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【庄内藩】 清河八郎2 【維新回天】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。垢版2011/04/04(月) 17:06:16.82ID:414fLF8V0
出羽庄内の農民出身でありながら、
学問、武芸ともに秀で、
いち早く討幕の志を立てた清河八郎を語ろう!

虎尾の会のメンバーや浪士組に関わった人達の話も歓迎。

前スレ
【維新】清河八郎【回天】
http://mimizun.com/log/2ch/history/1081085919/
0002名無しさん@お腹いっぱい。垢版2011/04/04(月) 17:07:08.73ID:414fLF8V0
16 :回天孤士 ◆5gtXLdp1Yk :04/04/07 18:49
ある意味、清河の功績は、幕末という舞台を、京に設置した事だろう。
 
虎尾の会結成後、はずみで町人(幕府の密偵?)を斬った事で、お尋ね者となり、諸国潜伏を余儀なくされた。
 
が、この諸国潜伏旅こそ、幕末の舞台設置活動の第一歩に他ならない。
京で田中河内介に会い、大納言・中山忠能、忠光親子を動かし、幽閉されていた青蓮院宮の内意親書を出させる(偽物説有り)これを手に、諸国を巡り志士達に尊王攘夷はては倒幕まで遊説し、志士達に火をつけて回った。
 
文久二年には、島津久光上京との報せに、
京都挙兵計画(伏見義挙)を計画する。
賛同者は、久留米の真木和泉、福岡の平野国臣、薩摩の有馬新七、長州の久坂玄瑞、朝廷から田中河上介など錚々たる面子がいた。
 
しかし、久光が寺田屋で有馬等を上意討ち(寺田屋事件)し、
挙兵計画は、頓挫する。
0003名無しさん@お腹いっぱい。垢版2011/04/04(月) 17:07:42.92ID:414fLF8V0
17 :回天孤士 ◆5gtXLdp1Yk :04/04/07 19:26
>>16続き
 
この寺田屋事件並び挙兵計画が、志士等の目を京に向けさせた。
 
そして浪士組を献策結成し、京へと上り、新徳寺での爆弾発言後、
孝明天皇から浪士組への攘夷の勅許を得た。
幕府を差し置いて、一介の志士が、帝から勅許を得た事は前代未聞の出来事だった。
この出来事で、
志士等の目は京へと向き舞台は京となっていく。 
が志士等以上に、
事件に驚愕したのが幕府で清河に目を光らた。
 
清河の浪士組挙兵計画
(横浜外国人居留地を焼き討ちし、その騒ぎに乗じて甲府城を奪取し、
尊王攘夷、倒幕運動の魁として活動する。)
を見抜いたかは定かでないが、挙兵決行の数日前、清河暗殺の幕命により、4月13日佐々木只三郎や速見又四郎等によって、麻布一ノ橋にて清河八郎は凶刃に斃れた。
 
熱が入りすぎて清河八郎伝になってしまった…。
0004名無しさん@お腹いっぱい。垢版2011/04/04(月) 17:08:38.98ID:414fLF8V0
18 :日本@名無史さん:04/04/07 20:53
清河八郎は暗殺される日、熱があるにもかかわらず、風呂に入り、
友人の高橋泥舟の家で
「さきがけて またさきがけん 死出の山 迷いはせまじ皇の道」
「砕けても また砕けても よる波は 岩かどをしも うち砕くらむ」
という二首の辞世の句ともとれるような歌を読んでいる。

また、普段かならず護衛をつける清河が、
暗殺される日に限って一人だけで、出かけたというのもおかしく、
最初から殺されるつもりで出かけたという説もある。
0005名無しさん@お腹いっぱい。垢版2011/04/04(月) 17:09:48.35ID:414fLF8V0
19 :回天孤士 ◆5gtXLdp1Yk :04/04/08 14:06
「策士清河評考察」
 
一般的に清河のイメージは、策士、詐欺師、山師、ペテン、変節漢、悪者、小者等。
何故、彼にこのイメージが付いて回るのかは、やはり、新徳寺での発言だろう。 
新徳寺での真意発言は、確かに、幕府寄りの思想を持つ者の反感を買い、そうでない学がある者は信義にもとると思った事だろう。
尊王思想の芹沢鴨や
清河派の池田徳太郎なんかも、席をたっている。
幕府の裏をかいたのだから志士達からは拍手喝采物の筈が、そうはならなかった。
 
当時、伏見義挙失敗以来、幕府に働きかける清河の真意を知らない、志士や同志達は、佐幕に変節したと憤った。
そして、このまま志士達からは変節漢と罵られ、佐幕派からは、ペテン師と呼ばれるこの事が、
後々彼の評伝となり、
新選組物では策士の悪役となり、そのイメージが広がり今にいたっているのではないかと考える。
0006名無しさん@お腹いっぱい。垢版2011/04/04(月) 17:11:03.81ID:414fLF8V0
21 :日本@名無史さん:04/04/08 18:38
「策士策に溺れる」
まさに清河八郎のような男だろう。


22 :回天孤士 ◆5gtXLdp1Yk :04/04/09 10:41
そう。清河には、
後ろ楯がなかった事に、彼の悲劇がある。
 
坂本のように、幕臣重役の保護者もいなれけば、西郷、桂のような藩の支えもない。
藩の支えどころか、出身藩の庄内藩はガチガチの、佐幕(敬幕)ときてる。
 
歴史にifはないが、もし上記のような支援者や、後ろ楯があったらば、
もう少し違った活動をし命も長らえたかもしれない。
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