『会津人が書けなかった会津戦争』(著)牧野登
(引用)
 山川浩・健次郎兄弟の思想を論理的骨格とする会津士族たちの主張は“会津は
朝敵にあらず”の一点に徹底集中した雪冤論であり、その論調は「会津会会報」に
拠る荘田三平や史学者花見朔巳などの論客によって踏襲・展開されたが、昭和3
年の松平勢津子の皇室輿入れによってその目的は実質的に達成され、さらに昭和
12年5月に若松で行われた徳富蘇峰の講演「維新史に於ける会津」によって集約・
完成されたといえよう。
  
 しかしこの気運は、天皇を神格化する軍国主義の風潮と政治構造の力によって結
果的には利用され、会津は沖縄に似た皇民家教育の道を突っ走ることになった。
“会津武士道”が国是として賞揚賛美される昭和前期から戦中にかけての時代風潮
の中で、かつては武士階級や士族の倫理であった会津士魂なるものが、郷土意識
の顕彰気運と合流して一般会津市民の意識をも併呑し、今日の姿を生み出したので
はあるまいか。
(引用終わり) 

戊辰戦争後新政府から手厚いフォロー受けといてその恩は知らぬふりw
維新後の弾圧差別話は根拠なしw
美化・虚言・責任転嫁が大好きな今の会津は
『什の掟』
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
についてはどう考えているのかな? かな?