【山伏】山岳信仰について語ろう2【修験】
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仏教宗派が復興した修験道と
本来の修験宗はべつものだったん
ですよ。
修験者は坊さんではないし。
修験宗本来の行法を伝えているところは
今はないんじゃないかな? 明治の山伏禁止で山伏達は密教宗派の傘下に入った経緯から
現代では修験を密教と混同している人が多い そもそも、修験道は仏教とは一線を画して一宗を立てていた
日本の民間宗教で江戸時代には相当な数の修験者がいた。
逆に仏教は江戸時代を通じ腐敗し、蔑まされていた。
幕末に日本を訪れた外国人は僧侶や仏教がいかに腐敗し、民衆に
蔑まされていたか証言している。
「僧侶はいかなる尊敬も受けていない。彼らは愚かな怠け者で、
教義について何も知らない」
「教養ある日本人は、本当は仏教徒その僧侶を軽蔑している」
(ベルク「オレインブルク日本遠征記」)
「(日本人は)僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから
行くだけのところ、などと語ってくれた」
(スエソン「江戸幕末滞在記」)
「およそ精気のない目つき、白痴のような顔つきをした彼ら
僧侶や神官には、ただ驚かされるばかりであった。とくに仏僧が
神官よりもひどかった」
(ヴェルナー「エルベ号館長幕末記」) 最近は山伏禁止令で断絶した歴史を踏まえた研究が進んで
修験道は仏教公伝以前のもっと古い形態のバラモン僧の行法を伝えていた
とか修験道が逆に日本の密教に影響を与えていたなどという論点も
語られるようになりました。
今後、研究が進めば失われた修験道独自の行法が復活する時が
くるかもしれませんね。 修験関係スレだと感情的な反発のレスが返ってくるのですが、
明治の山伏禁止令以降も現在まで公式に続いている修験系団体は
御嶽教しかありませんよ。
実際、御嶽教は教派認定を申請した時に当局から「修験臭が強すぎる」
と一度は却下されているのですから。 明治5年太政官布告
聖護院統括本山修験派、ならびに東叡山所属吉野修験、羽黒修験は天台宗に
三宝院統括当山派修験は真言宗に包括されるとの布告がされた。
修験を受け入れた両宗派では先達、年行事などの修験の名称を廃止させ、
法服を着用させ僧侶の次席とした。
ただし、秘密灌頂、秘法、大法、などの阿闍梨、導師を
修験が務めることは認めなかった。
また山岳信仰の系譜である木曽御嶽講は大成教に所属して明治15年に
独立を申請したが、修験道系の行法が多く残されているため一度は却下されて
います。仏教に編入されなかったがゆえに明治時代以前の修験の行法を
多く残していたということです。 明治5年太政官布告
聖護院統括本山修験派、ならびに東叡山所属吉野修験、羽黒修験は天台宗に
三宝院統括当山派修験は真言宗に包括されるとの布告がされた。
修験を受け入れた両宗派では先達、年行事などの修験の名称を廃止させ、
法服を着用させ僧侶の次席とした。
ただし、秘密灌頂、秘法、大法、などの阿闍梨、導師を
修験が務めることは認めなかった。
また山岳信仰の系譜である木曽御嶽講は大成教に所属して明治15年に
独立を申請したが、修験道系の行法が多く残されているため一度は却下されて
います。仏教に編入されなかったがゆえに明治時代以前の修験の行法を
多く残していたということです。 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
YEV 富士の毘沙門さんにいったら白い馬がいた。
山伏の格好をした人達がいて時代劇かなんかの撮影かと思った。
家に帰って調べてみたら聖護院の富士山峰入りという行事らしい。
今朝の出来事だけど驚きました。 >>84
何やらいかがわしい伝統。
山ごとに存在していた修験者を管轄していたのが聖護院。
それが聖護院から山伏が送られてくるなどという歴史は存在していない。
しかも近世以降は確実に富士講の神域だった富士山で中世装束の
山伏がほら貝を吹き鳴らしながら闊歩するというのはいかにも似つかわしくないだろう。 >>85
無知なバカが何を言ってるのやら。。
富士山は元々修験道の山で、平安時代より修験者達が大挙して登って修業した山。
富士の表登山道は、元々修験者のために修験者が切り開いた道だからね。
だから登山道入口には興法寺を初めとした、寺社が軒を並べている
現在でも富士山域にて様々な修業が行われ、特に富士吉田の富士山興法寺を起点として、
宝永山・愛鷹山・三島明神などを巡る回峰行や、富士市鈴川海岸(海抜0m)から
3776mの富士頂上目指す富士山峰入り修行などがさかんに行われている。 >>86
んなこたあない。
それは中世期に終わってる話ですがな。興法寺は遅くとも
宝永大噴火で滅亡している。修験場としてはそれより早く衰退しているがな。
他の登山道のように発展しなかったのは修験者が登山道を占有して
金を要求したり民衆を排除したためだろう。
さかんに行われているのは中世期の記録をたよりに新たに創ったもの。
その回峰行の江戸時代の記録出してみな。 ∧∧
/ 中\
( `ハ´) 文化ねつ造革命!W
( ~__))__~)
| | |
(__)_) そもそも、宗教者といえば仏僧になるしかなかった国家仏教的な封建制時代に
おいて、あえて修験宗に身をおいたものたちは言葉に表現できなくとも
自分たちが正規の僧侶とは違う別の宗教を行っているという自覚は強く
感じていたであろう。
ゆえに修験は仏教とは異なる一宗であるとみなされていたのだ。 >>87
>さかんに行われているのは中世期の記録をたよりに新たに創ったもの
それのどこがいかがわしいんだ??????
