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【派閥】統制派vs皇道派・条約派vs艦隊派【抗争】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。垢版2010/11/28(日) 19:52:38ID:iZIsiJvG0
派閥抗争で優秀な人材を失った陸海軍。結果開戦時の軍首脳部は
とんでもないメンツで挑まざるを得なかった。永田鉄山や堀悌吉がいたら
違った結果になったのでは
0676名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/21(金) 09:45:04.24ID:AM1aiR9F0
なんでこんなに永田信者の人は孤立無援なの?
永田アンチの意見結構無様に論破されてるだろ

永田信者の意見の是非は俺には分らんが
間違ってるならアンチにもまともな反論をしてほしいわ
0677名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/21(金) 21:08:22.07ID:4th3tTeS0
>676
>なんでこんなに永田信者の人は孤立無援なの?

たぶん、「永田は東條の親玉で悪の元凶」とかいう刷り込みを学生時代に植え付けられて、
最新の学説とかを参照するだけの脳みそのリソースが少ない人が多いから、でしょうね。

これだけこちらが論拠や根拠を提示しているのに、十年一日の如くの「統制派批判」と
それの裏返しである根拠の薄弱な「皇道派ヨイショ」を延々と続けている辺りをみても
ちゃんと自分の頭でものを考えていないことが窺えますから。
0678名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/22(土) 14:20:01.71ID:+ZKhouABO
永田信者君は米内が内閣総辞職をちらつかせて和平交渉ぶち壊したことや
井上が主導した重慶無差別爆撃が戦争を泥沼化させた上に後のアメリカによる無差別爆撃および原爆投下の正当性を与えたこと知らんのか?
0679名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/23(日) 11:38:21.70ID:mmTJ7Lrl0
>678
とうとうネトウヨまがいの妄想を持ち出すに到ったかw

米内が「トラウトマン和平交渉をぶちこわした」といいたいのであれば、その責任の過半は首相である近衛と外相である広田にあるだろ。

米内はあくまで「首相と外相がこういっているのを参謀本部が横やりを入れて潰すのであれば、内閣総辞職しかない」って言っただけであって、
和平交渉を潰す決断を行ったのはあくまで首相と外相、そして実際に陸戦を戦っていた陸軍大臣だよ。

それから、重慶爆撃で支那事変が泥沼化した?
支那事変の泥沼化はその遙か以前からの話だろ。

お前が言っているのは、大東亜戦争を開始した東條英機の責任を問おうとせずに、
終戦への道筋をつけた鈴木貫太郎に対して、「原爆投下を回避できなかった」って
責任を押しつけようとしているのと同じ事だ。
0681名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/23(日) 13:25:16.32ID:mmTJ7Lrl0
>680
相変わらず、反論にも何にもなってない一行レスですか。

反論するための手材料がなにも無いのを自分で証明してますね。
0684名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/26(水) 06:40:26.34ID:rOVo232z0
>683
>明らかな戦時国際法違反をやった井上に責任はないらしい

いったい何の話かな?
こちらが言ったのは以下の内容だけど?
「米内・山本・井上といった三国同盟に反対するメンバーが海軍省に残っていれば、
ナチスドイツと同盟を結ぶなどという選択をしなかった可能性が高いし、
延いては日米戦争へと なだれ込むような事態には立ち至らなかった可能性がある」

三国同盟や日米戦争を避け得た可能性について述べているだけで、個々の戦術レベルでの
話などしてはいないのだけれども。

本質的に違うレベルの話を持ってくることしかできないこの人の知性の欠陥は
いったい何なんでしょうかね。
0685名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/02/27(木) 06:59:17.10ID:epoQmpFH0
海軍は自動参戦条項がなければ三国同盟への参加に反対しないから「いわゆる海軍左派トリオ」の個性はあまり関係ないのでは?

だいたい外交大権は外務省にあるのだから。
0686名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/01(土) 15:58:47.64ID:qwfF/BqH0
>>676
陸軍パンフレットで世論から批判されたら「国民は神経衰弱」
とか言っちゃうような時代錯誤人を擁護できるのだから
本質的に選民思想が強いネトウヨなんだろ。
0687名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/01(土) 16:04:08.81ID:qwfF/BqH0
>>671
組織エゴを個人で押さえ込むことができるとか1次大戦後の長州閥打倒
に奮闘した永田、東条、石原の事跡を全否定ですか。

>構造的な問題はあったとしても、それは重要な位置にいる人間が毅然とした意志を示して組織を
>取りまとめることで抑え込むことは可能だ。

それが無理だから戦後のシビリアンコントロールであり、内閣法制局であり、9条だろうが。
司馬遼太郎レベルどころか、サラリーマン金太郎レベルだな。
0689名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/01(土) 21:36:10.03ID:F0jySYh40
支離滅裂でまともに論をたてられないのにレッテル付けは得意
キチガイが居ついていると思っていたらネトウヨとか朝鮮人しか使わないレッテル貼りか…

どうりでスレが臭いわけだw
0690名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/04(火) 23:55:44.46ID:guyrV/zb0
>687
>組織エゴを個人で押さえ込むことができるとか

ほんの数年前に宇垣軍縮という、陸軍の組織エゴを抑え込んだ個人が居たんですが。

>>重要な位置にいる人間が毅然とした意志を示して組織を取りまとめる
>それが無理だから戦後のシビリアンコントロールであり、内閣法制局であり、9条だろうが。

山梨軍縮・宇垣軍縮という形で、実際に組織エゴを抑え込むことが出来るという実例は
ちゃんとあるんだけど。

戦後のシビリアンコントロールの強化問題は、出てくるかどうか分からない、
組織エゴを押さえ込めるだけの「実力を持った個人」という存在に頼ることを期待するには、
敗戦という代償があまりにも大きかったので、戦後の国民も政治家も軍の内部の存在に権限を
与えることを良しとしなかったってコトでしょ。
0691名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/05(水) 05:20:19.23ID:vkQsHQY10
>>690
宇垣軍縮は大正デモクラシーの圧力を受けたからこそ可能であって個性は関係ないのでは?
田中は政友会と宇垣は民政党と協調していたわけだが。
永田は軍縮なんてやってないよね。
0692名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/05(水) 05:26:53.77ID:9tUExFqO0
>691
>宇垣軍縮は大正デモクラシーの圧力を受けたからこそ可能であって個性は関係ないのでは?

永田の対皇道派抑制策は、宮中側近・元老・岡田内閣・新官僚・マスコミといった、
当時の国家機構を構成するかなりの勢力からの支援を受けていたけれども。

宇垣軍縮が大正デモクラシーの追い風を受けていたにせよ、「個人が組織エゴを抑え込んだ」という
構図自体にはなんら変わりがないよね。

>永田は軍縮なんてやってないよね。

粛軍をやろうとしていたんだよ。
下克上を日常的に行い、テロを起こすことを称揚する連中を排除しようという行為は、
軍縮以上に重要なシビリアンコントロールの具現化策だ。
0695名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/06(木) 23:44:34.71ID:oiAHeiWG0
>694
>軍縮でも利益享受する組織もある

そういう簡単な理屈も分からずに「皇軍の師団を削減するなどとはもってのほか!」とか言って
宇垣に反攻しようとしたのが上原勇作であり、その流れを受け継ぐ武藤や荒木・真崎なんだけどね。

>宇垣軍縮は予算的には縮んでいないよねえ

元の話題は「組織エゴを個人で押さえ込むこと」というものなんだけど?
自分が所属していた原隊が消えてしまうことを嘆き悲しむ軍縮期の軍人の嘆き節を知らないのかな?

「予算が縮小された訳じゃないんだから宇垣軍縮を恨むんじゃない」って理屈を素直に聞き入れられるような
物わかりの良い軍人ばっかりだったら苦労はなかったんだけどねぇ。
0697名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/09(日) 06:33:17.67ID:htCpjrQJ0
身の丈にあった軍備という意味では上原のも一つの戦略だったな。

永田の戦略は中国の物資を手にれるには
持久戦が必要と言うことで成り立たない戦略だった
0699名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/09(日) 14:30:41.30ID:bwF8gBq80
>696
>上原が皇軍なんて言ってたの?どこで?

一言一句この通りの言葉を喋ったなんて言ってないけど?

>679
>身の丈にあった軍備という意味では上原のも一つの戦略だったな

つまり、上原が主張して西園寺内閣を潰した「二個師団増設」というのがそもそもの間違いってこったねw

身の丈に合わない軍備を求めようとしたアホと、身の丈に合わせた軍備縮小を主導した宇垣らとの見識の違いを
君は追認するわけだw
0700名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/09(日) 14:38:30.90ID:lV6+K7ou0
★日中戦争は海軍利権のために中国都市無差別爆撃を強行した
海軍と山本五十六によって計画的に引き起こされた。

■山本五十六海軍次官が牛耳る海軍は
戦争を煽り、制無差別爆撃を強行。日中停戦を完全に絶望的に確定させてしまった。。
また、その結果、共産主義者を大喜びさせた。

陸軍参謀本部が進めていた日中停戦交渉はぶち壊された。
山本五十六の目論みは、陸軍への対抗心、海軍の利権拡大、予算の獲得、長州への恨みetc
そのための大量の航空兵力配備。

その宣伝のため南京無差別爆撃は強行されたと考えられる。
第二次上海事変を口実に(船津和平工作などから見て停戦は十分可能だった)
南京無差別爆撃を強行し、反日勢力を刺激し、全中国人を抗日で一致団結させる結果を招く。
日中間は泥沼戦争状態になった。

海軍次官・山本五十六が主導したと考えられる南京無差別爆撃の結果

・米国大統領が歴史上初めて日本を批判(隔離演説)
・国際連盟は海軍による南京無差別爆撃に対し非難決議を採択。
・国共合作が実現。バラバラだった全中国人が抗日で一致団結してしまった。
・蒋介石夫人がアメリカ議会で日本の無差別爆撃を非難。アメリカ政府の中国支援は議会の賛同を得る。
・親日だったアメリカ共和党までが反日に傾く

以後、山本五十六海軍次官は米内海相とともに
黒潮会(山本五十六が育てた戦争宣伝組織)を利用して
徹底して新聞で中国討伐を煽りまくり
陸軍参謀本部の日中停戦工作(船津和平工作、トラウトマン工作)をことごとく妨害し潰した。
何もかも、海軍の利権拡大が目的だと考えられる。

山本五十六は記者クラブ(黒潮会)を利用し、
新聞社を戦争扇動機関に育てた日本の先駆者である。
0703名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/03/10(月) 10:02:42.45ID:zjqaFwMK0
>701
>宇垣を長閥と末裔として追い出したのが永田グループだった

そのような事実はないけれども?

宇垣系の排斥を行ったのは荒木らの皇道派であって、永田が属していた宇垣−南系統の人間達を
左遷した一連の人事が「荒木軍政」として怨嗟の的となっていたのだが。

「以上検討してきたように、南軍政は、主としてソ連に対抗しうる軍備の強化をめざす
軍制改革と漸進的満州政策という、相互に関連しあった二つの政策を中心として展開されていった。
その過程で軍の伝統的体制に変革を加えることに反対する荒木以下の勢力、急進的満州政策の展開を
目指す関東軍、あわせて急激な国内改造を志向する桜会を中心とする一部中堅軍官僚、などの
反対派が浮上してきた。
南は建川、小磯等宇垣系将官と、永田・今村等中堅軍官僚を結束し、大将級将官については
軍事参議官会議の強化によって陸軍内の統制を進めていった。
南軍政はこのような体系性を持っていたがゆえに、満州事変と十月事件によってその中心部に打撃を受け、
没落することとなった。しかもそれを促したのは、年代的にも宇垣と南・金谷の間にあって要職から
遠ざけられており、それゆえに反宇垣的傾向の強い軍事参議官たちであった。」 (p188)

「永田は、前にも述べたように南軍政の重要な一角を担っており、荒木支持が明確で
あったのはせいぜい満州事変の勃発ないし十月事件の発覚のころから、一九三二(昭和七)年
二月末の第一期皇道派人事までの五ヶ月であったといってよい。」 (p191)

北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』


>702
>嘘を意図的に吐いたってこと?

私の発言が嘘だったと談ずるためには、上原が一度も「皇軍」という発言を行っていないということを
君が立証する必要が有るんだけど。

頑張って「上原勇作関連文書」を全部読んできてね。
0705名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/06(金) 03:51:48.95ID:xy770VhY0
海軍の条約派、陸軍の統制派の日本の国力についての見通しは正しかった。ただ、
条約派はどうせ勝てないよと放置、統制派は総力戦体制を目指して政治介入を繰り
返したが、そんな体制は出来あがらず。条約派は半数海軍から追放されたが、残り
の連中が戦略を目茶苦茶にし、艦隊派は長年研究した戦術が時代遅れになり、ロク
に研究してない航空戦で戦力を擦りツブしてしまう。統制派は皇道派を追放したが
、そのため戦術家が不在になり戦勢不利になると現場指揮が迷走、統制派軍人など
所詮は指揮官ではなく省部の官僚に過ぎず、敵前逃亡など醜態を晒した。
0706田中寛治垢版2014/06/06(金) 06:21:03.90ID:1O7/epSD0
「平家」の子は「公達」、「源氏」の子供は「御曹司」と言ったそうな。
明確な線引きが可能だったのである。

「源平合戦」は医学論争だったのではないだろうか?
異質な子供がいたのである。「平敦盛」。

時代が進み危惧種の絶対数が殖え始めた。
0708名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/08(日) 15:53:25.89ID:aPCGdBP80
>>707
宇垣路線のまま行っていりゃ順当だっのに
永田グループが藩閥なんて実体のないレトリックまで持ち出して
下克上をやり始めたのが間違いだった。
0709名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/08(日) 18:17:23.65ID:TTaRZQwc0
>708
下剋上をやり始めたのは石原らの満州グループとそれに乗っかろうとした桜会の連中でしょ。

永田はこの頃は宇垣路線の推進者の一人だよ。
0711名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/10(火) 00:26:46.21ID:fL5HGPuq0
>>710
組織の抱える問題や非合理的な慣習に対して、上司や同僚に働きかけて改善や改革を志すことが「下剋上」ですか。

君の論理でいうと、改善や改革を志す人間のほとんどが「下剋上」を目論む人間ってことになるわけだ。

つまり宇垣一成や田中義一も下剋上を目論んだ人間であり、山縣有朋も大山巌も桂太郎も児玉源一郎といった、
陸軍の制度や編成の改革を行った人間はすべて下剋上を行ったってこったな。
0712名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/11(水) 19:06:27.43ID:FbQewCGv0
下僚同志で結託して新規採用を思いのままに染めたり
上司に決済を出さなかったり
政治に容喙して中国に手を出して泥沼化させたり
永田派はがやったのは駄目なことばかり
0713名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/12(木) 10:54:38.27ID:Dy9ra/Yh0
>>712
>下僚同志で結託して新規採用を思いのままに染めたり

単に長州ってだけでどんな馬鹿でも陸大に入れていたような情実人事を無くすという
やって当然の改革を行っただけでしょ。

>上司に決済を出さなかったり

具体例をどうぞ。
永田がいつそんなことをやったのかな?

>政治に容喙して中国に手を出して泥沼化させたり

板垣・石原を中心とした満州派や、荒木を中心とした皇道派がやったことだね。

<666>の書き込みをよく読んでみることだね。
0715名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/13(金) 20:39:33.15ID:dyqAf0OT0
>>713
「帝国陸軍「革新」志向諸グループと反「長閥」運動--レトリックとしての反「長閥」」堀茂『軍事史学 44(2)』

「「長閥」の数値的実態に関する一考察--「二葉会」による長州人陸大入校阻止について」堀茂『軍事史学 43(1)』


名がマンセーさんには見えないかつ読めない論文です。
派閥で権力を握ろうと意地悪をした永田のやったことを忘れちゃダメよね。
0716名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/14(土) 00:24:57.69ID:2kHIY/h90
>>715
>マンセーさんには見えないかつ読めない論文です。

んじゃ、概要を述べておくれ。
タイトルを述べるだけならいくらでもできるが、こちらの主張を否定する内容の論文だとは全く思えないがw

反「長閥」というのレトリックだったとするならば、なおのこと永田がそのような行動をとったことはないという
傍証にしか過ぎないんだけどw
0718名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/14(土) 11:27:17.50ID:2kHIY/h90
>>717
読んでやってもいいから、その前にまず概要を述べよって言ってんだが?w

それとも、概要を書いたら何か都合がまずいことでもあるのかい?

こちらは小林道彦や北岡伸一の著書から、ちゃんと必要な部分を切り出して引用しているんだが、
君はそれはできないってことでいいの?w
0719名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/15(日) 22:57:43.11ID:QVxFnSfx0
>>718
黒ヤギさんたら読まずに述べた

結論先行で曲解するなら読んでも無駄だろう?

小林や北岡や川田や筒井の時も同じ
0720名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/16(月) 06:11:51.19ID:19+nz36m0
あーそれなら読んだよ。

永田は長閥の実態がないのを自覚していたにもかかわらず
同志を募って自派の結束を固めるためのスローガンに使ったとか

永田達は山口県出身者の陸大入学を阻止したことが異常確率から実証されたとか
0721名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/16(月) 06:53:12.28ID:+PeJZX7u0
>>719
>結論先行で曲解するなら

こちらが曲解した事例をどうぞw

>>720
>同志を募って自派の結束を固めるためのスローガンに使った

「長閥打破」がスローガンとして機能する程度には、当時の陸軍内ではかつて存在していた
長州閥への反感が強かったという証左だね。

>山口県出身者の陸大入学を阻止したことが異常確率から実証された

陸大入学者って毎年50人くらいなんだけど、全国で47ある都道府県のうちで
何年間か山口県出身者が入らなかったってのは「異常な高率」なのか?

試験での選抜がある以上、毎年毎年、全部の都道府県から均等に一人ずつ陸大に入学するという方が
確率的におかしいだろう。
山口県以外の都道府県で「数年間合格者がいなかった事例」というのが存在するかどうかを
調べたうえでの「異常な高率」って結論なのか?
0722名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/18(水) 00:31:05.96ID:oWiB3juT0
.
_ ,. -‐ '' ´   :::::::::',   ハワイを奇襲攻撃する!!        r::-  _
               :::::::::'、   早期開戦こそが、日本が勝つ         /::::::::   ´` '
                ::::::::':、    唯一の策である!!!                       ,.:':::::::
                 ::::::::ヽ         / ̄\         /:::::::
                ::::::::丶        |      |        ,.::'::::::::::
                 ::::/  ,:、     \_/      _,..:'::::::::::
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             /   ,.::::::::    /\ , , /\ `、 \
              /    ,.∩     / <●>  <●>\.`、  \∩
          /     , ' l ヽ∩ /   (__人__)    \ ∩ノ j
       /     ,    ヽ ノ |      |::::::|      | ヽ ノ \
       /      , '      | ヽ \     ` ⌒´    / / j    \
    /      , '      \  ̄            ̄  / `、   \
  ./       , '               山本五十六


なにもかも、このバカが悪いw

ハワイを不法攻撃したテロリスト犯罪者

アメリカを全面参戦させ日本を惨敗させた最悪のアホwww

日本が負けたのはこのバカのせいwwwwwwwwww
0723名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/18(水) 04:43:00.87ID:ctCyVR/00
>>721
満州派とかいって板垣や石原を永田と切り離しちゃうのは拙ずかろうね。
満州事変について永田は何年も前から推進してきたし現地世要請に応じて北大衛攻撃用の大砲を送ったりしている。
慎重てあっても賛成派であり事変容認派であったのは明らか。

読んでない論文を推定で批判している主張は非論理的だね。
永田は実体がないのを知っていて山口県出身者を排除して自派を顕職に就けて権力掌握に励んでいたのに。
永田が目的に掲げていたことの一つ。
0724名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/18(水) 12:17:55.86ID:v8A9gw6R0
>>723
>満州派とかいって板垣や石原を永田と切り離しちゃうのは拙ずかろうね。
>満州事変について永田は何年も前から推進してきたし現地世要請に応じて北大衛攻撃用の大砲を送ったりしている。

このコピペ貼るのって、これが何回目だったかっけかなぁ。

「以上検討してきたように、南軍政は、主としてソ連に対抗しうる軍備の強化をめざす
軍制改革と漸進的満州政策という、相互に関連しあった二つの政策を中心として展開されていった。
その過程で軍の伝統的体制に変革を加えることに反対する荒木以下の勢力、急進的満州政策の展開を
目指す関東軍、あわせて急激な国内改造を志向する桜会を中心とする一部中堅軍官僚、などの
反対派が浮上してきた。
南は建川、小磯等宇垣系将官と、永田・今村等中堅軍官僚を結束し、大将級将官については
軍事参議官会議の強化によって陸軍内の統制を進めていった。
南軍政はこのような体系性を持っていたがゆえに、満州事変と十月事件によってその中心部に打撃を受け、
没落することとなった。」
(北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』p188)

森靖夫『永田鉄山 平和維持は軍人の最大責務なり』
「ここで注意しなければならないのは、第一に永田ら五課長会は関東軍の軍事行動計画を知り、それを何とか
抑えるための方策が「大綱」だったということである。第二に「大綱」の解決プロセスが、統帥権を盾に内閣を
無視して陸軍が主導するというものではなく、外交交渉決裂の場合で、従来の慣行通り内閣主導により出兵を
行うというものだった点である。しかも内外の支持を得る準備期間を設けるという慎重さであった。
この点は永田が国家総動員を論じる際にもっとも重視した点で、ここでも一貫している。」(p156)

北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』
「なお、以上のいわば漸進的な満州問題解決方針には、少なくとも省部中枢では、中堅層にまで相当広い合意が
存在した。先の「大綱」が定めた一九三二(昭和七)年春までの準備については、永田鉄山軍事課長が政策面を、
今村均作戦課長(八月一日着任)が作戦面を、それぞれ中心となって担当していくこととなっていた。
このうち今村は「大綱」を熟読し、「大臣総長の意のあるところを十分に諒解」し、「上司の人々の慎重な態度に
敬服」して作業を進めたという。また永田についても、八月八日、張学良顧問矢崎勘十少佐に送った次の書簡から
みて、「大綱」の方針に完全に一致していたことが知られる。」(p180−181)

>読んでない論文を推定で批判している主張は非論理的だね。

だから、こちらは「さっさと概要を提示しな」って言ってるんだけど。
それをしない以上、タイトルから読み取れる部分とそちらが提示した文章から類推できる内容に対してのみ
反論を提示しただけさ。

こちらの主張に瑕疵があるというのであれば、論文本文からこちらの主張の反証となる文章を抜き出して
提示すればそれでいいだけのことだよ。

>永田は実体がないのを知っていて山口県出身者を排除して自派を顕職に就けて権力掌握に励んでいたのに。

「長州閥に対する怨念の持ち主」という実体なら、荒木貞夫や真崎甚三郎という皇道派首脳という形で
存在していたけどね。

それに「自派を顕職に就け」るも何も、当時の一夕会の連中なんぞ省部の課長や主任レベルばっかりで、
顕職なんてのには程遠い状態だったんだが。
0727名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/20(金) 02:14:27.96ID:YAjx3I5C0
>>725
>満州事変を否定しているわけじゃない

「満州における軍事行動が必要となる」という認識は、省部のトップから中堅層までの間で
幅広い合意ができていたよ。

けれども石原らのように、騙し討ちので事態を始めて全満州の軍事占領に至るなんてことは
想定していなかったろうと推定されている。

短絡的な頭脳の持ち主は、「満州で軍事行動をする」=「満州事変だ」とか考えてしまうのかも知れないが、
国内と諸外国の同意を取り付けたうえで合法的に国家意思として軍事行動を起こすことと、
謀略的な陰謀によって事を起こして国家意思に反する行動をとって他国を軍事占領することとは
根本的に違うことだ。
0728名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/20(金) 06:19:54.55ID:OfwP/M0a0
>>727
>>727
石原の成果を最大限に利用して満州事変を推進していたのが永田。
勃発する何年も前から穏健であったり慎重であっても永田が満州事変を推進していたことには違いがない。
それと徒党を組んでの権力奪取も計画実行していたよな。
0729名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/20(金) 12:10:44.73ID:YAjx3I5C0
>728
>石原の成果を最大限に利用して満州事変を推進していたのが永田。

満州事変を推進したのは南陸相が責任を取って辞任した後に陸相に就任した荒木貞夫だ。
永田はあくまで満州事変が穏当な結末を迎えるように、現地軍の統制と戦線の不拡大に奔走している。

>徒党を組んでの権力奪取も計画実行していたよな。

何の話だ?
永田がそのような計画を実行したことはなかったが?
0730名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/21(土) 01:06:54.18ID:0GoodXrI0
日本を大敗させたアホの山本五十六

■小室直樹 『硫黄島 栗林忠道大将の教訓』
「大東亜戦争の初め、東条首相は真珠湾攻撃を知らなかった。
これは東条のみでなく、陸軍全体が知らなかった。 誰もが驚くような話である。
何故かと言えば、日本軍の共同体の構造がそのようになっていたからだ。」  
 
■佐藤晃 『太平洋に消えた勝機』
「だがこの時すでに、真珠湾作戦部隊はヒトカップ湾をハワイに向けて 出航している。
政府はこのことを知らされていない。 略
国家存亡の戦争を行う国の最高指導者が知らぬまに、
そして 共同作戦をとる陸軍が知らぬ間に、このような重大作戦が決行される事など、
最高指導者の下に統合幕僚組織のある普通の国では考えられないことである。」

■西村眞吾 『眞悟の時事通信 No.693』
「つまり連合艦隊司令長官は、この時既にハワイ真珠湾攻撃を決意していたのだ。
このことは海軍軍令部総長も知らない。
もちろん、首相である近衛も十月に首相になった東条も知らない。」  略
腹案は、よくできている。そして、現実には、第一段階(南方作戦)は一挙に達成され、第二段階(西亜作戦)の途中まで達成された。
しかし、この「戦争終末促進に関する腹案」の基本方針に反することを、最初から実施し、しかも順調に進んでいた第二段階を自ら放棄して、
結局、腹案全体の戦略と戦術、我が国家の基本戦略を崩壊せしめた人物がいた。
我が国から統合幕僚本部を喪失させた山本権兵衛に続く、海軍のもう一人の山本。山本五十六連合艦隊司令長官である。

■茂木弘道『史実を世界に発信する会』
その基本戦略に反する戦いを始めたのは、海軍の山本五十六連合艦隊司令長官であった。

山本提督一派によるパフォーマンスのようにしか見えない戦い方だが、最初の真珠湾攻撃で意見の対立が生じたとき、
山本提督を更迭するだけの力(それだけの人物)と覚悟が海軍上層部になかったということなのか。
結果、日米戦争での日本の戦いは相手(米国)のリングで戦うことになり、惨憺たる負け戦になったことは史実が示す通りである。
0731名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/21(土) 13:35:12.43ID:CVHGOAkB0
永田がかき回して陸軍を台無しにした。
バーデンバーデンの誓いや二葉会一夕会の活動を無かったことには出来ないと思う。
0734名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/22(日) 14:24:07.61ID:klwHwj/A0
梅津が回りまわって主流に就けなかっのも統制派の責任か。
宇垣路線のままの方が穏健さやコンセンサスの側面からは良かったのでは?
0735田中寛治垢版2014/06/23(月) 04:46:47.71ID:v+Jcsf+H0
「松本零士」の「1000年女王」で「雨森始」の父親の経営する特殊な町工場が爆発する。
「始ーっ、来るなーっ。」

「B29」が焼夷弾で爆撃するのではなく「オカルト化学」「オカルト物理学」に手を染め
る「罰当たり」が増え始めた。
0736名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/26(木) 06:58:36.98ID:sSWU9HbL0
岡村はどっちに近かったんだろうね?
0737名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/06/29(日) 08:02:45.81ID:FNv9Njpq0
>731
>バーデンバーデンの誓いや二葉会一夕会の活動を無かったことには出来ないと思う。

バーデンバーデンで永田や小畑が同意したのは、軍の近代化が必要・無能な上官を
淘汰することが必要・そのための新進的な知識と思想を持った若手の選抜を要する、
といった事柄だろう?

