廃仏毀釈について語りましょうよ2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
廃仏毀釈が遂行された時、鹿児島は県内の寺をすぐに全廃した。
数年間、県内に一つの寺も無くなったし、僧侶も一人もいなかった。
元々、鹿児島人は仏教にまるで興味なかった事が原因だ。
ダサツマンは至上最低最悪のカルト日本神道の狂信者の塊だ。
鹿児島人は今でも、カルトばっかりやってて仏教を疎かにしている。
鹿児島人以外の日本人への挑戦と思っていい。仏罰よ鹿児島に下れ。
鹿児島の神社及び神代三大陵が天災で全滅しますように。
と言う譯で廃仏毀釈の甚大なる歴史的物理的被害を語りましょう。
その背景となったのは薩摩藩である事は言うまでもありませんが。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1097339766/ まーた生臭糞坊主が糞スレ立てたのか
2chで遊ぶヒマがあるなら少しは葬式代安くしろや >>ダサツマ
この言葉を使う奴らの大半は鹿児島と同レベルの田舎者 仏教って糞みたい。
立派な寺と、敷地に豪邸たてて、高級車はべらせて
妻もいれば子もいて世襲やってるし。 >>6
待てw。それは神道も同じ事やってるじゃんw
立派な神社と敷地に豪邸たててw
妻もいるし子もいるし世襲でしょw
どうせ廃仏を唱えるなら正しくやってくれよ
「仏教は唐から渡ってきた宗教で、日本には元々神道がある!」と。
その神道も糞だったから、平田篤胤が古神道を作ったw。古い神道を復活させた訳じゃないのが”お・ミ・ソ”w
儒教も排斥も忘れちゃダメだぞ
江戸時代の寺は金貸ししていたところが多かったので、廃物毀釈は実は
農民達が借りた金を踏み倒す為に寺を襲撃したところが多かった。
坊さん達にはお気の毒だが、実際には凄く浅ましい理由で農民は動いたんだな。 何が浅ましいだか
権力に媚びて甘い汁を吸う輩が後ろ盾がなくなったら報復されるのは当然だろ 法事増やしたり高利貸ししたり花町に通ったり
花八層倍、薬九層倍、お寺の坊主は丸儲け。
そらまぁ嫌われる。 というより糞坊主、糞神主共は2chなんてしてんじゃねーよ
せめて神社仏閣板から出てくるな ・仏教(宗教であるという特権を駆使して法外なカネをむしりとる村社会の産物)
・儒教(逆ノブレスオブリージュ・思考停止・夜朗自大・奴隷育成思想)
・神道(ブラックアフリカに多いアニミズム)
東アジアにはろくな宗教が無いな。
どおりで欧米化するまで世界最低の生活・衛生・文化水準だったわけだ。
毛沢東やポルポトの気持ちがなんとなく理解できる。 >>12
そうか?関係無いと思うぞ。
・ユダヤ教(ユダヤ人限定の選民思想)
・キリスト教(ユダヤ選民思想から転化してキリスト教徒選民思想。キリスト教以外は異教徒として抹殺する虐殺宗教)
・イスラム教(キリスト教の焼き直し宗教。結局、異教徒はジハードで虐殺する宗教)
仏・儒・神は多神教で、他文化の宗教の神々も”そういう神もいるだろう”と受け入れるが、
欧米の宗教は一神教で、自分達の神が唯一絶対で他に神は居ない。いたらそれは神の名を語る悪魔であるから殺せ。
異教徒は悪魔を神と勘違いした不幸な人々なので、改宗させろ。改宗しないなら殺せ。それがその人の為である。
かくして”戦争と虐殺”の文化を育んだ。
戦争の経験が有りすぎるほどなので、強いんだよw。 その人間のクズ二匹も共産主義という名の宗教にかぶれてるから 檀家制度は住民監視の目的で幕府が強制し
寺は権力を盾に法外の金を要求して住民を苦しめた。
廃仏毀釈で貴重な文化財が多数失われたのは事実だが、
しかし、それ以前に、仏教が日本に入ってきて、何かいいことあったか?
俺たち日本人は今では肉を食ってるだろ。
それまで食わなかったことで、俺たち日本人は遺伝的に貧弱な肉体になっちまったw
明治時代には、「欲望を否定する仏教には文明創造力がない」とみなされ、
仏教を入れた蘇我氏が歴史家から批判されたりしてたのね。 蘇我氏が仏教を容れるまでの日本は完全な原始時代だったから、
脱原始時代の第一歩を踏み出す骨格として存在意義はあったとは思うけどな。
時代が下り徳川幕府と関わるようになった頃には、完全な寄生虫と化したけど。 8世紀から19世紀まで、1000年以上にわたり仏教が事実上の日本の国教であり、
天皇もまた仏教徒だった。
国家神道とは成立以来140年に満たない近代の人工的産物であり、
神道は断じて日本的伝統文化の基盤などではない。 >>20
江戸時代マンセーの守旧派NHK脳だから。 貴重な文化財の破壊等の面では残念だが…
当時の身分制度撤廃による国民皆兵を目指す上で、国民統合政策は必要だった。
天皇陛下を戴く統一国民国家確立が急務な中で、国家神道による民心統一化は止むを得なかった。
ただ、仏像破壊や寺院荒廃は余りにも惨いが…。
まぁ…当時の時勢を考えたらそーゆー大胆な行動も仕方無かったのでは… 自業自得
金稼ぎに精を出してなけりゃそんなことにはなってない >>22
なんか明治政府が国策のため廃仏毀釈をやったみたいな書き方だな。
そんな陰謀めいた話じゃなく、ただ単に、幕府の権威を笠に着て
好き放題搾取・凌辱を繰り返してきた坊主に対して
領民が積年の恨みを晴らしただけの話だよ。
廃仏毀釈のとき,僧の福田行誡は政府が僧の肉食妻帯を認めたことに反対した。 >>22
廃仏毀釈は「平田国学や本居国学、水戸学」
国家神道は「これらの国学が近代日本に必要ないと排除した政府が、新しく作ったもの」
ですが、なにか? 廃仏毀釈で廃寺になった寺院の一覧のような
資料は存在しますか?
あれば教えていただけないでしょうか?
>>29
俺も興味があるんだが、ないな
誰かリスト作らんかな 廃仏毀釈はなかったのか?
↓
奈良に廃仏毀釈はなかった
http://wedge.ismedia.jp/articles/print/1071
「永久寺が廃寺となったのは廃仏毀釈のためではありません。上級のお坊さんが石上神宮へ移り、
ほかの人たちも寺を出てしまったからです。やがて建物は競売にかけられますが、買い手がなく、更地
にして農地として有効活用されただけ。仏像や仏画などは別の場所で保管されました」
いきなり炸裂する西山史観。神仏判然令(俗にいう神仏分離令)の布告は、王政復古の大号令
にもとづく神々の統括システムのスタートだった。維新政府は、〈国家的宗教〉を仕立てたかったのだ。
「だから、神仏判然令は神社に対して出されたのであって、内容もシンプルです。神社にお坊さんが
いたらだめ、ご神体が仏像ではだめ、神さまを八幡大菩薩のような仏教用語で呼んではだめ。それ
だけです。お寺はそのままでよかったんです」
神社から仏教色を駆逐しようという政策を、これからは寺ではなく神社が手厚く護られるとよんだ多く
の僧たちは、時流にのって転身を企て、神官になりたいと申し出た。永久寺ももぬけの殻となり、
境内はゴーストタウン化したまでのことだと西山さんは指摘する。
「永久寺と興福寺は廃仏毀釈で大きな被害を受けたお寺の代表みたいに言われますが、そうでは
ありません。藤原家出身の身分の高いお坊さんがさっさと寺を出て神社へ移っただけのこと。お堂も
仏像も可能な限り大切にされています。だから興福寺の阿修羅像も残っているんです。本当の廃仏
なら何も残っていませんよ」 廃仏毀釈などナンセンス、俺は神仏習合が一番肌に合っている。 >>1
>鹿児島人は今でも、カルトばっかりやってて仏教を疎かにしている。
鹿児島県人だが、先祖代々鹿児島の南洲寺の檀家だ。
西本願寺や東本願寺など大きな寺や
葬式も仏式が圧倒的に多いんだよ。
事実無根の嘘で鹿児島県人を誹謗中傷するな。
おまえ、訴えるぞ。
>>34
鹿児島は真宗王国だよな。
禁教中だった江戸時代から郷士階級以下には隠れ門徒が多くいて
廃仏毀釈で既存寺院が軒並み潰れた後には真宗本山から優秀な僧侶が多数派遣された。
そのため明治以降の鹿児島県は真宗の独壇場。 聖徳太子が古い神を捨て新しい仏を拝むように改革したんだけど、辺境には古来の神を信仰する困った者が多いと嘆いていた。 隼人や熊襲は渡来した人達に言葉も文化も違う野蛮人として討伐の対象にされたんだけどな。
またここも会津関連スレか。
会津は白虎隊とか観光史学で嘘がバレたから
この数年は仏都会津、仏像マニアの新聖地って
観光キャンペーンはじめたからな。
そしてこの露骨な鹿児島叩き。相変わらずだな。 会津が京都、奈良、鎌倉、平泉と並ぶ五大仏都って
初めて聞いたが本当か。お寺多い? 平安の仏像が数体のこっている。
しかし伊達政宗がかなりの寺院を焼き払ったので、平安時代のものは少ない。
戊辰戦争の際に佐川官兵衛と新政府が互いに火攻めをしたり撤退時に焼いたりしたので、この際の被害も多い。
新政府のせいだという意見は、佐川官兵衛も加害者だろうが、とあらかじめ予定問答として返答しておく。 >>41
ありがとう
でも会津が五大仏都って誇張しすぎじゃね?
大分の臼杵磨崖仏の方が日本唯一の国宝石仏で数も60近くある。
会津より臼杵を挙げるべき。 会津藩、1/3がキリシタン!
会津は五大仏都と隠れキリシタンの里らしい
会津若松市HP
京都、奈良、鎌倉、平泉と並んで日本の五大仏都に称させる会津。
その背後にはもう一つの顔がありました。それはキリシンタン文化。
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/ja/kanko_odekake/news/kirishitan.pdf
五大仏都ワロタ
国重文だと、質はもちろん数だけでも京都と10倍以上の差があるのに…
田舎者の考えることは分からんw 会津の平安時代の仏教僧と言えば徳一(とくいつ)。
しかしこの僧侶、伝教大師最澄に粘着し難をかけまくり、
その後は師である弘法大師空海にも嵐のように書状を送りつけ続けたという悪評だけが後世に残っている。
徳一の説は、最澄の手紙の中で反論されるという形でしか残っていない。
彼を伝教大師・弘法大師にも匹敵する高僧として紹介するのが、会津五大仏都説。
論拠は、平安時代の仏像が残っているから徳一は最澄や空海と肩を並べる高僧である、というもの。
そのため会津は、奈良や京都と肩を並べる仏都なのだという主張となって、専ら会津で語られている。 >>44 >>45
その程度で仏都を名乗るとは恐れ入るなw
劣化コピペな地方文化のくせに奈良京都と同格だなんて
夜郎自大にも程がある! ↑嫌われ者の一人芝居
誰も肯いてくれないのは常軌を逸しているからだよ
会津若松市HPより
「SAMURAI CITY」の商標登録について
「武士(もののふ)の郷(さと) 会津若松」のイメージを国内外に広く周知し、観光誘客の促進を図る
SAMURAI CITYとか武士の郷とか、武家発祥の鎌倉なら理解できるが。
五大仏都とかくれキリシタンの里とか会津って何でもアリなのか。
会津武士道は社会を破滅させる最悪思想だと思う。
幕末、第二次世界大戦、バブル退治・デフレによる日本衰退
会津武士道が世間を覆う度に日本は破綻した。 幕末に破綻したのは会津藩と会津に巻き込まれた東北地方であった。
会津を信じると国は滅びる。 天皇崇拝とかヒトラー崇拝とか、今だと金将軍崇拝とか。
まともな意見が排除される国は滅びるんだよな。 仏教学を専攻するにはサンスクリット語を学ぶ必要がある。
よってスリランカなどに留学せねばならんよ。
インドは駄目。 一族の後継争いに豊臣徳川と介入したから。
最初豊臣が西を支持して、そちらで統一されるかに見えたら
徳川に政権が代わって、東を徳川が支持して並び立ち、東西分裂状態になった。 ここでもいらん事してたのか家康、秀吉を妬んで足跡を潰すのもいい加減にしろよ >>58
そうだったのか。ありがとう、初めて知りました。
ところで、神仏分離令は国学派だけでなく浄土真宗も積極的に後押ししたって本当かねぇ。 廃仏毀釈で寺を売った僧侶多かったらしいけど
明治政府が買い取ってたのかな 廃仏毀釈が起きたとき、坊主にも肉を食えっていうおしつけがあったと
聞きますが、廃仏毀釈が起きたことの遠因って、当然開国したことに
あったんですよね? 開国とは関係ないっしょ? なんで仏教と神道に開国がかかわる?
国家神道をつくろうとした過程で、神社で仏像も拝むようなことやめるようにって言ったら、
それに便乗して寺をディスった連中がいたってだけで。
あとで信仰の自由をなんちゃらいう段階では、キリスト教問題も入ってきたけど、
その時点でだって基本は神道と仏教についてだった希ガス
それとも、外国がキリスト教でまとまってるから、
日本も国をまとめられる宗教をつくろうと国家神道をつくったって話?
だとしたら間接的に関係があるといえるかもしれないが。 福島県会津若松市の菅家一郎市長が18日、萩市を訪れ、東日本大震災後の取り組みなどを報告した。
かつて会津若松市には会津藩、萩市には長州藩があり、戊辰戦争(1868〜69年)で戦った間柄。
菅家市長は「訪問は和解とは別」と前置きした上で、震災後に萩市から受けた支援に繰り返し感謝した。
会津若松市長の萩市訪問は1997年以来14年ぶり。震災後に見舞金2350万円と支援物資を送った
萩市側が招いた。JAあぶらんど萩本所(江向)であった報告会には市民ら約300人が参加。萩市の
野村興児市長は菅家市長の訪問について「長年の因縁を考えると勇気のいること。英断に感謝する」と
述べた。
菅家市長は報告会に先立ち、戊辰戦争で命を落とした白虎隊を供養する地蔵堂(唐樋町)を野村市長たち
と訪れ、花を手向けた。地元の地蔵講の約20人に「供養していただき、心から感謝申し上げる」とも述べた。
*戊辰・会津戦争
慶應4年(明治元年/1868年)8月23日〜9月22日。会津藩主・松平容保(京都守護職)に対する追討令が出され、
薩摩・長州を主力とする西軍が会津若松を攻めた戦い。白虎隊、娘子軍の活躍で名高い会津藩は近隣の30余藩
と奥羽越列藩同盟を結びこれに対抗し会津若松城を拠点に激戦を繰り広げました。慶応4年(明治元年・1868年)
9月22日、会津藩は降伏しました。後に、明治10年(1877年)の西南戦争では、会津戦争などの遺恨を晴らすべく
会津出身の兵は特に奮戦したといわれています。
▽四国新聞('11/7/19)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201107190029.html
明治新政府最大の汚点
神仏習合を無視し文化を破壊した 誤解があるようだが、国家神道とは宗教というより、皇室神道をもとに新たに創設された国家儀礼。
それが国民が強制させられた。
明治政府は政教分離を建前として、「神道は宗教にあらず」と強弁して国家儀礼に組み込んだ。
その代わり、大教院を創設して、神道を中心として仏教をも集合させた「大教」を
造り、布教させようとした。
つまり神仏分離、廃仏毀釈の一方、新たな神仏習合を目論んだが失敗した。 「廃仏毀釈はそれまで寺院に虐げられた民衆が起こしたもので自業自得」
という論調が見られるが、調べてみると神道辞典にはそう記載されている。
しかしどこを探しても出典がない。
当時の新聞では僧侶は仏典漢籍を読めたのに対し神主は学がなく、経済的にも地位も低く
その積年の恨みが廃仏毀釈になったと挿絵入りで書かれている。
どうも一般民衆ではなく神主、神職の恨みを買ったというのが妥当だろう。
また廃仏毀釈自体、地域によってばらつきがあり、神主や国学を信奉した庄屋村役の子弟
に煽動されて行われた場合もあれば、寺院住職自らが還俗し、神主になって寺院を破壊した場合も
あったようだ。 水戸の斉昭公の失脚には仏教勢力が関与した。
一方で雪冤運動には神官が多数参加した。 >幕府の権威を笠に着て
>好き放題搾取・凌辱を繰り返してきた坊主に対して
>領民が積年の恨みを晴らしただけの話だよ
これの根拠となる具体的資料を提示してくれ。
だれも資料を提出してくれないんだよなw
>>69
慶応四年四月十日の太政官布告には、お前ら勝手なことすんなよゴルァみたいなことが書いてあるな。
これに書いてある社人って、神職のことだよね、確か。
(前略)
然ル処、旧来、社人僧侶不相善、氷炭之如ク候ニ付、今日ニ至リ、社人共俄ニ威権ヲ得、
陽ニ御趣意ト称シ、実ハ私憤ヲ斉シ候様之所業出来候テハ、御政道ノ妨ヲ生シ候而巳ナラス、紛擾ヲ引起可申ハ必然ニ候
左様相成候テハ、実ニ不相済儀ニ付、厚ク令顧慮、緩急宜ヲ考ヘ、穏ニ取扱ハ勿論、僧侶共ニ至リ候テモ、生業ノ道ヲ可失、
益国家之御用相立候様、精々可心掛候
且神社中ニ有之候仏像仏具取除候分タリトモ、一々取計向伺出、御指図可受候
若以来心得違致シ、粗暴ノ振舞等有之ハ、屹度曲事可被仰出候事
但 勅祭之神社、御震翰、勅額等有之向ハ、伺出候上、御沙汰可有之、其余ノ社ハ、裁判所、鎮台、領主、地頭等ヘ、委細可申出事
日光なんかは、三仏堂の移転の件で政府上層部まで巻き込んで色々やってたみたいね。
県令とかのやる気によっても結構被害度が変わってるようにも思える。
あと、廃仏毀釈を免れた寺でも、上知令で寺社領の殆ど没収されて山門の修復も出来ないとか
そんな事例もあったようだ。 廃寺になった寺とそうでない寺の差はなに?
たとえば、奈良でいえば興福寺は塔頭はほぼ廃されたけど本体(?)は残った。
けれど内山永久寺は塔頭も本体も廃された。その差は住職の政治力の差?
なにかで、檀家がない寺は廃されたというけど、檀家があって墓地もあるけれど廃されたところもあるし。
>>73
明治帝の東北巡幸に供奉した木戸孝允から品川弥二郎宛の書簡に
「いま日光だけど、地元住民から、三仏堂縮小移転は困るって嘆願来たよ!
これ破壊しちゃうのはもったいないし気の毒だから何とかせにゃ」
というような内容のことが書いてある。
結局現状の規模と状態のまま移転できるよう天皇から下賜金が出てめでたし。 いや、木戸や伊藤はもともと廃仏棄釈の風潮には批判的。
島地黙雷とも親しいし。品川は禁門の変のとき西本願寺に助けられてるしな。
ちなみに木戸の葬儀は神式流行にあえて逆らって仏式。葬儀委員長伊藤。 神仏分離令を出したのは大久保と木戸やろ。
国賊中の国賊。 どうせ高利貸しをやってた坊主が恨まれていたいたんだろう。 鹿児島は隠れキリシタンがたくさんいたので廃仏が進んだの? 隠れキリシタンって九州のどの辺に多かったのよ?
熊本バンドとかが有名だけど。熊本県じゃね? 神仏分離・廃仏毀釈の歴史経過
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm
明治維新前後の狂気(神祇官再興・祭政一致という幻想)
明治維新の神仏分離及びその行き着く先としてほとんど自明のことであった廃仏とは、一体何だったのだろうか、どういう思想でそれは行われたのだろうか、
あるいはその主体は一体誰だったのか、そしてその破壊のエネルギーは 一時的であったにせよ、その源はいかなる訳なのか等々多くの疑問がある。
一般論としては、唯一神道家・平田派・後期水戸学などの影響を受けた後期国学者などの狂気であったことは理解できるが、
なぜ一部神道家や国学者の狂気が一時的にせよ、全国に波及していったのか、結果的にはほとんど挫折したにせよ、なぜ その狂気が許されたのか、
その具体的なところはどうだったのか云々については良く理解できていないというのが正直なところである。
但馬帝釈寺(日光院)の神仏分離もある日突然、帝釈寺を襲った訳ではなく、その当時の大きな時代の奔流の中で、全国各地で行われたことの一コマであったと思われる。
一コマとは「大したことではない」という意味ではなく、「明治初頭の神仏分離政策とは、現象としては、千年とか何百年とかの連綿とした信仰や伝統や風習などがほとんど一瞬にして暴力的に破壊される 」というものであった。
寺院神社は勿論のこと、村々の小祠・辻堂までも破壊の対象となり、大なり小なり佛教的な存在は神仏分離という名の廃仏の影響を受けたと思われる。
但馬帝釈寺もその中の一つで、しかも寺院の消滅を宣告されるという「狂気の例」という意味である。
そこには、なんらかの政治・宗教的勢力があり、その勢力は何らかの政治・宗教的意図を持っていたはずであろう。
それゆえ、帝釈寺の神仏分離を考える前提として、一体誰が・何を目的として、どのような手法で行ったのかなどを、以下の著作から、探ってみることにする。
(A)「神道の思想 第2巻神祇制度編」梅田義彦、雄山閣、昭和49年
(B)「神々の明治維新」安丸良夫、岩波新書、1979
(C)「現代神道研究集成(三)」神道史研究編2、神社本庁、平成10年
(D)「現代神道研究集成(七)」神道思想研究編、神社本庁、平成11年
(E)「神仏分離の概観」辻善之助、「明治維新神仏分離資料」所収
「<出雲>という思想」原武史、講談社学術文庫、1518、2001 結論的に云えば
明治維新の神仏分離や廃仏毀釈の意味は単に神を仏から分離し、仏を廃するという意味ではなくて、
記紀神話や延喜式神名帳に記された神々に歴代天皇や南北朝期の功臣を加え、要するに神話的にあるいは歴史的に皇統と国家の功臣を神とし、
底辺に産土神を配し、それ以外の神仏は廃滅の対象とするというのがその意味であった。
そして、その神々の大系は水戸学や後期国学に由来する国体神学が作り出したものであった。(B)
勿論、その国体神学の目指す方向は記紀神話の神々を至高のものにするものであった故に、
神仏の峻別、神社からの廃仏は勿論、佛教の廃棄、路傍の辻堂・石仏の廃棄にまで破壊の対象が拡大した。
○○大権現・修験なども、限りなく仏体や寺院に近いものであっても、神社と強弁され、新しい神格がこじつけられた。
国体神学の体系から外れる村々の道祖神・祭礼なども淫祠・淫習として廃棄の対象となった。
もっとも甚だしきものは、平将門(神田明神)などは逆臣の故に、祭神から追われる現象もあったとされる。
江戸後期・末期は封建制が行き詰まり、内憂外患の漠然とした不安の時代であった。
この閉塞は新しい勢力あるいは思想によって打ち破られなければならない必然があった時代でもあった。
この時代新しい勢力として台頭してきたのは、薩長に代表される勢力で、その新しい政治スローガンは「尊王」であった。
要するにそれは、徳川封建制の価値感に取って代わる新鮮な政治スローガンであった。
そしてその「尊王」あるいは「勤皇」とは、深く後期水戸学や後期国学の影響を受けたものであった。
明治維新として「革命」が成就した時、維新政府の政治思想基盤は脆弱であり、また弱年の天皇を擁立したばかりでもあり、
維新政府の権威確立のためには何らかの(天皇絶対主義的な)イデオロギーが必要であった。
維新政府には、今までの徳川幕府の封建的意識を変革し、その上で列強諸国に伍していくための「日本的に普遍的」なイデオロギーが必要であった。
以上のような状況の中で、維新政府成立当初、その政治「革命」の政治スローガンであった「尊王」「勤皇」を支えた後期水戸学や
後期国学者・国体神学者に期待されたのは、まさに近代化(西欧化)を目指すための日本的な精神規範としての、ま た今までの徳川封建制の精神規範に取って代わる、
新しい精神規範としての「古くて新しい」天皇の絶対的な優位性を確立するための理論であった。 政治とは冷徹なもので、政治目的の実現のために役立つものは全て政治的に利用される。
誕生したばかりの維新政府は生き残りと政治目的の実現のために、「祭政一致」の「王政復古」という形で、彼等を利用した。
それゆえ、維新成立当初は、彼等後期水戸学や後期国学者・国体神学者がその思想としたことは、「祭政一致」の「王政復古」として実現はした。
しかし、その復古主義は、古代の神聖国家以外では現実に機能するはずもない時代錯誤なものであった。
その意味で、彼等復古主義者の理想とは、まさに「幻想」でしかなかった。
実際に明治維新を成就させた「明治維新の功労者」たちは、西欧の文明に触れた現実政治家であり、復古主義とは相容れるものではなかった。
その復古主義は、維新政府が目指した中央集権国家要するに近代化とは相反するものでしかなかった。
かくして彼ら復古主義者が現実の政治で実権を持つことはありえなかったが、しかし彼等にとっては理想実現の機会到来であり、
また現実政治では祭政一致の政治とは「幻想」であるがために、つまり現実政治ではその理想実現のための舞台の用意が無いがために、
逆に、限られた世界であるイデオロギー・宗教政策の中で完全燃焼を遂げようとした。 まさに当時は変革の時代であり、情熱を燃焼できる時代であり、宗教・思想の世界でもそういう熱気はあったであろう。
当時は、近代・西欧化への移行期でもあり、ある意味では無政府状態でもあり、一瞬権力の空白時期でもあったであろう。
要するに混乱期でもあり、彼等復古主義者にとっては、佛教を廃し、自らの国学の理想(王政復古神武創業ノ始ニ被為基)の実現の機会到来でもあった。
その意味で、さぞかし、彼等は勇躍し、雀喜したであろうと容易に推測ができる。
しかしながら、現実は、国体神学者たちの、その非現実的な主張(神武創業に基づく祭政一致など)の故に、
彼等は現実政治にはコミットは出来ず、宗教政策という狭い世界に閉じ込められる結果になる。
つまり、国体神学者・国学者などは決して維新政府の主流ではなく、むしろ傍流でしかなかったといえる。
しかし傍流で「閉塞させられた」故にそのエネルギーは一層その激しさを増したとも云えなくもない。
いや彼等にとって「閉塞状態であった」からこそ、あの明治初頭の神仏分離(国学者にとっては廃仏)はあれほど「狂気」であったのであろうとも云える。
あの廃仏という破壊行為を招いた原因の一つとして、佛教界の堕落腐敗・社僧の優位に起因する社僧と神官の確執・経済的利権争いなどがあった ことも事実であろう。
しかし、その根本的原因は、明治初頭の復古主義・国学者・復古神道家の屈折したあるいは鬱積したエネルギーで あったと思われます。
そして、そのエネルギーは「宗教政策」の枠内に「閉じ込められた」故に、それは暴発的なエネルギーになったのであろうと思われる。
要するに、維新政府の目指した近代化・西欧化と国学者たちの復古主義とは根本的に相容れるはずも無く、思想的には尊王(攘夷)だけで和合した維新政府と復古主義者との蜜月は明治3、4年で終る。
かくして、復古主義的な神仏分離政策は頓挫する。
但し、地方での収束はその後数年の時間が必要ではあったが・・・・。
その後、維新政府は古典的な復古主義は切捨て、維新政府としては、強権的な中央集権国家の中心としての天皇絶対化が推し進められていくことになる。 それは国家神道への道であった。
おそらく、維新政府にとっては、富国強兵等々が立脚すべき価値基準であり、
その実現のための人心統合策として採用されたのが「天皇絶対化」(神々の系譜で云えば天照などの皇祖、神社で云えば伊勢神宮)であり、
この意味では水戸学及び後期国学は現代にまで及ぶ大きな影響を残したといえるのであろう。 木戸の葬儀の導師は本願寺の明如。木戸家からお礼に5千円、大金だよ。参列者は鍋島、天皇の親の九条、大隈、大久保。神道の時代なのに?妖しいでしょ。 >>89
木戸の葬儀にどんだけの人が参列したか知ってていってんのか?
数千人の中から数人選び出して何言ってんだかw
木戸は流行に乗っかって神式の葬式するほど軽薄でもないんでw 木戸=逃げの小五郎=廃仏毀釈を推進したA級売国奴。 えーっと……~祇官ポストに座った狂信者を政府から叩き出し、
太政官より低い地位に~祇官を引き戻したのが長州閥だが?。
西洋化に伴って天皇にも洋服を着て貰い、肉ぐらい食べて貰おうと提言した~祇官は長州人だが?。
>>93
会っていない。同じ時代に生きても居ない君が見てきたように語る木戸の姿ってwww >>95
原理主義が時代を作ることもあるんじゃない?
プロテスタントを基盤とする国家が近代・現代を主導したように・・・。 廃仏毀釈といっても、今の日本には大量の仏像が残ってるわけでこれをどう説明するんだか。 単なる葬式仏教と化しているのを見ると、
いまこそ廃仏毀釈が必要じゃないかと思えてくる。
お経も日本語に翻訳しないから意味が分からない呪文のまま。
ありがたい仏教の教えを広めるのが僧侶の役目のはずなのにそういうことは殆ど何もしないんだから。 廃仏毀釈の基本的な背景すらわかってないド坊主がガタガタ喚いてるだけのスレ 以前、「神々の明治維新」を読んで思ったことだけど、
明治維新というのは本当に革命だったんだろうな。 今に至っては是非も無いが、個人的には伝統的価値保守主義者なので、廃仏毀釈は残念だった。
今日本人の大部分は無宗教だが、その無宗教の根底には脈々と神仏習合的なものが流れている。
その事が、現在のわが国の民度の高さに繋がっていると思う。明示的に神道、仏教の何がどうと、簡単に表現出来ないが。
何千年と続いて来た精神の型はそう簡単に捨て去る事はできなし、するべきじゃないと思う。 >>97
残っている物だけを数えて大量とか言われてもねえ >>97 残ってるものより大量に消えたものに想いを巡らせてみよう。 国家神道って仏教と儒教のいいこと取りだからなぁ、などとしったかしてたもる >>101
> 今に至っては是非も無いが、個人的には伝統的価値保守主義者なので、廃仏毀釈は残念だった。
> 今日本人の大部分は無宗教だが、その無宗教の根底には脈々と神仏習合的なものが流れている。
> その事が、現在のわが国の民度の高さに繋がっていると思う。明示的に神道、仏教の何がどうと、簡単に表現出来ないが。
> 何千年と続いて来た精神の型はそう簡単に捨て去る事はできなし、するべきじゃないと思う。
するべきじゃないのは判るけど、実際それをしてしまった訳だから、今後求められるのは
今の状況をどう変えていくかということだろうな。
これは並大抵のことではできないだろう。
廃城令といい廃仏毀釈といい、今となっては痛恨の極みだ。
薩摩では島津久光の命令で仏教寺院は軒並み破壊された。
あと、津和野や隠岐でも。日本人は中国の文化大革命や
タリバンのバーミヤン破壊をとやかく言う資格はないな。 離蓋、月性が仕組んだ南朝豊臣家のクーデター。木戸が眠ったのは豊臣ぼだい寺の高台寺。南朝の明治天皇が眠った所は?三夜荘の側。 廃仏毀釈はただたんに庶民の恨みを買っていた寺社が、
幕府の権威がなくなったので襲撃されただけの話。
寺の檀家制度は庶民を管理支配する幕府統治機関の末端。
さらに寺は博打を容認されていたから、そこにたくさん証文を残していた者たちがおり。
彼等が焼き討ちをしたわけだ。幕府は守ってくれないんだから当然そうなる。
ただ新政府にいち早く近づいた西本願寺は新政府の加護で守られたそうだが。 明治政府が英国を習って、帝を頂点とする政教一致を目指した。神仏分離をして神道国教化。木戸は反対であったが無学の神職の暴走で混乱した。バーミアンの石像破壊と同じ。 そもそも神仏はメチャクチャにしゅうごうして訳わからんようになっていたわけで。 バーミヤンで思い出した、同名のファミレス
昔嫁にここで結婚式挙げさせてもらうかって冗談言ったの思い出したわ。 ハワイとグアムの位置がわからないギャルと
寺と神社の差が判らないギャルも居る。 男のくせにムカデとヤスデの区別が出来やん奴もおるな 江戸時代には全国に知られた
珍しい女人立山信仰、
富山県の布橋灌頂会も
廃仏毀釈で途絶えた。
寧ろ罰当たりな行為ですよ。
歴史全て乗り越える為に有るよ。 まとめ
【先祖供養、祖霊崇拝はもともと神道の根にあるもの】
これを、当時の日本人には知るすべが無かった事が悲劇。 道端のある地蔵の姿が仏に似ているのは明らかに仏教の影響でしょうね。
それ以前のご神体はどんな姿をしていたのか。
恐らく、珍しい形の石だったりしたのだろうね。 つーか明治政府が、250年の恨みを晴らせとばかりに仏教攻撃に狂奔する神官とかに対して
お前ら自重しろやって布告出してるのは何故無視されるのか 仏教が必要で皇族が取り入れたにもかかわらず天皇一神教などにするから
因果の法則を無視して信じれば神風がなどと妄想してる
天皇が祈ったから神風が吹いたのではなく日蓮が祈ったからでしょ
さらに違う説では神風は吹かなく武士団が実力で追い払ったとも言われる
皇族は平和だった昔のように仏教を取り入れ京都で暮らすのが大吉 671: [sage] 2013/10/10(木) 00:41:29.14 ID:U7L19sx4
>>651
明治のネトウヨが廃仏毀釈したおかげで
寺社番匠と呼ばれた人たちも宮大工なんてダサイ名前に変えられてしまった
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1381325987/671 671: [sage] 2013/10/10(木) 00:41:29.14 ID:U7L19sx4
>>651
明治のネトウヨが廃仏毀釈したおかげで
寺社番匠と呼ばれた人たちも宮大工なんてダサイ名前に変えられてしまった
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1381325987/671 【韓国】復元した崇礼門(南大門)、完成後わずか5ヵ月で彩色が剥落 ⇒ 「日本製材料が原因だ」との説が浮上 [10/09]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1381325987/ 仏事の禁止は庶民の暴走
現代は公務員を庶民が嫌いなように
江戸期の戸籍役場の寺院に対しての反乱 神道から仏教的なものを排除して
純粋な神道を復活させるというのが神仏分離政策だろ
善悪はよくわからないが >>128
それはそもそも無理な話。神道を体系化するのに、最初から(日本書紀の時代から)仏教から
いろいろといただいてきたのだから。ましては、中世神話を経たあとでは、神道の古層など
求めるのは不可能。 小学校で習ったと思うが
伊勢神宮の神殿は唯一神明造という。
この形は高床倉庫を模している。
高床倉庫は何かと言えば
自然の恵みであり日本の文化そのものでもある
米を保管する倉庫である。
ネズミに奪われないように高床になっている。
日本人と日本文化にとっては、稲作が全てと言っても過言ではない。
そして自然の恵みである豊作を得るためには、
自然の摂理を理解し、それを最大限尊重することが大前提となる。
ようするに自然信仰であり、その自然の原点とも言える太陽がその象徴となる。
自然に感謝し、自然に敬意を払う。
その象徴がすべての自然の源である太陽である。
人間は自然には、絶対に逆らえないのだと言う、当然の摂理を重んじている。
人間を特別な扱いに設定したキリスト教とは、ここが決定的に違う。
まあこんな感じだ。神道の原型とは。
仏教の影響を全く受けてない伊勢神宮へ行った事のない奴には
案外、神社と寺の区別がつかないとか言う奴がいるが
たしかに神社か寺か判別不能なものが大半だからな。
伊勢神宮へ行けばわかる。 民意こそを絶対視し最高の理念だと主張する
おもにキリスト教徒に言いたい。
人間はそんなに特別で偉いのか?
神道では人間なんぞ、太陽の赤子の一つに過ぎない。
伊勢神宮の天照大神(アマテラスオオミノカミ)を無理に崇拝しろとは言わないが
神道は自然信仰という人類普遍の理にかなっていると思うわ。 https://www.youtube.com/watch?v=9sNf1ZPtPv4
これは古事記に書かれた神話だが、バカバカしいと思えばそうだが
宇宙で銀河系、太陽系が生まれ、その太陽系の中で地球と人類が発展していく過程を
擬人化して説明したものだと思ってみれば、よく出来てるようにも思える。
たとえば現代の科学をもってしても、人類がどこから来たかその誕生を合理的には説明が出来ない。
自然の摂理では偶然が何度も繰り返さなければ人類は誕生し得ない。
これはありえないから説明は不可能。
だから現在の自然科学者でも、最後は神の意思としか説明できない。
それを古代人がこれだけ空想し擬人化して説明したのは大したもんである。
けっしてバカにはできない。 アダムとイブ=イザナギとイザナミ(最初の男女)
聖母マリア=アマテラスオオミノカミ(太陽神)
イエスキリスト=神武天皇
これらの設定と役割、途中のゴタゴタ等
聖書と日本の神話は、驚くほど類似性がある。
出所はもしかして同じかもしれない。
しかし決定的な違いは、日本が最高紳とするのはあくまでも太陽で
自然信仰が基本。
これは稲作文化による。 まぁ地域によって差があったんじゃないの?
それこそ鹿児島みたいにほぼ全滅したところもあるだろうし・・・
今でもクソ坊主みたいなのは多くいるんだし、江戸時代なんかはもっと酷かった
だろう。260年分の怒りが爆発した結果だろうよ。 >>130
式年遷宮が今でも続けられるのは誰のおかげか!
二人の尼さんがいたからなんだよな。清順と周養。
伊勢神宮はその歴史をどうしようとしてるんだろうね? 明治元年〜明治三年くらいまで神祇官という役職があった。
当初は太政大臣上位・同等、天皇直下の最高位の役職で
主に天皇家の神事の一切を司る職務を担っていた。
廃仏毀釈はこの神祇官時代の勅令のようなもの。
この神祇官を拝命していた人は、中山忠能(なかやま ただやす)。
この人物の経歴は調べるに値する。なにしろ明治天皇の外祖父。
三条実美や岩倉具視などより身分格式が上位。明治維新の陰の主役。
娘の中山慶子は孝明天皇の典侍・側室。孝明天皇の妃、英照皇太后
に嫡子がなかったた、よって明治天皇を実子として認めた嫡母。
つまり、廃仏毀釈は中山忠能は実の孫を明治天皇とし
さらに神格化を推し進める際の最初の施策であった。
神祇官はその後神祇省といった省庁となり徐々に強烈さを薄めて
いったらしい。
中山忠能
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%BF%A0%E8%83%BD 廃仏毀釈は、国家神道を作るにあたって神仏分離令が行われ、さらに不平等条約を結ばれたため撤廃するためには、
キリスト教禁教令を解除しなければいけなくなり、神道がキリスト教を受け入れるために行った行為なんだよ。
だから、神道の方がいけなかったんだよね。結果大正デモクラシーが興ったのに、治安維持法で破壊したことでアメリカと対立し、先の大戦を起こし、
戦後は治安維持法と国家神道は廃止され、日本赤軍が暴徒化し失われた平成にしたんだよ。
>>22そうだね。キリスト教を受け入れるためにはなおさらな。本当はキリスト教を国教にしなければいけなかった。
>>38だから九州・東北・北海道は関西嫌うんだよ。 薩摩藩は江戸時代の初期から一向宗を弾圧し、
幕末には廃仏棄釈を徹底的にやって仏教全宗派が壊滅状態となったが、
西南戦争で薩摩軍が敗れた後、東西本願寺が大々的に布教使を送り込んだ結果、今度は浄土真宗ばかりになった 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり 岡倉天心が好きなんだけど、海外向けに書いたのと仕事で書いたのしかないから、
仏教の悪い面が全然欠かれてないんだよね
江戸時代は政治と結ぶついてたんだからメリット異常に腐敗もすごかっただろうに 現代修験の過剰な中世コスプレ衣装は伝統が途絶えていることの証となろう。
別にそれ自体は歴史的経過としてしかたのないことであるので、批判している
わけではない。
しかし、一部の書き込みの中に、伝統を伝えている富士講や御嶽講に
対する心無い書き込みがみられましたので、
江戸時代以来の伝統を伝えているのは一部でカルトだとかの批判の
されかたをしている、まさに富士講や御嶽講なのだとはっきりと伝える
ためにあえて現代修験は復興したものであると、それゆえにその土俗的な
カルト的な面が無くなっているのだということをここに述べておきたいと
思います。
今、その江戸時代以来の伝統を伝えている富士講や御嶽講の多くの講社が
存続の危機にあります。
本当に江戸時代以来の神仏混淆の信仰や山岳信仰を学ばれたい方は
この伝統が消えぬ今のうちに講社に訪れてください。 廃仏毀釈は文化財的には
非常な損害を出したが、日本人の
信仰という点では評価すべきものも
ある。
まず日本仏教は日本で展開した特殊な
仏教であるという前提をご理解いただこう。
そして、知識人やネットで賛美されている
かつての神仏習合の実態は
仏教による神道の乗っ取りに他ならなかった。
また神仏混合(混淆)もその実は現代人から
見たらカルト的なおどろおどろしい
もので、その前時代性は
薩長批判徳川礼賛ヲタが無知にも
江戸時代以来の御嶽教をカルト
呼ばわりしている矛盾的行為でも
あきらかである。 >>101
神仏習合の歴史はせいぜい千年程度で、
何千年もの歴史はない。
しかもその実態は仏教による神道の
乗っ取りであった。
縄文時代以来の何万年もの日本人の
信仰の伝統を残す日本人の
重要なメンタリティをねじ曲げて
しまっていたのだ。 神社を広めたのは半島から来た秦氏だぞ
あっても千年ちょっとの歴史だ
神社連中の方が身分は下だったのだから歴史の浅さが伺える
神道はユダヤ教だし
縄文時代に信仰があったとしたら神道ではない
日本神話は日本列島上のものではないしな 最近の教科書には「弘仁格」「貞観格」は掲載されていないのかな…
あぁ民族学校系の教科書しか知らないのか
じゃ知らないよね
十二世紀の書物が国内最古の紙文書の国は、千年でざっくりくくれて便利だね 神道の祭で神輿にヤクザが乗るじゃん
某東京下町では○○系の○○組だよって
それは指定暴力団だから驚いた
神道の祭司である天皇のコンプライアンスをなぜ問わない?
神社の敷地に玉砂利が敷いてあるのは、そこで男女が裸になって乱交するからで
御札に大麻が入っていて、その収益で金貸しをするって
それはまさに朝鮮ヤクザの覚せい剤とヤミ金のルーツだ
お寺と仏像を破壊して修験道と托鉢を禁止して
神もへったくれも無い神社という大麻販売所を建てまくった理由とは?
神道の祭司である天皇が日本人を海外に売り飛ばした船代で三井・三菱の財閥誕生したのだから
神道って昭和天皇がマッカーサーに語った通り単なる儀式で中身が何も無いよ
そもそも朝鮮神が故郷の満州(高句麗)奪還のために日本人に戦争させたね
そして国富を満州に注いだから日本人は飢餓状態になった
神道とかふざけるな
騙せ奪えコロせのタルムードそのまんまじゃんか >>75
法隆寺がほとんど被害が無いのも不思議だわな
内山永久寺みたいに近隣の龍田大社の神人に転職して
寺院破壊する側に回ってもおかしくなかったのに 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
SSFPL 日本は仏教のせいでひどく汚されている。
本地垂迹説(神仏習合のこと)で日本は
ずたずたにされてしまった。
本地垂迹説(神仏習合)は大変な魔説であり、悪魔の声である。
明治維新の偉業を踏みにじってはならない。
神仏を一緒にしてはならない。
日本国は神国であるぞ。 >>109
たしかに江戸時代の寺は博打打ち=ヤクザ者の
溜まり場になってましたね。 事実、仏教や共産主義を信仰しているとペニスが小さくなってしまうのである。 今や日本の伝統は神仏習合、神仏混淆が伝統的な形態で神仏分離は明治維新に
無理やり強行されたという見解が多数派のようである。
仏教伝来以降、日本に神仏習合、神仏混淆でない純神道は存在しなかったのだろうか?
歴史的には答えは否である。
その第一位にやはり神道の真髄を司る宮中神道を見なければならない。
宮中における神道の在り方を規定した有名なものに順徳天皇の「禁秘抄」がある。
ここには天皇の務めとして宮中作法は神事を優先すべきこと、
朝夕の敬神の叡慮を怠らないこと、神宮と内侍所のことを後回しにしないように、
万物はでき次第、台盤所の棚におき、女官を召して奉れという
神事優先の原則が述べられている 神仏習合で有名な奈良の興福寺と春日社でも僧侶の通う
「地僧道」と禰宜の通う「禰宜道」は
前近代より厳密に分けられており、
有名な興福寺僧兵らによる「強訴」も
その行列は先頭から、赤狩衣に白杖の仕丁、次に石上布留の神人が、
白人神人・黄衣神人・神宝・神主の順にならび、
そのあとに吉野勝手社の神輿弓矢をもった神人・神主らがつづき、
そのあとに春日社の辰市白人神人・白人神人と春日社散所黄衣神人・本社黄衣神人がつづき、
本社神宝・御正体(御神木?)・神主・神宝・社司・氏人のあとに
聖僧・僧綱・中綱・衆徒らが並ぶ作法が存在した。
つまり、南都の強訴といわれる興福寺大衆による神木動座と呼ばれるものの
実態は「春日大社行列次第」という作法が決まっており、
春日社の神人・神木・神宝・神主・社司・氏人らが先行し、
興福寺の僧綱・中綱・衆徒の行列が後という行列次第が定例になっており、
その行列にも神仏分離、神仏判然の原理が適応されていたのである。
このように各事例を詳細に検討すれば神仏習合、神仏混淆は厳密には
神仏分離、神仏判然とされていたというのが最新の研究の成果である。 とはいうものの、庶民の生活に影響を残したのは圧倒的に仏教で、神道の影響はわずか >>158
そうなんですね。
古来からの日の本の民の清く明るき心をねじまげられて
日本及び日本人に諦観、無常観、厭世観などの暗く陰惨な暗雲が
広がってしまったのはまさに仏教の影響力に他なりませんでした。 鎌倉期の「四ケ度神事」は、二回は天皇自身が行幸して儀礼を整える
天皇親祭であり、仁寿殿におかれた観音像(醍醐天皇の個人的仏事として発足した)や
経典などは他の場所に移し、僧侶たちの供物は神饌に供してはならないなど、完全に仏事を
分離・隔離した神事優先・仏事排除の純神道が行われていたのである。
また、民の負担を避けるために夜の行幸が行われるなどの民への配慮が見られる。
大化年代には蘇我石川麻呂が「神祇を祭鎮し、然る後に応に政事を議すべし」と孝徳天皇に奉答した
ことなど古代、中世に仏事を制限して神事を実行している神事優先の歴史的事実をはじめて
指摘したのは成蹊大学名誉教授だった小島鉦作であり、神仏習合論一辺倒の歴史学会に
一石を投じた 最近では従来の日本史の定説を翻すことが流行っているらしい。
「聖徳太子はいなかった」だとか「天皇は仏教徒」、「日本は神仏習合が国教だった」などの
おもに左翼よりの新説が幅を利かせるようになって久しい。
そんな中、さらに最新の研究では左翼陣営がひっくり返したと思われた新説をさらに
ひっくり返すという研究成果が出てきている。 レスをサラッと読んだが
みんな何をトンチンカンなこと書いてるの?バカなの?
日本では仏教に比べて後発の神社神道は身分が低かった
明治維新で山口県の朝鮮部落民が日本を乗っ取ると
中国由来のお寺と仏像を破壊しまくって
朝鮮由来の神社を建てまくった
江戸時代まで仏教だった天皇を皇太子もろとも殺して
明治の南朝天皇から伊勢神宮の参拝を始め
庶民にも正月の神社への初詣をやらせた
これを地球視点で見れば、英国に作られたISIS日本の誕生だ
英国の世界支配の邪魔になったロシアと中国を弱体化する役目を与えられ
ISIS日本軍はロシア革命をやってソ連にして、
中国の国民党を潰して共産党支配にした
ここにきて神社カルトが寄生虫のくせに調子こいて目に余るようになってきた
廃仏希釈の逆をやる時がきたな
全て焼き払え、寄生虫神社を >>162
歴史の破壊者、共産党残党乙。
それとも原田氏の本でも読んで感化されてしまった人でしょうか?
もともと神道の素朴な信仰を犯したのは仏教の方でしょうな。
時代の必然だったのかもしれませんが。
しかし、明治維新の起こる前より江戸時代から各地で神仏分離の
流れは起きていたのです。それは仏教が歴史的役割を終えたからでしょう。
それも歴史の必然です。
南朝天皇がどうのなどのオカルト話は相手にしないのであしからず。
>廃仏希釈の逆をやる時がきたな
>全て焼き払え、寄生虫神社を
書き込み内容に気を付けた方がいいですよ?
犯罪予告ですか? >>163
廃仏希釈の逆をやる時がきた
と言っている
神道の素朴な信仰とは何だ?
物部氏や秦氏らが持ち込んだ神道より前に
土着の信仰があったとすれば、神道とは別の名前で言うべjきだ
とは言っても誰も伝承していないから消滅しているけどもな
今の神道は明治天皇が言う通り、ユダヤ教だ
騙せ、奪え、殺せ!のタルムードを日本は明治からやってきた
人を人とも思わない強烈な選民思想の朝鮮神道のどこが素朴な信仰なんだ低脳
神道の祭で神輿に乗って「わっしょい!」と言っているのは
ヘブライ語でどういう意味だ?
敵を倒せ=日本人を殺せの意味じゃないのか
そんな寄生虫と共存できるか 神道の素朴な信仰とか幻想や妄想を言うより
国家神道だった明治から昭和の終戦まで
日本が何をしてきたかを見れば神道の実態は明々白々
神道は日本人の敵、世界人類の敵
但し、日本の支配層の朝鮮人は酒池肉林でとても美味しい 満州事変、昭和の殺人テロ、
軍部独裁国家への道を開いた
2・26クーデター、
皆、某仏教宗派の人物が黒幕ですが、 みんな馬鹿だな〜(笑)
宗教に優劣なんてないって!
神(宗教)が人間を作ったんじゃなくて、人間が神(宗教)を作ったんだよ(笑) >>167
それって近代西洋文明の決め台詞だが、
その近代分明が行き詰ってる現状についてはどう思われますか? 神道なんて幻想に過ぎなかった
明治天皇は神道はユダヤ教だと言っている
昭和天皇は単なる儀式だと言っている
なんせ日本に神社を広めた秦氏というのは
中央アジアでブイブイ言っていた騎馬民族であり
つまり人間を襲っていた狂暴なサイコパスなんだ
日本会議の面々を見れば納得だな
正義も道徳も人情も知性も持ち合わせていない外来種
そろそろ廃仏希釈の逆をやるときが来た 仏像を敬うとか、仏教にまじめに取り組んでいない
人ほど神仏習合を評価している傾向にある。
幕末に日本を訪れた外国人は僧侶や仏教がいかに腐敗し、民衆に
蔑まされていたか証言している。
「僧侶はいかなる尊敬も受けていない。彼らは愚かな怠け者で、
教義について何も知らない」
「教養ある日本人は、本当は仏教徒その僧侶を軽蔑している」
(ベルク「オレインブルク日本遠征記」)
「(日本人は)僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから
行くだけのところ、などと語ってくれた」
(スエソン「江戸幕末滞在記」)
「およそ精気のない目つき、白痴のような顔つきをした彼ら
僧侶や神官には、ただ驚かされるばかりであった。とくに仏僧が
神官よりもひどかった」
(ヴェルナー「エルベ号館長幕末記」) 上記の第三者である外国人の客観的な意見から
廃仏毀釈の背景には特権階級的地位にあぐらをかいた
当時の日本仏教界の腐敗があったと思われます。
そもそも民衆の支持があったならばそこまで打ちこわしなどが
まかりとおるとは思わない。民衆が加わったからこそ廃仏毀釈が
大きくなってしまったのだろう。 >>1
研究不足の独りよがりな見解ですね。
明治政府は廃仏毀釈を命じてはいません。穏やかな神仏分離を
進めようとしただけです。
「神仏分離を慎重にすべき令」
(太政官布告第二に六号、慶応四年4月10日)
「神仏分離は廃仏毀釈ではない旨の論達」
(御沙汰第第五〇四号、慶応四年6月22日)
「僧侶が妄りに復飾することを禁じた件」
(行政官布告七五二) 近頃の神社朝鮮人が酷すぎる
もう動物みたいな連中がやりたい放題になってきた
そろそろ廃仏希釈の逆をやる時がきたようだぞ 銅鐸の役割ってなんだったんだろな
兵庫県南あわじ市で2015年にみつかった弥生時代の青銅器
「松帆銅鐸(まつほどうたく)」の科学分析を実施した結果、
朝鮮半島産の鉛を含むなど弥生時代中期前半(紀元前4〜前3世紀)の
最古級の銅鐸と同じ特徴を持つことが分かった。市教委が27日発表した。
多数の銅鐸が土中に埋められたのが、紀元前にさかのぼって最古の事例と
なる可能性が強まった。(朝日新聞デジタル) いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
3O2 明治維新は英国が薩長に最新の銃器と戦費を与えて起こしたもの
それで出来上がった明治政府は完全に英国の傀儡
明治の天皇制は英国製
英国の目的は、日本をISIS化して中露と戦わせ疲弊させること
となれば日本の中の中国由来の仏教は取り除いた方がいいよな
中国と戦わせるんだから
そんで半島由来の神社神道を残したというわけだ
神社の招魂という考えは朝鮮独特のもの 全国各地の修験霊山でも種々の形で神仏分離が行なわれた。
けれども明治2年(1869)5月18日まで戊辰戦争が続いたこともあって、
神仏分離の実施は諸藩の霊山、社寺でそれぞれ異なっていた。
その際多くの霊山や社寺では、各藩県に伺い出て、その指示にもとづいたが、
それでも決裁がつかない時は、中央官庁に伺ってその指示に従って実施した。
近世以来、本山派を統轄した聖護院では、慶応4年1月8日に聖護院門跡が還俗して海軍総督となった。
もっともその後も園城寺別当と修験道管領は兼職した。
一方当山派を統率した三宝院門跡の易宮は明治4年(1871)に復飾して閑院宮載仁親王となっている。
こうした中にあって、東国に多くの霞を有した本山派の若王子殿役所では、
明治2年(1869)2月に奥羽両国并に常州本山修験中に対して、
神仏分離令で両部(神道と仏教)習合は相成らずとしているのは、
神は神式で祀り、仏には仏の作法で勤め、両者を混淆しないということである。
それ故修験者は従来通り有髪妻帯し、古例にのっとった奉幣式、
七社引導、院主の自葬祭を実施するように、との触を出している。 近頃の神社朝鮮人が酷すぎる
もう動物みたいな連中がやりたい放題になってきた
そろそろ廃仏希釈の逆をやる時がきたようだぞ | Hit!!
|
|
ぱくっ|
/V\
/◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで
_ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U' ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
( (-( -( - ( -д( -д)
(つ(つ/つ// 二つ
ハァ─) .| /( ヽノ ノヽっ ─・・・
∪∪とノ(/ ̄ ∪
∧
(( (\_ ∧ ∧ ∧ ∧ Д)っ
⊂`ヽ( -д-) _)д-) ) ノノ
ヽ ⊂\ ⊂ ) _つ
スゥ──(/( /∪∪ヽ)ヽ) ノ ──
∪ ̄(/ ̄\)
(\ ∧ ∧ カッ
< `( ゚Д゚)
\ y⊂ )
/ \
∪ ̄ ̄ ̄\) なうまくさまんだ〜
前 臨~
在~ 八 兵~
二ヽ )ノ
烈~ ⌒(゚д゚)ノ 闘~
/. ( ヽ
陳~ 者~
皆~ お寺と神社を比べると神社には中身が何もない
仏教には教義なり経典があるが、神道には中身がない
だから多くの神社でチンチンや岩や適当なものを御神体にしている
チンチンが神とかバカでしかない
神社の連中は朝鮮ヤクザだ
祭になれば前身入れ墨の指定暴力団が神輿に乗って、ヤクザが露店を出す
朝鮮ヤクザといえば覚せい剤と闇金だが、そのルーツがまさに神社にある
神社の敷地内にサラ金の広告があったりする
神社は大麻販売所だった、そしてその収益で金貸しをしていた
神社の敷地に玉砂利が敷いてあるのは、そこでラリった男女が乱交するため
戦争をやれと煽るし、神もへったくれもない
神社本庁なんてマジで殴る蹴るの暴力支配(朝堂院談 江戸時代は八百万の神道と仏教は敵対してないよ。
まともな信仰は争いの種にはならない。
神仏習合こそがバランスのとれた思想。 神仏習合はおもに中世の思想だな。おもに仏教が日本に進出するために
利用した考え方だ。
江戸時代は庶民文化のが栄えた時代で神仏混淆といった方が実態に近い。 仏像という偶像崇拝、生老病死、地獄極楽への恐れ、修羅道、畜生道、餓鬼道、六道輪廻の恐怖
これらの仏教的弊害からせっかく解放されたというのに、またこれらの仏教的世界におびえる世界に戻して
しまうのでしょうか?
神仏習合しの復活を支持している人たちは仏教者かそうでなければ、本気に信仰を考えている人ではないと思います。
神仏習合復活は信仰の退化だと感じます。
神仏習合の復活を支持する人は本気の偶像崇拝者なのでしょうか? >>188
神仏混淆ってはじめて見る字だから検索してみたけど
神仏習合と同じ意味扱いだった。
詳しい人が細かく分類したら違うんだろうけど。
平安時代の陰陽師はちょっと気になる。
仏教と神道と両方取り込んで、天文道やって呪術もしていた。
手広すぎ。節操ないなー。 陰陽道の根幹は中国の陰陽五行説であり天文や呪術はその近縁。
陰陽道で祀る神様は泰山府君とか南極老人とか道教の神様である。
仏教や神道とははっきり言って関係ない。 泰山府君? 道教ってなんか超人出てきそう。
仙人がバトルする封神演義思い出したわ。
神仏習合って神仏とその他いろいろごった煮の闇鍋みたいだけど
現代人がトンデモ系のファンタジーマンガやラノベ読んだりして
楽しんでいるのと変わらないノリで信仰されていたのかも。 奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) 江戸時代まで神と仏は共存していたが仏の方が上だった
神道は仏教のわき役だった
たぶん天皇は神道の祭祀なんかしてなかったんじゃないかな
北朝は仏教ぽいよね
しかし明治政府を作った英国は、中露と戦争させるために中国由来の仏教を切った
そんなことまでするんだ
植民地支配のノウハウが凄いんだな
戦争させるには一神教がいいから下劣な朝鮮人天皇を神にした
ちょっと前まで乞食のようだった天皇が神になるなんてなんとバカバカしいのでしょうか
そして戦争するにあたって神道に足りない部分に朝鮮儒教を組み入れたという
英国&バチカンに好きなようにいじられているアジアの土人、情けない 大日本帝国憲法では信教の自由が保障され
それまでの各宗教に対する弾圧が解けた。
日本臣民 ハ 安寧秩序 ヲ 妨 ケ ズ 及 臣民 タ ル ノ 義務 二 背 カ サ ル 限 二 於 テ 信教ノ
自由ヲ有ス
(明治 二 十二 年 , 大 日本帝国憲法第二 十八 条) 廃仏毀釈って文化の破壊。
明治政府は日本人を愚民化して徴兵に従いやすくして
中央集権化した。
狙いが汚い。 英国が薩長のチンピラに最新の銃器をタダで渡して明治維新をやらせた
銃器配布係の坂本を消して、英国と薩長の接点を消したので
日本人は英国の存在に150年も気付いていない
日本が中露と戦争したのは、英国の世界覇権で中露が邪魔になるからだ
皇居の隣に異常に敷地の広い英国大使館がある
そこに英国の軍隊が駐留して明治政府を作り、天カスと伊藤を操縦した
ならば日本は英国の傀儡であり、廃仏毀釈は英国の指示だと分かるだろうに
日本人というか文系脳は視野が狭い狭い、女のようだ
思考力が無いから本に書いてある嘘を暗記することしかできない 修験道研究の権威・五来重は日本の山岳信仰においては仏教はその
表面にすぎず、本質ではないと喝破されている。
明治の修験禁止令が廃止となり、新宗教法が発布されて70年以上も
経つのにいまだに仏門の配下に甘んじて本来の山岳信仰の姿を見失っている
現代の修験道に対する厳しい警鐘とも言えよう。
奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) 奈良仏教はまだ金食い虫の新興宗教だった。
それが嫌になった派閥が京都へ遷都させたというのが通説。
7〜8割がた合っている。
実際、奈良の大仏は金箔を塗るために大量の水銀を気化させたというから
水銀中毒の水俣病患者、大発生した可能性大。
当時は奈良の風土病扱いされて、それで遷都せざるをえなくなったとか
なんかの本で読んだことがある。うろ覚えだけど。
また空海や最澄の世代の「ホンモノの仏教」を探究する僧らが権力者たちと
一線を隔して山で修行する形態を選ぶようになった。
そうやって日本人向けカスタマイズされていく仏教は八百万の神々と出会って
神々が仏教に帰依した姿の仏像が彫られていった。
うまいこと混ざったものだ。 忘れてはならない。
江戸時代、坊主は幕府の出先機関として横暴を極めた。
廃仏毀釈は特権地位に甘んじて横暴を極めた寺、僧侶に対する大衆の怒りだ。 と、神社朝鮮人は言うが
確かに一部で欲ボケ坊主はいたろう
しかし朝鮮神社と比べてどうなのか
朝鮮神社は大麻販売所であり、戦前には戦争を煽った連中だ
神もへったくれもないヤクザでしかない
対して寺は、寺子屋と言うように
日本土人に初めて教育をもたらしたものだ
その教育なくして明治の近代化は無いのだ
日本人の識字率を世界一にした功績だけとっても素晴らしい 仏教とは終わりなき苦しみの世界、地獄、餓鬼、畜生、修羅、
古代日本人の明るく素直な心を蝕んだ暗い屁理屈の宗教、
その暗闇、地獄行きの恐怖から日本人を解き放った偉業こそが
神仏分離、廃仏毀釈ですよ。
仏教文化の美術品を惜しむあまり大事な心の問題を見落としていませんか? そもそも宗教というものは支配者用のツールとして開発されたものであって
信者が期待しているものではない
信者とは愚かな存在だ
民衆は支配者と戦うべきところを、神と対話することで済ませてしまう
そして異教徒には攻撃的になる
支配者はとても楽だ
人間には生まれもった善悪の基準は無い
仏教が善悪の基準を定義してくれるなら一部の人間にはお勧めのものになり得る
しかし神道には、そういうのが無いな
チンチンを御神体にして拝むとかバカも休み休みにしろ
てゆうか朝鮮に帰れよと 男根崇拝レベルの原始宗教はどっかから伝播するようなもんじゃないと思うが 聖おにいさん
テルマエ・ロマエ
鬼灯の冷徹
ノラガミ
最遊記
魔法使いの嫁
夏目友人帳
蟲師
根底はまんが日本昔ばなし?
こういうジャンルを見て楽しめていれば神仏習合感覚は
分かっているということ。 神仏分離は江戸時代からはじまっているのであるが、
当時の人々は幕府の支配体制に組み込まれた仏教思想に洗脳され
生老病死、四苦八苦、地獄、極楽の仏教的迷信に脅えながら
生きていたということを忘れてはならない。
また幕府と幕藩仏教もこの恐怖を利用して民衆を支配していたのである。
この仏教的迷信から人々を解放した行為こそ神仏分離だったのである。 >>207
精神レベルに応じて見えてくるものがあるのだが、
この書き込みはあなたにはまだ善悪を説く旧来の宗教の段階に
しかいないということを吐露しているにすぎない 八百万の神々と仏教と儒学をいっしょくたにするレシピは絶妙に美味しい。
実際そういう信仰する習慣は日本人にはうまく溶け込んでいた。
だから廃仏毀釈のあと、バランスを欠いた人心はモラルハザードを起こした。
田中正造が政治家になって正攻法で足尾銅山の鉱毒問題をなんとかしようとしたら
四面楚歌で無理で単独直訴せざるをえなかったのも、南方熊楠が鎮守の森を守る
ために奔走するも、焼け石に水。
水俣病もイタイイタイ病も工業地帯の喘息などの公害問題は、原因分かっているのに
対処されない状態が愚かとしかいいようがないほど長く続いた。
現代も試用期間が過ぎて廃墟になったら100%死地になるという呪われた原発が
地水火風を穢し続けている。
ニホンオオカミ・ニホンカワウソなど、多くの動植物が乱獲されて絶滅したり
絶滅危惧種になったりと、廃仏毀釈の影響は人間社会の生活文化だけでなく生物界の
多様性まで損なった。
八百万の神々という概念が自然への畏敬の念となっていたなら西洋式スポーツ
ハンティングや商業乱獲によって種を絶滅させることなど許さなかった。
仏教が道徳の教科書になっていた江戸時代なら、大商人も大地主も現世功徳を施さねば
ならないという当時の「常識」の縛りによって、飢饉や災害時には備蓄米を開放して
炊き出しをしたり復興の指導をしたり、水害対策の堤防や防砂林を作ったり維持管理して
いたから、公害なんて起こらないように重々考えてお金儲けをしていた。
江戸時代の常識 >>>>>>> 明治維新後の常識
神仏への救いを求められなくなった大衆の意識が、レミングの集団自殺のごとき選択を
してしまうようなものへ劣化したのは廃仏毀釈のせいだ。 ネットの記事からも仏教的苦しみの世界を信じているとますます苦しみを
引き寄せてしまうという危険な現象が起きるということを証明する話が載っていました。
古事記、日本書紀を読めば上古の日本人はもっと牧歌的、楽天的に生きていたことがわかります。
神代からのほほんと生きてきた日本人にありがたそうな小難しい哲学的体系や異国伝来の強烈な呪術を
もった仏教がやってきて、思想をもたなかった日本人を地獄・極楽思想で脅し、現世は苦しみの世界で
あると洗脳してしまったんですね。
この仏教的洗脳は1480年も続いてしまったので、いまも日本人は現世は苦しみの世界であるという
ような価値観を潜在意識的にもっていると思われます。 >>212
それは資本主義による弊害で、近代化の過程ではどこの国でも
起きていることですね。廃仏毀釈と関連付けるのは無理があり
こじつけにすぎません。 現状の資本主義経済中心の社会では国連のサミットなんかで言われている
持続可能な社会など人類には不可能ということになっている。
廃仏毀釈される前の江戸時代では余裕で実現できていたのにな。
神仏への信仰を潰してからの近代化は善いものではなかった。 お前が率先して江戸時代の生活に戻れよ
とりあえずネット禁止な ワインとパンを神の子の血肉と誤認させる排他的一神教まじやばい。
新兵器入手の目的で布教を許した信長は日本一有名なサイコパス武将。
秀吉は怪しいと思ったのか禁教令を出している。
徳川幕府になってからも禁教令は続行。
九州はその思想の流入を防げずに島原の乱が勃発。
一歩間違えていたらスペインやポルトガルに攻め込まれていた。
その後は鎖国。一神教の流入を徹底的に禁じて200年以上戦が
起きない治世という世界史的に稀少な実績を残した。
異端審問 → 拷問 → 火炙り処刑 絶対回避不可能!
そんな闇々しい歴史が日本史に刻まれなくて済んだのは鎖国の効果。
孝明天皇が開国に嫌悪感全開だったのはそのことを認識していたからだろう。
天皇は代々、それはもう長いこと神仏両方の加護を得るための祀りごとに関わってきた。
外国から来る洗脳ツールとしての一神教への不信感もそうとうあったのでは?
だからなのか孝明天皇は暗殺が疑われる不審な死をとげた。
ゆえに「天皇暗殺の真犯人は○○論争」がいまだに絶えない。 そろそろ「薩長が〜」の幼稚な意見はもう卒業しましょう。
みんないい加減に飽きてきてますよ。
実際には長州は西本願寺派だし、徳川将軍家は山王一実神道に公然たる信者
だったわけだし、会津藩は吉川神道、尾張徳川家は代々の尊皇家系で神道も
重んじた。
廃仏毀釈の胎動は江戸時代にあったわけで、明治時代に突如前触れもなく
始まったものではない。 >>215
じつは日本における仏への信仰というのはかなりあやしいものです。
その証拠に江戸時代以前から日本の僧侶は妻帯者が多くいたし、
中世には僧兵など人を殺傷する武力ももっていた。
すべて仏教の戒律に違反することばかりですね。 一番アウトだと思う仏教は日蓮宗。信者が配っているチラシを見たら
○ホバとどっこいどっこいの迷文だった。
次にインパクトがあったのは道鏡。
称徳天皇とただならぬ関係になって天皇になろうとしたとして悪名を轟かす。
だが、実際やったことといえば
・鷹狩りは殺生だから禁止。
・寺にたくさん寄付せよ
・貴族は開墾禁止
・寺は開墾してもいい。
・百姓が開墾するのもいい
なんかショボい? 殺生を厭う坊さんだからこの程度か。
生臭坊主で有名どころなら禅宗の一休宗純。
NHKアニメで大人の一休さんという番組で見たら憎めない
キャラクターになってしまった。
堂々と妻帯した僧は浄土真宗の親鸞。
以降、浄土真宗は坊さんが結婚しても良い宗派になった。
師であった浄土宗の法然とは道を違えるも険悪になるほどではなく
暖簾分けして分家が独立したような関係。
戦闘する仏教徒なら浄土真宗本願寺派の信徒の一向一揆。
一揆は何度もあった。調べてみたら理由もいろいろだった。
もっとも世俗的な仏教のせいか清濁併せ持ちすぎている。
変わり種は鳥好き? 元禄に東叡山寛永寺の住職をやっていた公弁法親王。
「江戸の鶯は朝早くから鳴かない」といちゃもんをつけて京都から早鳴きの
鶯を3500羽連れてこさせて根岸の里(鶯谷駅付近)に放して江戸最大の
鶯の名所を作ってしまった。
江戸の生態系への影響、悪くはならなかったけど、深く考えては
いなかったんだろうな。 仏教伝来以降、仏教が半ば国共扱いされて神社に神宮寺やら別当寺やら
を建てられて、しまいには神社をのっとる勢いだったのを明治時代に
分離した。
それを逆手にとって左翼は「明治になって寺が壊されてむりやり神社に
させられた」と言ってるわけだ。
巧妙な歴史ねつ造ですね。 ものの例えとして。
神仏習合をお皿に乗ったカレーライスとするなら、明治政府がやった神仏分離令で
神道を保護ってのはすでに出来上がって美味しく食べられる完成品のカレーライスを
「調理前の米とじゃがいもとたまねぎと肉とカレールーに戻せ。そして調理前の生で
ガチガチの食材が元の純粋な状態だからそれを食しとけ」って言うのと同じ。
……無茶苦茶すぎるな。 廃仏毀釈がなかったら日本人は今でも仏教的苦しみの世界観と
地獄極楽の恐怖に怯えながら生きていただろう。
神仏分離、廃仏毀釈の恩恵を受けているのは現代日本人ですよ。 神仏習合で有名なのが七福神。
恵比寿 = ヒルコ = 日本(神道)イザナギとイザナミの第一子
大黒天 = シヴァ神 = インドのヒンドゥー教の神
毘沙門天 = クベーラ神 = インドのヒンドゥー教の神
弁財天 = サラスバァティ神 = インド(ヒンドゥー教)の神
布袋 = 中国に実在した禅僧・契此(かいし)がモデル
福禄寿 = 泰山府君 = 中国の道教の神
寿老人 = 南極星の化身 = 中国の道教の神
一柱は日本、三柱はインド、三柱は中国から。
はるばるシルクロード経由で渡ってきた神々だから国際色豊か。
カレーライスの例えはうまくハマっている。 福禄寿と泰山府君は違うでしょ。福禄寿の内の「寿」と寿老人は同体とはいうけど。 >>226
福禄寿と寿老人はキャラ被りしているから同体異名って説がある。
でも七福神の絵では福禄寿は長頭人で、寿老人とは外見が違いすぎる。
ということで、寺社関連の豆知識
http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/hukuroku.html
を参考にしてみた。
余談だけど恵比須の元になったヒルコは親神に捨てられたのを
人の信仰心が神に祀り上げた。
とても深いエピソードだと思う。 そのページでは泰山府君と結びつけてるね。初めて聞いたよ。泰山府君は五岳の一つ泰山の
神格化されたものであってそれと福禄寿が後から習合することがあったとしても元々は別の存在だったはずです。
https://www.kyosei-tairyu.jp/shichifukujinn/fukurokuju/89.html
ここに「もとは福人、禄人、寿人の三人の仙人が信仰されていたが、二人の仙人が合わさって福禄寿の神になった
と説明されることもある。」と書いてあります。この寿人が単独で信仰されるようになったのが寿老人と考えられます。
南極星が道教の開祖とされる老子と結びつけられて南極老人星と呼ばれるようになったので寿老人は杖をついた
老人の姿になってます。 福禄寿が長頭人ってところがなんかツボ。
長頭人といえば仙人。仙人といえば封神演義。
毛沢東がやらかす前の中国もまた多神教と仏教が混在していた。
封神演義はおそらく古代中国のリレーファンタジー。作者はおそらく一人ではない。
登場する神仙や妖怪。その中には後に日本に渡ってきて仏教に帰依して護法神に
変身する存在もいて、ルーツの神話がああなのになんでこうなった? と興味深い。
そういえばこれまで発見されてきた長頭人間の頭骨は横長型と縦長型とがあった。
仙骨を持つという仙人はどっちだったんだろう?
また、纏足のように矯正して長頭の形状にする地域文化があったことは史実だが、
中には先天的に長頭型の人類もいた。
ペルーで発見された長頭型の人骨は、DNAが現状の人類とは違っていて
ホモ・サピエンス以外の人類だったらしいとのこと。
ギリシャ・ケルト・北欧神話に登場する巨人や小人もホモ・サピエンス以外の
人類だったのかな? ……もう会えないのが残念。
長頭族はオカルト好きにはたまらないネタだが、骨は実在しているから
人類史・考古学の分野で掘り下げることもできる。
異形の民族は畏怖されて信仰されたのか、迫害されて絶滅させられたのか。
唯一の生き残った人類のホモ・サピエンスも黒人・白人・黄色人種など、姿形は
だいぶ違うし、言語・文化も違うから同一種族の認識はあまりない。
異文化交流の進捗は原理主義一神教の選民思想気質に邪魔されがち。
今にも滅ぼしあいそう。
多様性のもたらすカルチャーギャップは、在るがままを受けられれば良い未来への
選択肢が増やせるものなのにな。
廃仏毀釈されなかったら八百万の神々も現在進行形で増えたり進化し続けたろうに。
本当にもったいないことをした。 >>229
>封神演義はおそらく古代中国のリレーファンタジー。
元の「武王伐紂平話」をもとに明の時代に書かれたと考えられている。古代というほど古くはない。
もっとも中華は清までずっと古代という見方もあるけど。一般的には宋あたりから中世でしょう。
「三国志演義」も元の「三国志平話」をもとに明代に書かれたからそれと同様だ。 お寺は中国
神社は朝鮮
仏教を広めるのに百済を使ったり例外はあるが
こういう対立があることは知っておこう
神社の職員?がチマチョゴリのような単色の服装だ
あれは白丁がやっている
そして靖国で知られているが「招魂」は朝鮮独特のもの
そして神社のルーツは寄生虫ユダヤである 【仏教の方こそ、インチキ宗教である。】
@そもそも日本に伝わった仏教は、中国製の偽物。
本物の釈迦の教えとは全く別物。
日本に伝わる釈迦の説法も、中国人が勝手に捏造したまがい物。
A庶民に仏教が広まった理由は、江戸幕府が市民を監視するために強制した
檀家制度による。
江戸幕府は庶民に仏教を強制し、寺は私服を肥やしていた。
江戸幕府の政策によって、寺は莫大な資産を蓄え、膨大な土地も手に入れ
寺の住職は贅沢三昧。
その結果、維新後に庶民の反発が爆発し、寺に対する攻撃も一部でおきたに過ぎない。
日本人が葬式を仏教でやるようになった原因は、江戸幕府の強制によるもので
それ以前に日本にそのような風習は無い。
釈迦の説法に基づく本物の仏教と、
日本の偽物の中国製(笑)仏教は、まったくの別物である
B戦時中、戦争を煽っていたのは仏教。
戦時中、寺の住職は戦場で弾に当たって死ぬと極楽へ行けると説いて
国民に戦争を煽っていた。 【キリスト教は、インチキ宗教である。】
自由だの平等だの善人ぶってるが
その背後にいるっ連中は
世界中をグローバル化し、世界中で金もうけをしたい
金もうけしか考えて無い薄汚い連中ですw
キリスト教が伝染した国は、その国の伝統や文化が
崩壊します 信仰は生活習慣そのものだが
カルトは人間脳をバグらせるウイルスソフト。
混同している人が多いが、だいぶ違う。 仏像を敬う偶像崇拝とか、仏教にまじめに取り組んでいない
人ほど神仏習合を評価している傾向にある。
幕末に日本を訪れた外国人は僧侶や仏教がいかに腐敗し、民衆に
蔑まされていたか証言している。
「僧侶はいかなる尊敬も受けていない。彼らは愚かな怠け者で、
教義について何も知らない」
「教養ある日本人は、本当は仏教とその僧侶を軽蔑している」
(ベルク「オレインブルク日本遠征記」)
「(日本人は)僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから
行くだけのところ、などと語ってくれた」
(スエソン「江戸幕末滞在記」)
「およそ精気のない目つき、白痴のような顔つきをした彼ら
僧侶や神官には、ただ驚かされるばかりであった。とくに仏僧が
神官よりもひどかった」
(ヴェルナー「エルベ号館長幕末記」) 第二次世界大戦後の日本仏教の赤っぷりと言行不一致(世界の仏教徒同胞を見殺し)
ぶりには激しく幻滅しますね しかし戦後の新興宗教でも少しは公然と
神仏習合説が正しいと主張するところがあってもよさそうなのにな。
神仏習合説を堂々と教義に取り入れてもよさそうなのにな。
実質的に神仏習合のごっちゃ混ぜ宗教になっているところはたくさんあるけど、
堂々と神学的に主張しているところはほとんどないよな。 >>236
ちゃんと読んでないね。
外国人目線で日本の文化をベタ褒めしている本ばかりじゃないか。 宗教に偽物とかインチキとか無いだろ
宗教はヒクソスがユダヤ人を奴隷にするために考案された
人々は支配者と戦うべきところを神と対話するようになってしまう
それを見た他地域の支配者が、これは便利だねと
各地域でカスタマイズされ広がっていった
カスタマイズされてしまう時点で真実など無い
信者は単なるバカということになるが
宗教が善悪を定義するので住みやすい社会になるという効果はある
しかしそれが支配者にも都合がよいというわけだ 神道には実体が無い
だからチンチンを御神体にしている神社が多い
実にバカバカしい
神社は古代イスラエルの幕屋を模したものだが
もし神社がプレハブでチンチンが祀ってあったらどう思う?
神社の建築物としての見た目が重要なだけだ
何もありゃしない
大麻販売所として全国に広がり
敷地に玉砂利が敷いてあるのは、そこで男女が乱交するためだ
大麻を売った収益で金貸しをしていたが
それが朝鮮ヤクザの覚せい剤とサラ金のルーツだ
神社本庁を見よ、実際に殴る・蹴るというヤクザだぞ
神輿に乗ってる全身イレズミのヤクザは有名な指定暴力団だ
神社の所有者である天皇のコンプライアンスを厳しく問えよ
天皇は朝鮮ヤクザの親分だろ
天皇を批判した者は、表では特高、裏ではヤクザに袋叩きになった 教えてください。
日本の仏教僧侶や仏教徒のみなさんはなぜ世界で仏教国のチベットが不当に
侵略されて,
同じ仏教徒が弾圧されているのを見て見ぬふりを
しているのでしょうか?
それが仏教の教えなのでしょうか? 教えてください。
日本の仏教僧侶や仏教徒のみなさんはなぜ世界で仏教国のチベットが不当に
侵略されて,
同じ仏教徒が弾圧されているのを見て見ぬふりを
しているのでしょうか?
それが仏教の教えなのでしょうか? 何もしないと批判するためだけにチベットの惨状を軽々しく語るとは
恥知らずだな。
>>243はここでネタにする以外にチベットのために何かしたか?
なぜ見て見ぬふりをしているのかの問いは、それが答えだ。
世襲ではなく転生者リレー方式で国家の代表が引き継がれるチベットの
国家形態は世界史的にも稀。独特な文化とともに失伝するのが惜しい完成度。
しかしダライ・ラマの後継者は失われた。
後継者になるはずのパンチェン・ラマの転生者とされる子どもが
中国に奪われたのはとりかえしのつかないことだった。
神仏分離令で、社会セーフティともいえる現世功徳のシステムを潰されて、
冠婚葬祭ビジネスで糊口をしのぐ日本仏教にできることがないのは当たり前。
日本仏教はもはや生きた文化ではなく保存記録として残っている遺跡状態。
廃仏毀釈のせいで。 >>244
幕府や時の権力に庇護されてさんざん専横を極めておきながら
いざ、庇護がなくなれば「セーフティネットがはずされた」とは
片腹痛い。
権力者の庇護がはずされた程度で立ち行かなくなり、宗教的実践が
できなくなるようでは、そもそも地域、民衆に根付いた宗教では
なかったということだ。
宗教的実践ができないことを何かのせいにして何もしない現状を肯定して
いるのはただの惰性。日本仏教はすでに宗教的パワーを失っているという事実が
あきらかにされてしまいましたね。 鎌倉期以降の宮中祭祀のうち重要視
される祭祀は天皇自身が行幸して儀礼を
整える 天皇親祭であり、
仁寿殿におかれた観音像(醍醐天皇の個人的
仏事として発足した)や 経典などは
他の場所に移し、僧侶たちの供物は
神饌に供してはならないなど、
完全に仏事を 分離・隔離した神事優先・仏事排除の純神道が行われていたのである。
また、民の負担を避けるために
夜の行幸が行われるなどの民への配慮が
見られる。
大化年代には蘇我石川麻呂が
「神祇を祭鎮し、然る後に応に政事を
議すべし」と孝徳天皇に奉答した
ことなど古代、中世に仏事を制限して
神事を実行している神事優先の歴史的
事実をはじめて指摘したのは
成蹊大学名誉教授だった小島氏であり、
従来の神仏習合論一辺倒の左翼歴史学会に
一石を投じた 明治政府は廃仏毀釈を命じてはいません。穏やかな神仏分離を
進めようとしただけです。
「神仏分離を慎重にすべき令」
(太政官布告第二に六号、慶応四年4月10日)
「神仏分離は廃仏毀釈ではない旨の論達」
(御沙汰第第五〇四号、慶応四年6月22日)
「僧侶が妄りに復飾することを禁じた件」
(行政官布告七五二) 被害者面した「たかり」、半島の人々の手口とそっくりですな 荒らしが貼るコピペの内容が粗悪。
こんなくだらない言いがかりが廃仏毀釈のモチベーションに
なっていたのか。
扇動された集団心理は思慮喪失状態で破壊的。
本当に廃仏毀釈は残酷なことだった。
目に見える寺社仏閣等の建築物、収蔵された文物の略奪と破壊だけ
でなく、鎮守の森を神域でなくすことで破壊。生態系バランスの崩れて
多くの動植物が絶滅。
地域信仰の喪失による人心の荒れ、それは人が信仰に馴染ませて
得てきた思慮分別を全否定して世紀末救世主伝説を始めるような
暴挙だった。
その後に愛国教育で上書きする狙いだった?
そんな排他的選民思想おしつけられたら、気持ち悪くて鳥肌立つ! 着る者も移動の自由も制限され、迷信と神仏の祟りに怯えて暮らさなければ
ならなかった人々を解放したのが廃仏毀釈だったんだな。
廃仏毀釈を否定したい連中は前時代的な低級オカルトマニアなんどろね。 自由って言葉の使いどころが薄っぺらい。
使い古されたテンプレすぎる。
扇動者臭いことこの上ない。 【日本人はサマリア人】 日ユ同祖論、もう証明完了って感じ、ようやく月刊ムーに科学が追いついてきた
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543029282/l50
ムー編集長 UFO「存在する」「自衛隊は隠してる」「米国は正体を知ってる」「生きているうちに分かる」
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543627498/l50
ブッシュも安倍も、世界教師マ¥トレーヤにはかすりもしない! 嘘に嘘を重ね誤魔化し続ける神社本庁の大醜態
−関係者は毅然として正常化に進路をとれ−
(月刊「レコンキスタ」平成30年11月号)
「今回の神社本庁の大醜態に対して、未だに態度を明確にしないどころか、
田中ニセ総長を支持している役員関係者も存在しているようであるが、
この際だから言っておこう。あなた方は物事の判断力が全く欠落しているのではないか。
刑事事件に発展する可能性すら関係者の間で囁かれている問題であり、
後になって『私もおかしいと思っていた』と言っても、すべて後の祭りなのだ。
もはや残された時間はない。関係者は団結して田中−打田体制に毅然として対処し、
正常化へ向けて舵を切るべし。」
問題となっているこの神社本庁総長・田中恒清氏こそ神仏習合を推進した
元祖神仏習合神社である石清水八幡宮の宮司である。 僧侶ハ擅ニ国土ヲ横領スル叡山高野山ノ如キハ既ニ其ノ高百万石ヲ掠[カス]メ奢リニ乗
スルニ度無[カキリナ]キハ王城ニ勝レル大加藍ニ住シ綾羅錦繍ヲ身ニ纏ヒ加之国財ヲ費
スニ度無キモノハ偶像ヲ設ルニ限リ無ク堂塔ヲ建ルニ限リ無キモノハ国土ノ大害タル第
六例ナル 頭のイッちゃっている人か!ってヤバイ電波来たって
思ったらただのコピーペーストだった。
それでドヤァって、……羞恥プレイ? 戦国の英雄・織田信長も比叡山を焼き討ちして廃仏毀釈を行った。
しかし、織田信長も永禄12年に伊勢神宮に参拝している。
また合戦前に熱田神宮に祈願し、今川義元を討ち破っている。 織田信長は典型的なサイコパス。
罰当たりという畏れを持たないから比叡山延暦寺の焼き討ちを命じることができた。
信仰心の持ち合わせがないから、宗教儀式をショープロデュースして大衆心理を
操作することに利用した。
信長は自分こそが絶対の一番につきたい系の戦国武将。
ゆえに多様性のある多神教も、道徳心を育む系の仏教も
邪魔と感じれば殲滅することに抵抗がなかった。
敵将の頭蓋骨で酒を飲んで魔王ごっこをしたり、兵器を入手するために
宣教師の布教を許可したり、長年仕えてきた家臣も用済みになれば
冷遇したり左遷したり、……そりゃ裏切られるわ。
明智光秀が失敗していたとしても、第二第三の謀反が起きたんじゃないかな。 何度も言うように明治政府は穏便な神仏分離を進めようと
しただけです。
廃仏毀釈は政府の意向ではなく、当時の民衆たちが行ったものです。
仏教思想に支配されて1300年近く。
日本の民はいい加減、仏教にうんざりしていたということでしょう。
それが廃仏毀釈という形となった。
廃仏毀釈を行ったのは政府でなく、民衆。この歴史的事実を間違えない
でいただきたい。
(以下、参考までに政府からの通達)
一、「神仏分離を慎重にすべき令」
(太政官布告第二に六号、慶応四年4月10日)
一、「神仏分離は廃仏毀釈ではない旨の論達」
(御沙汰第第五〇四号、慶応四年6月22日)
一、「僧侶が妄りに復飾することを禁じた件」
(行政官布告七五二) >>258
それは織田信長がわざわざ比叡山を焼き討ちした理由の説明には
なりませんな。
仏教僧の社会に対する害毒があまりにも目に余るものだったから
織田信長が焼き討ちしたのです。この信長の焼き討ち行為がなければ
中世ヨーロッパのカトリック支配のように仏教勢力が世俗を支配する
暗黒時代となっていたかもしれないと言われています。 既存の文化を破壊して更地にしてしまう無神論は魔女狩り・異端審問しまくりの
原理主義一神教の呼び水になってしまう。怖い怖い。
新大陸と呼ばれたアメリカも入植者たちが自由に先住民を殺し、自由に浚ってきた
黒人を奴隷にし酷使して、自由にバッファローを列車の窓から撃ち殺す遊戯をして、
自由にリョコウバトを絶滅させて、ステラーカイギュウを絶滅させて、
……そういうことやってもいい自由なんて害にしかならない。
で、今のアメリカ人が何やっているかというとアメリカ第一主義。
ない袖は振れないと移民を規制する必要があるところまではわかる。
だがかつての移民で略奪し放題だった先祖の業はなかったことにしている。
同じ白人同士でも少し後に入植してきたアイルランド系移民も差別してきたし。
今も昔も原理主義一神教の文化圏は差別と迫害することで優位性を勝ち取り
社会を維持する様式に依存している。
現状、風前の灯になっているネイティブアメリカンの口伝は味わいあって
好きだったからもったいなかったな。
ステラーカイギュウの性格もものすごく情が深くて魅力的だから遊び気分で
ハンティングした連中の方がすごい嫌なやつらだったなとか。――いろいろ腹立つ。
自然信仰・精霊崇拝・先祖供養・その他の地域信仰と道徳学系な仏教を
混ぜこぜでうまくやってきた日本にはマルクス思想だの無神論だのは必要なかった。
だから今も各地に多くの観光客が集まる祭事が残っている。
廃仏毀釈がその程度で済んで、史実から日本の昔をうかがい知ることができるのは
南方熊楠や柳田国男、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が海外にまで日本文化の
奥深さを知らしめたため。
とはいえ、失われたものの多くは二度と取り戻せない。
神仏分離令は悪法だったよ。 もとはといえば素朴な原始信仰しかもたなかった日本に
難解な教義をたずさえて現れた国際宗教が仏教で、当時の原始神道に
仏教に対抗できる要素があろうはずがなかったが、仏教という知識の
流入は日本人の性格も変えてしまうほどのいわば文化侵略に等しいもの
であった。
その後、日本では宗教といえば仏教という時代が長く続いたが、
その底流には日本独自の宗教である神道が常にあったことは
客観視できる多くの外国人の指摘するところである。
しかし、仏教仏魔による文化侵略に対して、たとえば桓武天皇は
南都仏教による世俗支配を嫌い平安京に遷都したし、織田信長は
仏教の腐敗と傲慢を嫌い比叡山を焼き討ちにした。
また日本で生まれた新仏教の多くは、釈迦の仏教とはかけ離れた
日本独自の仏教であり、その機根は神道にあるといえよう。
そして、江戸時代になるといよいよ仏教を排して神道を打ち立てようという
気風が各藩で見られるようになり、ついに明治維新に至って穏便な
神仏分離が図られたが、それまでの仏教支配に不満を募らせていた
民衆が過激化し、廃仏毀釈のやむなきとなってしまったのである。
そして廃仏毀釈で多くのものが失われたというが、じつは明治以降も
江戸時代またはそれ以前から伝わる風習や行事は日本各地に残って
いて戦前までちゃんと続いてたものが多い。
これらの伝統が失われたのはじつは戦後の左翼思想全盛期の方が多くて
信仰だとか風習だとかは徹底気に馬鹿にされ、時代遅れの田舎行事か
観光用の見世物扱いされて、日本の多くの伝統はこの時期に断絶したというのが
歴史的事実である。 その証拠に神仏分離、廃仏毀釈を批判するあなたは毎日、家で伝統宗派の
お経を挙げていますか?
江戸時代の幕府の政策で家が檀家になっていたというだけで、なんとなく
自分は何宗だと思っているような人がほとんどじゃないですか。
有名寺に行っても観光で鑑賞に来ている人がほとんどで、仏教を信仰崇拝
しているような言動をしている人はほとんどいませんよ。
いれば観光客から奇異な目で見られるでしょう。
そもそも釈迦は仏像を造ることを禁止していますしね。
戦前までは仏教徒もちゃんと仏教を信仰し、毎日お経を挙げている人も
多くいましたよ。
そういう信仰だとか宗教を奇異な目、見下げた目で見るようになったのは
他ならぬ戦後の左翼思想全盛期ですよ。彼らにとって非科学的な信仰やら
宗教は馬鹿げた見世物にすぎないのものだったのですから。
こうして、伝統は失われたのです。 >>262-263
繰り返してりゃサブリミナル効果になるのか?
このスレに常駐しているようだが。
既存の文章をコピペして繋ぎ合わせたせいか長文なのに中身がスカスカ。
思い込みと反抗期でできた幼稚な価値観の押し付けでしかない。 >>264
中身のないレスはあなたですよ。パヨクさんw いつまでも昔の批判ばかりしてないで、もう規制も何もないのだから
神仏習合をご自由に復活させたらいかがでしょうか?
しかし、五戒すら守らないエセ仏教徒のパヨク系のみなさんが
仏教を扱う資格があるとは思えませんがね。 神仏分離や廃仏毀釈を批判するというのなら今後は仏教徒の
最低限の戒律くらい守れよ。
これを守らない仏教徒は地獄に行くと言われているから覚悟せえよ。
不殺生戒(焼肉も牛丼も食べてはいけない)
不偸盗戒(コピペも禁止)
不邪淫戒(セックスもオナニーも禁止)
不妄語戒(ごちゃんねる等への書き込みも禁止)
不飲酒戒(酒も飲んではいけない) 僧侶の虐殺までやったのか
これは文化破壊を超えて戦争じゃんか
つまり江戸時代は華人(華族ではない)主導であり
それを神社神道(半島人)が英国に支援されてテロった 神社合祀反対運動の南方熊楠は神社側の人間。
「神社合祀に関する意見」の内容が深い。
旧い日本人の先祖がえり?
同調圧力に屈しない縄文人の気質を有していたのかも。 もともと鹿児島は文化レベル低いところだから
神社も仏閣も極めて少なかったというのが真相だろうな
明治時代に神仏分離はあったが廃仏毀釈というものは実際はほとんどなかったと言っていい 中国人は道義を無視できるし、カネに屈服しやすいから
ユダヤ資本の家畜として最適なんだよ
数も多いしな
日本人は少ないくせにプライド高く
納得いかないときは死ぬ気で行動する
それは戦争だけでなく、仕事でも人命救助にしてもそのように動く
だから家畜たるシナ人を解放し、ユダヤに背くように仕掛ける可能性もあるわけだ どっちも人がやる事だから悪い人も入り込むんだけど
神道ってのはそれに代わり得ないんだよね。
てか神道が宗教として足りないから仏教が入ってきてるわけで。
戒律とか人として正しいのがどういう生き方とか
人の天国や地獄がどういうのとかそういうのがなきゃ人は安心して死ねないんだよ。
だから見てみろ、靖国のミタマを
戦争終わっても解放されずに行くところもない 小国民に「天皇の為に死にます」
みたいな事ばっか言わせてそれ実現するような成人迎えさせてるような国
サイテーの低だろ?
だけどそれしかないんだ。
少なくとも靖国には天皇の為に死んだら神様になるっていう道が提示されてる。
薩長の作った神道が仏教におんぶに抱っこ時代の人の妄想だから
神道固有のちゃんとした教義が皆無であって国がこんなになっちゃうんだよ tps://i.imgur.com/HkrodoW.jpg 失われた国宝級の建造物、仏像、書物はどんくらいあるの? 神社神道の祭を良く見るんだ
何ですかあの下劣な朝鮮ヤクザが神事に仕える者なんですかね
神社本庁にしても、その被害者の相談に乗っていた朝堂院氏によれば
本当に殴るし、蹴るんだあいつら
神社には金と暴力しかない
だから神社界は崩壊中だ
そもそも全国に無数にある小さい神社は大麻販売所として建てられたもので
その前に玉砂利が敷いてあって、裸の男女が乱交する場だ
そして大麻の収益で金貸しをしていたのだから
朝鮮ヤクザの覚せい剤と闇金のルーツが神社だ
そもそも「ヤクザ」の由来は、天皇の取り巻きの豪族に名付けた「八色の姓:やくさのかばね」だ
神道の祭司たる昭和天皇は、戦前から軍服着て大砲にまたがってるしな
神社どもは戦争を煽っていたしな
神社神道の実態は悪そのものだ >>270
南方熊楠はただ神社やその社叢の苔がなくなるのがイヤだっただけだったりして >>275
君主のために死ぬのが美徳なのは、明治に始まったことじゃないよ >>218
たしかに廃仏毀釈も大教院も平田鉄胤 矢野玄道といった平田派が主導していたわけで薩長関係ないな
むしろそれを阻止したのが長州出身で西本願寺の島地黙雷 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています