【花神】大村益次郎でアリマス。【その8】
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【花神】大村益次郎でアリマス。【その7】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1208765358/
一人の男がいる。
歴史が彼を必要とした時、忽然として現れ、
その使命が終わると大急ぎで去った。
もし維新というものが正義であるとすれば、
彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を
咲かせて回ることであった。
中国では花咲爺いのことを花神という。
彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。
彼──村田蔵六、後の大村益次郎である。 司馬遼太郎
軍事的天才というのは誰に宿っているか分からないもので、
画家や音楽家と同じで一定の教育を施しても身に付くものではない得がたいもの >>724
>
> エンディングで西郷どんの少年期のグループに海江田信義がいたと
> あって何っ(怒)を覚えた。1年間見るぞ!(花神以来だ)
花神ファンの不倶戴天の敵
チェスト〜! ん?違うか、長州弁でなんていうの? 「西郷どん」の再放送をチェック。
磯御殿にお菓子があると言った少年。
頭丸刈りの少年が、海江田と思われ。
茶坊主の息子だったはず。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
N45US 大村益次郎は多彩な才能の持主だった。
幕末期には長州征伐、戊辰戦争での長州軍、官軍の軍事指導者。
明治維新(1868)後は近代日本最初の兵部大輔(陸海軍大臣)として藩兵解散、徴兵制実施、
鎮台・鎮守府の設置などの近代兵制を創設。
明治2年(1869)、暗殺。
その間、東京招魂社(現・靖国神社)の設立に尽力、数学書・兵学書の執筆、近代日本最初
の行進曲「宮さん宮さん(トコトンヤレ節)」の作曲までやっている。
・大村益次郎・作曲、品川弥二郎・作詞「宮さん宮さん」
https://www.youtube.com/watch?v=DVc-UNU48g0
因みに、アメリカ合衆国では同時期の南北戦争[American Civil War](1861〜1865)時に、同じ
く小太鼓連打の行進曲 “When Johnny comes marching home”(ジョニーが凱旋するとき)が
北軍によって作られ、今でも合衆国の代表的な行進曲になっている。
・“When Johnny comes marching home−American Civil War Song−”
https://www.youtube.com/watch?v=d9uarq2_hQ8 >>737
ムクナシさんって、誰ですか??
「大村益次郎」に関係ある人ですか? 内田稔(椋梨藤太) ← この人が亡くなったみたいだな。 >>740、>>741
Thanks.
椋梨藤太は、長州征伐の時、徳川幕府への恭順を唱えた長州藩士?!
内田稔はその椋梨を何かのドラマで演じた俳優さんですね? >>743
総集編はDVDあるよ
本編が当時ビデオテープが高くてNHKのくせに全話揃ってない >>742
花神で演じたんよ
最後はなかなかの名演技だよ
しかし内田稔さんを知らないとは、かなりの時が経ったから仕方ないか 内田さんは「おんな太閤記」の安国寺恵瓊のほうが有名なんだろうな。 けど、花神は好きな人と、「そんなにいいかな?」という人が分かれるような気がするな
私は好きだけど
視聴率もあの当時の大河としてはいい方ではなかったし 龍馬や西郷がわき役だから、好き嫌いは分かれるだろうねぇ。 >>749
龍馬は野性的な雰囲気で良かったぞ。
西郷さんの役者さんは花神放送の直後に病死したらしい。 高杉晋作が
「命があったらまた会おう」
と挨拶をしていたが、このセリフはこのドラマのオリジナルだと思う。 >>744
総集編があんなに濃密で長い大河は他に無いかもね 古川薫さん死去 92歳
長州藩を知るにはこの人の本は必須だったので合掌。 >>755
林修?? Who?
マルチタレントということか?
それなら、林修の多彩な才能を >>736 のように具体的に説明してよ! 大村みたいな死に方は最悪だな。(大久保、坂本も)
木戸・高杉、あるいは刃にやられるなら周布・近藤・前原ら、つまり人生を振り返り、覚悟する時間は欲しいわ。 大村にしても大久保利通にしても
過激士族に不穏の動きがあることを事前に知らされていたらしいじゃないか
にもかかわらず外出を控えるとか警備を厳重化したりの措置を取らなかったという
当時の人間のメンタルでは、"臆した姿勢"を見せるというのは
相当に恥ずかしいことだったのかもな
桜田門外の井伊直弼も不穏情報を耳に入れていながら
構えて対策はしていなかったようだし >>744
プリンプリン物語みたいに、ビデオ持ってる人から集めて欲しい。 >>760
福沢が登場している回は、慶応大学が持ってるらしい。 >>759
逃げの小五郎は免許皆伝の腕前だったのにな。
いっぽう蔵六さんは、馬にも満足に乗れない百姓医者。
神経が抜けとるって桂さんは嘆いておったぞ。 >>757
イネ殿とチョメチョメする時間が持てたのでアリマス >>736
>鎮台・鎮守府の設置
鎮守府(海軍) : <1871年以後> 佐世保、呉、舞鶴、横須賀
鎮 台(陸軍) : <1871年> 鎮西(小倉)、東北(花巻)、東京、大阪
<1873年> 東京、仙台、名古屋、大阪、熊本 >>766
鎮台に広島が抜けていた。
>>736
>鎮台・鎮守府の設置
鎮守府(海軍) : <1871年以後> 佐世保、呉、舞鶴、横須賀
鎮 台(陸軍) : <1871年> 鎮西(小倉)、東北(花巻)、東京、大阪
<1873年> 東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本 >>724 書いてからもう半年か・・
せごどん面白い。花神以降は俳優が小粒に見えて
見てられなかったが、このせごどんは話が面白く楽しめている。
大山や久光の俳優もいい。神代直人(石橋蓮司さん)が今晩見せ場あり
40年以上昔か・・! いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
2AK >>736
>鎮台・鎮守府の設置
鎮守府(海軍) : <1871年以後> 佐世保、呉、舞鶴、横須賀
鎮 台(陸軍) : <1871年> 鎮西(小倉)、東北(花巻)、東京、大阪
<1873年> 東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本
旧・帝国海軍の上記4鎮守府 は現在の海上自衛隊でもそのまま引き継がれているのだろうか? 海自の拠点は、同じ。
陸自はあまり知らない。
大阪の師団が、伊丹と姫路にわかれたのかな? 裏口入学は許さない、大阪大学医学部出身の私でアリマス。 >>775、>>776
大村は大阪の適塾(阪大医学部の源流)で蘭学を学んでいるから、間違ってはいない。
最も優秀な塾生が務める「塾頭」になっているから、才能は際立っていたのだろう。
福沢諭吉も同じ頃、大村の前か後かに塾頭を務めている。
<from Wikipedia> せごどん続けて観ているが面白い。話の面白さも俳優もとても良い。
花神と並ぶほどの楽しみであります。
ところで梅之介温帯の『そばや・・』がBS161で火曜から再放送始まる
なぜか16話からだけど >>771
>神代直人(石橋蓮司さん)
ありゃマジで怖かったな〜 >>771
当時ひきこもりだったおらは神代が怖くて見てない回がござる。
この話ご本人に伝えてもらっただよ すまぬ用件忘れた。せごどんでは岩倉具視釣瓶ででかく取り上げてる。
花神にも岩倉は出てたがこの時演じてたのはアニメ、ムーミンのスナフキンの
声をやって御方なんだよ >>784
子どもたちにはこの役で知られていたな。多少は
↓
帰ってきたウルトラマン
第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」、
第14話「二大怪獣の恐怖 東京大龍巻」(1971年) - 赤木工場長 最近のせごどんは、花神や翔ぶが如くのインスパイヤァばかり。 西郷ドンにはまだ先生が登場なさらぬ。こぶ平がやるのか
キャラの影の薄いヤツのほうが役の上ではいいのか
俺は歴史ファンの松村にやらせたかった ゆうべの「せごどん」に先生が登場なさった。
林家正蔵(こぶ平)が演じたのだが、嫌な奴という
演出のようだったな。たしかに花神の先生もぶっきらぼうの
扱いだったが、愛すべき人柄を梅之助さんがきれいに演じてくれた。
こぶ平のはイヤ〜な顔で、なんかあいつ死相だったぞ >>792
こぶ平さんは体調不良っぽい感じだったな。 高校生のうちに花神読んでたら大学では絶対にオランダ語履修してたわ
母校にオランダ語の講義あったか忘れたが こぶ平はくそつまらん芸人だと思ったが、もっとつまらんいっ平のおかげでまともに見えてくるから笑える
まともといってもかなりの低レベル域なのは変わらんけどさ 日本大学と早稲田大学の違いは 長州藩出身者と佐賀藩出身 [無断転載禁止]©2ch.net
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1506120669/l50
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 1
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/joke/1501510625/
陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net 2
https://tamae.5ch.net/test/read.cgi/jsaloon/1481985949/
狂騒のパジェント 靖国神社の大村益次郎像についての批判
http://pagent.seesaa.net/article/388231675.html 大村益次郎のラッキーは
弟子の山田市之允が内務卿に
出世し、師匠の大村益次郎の
銅像を靖国神社に建立したことだなぁ。
日本軍隊は大村益次郎と山田顯義の2トップから
スタートしたことの証明書が
靖国神社の銅像なのさ。 愛エメ 村医者・村田蔵六改め、大村益次郎(日本の近代兵制の創始者)が第二次長州征伐の時、長州藩の
奇兵隊に授けた戦略・戦術が「散兵線」作戦だ。
ミニエ銃などの飛距離が長く、命中精度が高く、殺傷能力が大きい新式銃の実戦配備によって従来の
密集隊形型突撃では膨大な死傷者が出るようになったので、全軍を各々独立して戦える少人数の班
を基本単位として編成し、各班が目前の戦況を独自に判断しながら全体的作戦に則って全軍司令官
の指揮の下に秩序を保って戦うというものだ。
散兵線は各兵士の自立性と協調性が求められる戦術なので、近代文明の根底にある「個の自立」の
考えを体得した人でないと全軍にそれを納得させ、戦場で実行させるのは難しかったはずだ。
大村が大阪・適塾で福沢諭吉や橋本左内らと共に必死で学んだ蘭学を通して身に着けた近代的知識
と思想が生きたのではないか。
これらは旧幕府側の儒教に縛られた事大主義では理解できないことだった。 >>805
大日本帝国陸軍の軍歌「歩兵の本領」
https://www.youtube.com/watch?v=FJreugfgJUw
<歌詞>抜粋
万朶の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子と生まれなば
散兵線の花と散れ
[中略]
携帯口糧あるならば
遠く離れて3日4日
荒野千里にわたるとも
散兵線に秩序あり
[後略] >>805
大村益次郎 頑張る!
近代日本最初の軍歌(行進曲)「宮さん宮さん」
作詞:品川弥二郎
作曲:大村益次郎
https://www.youtube.com/watch?v=DVc-UNU48g0 河井継之助をどう思ってたんだろう?岩村のごときを越後へ行かせるとは。 毛利敬親役の人がが好きだった。
「デ、デコ?何か?それは。」 >>810
宣戦の布告
戦うんじゃい!
ニッポンの武士がどう言うもんか
世界に見せてやるんじゃい!! ああ、declaration of warのことね? ガランマチカを写し終えたでアリマス。
次の段階のセインタキスに進むでアリマス。 タクチーキのみを知りて、ストラトギーを知らざる者は、国を滅ぼすのでアリマス。 村田先生が指揮を取った西南戦争を見たかったでアリマス。
村田先生は抜刀隊の編成を許可したか興味が有るでアリマス。 >>818
たしかにそういわれると興味俺もわいてきた 堅固な陣地を作り、野砲の砲撃を絶やさぬことでアリマス。
弱兵で強兵を打ち破るのは無意味でアリマス。
薩摩の精鋭を田原坂で迎えつつ、別動隊で鹿児島を制圧するでアリマス。
山縣には戦略眼がないのでアリマス。
山田を前線に送るのは、愚かなことであります。
総指揮を山田がとっておれば、西南戦争は短期間で終息したはずでアリマス。 大村先生。
映画「柘榴坂の仇討」をご覧になって
どのように思われましたか? それは一見センセイらしいかもしれんが、実はセンセイじゃないな
「夏は暑いのは当たり前です」
これはその通りで、センセイらしい
しかし、「新年が訪れる」の「新年」ってのはそりゃ人が作った制度、概念であって、夏が暑いというのとは全く違ったことである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています