幕末の人と現代人が素手で喧嘩したら…
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醍醐さん 身請けなくなり 大誤算
飯盛りを 夜っぴいて 寝かせぬ くつわ虫
(※商売女に一晩中しつこくセックルをねだる煩い虫)
そのくせに 花は紅 もののふはなし
(※武士を気取るくせに 花代はくれない シミったれ) 一昔前の過疎地の若者で代替して考えてみよう
素手のケンカといっても高校の放課後のギャラリーの居る公式戦
すなわち広めの場所でヨーイドン状態(少し離れて立ち、構えてスタート)だったら
何か習ってる都会人(現代人)が勝ちそう
過疎地といっても原付無効の地形で暮らすガチ勢ね
スマホはあっても新聞は古紙になってからまとめて配達されるレベルの過疎地 薩摩の糞浪士なんて余裕だ
目潰ししたあとスタイルズクラッシュで勝てる いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
10A 本当に凄いのは50数回の戦にて生き残った伝助と言う兵士。
家族を殺されてしまい、死にたいと考え毎回最前線で戦い続けるも毎回生き残ってしまう。
50数度の戦で関ヶ原、大阪の陣も戦うも死ねず、75歳で死地を求めて宮本武蔵とも対決している。
武蔵は伝助の一撃を避けきれずに尻餅をついたとすら言われている。
ようするに伝助は死にたくても強すぎて死ねなかったという。
そんな彼も武蔵のはからいで共に生活をするが、81歳で死す。
最後の言葉は「ありがとう、宮本さん」らしい。
首切り茂吉と言う農民もいる。
17歳から戦場で戦い、57歳までの間に40数度の闘いに出て居る。
槍も刀も貸し出し品は一切手にせず、鎌一つで戦ったと記録に有る。鎌一つで一度の戦で7人を殺したとも言われてる。
あまりの残虐性と強さのため武将達から「首切り茂吉」と言われていた。
高禄で召し抱えたいと申し出た織田信長を前に、あさりと断り、年貢を免除して貰いたいと願い出た。
その後信長の領地で唯一年貢を免除された男として首切り茂吉は有名になった。
かの秀吉も茂吉を召し抱えようとするも「秋だし狩ろうかな」と言われて引き下がったと言われている。
なぜ茂吉が首切り茂吉と言われるか、その自宅には今まで倒した男達の首が置かれており、その数は100を超えていたと言う。
一体人知れずこの男はどれだけの戦功をあげていたのだろうかと織田家中では伝説的な農民であった。
40数度の戦に出て、生き延びた首切り茂吉。有名ではないがまさに最強であり多数の戦をした男である。
57歳の時、ついに茂吉は関ヶ原にて伝助との激戦の末、首を打たれたと言う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています