようがないほど長く続いた。
現代も試用期間が過ぎて廃墟になったら100%死地になるという呪われた原発が
地水火風を穢し続けている。

ニホンオオカミ・ニホンカワウソなど、多くの動植物が乱獲されて絶滅したり
絶滅危惧種になったりと、廃仏毀釈の影響は人間社会の生活文化だけでなく生物界の
多様性まで損なった。

八百万の神々という概念が自然への畏敬の念となっていたなら西洋式スポーツ
ハンティングや商業乱獲によって種を絶滅させることなど許さなかった。

仏教が道徳の教科書になっていた江戸時代なら、大商人も大地主も現世功徳を施さねば
ならないという当時の「常識」の縛りによって、飢饉や災害時には備蓄米を開放して
炊き出しをしたり復興の指導をしたり、水害対策の堤防や防砂林を作ったり維持管理して
いたから、公害なんて起こらないように重々考えてお金儲けをしていた。

江戸時代の常識 >>>>>>> 明治維新後の常識
神仏への救いを求められなくなった大衆の意識が、レミングの集団自殺のごとき選択を
してしまうようなものへ劣化したのは廃仏毀釈のせいだ。