>>775
>田中義一から長州閥を継承した宇垣派を排除することを目標にして一夕会や桜会が結成され
>桜会は三月事件という軍事クーデターで宇垣一成を擁立しようとしています
>なぜ本来の敵である宇垣一成を擁立しようとしたのでしょうか?

基本的な部分で事実誤認があります。

宇垣は田中から「長州閥」を受け継いだのではなく、「陸軍における主導的地位」を
継承したのであって、宇垣とその配下の連中は長州出身であるがゆえに地位を得た
というわけでは無く、陸軍のなかでの学歴や軍政上の手腕を買われてその地位を得た
集団であり、むしろ「宇垣閥」とでも呼ぶべき存在でした。

宇垣四天王と言われた4人の腹心も、杉山元(福岡)、小磯国明(山形)、
二宮治重(岡山)、建川美次(新潟)といった具合に長州出身は全く居ないし、
もし生きていたら宇垣の後継者となったろうといわれている畑英太郎にしても
福島の出身という具合。

事実上、「長州閥」というのは田中義一あたりを最後に陸軍からは消え去ったと
評しても問題はないといっていいでしょう。

宇垣以降に陸軍の要職を占めたのは、地縁的な情実人事による登用に頼ることなく、
陸士陸大での成績と、省部中枢における行政能力の有無によってふるいを掛けられた
学校秀才的な出世コースを着実に歩んできた人間たちであったと評するべきです。


一夕会の連中が掲げた旗印は「長州閥の排除」ですが、それはあくまで彼らの
最終的な目標を達成するための一手段です。

彼らの最大の目標は、第一次大戦によって現出した新しい戦争形態である「総力戦」を
戦えるだけの実力を日本の陸軍にどうやってもたらすか、軍の近代化をどうやって
推し進めるか、というところにあり、その目標の達成の障害となっているのが
長州閥の情実人事によって長州出身の無能な将官がはびこっている現状だったので
「長州閥の排除」という目標を掲げただけだったのです。

その為、宇垣によって「実力のある人材の抜擢・登用」という人事の方針転換が行われ、
「宇垣軍縮」と呼ばれることになる、余剰人員の削減と軍備の近代化とを同時に進める
宇垣軍政が軌道に乗ろうとしたときに、一夕会の面々はそれを歓迎したわけです。

桜会の連中がクーデターを企図したのは、経済緊縮政策を取っていた浜口内閣が
過剰な軍縮を要求し出して人員の削減だけが押し付けられて軍備の近代化が出来なく
なるのではないかとの危機感を背景としています。
この背景があるからこそ小磯や建川といった宇垣の配下たちも桜会のクーデター計画に
一枚噛んだのだし、宇垣自身がそれに乗って見せるかのような身振りを見せたのも
そうした陸軍内の空気を感じたからでもあったのでしょう。