無かったことに出来ないも何も、当時だったらそれが必要だというのは誰の目にも
明らかな事実だったんだから何の問題もないよ。

二葉会や一夕会の活動の中から過激な言動を取るような連中が出てきたのが
永田の責任だってのも論理が強引すぎるね。
あくまで責任は暴走した板垣や石原という個人に帰せられるべき問題であり、
現地で暴走した連中の責任を軽減するための繰り言でしかない。

>>734
>梅津が回りまわって主流に就けなかっのも統制派の責任か

梅津は陸軍次官になっているんだけど?
陸軍軍政のNo2が主流ではないって、いったいどういう理屈だよ。

>宇垣路線のままの方が穏健さやコンセンサスの側面からは良かった

同感だ。
永田はその宇垣路線の推進者だったんだけどね。

>736

岡村はこの時期の派閥闘争にはあんまりかかわってないみたいだ。
ちょうど永田・小畑の対立が悪化していった昭和7年から9年頃にかけては
中国にいたから。

その後も、一時的に国内に戻っても基本的には中国で軍司令官として働く期間が
長かったから、派閥抗争的な動きにはほとんど巻き込まれていない。
0738名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/04(金) 01:25:10.04ID:yTKnKMKq0
宇垣が陸軍内で干された理由がよくわからん。
出世した理由も分からんのだけどw

宇垣縮軍だっけ?
あれで人数じゃなく、装備を重視という方向に向けようとして士官達を敵に回した?
226の直前もこの人がクーデター仕掛けようとしていたか、担がれようとしてたって話もあったと思うんだが。

よー分からん人じゃ
0741名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/16(水) 17:39:59.00ID:ng3Z3LSz0
東条はバーデンバーデンにも参加しているし
0743名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/17(木) 20:45:21.87ID:oi6dd+B/0
>>742
陸軍士官学校、陸大時代やバーデンバーデンの頃の永田と小畑の関係は
どうだったんだろう?
永田が参本2部長、小畑の参本4部長時代には完全に決裂していたが。
もともと永田と小畑は馬が合ったのだろうか?

海軍だと、米内光政と末次信正が犬猿の仲だったのが、東条内閣打倒で
和解しているけれど。
0745名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/20(日) 19:03:03.48ID:jas5NzKq0
>>738
>宇垣が陸軍内で干された理由がよくわからん。

宇垣は陸軍内にいた時には陸相として最高位を占めていたんだけど。

現役を引退した後に排斥されたのは間違いないけど、それを指して
「干された」とは言わないんじゃないかな?

>出世した理由も分からんのだけどw

仕事ができたし、その仕事の手腕に期待しての人望もあった。

当時、第一次大戦を経た欧州の陸軍に対して3流以下に成り下がっていた
日本軍の装備や編成の近代化が必要だったことは衆目の一致するところだった。
その一方、政党政治の定着して民意を重視する政治が行われる中で、
税負担を軽減するためにも軍備縮小を要求する声が非常に強かった。

その逆風の中で、人員削減という政党や国民に対する説得材料を用意することで
軍の近代化を推し進めるという政治的手腕を見せつけた宇垣に対して
近代化が必要だということを理解している軍の中堅層の佐官や尉官あたりは
相応の支持を与えたんだよ。

対して、頭が固くて軍事技術の進歩についてゆけず、日露戦争の勝利という過去の幻想に
囚われたまま「三八式歩兵銃を持ち、よく訓練された兵士が居さえすれば日本軍は無敵だ」
とかいうアホな思い込みを持ったままの将官級の連中は、自分のクビを切られた恨み節を
抱え込んでしまったので、宇垣排撃へと動いて行った。

>226の直前もこの人がクーデター仕掛けようとしていたか、担がれようとしてたって話もあったと思うんだが。

3月事件のことかな?

事件そのものが闇に葬られたうえに関係者が自分に都合のいいことしか喋ってないから
何が正確なところなのかが今一つ判らないけど、事件の主犯というべきなのは
宇垣よりもむしろ小磯国昭の方だろうね。
0746名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/20(日) 19:03:45.69ID:jas5NzKq0
>742
>永田は宇垣を追い払って宇垣と同じことをやろうとした。

は?
宇垣が陸相を退いたのは浜口内閣退陣の時だよ?

永田がどうやって宇垣を追っ払ったっていうんだい?

>陸軍下克上の親玉だな。

ほう。
「下剋上」というのであれば、上司の言葉に逆らって勝手な行動をとっているという
事実があったはずなんだが、その事例を挙げてもらえないかな?


>743
>陸軍士官学校、陸大時代やバーデンバーデンの頃の永田と小畑の関係は
>どうだったんだろう?

基本的には仲の良い親友同士だったようだよ。
でなければ、岡村と並んで十六期三羽烏なんて形容はされないだろ。


>744
>小畑や山下は有能さを証明しているよな。
>大臣にして良し、大将にして良し。

大臣や大将になったことが有能さの証明なら、荒木貞夫や林銑十郎も有能だったことになるねw
0747名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/20(日) 23:37:52.20ID:G7QeIQ840
>>746
永田と小畑が決裂したのは、厳密に言っていつ頃?
0748名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/21(月) 13:07:31.98ID:gNogZQSC0
>>746
永田は荒木や真崎をもり立てて宇垣系を排除してるが?
あのままま宇垣の影響力を残して穏健な南・金谷路線を維持するのが正解だった。
0750名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/21(月) 17:41:48.74ID:w7j+zR8F0
>>747
>永田と小畑が決裂したのは、厳密に言っていつ頃?

昭和7年に満州事変が一段落した5月ごろから順次行われた、
いわゆる「荒木人事」の頃から徐々に関係が悪化していったようだ。

まぁ、この時期は永田と小畑が仲違いをしたというよりも、
荒木を主軸とする皇道派勢力の派閥専横っぷりを見てそれに反発した
陸軍の大多数が反感を募らせていったという方が近いが。

完全にこの両者が決裂したのは、昭和8年の6月ごろに省部の主だった
メンバーを集めた会議が行われた際に、対ソ政策や対支政策を巡っての
意見対立が下で完全に喧嘩別れに至った時だろうね。

この時は小畑が対ソ戦争を念頭に置いていたのに対して、永田その反対に
平和を維持して戦争には反対するというもので、ほぼ全面的な対立だった
といっていいようだ。


>>748
>永田は荒木や真崎をもり立てて宇垣系を排除してるが?

荒木や真崎の擁立に動いたのは確かだが、宇垣系の排斥は荒木ら皇道派が
行ったことであって、永田がそれを主導したわけでもなんでもないんだが。

というか、永田はこの皇道派の専横人事を見て愛想を尽かして反皇道派の
立場をとるようになったんだけどね。

>あのまま宇垣の影響力を残して穏健な南・金谷路線を維持するのが正解だった。

まぁ、その通りだろうね。
要するに、満州事変によって下剋上をやらかして南路線を葬り去った石原の暴走と、
その石原らと気脈を通じて十月事件を起こした桜会のクーデター未遂騒動とが
宇垣が主導した軍の近代化と穏健な大陸政策を葬り去ったわけだ。


>>749
>バーデンバーデンで結託したり

3〜4人の中堅どころの陸軍軍人がヨーロッパのどこだかで集まって
気焔をあげてたのがどうかしたのかい?

上原勇作や武藤信義といった連中の家に集まっていた後の皇道派メンバーが
打倒長州閥を誓い合っていたのと比べたってたいした違いはないんだがね。

>二葉会や一夕会の派閥を作って下克上。

荒木や真崎、小畑・山岡・松浦・山下といった連中も派閥を作っているんだが。
2・26事件を起こすことになる尉官クラスの青年将校を含めた皇道派こそが
下剋上の代表例だよ。
0752名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/21(月) 18:17:33.44ID:w7j+zR8F0
>>751
>小畑も元々永田の同士だろうが。なぜ永田だけ免罪する。

小畑は派閥的専横の代名詞ともいうべき皇道派の重鎮で、永田は統制派と呼ばれはするけど
そうした派閥的な動はほとんど行っていないからね。

>永田は下克上派閥活動の首謀者じゃない?

永田は下剋上を行ったことなどないよ?

石原らが起こした満州事変と橋本らが起こしかけた十月事件の両方とも、
永田は火消し役に回って奔走している。

また、派閥の力を利用して人事を捻じ曲げて出世しようともしていない。
そんなことをしなくとも出世できるだけの力を持ち、周囲にも認められていたからね。

実際、「永田に派閥的配慮をしてもらったおかげで出世した」といっている人間もいなければ、
周囲からそのように見られている人間もほとんどいない。
永田の周りに集まってきた東条や武藤、片倉衷や池田純久といった連中は、
どいつも自分の才覚で頭角を伸ばしてきたやつばかりで、永田による庇護を得て
派閥的な恩恵を被っているなんてのはほとんどいない。
0754名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/21(月) 21:09:19.37ID:w7j+zR8F0
>>753
>はあ?バーデンバーデンも

バーデンバーデンで集まるように声をかけたのは岡村だよ?

>二葉会も一夕会も永田が中心なわけだが?

単に集まったメンバーの中で実力人望ともに抜きんでていたのが永田だっただけで、
永田が派閥的な言動をとって「俺の言うことを聞け」的な親分・子分的な関係を
強いたことは資料からは窺えないのだが?
0756名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/22(火) 00:06:31.80ID:kAJdUqzr0
>>755
組織を指導?
具体的にどういった行動を指すのかな?

基本的には二葉会も木曜会も一夕会も、名目上は単なる陸軍の中堅軍人同士が
寄り集まって軍事的な研究をするというただの勉強会だよ?

いったい永田が一夕会員たちをどのように「指導」していたんだか、具体的な根拠を
資料を基に提示してくれないかな?
0757名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/22(火) 06:56:16.32ID:89bqcCQ/0
>>756
っ木曜会記事

最近でた川田本にも記載されているが?
新閥を作って政治指導。
山口県出身者の陸大からの排除。
中国資源の確保。
政治かと結託して陸軍上層部の操作。
0758名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/22(火) 23:04:49.63ID:kAJdUqzr0
>>757
>っ木曜会記事

木曜会記事のいったいどこに永田が「指導」したという記載があるんだい?
ちゃんと該当する箇所を抜き出してみなよ。

>新閥を作って政治指導。

永田がいつ政治指導などを行ったんだ?
まさか木戸や原田から陸軍の意向を聞かれたときに個人的な考えを述べたのを
「政治指導」などと思っているんじゃなかろうね?

>山口県出身者の陸大からの排除。

これは当時陸大の教官だった人間に等しく可能性のある作業であって、永田個人がどうこう
という話ではまったくないね。

そもそも陸大の入学者数は一期につき50人前後。
都道府県が47ある以上、情実を排した公正な試験によって選抜が行われていたのなら、
何年間かどこかの県の出身者が入らない程度の偏りが生じるのは統計的にいっても
全く不思議ではないが。

>中国資源の確保。

君が持ってきた木曜会記事には、こんな永田の発言も載っているんだが。

「戦争は必ずしもする必要はない。戦争をしなくても満蒙を取る必要があるのか」
筒井清忠『昭和期日本の構造 二・二六事件とその時代』講談社学術文庫(p194)

> 政治かと結託して陸軍上層部の操作。

クーデターを起こして権力を奪取しようとする連中の策動を抑え込んだり、満州で暴走を
続けている関東軍を抑制するために、それを制御しうる可能性を持った人間を陸相に持って
こないとどうにもならんという判断をし、その意見を伝えることはあくまで個人の裁量だろ。

実際に若槻内閣での南陸相・金谷参謀総長は上記の混乱の末に内閣総辞職にまで
事態を持って行ってしまったんだから、宇垣・南系を推すことは難しかったろうよ。
0759名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/23(水) 20:40:23.05ID:imG7GRyN0
森 靖夫『永田鉄山』(ミネルヴァ日本評伝選)で再評価されたと永田信者が喜んでみても

川田 稔『昭和陸軍全史 1 満州事変』 (講談社現代新書)やその他の本でも幻想が上書き否定
0760名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/24(木) 16:55:57.28ID:3kzJpS9k0
>>759
逆じゃね?

川田稔が主張してるのって、森や小林道彦、北岡伸一らが掘り起こした「永田は満州事変において現地の抑制に動いていた」という
事実をまったく無視して、従来の自分の持論に延々としがみついているだけの内容でしょ。
0761名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/26(土) 06:23:54.69ID:Xzu9S1Gl0
>>760
断片的な材料から森や小林が再評価した永田評についてモロに否定されているね。
五課長会議や七課長会議が満州事変の地均しをしていたとか、事変勃発後も南・金谷の妨害をした事実とか。
このスレで触れられていた点も多々検証されている。

一巻が永田派対宇垣派が主だけど、永田派対皇道派、石原対武藤、武藤対田中の対立にスポットが当たる続刊も楽しみ。

永田は謂わば和製ルーデンドルフ。
一周遅れなんだよ。
0762名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/07/28(月) 05:27:06.55ID:kbe0CBFy0
永田信者は川田稔や筒井清忠が嫌いで大好きなのは森靖夫と小林道彦なのか?
しかし永田が軍閥化を進めた評価をしている史料や学者は前から多いからな。
0764名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/08/06(水) 13:59:25.99ID:Q2HqOR0r0
『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』

(二) 慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。
斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。
昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、
同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。

 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。
(「岡村寧次大将資料」(上) P302〜P303)

慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様←ココ注目

岡村寧次大将回想記「私は恥かしながら慰安婦案の創設者である」


岡村寧次
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%AF%A7%E6%AC%A1

岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 - 1966年(昭和41年)9月2日)は、
日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、
官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。
父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛
の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。

『岡村寧次大将資料(上) 戦場回想篇』(稲葉正夫編、原書房 なお、(下)は刊行されていない)

慰安婦(『資料(上)』によれば、慰安婦制度を最初に考案したのは岡村。
第一次上海事変当時のことで、強姦事件が起きたために長崎県知事に依頼して慰問団を
送ってもらったと述べている)
0765名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/08/07(木) 03:31:08.09ID:0wXavIz20
永田派の策動で荒木を擁立したのが道を踏み外した大きな一歩になった。
長閥だ宇垣派だとのレッテル貼りの批判に負けないで阿部信行のまままで行っていれば政治優先で良かったのでは?
0773名無しさん@お腹いっぱい。垢版2014/11/23(日) 11:52:01.66ID:lZZv1QGE0
陸軍刑法により林将軍は死刑
本庄、板垣、石原も処刑

民政内閣が続き、その後も政党内閣制が定着。
0775名無しさん@お腹いっぱい。垢版2015/09/04(金) 03:01:23.23ID:6qX9I/Wu0
田中義一から長州閥を継承した宇垣派を排除することを目標にして一夕会や桜会が結成され
桜会は三月事件という軍事クーデターで宇垣一成を擁立しようとしています
なぜ本来の敵である宇垣一成を擁立しようとしたのでしょうか?
結果的にこれで宇垣派も凋落し後に一夕会によって陸軍の主要ポストの奪取に成功したわけですが
もしクーデターが成功して政党政治家(政界の薩長閥)を排除しても陸軍の長州閥が居座っては意味が無かったでしょうに
0776名無しさん@お腹いっぱい。垢版2015/09/12(土) 03:06:28.25ID:xbrH/41M0
>>775
>田中義一から長州閥を継承した宇垣派を排除することを目標にして一夕会や桜会が結成され
>桜会は三月事件という軍事クーデターで宇垣一成を擁立しようとしています
>なぜ本来の敵である宇垣一成を擁立しようとしたのでしょうか?

基本的な部分で事実誤認があります。

宇垣は田中から「長州閥」を受け継いだのではなく、「陸軍における主導的地位」を
継承したのであって、宇垣とその配下の連中は長州出身であるがゆえに地位を得た
というわけでは無く、陸軍のなかでの学歴や軍政上の手腕を買われてその地位を得た
集団であり、むしろ「宇垣閥」とでも呼ぶべき存在でした。

宇垣四天王と言われた4人の腹心も、杉山元(福岡)、小磯国明(山形)、
二宮治重(岡山)、建川美次(新潟)といった具合に長州出身は全く居ないし、
もし生きていたら宇垣の後継者となったろうといわれている畑英太郎にしても
福島の出身という具合。

事実上、「長州閥」というのは田中義一あたりを最後に陸軍からは消え去ったと
評しても問題はないといっていいでしょう。

宇垣以降に陸軍の要職を占めたのは、地縁的な情実人事による登用に頼ることなく、
陸士陸大での成績と、省部中枢における行政能力の有無によってふるいを掛けられた
学校秀才的な出世コースを着実に歩んできた人間たちであったと評するべきです。


一夕会の連中が掲げた旗印は「長州閥の排除」ですが、それはあくまで彼らの
最終的な目標を達成するための一手段です。

彼らの最大の目標は、第一次大戦によって現出した新しい戦争形態である「総力戦」を
戦えるだけの実力を日本の陸軍にどうやってもたらすか、軍の近代化をどうやって
推し進めるか、というところにあり、その目標の達成の障害となっているのが
長州閥の情実人事によって長州出身の無能な将官がはびこっている現状だったので
「長州閥の排除」という目標を掲げただけだったのです。

その為、宇垣によって「実力のある人材の抜擢・登用」という人事の方針転換が行われ、
「宇垣軍縮」と呼ばれることになる、余剰人員の削減と軍備の近代化とを同時に進める
宇垣軍政が軌道に乗ろうとしたときに、一夕会の面々はそれを歓迎したわけです。

桜会の連中がクーデターを企図したのは、経済緊縮政策を取っていた浜口内閣が
過剰な軍縮を要求し出して人員の削減だけが押し付けられて軍備の近代化が出来なく
なるのではないかとの危機感を背景としています。
この背景があるからこそ小磯や建川といった宇垣の配下たちも桜会のクーデター計画に
一枚噛んだのだし、宇垣自身がそれに乗って見せるかのような身振りを見せたのも
そうした陸軍内の空気を感じたからでもあったのでしょう。
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