祭りや地域の慣習でも、途絶えていたけど復活するものなんていくらでもある。
チョンだから、日本の慣習が復活するのが許せないのか?????? >>91
事情に疎い方のようですね。
そもそも今の聖護院は赤い聖護院と揶揄されるほどのいかがわしい経営
で、かつて法親王を迎えて皇室の藩屏を自認した聖護院門跡とは中身はまるで
べつの存在になってしまった。
南京大虐殺や従軍慰安婦の創作でわかるように赤い人たちが得意なのが
歴史ねつ造。
かつての村山で行われていた修験の活動の具体的にわからないまま、
記録の断片をもとに新たに創造したものが現在の村山からの峰入りです。
そりゃ林野庁が許可を出さないわけだ。 地域の祭を復活させるという話なら峰入りも地元民でやるべき
ではありませんか? そして最近の修験、山伏自体が戦後になって寺が主導で復興した
仏教山伏であって、明治期まで存続していた伝統的な修験者とは
一線を画す存在であることはご認識いただきたい。
現代の修験自体が創られた存在であるということです。もちろん
羽黒修験のように伝統が守られてきた存在もありますが。 >>86
よく見たらでたらめで書いてますね。
富士法興寺は富士吉田にはありません。
他に軒を連ねている寺社というのは具体的にどこですか?
峰入り修行がさかんに行われているというのはすべて西暦2000年以降の話し。 ∧∧
/ 支 \
( `ハ´ ) 共産主義、中華、仏教だけが 文明アル!!!
(´__]l[__`)(でたらめの歴史ねつ造)
. |__|__|
(_,,X,_) 761名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 14:57:48.96ID:kA8ccGCQa
あと金峯山寺のって伝法灌頂モドキなの?
762名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 18:51:09.68ID:76hw54ACd>>766
>>760
護摩加行もしなくていい。3日ほど講習を受ければしたことになって伝法灌頂に4年に1度入れる。
それが金部のヒドイところだ。
763名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 20:29:58.99ID:2tJFGdN00
金部は歴史的に当山派から離脱して比叡山とくっついたから本当の修験は持ってない
比叡山の1000日回峰行とかを取り入れてなんちゃって修験もどきになってしまったわけだよ
今の金部は実質天台宗の末寺
みんな誤解しているのは天台宗系修験の本山派って紹介されるけれど、正確には三井寺の天台寺門宗系修験が本山派というのが正しく聖護院門跡は天台寺門宗系なんだわ
そして天台系であれば日光の輪王寺門跡系の出羽、戸隠あたりもあるけれど金部はその系統ではないよね
764名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 20:32:23.38ID:2tJFGdN00
醍醐寺本山で色々話を聞いたけれど金部が寝返った時に龍泉寺も取ろうとちょっとした戦みたいになったらしいね
765名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/07(日) 22:36:48.34ID:2i5ChkLid
実質的に金部はつまみ食いした雑多なモノをイロイロ継ぎはぎしてこしらえた新興宗教
田中利典というアメリカ型プロデューサーが出なければとっくに消滅してたインチキ教団
766名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 00:54:10.08ID:ndypZlS4a
>>762
ひどいね!
それで大阿闍梨なんて位もらえるのか?
流儀は法慢流だよね?
10日間の金峯山秘密採灯式護摩ってどんな次第か分かる?
きっちり体系化されているのは、恵印法流だけか。
本山派三井寺は不明だか聖護院は、三井流
二度加行と柱源護摩で阿闍梨にはなれない。
金峯山寺は、怪しい血脈と怪しい伝法灌頂
あとは日光修験道とか古流修験本宗か?
こちらも正当性はどうなんだろう?
767名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 00:58:18.02ID:ndypZlS4a
あと羽黒山修験本宗、修験道本庁の五流尊院
、英彦山修験道系修験真言宗、真言宗当山派鳳閣寺だっけ?
768名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 01:05:03.16ID:ndypZlS4a
金峯山寺と言えば、金峯山寺修験本宗の桜本坊は真言系修験の採燈護摩やるよね。
なんでだろう?
阿含宗の桐山さんにも大行満正大先達だったかな?号与えているからね。
やはり金峯山寺修験本宗はヤバイのかな?なんか朝鮮人も多く入り込んでいるようだが。 769名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/08(月) 13:22:48.36ID:mfKq9PGdd
朝鮮人といえば二實修験道(=真言宗護國派=青山社)だが、金峯山も大阪や名古屋あたりの朝鮮人が多い。名前が徳ナントカさんばっかりだ。
古流修験本宗は三井寺で修行脱落したヤツが造った青山社グループのカルト宗教。
770名無しさん@京都板じゃないよ2018/01/13(土) 04:24:02.63ID:SopoC/Pi0
寺の話は昔の帰国事業で北朝鮮に帰らなかった人や親がいない子供を慈善事業で
子供を寺側で引き取ったという話は地元の寺でも聞いているよ。
世代が変わり今その人が僧侶しているが北朝鮮籍だったらしい。
関西は知らないが東京でもそんな話があるよ。
771名無しさん@京都板じゃないよ2018/02/05(月) 23:07:33.19ID:hbm+ZdE7
【悲報】自称ネット行者の極楽金剛が豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)住職の本宮顯道にガチで否定されるw
775名無しさん@京都板じゃないよ2018/02/22(木) 00:29:48.49ID:e9t19d+X0>>776>>777
>>772
明治の初めに政府から修験道禁止令が出て
旧来の修験道は全部失伝してしまったよ
776名無しさん@京都板じゃないよ2018/02/22(木) 13:35:30.42ID:IqgDgg8qd
>>775
やはりそうなんですね・・・
779名無しさん@京都板じゃないよ2018/04/11(水) 12:56:34.06ID:r3GSU7d60>>780
現在、精神病を患っていて自宅療養中なのですが、修験道、山伏に興味があります。
精神的な弱さを修験道を通して治したいと思っています。しかし、師僧を見つけることが困難に思えてしまいます。
ネットで当山派や本山派を調べてみると聖護院で修験講習会をやっているそうですが、
地元から京都まで新幹線で行っても相当かかるので、月2回となると流石に行けないかなと思ってしまいます。
当山派についてはほとんど情報がないですので、やはり電話で聞いてみるのがいいかなと思うのですが、
聞いてみてもいいのでしょうか?また東海地方には当山派や本山派の講はあったりするのでしょうか?
教えていただけるとありがたいです。
798ニセ行者は嫌いだ!2018/05/03(木) 11:39:41.60ID:yehwRNa2a
みなさん注目!よく聞いて下さい。
修験道や密教をやると、ぶくぶく太るのでしょうか❓
デブの行者がいますが、あれは何ですか❓
自分の身体もコントロールできない行者が、他人の加持祈祷ができるのですかね❓
戒律もある。貪るなかれ!
大酒飲みやヘビースモーカーの行者もいますね!
酒やタバコも麻薬の類い!
貪るなかれ!
戒律守ってねーよな!貪るなかれ!
このようなゴミ行者は全員破門にするべきです。
こんな行者、恥ずかしいし恥さらしですよ。
デブ行者や麻薬常習者の行者は?全員破門にするべきです。 815名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/06(水) 23:36:52.77ID:HqE5ixIUH
近現代の山岳宗教と修験道 ―神仏分離令と神道指令への対応を中心に―
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f43-5.pdf
全国各地の修験霊山でも種々の形で神仏分離が行なわれた。
けれども明治2年(1869)5月18日まで戊辰戦争が続いたこともあって、
神仏分離の実施は諸藩の霊山、社寺でそれぞれ異なっていた。
その際多くの霊山や社寺では、各藩県に伺い出て、その指示にもとづいたが、
それでも決裁がつかない時は、中央官庁に伺ってその指示に従って実施した。
近世以来、本山派を統轄した聖護院では、慶応4年1月8日に聖護院門跡が還俗して海軍総督となった。
もっともその後も園城寺別当と修験道管領は兼職した。
一方当山派を統率した三宝院門跡の易宮は明治4年(1871)に復飾して閑院宮載仁親王となっている。
こうした中にあって、東国に多くの霞を有した本山派の若王子殿役所では、
明治2年(1869)2月に奥羽両国并に常州本山修験中に対して、
神仏分離令で両部(神道と仏教)習合は相成らずとしているのは、
神は神式で祀り、仏には仏の作法で勤め、両者を混淆しないということである。
それ故修験者は従来通り有髪妻帯し、古例にのっとった奉幣式、
七社引導、院主の自葬祭を実施するように、との触を出している。 文字として残してありゃ、あとはやる気次第で復活できる。
それが啓典宗教のメリット。
モニュメント崇拝すると、災害とかでそれが失われた場合には二度と復活しない。 >>86
修験道はそれぞれの山で独自に栄えた存在というのが基本的な常識。
中央(近畿)から山伏団が送り込まれるなどという伝統は存在しません。
創作されたニセの伝統ですね。
中世には大峰山から送りこまれた山伏団に地元の山伏団、修験道が
潰されるというような事例ならありましたが・・ 奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) いわゆる国家神道解体から70年、そろそろ明治時代に編入させられた
仏教(密教)傘下からの独立を果たして元の姿に復すべきではないでしょうか?
いつまでも仏教の傘下にいてはその本質を見失ってしまいますよ。 修験道研究の権威・五来重は日本の山岳信仰においては仏教はその
表面にすぎず、本質ではないと喝破されている。
明治の修験禁止令が廃止となり、新宗教法が発布されて70年以上も
経つのにいまだに仏門の配下に甘んじて本来の山岳信仰の姿を見失っている
現代の修験道に対する厳しい警鐘とも言えよう。
奈良時代の諸大寺の国分寺の官度僧が、従者の沙弥にかしずかれてただ学問だけ
しておればよかったにもかかわらず、
わざわざ不自由と危険をおかして原始修験道の山林修に身を投じたのはなぜだろうか。
やはりこれは仏教にはない日本固有の宗教が、彼らを駆り立てて山にのぼらせ、
苦行をさせたのである。これを中国からつたわった神仙術で説明する研究者もあるが、
修験道の神仙術はおそらく二次的なもので、
仏教はそのうえの三次的な付けたりということができよう」
(「山の宗教」五来重) 修験の根本ってのは、現代のクライマーとかトレランマンとか、そういう趣向の奴等によるもんなんだと思うわ
岩があったら登りたいとか、山野を駆け巡りたいとか、そういう願望持った奴等が修験を始めたんだと思う
昔はロッククライミングだとか山登りって文化もなかったからな
宗教をくっつけたのは、なんで山に登るんだ?とか言われた時の言い訳、理由づけのためでしかないと思う 神仏分離は江戸時代からはじまっているのであるが、
当時の人々は幕府の支配体制に組み込まれた仏教思想に洗脳され
生老病死、四苦八苦、地獄、極楽の仏教的迷信に脅えながら
生きていたということを忘れてはならない。
また幕府と幕藩仏教もこの恐怖を利用して民衆を支配していたのである。
この仏教的迷信から人々を解放した行為こそ神仏分離だったのである。 山岳は、もともと神道の縄張りであった。
山そのものが神であると考えるのが神道であり、
各地の霊山には土着の山岳修行者がいた。
もちろん、神道系の修行者である。
奈良時代になって、そこに仏教系の修行者が
加わったのである。
私度僧や聖(ひじり)といった人々が主で、
正式な僧侶ではなかったが、
彼らが山岳で修行して呪力を身につけ、
陀羅尼(だらに)や経文を唱えて、
民間で呪術や祈祷を行ったのである。
役行者も、もともとはこのような人々の
一人であったのだろう。
平安時代になると、最澄と空海がともに
唐から新仏教としての密教を伝えてきた。こ
の密教は特に山岳修行を重視した。
密教僧が山岳修行によって加持祈祷の力
を身につけることは「験(げん)を修める」
と呼ばれ、それを修めた者は
「修験者」「験者(げんざ)」
あるいは「山伏」と呼ばれたのである。
修験道はまさに、「山伏道」なのだ。
神道と仏教 一条真也 より 修行中の坊主がいるので禁を犯して入山する女性は死んでいた。震災や天災で動揺する精神を病んだ女性は災害時山に入って死んでも良かった。 修験って大元は「遊び」だったんじゃないかなと思うわ。
今でいえばレジャーだ。
登山とかクライミングとか「趣味」って概念がなかった時代でも、岩があったら登りたいとか、野山駆け巡りたいとか、そういう願望を持つ人間自体の質は、今も昔も変わらんだろう。
そういう遊び場だからこそ、女人禁制ってことも出てくるわけだ。 修行で感覚が研ぎ澄まされ環境で女が居ると
レイ○事故が起こるから
女性は入ったら行けんヨォだと思ってた 富士山すら江戸時代からなし崩し的に女が登っていたのに? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています