【国学者】本居宣長・平田篤胤・塙保己一
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平田篤胤は明治維新が失敗していたら完全に忘れ去られていたね。
それに復古神道の系譜に勝手に位置付けられて、本居宣長もさぞ黄泉で迷惑がっているだろう。
宣長が尊敬していた契沖もいつの間にか四大人から外されているし。
(二代目の荷田春満が律令制や国史を研究したのに対して、
初代の契沖は文学での業績しかないことが後世で軽視された理由と思われる) また、篤胤の一派が契沖ではなく荷田春満を真の祖とみなした別の理由は、
契沖が結局は高野山の仏僧という異教徒に過ぎなかったのに対して、
荷田春満の方は伏見稲荷神社の禰宜の血統を受け継いでいたためかもしれない。 しきしまのやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざくら花 山田一家ならひとりくらいいてもよさそうですけどね。 >>6-7
島国困ったもんだ
島国までだな
島国終わりだな
島国終わったな
島国は滅びる
島国滅びる中で
島国は世界で一人ぼっち
島国は世界から総スカン
島国のフザケトボケ平気なのを注意すべき 会津と長州「友情」の歌響く 2高校が共同制作し合唱
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY201108050423.html
第35回全国高校総合文化祭福島大会(ふくしま総文、文化庁など主催、朝日新聞社など特別後援)は3日目の5日、
福島市で合唱部門があり、福島県の会津高と山口県の萩高が、共同制作した曲「友情 時を越えて今」を歌った。
会津高のバスが渋滞に巻き込まれて到着が遅れ、合同リハーサルを一度もできないまま本番に。それでも、息の合ったハーモニーで大きな拍手を浴びた。
会津と長州が戦った戊辰戦争以来、両地域の一部には今もわだかまりが残る。「友情」は、そんな歴史を乗り越えようと、
5年前に山口県であった国民文化祭の一環で制作され、会津高が作詞、萩高が作曲。以来、定期演奏会のDVDを交換したり、手紙のやりとりをしたりして、交流を続けてきたという。
歌は「明日を信じ/優しい未来に向かって/飛び立とう さあ」という歌詞で終わる。会津高の金成昌吾部長(18)は
「過去の歴史はあるけれど、僕たちが新しい歴史を築いていこう、という思いで歌った」。萩高の杉山太紀部長(18)は「震災で大会開催も危ぶまれたが、一緒に歌えて本当に良かった」と話した。
秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまは午後に来場し、4団体の演奏を鑑賞した。(神庭亮介)
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY201108050423.html
こいつらより漢学者の岡本黄石や山田方谷のが偉大やな。 平田篤胤のは学問と言うよりオカルト
それを素直に信じちゃ大変なことになる→廃仏毀釈
本居宣長は古代日本語の母音の甲乙を発見した言語学者と言えるな。
幕末から明治維新までの気吹舎
http://freett.com/goranmaru/rekishikokugaku04.htm
「平田篤胤」はペリー来航の10年前にこの世を去る。その後の「気吹舎(いぶきのや)」を支えてゆくのが「鐵胤」、「延胤」
の二人になるのだが時代が騒然としてくる中で、それまでは「神職」や「農民」門弟が多かった「気吹舎」に「武士」の門人が増え始める。
自然と「気吹舎」には全国各地の情報が集まり、いわゆる「勤皇の志士」と呼ばれる人たちへの「情報発信源」となっていった。時代の流れと共に、
「気吹舎」にも「革命思想」が育ってゆく。(写真3)の資料の中にこんな一文がある。
「元弘の頃、一度は王政に復して、また、足利に権奪われたのであるが是は無識の説なり、元弘の時に復古は、上の思召より出来たる事にて、
下万民の心より起こりしに非ず…(中略)然るに今度の王政復古は右とは違い(中略)…下賎より勤王の論起こり、最初は浪士より起こりて藩士に及び、藩士より太夫に至り、太夫より諸侯に及び
…(中略)下万民の心変ぜずば、武家に政道の戻るべき道理にあらず…(後略)」
読んでお分かりの通り、多分に「民衆の力」による革命を意識した文章なのである。
「気吹舎」を訪れた人に中には、水戸国学の大家で、水戸徳川家「徳川斉昭」の懐刀でもあった「藤田東湖」などの高名な学者も含まれている。
また、同国人(薩摩藩士)たちを多く門人として「気吹舎」に送り込んだ「西郷隆盛」自身も、4度「気吹舎」の門をくぐっている事が今回発見された日記から確認されている。
今回の新発見で、私が最も注目したのが、「薩長同盟締結を伝える秘密文書」だった。
1865年(慶応元年)12月26日に京都の池村久兵衛より、中津川村へ伝えられた急報である。中津川村といえば、まさに島崎藤村の小説「夜明け前」の舞台である。
内容は、
「長州の桂小五郎が薩摩の船で京に上がる事。 桂は西郷隆盛と面会する。 西郷は長州と手を結ぶ事を決めている。
長州側でこの事を知っているのは桂小五郎と高杉晋作のみである事。 この情報は、薩摩の黒田清隆からの物である。」
などが書かれている。
今日まで、このような文章は「桂小五郎(木戸孝允)の覚書」のみだと認識されていた。
これは、世紀の大発見ともいえるくらいの資料であると共に、このような「重要機密」で
さえ手に入れる事が出来た「気吹舎」の情報収集能力に驚かされたのである。 >>28
こんなのダメだろ!!フザケトボケ注意!!
塙保己一を大河ドラマに!と思っているのは俺だけか? 賀茂真淵
「外見は普通の人とかなり異なっており、ややもすると
明敏さに欠ける頭の回転の鈍い人とも見受けられそうだった」
素敵なキャラ 本居宣長の屋敷が何故、鈴屋なのかとか。という答えはエロだと聞きました。どういうことでしょうか >>45
本居には妻のほか愛人が三人いて、鈴をならす回数でもって
誰がくるのか決まっていたって、コンビニで売ってる歴史豆知識本に
書いてあったね。 しかしまあ、本居の伝記よんでも、そんな話は
のってないし、風説じゃないか? ヘレンケラーは塙保己一を尊敬していた。だから生誕地に行きたいと願った。
来日したが時間がなく浦和で満足した。「同じ埼玉県っ!」
だから、大河ドラマにしてよ (´・ω・`) 1875年
伊沢修二が渡米。グラハム・ベルのもとで学ぶ一方、ベルに塙保己一の話を吹聴する。(1878年帰国)
1887年
ヘレン・ケラーの両親がグラハム・ベルのもとを訪れ、アン・サリヴァンを紹介される。
またヘレンの母が塙保己一のことを聞いたと思われる。
1937年
ヘレン・ケラー、温故学会を訪問。
面白い歴史だね
埼玉なのが残念
埼玉ってそういうの盛り上げる気なさそうだし 大和心を古事記に求めたことの間違いを気付いた時はもう遅かったみたいだね、宣長さん
古事記伝にえらく時間かかったのも、もう途中でやる気失せてたからなんだろうなあ 本居宣長の思想
簡単に要約するとどうなるの?
本を読んでみてもさっぱりわからん
古文を訳しただけじゃないの >>55
やまと心というものは、中国や外来の思想が入る前にあると考えたが、参考にしたのが古事記なんだ。
論理が無茶苦茶になるのは自明。
最初から破綻しているモノと思って研究するのが良いかと。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
KM3JN 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
UM8 国学には近代日本が道を誤る根本的な原因を感じるのだが >>40
一休さんや親鸞でも大河ドラマは難しいのに。 新元号の出典にもなり万葉集需要が期待されてるけど
これを機に国学が復活したらいいのに
万葉集読み直す前にうひやまぶみを再読してる >>61
それは違う
本来は儒教など
唐土で為政者が作り上げた人間への権力の拘束
これを解き放つための剣であったのだ >>55
好きな女に好きだといい
好きな男に抱いてくれという
そこに親も国も関係ない
そういう思想だ 「日本はずっと中国文化を手本にしてきた」これ言うほどか?
律令制初期(7世紀末)〜平安中期(11世紀)くらいだから500年もなくね? >>68
日本が近代まで和文より漢文を上位とする国だったことも知らないのか
江戸文学では皇族から武士や町人も漢詩を作ったが、
和文は感傷とエロ以外はふざけたパロディばっかりで、公文書やまじめなことは漢文で記した
碑文の大半は漢文で、かなの歌碑なんて何%あるの?
和文で言語学の論文が書けたのなんてそれこそ本居宣長ぐらいだ マナとカナではマナのほうがきれいと言われていたんだ 日本とは何か――日本語の始源の姿を追った国学者たち
今野真二 みすず書房 (2023/5/18)
https://www.am
azon.co.jp/dp/4622095971/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています