【山伏】山岳信仰について語ろう2【修験】
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【山伏】山岳信仰について語ろう【修験】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1075826483/
仏教・神道に次ぐ「第三の信仰」と云われた修験道
その発生から、明治の廃止、戦後の復活について語る
祈祷宗教全般についても可 耶蘇会宣教師の書簡
http://www.infomadonna.ne.jp/~hirohumi/yuwaku.htm 92 日本@名無史さん 2005/08/09(火) 21:09:13
笠置山も吉野も葛城・金剛山も修験のお山。
後醍醐天皇の足跡と修験はかなりだぶりますね。 出羽三山はもう駄目だ。神職が自分トコの歴史を知らない。トリック写真を見せて回る先達まで居る。
>>6
自分の所の歴史しらない神職なんていっぱい居るやん
それでも立派な人もちゃんと居るし、一部見て全体がダメとかどんだけお偉いさんなの >>25
高野山にいるんじゃなくて、高野山へお骨を運ぶ聖(=仏教徒のなかの若い層・下の層) >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ 【不買運動】福島県いわき市は男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的組織です
福島県いわき市は女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
「ハダカのおもてなし」の女性専用車両広告
http://www.youtube.com/watch?v=B7f381sHUnQ&feature=channel&list=UL
(音声はJR東日本中央線の駅員による女性専用車両乗車中の男子学生に対する暴言) 余談ですが
「曼荼羅とc点論」(クドクドと理屈っぽいが)を検索して
曼荼羅世界は、神道の自然観と同一です。c点≒大日如来。
これが、結論ですが、時間と心の「ひま」のある時に、ゆっくり
読んでください。
自然と伴にいきる(かんながらのみち)のは、神道の「さとり」も、
仏教の「さとり」も、同じようです。
大自然の前では、最後は、「いのり」のみのようです。 ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 知り合いに山伏になったという人がいるんだけど、山伏ってすぐなれるの? 山伏には割と簡単になれます
休日に山伏してるサラリーマンもたくさんいます
しかし山伏については、日本史板か神社・仏閣板であつかうべきでしょう。
あるいは、ぎりぎり宗教板とかね。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ ちなみに、忍者についての画期的論考とはこれだ。
国家機密に会ったというおれの幻覚体験でいっていいなら、
山咼が「ポン」といわれてるなら、これはニッポンのポンで、修験道の連中と同じ。
そんで、修験道の山伏は貴族の子孫だよ。
修験道の山伏は、優秀な遺伝子を残すためならなんでもする生殖実験者たちだよ。
「血の修法」(ちのしゅほう)という名前でおれは覚えた。
産んでは殺し、産んでは殺す。
進化論や遺伝学に真っ先に飛びついているのがおそらく修験道の山伏だと思う。
神社本庁に聞けば、それとなく対応されるかも。
だから、天皇なんて飾りにすぎないよ。
誰も逆らわないけど。
それは影で修験道の連中とかが暗躍して、
自分の命なんか平気で差し出すほむほむみたいな連中が日本を守ってる。
その明治以後の成果が佐々木型だといえるね。
佐々木氏が公開されたのは修験道者にとっては記念碑だろうね。
こっちが天皇家より重要な要。
まあ、血の修法については、京極夏彦原作の漫画「絡新婦の理」全4巻を読んでくれ。
雰囲気は伝わると思う。 ちなみに、「血の修法」は似たようなことを中国でもやってるある。
モンゴルの征服を生きのびて、遥か古代から伝わってるある。
血の修法の中心地が伊賀甲賀だということは、
やはり、秦氏とともに、始皇帝や項羽の子孫が渡来して伝えた忍術と似たものだと思うある。
「血の修法」を行っている場所は、47都道府県にあり、さらに300以上の地主神と、
それ以上の集地があって、とにかくたくさんあるある。
おれからすれば、韓国の大統領が呪術師のお告げを信じて政治してたってのは、
日本と似てきたなあ、中国でやってるのは知ってたが、韓国でもやってたのか。
と驚いたあるよ。
マジ、現実はこの修験道の男たちのような集団の首都版みたいなのと連絡とってお告げを受けて政治するはずだから、
日本も呪術師のいうこと聞いて政治しているといえばしているのだよな。
韓国でもやってたんだね。 今回の一連の書き込みで、忍術が解明されたある。
京都と伊勢神宮の間に伊賀甲賀の里を起き、さらに南の熊野に修験道を起き、
全国の物見を操って支配していたのが日本の天皇家ある。
これを江戸時代に、東京に移して、今、熊野周辺に修験道は残ってるある?
東京は解明できないが、京都はこうやって全国の物見を操って支配していたのが忍術ある。
ここに忍術記せり。
まあ、信長が延暦寺を焼いていたのは忍者を焼いていたのだろうな。
生臭坊主の僧兵だというが、
そんなものに秦氏や項羽の子孫が伝えた古代呪術は惑わされないというか吸収していくであろうある。
ち。
血、知、地。
おれは知をとるある。
地をとり住むやつを主(ぬし)というある。
血を重視するのが貴族ある。知では解明できないように作るし、住んでもわからないように作るある。
おれはそこまで知っているある。
でも、知で解明するつもりある。 忍者の歴史は、山咼、修験道を含めたものであるということだね。
からくり人形を作ってた木地氏も、山咼の中で忍者的な存在だったのだろう。
なんせ歴史が長いから、古事記成立以前からある風習だからね。
忍者と山伏(修験道)と山咼(からくり人形師)は同じ。
そして、貴族の子孫。
これを読みとけないと、いけないある。
修験道のもってる文化は、東大の表象文化論より優れているある。
だから、勉強しても、教えてもらうだけでは修験道の怪しさに勝てないある。 578名無し物書き@推敲中?2017/05/12(金) 16:45:43.12
>>579
じゃねえよ。忍の者がそれらに化けて行動してたことがあったというだけで
イコールではない。
579記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 17:21:51.05
>>578
そう思わせるのがすでに罠ある。
忍者はいつでも、山伏や虚無僧になって逃げおせることができるある。
これが理解できなければ、一生、忍者にだまされるある。
580名無し物書き@推敲中?2017/05/12(金) 17:26:43.72
>>581
山伏や虚無僧が全員忍者なら
それこそ逆に目立ちすぎでバレバレじゃないかw
581記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 17:33:39.68
>>580
解けなければ、だまされるある。
現に、ついさっきまでは、おまえは忍者と戦う時は、本物の山伏や虚無僧は見逃すつもりだっただろ?
582名無し物書き@推敲中?2017/05/12(金) 17:38:08.83
>>584
いやいや、おまえの説だと山伏や虚無僧が全員忍者だと言い張るんだろ?
それだと目立ってしまって「あ!山伏だ!忍者だ!」とすぐバレルじゃないかってw
そうじゃないだろw
583名無し物書き@推敲中?2017/05/12(金) 17:40:53.99
>>585
山伏や虚無僧、薬売りなどに化けてたってことだろ?
本当に修業の山伏もいたし
その中には忍者が化けた山伏もいて
山伏が全て忍者だったってワケじゃなくてさ。
584記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 17:42:34.64
>>582
山伏や虚無僧が、妻帯肉食を禁止して、禁欲主義で生きていると信じるあるか?
肉食は、明治維新の前にも貴族はしていたある。
それがいざ本気を出そうという明治維新で一気に許されたのはなぜあるか? 誰も山伏には注目していないある。
忍者のスレは大量にあるのに。
585記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 17:46:07.98
>>583
山伏の修行と忍者の修行になにほどのちがいがあろうか?
586名無し物書き@推敲中?2017/05/12(金) 17:53:28.74
そういう問題ではないw
587記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 17:58:38.96
大きな街はこっちにある。
京都 延暦寺
甲賀 伊賀
伊勢
志摩(島『しま』という名のかつての秘境。真珠の養殖してた)
熊野(山伏の修行場)
こういう地理的事情を知っていればわかるある。
これを東京に移した構造が現在の構造であろうと思うある。
588記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 18:08:52.88¥
この構図が現在は、東京に移ってると思うのは、
理由は、ポケモンにあるある。
ポケモンは、地方から関東地方に移動する物語ある。
そして、おれは関東地方に住んだことはなくて、あまり女に縁がないある。 ちなみに、ウィキ「修験道」で深山で修行中の二人の写真は、撮影したのは、
国家機密にいた時のおれで、写ってるのは、四番目と五番目に「人に知られず巧者なる者」ある。
一番から三番までは隠したある。 >>45
最後はシラケさせて姿を隠す連中だからな。 修験道漫画、孔雀王が深く神秘思想に詳しいのと関係あるかもしれない。 あまりにも真剣な情報すぎて、コピペしてまわれないんだけど。
もう一度いうね。覚えている人がいるだろうか。
日本で重要な秘密基地は上から順に、
1、富士山麓の秘密基地、山梨県。
2、神武天皇ゆかりの地熊野の隠れ里、和歌山県。
3、天孫降臨の地、宮崎県。
であり、どこも公共交通機関でも道路を自動車で走ってもたどりつけない。
これ、コピペしてまわって大丈夫かな?
コピペして巡回することにしました。 630この名無しがすごい!2017/05/12(金) 20:43:40.20ID:SbJhS9EG>>632
あと記憶は自分が天才だから人に理解されないと思ってるようだが逆だ
記憶の思考回路を把握した上でアホかと思ってる
理解されない天才には必ず凡人には見抜けない論理上の破綻があるが
記憶にはそれが無い
632記憶喪失した男& ◆WSFRN7wyiQ 2017/05/12(金) 22:30:40.61ID:WhF/y1xH
>>630
愚かな。
天才の思考を凡人であるおまえが知れるわけがなかろう。
そうだ。世の中には二種類の人間がいる。
「公の公開される理論的柱」と「人に知られず巧者なる者だ」。
おまえは、どうせ、人に知られず巧者なる者だろう。
もう飽きた。マンパワーの力を信じられなかったおまえたちの負けだ。
あきらめて忍び生きるがよい。 おらあ、証拠だあ。
忍者大図鑑 忍者・忍術・忍器の全て!!‏ @ninjaworld4u · 5月9日
忍者の豆知識その10
忍術は密教、陰陽道や、修験道の行者が用いた術(九字護身法、山嶽兵法など)とも関係があるとされ、
現代に伝わる古武術には忍術の名残りが見られるものもある。
修験道は、役小角が発祥とされ、天狗を象徴とする。
まあ、ぶっちゃけ、渡来系の文化だが、海外の宗教を貪欲に取り込む試行錯誤の結果といえる。
ちなみに、漫画「孔雀王」がだんだん修験道になっていったのは、
「役小角は孔雀明王である」と日本霊異記にあるから。 Sayolanthe‏ @Sayolanthe · 1月19日
日国で「魔法」の用例を紐解くと、1680年の俳諧集に行き当たる。
これはどこから来たのだろうかと調べてみると、もともとは「魔法」というのは
13世紀頃には「邪法」「外法」(仏法や人の道を外れた教え。
またそういう輩の用いる妖術)といった言葉と似た用法で使われていたらしいことが伺える
Sayolanthe‏ @Sayolanthe · 1月19日
13世紀、鎌倉時代にはいったあたりで仏教界にメルクマールがあり、
正法眼蔵をはじめ他の宗派をボコボコに論駁するすぐれた書物が大量に出されたわけですが、
そのあたりで使われた語が「外法」「邪法」「魔法」といったものといった風情がある。
Sayolanthe‏ @Sayolanthe · 1月19日
しかし仏教における「魔」は基本的はマーラだが、
仏教関係ない中国の伝承の流入により「天狗」というモチーフが奈良時代あたりに導入されている。
もとは流星はじめ天変地異を起こす妖怪だったが、
一方では役小角創始の修験道と同化し、一方では仏法を害する魔物とされた。彼らが使う術が「外法」。
Sayolanthe‏ @Sayolanthe · 1月19日
そして16世紀、宣教師が聖書を翻訳する際にサタンを「天狗」、
カトリック以外の異教を「魔法」と訳したため、魔法には「カトリックから見た異教」という意味が付与され、
同時に魔法を使う天狗はサタンになった。
明治時代を待たずとも、「魔法」という語は既にこの時点で和洋折衷が生じている 六甲修験道というのがあって、
東六甲山一帯は真言密教の修験道の中心地の一つだった。
今はなくなったが、昭和60年頃まで地元の子供で、
修験道を希望する子は、密教寺を通じて夏休みに参加出来た。
六甲修験道
http://www.geocities.jp/jyunkubo/kobe/hike_sub/roko_shugen/roko_shugen.htm
友人が行くからというので誘われて
3日間の修験道体験やったけど、サバイバルだったな。
山伏に連れられて危険な崖登りとか、山中での座禅修業とか、滝行、
絶食しての山中行軍とか、お堂で護摩壇の煙の中で読経、お百度参り、
入浴も川に手ぬぐいを浸して体を拭くだけ。
驚いたのは、深い山中に修業の為の伝統ある施設が整っている事で
山伏が言うには、俺たちが座禅を組んだ赤銅色に光る岩場も
滝行やった滝も、1000年ぐらいの歴史があるらしい。
厳しい修業に、ついていけない者が続出した。
今なら危険過ぎて、子供にやらせるのは不可能だろう
俺と友人はスポーツ仲間だったから
最後まで何とか食らいついたが、俺は苦しさとストレスで
口の廻りからノドにかけて、吹き出物が一杯出てしまって、
壮絶な体験だった。 >>55
やっぱり修験道って忍者の修行なんじゃないか。 御朱印参拝から、登山に入ってよかった。
ホビー登山から入ってたら、何もわからないで、「山頂にある神社なんなの?」で終わってた。
山で神と仏が融合する日本独特な精神文化がわからずじまいで終わってた。アブね〜。
登拝して受ける御朱印受けた後、家に山神をおつれするような感動は格別。 やはり修験道の起源は古神道
手かざしは修験道で手当てと言ってた一種の気功が起源。明治に修験が禁止されて修験系団体は神道系に転身した。手かざし広げた岡田茂吉の師匠の出口王仁三朗が修験系の行やってる
修験自体が古神道に密教と道教が習合したもので今の神道以上に古神道伝えてる部分もある 現代修験の過剰な中世コスプレ衣装は伝統が途絶えていることの証となろう。
別にそれ自体は歴史的経過としてしかたのないことであるので、批判している
わけではない。
しかし、一部の書き込みの中に、伝統を伝えている富士講や御嶽講に
対する心無い書き込みがみられましたので、
江戸時代以来の伝統を伝えているのは一部でカルトだとかの批判の
されかたをしている、まさに富士講や御嶽講なのだとはっきりと伝える
ためにあえて現代修験は復興したものであると、それゆえにその土俗的な
カルト的な面が無くなっているのだということをここに述べておきたいと
思います。
今、その江戸時代以来の伝統を伝えている富士講や御嶽講の多くの講社が
存続の危機にあります。
本当に江戸時代以来の神仏混淆の信仰や山岳信仰を学ばれたい方は
この伝統が消えぬ今のうちに講社に訪れてください。 富士講や御嶽講を知らずして
江戸時代を語ることなかれ >>6なにもすばらしい人格者や知識人だから神職に向いているというわけではないんですは。神様に 神仏習合の実態を知りたければ御嶽教に入信することだ。
これが江戸時代以来の神仏習合の実態。
それをネット上ではカルト傾向があるとか毛嫌いする
いかにも戦後の左翼知識人ぽい書き込みを見るが、
そのメンタリティは神仏分離を進めた明治政府関係者のものと
まったく変わらない。
結局、実際の神仏習合、神仏混淆のその前時代性は
とくに左翼系知識人にはとうてい受け入れられるようなものではなく、
彼らは幕末から明治期の神仏分離政策を口では批判しているが、
実際には単に明治以来の流れを汲む現在の日本の保守的な思想文化を攻撃
したいがために利用しているだけであることがこれによってあきらかになった。
彼らの江戸時代礼賛も裏に政治的意図がある姑息な戦略であることに
注意して聞かねばならないだろう。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
28Q11 最近の神仏習合ブームでまた各地の
聖山が修験者の魔物たちに占拠され
始めた。
しかも、明治以前の修験宗よりも
より仏教色が強い寺主導の仏教修験。 現代修験の着てるおどろおどろしい黄色
の装束やまがまがしいお経が
本当に日本古来からの伝統の山岳信仰
と思ったら大きな間違いですよ。 仏教宗派が復興した修験道と
本来の修験宗はべつものだったん
ですよ。
修験者は坊さんではないし。
修験宗本来の行法を伝えているところは
今はないんじゃないかな? 明治の山伏禁止で山伏達は密教宗派の傘下に入った経緯から
現代では修験を密教と混同している人が多い そもそも、修験道は仏教とは一線を画して一宗を立てていた
日本の民間宗教で江戸時代には相当な数の修験者がいた。
逆に仏教は江戸時代を通じ腐敗し、蔑まされていた。
幕末に日本を訪れた外国人は僧侶や仏教がいかに腐敗し、民衆に
蔑まされていたか証言している。
「僧侶はいかなる尊敬も受けていない。彼らは愚かな怠け者で、
教義について何も知らない」
「教養ある日本人は、本当は仏教徒その僧侶を軽蔑している」
(ベルク「オレインブルク日本遠征記」)
「(日本人は)僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから
行くだけのところ、などと語ってくれた」
(スエソン「江戸幕末滞在記」)
「およそ精気のない目つき、白痴のような顔つきをした彼ら
僧侶や神官には、ただ驚かされるばかりであった。とくに仏僧が
神官よりもひどかった」
(ヴェルナー「エルベ号館長幕末記」) 最近は山伏禁止令で断絶した歴史を踏まえた研究が進んで
修験道は仏教公伝以前のもっと古い形態のバラモン僧の行法を伝えていた
とか修験道が逆に日本の密教に影響を与えていたなどという論点も
語られるようになりました。
今後、研究が進めば失われた修験道独自の行法が復活する時が
くるかもしれませんね。 修験関係スレだと感情的な反発のレスが返ってくるのですが、
明治の山伏禁止令以降も現在まで公式に続いている修験系団体は
御嶽教しかありませんよ。
実際、御嶽教は教派認定を申請した時に当局から「修験臭が強すぎる」
と一度は却下されているのですから。 明治5年太政官布告
聖護院統括本山修験派、ならびに東叡山所属吉野修験、羽黒修験は天台宗に
三宝院統括当山派修験は真言宗に包括されるとの布告がされた。
修験を受け入れた両宗派では先達、年行事などの修験の名称を廃止させ、
法服を着用させ僧侶の次席とした。
ただし、秘密灌頂、秘法、大法、などの阿闍梨、導師を
修験が務めることは認めなかった。
また山岳信仰の系譜である木曽御嶽講は大成教に所属して明治15年に
独立を申請したが、修験道系の行法が多く残されているため一度は却下されて
います。仏教に編入されなかったがゆえに明治時代以前の修験の行法を
多く残していたということです。 明治5年太政官布告
聖護院統括本山修験派、ならびに東叡山所属吉野修験、羽黒修験は天台宗に
三宝院統括当山派修験は真言宗に包括されるとの布告がされた。
修験を受け入れた両宗派では先達、年行事などの修験の名称を廃止させ、
法服を着用させ僧侶の次席とした。
ただし、秘密灌頂、秘法、大法、などの阿闍梨、導師を
修験が務めることは認めなかった。
また山岳信仰の系譜である木曽御嶽講は大成教に所属して明治15年に
独立を申請したが、修験道系の行法が多く残されているため一度は却下されて
います。仏教に編入されなかったがゆえに明治時代以前の修験の行法を
多く残していたということです。 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
YEV 富士の毘沙門さんにいったら白い馬がいた。
山伏の格好をした人達がいて時代劇かなんかの撮影かと思った。
家に帰って調べてみたら聖護院の富士山峰入りという行事らしい。
今朝の出来事だけど驚きました。 >>84
何やらいかがわしい伝統。
山ごとに存在していた修験者を管轄していたのが聖護院。
それが聖護院から山伏が送られてくるなどという歴史は存在していない。
しかも近世以降は確実に富士講の神域だった富士山で中世装束の
山伏がほら貝を吹き鳴らしながら闊歩するというのはいかにも似つかわしくないだろう。 >>85
無知なバカが何を言ってるのやら。。
富士山は元々修験道の山で、平安時代より修験者達が大挙して登って修業した山。
富士の表登山道は、元々修験者のために修験者が切り開いた道だからね。
だから登山道入口には興法寺を初めとした、寺社が軒を並べている
現在でも富士山域にて様々な修業が行われ、特に富士吉田の富士山興法寺を起点として、
宝永山・愛鷹山・三島明神などを巡る回峰行や、富士市鈴川海岸(海抜0m)から
3776mの富士頂上目指す富士山峰入り修行などがさかんに行われている。 >>86
んなこたあない。
それは中世期に終わってる話ですがな。興法寺は遅くとも
宝永大噴火で滅亡している。修験場としてはそれより早く衰退しているがな。
他の登山道のように発展しなかったのは修験者が登山道を占有して
金を要求したり民衆を排除したためだろう。
さかんに行われているのは中世期の記録をたよりに新たに創ったもの。
その回峰行の江戸時代の記録出してみな。 ∧∧
/ 中\
( `ハ´) 文化ねつ造革命!W
( ~__))__~)
| | |
(__)_) そもそも、宗教者といえば仏僧になるしかなかった国家仏教的な封建制時代に
おいて、あえて修験宗に身をおいたものたちは言葉に表現できなくとも
自分たちが正規の僧侶とは違う別の宗教を行っているという自覚は強く
感じていたであろう。
ゆえに修験は仏教とは異なる一宗であるとみなされていたのだ。 >>87
>さかんに行われているのは中世期の記録をたよりに新たに創ったもの
それのどこがいかがわしいんだ??????
祭りや地域の慣習でも、途絶えていたけど復活するものなんていくらでもある。
チョンだから、日本の慣習が復活するのが許せないのか?????? >>91
事情に疎い方のようですね。
そもそも今の聖護院は赤い聖護院と揶揄されるほどのいかがわしい経営
で、かつて法親王を迎えて皇室の藩屏を自認した聖護院門跡とは中身はまるで
べつの存在になってしまった。
南京大虐殺や従軍慰安婦の創作でわかるように赤い人たちが得意なのが
歴史ねつ造。
かつての村山で行われていた修験の活動の具体的にわからないまま、
記録の断片をもとに新たに創造したものが現在の村山からの峰入りです。
そりゃ林野庁が許可を出さないわけだ。 地域の祭を復活させるという話なら峰入りも地元民でやるべき
ではありませんか? そして最近の修験、山伏自体が戦後になって寺が主導で復興した
仏教山伏であって、明治期まで存続していた伝統的な修験者とは
一線を画す存在であることはご認識いただきたい。
現代の修験自体が創られた存在であるということです。もちろん
羽黒修験のように伝統が守られてきた存在もありますが。 >>86
よく見たらでたらめで書いてますね。
富士法興寺は富士吉田にはありません。
他に軒を連ねている寺社というのは具体的にどこですか?
峰入り修行がさかんに行われているというのはすべて西暦2000年以降の話し。 ∧∧
/ 支 \
( `ハ´ ) 共産主義、中華、仏教だけが 文明アル!!!
(´__]l[__`)(でたらめの歴史ねつ造)
. |__|__|
(_,,X,_) 761名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 14:57:48.96ID:kA8ccGCQa
あと金峯山寺のって伝法灌頂モドキなの?
762名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 18:51:09.68ID:76hw54ACd>>766
>>760
護摩加行もしなくていい。3日ほど講習を受ければしたことになって伝法灌頂に4年に1度入れる。
それが金部のヒドイところだ。
763名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 20:29:58.99ID:2tJFGdN00
金部は歴史的に当山派から離脱して比叡山とくっついたから本当の修験は持ってない
比叡山の1000日回峰行とかを取り入れてなんちゃって修験もどきになってしまったわけだよ
今の金部は実質天台宗の末寺
みんな誤解しているのは天台宗系修験の本山派って紹介されるけれど、正確には三井寺の天台寺門宗系修験が本山派というのが正しく聖護院門跡は天台寺門宗系なんだわ
そして天台系であれば日光の輪王寺門跡系の出羽、戸隠あたりもあるけれど金部はその系統ではないよね
764名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 20:32:23.38ID:2tJFGdN00
醍醐寺本山で色々話を聞いたけれど金部が寝返った時に龍泉寺も取ろうとちょっとした戦みたいになったらしいね
765名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 22:36:48.34ID:2i5ChkLid
実質的に金部はつまみ食いした雑多なモノをイロイロ継ぎはぎしてこしらえた新興宗教
田中利典というアメリカ型プロデューサーが出なければとっくに消滅してたインチキ教団
766名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 00:54:10.08ID:ndypZlS4a
>>762
ひどいね!
それで大阿闍梨なんて位もらえるのか?
流儀は法慢流だよね?
10日間の金峯山秘密採灯式護摩ってどんな次第か分かる?
きっちり体系化されているのは、恵印法流だけか。
本山派三井寺は不明だか聖護院は、三井流
二度加行と柱源護摩で阿闍梨にはなれない。
金峯山寺は、怪しい血脈と怪しい伝法灌頂
あとは日光修験道とか古流修験本宗か?
こちらも正当性はどうなんだろう?
767名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 00:58:18.02ID:ndypZlS4a
あと羽黒山修験本宗、修験道本庁の五流尊院
、英彦山修験道系修験真言宗、真言宗当山派鳳閣寺だっけ?
768名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 01:05:03.16ID:ndypZlS4a
金峯山寺と言えば、金峯山寺修験本宗の桜本坊は真言系修験の採燈護摩やるよね。
なんでだろう?
阿含宗の桐山さんにも大行満正大先達だったかな?号与えているからね。
やはり金峯山寺修験本宗はヤバイのかな?なんか朝鮮人も多く入り込んでいるようだが。 769名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 13:22:48.36ID:mfKq9PGdd
朝鮮人といえば二實修験道(=真言宗護國派=青山社)だが、金峯山も大阪や名古屋あたりの朝鮮人が多い。名前が徳ナントカさんばっかりだ。
古流修験本宗は三井寺で修行脱落したヤツが造った青山社グループのカルト宗教。
770名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/13(土) 04:24:02.63ID:SopoC/Pi0
寺の話は昔の帰国事業で北朝鮮に帰らなかった人や親がいない子供を慈善事業で
子供を寺側で引き取ったという話は地元の寺でも聞いているよ。
世代が変わり今その人が僧侶しているが北朝鮮籍だったらしい。
関西は知らないが東京でもそんな話があるよ。
771名無しさん@京都板じゃないよ2018/02/05(月) 23:07:33.19ID:hbm+ZdE7
【悲報】自称ネット行者の極楽金剛が豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)住職の本宮顯道にガチで否定されるw
775名無しさん@京都板じゃないよ2018/02/22(木) 00:29:48.49ID:e9t19d+X0>>776>>777
>>772
明治の初めに政府から修験道禁止令が出て
旧来の修験道は全部失伝してしまったよ
776名無しさん@京都板じゃないよ2018/02/22(木) 13:35:30.42ID:IqgDgg8qd
>>775
やはりそうなんですね・・・
779名無しさん@京都板じゃないよ2018/04/11(水) 12:56:34.06ID:r3GSU7d60>>780
現在、精神病を患っていて自宅療養中なのですが、修験道、山伏に興味があります。
精神的な弱さを修験道を通して治したいと思っています。しかし、師僧を見つけることが困難に思えてしまいます。
ネットで当山派や本山派を調べてみると聖護院で修験講習会をやっているそうですが、
地元から京都まで新幹線で行っても相当かかるので、月2回となると流石に行けないかなと思ってしまいます。
当山派についてはほとんど情報がないですので、やはり電話で聞いてみるのがいいかなと思うのですが、
聞いてみてもいいのでしょうか?また東海地方には当山派や本山派の講はあったりするのでしょうか?
教えていただけるとありがたいです。
798ニセ行者は嫌いだ!2018/05/03(木) 11:39:41.60ID:yehwRNa2a
みなさん注目!よく聞いて下さい。
修験道や密教をやると、ぶくぶく太るのでしょうか❓
デブの行者がいますが、あれは何ですか❓
自分の身体もコントロールできない行者が、他人の加持祈祷ができるのですかね❓
戒律もある。貪るなかれ!
大酒飲みやヘビースモーカーの行者もいますね!
酒やタバコも麻薬の類い!
貪るなかれ!
戒律守ってねーよな!貪るなかれ!
このようなゴミ行者は全員破門にするべきです。
こんな行者、恥ずかしいし恥さらしですよ。
デブ行者や麻薬常習者の行者は?全員破門にするべきです。 815名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/06(水) 23:36:52.77ID:HqE5ixIUH
近現代の山岳宗教と修験道 ―神仏分離令と神道指令への対応を中心に―
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f43-5.pdf
全国各地の修験霊山でも種々の形で神仏分離が行なわれた。
けれども明治2年(1869)5月18日まで戊辰戦争が続いたこともあって、
神仏分離の実施は諸藩の霊山、社寺でそれぞれ異なっていた。
その際多くの霊山や社寺では、各藩県に伺い出て、その指示にもとづいたが、
それでも決裁がつかない時は、中央官庁に伺ってその指示に従って実施した。
近世以来、本山派を統轄した聖護院では、慶応4年1月8日に聖護院門跡が還俗して海軍総督となった。
もっともその後も園城寺別当と修験道管領は兼職した。
一方当山派を統率した三宝院門跡の易宮は明治4年(1871)に復飾して閑院宮載仁親王となっている。
こうした中にあって、東国に多くの霞を有した本山派の若王子殿役所では、
明治2年(1869)2月に奥羽両国并に常州本山修験中に対して、
神仏分離令で両部(神道と仏教)習合は相成らずとしているのは、
神は神式で祀り、仏には仏の作法で勤め、両者を混淆しないということである。
それ故修験者は従来通り有髪妻帯し、古例にのっとった奉幣式、
七社引導、院主の自葬祭を実施するように、との触を出している。 文字として残してありゃ、あとはやる気次第で復活できる。
それが啓典宗教のメリット。
モニュメント崇拝すると、災害とかでそれが失われた場合には二度と復活しない。 >>86
修験道はそれぞれの山で独自に栄えた存在というのが基本的な常識。
中央(近畿)から山伏団が送り込まれるなどという伝統は存在しません。
創作されたニセの伝統ですね。
中世には大峰山から送りこまれた山伏団に地元の山伏団、修験道が
潰されるというような事例ならありましたが・・ 奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) いわゆる国家神道解体から70年、そろそろ明治時代に編入させられた
仏教(密教)傘下からの独立を果たして元の姿に復すべきではないでしょうか?
いつまでも仏教の傘下にいてはその本質を見失ってしまいますよ。 修験道研究の権威・五来重は日本の山岳信仰においては仏教はその
表面にすぎず、本質ではないと喝破されている。
明治の修験禁止令が廃止となり、新宗教法が発布されて70年以上も
経つのにいまだに仏門の配下に甘んじて本来の山岳信仰の姿を見失っている
現代の修験道に対する厳しい警鐘とも言えよう。
奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) 修験の根本ってのは、現代のクライマーとかトレランマンとか、そういう趣向の奴等によるもんなんだと思うわ
岩があったら登りたいとか、山野を駆け巡りたいとか、そういう願望持った奴等が修験を始めたんだと思う
昔はロッククライミングだとか山登りって文化もなかったからな
宗教をくっつけたのは、なんで山に登るんだ?とか言われた時の言い訳、理由づけのためでしかないと思う 神仏分離は江戸時代からはじまっているのであるが、
当時の人々は幕府の支配体制に組み込まれた仏教思想に洗脳され
生老病死、四苦八苦、地獄、極楽の仏教的迷信に脅えながら
生きていたということを忘れてはならない。
また幕府と幕藩仏教もこの恐怖を利用して民衆を支配していたのである。
この仏教的迷信から人々を解放した行為こそ神仏分離だったのである。 山岳は、もともと神道の縄張りであった。
山そのものが神であると考えるのが神道であり、
各地の霊山には土着の山岳修行者がいた。
もちろん、神道系の修行者である。
奈良時代になって、そこに仏教系の修行者が
加わったのである。
私度僧や聖(ひじり)といった人々が主で、
正式な僧侶ではなかったが、
彼らが山岳で修行して呪力を身につけ、
陀羅尼(だらに)や経文を唱えて、
民間で呪術や祈祷を行ったのである。
役行者も、もともとはこのような人々の
一人であったのだろう。
平安時代になると、最澄と空海がともに
唐から新仏教としての密教を伝えてきた。こ
の密教は特に山岳修行を重視した。
密教僧が山岳修行によって加持祈祷の力
を身につけることは「験(げん)を修める」
と呼ばれ、それを修めた者は
「修験者」「験者(げんざ)」
あるいは「山伏」と呼ばれたのである。
修験道はまさに、「山伏道」なのだ。
神道と仏教 一条真也 より 修行中の坊主がいるので禁を犯して入山する女性は死んでいた。震災や天災で動揺する精神を病んだ女性は災害時山に入って死んでも良かった。 修験って大元は「遊び」だったんじゃないかなと思うわ。
今でいえばレジャーだ。
登山とかクライミングとか「趣味」って概念がなかった時代でも、岩があったら登りたいとか、野山駆け巡りたいとか、そういう願望を持つ人間自体の質は、今も昔も変わらんだろう。
そういう遊び場だからこそ、女人禁制ってことも出てくるわけだ。 修行で感覚が研ぎ澄まされ環境で女が居ると
レイ○事故が起こるから
女性は入ったら行けんヨォだと思ってた 富士山すら江戸時代からなし崩し的に女が登っていたのに? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています