【疑問】スレ立てるまでもない質問【日本近代史板】
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これはクーデターを主導した薩摩藩の働きかけがあったと聞きました。
言い換えれば薩摩藩から諸藩へ贈与された形になります。
会津藩は会津戦争で戦った際にもこの御宸翰を正当性の依代にしていましたが
実質薩摩藩からもらった御宸翰を掲げて薩摩藩と戦うというのはあまりに無茶だと思います。
奥羽越列藩同盟の盟主輪王寺宮を利用したほうがマシだとおもうのですが
会津藩内にそのことを指摘するものはいなかったのでしょうか? >>2
薩摩から貰ったからこそ『薩摩ふざけんな!!この二枚舌野郎!!』って非難の意味になるんじゃないの。
「奥羽越列藩同盟の盟主輪王寺宮」なんてのは官軍からすれば賊軍の勝手な言い分で何の意味も無い。 なるほど。明治天皇を擁立している相手から見れば輪王寺宮では大義名分にならないわけですね。 司馬遼太郎の作中では乃木希典が無能になっていますが
実際の日露戦争における乃木の行動はあそこまで悪かったのでしょうか? >>5
司馬はアンチ長州だからその点を差し引く必要あり。
乃木の判断は最善ではないが必ずしも間違いではない。 実際は奥羽越列藩同盟なのになぜ「奥羽列藩同盟」ってよばれるの?
ぶっちゃけ長岡藩が一番活躍したよね? >>7
全国的には越も含めた言い回しのほうが多いが
東北の人は奥羽を強調したがるので略すことが多いってだけ 奥羽越って言うと「奥羽えっ?」って聞こえるからね。 司馬遼太郎は資料に基づいて作品を書いていると聞きました。
なので本当にあった事ばかりかとおもっていましたが
この板を見ているとフィクションも多少あるそうですね。
すっかり信じきってしまっているのでどのあたりがフィクションで
どこが事実か調べたいと思っています。
まとめたサイトもしくは書籍みたいなものがあればご教授ください。 日本人の帰属意識の話ですが、
学生時代に講義で明治半ばに県人会の全面バックアップを受けて東京留学との話を聞いて、
「20数年前まで○○藩の人、との帰属意識だったのに、
明治以降に作られた行政区分による同郷意識ってそんな短期間で生まれるものか?」と思い、
県人として同郷意識ってそんなに強いの?」と質問したら、教授「非常に強い」との答え。
これ以上聞きませんでしたが、なんで短期間で同郷意識が形成されたんでしょうか? 地域によりけりです。県境では今でも県の帰属意識が薄く、隣県の都市に影響されているケースが多々あります。
また当時は長州閥として結束していた山口県も現在では東部は広島志向、西部は福岡志向の県民が増えており、
下関市は度々北九州と越県合併を模索しているほど帰属意識は低下しています。
廃藩置県の1871年から今の構図になる1888年までは明治政府によって県の分割編入統合が試行錯誤しておりますが
その中には地域性が配慮されていないケースも見受けられます。
例えば1876年豊前の小倉県が福岡県に編入された後に下毛郡、中津郡だけが大分県に譲渡編入されていますが
福岡県と大分県に分けられてもなお福岡県豊前市と大分県中津市の結びつきは強く残っています。
また、県境の中津市民は遠い大分県大分市よりもより近い福岡県北九州市のほうに親近感を抱いているそうです。
都道府県の変遷
http://mujina.sakura.ne.jp/history/00/pref/index.html 長州征伐の時の長州藩兵4000ってのは
寡兵で勝ったことを誇示するための嘘くさいんだけど
実際は何人くらい動員していたの? 対外迎撃に出したのが4千であって
領内には他にも駐留部隊とかがいる 明治維新の時になんで簡単に旧武士階級の既得権益をツブせたんでしょうか? 西南戦争を始め不平士族の反乱が何度もあるけど簡単だったのか? >>16
武士の秩禄・金禄なんて有事に動員するための軍備維持費なので
明治以降は実質城下町に住むだけで主君からもらえる生活保護みたいなものになってしまった。
この秩禄は世襲されていたので家禄とも呼ばれ、明治政府の歳出の4割を占める無駄飯食いだった。
武士階級をそのまま軍人としてしまうとこの困った家禄支給制度が引きつがれる恐れがあった。
そこで徴兵制で平民主体の軍を整備することで有事の動員が不要になったことを理由に
家禄にメスを入れ数年分の債券を渡して打ち切りました。
この秩禄処分により実業をもたず生活していた武士階級が困窮しています。
反乱を企てたもの、殿様商売で没落したもの、帰農して屯田兵となったものいろいろいます。 ありがとうございます。もうひとつ質問です。
倒幕時に倒幕すれば幕藩体制崩壊→武士階級消滅と考えなかったんでしょうか?
島津斉彬は倒幕後に雄藩連合政権のトップに立とうとでも思ってたそうですが。 >>19
斉彬の時点ではまだ公武合体だろう。久光じゃないのか? すんません。
初歩的な質問で恥ずかしいんですが。
明治時代以降の「詔勅」って
実際に詔勅が出るまでの流れって、どんな感じなんですか?
議会で野党に攻撃されて、
「今から○日間、議会停止!」とか「衆議院解散」っていう詔勅は
どうして、その日のうちにすぐ出るんですか?
本当に、ちゃんと天皇本人の署名と玉印、もらってるの???
とか思うんですけど。。。 >>22
そう返されてはしょうがないな。倒幕後の未来予想図はそれぞれ自分に都合の良い夢を見ていたであろう。
時代が変わる時というのはそういうものだろう。 他スレでも尋ねてるのですが、素朴な疑問を一つ。
明治政府はもともとロシアからの安全保障の防波堤として朝鮮の近代化や独立を進めて行ったと思うんですが、日露戦争前後の日韓協約から次第に韓国の自主権を奪っていって、最終的には植民地にしてしまいました。
そこで疑問に思ったんですが、何故日本は朝鮮の独立促進から、韓国併合をしようという考えに変わっていったんでしょうか。
正直、日本史の教科書はその辺の事情を詳しく書いてくれないから、あの事実だけ羅列した記述を読むと、完全に、一方的に、日本政府が悪役に見えてしまいます。
せめて、当時の日本・韓国両政府の公式見解や日韓併合に携わった人々の考え、当時の韓国の世情とかも併せて記述してくれれば、何が良くて何がいけなかったのか判断材料になるのに、そういったことはどの教科書にも書かれていません。
>>24
韓国の守旧派はあまりに頑迷で改革派を日本が支援しても何も変わらなかった。
仕舞いには韓国の改革派も日本と合併した方が改革が進むと言い出す始末であった。
『韓日合邦を要求する声明書』でググれ。 牛を食べないのは野蛮人、って明治のころ言って、牛食べるように
推奨したそうですが、誰が言い出しっぺですか
お釈迦様は牛を殺すのはよくない、と言ったんですが
どこの野蛮人が牛を食えといったんですか
天皇以外で 西洋人って日本人がうなぎ食っても、残酷だっていうんです
だから、牛を食うのは野蛮人の証拠だって言いたくて 受験生です
加波山事件のポイントのところで「ロシア虚無党事件の影響→革命党」
とありました
虚無党事件は分かったのですがこの革命党って何ですか?
また何の意味があって書いてあるのでしょうか?
どなたか教えてください ∩_∩
/ \ /\
| (^)=(^) | 人人人人人人人人人人
| ●_● | < かばさんってことだよ >
/ // ///ヽ <言わせんな恥ずかしい>
| 〃 ------ ヾ | YYYYYYYYYYYYYY
\__二__ノ
最近、「日本史」板とは別に「日本近代史」板があることを知りました。「日本史」板の質問スレで9月6日に質問したのですが、
全くレスがつきませんでした。内容的には「日本近代史」板のほうがふさわしいと思ったので、
改めてこちらで質問します。
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ルール違反かと思い日本史板で回答を待ちましたが、
2点質問があります。「日本の歴史(旧版) 21 近代国家の出発 色川大吉」を読んでいると、
内閣制を伊藤博文が創設する際に、
(Q)現存の太政大臣三条実美をどう始末するかという難問があった。
伊藤はここで黒田に赤恥をかかせるような小細工を弄したが、けっきょくは天皇と国の印璽を管
理し、閣外にあって直接天皇に助言する資格をも
つ「内大臣」という新しい職をもうけ、三条をそこに祭りこんだ。(UQ)
とあります。この黒田は黒田清隆のことですが、「赤恥をかかせるような小細工」とは何のことでしょうか?
もう一つは、この黒田清隆の夫人のことですが、憲法発布の式典に出席した「深川小町」こと「タキ夫人」について
説明されているサイトはあるでしょうか。検索しましたが、清夫人ばかりがヒットします。
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以上です。宜しくお願いします。 上の「ルール違反と思い日本史板で回答を待ちましたが。」は消去しわすれました。
無視してください。
「日本史」板で質問したので、「マルチ」かと思ったのですが、9月6日に質問して以来、ひとつもレスがなかったので、
問題はないだろうと判断したわけです。 井上馨「これからの日本の首相は、英語ができなきゃ駄目だよね」
山県有朋「そうだそうだ、そうだから首相は伊藤博文君だ、そうなんだ」 具体的には御前会議における、井上による
「初代総理大臣は赤電報(海外電)が読める人間であるべき」とする意見に山縣が賛同し、
他の参議にも異論がないまま、太政大臣からの横滑りである三条実美ではなく実力派の伊藤博文が初代総理に就任すると
時の政府による合意が形成された、となっております。 質問させてもらいます。
以前、軍板か学問板かは忘れましたが、
日清戦争の前に清から英国大使?を経て朝鮮半島の分割案の提示、
日露戦争の前にロシアから、同じく朝鮮半島の分割案の提示が
あったというレスがありました。
それぞれは事実なのでしょうか?
事実だとしたら、それを調べるヒントを教えていただければ嬉しいです。
宜しくお願いします。
アメリカの対日経済制裁は南部仏印進駐に対する報復制裁措置だったと思うけど、
加藤陽子氏によれば「大部分、ソ連に対するアメリカの援護」
「アメリカが南進に報復したのは、ドイツ戦で苦しいソ連を力づける為」らしいんだけど
ここではどのように解釈をしていますか? 内田百閧フ東京焼盡(日記)を読んでいるのですが、冒頭、昭和十九年の記述に
「警戒警報の警笛が鳴り出したから、畳を上げて庭の防空壕に入ろうとしたら〜」
というものがありました。
ここでなぜ畳を上げる必要があったのでしょう。
その当時、庭を持たない家は畳を上げて床下に壕を掘らねばならなかったようですが、内田氏の家には
庭があり、防空壕も庭にあったと思われます。
どうして畳を上げたのでしょう?
そういう習慣があったのでしょうか?
理由などわかれば教えてください 歴史群像の78号に司馬遼は大嘘つき。
メッケルは関ヶ原の論評なんてやるわけが無い
って書いてあるそうですが、
本当に西軍が勝つと発言してないのですか?
海音寺も司馬遼に騙されてメッケルの関ヶ原判定を評したのですか? 大和なら、調査とかされてるじゃないですか、武蔵も何か動きあるかなと思い ttp://blog.goo.ne.jp/jbc_2007/e/572ecf00864fbbac0a7ffaba71999b84
こんなのもあるけどネタに近い。大和の知名度とは比べるべくも無いからな。 大和を引き上げようと思います。
いくら金を用意すればいいですか?
大和をホテルに改修して
売却しようと思います。
ササビーでいくらで落札されるでしょうか? >>38 口碑の可能性があるので一概にデタラメと却下するのはどうかと思うけどね。
ただ学術上の基礎にするには、近代以降なら信頼できる文書史料が必要になると
いうだけ。個人の日記だとか口碑は取り扱いが難しいね。なにか文書史料ないかと
さがしたけど、ウェブ上で落ちてるようなものにはありませんでした。
日本戦史・関ヶ原あたりにでもちょこっと載っててよさそうだったんだけど無いみたい。 >>44
火薬庫が爆発したおかげで艦首と艦尾はまだしも中央部は原型をとどめてません。 後世において、平成史の中で大きく取り上げられているであろう順番は
どうなっていると思いますか? 大きいと思われる順に並べてください
@阪神大震災
A東日本題震災
B福島原発事故
Cオウム真理教事件
D小泉構造改革
E政権交代
Fリーマンショック
G戦後最長の好景気
Hデフレ・円高不況
I裁判員制度導入
明治前期ぐらいまでの東北の一部の農村では長男・長女以外の子供たちを
生まれてすぐに別に育て奴隷に近い扱いをし、
次男、次女は結婚せずにそのまま一生を過ごす。
と、そんな内容の文章を昔ネットで見たことがあるのですが、
そのような風習は実際にあったのでしょうか? >>50
俺は福島の田舎出身で次男の生まれです。
現在の東北でも、家を継ぐ長男だけは色々物を買い与えて甘やかせる一方で
次男は自力で自立させるために厳しく育てられるという部分は残っています。
地元では家業を継げないと職が無いので都会に出ていかざるをえないのが現状です。
地元に残っている人は貰ってばかりで自立心が弱く、都会に出ている人は揉まれて強くなっています。
蛇足ながら、先日も双葉町の連中が他人におねだりを要求して批判されていましたが
あれも東北の跡取りのみを優遇する育て方のせいなのです。
ずっと地元で食えている人は貰うことに慣れているのでついつい厚かましくなってしまいがちなのです。 >>50 東北だけじゃなくて農家はぜんぶ長子相続だよ。長男だけ。長女は関係ない。
逆に子供らを奴隷にするとかいうのはない。長男が別格なだけであとは平等にみんな
働き手。これを奴隷とか呼ぶのは考え方の問題で、べつに売られたり買われたり
虐待されたりとかいうのは制度ではなく、たんにその家の事情による。
7、8人くらい産んでも、適齢期まで無事なのは4、5人くらいだから相続のさいに
問題になるのは3、4人。適齢の娘で長子に嫁ぐ娘もいれば、また一人減る。
養子に出したり養子をもらったりというのは現在では考えられないくらい多かった。
子沢山の家は、だいたい一人ふたりは近所の親類やら知人やらに養子に行くのが
通常。逆に長子が嫁をもらっても子供ができないとかいう家や、娘ばかりという家も
あんがい普通にあった。宗門人別帳やら明治期の戸籍しらべたかぎりではそんな
かんじやね。そもそも親にせよ寿命がみじかいからサイクルが早い。 江戸時代のころは話がのこっていないので良く分からないけど、明治になってからは新田開発が
どんどん進んでたみたいで、わが家系のばあいは5代前が江戸期の生まれで近隣の他家から
養子にはいってきてわが家系をついでから、子供が7人。うちおとこが3人で、長男以外の2人は分家して
あらたな家を作っている。娘は2人が生まれてすぐに養女に出されて、2人は成人して嫁いでる。
養女に出された2人は・・という可能性もあるが、そのへんはちょっとわからないですね。
明治に入ってからは農地の売買がそうとうやりやすくなったとか、新田開発に制約がすくなくなったとか
そういう点はかなり大きい可能性がありますので、江戸時代からの風習・因習は想像するしかないですね。 >>51>>53>>54
レスありがとうございます。
長子が非常に強く優遇されるのはあるけども、奴隷のような扱いではないんですね。
その文書では
「物心付く前から親と長子と生活空間をわけて育てる風習の地域がある。」
と単なる優遇の差というレベルではなかったんですよね。
都市伝説程度の信頼度として覚えておくことにします。 横溝正史の世界観ですね。家督をつぐのは長子ではなく
次男、三男だという事例もけっこう頻繁にある(長子が養子に
いってしまい、次男、三男にお鉢がまわるパターン)もあるので
やはり各過程や血族の事情という点がおおきいのじゃないでしょうか。 昭和初期、バカ軍人共が暴走を始めたのはアホ政治屋がそれを容認したからですが、そんなアホ政治屋を選挙で選んだのもカス国民でした。
つまり、バカ軍人、アホ政治屋、カス国民が一体となって日本を敗戦へ導いたという認識で間違いありませんか? 長子相続、家父長権、本妻の貞淑義務というのは明治の民法典論争のなかで
なかば理論的に仮構された制度だったので、じっさいの庶民庶家感覚とは
かなり齟齬があったのじゃないでしょうか。だから逆に大正期文学にとって
格好の舞台想定になったのではなかろうか。 >>56(続き) 太宰の「津軽」にも似たような描写がありましたっけ。 >>48
する必要がなかったから。
そもそも正式な軍隊が復活するのを最も恐れていたのは吉田茂。
朝鮮戦争勃発時にマッカーサーに軍を復活させるよう言っても吉田茂は断った。 >>5
乃木はむしろ名将だと思う。他の将軍ならもっと時間かかって、
もっと損害が大きかったかも。乃木は勉強家なので、要塞を落とすには
少しずつ攻略するより他ないということを、第一次総攻撃のあとに気づいた。
乃木を徹底的に批判した、太平洋戦争時の参謀の方が無能が多い。 BS11でいま放送している済衆院なる韓国ドラマで、
日本人たちが
朝鮮は人体実験の天国だ。
とか
電気実験やら薬物実験やらをしてる話を笑顔でしてる日本人が出てますがマジですか?
BS11はNHKの放送だから
公的な放送すると言うことは事実認定してるから
是認放送してると言われないでしょうか?
731は満州でしたよね? 朝鮮人のような平気でウソをつく連中とは関わらないほうがいいよ。
個人レベルで。 指定暴力団の組員のなかにも良い人はいるとか
そんなレベルの話しだから。 五・一五事件と二・二六事件について知りたいのですが、何か良い論評図書、またはwebサイトはないでしょうか?
推薦お願いします。
学生なのか一般なのか分からんので役に立たない回顧譚
澤地久枝は糞 読む価値無し
松本清張は著者が極左だということを踏まえて読むぶんには面白い ベースボールは野球なのに、サッカーは、なぜサッカーなのでしょうか
ゴルフについつは、桂三枝師匠のゴルフ夜明け前で確認しました それはつまり野球は古くから広く親しまれてるけどサッカーはそうでないという違いだ。 紀州藩の明光丸はいろは丸事件の後どうなったんですか? 明治3年に大坂の菱屋宇兵衛外一人に対して売却したとの記録がのこされています
アジ歴・レファレンスコード B11092314500
そのさいに、オランダのb−デイン商会の借入金の担保に入っており、質流れになる
ところだったものを紀伊国屋万蔵と菱屋宇兵衛に売却したものらしいです
アジ歴・レファレンスコード C09090106200
ざっと調べただけなのでくわしくはわかりませんが、明治2年に紀ノ国屋萬蔵らに
貸し出して神戸横浜間を連絡していた6隻の蒸気船(紀萬船)のなかに入っていた
ものが、明治2年11月に西欧蒸気船民有許可を経て、明治3年の引き払いになった
のかもしれません。その後は日本国郵便蒸気会社に統合されますのでそちらに
所属したのかもしれません。
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/book_unu_jpe6_d03_04.html
明治7年の台湾出兵のさいにも明光丸の名は出てきます。
アジ歴・レファレンスコード A03030272100
そのさい政府へまた買い上げられ、のち三菱会社(もと日本国郵便蒸気)に払い下げ
られているようです。このあとは分かりませんでした。 >>73
ありがとうございます! スッキリしました!!!!! 明治時代の舶来品について
その時代に主に輸入されていた物とどういったいきさつで輸入が始まったのか、どこの国と貿易していたのか教えて下さい >>67
遅レスすまん。
調べた。澤地久枝は当事者からかなり批判されとるね。全然、本質、全体像が見えてないのに論評書いちゃった感じ。
しかもNHKが澤地に便乗した(笑) 英米協調と言ったりトラウトマン工作潰してみたり
近衛文麿は結局何がしたかったの? 天皇家の血流をもつヒトラーになりたかった男だろ。
あまやかされたお坊ちゃんだよ。上手くやりたかっただけ。 昭和恐慌前後について興味深い記述がありますね
詳しく読み込んでみます
わざわざありがとう 野球はどうして、あんな短期間で普及したんだ?
ルールも難しいのに >>81
野球が定着して蹴球や籠球が定着しなかったのは大学・高校で盛んになったか否かに尽きる。
当時進学できるほど裕福なエリート層に女子供に敷居が高い競技は非常に受けが良かった。
1872年に伝来したベースボールはじわじわ浸透し、1882年くらいから東大農学部に大学野球部が創部されると
大学で創部ラッシュが続き大学野球の全盛期となる。
余談ながら
1890年には正岡子規に野球という雅号が用いられ、
1894年に東京大野球部員の中馬庚がベースボールを野球と翻訳するようになった。
1915年には甲子園大会の元となる高校(旧制中学)の全国大会が開催される。
1920年ようやくプロ野球リーグが発足する。 私のうろ覚えの記憶を誰か正確に補完して下さいませんか?
@日本併合時代の朝鮮王族に仕えた日本人女性がいたと思うんですが、
彼女は主君(この場合は彼女が仕えた朝鮮王族の事ですが)の身に何かあって責任を感じて自害してますよね、
何で自害したんでしたっけ?経緯が思い出せない。
A日本併合時代の朝鮮王族の扱いについて。
準皇族の扱いだったそうですが、具体的にどんな感じだったんでしょうか。
確か日本に留学したりしていたと思いますが、どういった扱いでしたか?
B姻戚関係について。
日本の皇室から朝鮮王室に嫁いだのは方子女王、朝鮮王室から日本の宗伯爵に嫁いだのは李徳恵。
これ以外にもありましたっけ? 「東郷元帥を偲ぶ」という記録映画をどうしても視聴したいのですが、ネット上で閲覧できるサイトはないのでしょうか?
また自分は北海道在住者なんではしが、北海道内でこの記録映画を公開している施設がありましたら、どうか教えてください 以前、軍事板で質問したのですが
こちらで聞けといわれたのでよろしくお願いします。
「火垂るの墓」を視て思ったのですが
戦争末期から終戦直後の食糧難で
日本国内でどのくらいの人が餓死したのでしょうか?
餓死としての統計はみあたらなかったです。国会議事録によれば昭和21年の3月ころが
食糧事情が逼迫し、各地の駅頭で餓死行旅死亡者がみつかり問題となったとの発言が
ありました。最初に新聞がこの問題をとりあげ、それによりGHQが動き、当該死亡者を
解剖したところやはり餓死だということで、GHQの指令で急遽監察医制度を導入し、東京
大阪など六大都市および福岡で実施することになった、それと平行して米国からの緊急
食料輸入になった云々という記述はありました。実数のご紹介に至らず申し訳ありません。 貴族院・参議院の下條康麿(統計学者)によれば、昭和31年から32年の1年間で全国の
42354戸の農家へのサンプル調査では餓死したものが47名いたそうです。
これは相当な数で、全国の農家数でおしなべれば1年間に14万人が餓死した可能性が
あったということのようです(あくまで推計)。現代の視点で考えるより、農家の事情は
よほど緊迫していたようです。 >86,87さん
お答えいただきありがとうございました。
>>昭和31年から32年の1年間で全国の
これは昭和21年から22年の打ち間違いですか?
打ち間違えでないとしたら、戦争が終わってから10年以上経ち
農地解放や高度経済成長が始まっても
農村地帯はまだまだ厳しかったということなのでしょうか? 質問です
明治時代に存在した文事秘書官という官職があるようなのですが、どのような職務だったのでしょうか?
井上毅などが就任していたようです のちの内大臣秘書官に相当するそうです
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f6-2.pdf
内大臣の職務・権限・助言できる範囲は、憲法学者ですら明確に定義することができないほど、
非常に曖昧かつ抽象的なもので、全ては就任した人物と天皇の信頼関係のみで成立するという
特殊な地位だった、そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%A4%A7%E8%87%A3%E5%BA%9C 今読んでいる本に、
しかし、議院内閣制をとっていない明治憲法のもとで、政党内閣であるということと、「国民的基盤に起つ」ということは、ただちにイコールではないのである。
との記載があるのですが、これはなぜでしょうか?
板違いでしたらすみません。 <<93
回答有難うございます。
天皇が首班含む大臣を任命していても、結果として、首班含む大臣が与党から選出されていれば、やはり民主的基盤があると思うのですが? 大臣は戦後憲法のように国会議員の縛りはないです。
また総理大臣は慣例として全大臣が指名し、後任総理が各大臣を天皇に
推戴することになってました。 議会の多数勢力に配慮しなければ法案も予算も通りませんが、法案については
勅令で対処できましたし、予算については予算案が否決されれば前年度の予算が
そのまま執行される(旧憲71)ので最悪の事態にはならないようになっていました。
もっとも勅令にも予算にも慣例がつきまとってましたので、内閣がそうそう議会を
無視できたわけではないようです >>95、96、97
原敬内閣の下では陸海相、外相以外は衆議院最大派閥である政友会員でした。その選任過程云々は抜きに少なくとも当該内閣は民主的基盤があるといってよいであろうという理解をしていました。
しかし、選任過程に議会以外の民主的基盤とはいい難い天皇や元老などが参画するというシステムであるので、結果として政党内閣であったが、やはり国民の意思によりつくられた内閣ではなく、国民が基盤にたつものではない。
という理解で宜しいでしょうか?
昔の領主は、今の政治家と暴力団の両方の役割を一手に担っていたっていう感じで合ってる? はじめまして。軍事板から誘導されたので、こちらで質問させて頂きます。
島津斉彬が、当時マレー沖海戦を想定していた、という説を見かけたのですが、これって本当なのでしょうか? 何か出典となるものというか、島津自身の著作でこの件を記述している箇所はあるのでしょうか?
http://pathfind.motion.ne.jp/SSamurai/ScienceSamurai_01.html 岩崎弥太郎が藩札を買い占めて成功したって史実ですか?
詳しい方教えてください。
戦前戦争中に日本で旅客機ってあったんかな?
調べても出てこんけど、あれだけの航空技術があったんだからほんの一握りの当時の金持ちは乗ってそう。 自分で調べてもわからないことを聞いてるんだから、
だいたい誰もしらないことばかりなんだろ。アホみたいな
質問にテキトーに回答するOKみたいなのとは違うだけ >>101 みたいな「調べれば誰でもわかる」ようなことは、
じぶんで勝手にカウントしろってことだよ。 オレは過去と現在の因果関係をみたときかな
昔は単純に歴史上のヒーローや戦争史が好きだった 龍馬は暗殺されずに生き延びてたって説をきいたことあんだけど
詳細がほしい 大日本帝国憲法は、
大・日本帝国憲法なんでしょうか?
それとも大日本・帝国憲法なんでしょうか? 戦後すぐの日本の経済状況GDP、GNPなど詳細に
解説されているサイトとかあったら教えてください
1945年の日本と言うのは確かに基礎的な可能性は残っていたけど
その時点では今でいう北朝鮮みたいなどうしょうもないゴミみたいな経済状況だったのでしょうか? 川勝平太は日本が近代化に成功したのは勤勉の精神があったからだと言っている
小室直樹は下級武士が革命を起こして明治政府の役職についたので封建制の悪しき部分が残って
上からの押し付けで近代化ができたといっている
これは対照的な議論ですが、どっちが優勢で学問的な説得力がある? >>120
制度を改革するにあたっては上からの押し付けになったが、西洋の知識や技術を導入するにあたっては
一部の有名人だけではなく、名も無い幾多の人々の勤勉の精神があって初めて可能となった。
矛盾は無い。 >>122 私的ノート。公文書じゃない。日本が米国国務長官の私案をもって最後通牒とみなした
>>123 毎日膨大な公務があるからです。とくに外交関係の公務の都合上、各国大使館のある
東京に居住していることが都合が良いからです。なおオランダの首都は憲法上はアムステルダムですが
国王が居住しているのはハーグであり各国大使館もハーグにあります。正式な帝都以外にも
みやこ(複都)を設定することは東西を問わずよくあることです。 【質問】戦時中の軍人さんの思考がわかる代物、読み物があれば教えて下さい。
出来れば帝国軍一般軍人の日記的なもの、手記的なものであれば嬉しいです。 私の親戚のおじいちゃん(88歳)がかつて近衛師団に所属していて
宮城(皇居)が空襲の被害にあったときその責任を取らされて
部隊ごと富山の伏木に左遷させられたあとそこで終戦を迎えたとか
近衛師団に入ることは当時相当名誉なことで、
入隊するには6親等の犯罪歴を調べられたとか言ってたけど本当? 1936年に226事件が発生。岡田内閣が瓦解すると
それに代わって廣田内閣が組閣される
・・・でその際なぜ現役の軍人である寺田陸軍大将を
陸軍大臣にすえる必要があったのですか?
廣田は内閣として能動的に陸軍皇道派を粛清したかった
↓
しかし統帥権の独立の都合、文官+予備役(元軍人)で構成される内閣では
軍内部の人事に関与することが出来ない
↓
内閣として軍内部の人事に干渉するには軍内部に人事権を持つ人物・・・
現役の軍人を閣僚にすえる必要があった
こういうロジックとみてOKですか?
歴史は事実と状況しか語らないよ。文脈まで確定することはない。統帥権の独立問題というのは
なんだか軍隊の議会や内閣に対する反乱のように語られがちだけれども僕はそうじゃないと考える。
統帥権の独立/俗流統帥権の独立論
http://ww1.m78.com/topix-2/meiji%20constitution.html
廣田内閣に寺内をすえたのは、軍内部を統制するためというより
世論(新聞)と議会をなっとくさせるためという観点がつよかったのじゃ
ないかと僕などはかんがえる。 32年の血盟団事件、515事件、36年の226事件とあって、軍隊内部の
「一部過激分子」が世情を混乱させ、あまつさえ新聞がそれを過剰に演出して世相を
不安にさせている状況で、世論と議会を納得させられる人事といえば、現役の将軍を
軍部大臣に据えるという選択肢しかなかったんじゃないか、という文脈で読みます。
軍はあくまで官僚組織であり、そのなかの「一部過激分子・反乱分子」がテロ(恐怖)を
もって大衆世論を支配してしまった。混乱したのは大衆(および議会)の側であって
軍事組織のほうではない。その混乱した大衆を静めるためにとった措置が36年の
現役武官制の復活だと考えます。 >>129
>>130
>>131
なるほど。政治の表舞台で事件処理を行い
「危ない連中はもういなくなりました。みんな安心してね」って
強く国民にアピールしたいという意図が廣田にはあったと
そこを陸軍につけこまれてしまったと・・・ 西郷吉之助侯爵が「両性愛の人物」とウィキペディアにありますが、
その根拠となる記録ないし証言にはどんなものがあるんですか?
活字になってる作品があったら、その書名も教えて下さい。 書いてないよ。ただの荒らしだろ。ジサクジエンならしりません。 西光万吉について調べています。どこに行ったら資料が多いですか? 久し振りに手にとってみた『天皇裕仁の昭和史』(文庫版ならば、121頁)に、
某皇族の妃殿下が姦通によって長男を産んだが、太平洋戦争がはじまり、空襲に備えて血液型を検査したところ、
その子が夫の殿下の実の子供で無い事実が判明。しかし、大戦のさなかのこと故、殿下はひたすら我慢した、云々
という記述がありました。
これは何という皇族の話なのでしょうか。
ちなみに戦後離婚した李王家の王公族ではないようです。 上官や古年兵に「三八式歩兵銃殿にあやまれ!」と言われて、小隊の初年兵全員ぶん殴られるのは、決して理不尽なイジメではなく、銃の整備を初年兵に教えようとする愛の鞭だったんですか?
ヤフー知恵袋でそう教わったんですが。 銃の分解清掃も満足にできない奴の隣で安心できるかい?
何時暴発するかわからん爆弾だぞその新兵
銃を暴発させた新兵が万一生き残ったらおまえはその新兵を戦場でやさしく介護してやるのか
部隊のお荷物だ たしかに。アメリカ映画なんかじゃ銃をものすごく気安く扱ってるけど、実物をもてば
ものすごく危険なもので、銃弾1発だけで重傷負いかねん危険物だもんね。 江戸時代に採れた金銀は、明治以降〜現在、どこに行ったのですか?
それとも、ほとんど日本国内に残ってるんでしょうか? 正確な統計がないのでくわしくはわかっていません。むしろ研究してください。
なおその当時の主流であった金本位性においては、金本位が具体的にどの
場所に存在しているかそのものは重要ではありません。明治期の日本の為替
金本位は2/3がロンドンにありました。これは金本位は国際決済のさいに現物の
金の受け渡しにより調整することをルールとしていたためですが、毎回の決裁の
さいにわざわざ船積みして何ヶ月もかけて相手国に送金(もじどおり)する手間に
コストをかけるよりは、世界の中心であったロンドンの委託銀行に各国の金塊を
あつめておいて、決済日にロンドンの銀行間で金塊をやりとりすれば都合がよかった
からです。そういう意味では日本の金塊は具体的には大半はロンドンにいき、のち
アメリカに行きました。現在はロッキー山脈のどこかに静かに眠っています。むろん
それは日本銀行と日本政府の所有物です。 >>143
どうも有り難う。勉強してみます。
幸い、金山・銀山とも地元にあるので、郷土史あたりからも
面白い勉強が出来そうです。
金箔が付いてる羊羹を食べたり、
ゴエモンが小判をバラまいたりするのを見る度に
何だか不思議な思いでした。
アホな発想ですが、とてもロマンチックな気分です。 戦時中の議会で東条を弾劾した貴族院議員の名前を教えて下さい。
官僚出身だったと思うのですが・・・
松前重義ではない人物です。 1945年8月15日から12月18日まで、
つまり敗戦後から最初の解散までの衆議院の勢力図はどうなっていたのでしょうか。
翼賛選挙の勢力がそのまま残っていたのでしょうか? 帝国議会は戦後すぐに開いたのが9月4日からの88回臨時国会で2日間だけ
89回臨時国会は11月27日から12月18日までの3週間で、そのあと解散になります。
88回は国会報告だけで89回が戦後処理に関する重要案件の一斉処理で、
議会構成はとうぜんそのままです。公職追放は1946年1月以降で解散中すね。 >>148
ありがとうございます。
戦時中の議会構成のままとは興味深いです。
自分でも調べた中で、古屋哲夫さんの解説ページを見つけました。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/49_88,89gikai/01.html
こちらを読んでより詳しい知識をつけたいと思います。 日本による朝鮮半島や台湾等の支配についてですが、その実施要領について「方針」なり「大綱」なりは定められていたのでしょうか?
たとえば、何年経過後に都道府県や選挙区を設置したり、連隊区を設置して地域の兵団を設置し、(現代の沖縄と同じように)完全な内地化を図る、といったロードマップはあったのでしょうか。 明治初期に学制が整備され、全国に多数の学校が誕生した時から、師範学校卒業生
が安定供給されるようになった時までの間、教師はどこからどうやって供給されたのでしょうか? 明治辺りの話で中国人が日本人に
「日本人は夷狄の服(洋服)などに身を包みアジアの心を忘れてしまったのか。」
といったら日本人が
「夷狄の習俗である辮髪をしている漢人の言うことか?」
と言い返したって話を聞いたことあるんだけど誰と誰の会話だったっけ?
両方とも地位のある人間だったと思うんだけど >>153
森有礼と李鴻章の会話に
李「洋化はいいけど、服まで変えるのおかしくね?」
森「仕事すんのに便利じゃん」
李「先祖が泣くぞ」
森「"仕事がデキる男になれ"って、じっちゃんが言ってたわ
つか、もっと昔の先祖は中国風の服だったわけだが」
李「じゃ、俺らが着てる中国風の服に戻せよ」
森「お前ら、その満服嫌がってたじゃん」
ってのがあったと記憶してる 歴史人物を本として執筆する際想像として、事実と推理を合わせて書いていいのですか? もう少し詳しく致します。蝦夷の歴史に登場する阿弖流為についてまとめてます
資料、歴史本など長年に渡り収集。
蝦夷が朝廷に帰依するまでに至る38年の間に巣伏せの乱で歴史に刻まれています
ただ阿弖流為についての詳細とする資料はどれも同じであるため、以前に登場する伊治公砦麿とを
同一人物と仮定すると蝦夷の断片的な歴史が1つの線に繋がると思っています。
その発想から一冊の本にまとめたいのです。 誰だって自分の考えをまとめて発表する自由は有る。
それを史実であるかのように書かなきゃ良いんじゃない。 蝦夷の歴史に登場する阿弖流為と伊治公砦麿(これはりのきみまろ)を同一人物論と評するのは
本当なのでしょうか これはりのきみまろじゃなくてこれはりのきみあざまろです。
同一人物とする根拠は全く無いです。
絶対に違うと言い切る根拠も無いですが。 貴重な御意見感謝いたします。
確かに多賀城史料館では、砦麻呂と阿弖流為は別人物として記されていました。
これを踏まえて、蝦夷の台頭動乱の歴史をまとめてみます。
有り難うございました 福井地震1948年(昭和23年)6月28日発生
震源は福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近。
福井市を直撃した都市直下型地震。規模はM7.1。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E5%9C%B0%E9%9C%87
もうすぐきますよね? 原発爆発したら、どうすんのよ。 なんで寺内はシベリア出兵で、長い間日本軍を居させたの?
非難くらうだけだったじゃん 一般には寺内の個性や性格から語る論調がおおく、また公文書等からはっきり
した点はわからないみたいですけど、個人的には帝国日本の一貫した外交姿勢
であるところの「条約遵守」「国家継承における条約包括継承」が影響していたの
ではないかとおもいます。革命政権・叛徒政権は前政権の条約を任意に無効に
できるという考え方(白紙の原則)を日本は取らない、ソビエトであっても旧ロシア
が締約した条約上の義務を履行すべきだという主張は日本をシベリアに貼り付けた
のでしょう。むしろアメリカが早々に引き上げたという点がこの時代の日本にとっては
衝撃だったとおもいます。アメリカは議会制で上院の外交方針(ドクトリン)が変更
されれば大統領は旧来の外交慣例をやぶってでも従わざるをえない。 日本のこの姿勢は清から民国に転換した中国でもひきつがれ、泥沼の日中紛争につながりました。
日本はとにかく一度結んだ条約を相手が「不利だから」として一方的に破棄することを極端に攻撃
する外交姿勢があったと思います。 秩禄処分で優遇された売買家禄とはどういうものなのですか? 金禄公債の種類のひとつで、利子10%、年限10年、35.304人に割り当てられた、これは秩禄
処分対象者の11.3%にあたる、(P.126)とある。
金禄公債ってのはようはいまでいう国債であって売買家禄ってのはその国債の券種のひとつ。
従来は毎年の家禄だったのを、いちどかぎりで全額支払うことで家禄制度を廃止した、そのときに
清算金として現金を支払うことができなかったので代わりに国債で清算した、その国債が金禄公債。
その公債には種類があり10円未満(2.2石未満)でもっとも単位額面のちいさな券面が売買家禄、
ということみたいです。石高が少ない者むけなので利率は高め、ということなのでしょうかね。
http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk20-3-3.pdf >>169
回答ありがとうございます
開国したときアメリカと理不尽な条約結ばされたのも関係してそうですね >>155 明治9年ですね。ここに載ってました
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/062/75g.html ある人が「昭和天皇は在任中に中国韓国を訪問して謝罪までしたのに、あいつらは日本を絶対に許さない」と言ってたので
調べてみましたがどうしても見つかりません。何故でしょうか?
2ちゃんねるで聞いたら「お前が馬鹿なのか、探し方が悪いから」と教えてもらえませんでした。
昭和天皇がいつ韓国や中国を訪問して謝罪したのか、年だけでいいので教えてください。お願いします。
ウィキペディアでは削除されていたようです。
俺の記憶では両国ともに訪問を拒否してるんじゃなかろうか。 禁門の変では退却する長州藩士が長州藩邸(中京区河原町通御池上ル)を放火したのが出火元で
北東から南西の風にあおられて京都中に延焼したと言われているけど
この間取りを見ると疑問を抱かずにいられない。
http://iup.2ch-library.com/i/i0690347-1342367870.jpg
妙なことに
北隣の角倉別邸は高瀬川船入を挟んでいるとはいえ無事
南隣の加賀藩邸や船入を挟んだ2件隣の対馬藩邸も無事
東側は鴨川を挟んでいて無事
西側の本能寺は長州藩邸を砲撃した薩摩藩の砲撃により
有名な火伏せの大イチョウを残して諸堂は先に焼け落ちている。
長州藩邸の放火を原因と断定するのは無理がありませんか? 外務省、というより
日本人はどうして
外交、ロビィ活動が下手なんでしょう? 質問よろしいでしょうか。
大日本帝国のことを「皇国」と呼ぶことがありますが、天皇が治めているからそう呼ぶというのであれば、
なぜ最初から「大日本皇国」という国名にならなかったんでしょうか? 太平洋戦争の戦没者追悼式、東日本大震災の犠牲者追悼式をみて思ったのですが、
「日清戦争」、「日露戦争」、「関東大震災」などの国を挙げての追悼式・慰霊祭といったものは、いつ、どんな理由で行われなくなったのでしょうか?
太平洋戦争のどさくさに紛れて自然消滅したりしたのでしょうか? >>180
「大英帝国」の真似をしたのではないでしょうか。
勝手な推測ですが・・・。 >>180
帝国はエンパイアの日本語訳ですが、国名としての皇国は無いからです。
神の国という意味で神州と呼ぶ事もあるけどそういう国名は無い訳です。 >>184
実際どうなってるのか知らないけど、何か問題でも? 皇には字義的に「おおきな」という意味もあるんだよ。「皇国」というのは「大国」という
字義がある。「皇帝」は「大帝」。「皇国の興廃〜」のばあいは「大帝国の興廃〜」の
ニュアンスで問題ないが、「大日本皇国」のばあいは「大日本大国」のニュアンスが
先立ってしまうので「大日本+みかど=神=帝 +国」のほうが字義として安定する そもそも「皇国」と呼ぶ場合は大国は宇宙にひとつしかないので「日本」をさすのがあたりまえだと
いうことになるので「大日本皇国」というのは重言という語感もあったんじゃなかろうかね。「日本」と
よぶなり「大日本」とよぶなり「皇国」と呼ぶなりはあったにせよ「大日本皇国」はなかったと。 ネット (IRC) で今日初めて話した米国人が、
先週死んだ祖父の物から見つけた書き物について聞いてきた。
見るといろん小さい紙にろくに読めない草書で江戸期の有名な作家・画家のことが書いてある。
全部見てさんざ頭を絞った末、何かの鑑定書じゃないの?というと、
本命を出してきた。掛け軸で、馬琴・蜀山人はじめいろんな人が連歌なのかどうなのか
短い詩句を書いて署名し、絵もつけてある。これを最初に出せよ、みたいな。
http://postimage.org/image/unpbppu57/
さて、真贋はここでは無理として、仮にモノホンだったら幾らぐらいのものですか?
スレチだったらすまん。色々探したけど適当なスレはみつからなかった。
知ってたら適当なスレを教えて下さい。 彼の祖父は日本に行ったことはなく、そのまた父は日本に居たそうだ。
また、掛け軸は祖父の部屋に掛けてあり、俺と話しているうちに、
あれと関係するのかもと行って撮影してうpしてきた。
ずっと掛けてあったのでは状態はあまり良くないかもしれない。 urlからは悪質性は感じないけど
なんで専ブラで見れないロダにupするの?
zipなのかソレ? 家からこんなものが発掘されました。
http://iup.2ch-library.com/i/i0738011-1347116864.jpg
然るべきとこに出すべきか、それとも吉田茂マニア的な人に売れたりする?
>>191
彼がうpしたurlをそのまま使ってるんだよ。
いいよもう。
SSS アメックスセンチュリオン
SS ダイナースプレミアム アメックスプラチナ
S JCB the Class 三井住友プラチナ 東京大学卒業生カード
――――――――――――――――――――――――――――
高ステータスの壁
――――――――――――――――――――――――――――
AAA ダイナース シティプラチナ アメックスゴールド 蔵前・如水会カード
AA 銀行系・航空系・JCBゴールド 【アメックスグリーン】 学士会カード
A 一般のゴールド KKRカード 名大・北大カード
――――――――――――――――――――――――――――
ステータスカードの壁
――――――――――――――――――――――――――――
BBB 低価格ゴールド 銀行系・航空系・JCBカード 慶應・早稲田カード
BB 信販系・電鉄系・百貨店系カード ICU・桜友会・上智カード
B 流通系カード SBI・漢方カード 明大・立教カード
――――――――――――――――――――――――――――
人前で使えるカードの壁
――――――――――――――――――――――――――――
楽天カード サラ金系カード デビットカード なんで大川周明はA級戦犯になったんでしょうか?
民間人でインドの研究をして日中戦争に反対してたってイメージがあり、悪いことしたってイメージが無いのですが >>195
カリスマだったから、怖かったわけよ、連合国には。 >>196
レスありがとうございます
なんか理不尽ですね。そりゃ精神障害おこすわ… 右翼だったからだろ?
精神障害は裁判逃れの演技じゃなかったの? 韓国併合時の学校について質問させていただきます。
当時の生徒は日本語強制されており、教室でハングルを使用した場合はその場でライフルで軍人に撃ち殺されたという話を教師から聞きました。
にわかにも信じ難い内容であるため幾つかの文献をあたり確認したのですがそのような記述は無く、教師に聞いてみるととソースを覚えていないと仰っていました。
上記の内容は真実なのでしょうか?
もしご存知な方はできればソース付きでご回答お願いします。
288 名前:可愛い奥様 :2012/09/24(月) 23:52:36.49 ID:HfrX+Bj70
>>285
学校の歴史教科書では戦後史を教えておりません。
戦後レジームとは教育そのものとも言えます。
日教組も、この戦前からの工作員である羽仁五郎と朝鮮人の仲間達で構成されたのです。
戦後社会の教育上層をまさか戦争工作員集団と朝鮮人集団で構成されていたとは、国民の大多数は信じれない
かもしれません。
しかし事実なのです。
犯罪者は証拠隠滅をします。 戦争を引き起こした連中が、二度と戦争を起こさない、平和というスローガンを
掲げて、今も捏造慰安婦や捏造南京大虐殺で飯を食べているのです。
国民の手で、真の悪党を排除しなければいけません。 >>199 誰からそんな話しを聞いたの?学校と教員の名前おしえて。 まず日本帝国下の朝鮮の法体系についていえば、朝鮮は帝国憲法が施行されており
朝鮮人は帝国臣民でした。つぎに朝鮮地区では朝鮮総督が直接行政権を総覧すると
いう形体をとっており、そこで施行される法律は総督府が直接発令して良いとされましたが
刑事罰については懲役1年以下と200円以下の罰金までしか科すことができず(総督府令4条)
それ以上の罪過を問うには内地の法制が必要でした。つまり死刑などの重刑罰を科すには
内地の刑法に従う必要があったわけです。
朝鮮統治時代に朝鮮人がデモや暴動をおこして死刑になった、などということがまことしやかに
言われることがありますが、デモや暴動は治安罰ですのでせいぜい懲役1年以下です。暴動を
鎮圧するために威嚇射撃、制圧射撃をすることはありますが、これは正当行為です。
さて教育の場面で朝鮮人学校で朝鮮語の使用を禁じるということがおこなわれていたかについては
いくつもの証言があり、その中には日本語で日常会話することを求められ、朝鮮語で会話した場合は
罰などと称して掃除当番やらごみ捨て当番なりが当てられたという記録はあります。一方で学校内で
ライフルを持ち歩くことは銃砲火薬類取締法で規制されており、もちあるくためには軍人であれ警察署
への届出が必要でした。むろん司法判決を受けた行政執行でもなければただの殺人罪になるので
朝鮮語を話していたというだけでその生徒を射殺でもすれば懲役3年以上の重刑が科されたことと
思います。 >>201
その質問には回答いたしかねます。
申し訳ございません。
>>202
なるほど。
要するに教室内において罰則と称した殺人行為が行われなかった可能性が非常に高い、いやそれが起こったと考えること自体が阿保であるということですか。
分かりやすいご回答ありがとうございました。 東条英機は長州出身者を毛嫌いしていたのに
岸信介だけはなぜ嫌われなかったのでしょうか? >>204
>>205
東條が嫌っていたのは、長州閥(長州出身者を中心とする陸軍内部の派閥)であって
長州人全般じゃないからでしょ。 太平洋戦争時の応召兵や学徒兵って戦死した場合は恩給貰えたの? 戦傷病者戦没者遺族等援護法、のほうですね。
このあたりはぐぐればいくらでも国の情報があるからご自分でどうぞ。 第二次世界大戦後、GHQが労働基準法及び労働組合法の立法をさせたのは何故でしょうか。
また警察予備隊を作らせた理由も教えてください。 労働法制そのものは第一次大戦後のベルサイユ条約でILOが設立されて
日本も加盟・労働者の権利保護なども進めていた。戦後あえてGHQがとり
あげたのは民生局の主導で、あたかも日本が劣った蛮国で奴隷労働が
おこなわれているのを「開放」したかのようにふるまうためのプロパガンダに
すぎんよ。主眼は戦時体制(大政翼賛、治安維持法制)の解消にあり、
そもそも戦時中であれ労働組合は禁止されていたわけではない。
警察予備隊は朝鮮戦争勃発により、在日米軍が朝鮮半島に出動したから。 漱石「坊っちゃん」に、
『道中をしたら茶代をやるものだ』
戦前はチップの習慣があったのでせうか? 旅館などではあります。心付けとも言います。チップと違って裸で渡すことはしません。
チップは何かしてもらった礼だけど、心付けは担当の仲居さんへの「宜しく頼む」という挨拶です。 最近の日本旅館は枕の下に札を置いておいても受け取らないね 文字通り教科書でいいんならこのへんでいいんじゃない
http://www.ab.auone-net.jp/~tsuka21/modern.html
だいたいの概説書は削り込みが甘いからちゃんと専門書当らないかぎり
大陸での紛争拡大の経緯なんか記述されてないとおもうけど。 「日本軍による満州事変と満州国建国は国際社会から非難された」みたいな
前後も事実関係もめちゃくちゃな評論平気で垂れ流してるレベルがまだまだ
多いからの。 >近現代史を体系的に学ぶのに良い本を教えて下さい
キリスト教の各宗派を一つにまとめて体系化した本を教えてくださいと言っているようなもの 本の宣伝したいんなら、まわりくどいことせず自画自賛・ジサクジエンでもやってろボケ 明治の官僚って、政変や政権交代ごとに権力闘争に巻き込まれて、夏目漱石の舅みたいに
失職するといったことがあったようだけど、それは大正昭和の政党政治の頃にも
続いていたんでしょうか。軍人なら予備役入りというケースが多いようだけど、
文官ではどうだったか教えてくだされ。 明治早期ほど元老・大臣の意向が強く
昭和になってくると組織内の上役の意向が強くなる傾向があります。
猟官制から官僚制への移行とお思いください。
スキャンダルはあまり書きたくないです。 日清戦争後、三国干渉を受けた中、なぜロシアにだけ「臥薪嘗胆」と敵意を持っていたのでしょうか?
個人的な考えでは、他国のドイツやフランスは憲法を作るときに手伝ってくれたから、敵意を向けなかったから、だと思っています >>226
そういうことだったんですね
ありがとうございます うちに戦時中に撮ったと思われる白黒の写真が出てきたんだが、その写真の1枚に手前に積まれた爆弾(?)と奥に膨らましてる途中の飛行船が写った写真がある。
これってどんな部隊だったんだ? >>229
そうかもしれない
手前に爆弾担いで運んでいる列がある >>231
小沢一郎vs武村正義・村山富市 という構図で武村と村山が裏切ったから。 初心者向けの政治史でおすすめの本ある?
WW1〜くらいから読みたいんだけど、古代からのでも大丈夫 白洲次郎〜占領を背負った男〜(上)(下)という文庫本を見かけたのですが、これは買って損なしですか?
Amazonのレビューを見ると、過剰に讚美しすぎているなどの批判もあるので迷っています 白洲の本は松永 安左エ門との絡みを省いたものは読む価値がないよ。
この件が政商白洲の本質を表しているんだから。 週刊誌に書かれてた、幕末期の重要人物の一覧に 姦婦荻野 て人が載ってた。何物
?(名前が意味深…) うちのじいちゃんが第二次世界大戦中海軍だったんだけど役職聞くと
計算兵と言われて
ぐぐっても出てこないわ聞こうにも往生してて確認取れない
何の仕事なのか教えて下さい 文春(1/3 10)に浅田次郎が語る新撰組特集で、
>芹沢鴨を斬ったのは土方、沖田、原田、山南敬助、井上源三郎、藤堂平助ら試衛館
生え抜きの6人。 とあった。
…ん?司馬の 竜馬がゆく には藤堂が出てきた場面(藤堂がわざと竜馬を逃がす)で、
藤堂は北辰で同門だったと説明書きが…。途中で流派変えたのか? 幕末の長州がいまいちわかりません。
まず外国人を排斥する攘夷というスタンス
↓
これに基づいて開国した幕府を批判
↓
八月十八日の政変で親しい公家が追い出されると申し開きの為に上京
↓
薩摩・会津藩兵に妨害されて禁門の変
↓
第一次長州征討&四国連合艦隊下関砲撃事件でフルボッコ
↓
外国人(英国人)の支援を受けて第二次長州征討
↓
倒幕
いつの間にか目的が攘夷から倒幕にすり替わっています。
本来の敵である外国人の支援を受けている時点で開国ですし
元々の攘夷論はどこへ行ったのでしょう?
開国でいいのなら幕府と戦う理由もないし。 黒船で密航を企てた吉田松陰は多分開国でしょう。その後、三条とかの公家にすり寄る為に攘夷になった。
お公家さんは京しか知らないから日本は神国で異国人は鬼畜だと思ってます。
そして攘夷を決行した結果、到底敵わない事実を知って攘夷は諦めて、幕府に取って代わる事を考えて倒幕となります。 理想主義だったのが四国連合艦隊あたりにやられて現実路線に転換して
振り上げたこぶしのやり場に困り幕府に向かっていったわけですね。 孝明天皇のほうがわけわからん。
時代錯誤の攘夷を希望し、長州が暴発するキッカケを作ったくせに攘夷に熱心な長州を疎んじ、
会津に肩入れして公武合体派の八月十八日の政変を肯定し尊皇攘夷運動に水をさした。
第二次長州征伐が失敗して幕府に陰りが見えても廷臣二十二卿列参事件で尊皇派を処罰してる。
無能なくせに口をはさみたがる一番厄介な人間だよな 天皇をないがしろにして偽勅を出す公家と連携したのが嫌われたのだよ。
孝明天皇は攘夷を実行しようとしない幕府にやきもきしつつも、政治の実権は幕府にゆだねる事を希望した。
それが伝統だからだ。それを破ろうと暗躍する長州はうさんくさい奴にしか見えなかった。 孝明天皇の攘夷が本気だったのは大獄まででその後は幕府擁護へとシフトしている。
そもそも孝明天皇の攘夷は当時の五摂家に多い元皇族の年寄りに対するコンプレックス
から来たものに過ぎない。 ・昭和研究会は何を目指していたんですか?
A級戦犯の平沼と対立したのだから太平洋戦争に反対だったのかと思いきや、中国に対する進出には積極的だったようです
彼らは当時の日本の何を問題として、どのように解決しようと思っていた集団だったのでしょうか? 奈良県十津川村では、1889年、十津川大水害により168人が死亡、村落の大部分が壊滅状態になり、
約2500人が北海道へ移住。新十津川村を開拓したそうです。
質問なのですが、
1 なぜ移住先が、近場の奈良県内や近畿・東海地方でなく、九州・四国・中国地方でもなく、北海道なのでしょうか?
2 北海道の中でも新十津川村設置場所を、北海道の別の場所でなく、あの位置にしたのはなぜでしょうか? このころ約1200キロ離れた北海道では、屯田兵制度に続いて明治19年には植民計画が採用され、
全道的な開発が始まろうとしていた。特に樺太経営とロシア南下への防備対策から、石狩平野開拓は
緊急課題であった。
国の方針だったようですよ。 かつて朝鮮や満州に建てられた神社についてですが、「檀君」や「ヌルハチ」なり、現地民族の英雄を祀った神社は建てられたのでしょうか?
なんというか、建国神廟なり朝鮮神宮なり、上記のような人物を祀っていれば、戦後も(形を微妙に変えても)残ったのではないかと思うのですが。 ・江戸幕府
西軍領土出身の人間は国政に関与できなかった
・明治政府
佐幕藩でも華族は貴族院議員に、佐幕藩出身でも国家公務員になれ、投票権も付与された
・東北軍閥
鹿児島・山口出身者は軍学校で尽く排除された
西国が政権を握ると平等なのに
東国が政権を握ると排他的になるのはなぜでしょうか? 朝鮮神社については神道会では壇君を祭るべきだという議論が
有力だったんだけれども、総督府が独立運動と結びついてるという
横槍でうやむやに潰してしまった経緯があったはず。 >>250 遅くなりましたが、ありがとうございます。なるほど。
大変だなあ。 曾祖母の100歳のプレゼントに「大正の懐かしい思い出」をプレゼントしたいのですが、
昔、どっかで、祭囃子や物売りの口上など当時の音声資料についての書き込みを見かけた気がして
アマゾンで検索を掛けましたがそれらしいのは、見つかりませんでした。
何かそれらしいのをご存知の方、ご一報ください。
・・・・・・スレやレスを見ると、ものすごく場違いですね。
もっと相応しい場所とかあったりするのでしょうか
昔の風俗、文化について語り合っているようなスレとか。 国は本気で北方領土が還ってきたら良いと考えてるのですか? 大した質問ではなくて大変恐縮ですが
木戸孝允は高杉晋作のことをどう思っていたのでしょうか
木戸の性格からしてあまり相性が良さそうな感じじゃない二人ですが
板違いでしたら、すいません。 明治政府から東北地方が冷遇されたと聞くけど
具体的には江戸時代と比べてどういった点が改悪されたのでしょうか? 北朝鮮残留日本人、特に戦後の38度線封鎖により残留した日本人
に関する資料は少ないのでしょうか?
軽くggった程度では、帰国者の証言などはありましたが、公的資料があまり見つかりません。
親戚に北朝鮮残留日本人がおり、昭和時代まではやり取りがあったそうですが、
代替わりした日本側の親族があちらの国との関わりを嫌がって連絡を絶ちました。
詳細を知る親族がほとんど亡くなったので、当時の背景だけでも知りたくて調べてます。 >>262
うちの祖父が戦前に朝鮮で駐在警官していたけど釜山に逃げられたのは一握りで
引揚げに遅れた軍人はソ連軍によってシベリアに送られたし
民間人は現地人に殺されたと言ってた 戦前の日本の学校には省庁のお目付役がいたって本当? 日清戦争って、First Sino-Japanese War って英訳でよいのでしょうか?
First ってことは、後の支那事変が Second って意味なのでしょうが、相手になったのは清と中華民国だから違う気がするのですが >>264
視学官という人はいましたよ。トップダウンで地域の教育を視察する人。中央集権色の強い国ではよくある制度。
皇国史観教育が強化されていたときはすごく偉い人だったみたい。
戦後はトップダウンではなくボトムアップの教育が推進されたので、もうほとんどいない。
戦後でも文部省には視学官というボストがまだあったけど、まだあるのかどうか知らない。
今の教員に、視学官と言っても解らない人が大半だと思うけど、フランスとかではまだあるのではないか。
県単位ではほとんど教育主事という役職に置き換わっているけど、視察というよりアドバイザーという位置付け。
実際はいなくても誰も困らない役職。 ttp://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL02100104.do
において、大正9年の国勢調査の、表番号15 「年齢(各歳)及配偶関係別人口−全国 」 を
見ると、発展途上国として典型的な形状の人口ピラミッドの中で、0歳児が突出して多いです。
初回の国勢調査がゆえに、何かしら0歳児としての申告が増え得るだろうかとも
考えたのですが、戦後の調査でも、戦没も多かろうと言う年代でありながら
大正9年時の0歳児の多さは、前後の年に対して抜きんでています。
国レベルで多産になる要因としては、
丙午のような出産を回避しようとする干支の逆バージョン
出征していた妻帯者が戦地から大量に引き揚げ
国家的な慶事(戦勝、皇族の結婚出産、万博や五輪の開催など)にあやかって
等が思い浮かんだのですが、大正7年の皇太子妃内定くらいしか見つけられませんでした。
また、皇太子の御成婚はまだ先の大正13年で、親王や内親王の誕生を期待するには
まだ早く、大正9年の段階で、「あやかり」的な要素を生んだかどうか、、、
ttp://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage2005/
スペイン風邪の流行が前後の年に起きていて、その年の0歳児を多く死亡させた為に
大正9年時の0歳児が相対的に多く見える事もあると思いますが、それ以上に、絶対的に
大正9年時の0歳児は多いです。
大正9年時の0歳児を増加させたのは、小さい子を失った反動から、再び子を持とうとした
既婚者の行動によってのみ生じているのでしょうか? それ以外に、可能性のある要因は
何かあるのでしょうか? WWTによる好景気
WWTによる高騰した物価暴落
↓
大正8年9月頃より 株式・商品市場の投機ブーム激化 土地バブル起こる
この流れでベビーブームに疑問を持たれても困る… >>267 冒頭に貼ったリンクは機能しないようです。
政府統計の総合窓口
ttp://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/eStatTopPortal.do
が、参考にしたサイトです。
>>268
戦争絡みだと、工業製品の特需→好景気 とか、戦勝による国土拡大で国威が上がるとか、
どちらにしてもアジア圏での戦争の方が影響が大きいかと思ってました。
第一次大戦でも好景気があったのですね。主戦場がヨーロッパとの認識だったので
気づきませんでした。御教示有難うございます。
>>269
皇太子妃内定の後、婚約は大正8年だったのですね。それならば、あやかり的な
出産も大正9年には多かったでしょう。勉強になりました。有難うございます。 訂正
WWTによる好景気
WWT終結による高騰した物価暴落
↓
大正8年9月頃より 株式・商品市場の投機ブーム激化 土地バブル起こる 質問です。
もし日本が太平洋戦争初期のミッドウェー海戦前後に米国と講和していたら
その後の日本の領土、民主化、および軍備に関しては
どのような形になっていたと推測されるのでしょうか? 講和の可能性があるとすれば日本が無条件降伏した場合のみ、それ以外は米が絶対認めない
この時期に日本が無条件降伏することはありえないし、仮に無条件降伏なんかしたら、米は天皇制廃止を要求するだろうね
米が早期講和を望む環境としては、スターリン・チャーチルが死亡し、ソ連がドイツに降伏でもしてなきゃ駄目 日本が無条件降伏という線での質問なんじゃないの。
その場合軍部が反発して血の雨が降る。 質問者が無言なのだから
これ以上相手をしても意味なくねぃ? 645 名前:世界@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 22:54:20.89 0
日本史スレでは回答が得られませんでしたのでここで質問させていただきます。
崇徳上皇が「皇を民に、民を皇に」と言いながら死に怨霊となりましたが
今の憲法では主権在民で末期の昭和天皇も今上天皇も含め実権は国民ですが
これはこの崇徳上皇の呪いの成就と言えますか?
646 名前:世界@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 23:02:15.32 0
菅原道真は今でこそ学問の神様として信仰を集めていますが
それ以前は左遷されて怨霊になって御所を襲ったそうですが彼は一体なにをやらかしたのですか?
647 名前:世界@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 23:22:17.27 0
790 名前:日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 19:00:35.19
崇徳上皇が「皇を民に、民を皇に」と言いながら死に怨霊となりましたが
今の憲法では主権在民で末期の昭和天皇も今上天皇も含め実権は国民ですが
これはこの崇徳上皇の呪いの成就と言えますか?
791 名前:日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 19:09:38.80
>>790
実権の無かった天皇の方が歴代で多いくらいですが。
民が皇になったとは言えなくもないですが、皇が民になったと言えるかしら。
792 名前:日本@名無史さん 投稿日:2013/09/18(水) 20:43:13.19
敬語が書けないのは中学生だからなのか
質問の体をした政治喧伝なのか… こんばんわ。
近代史の大きな流れ、情勢がわかる
オススメの本があれば、教えてくださいまし。
(今、幕末は大体把握できてると思ってます)
宜しくお願いしますm(_ _)m。 昭和十年と昭和三十年ってどっちの方が生活しやすかったんですか? 昭和30年って農家で1万人以上の餓死者が出てたんだっけ。30年はまだ戦後だよ。
そこからの10年間でぜんぜん国民の厚生状況がちがう。昭和10年は1935年で
29年からの世界大恐慌のあとの高橋ノミクスで財政出動を猛烈にやってた時代だから
戦前ではいちばん景気回復を実感してた時期。東京に大規模公園がどんどん整備
されたり羽田空港ができたり、各地で灌漑事業やりまくってた時期にあたる。有名な
大分の白水堰堤がつくられたのもこの時期。あまりに公共事業やりすぎてインフレが
加速しはじめたので歳出削減をしようと高橋が梶を切ったのも1935年で、これが軍部の
反発を買って36年の226事件につながる。国民の厚生状況だと35年(昭和10年)のほうが
よっぽど上だと思いますね。 >281
昭和十二年から物資の統制がはじまるがこれが大失敗
ソ連の計画経済と同じで、生活に必要な物資が地下へ消えていくだけだった
昭和三十一年の『経済白書』には「もはや戦後ではない」との有名な言葉があるね
>283はレス乞食か? ん?なんで?55年にようやく戦前のひとりあたり実質GNPを回復したから
「もはや戦後ではない」の記述につながったわけじゃん。わけわかめ。で、
いうように1955年は冷害で農家で1万人以上の餓死者がでたわけ。 ブロック経済下で貿易統制を受け内需主導で稼いでた1935年と、丸焼けに
されて冷害で1万人も死者を出しながら、輸出主導で稼いでた1965年では
よっぽど前者のほうが豊かではないかと考えます。 ちなみに統計上は1942年まで経済成長はつづいていますので
「昭和十二年から物資の統制がはじまるがこれが大失敗」というのも
ただの巷説にもとづく根拠不明の経済史観です ・ABCD包囲網の経済封鎖で国民経済は疲弊した
→うそです。屑鉄・灯油・重油・工作機械などは40年以降にアメリカが輸出制限したが
国民生活に直結する食料・衣料・石炭等は内政化できており国民生活に 直接影響が
出てくるのは制海権を失った43年以降です。
・55年に「もはや戦後ではない」が出たのだから55年のほうが上
→経済白書のいう戦前とは34−36年の平均。そこから42年まで経済成長
しています。 ドルの入手が自由化されたのがたしか80年代になってからなんよね。
それまでは海外から製造機械を輸入しようとおもっても為替割当制だから
経産省に申告してドルと円を交換するための申請が必要だったはず。
「戦後は自由経済」ってのもただのイメージで、戦後もそうとうあとまで
もじどおりの護送船団でやってた 自作自演の281=283が未だ与太話を続けているのか?
貿易為替自由化大綱でggrks 質問です。
日本はなぜペリー来航して、日米和親条約という不平等条約を結んだんですか?
江戸幕府は軍事政権であり、戦ってナンボの政府です。
アメリカの方がテクノロジーが上だから、という冷静な判断が軍事政権、それも
武士道という哲学のある軍事政権が出来たのが不思議です。
テクノロジーが上といっても、火星人が来たレベルではありません。
本土決戦になれば米国が大艦隊を率いて上陸しても、
地の利と兵站、兵士の数的に勝算が十分あったはずです。
アヘン戦争で清が負けた事が判断に効いてるのでしょうか?
(清が負ける位西洋は強い相手→強すぎ) 徳川幕府は軍事政権とは言うが
実際は強烈な事なかれ主義政権だよ
まあ徳川家は戦った場合絶対に勝たなければならないから(負けたら征夷大将軍の大義名分を失う)
そういうデカすぎるリスクを負いたくないっていうのが大きいんだけど ペリーが軍事侵攻を企図していたなら異なる対応もありえたが
ペリーの要求は通商
仮に折衝が失敗し米側が軍事的対応に移行すると日本側には洋上の米軍艦に対抗手段がなかった
詰り軍事的には攻めも攻められもしないのだが
敵性軍艦が洋上通行を妨げたり、沿岸部を好き勝手に砲撃されたら幕府の威信が地に落ち治安が低下する
だから米側の要求を受け入れた 漫画『ブラック・ジャック』を見ると、
明らかに日本と思われる舞台で、ビル爆破だの、身代金目的の誘拐だの、駅の構内での爆弾テロだのやけに物騒な事件が多発していますが、
実際に連載当時はこんなひどい社会状況だったのでしょうか? 特高警察について質問です。
悪役の代名詞みたいなポジションですが、
その悪評の信憑性はどの程度でしょうか。
確かに圧政の象徴のような傲慢な振る舞いを
市民にしていたとして、戦後彼らはどの様な
行動を採ったのでしょうか。
若しくは市民によってリンチ殺害などの報復があったのでしょうか。
特高警察の子孫をテレビ等々で見る事が無いので。 >>296
有力者・有名人のプロフィールで特高出身って書いてるのは皆無だろ?
つまりそういうことだ 日清戦争時 イギリスが早期講和を望んでいたのはなんでですか? 日米和親条約(下田条約)にふくまれていた領事裁判権については、むしろ日本側が望んだ経緯がある。
つまり一見すると妥当な処置にみえる条項(日本人の犯罪は日本の掟で、アメリカ人の犯罪はアメリカの
掟でさばくようにしよう)がいかに重大な問題を孕んでいるかという理解や検討が足りなかったわけ。
これはエジプトやタイや支那なんかでもおんなじだった。 具体的な実施要綱はきめず、さきに文言だけきめちゃうんだよ。
で、あとはやりたい放題になる。奴隷として輸出しても「移民でした」
でおしとおす、麻薬の密売でも「薬用でした」「積載ミスでした」で
おしとおす云々。 単純なことなんですが、教科書や本によって「ジーメンス事件」であったり「シーメンス事件」だったりするんですが、2つの言い方があるのには理由とかあるんですか? 『なお、現代標準ドイツ語での正確な発音は「ジーメンス」、より正確には「ズィーメンス」だが、
日本のここ近年では英語読みに基づく慣用形である「シーメンス」が使われ、日本法人も
「シーメンス」を使用している。』
ユリウス・カエサルとジュリアス・シーザーの違いと同じ。 昭和の「昭」の字は今でこそ常用漢字に指定されてますが
昭和改元以前は使う機会はあったんでしょうか
昭和改元以後は元号にちなんだのか昭(あきら)博昭(ひろあき)昭和町、昭和大学など
人名、自治体名、学校名、企業名に広く使われてますが
昔は一般人に使う機会あったのか疑問です 特定秘密保護法案に関するスレを、ここで見かけけないけど、
歴史学には影響はないってことなの? 照はあっても昭はめずらしいね。昭和初期の国語辞書にも昭から
はじまる語句の紹介は漢籍の引用くらいしかないね。照明の照も
もとは神様や君主、おひさまなんかのてらしだす光だから、照明
という語も「太陽のようにあかるいひかり」という近代以降の用語
でしょうね。難字ではなくてもかなりめずらしい語だったと思う。 >>299 国際法上、中立国には中立「義務」がある。2国間紛争に介入せずとの中立宣言を
おこなったばあい、紛争当事国の両国に対して協力することは敵対行為とみなされるので
軍艦や武装などは販売できない。イギリスほどの当時の大国なら、こっそり協力していても
清や明治日本が敵対行為として報復する、ということはちょっと考えられなかったけれども
中立国のビジネスにとって日清が争うのはあまりこのましい状況ではない。つぎに国際紛争を
調停したくないとおもわない中立国はない。グロティウス曰く戦争とはつねに講和を目的と
して行われるべきであると。調停するにたる実力があり、日清両国に共通の利害をもって
いたから調停に動いたという事でしょう。 >>307
やはり当時は改元で初めて目にする文字だよね
子供の頃から疑問だったよ
なんで明治、大正と常用平易な文字を使ってきたのに「昭」とか
大多数の日本人が生まれて初めて見るような字を元号にしたのか 戦前は漢字に常用体はなくておなじ漢字でも字体がちがったり
筆順がちがうなんてのもふつうにあったんよ。その意味では戦後
かんがえてるような「漢字の書きミス」ってのが厳格じゃなかった。
国語教育における漢字の位置づけも戦後ほどハッキリしていたわけ
じゃなく、たぶん昭って漢字もつかうひとはふつうに使ってただろうと思う。
当用・常用の2000云々ってのは逆に漢字廃止論のなかから作られて
日本における漢字の意義を厳格化させたという皮肉な経緯がある。 下記の話は事実でしょうか?
徳富蘇峰が良いキャラに作られててムカつくけどな。
あいつは日本史を記述するに、
出典がどこにもない宣教師奴隷売買と日本人奴隷の酷い待遇をでっち上げて、
米英白人敵視を過度に煽り日本を敗戦に追い込んだ戦犯だからな。 近代デシタルライブラリーで検索
最近朝鮮事情で検索
1906年荒川五郎著 清水書店を選択。
目次をみて朝鮮人の家屋のページとか読むとウンコネタが出てきて笑えるぞw
他のページには、自転車を見た朝鮮人が全財産はたいて自転車を買って、
これ見よがしに自慢して走り回って虚栄心を満足させていたら、
金が無くて生活出来ず自転車を売る羽目になるほど計画性がないとか、
日本人は治水を考えて森林を保護するが、
頭が悪い朝鮮人は虎退治の為に森林伐採したといい訳してアホ過ぎwとか言ってて、
山林をすべてハゲ山にして河川氾濫を呼び込みウンコが家まで入ってきても平気で、
水に体を浸からせたまま平気でいるとか、
ほんと、朝鮮人に国の運営力が無いのがよくわかるから。 徳富蘇峰は極左思想の松本清張やアレ系の遠藤周作からも歴史家として高い評価が成されているし
>出典がどこにもない宣教師奴隷売買
http://www.nikkeyshimbun.com.br/090409-61colonia.html
古都コルドバ市の歴史古文書館で発見された最初の書類では、一五九六年七月六日、日本人青年が奴隷として、
奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。
その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、
人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されていない。
さらに、『日本移民発祥の地コルドバ』(副題「アルゼンチン・コルドバ州日本人百十年史」、大城徹三、一九九七年、
以下『コルドバ』と略)によれば、日本人青年は一五九七年三月四日付けで、「私は奴隷として売買される謂(い)われはない。
従って自由を要求するものである」と起訴したとある。 どうやら鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』のソース元の記事である
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録ががあり、
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、
獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』
とか、
徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」
欧州の日本女性奴隷が50万
がデッチ上げのウソと言われているそうです。 売ったという話しはいっぱいあっても買ったという話しはほとんど
出てこないんだよな日本のばあい。そもそも奴隷なんてのは
まずしい国からゆたかな場所に移出して奴隷労働させてナンボ
なのに、なぜか日本の場合だけ豊かな日本から東南アジアの
得たいのしれないプランテーションだか中国だかしらないけれども
性奴隷としてのみ大量に輸出されたことになってる。わけわからんw 昨日、八幡製麺所って書かれた麺配送車が走ってるのを見ました!! 戦前の邦画見ると、会社員で女性のタイピストってよく出てくるんだけれど、何をしてたの?
当時、今のように英語が普及していたとは信じられないから
会社の日本語の文書をローマ字で打ってたのだろうか? 戦前の映画なんて限定的にしか見たこと無いから分からないけど
海外との交易会社ならふつうにタイプライター使ってたんでは? 今はほぼ存在しないけど、昔は和文タイプライターってのがあった。
英文式みたいな比較的習得しやすいようなものじゃなくて、専門技能者みたいな人が使う。 >>319
和文タイプといえばグリコ森永事件を思い出すな。あれが、世間で広く「和文タイプ」って言葉が使われた最後だったんじゃないかな 和文タイプってでっかいボードに活字が並んでて、それ一個一個ひろっては
「ガチャ」ってやるやつじゃん。さすがに映画に出てくるヤツとは違うでそ。 大日本帝国時代、日本から外国への移民先・移住・出稼ぎ先として、
アフリカや中東へ行ったとは聞かないのですが、実際ほとんど行かなかったのでしょうか?
なぜアフリカや中東は行き先とはならなかったのでしょうか?
もちろん遠く日本の勢力も及ばず、なじみの無い土地ですが、それだったら南米も同じだと思います。
しかし、南米には相当の日本人が行きましたし。
南米とアフリカ・中東の条件の違いは何でしょうか? 当時の中南米の国々が開拓農民を日本政府経由で募集したから。
募集に応じた人達をまとめて現地に送り込んで開拓させた。
現地の条件が宣伝と違ったので帰国したり(そのことで日本政府を訴えたりとか)、農地を離れて都市部に移ったりした人達もいるけどね。
日本人個人が自分で行き先を決めて渡航したわけじゃないです。(無論そういう人も少数はいたでしょうが) ありがとうございます。そういうことでしたか。納得です。 明日(今日)、はじめて国会図書館に伺います。
憲政資料室というところに史料があると分かったのですが、
童貞でコミュ障の私のような下人が
無事に史料を請求してコピーをゲットすることはできるのでしょうか?
怖くて眠れません。 >>295
漫画『ブラック・ジャック』の連載当時に東アジア反日武装戦線という左翼団体が、
企業爆破事件を起こすなどひどい社会状況だったのは間違いありません。 太平洋戦争開戦時、日本の石油備蓄は1〜2年分しかないと記憶していますが、なぜ
その後4年以上も継戦できたのですか? その間、国内産業もそこそこ機能していて
発電所も稼動していたと察するのですが。
ボルネオ、スマトラからの供給といっても、日本の輸送船は撃沈されまくったと
聞きます。とても需要に追いつかないと思うのですが。 発電は水力が主体、輸送機関は鉄道も海運も石炭がメイン、石油を使うのって、ようやく普及が始まった自動車と、航空機くらいじゃね? 発電は石炭と水力が中心やね。明治大正期は石炭火力でじょじょに水力が
増えて行ったとか 一番燃料を使うのは海軍だけど、そのの海軍でいえば国内への輸送力が足りないようになると
艦船のほうが油田に近い根拠地(タウイタウイとか)に進出して訓練したりしている。
戦況がさらに悪化すると米潜水艦のせいで訓練もできなくなってしょうがないから日本に引き上げているけど。
まあ、始めの1、2年間はほぼ輸送路は安全なのでその期間の国内需要は輸入で足りてたんじゃないの?
その後戦況が悪化すると備蓄を使い出してだんだん逼迫してくるけど。 教えてください。
あるアメリカ人が日本軍の写真としてネットに貼ったものですが、
いつ、何のときの写真でしょうか?
http://i.imgur.com/ZO8Xeus.jpg?3 北洋軍、警察(中華民国or工務局?)、20年代の中華民国軍かあるいは日露戦争期の日本軍か。尋常に撮影
されているところみれば公開処刑を撮影したものだと思うが、殺されてるのが日本人への協力者だったり
日本人(含朝鮮人)の可能性のほうが高そう >>332-333
ありがとうございます。この写真は日本在住のアメリカ人が、
「Attack on Pearl Harbor-72nd Anniversary: Conspiracy Theories Old & New」
というタイトルの動画のサムネイルに使っているものです。
http://www.youtube.com/user/Gimmeaflakeman/videos
おそらく日本軍ではない、日本軍だとしても真珠湾攻撃時とは無関係、
という結論で宜しいでしょうか? 1 大日本帝国時代の日本政府は、外国も含めて「帝国」をどの様な国家体制の国と定義していたのでしょうか?
2 台湾・朝鮮を得る前、発足当初から「王国」でなく「帝国」を名乗ったのは、琉球王国を内包していたからでしょうか?
それとも例え琉球や他の海外領土が無くて、北海道・本州・四国・九州だけでも、
帝(みかど)=天皇を頂く国だから帝国なのでしょうか? 1.公式に「国體」を定義して「建国」されたような政府ではなかったので明晰な定義はありません。
維新政府(薩長)が革命党・前衛党となり革命(維新)を達成し、天皇を中心とした近代国家を建設
したという実態以上の解釈はなかなかむつかしいと思います。国體については明治時代から
創憲時から意見は相違していたし、昭和になっても学説が分裂していた。だから逆に「国體明徴」
声明みたいなものをとうとう出して議論に終止符を打つようなことにまで発展した。
大まかには天皇を主権者とした立憲君主制国であり、万世一系とされる天皇により統治される
立憲国。国土に関する憲法上の規定はなく(これは比較法学上極めて異例)、追加領土とされた
台湾や朝鮮にも及ぶとされるのが通説(ただし反対説もあり)。啓蒙専制君主国ととらえる学説も
ある一方で象徴君主制国であったという学説もあり。
実態としては機務六条協定があったので事実上は象徴君主制国だったのだが、大衆にはそのような
協定の存在は知られていなかったので、当時一般の感覚としては啓蒙専制君主国に近かったと思います。
2.「日本国」「日本帝国」「大日本国」「大日本帝国」はそれぞれ日本を示す慣習上の呼称であり
法制化されたものではありません。法令上の正式国名というものがなくあくまで慣例のものでした。
ちなみに現在ひろく利用されている「日本、にっぽん、にほん」という呼称も慣例上のものであり、
法的根拠のある呼称というわけではありません。 “大韓帝国”と呼称した国も同時代にはあるしゴチャゴチャ考えなくてもよくねぃ?
たんにそういう風潮だったと思われ
メキシコもこの時期帝国を名乗ってたな… ありがとうございます。予想に反して、何かおおらかですね。 米国の軍産複合体の歴史的背景と 議会や国民への影響力について解説願います。
日本で言う族議員との比較として説明して頂けると有難いです ただでさえ過疎板で殆ど質問者もいないスレで世界史板で聞くべき話柄を敢えて問うその性根に感動したからサービスで答えてやるから感謝しろよ!
ゴードン・ウッドによると独立運動によるユートピアや軍隊動員がもたらす資本形成効果からはじまる
これに対してビッカースはウッドは富の継承によって決まる社会階層の持つ影響力を過少評価してきたと批判している
あとは君のオツムや学んでいる環境と相談して勝手にやってくれw >>340
句読点一つもない上、主語不明。よってよく理解できません。
もう一度、文章区切るか別の表現にて説明願います。 俺専門は日本中世史だし馬鹿な子に理解させられる程北米史に詳しいわけじゃないから孫引きしかできないのよゴメンネ 【不買運動】福島県いわき市は男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的組織です
福島県いわき市は女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
「ハダカのおもてなし」の女性専用車両広告
http://www.youtube.com/watch?v=B7f381sHUnQ&feature=channel&list=UL
(音声はJR東日本中央線の駅員による女性専用車両乗車中の男子学生に対する暴言)
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi >>343
おまえがなw わざわざ日付け変わるの待っちゃってw
低脳児まるだしの文章ww予想通りだったけどwww
日本中世史専門?? 怪しいもんだwwwwwwwwwwwwwwwww 明治初期に置かれた、鎮台って旅団とどう違うの?
wikiだと機動性が云々ってあったけど、具体的に何がどうだったか書かれてなくて。 皇道派が財閥から敵対視されたのは、簡単に言えば共産主義者と同じで金儲けの邪魔になるからということですよね? 白瀬矗が、武官結婚条例に反対して予備役なったと聞きましたがいくつか質問があります。
・将官、佐官も金を納めねばいけなかったのか。
・その金は誰もしくはどこに収めるのか。その後その金はどうなるのか。
・海軍の場合はどうなのか。
・この条例が廃止になったのはいつか。
よろしくお願いします。 大日本帝国における内閣について。
内閣総理大臣は国務大臣の首班ではあるものの対等な地位とされ、国務大臣(各省大臣)に対する
指揮監督権や任免権もないため、明文上の権限は強くなかったそうです。
なぜ、そのような制度にしたのでしょうか?
なぜ、総理大臣に書く大臣の指揮監督権・任命権を与えて、権限を強くしておかなかったのでしょうか? >>350
財閥は統制派皇道派どころか民間右翼にも距離をとっていたが(例外的に
2.26のフィクサーである久原房之助がいるが)ただ北一輝が財閥から資金提供を受け
富裕な暮らしをしていた。
>>352
それどころか内閣は天皇の「輔弼」でしかなく責任を負うわけでもないから
権限自体が弱かった。内閣が担当するのは「国務」であり、軍部への「統帥」
はなかった。首相どころか組閣自体元老の推薦を必要としたように民主的とは
とても言えなかったのが本質的な淵源なのだろうけども。。このことで戦前で問題化したのは
皮肉にも中国との戦争が泥沼化が確定し戦時体制を築くために強力な集権体制が必要になった時点であった。
近衛文麿を中心とする翼賛運動は内閣、議会による国務と統帥の統合を目指したのが
所期の目的であり、主導権を軍部や企画院に奪われファシズム国家につながった。 第二次大隈内閣はもうどうにもならないから長老を引っ張ってきたというイメージですが
現在の政界で例えると誰に該当しますか? 細川、森、小泉といった悪い意味で有名な元首相だろうな。 >>349
>明治初期に置かれた、鎮台って旅団とどう違うの?
>wikiだと機動性が云々ってあったけど、具体的に何がどうだったか書かれてなくて。
比較するなら、鎮台と師団のような気がしますが、なぜに旅団?
まあ、昔の歴史群像の記事に簡単な説明があったのを見つけたので、遅レスします。
師団の持つ特長(最小の戦略単位)は、
1.中に諸兵科(歩兵・騎兵・砲兵など)を持つ。(諸兵科連合部隊)
2.独自に展開できる後方支援能力(兵站)を持つ。
これによって、師団独自で作戦行動が取れる。
鎮台には、その能力がない。
具体的には、6鎮台の中で、騎兵は東京だけ、砲兵は4鎮台のみ、輸送任務の輜重兵は東京・大阪2鎮台しか持ってない。
持っていても、戦力にならない数だけだったりします。
ちなみに東京は総数約7400人に対して、輜重兵152人、大阪は約7000人に対して、なんと35人しかいない。
創設当時の日本の師団と比べると、東京でも10分の1以下の比率ですね、多分。
つまり、鎮台は歩兵連隊や歩兵旅団としては使えるけど、師団と同じことはできない。
(だから、質問にそのまま答えると「鎮台と旅団は単なる名称の違い」ってことになります)
例えば鎮台単独で国外に派遣されても、
騎兵がいないから偵察や逃げる敵の追撃ができず、砲兵・工兵がいないから陣地にいる敵には歯が立たず、
輜重兵がいないから、後方から輸送できないので、手持ちの武器・弾薬でしか戦えないのです。 >>357
師団には編制基準(同時記に複数の基準があることもある)があるんだけど、
その基準に合わない編制の、師団に所属せず軍などの直轄の独立部隊の呼称ってところですかね。
独立混成旅団でググッたら、Yahoo知恵袋がヒットして、かなり詳しい説明がありました。 >>350
話が逆だ。皇道派が財閥を敵対視したのだ。
皇道派は、天皇親政によって社会主義実現を目指した。
つまり財閥は皇道派にとって邪魔だったのです。
>>352
元老は内閣総理大臣の暴走を警戒していたからです。
内閣総理大臣が陸軍大臣・海軍大臣に対して
指揮監督権や任免権を持つならば、それは
天皇大権を侵す権力を持つことと同じです。
また内閣は枢密院にも牽制されていました。
そういう風に二重の牽制機構によって
元老は内閣総理大臣の独裁によって
日本が戦争に巻き込まれる事態を防止しようとした。
ところが総理大臣がテロリストの凶弾で斃れるような
時代になると、もう総理大臣を引き受ける政治家は
いないし、制度的枠組みでは到底、暴走を防ぎきれなくなってしまった。 メディカルサイト歯科相模原.日吉サンテラス歯科.藤沢なのはな内科 スマイル歯科.亀有 リリオ歯科.八王子 アクロスみなみの歯科.足立 ハート歯科新宿くろさか歯科熊本ファミリー歯科伊勢原桜台歯科森林公園滑川モール歯科横浜いちょう歯科.小田原めぐみ歯科ホワイトスタイ >>359
皇道派の社会主義とソビエトの社会主義は天皇がトップであるかどうかの違いだけですか? >>353
wikiに三井財閥は、血盟団事件の後、北一輝に半年ごとに一万円渡して青年将校の動向を探っていたとありますが、
事件の前には資金提供は一切なかったのでしょうか? >>361
そんなに単純でもない。いろんな点で極端に違っています。
皇道派の思想は、天皇親政によって社会主義政策を実現するという方法論。
ソビエト・ボルシェビキの思想は、暴力革命によって資本家階級を打倒し労働者独裁を実現する
という方法論。
前者はテロという手段で資本家を殺せば社会主義を実現できると考えていて、非常に空想的なのに
対して、後者は階級闘争で資本家階級を打倒するという、より現実的な方法論です。
前者が政策実現を目標にしていたのに対して、後者は労働者独裁を目標にしていた。
前者がひとりよがりの小児病なのに対して、後者は組織的・理論的でもあった。
前者が英雄主義・冒険主義なのに対して、後者は謀略的・闘争的でもあった。 我が国の会計年度が4月始まり3月終わりである理由を調べていたら、
ウィキペディアの会計年度の項で
「・・・会計年度の始期・終期を変更しようとする議論は、実際に変更がなされた以外にも明治時代か
ら何度も提起されているが、いずれも見送られている。1972年(昭和47年)には当時の田中角
栄首相が会計年度の暦年制移行をうったえたが、結局、大蔵省(当時)などの反対により暦年制への
移行は実施されなかった。・・・」
の一文を見つけました。しかし、理由は分かりませんでした。
質問なのですが、
1 明治以来、会計年度の変更が何度も提起されたが、見送られた理由、
2 特に大蔵省が反対した理由は何でしょうか?
もちろんいったん確定・定着した制度を変更するのは面倒くさいでしょうが、明治初期はそれこそ会計年度時期を
何度も変更していますし。 >>363
皇道派の思想的背景になった北一輝ははっきりと共産主義を否定しているからな。
さらに付言すると皇道派の社会主義というのは当時の農村の貧困を解消するためのものではなく
統制派の目的である総力戦体制の構築同様、戦時体制につながる産業の統制が目的だよ。
日本の軍部による天皇制ファシズムは前者、テロという手段で政党政治を潰し、無産政党が
「ヒトラーのごとく、スターリンのごとく」と軍部を激励したように後者の手段(厚生省の創設のように国民福祉
という看板を掲げた)で戦時体制構築に成功した。 家の蔵から民間組織のだけど、満州事変についてのスクラップ集が出て来よった…これは寄贈とか考えた方が良いだろうか… 大山巌が鳥羽伏見の戦いで耳を撃たれた、って聞いたんたけど
晩年の写真みてもそうは思えないんだけど。
この話は本当なの? すみません、日露戦争に関するもので質問なのですが、
ロシア軍の捕虜になった日本兵が、ロシアに移送されて、
そこの収容所で論文を執筆したそうです。
そして、世界中から「日本は一兵卒ですら、論文が書けるのか」と驚かれたそうです。
そこで、質問なのですが、
その日本兵は誰で、どのような論文を書いたのでしょうか?
そして、その論文に対して、どのような評価がされましたか。 現天皇陛下は昭和天皇を戦争責任の件で叱責したそうですが、
これは事実ですか?
もし事実だとしたら、戦後の一側面を象徴しているような気がします。 何に書いてあるとか、TVで誰某がそう言っていたとか、明確なソースはないんだろ、それ。
信じたければ信じればいいんじゃねぃ? >>370
その話は、どこで聞いたのですか?
「日本は一兵卒ですら、論文が書けるのか」つーより、「捕虜にそんな研究環境や通信の自由を与えるロシアすげー」ってなると思いますが。
脳内研究じゃ論文とはいえない(理系なら実験・観察がいるし、文系でも文献資料が手元に必要だろうし)からなあ。 >>373
ブログとかで散見されていました。
ただ、出典とか具体的な内容がなかったので、真偽を確認していたところです。
都市伝説なら、都市伝説でどこから出てきたのか気になりますが。
捕虜収容所の体験をもとに書かれたものでしたら、
ドイツのユダヤ人収容所で心理学者が書いた、『夜と霧』があります。
これは、亡くなるユダヤ人と生き残るユダヤ人を比較検証したものです。
また、出版までは時間がありますが、捕虜収容所で取材して書かれた本として、
『バルチック艦隊の最後』(邦訳タイトル)があります。
捕虜収容所とは関係ないのですが、
純粋理論の研究で、距離と土地利用を理論的にモデル化した『孤立国』があります。
なので、捕虜相手に対談するのがベースだったり、純粋理論系なら可能なのかなと思いました。
数学の場合、論証に文献資料は関係ないですね。 『アーロン収容所』には、イギリス人は計算ができないとか豪州兵は十以上を数えられないといった話や
大卒なのに士官ではなく兵士だったので学歴詐称を疑われたとか
文集を書きたいと提案したら所長が「読み書きできるのが一人でもいるのか、いるなら手を挙げろ」と言われ
全員が手を挙げたので所長が信じず一人一人の日本兵に読み書きのテストをしたとか、いくらでもでてくるけど、
そういう話と混同してんじゃねぃ? >>375
「射影幾何学」はフランス将校ボンスレ(1788-1867)がロシアで
捕虜になってる間に研究したものとか読んだ。(吹浦忠正『捕虜の文明史』) スターリンが2000万人を粛清したということがよくいわれるが、これは大祖国戦争のロシア側の犠牲者が
2000万人ということと混同しているのではないか? >>379
人命軽視の戦術で大勢死んだのを粛清って言ってるんじゃね?
ウクライナなんて相当酷い。何年生まれだったか忘れたけど、その年に生まれた男性の8割が戦死したって年があったと思う。
ウクライナの力を削ぐためにわざとやってるんじゃないかっていうくらいのレベル 開拓使官有物払下げ事件がよくわかりません。いくつか質問します
・黒田清隆と五代友厚はどのように悪いんですか
・伊藤博文はなぜこの事件で大隈を罷免できたのですか
・伊藤が薩長政権を確立したかったのはなぜですか
・伊藤と大隈が対立していたのはなぜですか。またいつ頃からですか? 第二次世界大戦について初歩的な質問をさせてください。
当時の日本は国全体が戦争に向かっていったと言うような流れだったと聞いております。
国民自体が負けることのない戦争と言うような錯覚に落ちっていたのではないか?
またマスコミのミスリードに乗ってしまったんじゃないか?
国を戦争に向かわせた大きな原動力とは何だったのですか?
また、戦争に反対していたにもかかわらず命を落とした戦没者は気の毒でなりませんが、
戦争を支持する右側の人たちについては全く同情できません。
戦争体験者たちが悲劇を伝える語り部となっておりますが、
その悲劇を生み出したのは語り部たち自身じゃないのか?そういう疑問を持っております。
また、戦後の諸問題についても未だに解決していない事案が多いです。
若い世代に戦後処理をさせ・謝罪をさせ・国同士の対立もさせている事に後ろめたさは
ないのでしょうか?
僕自身に右や左のイデオロギーはなくフラットです。
当時の国全体が戦争に向かっていったのならば、
当時の国民の大半が戦争責任を負うべきではないでしょうか? >>384
当時の国民が戦争責任を負うべきって、具体的にどうしろって意味? >>385
今現在、大半の方は他界されていますし、
存命の方も高齢で何もできません。
ですので正確に言えば責任を負ってほしかったと言うことです。
僕の個人的感情で
「当時の日本人が起こした戦争の処理を何故今の国民が背負わなければならないのか。」
と言う不満があります。
もうひとつは戦争の恐怖を語って「二度と同じ過ちを繰り返さないように」と戦争体験を語っておられる
ご老人がいますが、当時戦争を支持した国民の一人として自業自得なんじゃないかと思います。
今の日本人はそれ程愚かではありません。上から目線で語るのはやめてもらいたいし、
得意げに戦時中の苦しみを語るなら、慰安婦・南京大虐殺・基地問題・領土問題これらの
問題解決できちんと筋道ぐらいは作っておいてほしかったし、自分たちの責任で海外に対して
何も言えない国になってしまったことを恥じてほしいし今の国民に詫びてほしいです。
また事実かどうか分からない慰安婦や南京大虐殺について「それは嘘だ」「それは事実だ」と声を上げることぐらいできるでしょ?
真実に近づくために明確に答えてほしいと思っています。 30代後半で漫画家になろうとしている童貞ひきこもりなバカを発見
足立区に住んでいるそうだ。
http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html 私たちの将校は、「日本が戦争をおこしたことは申しわけないことであった」という意味の事を言った。
英軍中尉はひじょうにきっとした態度をとって答えた。
「君は奴隷か。奴隷だったのか」
楽天家らしい彼が、きゅうにいずまいを正すような形をとったので。私ははっとした。
「我々は我々の祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。
君たちは主人の命令だから悪いと思っていて戦ったのか。負けたから勝者の御機嫌をとるのか。
そういう人は奴隷である」
騎士道英国『アーロン収容所』 >>384
>当時の国民の大半が戦争責任を負うべきではないでしょうか?
現代の感覚だとそうだと思うけど、戦前は違います。国民は支配される側で、主権者じゃないから。
成年男子にしか選挙・被選挙権はないし、選挙で勝利して衆議院で多数派になっても
総理大臣になって政権を取れるわけではない。天皇が(重臣・元老の推薦や選挙結果を参考に)決めるもの。
総理大臣は、各省庁の大臣の任免権はないから、強力な指導力もない。
軍部も建前は軍政・軍令にしか権限がないから国の方針をあれこれ勝手に決めたわけではない。
(まあ、政府方針を破って戦場を拡大したり、満州事変を起こしたりはしたけど)
一応、それら国のトップクラスの人で、責任が重いと判断された人は東京裁判で裁かれた。
(当時の内閣・軍のトップが全て裁かれたわけではない)
じゃあ天皇が責任者なのかというと、これも微妙で天皇自身は政策とかの具体的な政治には口出ししないのが基本スタンス。
終戦の決断だけは例外だけど、あれも重臣会議で意見が対立して議長の「天皇にまかせます」という意見に皆が賛成したから
初めて意見を述べたかたち。
そのうえ、米ソ対立(冷戦)・朝鮮戦争の勃発などで、戦犯の追及や官職追放などもうやむやになった。
当時の国民の中で、いわゆる左の人は、戦争責任を取るべき人は他人(戦前の指導層)で、その取り方は不十分、
いわゆる右の人は、そもそも日本は戦争責任を取らされるようなことはしていないって思っているんじゃないかな。 >成年男子にしか選挙・被選挙権はないし、選挙で勝利して衆議院で多数派になっても総理大臣になって政権を取れるわけではない。
意味不明つーか、独り善がりな青年の主張をしている自覚がない
>天皇が(重臣・元老の推薦や選挙結果を参考に)決めるもの
民族学校の教科書にはそう書いてあるのか?
>総理大臣は、各省庁の大臣の任免権はないから、強力な指導力もない。
389的には強力な指導力があればそれならそれで批判するんだろう
ようは、日帝が憎い、の一言で纏めればいいじゃん。頭が悪いから長文になるのかw
>軍部も建前は軍政・軍令にしか権限がないから国の方針をあれこれ勝手に決めたわけではない
なんで知識の全く無い事柄にそこまで断定口調でものが言える?
>一応、それら国のトップクラスの人で、責任が重いと判断された人は東京裁判で裁かれた。(当時の内閣・軍のトップが全て裁かれたわけではない)
最早持論(妄想)に整合性すらない。自分で文章を書いたのではなくてwebで検索した特亜系文章を片っ端からコピペしましたって感じ…
若しくは、統合失調症かのどちらか、これまで書いたことを自分で否定してどうすんだorz >>.390
批判するのは自由だけど、批判されている内容が具体的じゃなくて、意味不明。
・選挙について
戦後は、憲法で衆議院の多数派トップ(大抵は第一党、村山政権とか別ね)が総理大臣になるよう決められているが、
戦前はそうではない。「憲政の常道」は一時期の慣習にすぎない。
>>390は戦前の総理大臣が、憲法でどう定義されて、実際にどうやって人選されるか言ってみて。
中間の指摘は具体的な指摘がないのでとりあえずスルー
>一応、それら国のトップクラスの人で、責任が重いと判断された人は東京裁判で裁かれた。(当時の内閣・軍のトップが全て裁かれたわけではない)
何が’自分で否定している’のか判らないけど。
満州事変や支那事変時代も含めて、総理とか大臣・軍トップ(参謀総長とか総軍司令官とか)が全員責任取らされたわけじゃない。
有罪・無罪の基準は勝者である連合国が勝手に決めたってことを言っているだけだが。
そもそも元の質問内容理解している? どうせ自分の書きたいことだけ書いて都合の悪いことには一切答えないタイプだろうから、何を間違っているかなんか指摘しても無駄だろ?
自衛権のニュース以降、基本的な知識が皆無な馬鹿の書き込みがやたら増えたけど、夏休み前でこれなのだからこの先二ヶ月のことを思うとうんざりする
>具体的な指摘
>>当時の国民の大半が戦争責任を負うべきではないでしょうか?
>現代の感覚だとそうだと思うけど、戦前は違います。国民は支配される側で、主権者じゃないから。
>成年男子にしか選挙・被選挙権はないし、選挙で勝利して衆議院で多数派になっても
>総理大臣になって政権を取れるわけではない。天皇が(重臣・元老の推薦や選挙結果を参考に)決めるもの。
読み手が補足しないと何が書いてあるのか理解できない悪文だが、フツウに読めば総理の任命は天皇が主体的決定すると読める
>389には帝国憲法下の天皇の役割についての変遷が全く指摘されていないが、本人は質問が太平洋戦争なのだから戦争直前の事柄だけでよいのだと答えるだろう
専門教育を受けていないので論述の作法を知らないうえに、専門書や学術論文を一度も読んでいないために書き方を知らないと自分で認めているようなもの
素人がwebで読みかじった雑文を好き勝手に摘み食いするのは回答者としての資格がない。389は質問への回答という形式をとらずに言いたい事は自分のブログで書けばいい
慣例的には天皇不親政として、天皇は拒否権を行使できず、上奏された事項について疑問や不審の點があれば御下問を繰り返して暗に御内意を傳へることしか許されないとされている
>389は天皇が主体的に決めるというのであれば、戦争や226のような軍事指揮ではなく、天皇が主体的に首相を決定したとする具体例や行政に容喙した例をあげるべきだが、
むろん素人にコ・ノ問のみへの端的でまともな回答なんか期待していない
>389にできることは自分の妄想思い込みを長々と演説することだけなのだから。 どこに質問をしたら良いのかわからないので、ここで質問させて貰います。
戦後、 徳田球一が世に発表した「人民に訴う」の全文を読める書籍かサイトってないでしょうか? >>384
一億総懺悔、東久邇乙。
責任を持とうとしないものに権力をあずけてはいけない。 >>384
その通りだと思うね。
カダフィ政権やムバラク政権のような強権でさえも国民が抵抗すれば潰れることを考えると、国民の広範な支持が
なければましてや戦争の遂行など不可能でしょう。 >>392
>慣例的には天皇不親政として、天皇は拒否権を行使できず、上奏された事項について疑問や不審の點があれば御下問を繰り返して暗に御内意を傳へることしか許されない
おまえこの部分このサイトからコピペしただろw
http://kokutaigoji.com/books/kokutaigojisouron_3/3-3-9-06_sigentekiyukoron.html 西日本で部落問題がいまだ解決されずタブーなのって
終戦後地域の実力者有力者小金持ち等の本来率先して社会国家の義務を果たすべき「偉い」人たちが
陰に陽に自分の身内だけ徴兵逃れしててさせてて
愚連隊気取った地域の貧民層部落民被差別層で兵役果たした社会階層に
足元見透かされて脅されてるのを
社会全体の多数派の貧富が極端じゃない兵役義務果たした階層に見て見ぬふりで
ざまあ見ろ感情の方が卓越してたぐらいでこれまた見透かされてた
のが戦後こじれまくって地域に残ってるからなの?
東日本だと社会階層問わず同じ戦友として平等観念がむしろ戦争で高まったのに? 同じ殺すか殺されるかひとごろしの経験をした仲間同士兵役経験者同士で脅したり脅されたりの関係って成立するんですか? >>399
成立する。
「ゆきゆきて神軍」をみよ。 部落民も一般平民も同じ兵隊になって同じ軍隊の釜の飯食って「人殺し」に従事したわけじゃないですか?
内地に戻ってきて戦友同士でヤクザ稼業と一般人とでなんて馬鹿らしい関係になりますか? 旧日本海軍は潜水空母を開発していたけど、これって色物兵器かなと思う。
潜水艦は隠密性が武器であるけれども、帰還した航空機を収納するために浮上しなければならないから、
隠密性の意味がなくなる。
また、航空機は目立つので、飛んで行った方向から、潜水空母の位置が推定される。
位置が予測できたら、駆逐艦を送れば、ほぼ潜水空母は身動きが取れなくなる。
なので、特攻機的な運用しかできないのかなと思ってしまった。 潜水艦の形状をみれば明らかなのだが
WWUの頃の潜水艦は洋上航行が原則
非常時に水没できるということにすぎない
常時潜りっぱなしになるのは涙滴型・葉巻型が登場してから ディーゼルエンジンは酸素が必要だから、潜水時はバッテリー駆動だしなぁ。
潜りっぱなしになるのは原子力になってからでしょ。 >>404
>駆逐艦を送れば、ほぼ潜水空母は身動きが取れなくなる。
魚雷で逆に攻撃する事も出来るんだよ。 >>405
長く潜っていられないということは、敵に補足されたら一貫の終わりでは?
洋上航海が前提だとしても、船体のある程度沈ませることができるから、
その分背が低くなって、敵から補足されにくいかなと思うのですが。
>>408
それでも、全体的にみて不利なのでは?
理由は速度が駆逐艦の方があるから、真上からの爆雷攻撃に脆い。
また、駆逐艦と潜水艦では動員できる艦数で、駆逐艦の方が多い。
最後に、駆逐艦は魚雷を受けても、沈没するまで時間がかかるから、船員は助かるけど、
潜水艦は爆雷を受けると、そこから浸水して鉄の棺桶状態。 最初から自分の思い込みを他人に押し付けたいなら質問スレに書き込むなよ紛らわしいから…
>長く潜っていられないということは、敵に補足されたら一貫の終わりでは?
洋上艦と潜水艦双方の人員・艦の総合的な能力次第、じゃんけんじゃないんだから一方が他方に必ず勝つと断言なんかできない
>洋上航海が前提だとしても、船体のある程度沈ませることができるから
できるできないで言えばできるが意味がない。船の形状から流体力学・バッテリに至るまで懇切丁寧に説明しても聞く耳もたないんだろ、君?
>その分背が低くなって、敵から補足されにくいかな
航空機を追いかけられる水上艦とかたかだか数Mの優位性とか、最初に結論ありきで理屈を強引に結びつけ他人に同意を求められてもなぁ
君がそう信じるならそれでいいんじゃねぃ誰も困らない >>408
潜りっぱなしじゃないのは潜水空母じゃない通常型の潜水艦も同じなので、あなたの言う通りだったら
潜水艦は駆逐艦に駆逐されて存在しない事になる。 >>411
実際にばたばたと、日本の潜水艦はアメリカ艦隊にやられたよ。
その要因として、駆逐艦のソナーに引っかかりやすく、かつ爆雷攻撃に脆い点があった。
対艦戦を想定して、艦隊と随伴させて潜水艦を運用したけど、駆逐艦の群れによって守られた空母や戦艦を突破するのは、
運用上、不可能に近く、いたずらに戦力を消耗するだけだった。
それに対して、アメリカ軍は潜水艦を単独運用させて、守りの薄い輸送船団や、駆逐艦から離れた戦艦などを
ヒットアンドアウェイで、すぐ海域を抜ける戦法でないと、
おそらく現代でも、潜水艦が生還するのは難しいのではと思われる。 別に米艦隊にばたばたとやられたのは潜水艦だけじゃねぃしw
日米の戦力が伯仲していたときには日本の潜水艦は大物喰いを何度もなしとげているのに対して
米潜水艦の大型艦への主な戦果は優勢になってから
これは米海軍が、前線からの欠陥兵器として指摘されている魚雷を、外洋で実験せずプールでは問題なく作動するからという理由で、
前線部隊の技量不足を後方に押し付けていると見做し当初は全く取り合わなかったから
ちなみにこの頃の米海軍は後の大本営発表よろしく、過大な戦果報告と被害の過少発表が目立っていたりする
まぁ何所の国でも同じようなことをやっているなと苦笑いすべき話柄だが…
あと、そもそも潜水艦は非武装艦を攻撃主体とすべきだが、ドイツほどには割り切れない中途半端な戦力しか保有できない日本海軍が
潜水艦を戦闘艦艇に向けざるをえないのはやむを得ない
ドイツのようにウルフパック戦術を多用すれば異なる結果も有り得たが、広い太平洋が作戦海域である日本海軍はドイツに比べ艦艇が大きくなり隠密性を犠牲にしている
建艦能力で圧倒できる米海軍とは最初から同じ土俵には立てない
それと、米の対潜水艦能力の向上はイギリスの技術援助と戦術指導が大きい
戦略ミサイル潜水艦は核ミサイルのプラットホームにすぎないから生還できるかどうかは問題ではない
攻撃型潜水艦は核魚雷を撃ちまくれば生存率は大きくなる罠 言葉尻突っついているから、話ずれてしまった。
潜水艦は、船速でも上回り、かつソナーと爆雷で武装され、数も多くて連携する駆逐艦との相性が悪すぎる。
そのため、ヒットアンドアウェイでないと生存が望めない船種である。
潜水空母は航空機の帰還を待つと、ヒットはできてもアウェイができない。
だから、実際に潜水空母を運用すると、
ベテランパイロットを乗せた航空機を見捨てて逃げる形になるのではということ。
航空機の弱点は、パイロットの練度に作用されすぎ、そのパイロットを養成するのに時間がかかりすぎること。
そのパイロットを見殺しにすることが前提の兵器は、問題ではないのかなと。
そのため、潜水空母は現在なく、その発想はミサイル搭載艦に継承されたのではと。 >潜水空母は現在なく、その発想はミサイル搭載艦に継承されたのではと。
ではじゃなくて、それは去年か一昨年にCSで放送された潜水空母の番組で指摘されていたこと
他人の言葉と自分の考えの区別もできないのか
自宅の風呂や学校のプールが想像力の限界だというのならそれでいいんじゃねぃ
何か決定的な勘違いをしているようだが、巡潜乙型にせよ、伊号第四〇〇潜水艦にせよ、搭載機はフロート付きで着艦ではなく着水ね
都合が悪ければ離れた水域で難を避ければすむ話
航空機の行動半径と水上艦の行動半径、大洋の広さ、全てを理解できない子供の着想だといいかげん気付いてくれ 戦前の昭和天皇の位置づけが非常に難しいです
戦前の昭和天皇は現人神として国民の前に君臨されていましたが、
それは国民をまとめる上での役割でもありました
口の悪い人は「天皇はお飾り、権力者たちの操り人形」とか
「優秀な官僚は天皇が実権を持たないお飾りだと知っている」
とか言います
しかし、張作霖爆殺の件で昭和天皇から叱責された田中首相は
総辞職の上、まもなく失意の中で亡くなりました
こういうエピソードを聞くと、昭和天皇はただのお飾りではないし、
権力者の操り人形とも思えません(現職の首相となれば権力者の上位でしょう)
昭和天皇も田中首相が失意の中亡くなったことをずっと気にされていたようで、
その後政治家に強く当たることはなくなったと言います
みなさんは戦前における昭和天皇(明治天皇や大正天皇も含め)の実際の位置づけを
どのようにお考えですか?
また、お飾りや権力者の操り人形という指摘についてはどう思われますか? 「アンケート募集」 は、やるだけ無駄
統計的には、日本の人口1.2億を母集団として、
無作為抽出しまくって、有効回答が1000件以上ないと、
意味がない
過疎板のここでは10件も集まらないだろ
場所柄、ネトウヨめいたバイアスもかかるからなおさらだ
おまけに、前段12行は誘導バイアスをかけまくりで、
最初から「こういう回答を寄せてください」と宣言しているに等しい、
「ご意見募集」のさいに、もっともやってはいけない行為 >>417
操り人形でないということであれば、ヒロヒトには敗戦の責任がありますね。 >>418
別にバイアスをかけたつもりはないし、こういう回答を下さいなんて宣言はしていない
俺が聞きたいのは、
「みなさんは戦前における昭和天皇(明治天皇や大正天皇も含め)の実際の位置づけを
どのようにお考えですか?
また、お飾りや権力者の操り人形という指摘についてはどう思われますか? 」
この部分だけ
肯定意見でも反論でもいい
この部分に関してどう思うかってこと
>>419
戦争責任の有無まで考えていません
ただ、上記の部分に関してどういう意見なのか聞きたいだけ 昭和天皇は公家出身の西園寺公望に厳しく叱責されたことがあるみたいだね
絶対的権威者ではないし、お飾りでもない ネトウヨなんて言葉でバイアスかけまくりの件
自分で「レッテル付けで何かを理解した気になれる低学歴です」と宣言しているようなものじゃないかw
自分の頭の中にしか存在しないものであり普遍的に知られていないことを無条件で他人に押し付ける
「意見陳述」のさいに、もっともやってはいけない行為
国語の偏差値が低く、作文・読書感想文が苦手な奴に多い あんだけ空襲喰らっててもまだ多くが日本は勝つって信じてたってのが信じられません。
馬鹿なの?
嘘なの? 大和王権〜平成まで国家の断絶はないとされていますが、もしどこかの時点で
国家の断絶(それに近いもの)があったと仮定するなら、どの時点だったと思いますか? >>425
すくなくとも「皇統」はどこかで断絶してる。 >>417
非常に強い影響力を持っていたけど明示された権力として行使したことは2.26事件の時だけ。
決定に影響を与えるような言葉も基本的には自制してる。 君主の直系男子の系統が絶えることが国家の断絶という考え自体が、世界に共通の考えでもない。
ヨーロッパだと、従兄弟だの又従兄弟が継いだら王朝が替わったと考える国もある。
天皇位の継承に拘らず、国家の断絶なら、承久の乱、南北朝の合一(足利義満の権力確立)
徳川幕府の禁中並公家諸法度制定、明治維新あたりで、その前の国家は実質的に断絶したと思うけど。
名目上は続いているけど。
皇統だって、伏見宮家自体が律令制度に則ればイレギュラー(本来なら5代経ったら臣籍に下るルールのはず)なんで、
その系統が継いだ時点で断絶のはず。あくまで建前論です。 >>425
それはやはり敗戦によるGHQの占領統治だろうね
あれが日本国最大の危機だった 確かにアメリカ様は原子爆弾で日本人を害虫のように殺しました。
しかし日本政府は、自国民を「一銭五厘」と呼び、虫ケラのように玉砕特攻集団自決を強要しました。
そして戦後、マッカーサー様がやってきて、全く考えられないことに、虫ケラどもに「人権」というものを授け賜ったのです。
さらに財閥解体や農地解放などで、バカな戦争をおっぱじめた日本支配層をやっつけ、
「戦後民主主義」という、この上もなく心地よいものを下し置かれたのです。
その上朝鮮戦争なども始めて下さり、日本は復興することができました。
日本がその後、高度経済成長を遂げ、経済大国となる礎を築いた英雄であらせられたのです。
なので日本人は、マッカーサー様やカーチス・ルメイ様のご厚恩に終生報いるために犬でなければならないのです。
戦後民主主義はそれまでの日本政府の統治に比べて、はるかによかったのですから。 >>421
>>昭和天皇は公家出身の西園寺公望に厳しく叱責されたことがあるみたいだね
これってよく言われるけど、厳しい叱責ってどの程度のことなんだろ?
苦言を呈するとか嗜めるとか諌めるっていうのとはレベルが違うんだよな? 日本の現役首相で最初に外国に訪問したのってSF講和条約の吉田でいいのでしょうか?
あと併合以降で国内であるはずの朝鮮や台湾に訪問した朝鮮総督府や軍関係以外の
皇族、現役閣僚って誰がいますか?
逆にほとんど行かなかったのはなぜですか? 日本史を語る上で、この2択であればどちらの方がより最重要項目であると考えられますか?
@明治維新
A太平洋戦争 >>433
どちらも国会開設やサンフランシスコ条約による本当の意味での歴史の転換に比べたら
何の価値もない。2つとも滅ぼされた側(今の日本とは無関係な連中だよ。)から見れば最重要であることだけは確かだが。 どちらもアメリカのお蔭で起きたことだということは指摘できる。 田中角栄は首相失脚後も政界に影響力を及ぼし、院政を敷いたと言われてます
そうであるなら、同じように首相失脚後も政界に影響力を及ぼし続け、
「政界のドン」「キングメーカー」と呼ばれている森喜朗は現在進行形で
院政を敷いていると言えるのですか? >>436
田中角栄が影のドンとか言われたのは、彼が一言言えば田中派が結束して行動し、
その結果反対派を圧倒して、総裁(総理大臣)が決まるような体制・党内情勢が当時の自民党だったから。
現在は、派閥自体が流動的でそんな締め付けはできないし、国会議員だけじゃなくて地方票も総裁選挙に関係する。
特定の人が、ドンとか呼ばれるような体制じゃないですね。
森さんは、安倍総理の元親分みたいなものなので、総理に遠慮せず、苦言を呈したりできる立場、
ということはあるかもしれない。 (世界情勢も絡むので世界史なのか日本史なのか迷うのですが、)
戦前の日本は、石油輸入のほとんどを米国産に頼っていたそうです。
なぜ米国製石油が大半を占めていたのでしょうか?
東南アジアや、中東の油田も当時すでに発見されていたようなので不思議に思いました。 広島にある「過ちは繰り返しませぬから」っていうのは誰が誰に対して言うべき言葉なんでしょう? >>441
後でどうとでも言えるように、そういう言葉遣いになってる >>440
安かったんじゃないの。少し前のレアメタルみたいに他も有るけど中国産が安いからって
それに頼ってると輸出停止喰らって酷い目に遭わされる。 >>441
英米が戦没者に対して言うべき言葉と思うが、彼らがそれを認める日はおそらく来ない。 >440
米国の原油も質が悪いけどバタビアの原油は更に悪い
あと原油精製にはそれなりの技術が必要で、現在の韓国は自国で精製するより遥かに多い精製済み石油を日本経由で仕入れている ヒロヒトがフォードの工場あたりを視察していれば戦争など仕掛けなかったでしょうね。 寧ろフォード工場の非人間性に激怒なされて義憤に囚われるかもな ヒロヒトはどうしてアメリカの視察をしなかったんだろうね 戦前は日本国民の前にも出ることはなかったんだから、外国視察なんてもってのほかだったのでは?
それに開戦派は絶対に妨害しただろうしな。 形式上は陸海軍の大元帥で開戦を止められるのだから、あんまり天皇に知恵をつけられると困る連中がたくさんいたんだろう。 戦前の人たちは欧米と対等になることを望んでいたのか。
今とはえらい違いだな。 >>439
どうもありがとうございました
森さんは力持ってるだろうけど、「政界のドン」「キングメーカー」と
呼ぶのは少し大袈裟だってことですね 小泉が首相時代にすら軽くあしらわれた森
その森が現在の安倍にどんな力があるの? >>453
「乾涸びたチーズ」の件は森と小泉の策略だった事が判っている。 >>453
首相が少ない休み中のゴルフに、わざわざ誘う程度の力はある。
本当に力がないなら、わざわざ誘わないでしょ。
単なるゴルフ仲間とか考えるの? 森が小泉に軽くあしらわれたと聞いて「チーズ」ってw
田原がやらせだとばらしてたじゃねぃか、リアルタイムではなくネットで調べただけじゃググって出てきた情報の確度なんか分からないんだろうが
マキコを外務大臣に入閣させた時だバカ
うわー凄い!一緒にゴルフへ行けたら力があるんだ(棒読み
確かに、メンツを見たら誰も彼も政治的な力のあるメンツばかりだな〜(棒読み 誰か小泉が野中を蹴落とした件について解説して下さい 安倍さんは8月15日に靖国神社に玉串を奉納しました
その際の肩書きは内閣総理大臣ではなく、自民党総裁だったとのことです
内閣総理大臣では国のトップというニュアンスが強いので避けたとの説が
ありますが、日本では「与党第一党のトップ=内閣総理大臣」であり、
与党第一党の自民党総裁=内閣総理大臣ということであり、ほとんど意味が
ない気がします
肩書きが内閣総理大臣か自民党総裁か、この違いは他にどんな意味があるのでしょうか? 日にちをずらして靖国参拝とか、そういう姑息なのも良くないね。 明治の元勲として近代国家日本を導いた伊藤博文、山県有朋は高名であり、
彼らの業績は日本史に燦然と輝いています
一方、一部では彼らは松下村塾では格下であり、格上で優秀だった高杉晋作、
桂小五郎、久坂玄端らが早死にした為にお鉢が回ってきたという意見もあります
歴史にifはありませんが、もし高杉、桂、久坂、松陰らが伊藤、山県らと
同じくらい長生きしていたら、伊藤、山県以上の事績をあげたでしょうか?
同時に伊藤、山県らは先輩達の影に隠れてあまり活躍はできなかったでしょうか? >>458
野中氏を蹴落としたのは事実上米国だと聞いた 文章の書き方について質問です。
戦中戦前の文章では、今では平仮名で書く部分が全部片仮名で書かれていますよね?
ススメ ススメ ヘイタイ ススメ
みたいな。今の教科書なら
すすめ すすめ へいたい すすめ
と書くはずです。
後、日本軍の通信記録や作戦書類みたいなものも、片仮名と漢字だらけです。
敗戦後に、横書きの書き進む方向を左から右へと、英語と同じ方向に変えた(変えさせられた?)のは有名なので知ってますが、
平仮名と片仮名の役割は何処で変わったのでしょうか? >>465
実は役割は大きくは変わってない。
明治時代の新聞は基本は漢字ひらがな混じり文です。
ただし戦前はカタカナ表記を正規表記としていたため
国語教科書やら公文書についてはカタカナ表記でした。
国語教科書については戦後すぐ、昭和22年頃からひらがな表記に変わっています。
戦後に行われた一連の国語改革の中で一般的なひらがな表記に統一したんでしょう。
日本国憲法原文や天皇の人間宣言についてもひらがなになってますね。 466は不正確でした。
昔からひらがな表記が口語体、カタカナ表記は文語体という表記習慣があり
単に口語体に統一する過程でカタカナ表記が使われなくなっただけですね。 >>463
位自体はありますね。
有名人だと、中曽根元首相の大勲位とか。
公務員が多いですが、経済とか文化とか国家に功績があった人が貰うもので、
亡くなったり現役を退いた後に、名誉として貰うような感じです。
そういう人が身近にいれば、証明書(位記)を見せて貰えるかも。
律令制の位階とは、ちょっと意味合いが違ってますけど。
昔の位階は、あるポスト「官職)に就けますよって資格(本来はその人個人の能力、実際は家柄など)みたいな意味なので。 想像になってしまいますが、>>461も是非一言お願いします >>468
何をもって正しかったというのか、その基準にもよるが、私は開国自体は正しかったと思う
鎖国を続けていたとしても、開国要求の外圧はますます激しくなり、どこかの段階で開国していなければ、
日本は英国かロシアかアメリカに侵略されることになったろう 戦前はレーダーが無かったのに、どんな勢力の台風がどこに発生たとか、
どこにあってどちらに進んでるとか、室戸半島に上陸したとかどうやって認知したのですか? 確かに開国は英断だったかもしれない。おそらく侵略されていたよね。 >>469
位階や勲章って公務員や議員出身者が多い印象があるんですが、
国家や文化への貢献という趣旨であるなら、ノーベル賞や
各国のいろんな賞の受賞者、オリンピックのメダリスト、
そういう人らも勲章や位階を与えられているのでしょうか? 攘夷なんてやってたらインディアンみたいにされてたかな。 >>479
明治政府と大正政府は攘夷を実現したことになる >>475
>位階や勲章って公務員や議員出身者が多い印象があるんですが、
>国家や文化への貢献という趣旨
そういう人に多いのは確かだけど、建前としてはそのポストに就いたこと自体が国家対しての貢献が顕著だからって理由、
だから、基本的に同じポストの人は同じランクの位階や勲章を貰う。
小学校校長経験者が無くなったら○○とかね。
文化勲章とか褒章も同じだね、いくつかの業界が回り持ちで貰ってたりする。
うちの親戚だと、県内業界団体のトップとか、功績あげた警察官の人が貰っている。
ノーベル賞受賞者なんかは、その数年後くらいに文化勲章とか何らかの栄誉を賜ることが多い。
あと、位階は多分日本国民だけ(外国人や皇族は除く)だけど、
勲章はそれらの人も貰う。国賓で来た大国の首脳とか。
最高ランクの勲章は、天皇だけが持つやつ。 >>481
詳しい解説ありがとうございました
さらに細かいこと聞くのですがご存知ならお願いします
名誉、栄誉の序列はどうなってるんですか?
従一位とかの上位の位階、
旭日大褒章とかの上位の勲章
国民栄誉賞
人間国宝に認定
園遊会御招待
外国の賞だけどノーベル賞 >>461
>高杉晋作、 桂小五郎、久坂玄端らが早死にした為に
>お鉢が回ってきたという意見もあります
>もし高杉、桂、久坂、松陰らが伊藤、山県らと 同じくらい長生きしていたら
>伊藤、山県らは先輩達の影に隠れてあまり活躍はできなかったでしょうか?
山県は知らんけど
伊藤は高杉、 桂、久坂らが生きてる時から、イギリスに留学してる
伊藤は高杉と桂が生きてる時から、馬関戦争の和平で活躍している
それと桂は松下村塾とちがう >>482
wikiに叙位の一覧出てるよ。
上位は個人名まで出てるから大雑把に全体を把握するにはちょうどいい。 皇居の見学ってなかなか取れないな。
ツアーで組み込んでるところが多いのか? 岩倉具視、後藤象二郎、大久保利通、木戸孝允は、
戊辰戦争時に、どこで何をしてたのでしょうか?
前線に出てたのでしょうか? 明治時代以前は頻繁に改元されていましたが、改元された理由は
色々あるのですか? >>487
日本史板のほうが、ふさわしいと思いますが。
理由はいろいろです。
・天皇が替わった(昔は退位して太上天皇(上皇)になることも多いので、天皇が亡くなったとは限らない)
・おめでたいことがあった(奈良の大仏を作るための銅が産出したので和銅とか、白い亀が獲れたので白亀とか)
・逆に災害などよくない事が多いので、人心一新の目的で
・権力者が、自分の勢力誇示のため、朝廷(改元は朝廷の仕事)にせまって とか。
元号が君主一代ずっと同じということが普通になったのは、中国でも明時代からだから、
頻繁に改元することのほうが歴史的には長いです。 長州再征に、
会津藩、尾張藩、鳥取藩、対馬藩、庄内藩、一橋家、佐賀藩、水戸藩、
松前藩、越前藩、土佐藩、宇和島藩は参戦してますか?
参戦してないのなら、その理由は何なんですか 薩摩藩いがいで、長州再征不参戦の理由がわかりません
官軍に参加しないのは不敬といわれなかったのですか? 各藩の動静とか知らないけど、
江戸時代のルールとしては、他国の領地への出兵は幕府の許可がないとダメ。
つまり、参加しなさいと言われないと、したくても出来ない。
参加命令がないなら、不参加でも非難されるいわれはない。
島原の乱のとき、肥後細川家は天草の対岸に軍勢を集めて待機していて、
家臣の中から、三宅藤兵衛さん(寺沢家の天草責任者で、細川家の縁者)と、細川家は特別な関係、
苦戦中なんで助けましょうって意見がでたけど、首脳部は却下した。
で、幕府の命令があって初めて細川家は出兵したけど、そのとき三宅藤兵衛は戦死していた。 >>491
返事ありがとうございます
>>489の藩には幕命がなかったということでしょうか?
>>489の藩が参戦してるかを知りたいのです
幕命あった藩と幕命なかった藩てわかりますか?
参戦してない薩摩藩には幕命あったように記憶してるんですが
それと長州再征のころは、
朝廷も国事に関して幕府諸藩へ命令を出すことができたらしいですよ 文明開花期に武士や没落貴族が起業して、失敗したとか成功したとかいうのをまとめたスレとか、本とかありませんか?
特定個人で、こいつはこうやって成功した、というのはよく目にするのですが、そういう成功事例も失敗事例もまとめてあるものはあまり見ないのです。
経済板で聞いた方がいいですかね? 慶応4年1月15日(1868年2月8日)、列国公使に、詔勅をもって
「幕府が結んだ条約に弊害もあるので改正したい」旨の声明を発したらしいのですが、
当時の新政府は、
治外法権・関税・片務的最恵国待遇・の不平等性に気づいてたんでしょうか? 最初に、治外法権・関税・片務的最恵国待遇・の不平等性に気づいたのは、
いつなんでしょうか?誰なんでしょうか?(日本人で) 誰と言われても困るなw
条約を結んだ幕府も不平等性には気がついてたから。
アヘン戦争の経緯や結果を幕府は全部知ってて交渉に臨んでる。
南京条約とそれによる通商条約が日本に提示された条件の叩き台になってることも分かってた。 幕府の誰がいつ3つの不平等性を指摘したんでしょうか?
こちらが調べた限りでは、
・「領事裁判について全く理解しておらず、むしろ日本側は進んで歓迎したと、ハリスはいってる」
・「当時日本側に関税自主権という概念がなかったといわれてる」
・「最恵国待遇についてハリスは双務的を提案したのに幕府側から断ったといわれてる」
なんですけど、違うのでしょうか? >>496
幕府の誰がいつ3つの不平等性を指摘したんでしょうか?
こちらが調べた限りでは、
・「領事裁判について全く理解しておらず、むしろ日本側は進んで歓迎したと、ハリスはいってる」
・「当時日本側に関税自主権という概念がなかったといわれてる」
・「最恵国待遇についてハリスは双務的を提案したのに幕府側から断ったといわれてる」
なんですけど、違うのでしょうか? 幕末の海軍で質問です
幕府や諸藩の船員はどんな軍装だったのでしょう?
洋服なのか和服なのか
靴なのか草履なのか
帯刀してたのか
帽子や頭髪はどうだったのか
身分や部署で差異があったのか
誰かわかりますか? 流れきってすみません。
日本が植民地にならなかった理由でいくつか要因があげられますが、
注目されていない要因として、日本の治安が良かったというのはありますか?
植民地が形成される理由として、居留民の安全という名目で軍隊が駐屯しますが、
日本のような治安がよく、外国人が自由に出入りできる状態であれば、
軍隊を置く大義名分がなく、また国内に自治領ができるほど規模を持つ都市が生まれないため、
植民地が出来なかったという面がないのかなと。
植民地を置こうとする欧米列強からすれば、必要な軍事費が節約できるので、
植民地を設ける必要がないのは、メリットだったのかなと。 >>496
南京条約は戦争を終結するための講和条約だろ
修好通商条約は講和条約じゃないんだから
領土割譲や賠償金なんて書かれてない >>489
佐賀藩は、参戦してないみたいだね
会津藩は、孝明天皇に1番忠誠があるから、たぶん参戦してるよ >500
故高坂正尭氏が「何故インドのような大国がイギリスの植民地になったのか」という自問で色色と考察されておられるけど
インドのナショナリズムが不在だったということを理由の一つに挙げておられる
ま、日教組・全教の教師は絶対に認めないだろうが、アフリカやインカ帝国が少数の侵略軍に屈服し、中国が完全な植民地にならなかったのも
ナショナリズムの有無が大きい
帝国主義諸国の基本的な遣り口は、当該国の為政者に不満を抱く集団に軍事力を提供し、体制が転換したら新国を骨抜きにするという手法だが
日本は武器の提供には応じても、英仏の軍隊を借りることは拒んだ、これが大きい
幕末・維新後の極端なナショナリズムの高揚は、後知恵で言えば無用・無駄・無意味だとの見方もあるが、日本が欧州の植民地にならなかったという一点で評価すべき >>503
レスありがとうございます。
スペインの南米征服も、インカ帝国に恨みを持つ人々の協力を得て、滅ぼしたのは有名ですね。
ただ、それら説はもう定番中の定番なので、今回は外させてもらいます。
ナショナリズム説には、疑っているわけではなく、むしろ説明不要なまでの通説かと思います。
今回聞きたかったのは、あまり言われていないが、言われてみれば可能性のありそうなものとして、
「治安」の要素があるのかなと。またそれ以外ないのかなというものです。 >>504
一般の国民と隔離した場所に外国人居留地を作っていたので、街中の治安はそこまで関係しないんじゃないかと。
他の要因としては、中国に地理的に近く、アヘン戦争の情報が入ってきたので、欧米列強のやり方などを前もって知ることができたってのも。 >>505
レスありがとうございます。
治安といっても都市内部の治安というよりは、マクロ的に安全かという意味です。
中国は典型なのですが、外国人居留区(租界)の中は安全だけど、租界の外は魑魅魍魎というような状況だと、
租界の治安維持と安全保障という名目で、軍隊が送られてきました。
対して、日本の場合だと、外国人居留区は設定されていても、
その居留区が汚職政治家や過激派に狙われるようなことがなかったので、
わざわざ軍隊を置く必要がなかったので、植民地を設けるメリットが薄かったのかなと。
中国を例にすれば、暴動→鎮圧→欧州有利に条約改正→反発→暴動→鎮圧→欧州ry)→以下略
のような無限ループに陥って、欧州支配がより強固になった経緯があります。
対して、日本は外国人居留区を襲撃するような暴動がなかったため、
植民地化への無限ループに陥ることはなく、外国支配を受けなかったのかなと思いました。 >>500
>日本が植民地にならなかった理由で
>日本の治安が良かったというのはありますか?
たぶんないと思います
天狗挙兵、禁門征長、戊辰、西南役、をみたらわかるけど、
幕末から明治の最初らへんまでは治安が悪かったのです
治安悪化のことを、イギリスなどは認識してたが、
なるだけ介入は避ける姿勢をみせてました かつての「宮中某重大事件」のような感じで皇太子の「人格否定発言」も
皇室のエピソード的に語られるようになるのでしょうか?
皇室と自民党政権の関係を強化する目的で愛子内親王が小泉jrのところへ
降嫁した場合、これはかつての公武合体と同じような扱いになるでしょうか? >>508
>皇室と自民党政権の関係を強化する目的で愛子内親王が小泉jrのところへ
>降嫁した場合、これはかつての公武合体と同じような扱いになるでしょうか?
将来どうなるかの想定や推測は、近代史ではない
>>1でいわれてる板違いの質問 日本って資源はないし侵略しても旨みがないから、単にハブとして利用したかったのでは? 島津斉彬は一橋擁立派だったけど、
安政五カ国条約について具体的に何といってたのでしょうか? 捕鯨船の避難所と水等の補給を求めて開国を要求したなんてことは
一番程度の低い教科書にも書いてあることだと思うけど>508なんかを読むと
外国の人もいるのかなぁと何故か納得したw 徳川慶喜の大政奉還、とりあえずこういう形をとって、その後も徳川が政権を担当、を狙ったのも作戦としてはアリだな。 >>489をお願いします
長州再征に、
会津藩、尾張藩、鳥取藩、対馬藩、庄内藩、一橋家、佐賀藩、水戸藩、
松前藩、越前藩、土佐藩、宇和島藩は参戦してますか?
参戦してないのなら、その理由は何なんですか なんでこんなに人いなくなったんんだろ?質問に答えられる人がいなくなったからなんか? 需要がないのに建った板なのだから
賑ったことなんかないけどね まあ、>>514みたいな質問だと幾つか個別には回答できても、うろ覚えな部分は本とか引っ張り出さなきゃいけないから面倒
都合よくゼミで研究したとかじゃない限り、ググって自己解決するか、他の奇特な人が回答すればいいやって心理にはなる 回答したことで、それが質問者にどうフィードバックしたのか
質問者が書いてくれるなら調べて回等してやろうという気にもなるけど
自分で調べるのが面倒だから他人にやらせようという質問者ばかりだからなぁ
十年前なら兎も角、回等を十年以上も続けていれば、質問を選ぶようにもなる罠 書き込みをみてたら、質問者よりも回答者のほうが不勉強なんじゃないかってのがあるな
それで回答にダメだしされるので萎縮してるのかもしれない 日本史の教科書なんかを読むと、時代が変わって新しい身分や存在、役職のものが
出てくるとそれが記載されている(ケースが多い)
そうとすれば、将来的に昭和史の中で「暴力団」、平成史の中で「非正規社員(職員)」、
そういった言葉が記載される可能性は十分にあるということでしょうか? 無宿とか博徒って教科書に出てたっけ?
雇員やら傭人は教科書に出てないと思う。
というわけで「暴力団」のほうは出るかもしれん。
「契約社員」は多分出ないだろうなw
むしろ戦後昭和期の国民総終身雇用制度のほうが特筆されそうだな。 >>523
無宿、博徒は出てたと思う
終身雇用+年功序列も出てたと思う
暴力団は出てないけど、内容や影響力とか考えたら出てもおかしくないというか、
出ないほうが不自然な気がする >>528
日本史板と近代史板に教科書スレっぽいのがあるので検索して下さい
それと教育学板に歴史スレと教科書スレがあったと思います
暴力団のことならアウトロー板が詳しいでしょう >>529
ありがとうございます
あとで見てみます 人材派遣っておそらく先祖をたどっていけばヤクザだよな。
建設もそうかな。 平野国臣は、加藤司書・月形洗蔵・早川養敬らの筑前勤皇党とどの様に連携してたのでしょうか?
もしくは、連携してなかったのでしょうか? 明治以前の元号の時期、西暦も共に認識されていたのは何時ごろからでしょうか。
たとえば江戸幕府は、「今は元号は文政だが、西暦だと1820年だな」
みないな感じです。 >>533
ニュースで西暦で伝え始めたのは60年安保からだそうだ。 日本国が大和王権(大和朝廷)の時代から平成の現代まで一度も崩壊せず
続いてきた一番の理由は何が考えられるでしょうか? >>536
そういうのは近代史板での質問より
日本史板で議論雑談したほうがいいと思うよ >536
536の己心にきいてみれば、自ずとその理由が湧いてくるはずだ(たぶん) >>536
・極東のどうでもいい位置にある島国である。
・天皇が実権を持っていた期間が短い。
かな。 杉山元陸軍大将は、負傷により左目が大きく開かなくなったとwikiには書いてありますが
写真を見ると、多くは右目が半開きになってるのがほとんどです。
実際はどっちの目なんでしょうか? 明治期に御三家や公家等が伯爵に叙されてるなかで
板垣退助や大隈重信らが「追加」となっていますが
これはどういう意味なのでしょうか?
男爵・子爵を経ずにいきなり伯爵になったということでしょうか? マジで日本て極東のどうでもいい島国なんだよね。
今もそうなりつつあるけどアメリカも弱体化してるからな〜 >>541
下野してたから叙爵が遅れたんかね?
当然いきなり伯爵という意味。
板垣は叙爵を非常に嫌がってたけど天皇の意向ということで押し切られたね。
それでも華族廃止に向けて色々活動してたし死後襲爵を禁じて板垣伯爵家は断絶した。 長州再征に、
会津藩、尾張藩、鳥取藩、対馬藩、庄内藩、一橋家、水戸藩、
松前藩、越前藩、土佐藩、宇和島藩は参戦してますか?
参戦してないのなら、その理由は何なんですか 王政復古により祭政一致の国へ、という表記を読みましたが、
これは天皇の神格化、国家神道のことを指しているんでしょうか? >>544
なんでこのラインナップなのかが、すごく気になる。 >>546幕末に目立ってたけど、長州再征に参戦したかどうかが不明なのを挙げてみました
大ざっぱに分類すると
・尾張藩、一橋家、水戸藩、 越前藩、土佐藩、宇和島藩はもともと一橋支持派として目立ってた
・鳥取藩、対馬藩は長州と仲が良く目立ってた
・会津藩、松前藩、庄内藩は当時佐幕とみられ目立ってた >>546人物で再征について目立ってたのをみると、
慶喜は主戦論者、慶勝は反戦論者、松前崇広は国許謹慎、とかだけど参戦したかどうかが不明
これらの家臣が再征についてどうなのかもいりくんでるみたいなんで、
整理したほうがわかりやすくなると思いました 表記を読んだって何処で読んだか知らんが読んだならそこで聞けよ。マルチポストと質問を急かす二重のマナー違反やめろ 549の人が「も」なんて書き方をされてるけど、まさか自分と549は同一と思われてんのかな? >王政復古により祭政一致の国へ、という表記を読みましたが
昭和の本じゃなくて、今時こんなことを書いているとしたらアッチ系の本だろうね
>天皇の神格化、国家神道のことを指している
天皇・殿上人の神聖は江戸時代から記述があるし、国家神道を強硬に推し進めたのは昭和の初め、数年間にすぎない
明治新政府は自己の権力の所在について“天皇”を利用はしたが、だからといって明治政権が神政一致というのは
あまりにも歴史を知らないと断ぜざるを得ない 戦前設立の大学で左翼系ってありますか?
キリスト教系はそうなのかな? >>556
「左翼」というのがミスタイプではないなら、「共産主義」など、前世紀に流行した
世直しを標榜する一神教系の新興宗教、及びその信徒の意味になるから、
大学自体で正面切ってそれを標榜しているところは存在しないんじゃないかな?
少なくとも、キリスト教系は、一神教系統という共通点はあっても宗旨が違う。
信徒の含有率が高いとされている学校というのはあると思うけど、今はどうなのかな? 朝鮮高級学校は左翼系に当たるんじゃないのかな。大学じゃないけど。 なんとなくのイメージはわかるけど、具体的に説明しろと言われたらできない
言葉として「統治」があります。
統治するとは具体的にどういう行為なのでしょうか?
また明治憲法では天皇が「統治権の総覧者」と規定されていましたが、
具体的には天皇のどういった行為や権能を指すのでしょうか?
同時に昭和天皇は「君臨すれども統治せず」の姿勢を意識されていたと
言われますが、統治権の総覧者が統治せずとは具体的にどういう事なんでしょうか? >>559
後半しか分からん。
> 統治するとは具体的にどういう行為なのでしょうか?
これは辞書で調べてくれ。
> 具体的には天皇のどういった行為や権能を指すのでしょうか?
これは帝国憲法に記された天皇の大権を指すんでしょ。
字面をそのまま受け取るとほぼ無制限の権力を持ってる。
議会の召集、解散、立法の裁可、勅令の法律化、内閣等親任官の人事
陸海軍の統帥、軍の編成、規模の決定等々・・・
現実には天皇の名の下に元勲が議会を牽制し内閣を支配するための天皇大権なんで
明治天皇は自分の意思で天皇大権を行使することは無かった。
昭和天皇はこの時代を見て、議院内閣制が機能し始める時代に育ったからそれを理想とした。
裁可を求められたものは全て裁可する。
人事は重臣が内定したものを受け入れる。
陸海軍は大臣及び軍令の長による自律に任せる。
「君臨すれども統治せず」はこういう状態。
元勲が利害調整も含めてバランスを取りながら全体をまとめて統治した時代と違って
各々の組織利益が対立する時代になると、憲法上全てを取りまとめる天皇は統治しないわけにはいかなかったと思うけど
結局天皇大権を行使せずに日本は方向性を失ったまま戦争へ迷走していった。 >>555
歴史を知らないのは誰なのやら、明治19年に幼学綱要ではっきりと西洋式啓蒙教育を否定して
天皇、国家への忠誠を求めることが決まり、それが悪名高い教育勅語に結びついた。
国会開設のような上っ面の歴史でなくこのような社会政策から見れば「明治維新」が単純に近代化、
進歩の歴史でないのは容易に分かることだ。
>>556
左翼系の大学などというものは存在しない。滝川事件、天皇機関説のように国家への疑問を口にすれば
国家主義だろうが天皇に忠誠を誓おうが気まぐれ的に処罰される体制ではそんな
思想の右左など全くの無意味だ。 明治の頃に日本を訪れた欧米人が「日本は清潔できれいな国だ」
「日本人は礼儀正しく、文化高い人々だ」「識字率が高くて感心した」
「日本の婦人は教養がある」「欧米に比べて民度が高い」「働き者だ」
などと日本人を絶賛した言葉が多数残っているのに、戦後マッカーサーは
「アングロサクソンが45歳の壮年に達しているとすればドイツ人も
それとほぼ同年齢である。しかし日本人はまだ生徒の時代で12歳の少年である」
と言ったそうです
なぜそんな過小評価なんでしょうか? >>563
マッカーサー発言は誤解されやすいというか失言もあったけど
基本的にはその発言は日本人を擁護するためのもの。
民主主義への理解や国際道徳について日本人は学んでいないので間違いを犯した。
ドイツ人のように知っていて蛮行を行ったのではないから
適切な教育と指導の下で日本は平和国家に再生できるってのが趣旨。 >>564
そういう趣旨だったんですか
ありがとうございました >悪名高い教育勅語に結びついた
昭和の日教組史観キター
平成の世では教育勅語には極めて真っ当の事が書かれていると見直されている事実もしらないとは
歴史にお詳しいんだ〜役に立たない日教組史観だ・け・は
>明治19年に幼学綱要ではっきりと西洋式啓蒙教育を否定して天皇、国家への忠誠を求めることが決まり
つー左翼の牙城岩波書店の平成史観『日本の軍隊』でも嫁ば?
あ!演説がしたいだけで、歴史なんかどうでもいいんだよね君は
明日学校に行ったら、日教組だか全教だかの教師に報告するんだろ
「僕の革命戦士の輝かしい活動でつー」とw
>滝川事件、天皇機関説のように国家への疑問を口にすれば国家主義だろうが天皇に忠誠を誓おうが
気まぐれ的に処罰される体制ではそんな思想の右左など全くの無意味だ
君のようなオツムのカワイソウな子の脳内ではそうだろうさ 台湾人の人の書いた本を読んだのですが
「(要約)日本の台湾統治は朝鮮と違った。朝鮮人を文明人と定義して同化政策を実施したが、台湾人は未開人扱いで同化政策はとらなかった。
だから、台湾人は日本人に差別しつづけられた。」
これは本当ですか?朝鮮とは違ったんですか? 人種が違いますんでね。人種が。
日本人←日本人種
韓国人←中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 美濃部都政のせいで公務員が仕事しなくなったって言ってる人がいるけど本当ですか? 苗字についてですが明治以後一般人は自分で創作したと言う話と
先祖が入る寺の坊さんが付けたと言う話があり、どちらが本当なのですか?
あと、その地の地名と同じ苗字の家が密集してるところがありますが
あれって、どうしてああなってるのでしょうか? >>567
要約すると事実だろうな。
色々な側面があって台湾統治の実態が間違ってると一概には言えないけども。
同化政策を取るという意見も有ったんだけど現実には難しかったんだと思う。
後藤新平による生物学的(住み分け)統治は結果的に上手くいったわけで。
産業育成やアヘンの漸減施策は日本統治後の台湾にとって大きな利益になってる。 台湾人が志願して日本のために戦ったっていうけど
朝鮮人と数が違うんだよな
当時の日本人は「土人が頑張ってる」って認識だったろうに >>570
>あと、その地の地名と同じ苗字の家が密集してるところがありますが
>あれって、どうしてああなってるのでしょうか?
江戸時代、公にはできないけど庶民の仲にも苗字を持っていると(自称する)人達がいた。
元は武士だったけど、戦国時代から江戸時代くらいに所領を失って帰農したり、故郷を離れて商人になりましたって家に伝わっているパターン。
本当にそうだったり、見栄で言い始めて子孫に伝わったのもあるだろうけど。
そういう人達は、鎌倉とか室町時代の先祖は田中さんって親から伝わっていて、
明治になったとき、じゃあ田中にします(本人からすれば元の苗字に戻す)って届けたわけ。
地名と同じでなくても、集落の多くが同じ苗字なのは、元々そこを治めていたと伝えている武士の苗字と同じことも多いです。
地元の神社とか寺の史料とか江戸時代編纂の地方史なんか見ると、その同じ苗字の武士が登場していたりする。
で、江戸時代のそこの集落の人その人が共通の先祖だと考えていたってこと。 第2次大戦下でソ連は日ソ不可侵条約を破って侵攻してきましたが、
それに対する国際法違反(?)のペナルティーみたいなのはなかったのですか?
日ソ不可侵条約は国際的にも有効だったわけですよね? >>574
期限切れ1年前に破棄できる条項がついてて、その日がきてから条約を破棄して満州侵攻。
だから、条約を破った訳じゃない。 575のように今までずっと思い込んでたけど、1年前に延長を取りやめることができるだけで、有効期間自体は縮まらないんだな。
知る限りでは、国際法違反のペナルティーは受けていない。連合国の要請があって参戦したという事情のせいだろうな。 条約違反に何らかのペナルティを課す国が存在しない。
ソ連側の主張では日本の対ソ侵略意図によって中立条約は無効化されたとある。
東京裁判でも同様な解釈を正当とした。
古来より条約違反なんて制裁を課す力がなければ直接的なペナルティはない。
ただ違反した国は信用されなくなるし、相手国に強い恨みを持たれる。
日ソ中立条約の違反にせよ、その後日本人はずっとソ連に不信感を持ち続けてるし
ロシアになった今でも友好関係を築けてるとは言いがたい。
このようにその後の二国関係に重大な影響を与えるから軽々しく条約を無視すべきではないってことだw 会津藩公用人 手代木直右衛門勝任って
どれくらい権力があったの? 1950年代〜70年代にかけて、大学の学費値上げ反対の運動や第1次安保闘争、
第2次安保闘争、全共闘、革マル、その他・・・で、いろいろと学生運動が
あったけど、世間一般的に「学生運動」と言ったらどれを指すのですか? >>580
第2次安保あたりじゃね?
世間一般的というか、その辺のおっさんが学生運動の話をしてれば、大抵は70年安保のほう >>577
日ソ中立条約は独ソ不可侵条約とは全然違う。両国の戦闘停止は努力目標
であり、とりあえずの停戦協定に過ぎない。それは当時の日本の弱さゆえであり、
ソ連の45年の要請されて連合国として対日参戦した事実が抜けているぞ。
愚にもつかないことを理由にアメリカの圧力で戦後領土紛争をテコにして平和条約を
結べないことを責任転嫁するなど条約を無視する以前に自国民への背信行為だ。 >日ソ中立条約は独ソ不可侵条約とは全然違う。両国の戦闘停止は努力目標であり、とりあえずの停戦協定に過ぎない。それは当時の日本の弱さゆえであり
根拠不明確
>ソ連の45年の要請されて連合国として対日参戦した事実が抜けているぞ
日本が「連合国」に降伏した後も、ソ連が軍事行動を続けた事実が抜けてるぞ
>愚にもつかないことを理由にアメリカの圧力で戦後領土紛争をテコにして平和条約を結べないことを責任転嫁
ん?北方領土先行二島返還、二島協議で平和条約を結ぼうとしたのに、だったら沖縄を返さないと言ってきたのは米だが さすがに日ソ中立条約の効力期間中に参戦したのは条約違反を詰られても仕方がない それを言うなら、日本だってソ連と戦っているドイツと同盟結んで軍事協力している時点で、
条約を破ったわけじゃないけど、中立という趣旨からしたらおかしい。
防共協定と日ソ中立条約を同時に結んでいるのも、道義的に問題ないかというと・・・。
反共産主義だったのに、共通の敵であるドイツに対抗するためソ連と手を握っちゃう米英も同じ。
まあ、条約なんて強制力ない以上強いもん勝ちだよ。
現代だって、アメリカがアフガンやイラクで、ロシアがウクライナで好き勝手やっても他国が国交断行やら戦争にはならない。 とある霊能者が書いた本で、「中将さんの霊が見えた。胸の階級章でわかった。」
という記述があったんですが、日本軍で胸章をつけていた時代ってありましたっけ?
教えてください。 >それを言うなら、日本だってソ連と戦っているドイツと同盟結んで軍事協力している時点
時系列という言葉を知ってる? >>584
日本が降伏した日付をわざと誤魔化すなよw
こういう低レベルなやからがこてんぱんにされるのも当然だな。
沖縄はとっくに日本のものだぞ。いまですら4島返還に
こだわっていることへの説明になっていないぞ。 >日本が降伏した日付をわざと誤魔化すなよw
軍隊が民衆を置き去りにして逃げなくて応戦したのちの話か、バカが相手だという現実を正しく認識しないと、君の文章では何を言っているのか真意を読み取り難い…
高校生の拙い作文程度しか書いた経験がなく、国語の偏差値も低そうだね、君
ちなみに日本が降伏したのは、1945年8月15日
武装解除させられたのは一概にはいえない
民族教科書にはなんと書かれてあるのか俺は知らないし、中共は日付が違ったかもしれないが、特ア三国が世界の全てじゃないからw
他に質問は?
>沖縄はとっくに日本のものだぞ。いまですら4島返還にこだわっていることへの説明になっていない
何故ロシアが二島返還に固執しているかの出発点の話であり、沖縄が米領だった頃の話ね
そこからクドクドと説明しなければ分からないほど無知なのに、上から目線の物言いしかできないのは何故? >1945年8月15日
VJ-day って知ってる? >>511の質問ですが誰かお願いします
島津斉彬は一橋擁立派だったけど、
安政五カ国条約について具体的に何といってたのでしょうか? >591
日本語が不自由なら無理して会話に加わろうとしなくていいから すいません、どの板で質問すればいいのか悩みましたがこの板で質問します
戦前の日本国内での旭日旗の使用についてです
現代では旭日旗といえば海軍の軍艦旗のように日の丸が左にずれたものが多いですが
本来の旭日旗や陸軍の軍旗は日の丸が真ん中ですよね
自分は戦前の日本社会の中で掲げられる
旭日旗は軍艦旗とおなじ日の丸が左寄りの海軍式をイメージしていましたが
戦前の国民生活にとって陸軍軍人が良くも悪くも身近な存在、海軍軍人があまり見ない存在だったと知って
実は戦前は陸軍式の旭日旗の方がメジャーな存在だったのではないか?と考えました
実際のところ、当時は日の丸が左寄りと真ん中のどちらの旭日旗がメジャーな存在だったのでしょうか? 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 >>594
ソースがWikipediaなんで、アレですが。
他国(起源のヨーロッパ)も含めて、軍喚旗は国旗とイコールでない、
旭日旗は明治3年に、陸軍御国旗(明治12年に軍旗と改名)として制定
明治22年に、軍艦旗を決めた際に、日章位置が中央の軍旗に対して軍艦旗は旗竿側に寄るものとした
ってことらしいです。まあ、鵜呑みにせずに調べてね。
まあ、戦時の映像とかで人々が振っているのは(普通の)日章旗だけど。
どっちもメジャーといえばメジャーなんでは。戦前は軍が国民生活に与える影響は大きいし、知名度は高いでしょう。
ただ、陸軍の軍旗って室内で大事に飾っておいて、特定の日(軍旗奉戴日)に儀式で持ち出すか、
連隊が出征の際に持って行くくらい(そもそもボロボロになって房飾りだけになったりしてもそのまま大事に使う)
だから一般国民が実物を目にする機会は海軍式のほうが多いと思います。 小御所会議から鳥羽・伏見の戦いまで一か月間くらい間があり、
幕府側は必死に巻き返しに出ようとしていたと思いますが、
二条摂政、近衛前関白をはじめ、五摂家の人々は何をしていたのかお分かりになる方はいらっしゃいますか?
小御所会議の時に、摂家の人々は参内停止になってますが、その後幕府側とコンタクトを取るなり、
何かをしていたのか、それとも茫然として何もしていなかったのでしょうか。
朝彦親王日記は慶応三年九月までしかないし、どうしてもわかりません 大政翼賛会って挙国一致体制=一党独裁体制みたいなもんですか?
説明文読んでもいまいち理解できないのです
誰かわかりやすく教えてください 明治維新の際の内閣制導入というのは
藤原摂関家などの家柄で役職が決まる制度が、事実上廃止され
血統ではなく能力で役職が決まるようになったとよく本で書かれてるのですが
そういう認識でよろしいのですか? >>599
能力=藩閥の力学と理解しているのならその認識は正しい。 まぁ論功行賞的な側面もあるが
生まれた家の家格で仕事・役職が決まる朝廷や幕府とは違い
能力があれば賊軍出身でも将軍にまで出世できた
だから599の理解で全く問題ない
何にでも例外や決まり事はある
藩閥政治との批判もあるが、明治になって隔世の世になったことは間違いない 広田弘毅が50年早く生まれたと言ったが
逆に早く生まれてたら総理にはなれなかっただろ >血統ではなく能力で役職が決まるようになったとよく本で書かれてるのですが
能力で決まるってのは、能力を評価する制度とセットじゃないとそうは言えないんじゃないの?
今の内閣制度だって、衆議院与党のトップが首相となるのが慣例だけど、
別に、その人が代議士の中で一番能力がある人ではないわけで。(大派閥の傀儡首相とかいたしね)
摂関制度が形骸化する前や、幕府の老中なんかは血統が重要条件ではあるけど、
その中での競争はあったわけだし、柳沢吉保とか田沼意次とかの例外だってある。
少なくとも、制度として血統が条件化されているわけじゃない。
”血統によらず選ばれるようになった”程度が正確なんじゃないかな。 >少なくとも、制度として血統が条件化されているわけじゃない
何のための養子縁組なのかと…
完璧な社会システムではないから駄目と否定するのか
従来よりマシと肯定するのか
文句だけを言っていればそれですむ子供と
現実との妥協の連続に日々向き合う大人との認識の差だね >>604
>何のための養子縁組なのかと…
だから、それは制度が形骸化した結果でしょ。
制度自体が進歩したり後退したわけじゃない。
現代の代議士が戦後直後に比べて、世襲率が高くなったからといって制度的には変わらない。
議員内閣制度になったのなら、選挙で全国から選ばれる分、公正さが増したとか言えるけど、
形式的には、太政官政府の人選と変わらないでしょ?
天皇が身近な個人(相応しいと能力があると認めた)を指名して、法的には身分などの前提条件が何もないんだから
太政官政府が、公家出身と平民(藩閥出身者)で就けるポストが決まってたとかなら、制度的に進歩したといえるけど。
一応、トップ(左右大臣)は公家出身だけど、これって結果に過ぎないよね。 明治時代に官職を得るために養子になった例を挙げてみて
それが現実
どんどん話を横へ横へとずらしていく向きには理解不能だろうが 大河ドラマで
同獄の囚人達を更生させた吉田松陰が
福堂案なる建白書を出す描写がありましたが、
牢獄を刑罰の場所から
「囚人の更生・社会復帰の場所」とみなす考えはいつ頃から日本にあったのでしょうか?
近代と思わせて意外に江戸時代からルーツがあったりしたのでしょうか >>607
少なくとも鬼平こと長谷川平蔵が作った人足寄場が犯罪者の更正を目的としていた。 基本的に戦争はある勢力と別の勢力の武力衝突に決着がつくまでの全体を指し、
戦いは個別の戦闘を指す。その記事の場合は幕府側と新政府側の衝突に決着がつくまでの
全体が戊辰戦争であり、その初戦として鳥羽伏見で行われた戦闘が鳥羽伏見の戦い。
しかし上野戦争とか会津戦争のように、新政府軍と彰義隊あるいは会津藩とのある程度の期間
続いた戦いを戦争と呼ぶ事もある。第二次大戦の中の日本とアメリカの戦いを太平洋戦争と
呼ぶのと同じ事。 かつての児玉誉士夫、笹川良一のような表の社会と裏の社会の両方の実力者、
フィクサーのような人物は現代で言えば誰あたりになるのでしょうか?
山口組の組長とかは完全に裏社会だけって感じでなんか違うんですよね
もうああいうような人物は平成の世にはいないんですかね ある本で、日清戦争の威海衛の戦いの時、第三水雷艇隊の第六号艇の艇長鈴木大尉は
後の首相鈴木貫太郎、としているのですが
Wikiを見ると鈴木貫太郎は、その時期、第四駆逐隊司令となっています
(一般的には、誰でも加筆できるWikiは信頼性が低いのは承知してはいますが)
その本の著者の勘違いで、その艇長は別の鈴木という人だったのでしょうか?
それともWikiの方が間違っているのでしょうか?
ご存じの方がいましたら、ご教授ください かつて日本軍人として戦争に従軍した朝鮮兵だが
なんで戦後は戦勝国民とか意味不明な主張しだしたの? んなことより、従軍したのに傷病年金と恩給がもらえなかったほうが大問題なんだけどな 北朝鮮分も含めて全部寄越せと言って頬被りしたのは軍政韓国
請求したければ韓国政府に要求すればいいだけ
何が問題なのか分からない
法治という言葉を知らないのか? 質問です。
清水次郎長で、都鳥一家が青木屋に来たのは
久六の子分が石松を殺してしまったことを詫びる為で
二代目久六に頼まれたから、という話を見たのですが、
ソースは何でしょうか?教えてください。 対米戦開始の「交渉打ち切りの通知」ですが、
日本→駐米日本大使館→米国政府と渡っています。
駐米日本大使館が米国政府に渡すのではなく、日本政府が駐日米国大使館に渡す事によって
米国政府に通知するというわけにはいかなかったのでしょうか?
日本→駐日米国大使館→米国政府の順に渡すわけには行かなかったのでしょうか? 朝日新聞と田母神、どちらも信用しないほうがいいですか?
一番客観的に近代史を見てる本、人は誰でしょう? 関係ないけど
>日本→駐日米国大使館→米国政府の順に渡すわけには行かなかったのでしょうか?
ソ連→駐ソ日本国大使に宣戦布告
↓
ソ連、駐ソ日本国大使館電話線切断
↓
日本国大使、ソ連に本国への電信依頼
↓
ソ連、国際法に基き確約
↓
ソ連、日本に開戦を知らせる電信送らず
↓
日本、ソ連軍侵攻まで気付かず 満州を共同統治にしてりゃ良かったのに。
いずれは英米に取られちゃってただろうけど。
世論に負けたか。 明治17年の華族授爵の詔勅で、爵位に叙任されていても位階が叙位されてない人が
いますがこれはどういった理由で叙位されなかったのでしょうか。
また、叙位の有無による宮中的・政治的な差というのはあったのでしょうか。 子供だから。
宮中での礼遇には一応位階が影響する。
政治的にはほぼ影響しない。 尾崎幸雄は正三位で子爵待遇なのに、子爵を受爵されなかったのはなぜでしょうか? 太平洋戦争勃発の原因について調べている中で、アメリカがどのような経緯で日本に対して敵対的になったかがイマイチ分からないので教えて下さい。
ちなみに自分調べた中でのイメージでは以下のような感じです。
アメリカの対日友好(敵対)度
-100(戦時) ← 0(中立的) → +100(同盟)
[-20] 1853 ペリー来航
[+10] 1858 日米修好通商条約
[+30] 1894 日清戦争勃発
[+40] 1904 日露戦争勃発
[+50] 1914 第一次世界対戦勃発
[+60] 1920 国際連盟の発足
[+70] 1922 ワシントン会議
[+50] 1929 世界恐慌
[-30] 1931 満州事変
[-40] 1932 日本、国際連盟を脱退
[-50] 1937 盧溝橋事件(日中戦争(支那事変)の本格化)
[-60] 1939 第二次世界大戦勃発
[-70] 1940.9.23 日本軍、北部仏印へ進駐
[-80] 1940.9.27 日独伊三国同盟
[-90] 1941.7 日本軍、南部仏印へ進駐
[-90] 1941.11 ハルノート
[-100] 1941.12 太平洋戦争の勃発 敵艦に突入して打撃を与える神風特攻と、
同じ犠牲と損害を覚悟した通常攻撃とでは
やっぱり効果は違う? 桜花なんて母機は鈍重ブリキな一式陸攻機。
レーダーで待ち伏せされて何もできないまま撃墜された。 >628
爆薬抱えて戦車に肉薄攻撃は太平洋戦争前からやってた
用兵の外道だから宣伝はしていないが
通常攻撃で何もできないままやられるのか、どうせ駄目なら特攻かという選択
実際、戦争末期の錬度では、通常攻撃より特攻の方が命中率が高く、当然効果的だった
普通の図書館にあるかどうかは分からないけど、『軍事研究』という雑誌で確か1995年頃に考察されている >>620を読んでの関連質問
日ソ国交関連の書物を読むと、佐藤大使がソ連侵攻に気づかなかったマヌケ扱いされてますが
実際どうなのですか?
ウィキ見ると、批判的な事はかかれてませんが >>628
通常攻撃より交換比率が高かったのは否定できない。
突入成功率は5パーセントくらいだったから。
通常の艦爆だと2人、艦攻では3人乗るけど特攻機なら1人だし。
素人レベルの搭乗員では体当たりくらいしか敵に損害を与えることは出来ん。
まだ有力な機動部隊が残ってたマリアナ沖海戦でも敵艦への攻撃はほとんど成功してないし
日本の航空戦力は迎撃されて壊滅した。 なんで渋沢栄一のスレがないんですか?
なんで渋沢栄一はお札の肖像候補にならないんですか? >>634
スレがないなら自分で立ててみよう
紙幣の肖像には何度か候補に挙がってるはず >>635
サンクスです。スレ立て検討します。
候補にはなってるんですね。日本資本主義の父なので、肖像画にすべきだと思います。 タイのこと昔はシャムって言ってましたよね?それを今言うことは放送禁止に当たると聞いたのですが何故なのですか?
歴史的な経緯があるのでしょうか。 時代区分について質問させてください。
明治以降はそれまでと違って
何故元号または天皇によって区分がされているのでしょうか? 一世一元になったから。
おそらく近代国家化の一環だろうな。
頻繁に改元されるのは非効率なのと改元するのには常に権力が絡んで政争の具になるからなあ。 >>640 さん
レスありがとうございます。
つまり、本来の時代区分は皇紀によるものということですね。
であるため紀元前660以前の弥生時代中期以前及び縄文時代は
日本の時代区分としては誤っているということですね。 では、どういうことですか?
縄文や明治といった時代区分と元号は関係ないということですか? >>643
時代区分と元号は江戸期まではほぼ無関係。
疫病がはやったからとか政治状況に変化(天皇の交代など)があったとか
そういうことが改元のそもそもの理由。大化時代とか慶応時代とか無い。
明治以降は一世一元に変更されたので、時代区分と元号を
一緒にして考えている。明治政府による天皇制強化の一環。
皇紀で時代区分は現在も過去もされてない。
皇紀が一般に喧伝されたのは戦前の一時期のみ。 >>644 さん
理解しました。ありがとうございます。 >>618
・真珠湾攻撃はハワイ時間の朝(8時)に行われることに決まっていた
・対米「交渉打ち切りの通知」は真珠湾攻撃の直前(30分前、つまりハワイ時間で7時30分)に通知する方針だった
ここからは私の想像です
・日本→駐日米国大使館の方法だと、通知は日本時間で深夜(2時30分)になります。
この場合、駐日米国大使館員が寝ていたり不在だったりで通知が伝わらない可能性があります。
・日本→駐米日本大使館→米国政府の方法だと、通知はアメリカ東海岸時間で昼間(12時30分)になります。
この場合は、米国政府は起きているでしょうから確実に通知は伝わるでしょう。
こんなところを考慮したんだと思います 元経団連の駐中国大使が、現地の夜中に呼びつけられてから十年も経ってはいない
民主党政権時代… 昭和天皇が天ちゃんと呼ばれたのは歳が若かったからですか? 昭和16年頃に英語がペラペラってどういう人??
当時の英語教育ってそこまで発達してない印象なんだけど >>649
翻訳家の村岡花子さんなんかはキリスト教系の学校に行って勉強したようです。 >>650
実は先祖の方の話なのですが、そういった学校には行ってないようなんです。
一体どこで英語を覚えたのか…… 荒れると思って今まで質問を控えてたんですが
俺「会津人が長州憎い長州憎いと言い続けてるけど、なんで薩摩は難くないの?」
回答「薩摩は西南戦争でぼこぼこにしてやったから」
ってのは本当なんですか?
これが本当なら、会津って一体……って思うんですが 既にボコったのにもかかわらず、「それでも薩摩が憎い」と言ってたら
中韓と一緒になってしまうだろ。 >>653
荒れるかもしれんけど私見を書くと、会津の恨みは会津戦争そのものじゃなくて
敗戦した会津への明治時代の扱いが原因じゃないか?
特に軍隊では朝敵藩出身への妨害は激しかった。
陸軍での薩閥は西南戦争で没落して長州閥がメインだったんで自然と怒りは長州へ向かった。 >>640
近代化というより明の真似で中央集権国家を目指しただけだよ。 「おしん」ってドラマなんだが
おしん一家だけでなく、東北の小作人は地主からの重い年貢のため
農民でありながら米を食べることが出来ず、米と交換で子供らを奉公に出したり
母親が出稼ぎに出たりとストーリーが展開してるが、これは事実なの?
もしそうなら、なぜ小作を辞めて街へ出て商人になるとか工場へ勤務するとか
転職しなかったの?そこまでして小作農にしがみつく理由があったりすんの?
戦前までの小作農の暮らしって、そんなに酷かったのかな? いかにも現代らしい質問で
答えようもないけど
「街」なんてのが今みたいに栄えてないし
工場勤務というのがまさに「野麦峠」みたいなもので
おしん以上のひどい環境だし
「小作農」しか知らない、それ以外の世界なんて
知らないような時代だったわけさ。
戦前どころか戦後だってそうだよ。
「都会行けばウハウハじゃん」なんて
言われたってねぇ・・
今でいうとさ、1万円あったら株で儲けてウハウハじゃん
と言われたって理屈じゃそうだけど、そう言うわけには
行かないでしょう。
「ひどかった」といえばそうだし、「それしか知らないような時代さ」
としか答えようがない。
まぁ、他の歴史スレでもこういう話すると荒れるからなんだけど・・ >>657
天明の大飢饉では村が全滅したり、人返し令では江戸へ流入してきた農村難民を追い返したら
また江戸に戻ってまた追い返したり、昭和戦前期でも娘の身売りが行われた
都市の労働条件は確かに悪かったが、農村の飢餓圧力は都市どころか海外にまで日本人を進出させたのだろう
戦後でもブラジルに移民に行った人はいるし、農村で食えると思った人だけが今も農家として残っている
昔の小作農の家なんて長男以外は皆町に奉公に出されたのだろう 地主が奉公人として雇ってくれるなら別だが このスレの>>87に1950年代の農家の餓死者についてレスがあるね 在日韓国人の魯漢圭は、在日韓国人のための民団の新聞にこう書いている。
「もはや裏社会は我々(在日韓国人)が制圧した。
その暴力と経済力を背景に日本の政官財界を侵略する。
60万在日の経済力は、日本経済の2割に相当し、それは実に韓国の経済力の
2倍という凄まじい物だ。
経済力に加え、地方参政権によって政治力も手に入れ、やがては軍事力も手にした日には完全に日本から独立した、世界で最も豊かな国家を手に入れることが出来る。
もはや完全に在日の奴隷状態の日本人には、在日国家の軍門に下って貰うことになる。
こうして、在日朝鮮民族はアジアの頂点に立つことが可能となり、半島と日本を実質支配する」
※日本のテレビ・マスコミ・新聞には、在日朝鮮人が多数入り込んでいる
在日朝鮮人はその在日特権による経済力を背景に、メディア権力を押さえ、
韓流などのPRをする一方、中韓に不利となる情報は『報道しない自由』と称し、
日本国民に知識を与えないようにしています。
何故、在日朝鮮人がメディアに入り込んだのか、日本国民を扇動できること
メディアの力は凄まじいものであり、日本政府・国家権力にも対抗できるものである。 訂正(あるいは補足)
wikipedia等色々な資料では、
>通知は日本時間で深夜(2時30分)
は『3時』
>アメリカ東海岸時間で昼間(12時30分)
は『13時』
となっています。
>>646 はハワイ時間と日本時間の時差を、現在のタイムゾーンでの5時間として計算しましたが、
当時のタイムゾーンでの時差が4時間30分だったならば、辻褄が合います。 昔、じー様から聞いた話なのですが
戦時中に、大臣だか議員だか閣僚だか当時のエライさんの息子がパイロットの戦闘機が国内の何処かに落ちたらしいんだけど
その息子さん、日本人離れした西洋人の様な容姿の持ち主(実際西洋人の血が入ってた?)で、墜落した村の人らに敵国人を間違われて殺されたんじゃ?
という疑惑がある事件を知りませんか? 当時の飛行兵は「被弾したら自爆するのが潔し」とされ落下傘は使わなかった
不時着したのなら機体に日の丸マークがついているから敵国機と間違われることもない そもそもお偉いさんの息子でハーフのパイロットって来栖良少佐しか知らん。
あの人の事故死が恐ろしく歪んだ噂話になったんじゃないの? 加賀乙彦が来栖一家の事を書いた小説で、パラシュート降下して竹槍で刺殺された旨の誤った事実を書いた 実見談で、竹やりで囲んだ、というのを
聞いたことがある。
本当はもっとすごい話なんだけど
公で話すときは、囲んだ、までにしてるそうな。 おうおう、お答えが…
じさまに聞いた時は、エライさんの名前も言ってたので真偽が気になって知りたいと思っていたのですが肝心の名前を覚えてなくて質問してしまいました。
ありがたいです。 来栖少佐は、出撃のため機体に向かう際、誤って地上滑走中の隼戦闘機のプロペラに触れてしまい、即死したのが真相
軍は敵と交戦中の名誉の戦死ということにした 象山の息子三浦啓之助は散々な言われようだけど詳しく知れる本とかある?
エピソードは有名みたいだけど参考文献を書いているところが少ない
あとここにある
http://page.freett.com/sukechika/ishin/zinmeiroku/set12ma.html
西洋小間物屋の女主人のヒモとか
ちょくちょく見かけるサングラスをかけていたという話の出元ってどこ? オーラルヒストリーでの戦中都市伝説てのもおもしろそうだな 明治以降、一世一元の制によって天皇一代でひとつの元号(時代区分)となりました
この制度により、ひとつの元号(時代区分)が平均的に30数年になると思われます
平安時代約400年、江戸時代約260年ですが、いまの制度でいくと
平安時代約400年の間に時代が11〜12回、江戸時代約260年の間に時代が7〜8回、
変わる計算になります
これでは時代区分が細かすぎますが、将来的に時代区分の統廃合が行われるんでしょうか? 将来東京から首都が移ったら明治以降が東京時代になるんじゃないですかね。
一世一元って不作だの疫病だので元号コロコロ変わるのを防ぐのが目的だし(それまでは数年おきに元号が代わるなんてことが多々あったので)別に過去に遡って時代区分を細かく区切るなんてのはないかと思います。
元号の混乱を防ぐ目的なのに、コロコロ変わってた時代を元号区分したら本末転倒な気がしますし。
一世一元で元号の期間が長くなったことと首都が東京から映らなくなったので近代史は元号で区分しているだけではないでしょうか? >>673
>>別に過去に遡って時代区分を細かく区切るなんてのはないかと思います。
元号の混乱を防ぐ目的なのに、コロコロ変わってた時代を元号区分したら
本末転倒な気がしますし。
そういう意味ではないです
あくまで、明治以降の元号(時代区分)がある程度たまってきたら
統廃合して減らしていくのかな?と
明治維新〜終戦で区切り、戦後〜という感じや、仰るように
遷都までの間を東京時代にする、とかね 例えば江戸時代だって元禄期とか化政期とか幕末とか、必要に応じて区分されます。
それと同じ事です。 >>675
必要に応じての区分はありますが、それでも「時代区分」としては
あくまで「江戸時代」でひとつでしょう
将来、明治維新から遷都までの期間(何年続くか分かりませんが)が「東京時代」と
名付けられた場合は、東京時代の中の明治期とか平成期とかって感じですよね それはどうかと思いますね。東京から遷都するとしたら大震災で壊滅した場合くらいじゃないでしょうか。 戦時中のニュースを見てると、一億総国民の表現が出てきますが
この国民とは当時の占領地住民を合わせた人口と考えて良いのでしょうか >>678
昭和15年国勢調査
内地 7千3百万
台湾 6百万
樺太 40万
朝鮮 2千5百万
計 1億5百万 右翼(保守派)、左翼(急進派)という言葉があり、ある程度はその違いを
理解しているつもりですが、一部ではその差異がよくわからない部分もあります
2.26事件に思想的影響を与えたとされる北一輝はよく右翼の大物と
云われますが、彼の思想は、
・貧富の格差を是正する
・土地を国有化する
・天皇を奉じて既存の政府を打倒する
・特権や財閥を解体する
これって左翼思想の方が近いんじゃないのですか? >>680
北の場合は国家主義の観点からの改革という点が極右と判断されるんでしょう。
いわゆる国家社会主義だから。
正直なところ俺には一部の極右思想は極左との違いが分からんけど。
民族アナーキズムとか。 >>682
サンクス
国歌社会主義をもう少し詳しく解説願います
また、国家社会主義の場合だと、社会主義と付いていても右翼扱いなのですか? 北一輝の言葉について考える時、私はそこに三つのポイントがあるような気がする。
第一のポイントは二十代に書きあげた『国体論』である。
第二のポイントは、上海において断食をしながら書きあげた『日本改造法案』である。
そして第三のポイントは、獄中にあって、経文の裏に書き残した息子大輝宛の遺書である。
そして私は、『国体論』にあって北一輝はもっとも饒舌であり、『改造法案』となって寡黙となり、遺書になって更に寡黙になった、と考える。
少なくとも、『国体論』を書く段階では、北は言葉に対して「戦術」をこらしてはいない。
そこにある言葉は、世界を理解する事が同時に自分を世界に理解させる事であるという楽天性に、終始貫かれている。
『改造法案』に至って様相はガラリと変化する。
これは、日本改造を企図した具体的な政治プログラムである。
だからそうなのである、と言ってしまえばそれまでだが、ここには、「自分を理解させる」と言った意図が、言葉通りの意味では、きれいにぬぐい去られている。
具体的な行動の指針しか書かれていないのであり、もしここから北一輝自身をうかがい知らねばならないとしたら、我々は、それをそうさせた北一輝の「決意」を見るのみなのである。
つまりこの時、北一輝自身が世界に理解させようとしていたのは、彼の「思想」ではなくて「決意」だったのである。もっと言えば、彼は「思想」とは「決意」の事であると、悟ってしまっていたのだ。 >>680
「226事件は社会主義革命だった」説はわりと一般的にある
「右翼」「左翼」のわけかたは、
国家や外交に対する考え方でわける他に、
資本に対する考え方でわけるのもあるので、
「右翼」「左翼」をきれいにわけるのは不可能
また、資本主義・共産主義の他にファシズムがあった時代でもあるし、
現在の観点で分けるのは難しいのだ
ようするに右翼左翼は便宜的な物 幕末の経済はこんな感じで良いでしょうか?
安政五カ国条約で箱館・横浜・長崎の開港で輸出が開始されると
国内よりも輸出の方が高く売れたので産地の商人は3港へ卸すようになる
さらに太平天国の乱で雑穀や蝋などの軍需品の輸出も増えた
この結果、国内大都市では品不足になり問屋は大打撃を受け価格が高騰した
幕府は五品江戸廻送令で生糸・雑穀・水油・蝋・呉服を強制的に江戸問屋へ売るよう義務化したが
逆に海外諸国から圧力を受け失敗
さらに金流出対策で万延小判・万延二分判の発行が発行されるとインフレが加速し、商人の買い占めも起こった結果
1859年から1867年には米の値段は7倍、生糸は4倍になり一握りの貿易商人を除くと
多くの生産者と商人と国民は打撃を受けた 昭和30年代頃の100万円って
今のどのくらいでしょうか?
1000万円くらいかな? 年々インフレが進んでいたので30年代と言っても初めと終わり頃では随分違う
おおざっぱなところ、
昭和30年の100万円 今の2〜3千万円
昭和40年の100万円 今の5〜6百万円 >>688
ありがとうございます。10年でかなり違いますね。
当時の大卒の給料が3000円だから今の8000万と言う人もいるけど
これじゃ1億近い。力道山刺殺直前の昭和38年頃が知りたかたった。
だいたい昭和40年頃と同じでしょうね? 昭和38年
大卒初任給 18,980円
ソバ一杯 40円
吉展ちゃん誘拐事件犯人要求身代金 50万円 >>691
重ね重ねありがとうございます。
因みにその頃、力道山は理由もなくあるクラブで空手チョップで
店の中の備品類をメチャメチャにしてママが泣き出すと
弁償金額の何倍に相当する金を置いて行ったそうです。
おそらく100万円くらい持ち歩いていたのでしょうね。 >>691
現代とは生活水準が全然違うけれど、昭和38年当時の
人々にとっての千円は平成27年現在の我々にとっての
一万円くらいの重みがありそうだね。 近代史ものを読んでても、今と貨幣価値が全然違うのでわかりにくいです。
たとえば、明治期前半の小学校の月謝は50銭だったらしいのですが、これが高いのか安いのかわかりません。
こういう歴史的貨幣価値を換算できるサイトってないでしょうか? 戦争法案反対デモ VS 間もなく左翼に負ける反日ウヨク・御用タレント
小沢一郎「私はこういう集まりにあんんまり来たことないけど、今回だけは!と思ってきました。がんばりましょう!!」
https://twitter.com/study2007/status/637857616215937024
北京で同じ規模のデモがあったら、NHKは大喜びで号外ニュースを流しそうだ
https://twitter.com/onodekita/status/637917538832150532
上念司 「そうですね、組合なんかを中心に動員たくさんかかったみたいで、最期の悪あがきみたいな感じだったんじゃないですか(笑)」 ←負け惜しみw
https://www.youtube.com/watch?v=qGghsTVBnsA
太田光がラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』のなかで「さすがにちょっと痛々しいよね」「やらされてるんだろうなあ、かわいそうだ」と発言
制服向上委員会の齋藤優里彩が「私からすると安倍さんにゴマをすってる太田光さんの方が痛々しく見えます」と
https://twitter.com/tokaia mada/status/637733787036573696
芸能界極右は石原慎太郎一家を筆頭に、上田晋也 草野仁 津川雅彦 向井理 松本人志 宇多田ヒカル マツコ 春日俊彰 田村淳 北村晴雄
https://twitter.com/tokaia mada/status/630627400552845312
長崎の平和祈念式典、各党の紹介時に山本太郎議員の時だけ物凄い拍手に!他の政党では極小数の拍手だけ
https://twitter.com/tokai amada/status/631215706692976640
ファッシズム政権の終わりは、いつでも残酷な結末しかない。安倍晋三はどんな殺され方をするんだろう?
https://twitter.com/tokaia mada/status/605899171313246209
マイトレーヤは次のように勧告される。
「国民の意志を裏切ることは危険な過程を始動させる−−誰かを裏切ると、精神的な過労や、極端な場合、自殺や殺人にまでつながる。」
magazines/si5n7k/04zpzf/bf1tqd
日本国民はどう対処すればいいのか「株式市場崩壊後に出現する新しい政権は国民の意志を反映し、国民の側に立つものであろう。」
maitreya/mai_03_02.html
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。
maitreya/mai_03_01.html
マイトレーヤが公に世界に現れるにつれて、UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう
magazines/si5n7k/kxz1kf/xchu67 https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-102809.php
こんなサイトがあるにはあるらしいが。
人件費(給与)に著しく差のあった時代を現代と細かく比較してもあまり意味が無いと思う。
ちなみに吉田財閥w吉田茂が幼少時に相続した資産が20万、その頃の首相年俸が9000円
低所得者層だと年収数十円。年収100円あれば何とか生活できた。
今みたいに金持ちも貧乏人も同じ店に行って似たような商品を買う状況でないのは収入を比較すれば明らか。 >>696
ありがとうございます。
リンクされてる日銀のサイトが使えそうですね 1868年に死刑に、刎刑と斬刑があったらしいですがこの斬系はどのような
罪・身分に行われ、どのくらいの数が執行されたのでしょうか。
また、この斬刑は斬首ではなく、袈裟切りにするようですがどのような体勢にした
囚人を切ったのでしょうか。 日本国憲法はGHQの押し付け憲法だとよく言われますが、GHQが前文から百三条まで全部作ったのですか?
日本人は日本国憲法作成に実質関与していないのですか? 軍人の礼服・礼装と大礼服を着る時の違いがわかりません。
軍の式典だと礼服で、宮中の式典だと大礼服になるんでしょうか? 明治維新後の藩閥政治について質問です。
薩長が江戸幕府を武力で潰して近代国家を成立させましたが、
今の日本の力の主導権は、財務省を筆頭にした霞が関にあると良く言われています。
つまり、近代国家成立させた山口県や鹿児島県の人間が相対的に有利なわけではなく、京大東大など出身地ではなく学歴が有利不利を決めています。
明治維新以降しばらくは藩閥政治があったようですが、
なぜ藩閥政治は解消したのでしょうか?
力を握った山口県と鹿児島県が、何故影響力を放棄したのか疑問です。
現在の他の国でも、アメリカならアングロサクソン、旧イラクならシーア派など、有力なグループが代々国の主導権を握っています。
今に続く近代国家を成立させた山口県と鹿児島県は今でも他の都道府県民よりも暗黙的に有利になる仕組みがあってもおかしくないと思うのですが、
歴代首相の数が山口県は多いくらいで、山口県も鹿児島県も妙に富裕層が多かったり、
有名企業があったり、京大東大クラスの大学があるわけでもなく、
今はただの一地方に相対化されているのが不思議です。 基本的には教育制度の完成が藩閥解消の最大要因だと思う。
東大法学部を主席で卒業した官僚が、それ以下の官僚に追い越されるのはおかしい。
軍ではもっと顕著で大学校主席やら士官学校主席というのが昇進に大きく影響した。
状況ごとに見ていくと政界では政党政治の成立、海軍はシーメンス事件による山本権兵衛の影響力低下
陸軍は長州閥内部で前世代を新世代が追い出す構造があって自滅したように見える。
故郷への投資については藩閥政府は下級武士出身が多いから藩そのものへの愛着は小さかったんだと思う。
それと故郷へ強い愛着を持つ志士は西南戦争と萩の乱に加わって自滅した。 >なぜ藩閥政治は解消したのでしょうか?
過渡期における一時的形態という方便が通用しなくなったから
>力を握った山口県と鹿児島県が、何故影響力を放棄したのか疑問です。
考え方が逆
日本の統治システムは独裁を許容しない
江戸時代においても“大老”は非常時に設けられ、普段は老中による集団統治
幕末、目付(C?nsor)に相当する訳語が思いつかなくて、「日本は公式な会見にスパイを同伴させるのか」と外国人を誤解させたように
権力・権限を分散させている
統治システムの機微は『主君「押込」の構造』に詳しい
>今はただの一地方に相対化されているのが不思議
力があった頃の日本は貧しくて余力がなかった
それでも薩長の数人は、よろしくない行状や利益供与は行っているけどね 質問です。
1941年、なぜ米英は北部仏印までは交渉の余地を残していたのに南部仏印進駐で態度を硬化させたのですか?
米英にとって、北部と南部でそこまで違いがあったのですか? 40年の北部仏印のあとで工作機械とか航空燃料とか鉄屑とか原油以外の大半の戦略物資は
禁輸になっとったやろ。前提がおかしいんじゃないの。南部仏印のさいにはほとんどのこって
なくて文字通りの死命線の石油全面禁輸と金融資産凍結くらいしかなかったという次第じゃね。 日本の勢力圏下になった後の台湾や朝鮮、満州、モンゴルなどですが、
乃木神社や東郷神社のノリで、
ヌルハチや檀君、チンギスハンといった現地の偉人たちの神社が(日本側の宗教政策として)建てられなかったのはなぜなのでしょうか?
天照大神など日本古来の神様をまつる神社ばかり建てるよりもよっぽど精神面での支配が進んだと思うのですが。。 そんな風に民族の英雄を称揚したらナショナリズムに火がついて大変なことになる。 神道は仏教やキリスト教とちがって教化の歴史がないんで、そもそも統一教義らしき
ものがなく明治初年に大混乱したことがあったし、教団らしきものもそもそも存在して
いなかった。台湾や朝鮮に出て行ったのも仏教会だし神社が朝鮮に出て行ったのも
併合後15年ほどしてからだったはず。 超音波テロの被害にあっています。
卑劣極まりない被害にあっています。
何が起こったかわからないときから、
わかってみれば、
まだ世の中に知られていない超音波テロ。 世の中のどれだけの音の振動源・発信源が
使用されているのかわからないが、
多数の振動源・発信源がシステム化され、
ネットワークを通して、
超音波・音波を集中させて
対象を攻撃するらしい。 人や社会が襲われ、罪もない人が超音波で襲われ、
卑劣な被害にあっています。
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。
「もらいました」という声とともに、
形のあるもの、ないもの、奪っていき、壊していく
超音波テロの加害者の声。
聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。 超音波による物理的な力で、
ものが飛び、ものが壊れる。
それが人間の体に対してまで。
身体の表面を突き抜け、内臓を攻撃される。
頭蓋骨を突き抜け、意識を失わされる。
聞こえる声、認識できない声で、精神的なダメージ。
人間の体を壊そうとする超音波テロ。 日本国中、どこにいても超音波で襲われる。
車に乗っている人間が襲われる。
歩いている人間が襲われる。
自宅で超音波の攻撃を受ける。
被害を訴えても信じてもらえない。
罪もない人間が超音波で襲われる。 「見続けるのがいやだから、殺して終わる」、
「証拠隠滅だ」という超音波テロの加害者の声とともに
強烈な超音波の攻撃。
叫ばされ、いたぶられ、それを口実にまた攻撃され、
超音波テロの、残酷残虐で、卑劣な攻撃の被害にあっています。
心の底から被害を訴え、祈っています。
天に神に届きますように。 中国兵の投降は拒否して1万人くらい余計に殺した
中国兵の投降をみとめた分の数千人は捕虜にしたのち殺した
南京街区に潜んでいたゲリラを捕縛したり即決処刑したりしたが数字的には知れている
民間人への暴虐は一部の兵による軍法違反として数件報告されている
中国政府が主張しているのは極東国際軍事法廷の結論部分
公平にみてだいたいこんなとこか? 東郷平八郎の詠んだ
「日の本乃海にとどろくかちどきは御稜威かしこむ声とこそしれ」
について、どのサイトもコピペしたように
「日本海にとどろいた勝鬨は天皇陛下にも聞こえる」
のように訳していますが、「御稜威かしこむ」がどうして陛下にお耳に達することを意味するのか不明です。
「日本海にとどろいた勝鬨は、陛下のご威光を仰ぐ(臣民の)声であることよ」
とかそういうニュアンスではないかと思うのですが、分かる人いませんか。 いや、ふつうにそうでしょ。つうか「どのサイトもコピペしたように」というサイトが
そもそもぐぐって見つからないんだが。 >>724
レスありがとうございます。
気になったところでは、
http://rekigun.net/original/travel/statue/extra-02.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tokimeki753/47757665.html
http://blog.livedoor.jp/svff/archives/936046.html
http://ameblo.jp/spin777/entry-11072157316.html
といったところですが、一番上のもの以外は、しょうもない個人ブログなので、
たぶんどこからかの引用を改変して、いかにも自分で意訳したように見せているだけなのだと思います。
ただ、一番上のは歴史群像のサイトなので、多少は見識のある人が書いたのだろうと思いますが、
>日本の海に轟く勝鬨は天皇陛下のお耳にも届く
と意訳しており、なんか違うんじゃないかと思った次第です。
まあ、歴史群像のサイト記事を書く人が、必ずしも戦前短歌の意訳に通じているとは限らないですが、
なんかちょっと残念な気持ちになりました。 「しれ」の解釈がキモだとおもうんだけれども、常識的に古語で已然形とみれば
「知っってほしい」という文脈だから主語を天皇陛下とみるか世界の民とみるかで
解釈は変わると思いますが、主語をハッキリさせないところに日本語の滋味が
あるわけですので、そのあたりはハッキリさせないほうが良いように考えます。 日本の海に轟く勝鬨は天皇陛下の御威光を敬服する声でございます
くらいじゃないのかな >>726
>>727
なんとなく考えが整理できました。
「助詞+こそ」なので強調の係り結び。
歌自体が東郷平八郎が日本海海戦を振り返って詠んだ歌なので、ニュアンスとしては、
「あの時の勝鬨・勝利は、思えば君臣一体である帝国の真髄であったのだなあ」
といった感じかと。
まあなかなかうまい意訳をするのは難しいですが。
ありがとうございました。 岡倉天心を読んでるんですが、割とあちこちで「ハイル天皇!」的な文面がでてきてビビります
これはとりあえず言っとかないとヤバイから言ってたのか本気で心酔してたのかどっちだと思いますか?
例えばヨシツネ物語では兵法書で 支配者にになるための龍の巻と将軍になるための虎の巻があるんですが、
それをヨシツネの師が天皇最高ゥゥと言いながら義経に上げず燃やして捨ててしまいます(自分毎!) ギリシャ人がコンスタンティノープルを、トルコから無理矢理奪い取ろうとしたのは
ギリシャという国が、ビザンチン帝国を受け継ぐ国だと考えたかららしいですね
イスラエルがパレスチナの土地を無理矢理奪い取ったと認めたくないのは、それはつまりイスラエルという国の存在を否定するからですよね
韓国が日本に謝罪を要求するのは、自分で独立を勝ち取ったのではなく、たまたま作られた国だということを認めたくないから
そのコンプレックスがあるから、植民地にされてつらい思いをしたということを言ってくるようですね
さてここからが本題なんです
国というのは、どのように建国したか、それが自分で勝ち取ったものか、偶然与えられたものかということで
その国の国民性が決まるようです
だとすれば、負けて自分で国を作ったわけでもない日本は、客観的に見てどういう国民性なんでしょうか?
天皇が残り、靖国に参拝し、ドイツほど徹底的には謝罪しない日本人の特徴とは
いったいどういうものなんでしょうか?
日本人としては、耳が痛い話になるとしても、聞きたいです。 >>730 設問が観念哲学に立脚しており、どんな回答を適示しようが「納得する」「納得しない」という
きわめて非論理的で非学術的な矛盾に落ち込むだけでしょう。設問の設定自体が良くない。 「敗戦日本の歴史的経緯に対する日本国籍保有者の認識について」アンケートすることはできても
その認識をもとにどのような政策への好意的選択、否定的選択、あるいは日常の行動規範について
具体的に調査するような手法でもとらなければ統計的事実には迫れないのではないか。
「仮想的」「日本人」をどこの誰とも知れない七誌の2ちゃんねらに語らせても意味なかろう。 天皇制度の歴史について考えてみたのですが、
天皇制度は歴史的に三つに区分されると思います。
古代天皇制:大化改新〜平安時代
古代シナ王朝に習った律令国家。
中世天皇制:鎌倉時代〜江戸時代
天皇:ローマ教皇に該当。文化的宗教的権威。
将軍:神聖ローマ皇帝に該当。武力を持った世俗の権力者。
天皇、将軍による二重構造体制だった。
近代天皇制:明治時代〜現代。
宗教的伝統的権威が立憲君主に収まるイギリス型国家。 律令制度が形骸化していった平安末期から、皇室はどのような財源をもとに経営されていたのでしょうか。 国衙領からの納入というか国司からの納税が財源でしょ。
私生活は王家領荘園からの上がりで潤ってる。 現代の日本って、
米国でいうところの、
東部エスタブリッシュメントとかアイビーリーガーに相当する人はいるのかな。
英国の貴族院議員に相当する人はもういないけど。 一部進学高校の学閥がそれにあたるんじゃないかな。大学は
雇う側は重視しても、東大生どうしの横のつながりなんて
ほとんど無いでしょ。日本人はきほん社交嫌うから。 じゃあ日本には
欧米のハイソサエティーに相当するものはないのかな。
欧州のハイソサエティーでは、
フランス語やラテン語が教養とされていたりするらしいけどね。 外交官の師弟とかはそんなかんじやで。ラテン語はさすがにあらへん思うけど
漢文は基本的な教養やろ。 いうか「欧米ノー」「ハイソサエティがー」いうのが、ようワカランが。 ただの金持ちやったら日本にもようけおるよ。大学教授や医師になる人間も
外交官になる人間もようけおるよ。けっきょくそういう話しが聞きたいんじゃなくて
ロックフェラーがだのカーネギーがだのアラブの石油王がだの、そういうの
日本にいないのかっていいたいんだろうけど、ロックフェラーやカーネギーや
アラブの石油王は日本国籍もってないんだからいるわけないだろで終了や。 この板知らんかったんで間違えて他の板で質問しちゃったけど、こちらで
お尋ねさせてください。
アメリカって、日本が中国で権益を拡大し始めた時に干渉してきて、
日中戦争の時には他国の戦争にもかかわらず日本に手を引かせようと
執拗に日本を叩いていたけど、もし当初から日本が言うことを聞いて
中国での権益をあきらめていたら、代わりにアメリカは中国で何をしていた
んでしょうか? 日本には事実上の上流階級が存在せず、
田中角栄、松下幸之助、堀江貴文のような成り上がり者多数の流動性が高い構造となっているということは、
かなりの平等社会なんでしょうね。 日本の上流階級は血縁で繋がるほんの少し富裕の集団。
あまり表に出ないだけで存在はしてる。
金銭的には町工場のオーナーのほうが富裕だろうけどな。
これだけ世襲議員が多くて互いに縁戚になってることも多いうえ
旧財閥や旧華族とも血縁があったりするんだから上流階級が構成されていないとは考えにくい。
基本が緩い婚姻による結びつきだから能力さえあればそこに加わるのは困難じゃないだろうけど。 >>744
当時アメリカは門戸開放政策を取っていたから、中国における日本の権益拡大を
邪魔しようとしたのは知ってるが、もし日本がいなかったら具体的に何をしようと
していたのかはオレにも分からん アメリカ製品の輸出と、銀および中国人移民の輸入だろ。
奴隷だろうが移民だろうが、輸出の対価として得ることができない
地域からの輸入物は人間だってのは奴隷制のころとおんなじだよ
いまもな。 >>748
ゴールドラッシュ以降、中国人移民がわんさと押しかけてきて、
1882年に中国人排斥法を制定して移民を禁止している。
アメリカ製品の輸出って、何を輸出しようとしていたんだろうか。
中国人の購買力で買えるような安価な一次産品や軽工業品なら、
中国国内で生産しているだろう。
それに日本が中国にいては輸出できないような製品なのか。 その移民排斥法の内実が、産業資本中心の共和党は反対がやや過半、南北戦争で
叩きのめされて労働者の代理人に宗旨変えした民主党は圧倒的賛成という状況で
門戸開放政策と中国からの自由移民推奨はともに共和党の政策だったんだよ。
あたかもアメリカという一枚岩の国家人格が統一的な行動をおこなっていた、と
理解していてはこの時代は理解できないよ。 「アメリカは中国人移民が欲しかったから、日中関係に介入してきて、その結果太平洋戦争が起こりました」って、全然説得力ないな。 共和党は移民も門戸開放も欲しかった。労働者は中国人の代わりに台頭した日本人を
排斥するために門戸開放だけ支援した。こういうこと。 そんな単純なわけないじゃん。日本にとっちゃ門戸開放要求ごときで
アメリカに宣戦する理由なんかこれっぽっちもないんだもの。 中国人移民が欲しくなかったら、アメリカは日中関係に関心を持たず、援蒋ルートも対日石油禁輸もハルノートもなかったわけだから、日本はアメリカに宣戦しないですんだってことになるじゃないか。日中戦争だけで終わったってことだ。 国内の日系人バッシングがあったんじゃないの?清朝や民国は
中国人排斥法をすんなり条約でも受け入れたけど(たしか北京条約?)
日本は一貫して反対してたからね。 『ブロークン・トレイル』は冒頭から中国人少女の奴隷売買から始まってるな
>744
当時は植民地の陣取り合戦だから、単純に(非欧州である)日本の権益地を奪いたかった
後知恵だと満洲の重慶油田開発かな
当時の日本は満洲における油田調査を米企業に依頼していた
米企業の回答は「中国東北部に油田は存在しない」だったが、本当に見つけられなかったのか、
国益に直結するから秘匿されていたのかは…
ちなみに、仮に日本が発見していても当時の日本の技術では持て余していただろうが 門戸開放政策っていうのも、言葉だけは非常に明瞭だけどその真意は
不明瞭というか、日本の学校教育でもほとんど触れないんだけど、特恵
条項を認めないってだけでなく、開港都市の独占的使用を認めないだとか
対中共同借款から特定国を意図的に排除しないだとか、鉄道敷設許可に
平行線を引くことを禁止しないだとか、ありとあらゆる主旨で利用できた
わけで、なおかつ当時は秘密外交・秘密協定があたりまえの時代だったから
中国の対外条約に対して、つねに秘密条項があるんじゃないのかと干渉
する口実にもつかわれたという、まあなんというかトンでもない主義やったわけで。 そんなに中国は当時のアメリカにとってうまみのありそうな国だったのかねえ。
アメリカは自国だけでも十分広いし資源はあるし、影響下にある中南米を
合わせればさらに領域は広大なものとなる。遠い中国にまで触手を伸ばす
必要なんてなさそうなものなのに。 今の中国と同じで、人口が多いということは一定の貧困層の存在と同時に購買層も存在する
もちろん日本のように中間層が異常に多い社会とは構成が根本から異なるが
WW1前英は独を批判して「彼らは海外市場において我々の利益を不当に奪っている」と非難した
WWU前米は日本を名指しで「質の悪い製品で我が国の利益を不当に強奪している」と批判した その中国の購買層に、アメリカは何を売りつけるんだ?
19世紀にはイギリスは中国が何も買ってくれないので、アヘンを売りつけたけどw じっさいは売りたいものも買いたいものも大してなかったんじゃないか。
美術品とか骨董品とかが中心だろ。アメリカから輸出できるものはその
当時ですら武器だの通信網だのいくらでもあった。現に日本はアメリカ
から大量に買ってたわけだからな。 歴史を安直にみる>>761みたいなのにありがちだけど、現実には「アメリカ」という国家が
中華民国という国家と商取引してたわけでもなんでもなく、アメリカ国籍をもつ商人が
現地の仲買人や他国の商人と交易してたにすぎんから、「アメリカが売りたいもの」も
へったくれもないわけで、ベルの電話をドイツ人が売ったってかまわんわけで、その売上
規模も通関でようやく統計的に把握できるにすぎんわけ。歴史の「読み方」と歴史の実相の
区別がついとらんのや。 >>762
じゃあお前レス付けんなよ。バカそうだ。 >>763
>>764
実際の貿易取引の主体が個々の民間人なんてことは当たり前であって、
それらを総称して「アメリカ」と呼んだだけだ。いちいち「アメリカ国籍をもつ商人」
なんて書かなければ理解できないのか?
政策として「門戸開放政策」を採っていたわけだから、アメリカが各国に平等に
中国との貿易の機会が与えられるべきと考える理由があったはずだが、
>じっさいは売りたいものも買いたいものも大してなかったんじゃないか。
>美術品とか骨董品とかが中心だろ。
>アメリカから輸出できるものはその当時ですら武器だの通信網だのいくらでもあった。
売りたいものがなかったのか、美術品なのか武器なのかよく分からない。
それに「読み方」と「実相」は、全く異なるものであって、そもそも区別するような
対象ではない。 いや、門戸開放政策はその発端はジョンヘイのかなり理念的な主旨から
出てきたはずで、自由貿易といった理念でしかなかったはず(たしか)。
それが実際の外交の局面でおもわぬ効果をいろいろと発揮してきたんだよ。
当初からアメリカが大陸介入のために考え抜いたアイデアが門戸開放だった
とかみたいなのはうがった解釈だろう。それこそ治外法権みたいに当初は
なんてことなかったものだったはず。 当時の中国の都市は同時代の日本と同程度には文明化していて(日本と決定的に違うのは都市と郊外・地方の格差)
土木道具から測量器具、発電機から電燈に至るまで必要だった。
優秀な中華民族はこれらを自国で生産し欧米からは何も買う必要がなかったという宗教の信者なのか、
自分の頭で考えることができない頭の構造が不自由なキチガイなのかはともかく、
孰れにせよ言葉は無意味。
バカがバカであるのは自分がバカであることの自覚がないから。
自らの無知を自覚しているのはバカではない。
>761にできることは一連のレスを数十回読み返し、底の浅い揚げ足取りを試みるだけ、己の無知を指摘されたことを感謝することなぞありえない。
自分の愚かさを証明するために更なるバカレスを付ける、それだけが>761にできる唯一の方策なのだからw >>768
質問スレで質問者を「キチガイ」とか「バカ」
とか長々とののしってるお前のほうがキチガイ
に見えるぞ
>>761は「何を売りつけるんだ?」って聞いて
るんだから、単に「土木道具から測量器具が
どうたらこうたら」って答えてりゃいいだろ
つまんねえことで何興奮してるんだ おいおい土木道具や測量器具なんて輸出してないぞ。
>>768とかホントみっともないヤツだな。
また浪人が決まりそうな受験生がストレスのはけ口に知ったか書いているんだろう。 この質問をずっと興味深く読んでおりました。私もアメリカは何かの
ねらいがあって遠く離れた極東の中国に関心を持ち、各国に門戸開放
を迫った結果1922年のワシントン条約(九か国条約)締結に至ったの
だと思います。
支那事変においてはこのワシントン条約違反を口実として米英が蒋介石
を支援する結果となり、それが日米激突・開戦にまで発展しています
ので、日米開戦の遠因としてアメリカの門戸開放のねらいは当然研究し
つくされており、定説が確立しているものと思っていました。どなたか
定説をご存知でしたらお教えください。 昭和40年から50年代頃までは
中学にすら行かない少年少女
がいたって本当ですか?
いわゆる小卒 1947年開始だから、特殊な事情がある場合以外は親が子供に普通教育を
受けさせる義務があったというのが原則。池沼などの養護学校は79年以降
義務化。両親とも日本国籍外のばあいは現在も義務はない。 >>772
田舎だと農繁期に学校休んで田畑を手伝う中学生は1970年頃までは一杯いた。
貧しい家だと小4ぐらいから休みがちになる
日本に引揚者の開拓村が沢山あった時代で、辺鄙なところにあるから
学校まで遠くて、通学が大変で休みがちになるという傾向はあった。 >>773-774
ありがとうございます。
でも、親が積極的じゃなかったとしても法的には
何もないんですよね?小学校中学校に卒業試験が
あるわけでもないし いたかいないかでいうならいただろうし
それはげんだいでもいるだろうさ
だからどうしたってしつもんだな… おしんは明治33年生まれ、小学校入学は明治40年。
このころは小学校は義務教育になり、就学率は
90パーセント以上。なぜおしんが学校に行けなかったの?
義務なので政府も就学率向上にやっきの時期。
それを奉公に出したら役場から怒られる。
どうしておしんは学校に行かず奉公に行くことが
可能だったのですか。 ぐぐって調べたら、最初の奉公先の木材店で学校から指導があって
尋常小学校に通わせることになるくだりがあるらしい。まあきほん
小説やから。 ありがとうございます。
小説とはいえ、
時代考証はされているはずなので。
後で尋常小学校へは行きますが、
そもそも入学せず奉公にいかせる
時点で、当時としてもアウトだと思います。
それで、変だなと。
就学年齢の子供を奉公に行かせたら、
役場職員がやってきて、めちゃくちゃに
怒るはずです。
学校に行かせなければ役場職員も首になるので。
少なくとも、当時の義務教育小学校四年生を卒業して
から奉公にいったと思うのですが。 当方50代。知人にヤクザがいるけど、なんと
年下の従兄弟の同級生だった。従兄弟の話によると
彼は小学校の卒業式には出ず来るはずだった中学
にも来ず行方不明になったとか。
近所には、ちょっと可愛い年上のお姉さんがいたが
小学校卒業後、いつも家にいた。
家の近く森や原野は自分が小学校4年の頃から
破壊され始め大きな団地が出来た。原野を破壊してた
ブルトーザーには、どう見ても中学生くらいにしか
見えない少年が乗っていて叔母さんが「あの子可愛いね」と
言っていたの今も覚えてる。 法令をつくるのは国会で議決すれば良いだけだけど、国民の末端まで
まもらせるためには人員を配置して予算化し、執行のための具体的な
法的根拠を丁寧に整備しないと実現できないからね。子供を虐待したり
就学させなかったりする親からこどもを取り上げて保護して学校にやら
せるためには親権が巨大な壁になるわけで、親権停止という臨時措置が
立法化されたの平成24年でそれ以前は裁判所で親権喪失させないかぎり
行政としては親を説得するしか実効的な手はなかった。 真珠湾攻撃ってルーズベルトの罠だったってのは腐るほど聞いてるけどさ
最初このこと知ったときはしてやられたとか思ったけど
冷静に考えてみたんだよ俺
私は戦争を作るだとか偉そうに余裕ぶっこいて話してるけど
被害人数3000人以上とか、尋常じゃねえ死人が出て
「やっべ〜、まさかそんなに死ぬとか思ってもみなかったわ、キンメルの名誉も傷つけちまったし
わざと見殺しにしたこと追及されたら、俺やばいんじゃね?
しかも戦艦こんだけ被害くらうとはおもってもみなかったわ」
ってルーズベルト思ったかな?
あとチャーチルもおそらくは
「へへ、ルーズベルト旦那、そろそろジャップ怒らせて参戦してくださいよ」
とかそういうノリで共謀してたんだろうけど
結果的にジャップを参戦させるほどのメリットがあったんだろうか?
植民地を大幅に失い、ジャップを巻き込んだはいいけど、その報いをマレーで決定的に食らった屈辱を考えたら
チャーチルにとって、戦後かなり惨めな気分だったんじゃないだろうか?
そういうこと考えてたら、怒りよりも、むしろ憐れみを感じるね 日本@名無史さん[sage] 投稿日:2015/10/30(金) 21:53:44.47
よくある結果論的解説に、日本海軍は年功序列で人事が駄目、その点米海軍は素晴らしい。というのがあるが、
並み居る諸提督が軒並み「日本軍による攻撃」を理由に真珠湾進出命令に反対したため、職欲しさに容認したキンメルが
牛蒡抜きで司令長官に抜擢されたんだよなぁ。
これがスケープゴートでないなら、現役軍人に耳を貸さない米大統領以下スタッフは無能ということになる。 質問です。
日本の貨幣法時代、10円硬貨に含まれる金は7.5gで従って1円=金0.75gです。
一方の米ドルの場合、1ドルには金1.5gが使用されていました。(実はポンド単位で端数があったなどということもありません)
なので、日米双方が金解禁をしていた時代の円ドル相場は1ドル=2円ちょうどになるはずですが、
なぜ実際には1ドル=2.02円という端数が出ていたのですか? 金解禁のときの話しだとおもいますが、送金料ですね。 欧米の近代化の原動力になった、
キリスト教倫理観やルネサンスのヒューマニズムは、
日本はもともと持ち合わせていなかったから、
日本の近代の挫折は結局無理が祟ったということなのかな。 漱石みたいに自分が挫折したやつが「日本は挫折した」「日本はオワタ」
いうてるだけやろで。高学歴ニートの言うことは古今東西かわらんて。 現代日本は失われた時代と呼ばれて久しいけど、
ここまでの暗黒時代は、
1930年代以来なのか、
それとも日清・日露戦争に勝てる活力がないifの明治時代なのか。 アメリカの65年〜80年の停滞の時代がいちばん近いんじゃないかな。
日本の30年代は大恐慌に世界で一番初めに立ち直って高橋財政で
公共工事やりまくりの軍事支出やりまくりので超好景気だったんだぜ。
東京裁判史観に毒されすぎ。 そうか、
そういえば、
同じ頃英国も停滞期なんだけど、
仲のいい国同士だからなんらかの繋がりがあるのかな。
ここから先は世界史板の範疇になっちゃうかな。 日本の場合は経済不況による停滞と少子化による将来悲観と現実の問題としての
年金負担による財政悪化が同時に来たからな。
出産率が明確に上昇に転じるくらいしか回復の目はなさそう。 「出産率」なんて言われると、頭の悪い人が書いているんだなあと思ってしまう 明治陸軍が鎮台が編成された後、
>>戦時には機動性に欠ける鎮台を旅団(明治18年以降は師団)に臨時改組することにした。
ってwikiにはあるけど具体的に何が変わって機動性云々って話が出てくるんですか?
鎮台のままじゃどういう害があったのでしょうか? 鎮台はもともと近隣の藩兵を集結させるための単位で、運用費は藩の持ち出し。
それが廃藩置県になって編成はそのまま、運営費は国庫から出るということに
なったけど、指揮命令系統は藩単位だったものを改組しなきゃダメだから鎮台じゃ
都合が悪かった。もともとが西国列藩が(事実上)強迫して編成させてたような
体制だったからね。 鎮台と旅団では、やるべきことが違うから編成がかわる
端的な例としては独立行動するための兵站維持
段列dggrks 極論してしまうと鎮台兵ってのは最終的には鎮台(旧城)の守備兵。
そりゃ状況が許せば攻撃するけどな。
軍が外征する必要がないから輜重がないし全ての兵科が歩兵連隊に内包される。
師団になると諸兵が兵科に分かれたうえで連合して輜重も持つから
師団が戦略単位として完結した戦力になる。 >>800 「やるべきことが違う」んじゃなくて兵の集め方と運用の基本思想が違うんだよ。
鎮台はもともと江戸城開場のさいに江戸城および東日本を軍事占領し軍政を敷くために
開設した江戸鎮台府がプロトタイプで、これは軍事と司法裁判を、のち行政まで統括する
ことが期待されて、鎮将府、東京府に改変されていった。「鎮台」ってことばも漢籍に由来
するようなものじゃなくてこの時代にどうやら作出されたものみたいらしくて、台(臺)も
台東なんかにのこる上野や江戸城をイメージしたものと考えられる(出典なし)。
東山道鎮台だとか西海道鎮台ってのも「あの鎮台方式でやろう」という程度の発想で
命名されたものじゃないかと思ってる(出典なし)。 漢籍に由来ある「鎮東」「鎮東府」じゃ、なにかと差し障りがあったから、とりあえず
徳川直轄領が大半をしめた関東・東海道あたりを管轄する軍政府として「鎮台」という語を
作出したんじゃないかとおれは想像してる。 >802
ググっただけの、俄軍オタの相手をする気はないから、話し掛けないでね 「鎮台」いう語は江戸鎮台府ができるちょっと前の文書にも見られるようだな。京畿地方を
統治するために大阪や兵庫の港湾ちかくに鎮台を設置する、みたいなこと書いてあるから
「営舎」くらいのニュアンスで、また意味としては城郭を意図してたようだから>>801先輩の
ご説の通りのようでした。 >>701
>富裕層
長州閥の財界人
かつては 賀田金三郎 藤田伝三郎 久原房之助 鮎川義介 中部慶次郎 杉道助
最近は 柳井正 長谷川閑史 近藤克彦 佃和夫 八木重二郎 宗岡正二
>有名企業
隠れ長州閥企業
東京電力 東芝 ジャパンエナジー ダイキン工業 三菱東京UFJ銀行
DOWAホールディングス 藤田観光 日産自動車 日立製作所
京阪電鉄 南海電鉄 マルハニチロ ニッスイファーストリテイリング
>京大東大クラスの大学
かつて第一高等学校(東大)第二高等学校(東北大)第三高等学校(京大)と同格の官立学校として
山口には官立山口高等中学校が鹿児島には鹿児島高等中学造士館があった
ただし他と違い地元の協賛金で運営しており国費に依存しなかった。
鹿児島は授業料が高額で富裕層のみしか通学できず10年ほどで破綻。国が救済し第七高等学校造士館→鹿児島大学へ
山口は旧藩主の方針で授業料が安く門戸を開放していた。当初は地元民が多かったが20年ほどで2割以下になり
寄付が滞り破綻。国は高等商業学校に再編し戦後山口大学経済学部に編入 日本近代史で一番の謎は、
明治〜大正は、欧米に習って、
憲法つくって、議会開いて開明路線を歩んで、
憲政擁護運動、大正デモクラシー、憲政の常道と自由とデモクラシーの気風を取り入れたのに、
昭和に入ると一変して、
日本書紀の神話を信じて神懸かり的な考えに取り憑いて、
ハルハゲドンを決行した「オウム真理教国家」になってしまったこと。
その後、米国に原爆を落とされて正気を取り戻すと、
戦後は大正の自由の気風が復活しましたけどね。
1930〜45年の日本が「オウム真理教国家」になったのは潜在的に持っていた日本民族の狂気性によるものなのでしょうか? >1930〜45年の日本が
おまえのコピペ元が信奉している、岩波書店様謹製本でも
とちくるったのはそんな長い期間じゃねぃよ、バカ 正確には1930年代後半から45年にかけてでしょうか。
なんでこの時代の日本は狂気に取り憑かれたんでしょうね。
極めて特異的な時代ですよね。 極めて特異でもなんでもない。もとから群集なんてそんなもんだよ。
「日本は」ではなく中国も似たような軍閥割拠状態だったし19世紀の
アメリカも似たようなもんだった。そもそもアヘン戦争はイギリス本国の
意向に反して現地艦隊が勝手に始めた戦争だということ知らないのか。 『日本人は』だの『特異』だのレッテル貼ってわかったようなフリしてるかぎり
歴史学じゃなくてただの文学だよ 米国に原爆を落とされて正気を取り戻すというのは
正常な日本人の発想じゃない罠
自分が保育園に落ちたら「日本滅べ」と言っているのと同じ臭いがする 正気を取り戻すというか、
しょうがなかったと思います。
米軍が上陸作戦を決行していたら、
もっと犠牲は増えていたでしょうし。
軍部も何かに取り憑かれたように血迷っていたわけですからね。
特攻作戦という非人道的なやり方に手を染めてしまったほどですし。
戦後の平和は数百万人という犠牲の上に取り戻したものだからこそ、
平和は尊いのです。
東京裁判というのも、いわゆる東京裁判史観がどうのこうのというよりは、これによって禊を済ませて、米国と仲直りしたことが大事なのです。
GHQのお陰で大正の自由の風潮を復活強化した形で、自由と民主主義を実現したわけですからね。
更に、暴走しやすい国民性のせいで左傾化しかけたのを、逆コースによってしっかり中道路線を歩んでいけるようにしてくれたわけですからね。
日米同盟堅持、西側陣営への仲間入り、軽武装、経済成長重視というマッカーサー=吉田ドクトリンというのが、戦後の繁栄の基盤になったわけです。 >米国と仲直りしたことが大事なのです
成程。確かに歴史というより文学だな。
GHQ以降は読んでられないポエムだが… >>816みたいなのはいかにもよくありそうな釣りだと思うが、大正時代を奇妙に美化している点では
他の釣りとは少し異なるオリジナリティがあるな。 本質的に反米なのに、
都合の良い時だけ「米様がこう仰ってるのだから日本は従え」と言う
朝日新聞っぽさはあるけど、オリジナリティなんか微塵も感じない。 日本近現代史の本質というのは、
英米と友好だった時代は日本は発展したり平和を享受した→明治〜大正、戦後
英米と対立していた時代は日本は迷走して衰亡した→昭和前半
です。 二度にわたる護憲運動や普通選挙への道を開いた大正時代こそが、
戦後民主主義の原点と言えると思うのですがどうでしょう?
憲政の常道と呼ばれる時期は、瞬間的ながら議会制民主主義が根付くかもと思われた時期があったように思いますし。 戦前と戦後の閣法と議員立法の提出件数と成立件数の比較
@第1回帝国議会(1890年11月29日)から
第92回帝国議会(1947年3月31日)までの比較
政府提出法案件数3421件 成立件数2856件 成立率83.5%
国会(貴族院・衆議院)提出法案件数2977件 成立件数280件 成立率9.4%
A第1回国会(1947年5月20日)から
第173回国会(2009年10月26日)までの比較
政府提出法案件数9190件 成立件数7856件 成立率85.5%
国会(参議院・衆議院)提出法案件数4794件 成立件数1364件 成立率28.5%
(国立国会図書館調査及び立法考査局 2010年11月調べ)
これじゃ民主主義とはいえないよ >>822
ここは質問スレで自説を披露するスレじゃないから他所へいけ 1928年12月7日、ケロッグ国務長官はアメリカ議会上院の不戦条約批准の
是非をめぐる討議において、経済封鎖は戦争行為そのものだと断言した
ことを挙げて、日米戦争については、日本ではなく
アメリカが侵略戦争の罪で裁かれるべきだったとしている。
****
と主張している人がいるけど…これ書いているのは、
『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』加瀬英明/ヘンリー・S・ストークス著
という本なのだが、加瀬英明は以前「醜い韓国人」でなにやらやらかした人
だからホントにこんなコト言ったのがちょい疑問なんだよな。
どこかにソース探せないのかな?>all 東京裁判資料刊行会編『東京裁判却下未提出弁護側資料』第1巻 経済制裁が戦争行為になるかどうかというのは、現代の国連社会でも結論でていない。
一般論といえば中小弱小国と共産主義国は経済制裁は戦争行為に該当するとし、英米は
戦争行為にあたらないという立場。「内政干渉的な経済制裁は戦争行為にあたる」という
了解があるけれども、これも国際法・国債慣習法として確立しているというものでもない。
日本の北朝鮮に対する経済制裁も「立場によれば」とうぜん戦争行為に該当し、憲法が
標榜してるというところの「戦争放棄」理念にまっこう違背してることになるww 真珠湾以前に米が戦争状態であると認識していたという話に
突然割り込んで、ボクチャンが米英クンを代弁する(キリッ >>826
7万円w チェックできんw
>>827
なるほど。でも、>>825のソース欲しいのだけど…わからんよね…うーん。 現代政治史についてはここの範疇でしょうか?
自民党はなぜ保守政党と呼ばれるようになったのでしょうか?
保守政党というのはどういう意味なのでしょうか? レッテルだからあまり意味はない。ウヨサヨとおんなじ。
保守政党⇔革新政党 質問です。
「陸軍海軍は相争い、その余力を以て米英と戦う」
という言葉の出典はどこですか? アジア太平洋戦争
なぜ日本人は戦争を選択したのか? 中国人からもバカにされて、最近は極一部でしか「十五年戦争」という言葉は使わなくなったけど、
「アジア・太平洋戦争」は丸善系のジュンク堂なんかで、今でも使うブサヨがいるんだよなぁ…
多分834的な模範解答は
日本人のような劣等人種は優良種たる朝鮮人に支配されるのが正しい
これに逆らう者は全て「歴史修正主義者」のレッテルを貼り、攻撃・排除せよ、
という遣り取りしか認めないだろうから、誰か相手をしてやれw
誰もいなきゃ自演で満足していなくなるから、相手にする必要はないんだろうけどね。 支那事変は侵略だったと認めることが、
戦後日本が再び国際社会に復帰出来た出発点だったと思います。
アジア太平洋戦争は日本の国際社会への反逆だったと反省したからこそ、
再び国際社会は日本を迎えてくれたのです。 なにいってんだこいつw馬鹿か?ww
日ソ共同宣言だろがwww
中学校くらい卒業しとけよパヨクwwww >>837
日本が国際社会に復帰した条約は
サンフランシスコ講和条約ですよ
英米は寛大ですよ
シベリア抑留をしたソ連とはえらい違い まあソ連と民国が国際社会ではないという前提に立てば、な。 国連に加盟できたのは常任理事国のソ連が賛成に転じた51年という認識で正しい。 日本はいまだに国際社会から侵略国予備軍扱いされており、
完全に国際社会に復帰したわけではないと思います。
【海軍乙事件】 旧日本軍の海軍司令部が捕虜となり最高機密が米国へ 事件は不問に
http://carpenter.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1462424680/
↑戦場で逃げ回った挙句に捕虜となり、
最重要軍事機密を奪われた日本史上最大級の不祥事がこの海軍乙事件。
戦陣訓で「敵に捕まって生きて辱めを受ける前に自刃しろ」と国民を駒扱いしてきた軍の最上部が
実際に捕虜になってみたら、自刃せずに最高軍事機密まで奪われてしまうというありさま。
にもかかわらず大本営は事件を無かったことにし、当事者幹部の責任は問わず
逆に昇進させ、作戦計画や暗号はそのまま使用された。勿論、米国には筒抜け。
こんな戦争史を美化してるのが日本会議ら改憲右翼とアベ一派
仏印のフランス人による植民地支配の日本での扱いについて質問です
戦時中の日本は白人植民地の解放を掲げており、例えば蘭領東インドに対しては
「オランダ人は現地民を差別し苛烈な植民地支配政策を行っている」とプロパガンダを行っています
しかし仏印では進駐から明号作戦までの間、フランスの総督による支配と進駐日本軍が共存しています
植民地の白人からの解放独立を大義名分にしている日本軍・日本政府は
仏印のフランス人支配を認めて続けさせることの正当性を国民にどう説明していたのでしょうか?
「仏印の統治は穏健なのでノーカン」「ヴィシー政権は友好国なのでノーカン」とでも言い訳していたのでしょうか? 仏印に見る西欧の暴虐 物産豊な"楽天地"
しかも!土人は"豚小屋"の生活 轢殺されても慰藉料五円
大阪毎日新聞 1940.6.29(昭和15)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00504153&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE
こんな記事もあるから、まあ色々なんじゃないの?いちおう協定にもとづいて進駐してるし
現地総督府も協力に転向したから表面上は穏健だったんだろうけど。 この植民地云々聞いてくる人っていつも妙な改行で読みづらいんだけど同一人物? ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 文体も同じだし、
内容も、日教組による昭和臭をちらほらと混ぜ込んでいるから、
同定しても無問題。
日中戦争初期に独が國府を支援していたことは知っていても、イタリアの動きはググらないと知らないだろうし、
ヴィシーについても、昭和の爺さんが知ったかぶりで言いそうなことしか知らない。
歳幾つだよ?っていうレベル。 質問するその都度それなりの答えを貰っているにもかかわらず、
それでもなおかつ、植民地、植民地ってほぼおんなじ事を聞いてくるってスレの私物化やめてくれよ。 昭和の自民党政治家というと「料亭は夜の国会である」と言わんばかりに
支持者や味方政治家と酒を飲んでいた印象がありますが、
「とは言うものの本人は下戸だった」って人はいませんか? 枢密院はほんとwiki行って・・・
職掌がはっきりしないせいで内閣を指導することもできた最高指導会議だったこともあれば
政界官界の表舞台から引退した隠居ジジイのお茶会だったこともある組織だから語りつくせない。 伊東巳代治についてwikiの記述読んだんだけど、
憲法の番人を自認して
幣原外交批判、
台湾銀行救済反対、
ロンドン軍縮条約反対、
まさに老害だね。
昭和の暗黒への道はこの人のせいも幾らかありそう。 >>857
書いてるそれは全部憲政会→民政党の政策であり、単に政友会寄りだっただけという気も 1930年代に軍部出身の総理大臣が出てくるようになって軍部が台頭し始めたときになんで憲政擁護運動が起こらなかったんだろう? 妻や書生、その他諸々。
養っていかなきゃならんのに、キチガイに殺されたくないだろ?
現役大臣制を復活させた某が全て悪い。 新聞やテレビを筆頭とする、
報道局はなぜ和暦を平成以降
あまり使わない傾向になってる? 元号は天皇主義の匂いがするから民主主義の時代にそぐわないから。 そもそも軍人が総理大臣になってはいけない、なる思想が
明治憲法にはない。つーか、総理は国会議員でなくても良かった。
つーか、国会が選出するわけですらなかった。 立憲主義のもと漸進的に自由化、民主化を進める本当の保守政治が戦前においては希薄だったということかな そんな理念的な要約で納得しようとせず、ちょっとくらいは
明治憲政を勉強しろよ 先の大戦で日本は全面降伏し、連合国に占領されています。
この経緯を踏まえると、世界史的な慣例では日本国内の宝物は相当占領軍に収奪されてるはずなのですが、
そういった話しは聞いたことがありません。
文化財は目立つので収奪を免れたとしても、
国内の政府が保管していた金塊等
が連合国に没収された事実は無いのでしょうか?
戦後政府間で決められた金銭的賠償ではなく、
戦後占領期間に行われたものに限ります。 外貨用決済金塊は没収されてるよ。そもそも戦前からアメリカにあったからな。
強奪というより対敵通商法による金融制裁だな。つーか、それ以外にも朝鮮や
台湾、関東州やカラフトにあった日本人の土地・建物・工作物・機械等は日本人の
個人財産だけど、すべて接収のうえ没収だからこれもそうだな。返還裁判でも
ことごとく敗訴。なにもM資金みたいなの構想しなくても、ふつーに大量にあるよ。 >>867
GHQは権力をかさに着て実質上の略奪恐喝行為を各地でやらかしてるよ。
例えば裕福そうな家に押し入って「国に土産を持ち帰りたいからなんか差し出せ」とか言って、
家宝の刀とかを奪って行ったりとか。
残存一枚の博多金判という戦国期の金貨は博多の神社かどこかに奉納されていたけど、
それもGHQによって持って行かれて消息不明になっている。 それもこれも含めて講和条約で相殺だからね。ひどい話さ。
まあ戦争に負けるなって話しなんだけど。 横浜に進駐したGHQの部隊は、白人のガキをはらませて民族浄化すると称して、
道を行く婦人たちを呼び止めてDDTで消毒すると言って建物に呼び入れては
部隊員によって集団レイプしていた。被害者数千人也。 >>870
サンフランシスコ講和条約で該当する条文はこれ。
日本は、占領期間中に、占領当局の指令に基き、もしくはその結果として行われ、または当時の日本の
法律によって許可された全ての作為または不作為の効力を承認。前述の作為又は不作為を理由として
連合国民を民事責任または刑事責任に問わない(第19条(d))
兵士の略奪行為は占領当局の指令のわけがないし、日本の法律が許可するわけもない。返せと言えば
返ってくるはずなんだけどね。 第一次西園寺内閣で西園寺が明治天皇に山縣逓信大臣、阪谷大蔵大臣と一緒に辞表を出してしまい
原敬と寺内正毅が必死に翻意するよう説得したって話だが
誰かこの説得工作について詳しく教えて下さい! 毎年この季節になるとなぜ戦争を防ぐ事が出来なかったのか考えてしまいますが、
日独伊三国同盟に乗らずに日本が中国から撤退後することで防ぐことが出来なかったのでしょうか?
好戦国ドイツについていってしまったという誤った選択を防ぐことは不可能だったのでしょうか? 真贋不明の某メモによると、先帝は本国の意向を無視して
三国同盟に突っ走った白鳥敏夫を嫌ってたな。
メモが本物なら白鳥は名指しで批判された数少ない例。 >>874
大陸から撤退できれば戦争は回避できたけど、それでは日本がやって行けないと当時の人は考えていた。
だから外れ者同士でドイツと組むしかなかった。
アメリカと組めれば良かったけど、アメリカは勢力拡大中の日本の鼻っ柱を叩き折る機会を狙っていたから無理。 じゃぁ日露戦争の勝利で自信を持った国民世論を徳富蘇峰をはじめとする文筆家やマスコミが
大陸進出に煽ったから撤退できなかった。 正解のない質問なんだから、自分が納得するまで調べるしかないだろ。
その過程で正解がある質問なら知ってる範囲で答えてあげるよ。 874さんではないですが
日本がイギリス・オランダに対してのみ戦争を始めたらどうなったでしょうか?
日本としてはすでに仏印をおさえており、マレーシア、ミャンマー、インドネシアを占領すれば、
必要な資源を確保し、援蒋ルートはかなり断つことができると思います。
一方アメリカは日本から喧嘩を売らない限り、世論が戦争に反対するのではないでしょうか? >>880
>一方アメリカは日本から喧嘩を売らない限り、世論が戦争に反対するのではないでしょうか?
実情はそうだけど当時の日本はそれを知らないからやられる前にやれと真珠湾攻撃になったわけで。
在米大使館や邦人からそういう情報があれば良かったんだけど。 全て仮定の話だから、正しい・間違いではなく以下全て個人の妄想ね
日本が対英宣戦布告↓
米の義勇兵のみならず、何故か正規軍が英領駐留↓
後のベトナム戦争のように議会の承認なく米正規軍対日戦闘開始、若しくはメイン号事件再び↓
映画『市民ケーン』等で知られる米マスコミ、有色人種の教化は優良種たる白人の義務と開戦を煽る↓
アイゼンハワーが退任演説で指摘したように、米軍産複合体と民主党の癒着とニューディール政策の失敗↓
ケインズ「米の経済再生にはWW1以上の戦時増産が必要」↓
ルーズベルト「戦争初めてもいいよね」 どっちかといえばアメリカ以上にイギリスとは戦争する理由なかったんじゃね。
オランダについては東亜開放という大儀はあったけど、理論上は本国オランダが
すでにナチスの占領下なんだから外交交渉で仏印進駐みたいな処理にもちこむ
こともできたはず。対米開戦がないのなら対英開戦も必要あるまい。 知らない言葉が出てきてもググる気すらないという知的衰弱者に
援蒋ルートとは何なのか、説明してやる心優しい住人はいないのか… おいおい、いくらなんでもビルマルートふさぐためだけに
イギリスに宣戦布告せよとか言うんじゃねーだろな コメントありがとうございます。
>>881
日本側はアメリカ世論が戦争反対なので、打撃を与えれば早期講和が可能とみて対米開戦したのではないでしょうか?
>>882
た、たしかにメイン号とかトンキン湾とかありますよね。真珠湾無しでやや遅れて対米開戦するだけですかね。
ただ、アメリカがイギリスを軍事支援すると仮定しても、即応できるのはフィリピン米軍くらいです。史実での体たらくを見ていると、すぐに動けるか疑問です。
史実の対米開戦との時間差を有効に使える可能性はいかがでしょうか。お考えがあればお教えください。
アメリカが本気になれば、最終的に物量で押しつぶされるのはわかりますが…
>>883
親独政権ができたフランスと、ロンドンに亡命政権をつくったオランダは一緒にできないと思います。
蘭印への経路の確保、およびゴムなどのマレーの資源を考えると対英開戦は不可避と思いますが、いかがでしょう? オランダのばあいナチスは併合する意図があったかもしれんね。
ゴムはドイツ軍最大のボトルネックだったわけだし。 >おいおい、いくらなんでもビルマルートふさぐためだけにイギリスに宣戦布告せよとか言うんじゃねーだろな
大本営や陸軍の戦争方針より俺の演説を聞けってかw
書き込みを繰り返す度に、自らの無知をアピルってのは、そういう性癖の持ち主なのか?
そういう言動で自身の何を満足させているのか、ちょこっとだけ興味があるから、自分語りを続けてくれ。 >>886
>日本側はアメリカ世論が戦争反対なので、打撃を与えれば早期講和が可能とみて対米開戦したのではないでしょうか?
喧嘩は嫌だなと思っていても殴られたら誰だって殴り返すもの。
先制攻撃することで早期講和が可能になるなんて素人でも考えないよね。 前提が「アメリカとの戦争は回避したうえで」イギリスやオランダ「のみに」開戦するという
手はあったのかという議論なんだから、アメリカと開戦しないのなら、わざわざビルマルート
ふさぐためだけにイギリスと開戦なんかありえねーだろっていってるだけだろ。なんで「無知
をアピる」とか挑発されてんの、おれ。
そもそも中立国が中国に便宜はかってんなら中立国の義務違反だから爆撃するなり
撃沈するなりすりゃいいんだろ。ナチスがアメリカにやってたように。なんでわざわざ
イギリスに開戦なんだよ。 質問です
ww2の日本海軍航空隊の方々のファンなのですが
靖国神社でその方々が合祀されている名前リストみたいなものを
一般入場して見ることはできるのでしょうか?
リストが置いてあったとして調べるために覚えておくことありますか?
(例えば出身県で分けられているとか) 正直1930年代後半から45年って歴史の恥部だよね。
言論統制、統制経済、軍部主導政権、軍国主義的全体主義。
その前の時代に明るい大正モダンがあるだけにより暗さが際立つ。
この時代は何を間違えたのか正直消化不良になる。 それを歴史の恥部だと思い込むのは自由。
某国は愛国者様がファビョルから無視するとして、ソ連・中国・東欧では法治ですらない時期があるし、
米はその時の都合で法治の概念が異なる。禁酒法時代やネイティブ・アフリカ系には法治とはほど遠い。
ついでに言えば、ホワイトハウスでアフリカ系職員が制度上白人職員と同等の権利を与えられたのはレーガンの時代。
欧州全般でも状況は変わらない。軍国主義的全体主義って言葉の使い方が稚拙だが、WWU後の仏は国内や海外領土で何度も
それっぽいことを繰り返しているな。
子供の潔癖症なのか、日本や日本人を否定すればレス主の何かを満足させられるのか分からんけど、
直近百年で歴史の恥部とやらがない国家って何所だよ?君の母国かい? 質問です
まだ公になっていない日本の歴史の暗部を覗く事がありました
おそらく見なかった事にして黙っているのが自分と周囲の為だと思います
しかし知ってしまった以上は真実は明かすべきではないかとも思います
こういうのはどこの誰に相談するのがいいでしょうか? 日露戦争を描いた物の多くで、乃木将軍が白いズボンを履いている姿で書かれるのは事実なのでしょうか?
軍装が決まっているのに彼だけ特別な服装がOKだったんでしょうか。 戦後秘史 大森実
この本の評価はどんなもんでしょうか?
当時の実情などをしることができるでしょうか?
第一次世界大戦からGHQの占領政策あたりまでで詳しく知るのに
おすすめの本はあるでしょうか? 日本でベルエポックといえば?
坂の上の雲の時代?
大正デモクラシー?
三丁目の夕日の時代?
いつだろう 祖父の遺品のカバンに
おそらく昭和10年代の満州と朝鮮のホテルのステッカー?が貼られていました
https://i.imgur.com/SZiFBYp.jpg
https://i.imgur.com/rA52sYO.jpg
これって貴重ですか?
あと、1枚目右端のステッカーが何と書いてあるのかわかりません…
どなたか教えてください >>901
本当だ!
情報ありがとうございます!
きっと祖父は神戸から船で行ったor船で神戸に帰って来たんですね 吉田茂ブレーンの辰巳栄一はCIAのエージェントだった事が機密解除されたアメリカの公文書で発覚していますが、
では何故そもそも辰巳はアメリカに情報を流していたんでしょうか!? 戦後黎明期は米国によって助けられたわけだから問題ないよ >>904
ゴメンいい悪いじゃなくて何でか理由を知りたいんだよ GHQ時代はウィロビー少将のご指導に日本再建を賭けていたからでしょ
その後も親米愛国が日本の国体だったから すげえ面倒な問題だから説明しにくいよな。
動機を端的に言ってしまえば再軍備のためだろうけど。 敗戦後、南樺太、千島列島の返還を求めないと決めた経緯について教えてください。
合理的な判断はあったのでしょうか?
それとも大敗北に伴う、これ以上揉めたくないという国内ムードに
押された形で千島列島南樺太は放棄したのでしょうか。 日本固有の領土じゃないからじゃない
敗戦の結果として領土を取られるのはしかたがないし
北方四島についても返還される可能性はないよ
もう腹を括ってロシアと平和条約を結んで天然ガスパイプラインを整備した方がいいと思う
将来的にはシベリア鉄道を北海道に延伸して北海道を活性化することも一つの手
中国よりかはロシアの方が分かり合えると思うよ >>909
日ソ共同宣言の交渉の際、当初鳩山一郎は南樺太と千島列島の返還を求めるつもりだったけどシベリア抑留者が大勢いて時間がないから妥協した経緯がある
命に関わるからとにかく一刻も早く抑留者達を帰国させる必要があったし何よりも世論が求めてた
当時の世論はシベリア抑留者の帰国が最優先事項で平和条約締結や領土問題解決は二の次三の次だった 私の祖父は戦争に行ってましたが
、当時のことを、果物が美味しくて楽しかったまた行きたいと語っていました。戦争に行ってそんなことあるんですか?戦いは全然なかったそうです。 戦後間もない頃、台湾や朝鮮半島を故郷のように思って帰りたがってた日本人て居たのですか?
北方領土や樺太については時々取り上げられますが、他の旧領はどうなのかと >>912
例えばラバウル島。
ラバウル島は米軍の飛び石作戦で飛ばされたので上陸されてない。
本土からの補給も無いので終戦まで自活。
でも南国なので食料に全く困らず、島で採れる鉱物から
爆弾を作ったりして武装も自活してる。
壊れた航空機を寄せ集めて一機の稼働機を作り、近くの米軍基地を爆撃したり、
内容は不明やが、「秘密兵器X」を開発してたと証言してる人もいる。
こんな感じで陸上部隊は終戦までボーイスカウト状態。
支那の戦線でも敵を見る事なく、ただただ行軍しただけの人は沢山居るよ。 ありがとうございます。
ラバウル島は水木しげる先生が腕を失ったり、結構戦争があったのでは?
私の祖父は、戦地が本当に楽しかったらしく、まるで海外旅行のように思い出話をしていて、私は面食らったものです。 なんで近代の日本はイギリス型政党政治の導入に失敗しちゃったんだろう。
原敬とか加藤高明とか部分的には出来ていたと思うんだけど。 英の政治家が大好きな挙国一致は
日本も見習ったろ? 2ch初心者です
戦時中の小冊子が色々家にありまして、
陸軍の物だけなんですけども、
そういう話を聞いてくれるような人は
どの板(?)に多いのでしょうか。
誰に聞けばいいかもわからなかったので
こちらで聞いてみます。スミマセン。
規程集みたいなのとか、教本なんかが多いと思います。
よろしくお願いします。 こんな便所の壁板みたいな掲示板になに期待してんだよ。
貴重なものならどっかの信頼できる大学の研究者に持ち込んだほうがいいよ。 >>921
ありがとうございます
もう少し色々調べてみます むかしの「ふたば」の軍板には現職や元職の自衛官がいたけどなぁ
2chの軍事板は十年以上みてないから何とも言えんし…
今の匿名掲示板は、ネットでググっただけのバカな子が他人を否定してドヤ顔するばかりで
真面目な相談はできないと思った方がいいよ
気になることがあるなら、こことかあちこちの板に話題を振ってみては?
ただ住人が被っていることは珍しくないので、同じ話題を複数書き込んでも
コピペだと看做されてスルーされるかも 平沼騏一郎が右翼っていうけどこの場合の右翼ってどういう意味なの アタマはよくても固陋頑迷で友人のいない腕力主義者、といったところだろう。
けっきょく秀才にありがちな、他人や周囲の期待に応えることだけが命題であって、
じぶんの思想などほんとうは無かったタイプと思われ。 端的なキーワードでいえば家族国体論者
行儀や道徳はあっても統治原理などどうでもよかったんだよ まぁ平沼はファシストだよね
西園寺公望に蛇蝎の如く嫌われてた 中学のとき薩英戦争は大砲では負けたけど、上船してからの斬り合いでは勝ったと
習ったのですが、斬り合いはでたらめですか? 日本は国際的な呼称が「ジャパン」なっていますが、
どういう経緯で我々日本人がつけた名前である「ニホン」にせず、外国が呼んでたジャパンを正式呼称にしたのでしょうか?
殆どの国が、自分の国名と国際的な呼称は同じと思います。 そうかな?例えばドイツのドイツ語名はDeutschland(ドイチュラント)だが英語名はGermany(ジャーマニー)
フランス語ではAllemagne(アルマーニュ)で全然違う。
スペインはスペイン語ではEspaña(エスパーニャ)だが英語ではSpainで全然違う。
オランダの国名はオランダ語で Nederland (ネーデルラント)だが日本人はオランダと呼ぶ。
日本の正式な国名は漢字表示の日本であってJapanではない。しかし英語表記でJapanと書くのは
それぞれの国の自由ということだろう。 ニホンかニッポンかも法的には決まってなかったんだっけな、たしか。
「日本」なのか「日本国」なのかも決まってなかったはず。 そう。法的には日本とも日本国とも決まってない。
東京が首都とも決まってないし。 とあるマンガで戦時中の公然の闇市が描かれています。戦後に公然の(非合法でも)闇市があったことは常識ですが、戦時中(食管法施行後の1943-1945年8月まで)に公然と闇物資を並べた市が存在するでしょうか? 田舎に引っ越してきたのですが住んでる人は皆知ってる地名が表記されている地図がありません
住所の表記も都会と違ってA県B市C○○○○番地と言ったようなやたら番地の桁が大きいです
地図に乗っていない地名と言うのは上の例で言うCは、本当は更にD、Eと続くのですがEを記した地図がありません
図書館でも聞きませんがないと断言されました
こちらで育ってないのでよくわかりませんがおそらくCは字でDは大字Eは小字のことかな?と思います
大字や小字を隠す?のは何故ですか?
住所もA県B市C、D、E○○番地のとしたほうがわかりやすいのでは?と謎です × 図書館でも聞きませんが
↓
○ 図書館でも聞きましたが >>937
俺の本籍地も近くの市と合併したらそういう表記になった。A県B市C町○○○○番地。
その市なり県なりの方針なんだろう。住所が長くなるのを避けたいのかもしれない。
俺の現住所はA県B市C町D字E○○番地で結構長い。 >>937
>住んでる人は皆知ってる地名が表記されている地図がありません
肝心なことを書き忘れたかもしれない。それらの字とかは廃止されたから地図には書いてないけど
昔からの住人はそれまで通り使ってるということでしょう。隠してるんじゃなくて廃止です。 >>936 配給は内地に戸籍がある家のみにおこなわれたから台湾籍や朝鮮籍のものは
配給が受けられなかったんだよ。そういう地域ではとうぜん市(いち)がないと物資が
調達できなかったから市が立った。
>>940 行政の町名表示と地籍簿の町名がちがうことはけっこうあるんじゃないかな。
とくに平成にかけてかなり地名表示は変わってるハズ。 >>937です
A県B市C、D、Eの、Eは今思い出したのですが転入したときに行政区を書いて、と役所の人に言われました
そこでそういや行政区って何だ?と検索してみたら元は五人組なんですね
お年寄りは部落と言います
この行政区表が見られたら嬉しいですが市役所に行けば見られるのでしょうか?
>>940
それが廃止と言うこともなくて(私が小字?と言ったからと思います。すみません)
ゴミ出しの表にはこのEが書かれているんです
月曜回収 E1、E2…
火曜回収 E6、E7…
と言った具合です。役所も便宜上使ってるのかもしれませんが つか、近代史板で聞くような内容じゃないんじゃね?
自分でしらべて、近代史に関わるような事実でも判明すりゃ
また報告してよ。さすがにそんな話題に付き合いきれない >>943
地理板がふさわしいのかなと思ったんですが様相が違ってこちらかな?と質問しました
板違いなのですね
消えます失礼しました その地域のまちBBSがいいと思うわ。昔からの経緯を知ってる人とか居るかも知れないし A県B市みたいな聞かれ方したらさすがに協力のしようもない 字が知りたければ超大型書店で一冊数万円の個人名まで記載されている地図をみれば確認できる。
あと、今でも田舎に行って、地元の年寄りに道を尋ねようと地図を手に持って近づくと逃げ出す人もいる。
俺は田舎で道を尋ねるときは相手の反応を最初に確認して、地図を嫌そうにみる人は車の中に置いてから話し掛けるようにしてる。 ありがちな一般論としては近世以来の地名が行政住所に反映されていないとかね。
○○部落と呼ばれる単位が江戸時代の1村相当で、このレベルでも行政地名としては残ってないとこも多いし。
さらに部落内の地名なんて大部分消失してるんじゃないの? 米国との開戦
真珠湾を攻撃した時点で日本はどの
くらい戦って講和をする予定だったんですか?
勝利条件はどのようなものだったんですか?
アメリカの戦意をくじいて中国などの利権をみとめさす?
それともガチで枢軸国陣営で世界を牛耳るのを目指していたの? それとも初期からソビエト頼りで講和とか考えてたの? 1 B-24はビルマ戦線に参戦してるのにランカスターはしていないのは何故?
2 ソ連は何故、1945年8月に北海道を爆撃しなかったのか?
3 米軍は何故、小笠原諸島の大半を攻略していないのか?
4 飛行場は硫黄島の他にも父島でも良かったのではないか?
5 米軍は台湾を攻略せずフィリピンを攻略したのは何故なのか?
6 カイロ宣言で『中華民国に返還』されるはずの台湾は、戦後どうなったか?
7 マッカーサーは沖縄戦に参加せずフィリピンに拘ったのは何故か?
8 『中華民国』という国家は今も存在するか、またその主権範囲は?
9 中華民国と中華人民共和国は、冷戦時代の東ドイツと西ドイツの関係か?
どれか一つでも、怒らずかつ矛盾を指摘されることなく、冷静に説明できるか? おまえのような低能に呉れてやる知識はない
しぬまで壁にむかってひとりごと言ってろ もうちょっと口の利き方に配慮があるなら答えてやるけどなぁ
学問とは関係なくね?この質問
小学生の疑問ならわからなくはないし、教科書を読んで疑問が色々でてきた中学生なら頑張って勉強してねと言えるけど、
高校生でこれだけ頭の悪いことを書いているなら… 本当は怖い 被曝汚染キムチ の不都合な真実
【韓国】古里(コリ)原発、放射性物質排出量世界最多
他の原発に較べ最大3000万倍多く排出
https://goo.gl/mGktT9
【被曝】韓国ソウル市内の放射線量が福島緊急避難区域より高いことが判明!
https://goo.gl/fxY2cY
韓国の新生児の1割に先天性異常…5年で発生率2倍に
https://goo.gl/DfyO7h
韓国Samsung スパイウェア
https://goo.gl/Z8GoRh
南朝鮮の半導体技術自体、日本から掠め取ったマガイモノ
https://goo.gl/H7KXas
韓国やめますか それとも遺伝子異常になりますか(笑) 毛利元徳の息子達について
次男と七男は夭折ですか?
名前は次郎と七郎?
特に小早川四郎、毛利五郎、大村徳敏(旧・毛利六郎)と来て西園寺八郎に飛ぶのが非常に気になる 韓国や北朝鮮から日韓併合時代のことを悪く言われていると思いますが、
当時はイギリスやフランスみたいな原住民を酷く扱う植民地支配を日本は何故行わなかったのですか? 昔、電車の貨物列車で背中に荷物つんだ
籠を背負ったお婆さんたちがいましたが
あの人たち何て言いましたっけ? 貨物列車に人はのれないよ?
行商専用車両
混載列車 >>960
行商専用列車かもです。自分が子供の頃
見たのは私鉄で通常の列車ですが車両が
少なく電車も古い感じで一般の人は乗らない
列車で中は荷物を積んだお婆さんばかり。 それって京成電車の「荷」車じゃない?
行商のおばちゃん専用のやつ。 >>959です。
あのお婆さんたち「おさんどさん」
と言うのかと思ってネットで調べた
ところ「おさんどんさん」と言うのが
出てきました。意味は飯炊き女のことで
違いますよね?確認するつもりでレス
しました。お騒がせしましたw >>909
>敗戦後、南樺太、千島列島の返還を求めないと決めた経緯について教えてください。
>合理的な判断はあったのでしょうか?
無条件降伏をしたのだからしょうがないってことでは?
○小坂国務大臣 政府委員から補足させまするが、カイロ宣言の中には、その南樺太並びに千島という部分は
入っておらないことは御指摘の通りであります。ただ、これを受けてできたポツダム宣言の中において、連合国が
日本の所有する領域をきめるということになっておりまするので、連合国の主張に従って無条件降服をした日本の
立場として、南樺太並びに千島を放棄したということであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/039/0514/03910110514008a.html 1952年に日本が主権を回復したことで何か今の日本にとってメリットはあったんでしょうか?
主権なんか回復しないでずっと米国の支配下というか米国の領土「アメリカ合衆国日本州」にでもなっていれば、少なくとも安全保障上では問題は起きなかったのではと考えます。
中ソも日本が米国の領土だったら領空侵犯や領海侵入なんて出来なかったろうし、北朝鮮もミサイルを通過させることも無かったと思います。
米国の領土になっていれば所謂「日本軍国主義()の復活」なんてこともまずないでしょうし
何故日本は主権を回復して独立しちゃったんでしょうか?
独立国であったハワイが米領になったハワイ併合の例もあるので米国が日本を準州にすることは出来たのではないでしょうか? >>965
アメリカにそんな意思は無かっただろうし、あったとしても他の連合国、特にソ連が認めない
できてもせいぜいベルリンみたいな共同統治 >>965
アメリカの思惑はともかく、異民族の支配を受けたことの無かった日本民族にとって主権回復は悲願だった。
ポツダム宣言受諾にあたっても天皇の無事は最重要案件だった訳だし、アメリカの一部になって
天皇制も廃止となれば武力放棄もありえたんじゃないかなぁ。 回答ありがとうございます
>>966
連合国っても対日戦でソ連が果たした役割なんてハナクソみたいなもんですし、他国も似たり寄ったりなものでは?
分割統治やって朝鮮戦争みたいに日本人同士を戦わせて人口が減ってれば併合できたんじゃないでしょうか?
>>967
主権回復したところで他国に掠め取らた領土は戻ってこなかったんですがそれは・・・
それに日本人が蜂起したところで有無を言わさず弾圧していけばいい話ですし
降伏した時点で米国が日本側の軍備を抑えているんで大したことは出来ないと思えますが
アメリカは日本を叩き潰したんだから最後まで尻を拭いて欲しかった
と考える所存です 日本側の言い分は分かったけど、米のメリットは何?
当時の米は予告された戦後不況の真っ最中だよ。 >>969
不況の真っ最中なら占領下の日本に投下する資金も無かったろう。
独立させて貿易したほうがお得。 アメリカのメリット?
考慮する必要ないでしょ
米国の目的は日本を潰すという最大の目的は果たせたんだからそれが最大のメリットでは?
経済的にも軍事的にも負担だっつーんなら日本の北半分ぐらいソ連に熨斗付けてくれてやりゃいい
それが嫌ならケツを拭けと
大体日本の軍備全廃させといて朝鮮戦争起きたからやっぱ再軍備しろとかどんだけ手のひら返しだよ・・・ 質問です
1950年に朝鮮戦争が勃発した事でマッカーサーが日本に対して再軍備を指示したそうですが、
この時日本側が「経済的理由」「軍国主義の復活」「憲法前文」を盾にして再軍備に応じなかった場合、どのような状況になったのでしょうか? 日米開戦前にルーズベルトがハワイに餌を並べようとしても海軍が応じず
ルーズベルトは序列を素っ飛ばして、キンメルを任命したように、
マの命令を聞く首相に首をすげかえただけ
ちなみにキンメルは日本海軍からの攻撃に備えて猛練習を麾下に命じ、ハルゼーは辟易していた >>973
実際再軍備には応じないで警察予備隊でお茶を濁したわけだが。
軍備じゃなくて警察力だという建前ね。 第二次世界大戦で米国は日本の非戦闘員を多数犠牲にしましたが、日本はどうなんでしょうか?
真珠湾攻撃では米国の民間人も犠牲になったと聞きますが… 中国大陸で民間人をたくさん殺してるでしょ
三光作戦もあったし南京事件もあったし731部隊による人体実験もあった >三光作戦
日本人の発想にはなく中国人が好む作戦。
>南京事件
20万人前後しかいないのに30万人が殺されたらしい。
ちなみに南京陥落後一か月で南京の人口は日本軍占領前より増えている。
>731部隊による人体実験もあった
単なる窃盗事件ですら断罪していた中共がムジュンにいた731関連者を誰一人処罰せず。
中共的には南京事件のソ連バージョン。ハバロフスク裁判なんか全く信じていなかった。
サヨクが長年証拠があるあると言われていた米軍押収の731史料。
クリントン政権が全面公開しネットで誰でも読めるが、731は只の防疫給水部隊にすぎないことのみが明らかになった。 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
8QGEO >>280
保阪正康と渡辺昭一の本を読めば間違いない
読んだあと話をまとめて後で俺に教えてくれ 質問です。
現代日本では東日本大震災や太平洋戦争の追悼式を国家行事として行っています。
日露戦争や日清戦争、関東大震災といった一昔前の出来事の追悼式や慰霊祭はもはや国家行事として行われていないですが、
これらはいつごろ廃止になったのでしょうか?
勝手な想像ですが、太平洋戦争が長引くにつれ節約のためになくなったとか、敗戦後にGHQの指導で廃止を決断した、といった事情があるのでしょうか? ネット時代になって20年も経つのに
なんで日米戦争はイカサマだったという真実が伝わらないの?
日本人て暗記が得意なだけでバカなのかな 時代の枠組みに古代、中世、近世、近代、現代とありますが、平成から時代が進むと、昭和が近代になったり、安土桃山が中世になったりと、枠組みがかわったりするのでしょうか。 >>985
現代が別の用語に置き換えられるんじゃないかな。 >>986
そう思います
たとえば敗戦に匹敵する大事件が起きたら
敗戦からそこまでが新代、以降が現代
などになるのかと思います >>985
一つ忘れてました。もともと欧米の歴史学で古代中世近代と3区分だったのを、それだと江戸時代が
当てはまらないということで近世と称するようになり、それを逆輸入して欧米でも近世を使うようになったらしいのと
中国史は清朝まで古代だったのが今は宋あたりから中世らしいから、そういう感じで枠組みが変わることもあり得るようです。 >古代中世近代と3区分だったのを、それだと江戸時代が当てはまらない
それ、ルネサンス時代の区分
ルネサンス(仏: Renaissance[† 1][† 2])は「再生」「復活」を意味するフランス語であり、一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、
14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった(文化運動としてのルネサンス)。また、これらの時代(14世紀 - 16世紀)を指すこともある(時代区分としてのルネサンス)。 「日本のバブル期に、欧米のある新聞が
"東京の駅の階段をうつむいた状態で降りる人々"
の写真を掲載して、日本人の暗いイメージを印象付けた」
という文章を複数回見たことがあるんですが、
それはニューヨークタイムズだったか、ほかの新聞だったか、
何年何月何日とか、詳細まで分かる方いらっしゃいますか? 今の日本国の定義について質問です。
日本国は、戦後に天皇以外を引き継がない新規に誕生した国なのでしょうか?
それとも大日本帝国が憲法改正して国名も日本国に改名しましたという、
改良された大日本帝国が続いているのでしょうか?
同じ話で、大日本帝国は、大政奉還された天皇の国の改良版なのでしょうか?
更に大政奉還される前の日本は、天皇の国?それとも徳川幕府という国になるんでしょうか? 神代から敗戦までは一貫して天皇の国でした。と言ってもその存在感は時代によって全然違います。
時には居ないに等しいペラッペラの時もあった。それでも名目上は天皇の国です。
そして幕府は天皇の信任を受けて政治を執り行っている。実態はともかく名目上はそういうことです。
しかし敗戦でそれが変わります。アメリカは民主主義の権化で君主制は打倒しなければならないと思っています。
マッカーサーも天皇制廃止の予定でしたが、日本に来てみてびっくり。日本国民は天皇の存在を
当然のものとして受け入れていて、廃止したら社会不安で復興どころではなくなる勢いです。
アメリカの思惑ではソ連や中国共産党に対抗する不沈空母として日本を利用する予定でしたから
速やかな復興は何より大事だったのです。そこでやむなく天皇制を残すことになりました。
しかし民主主義の権化であるアメリカは国民主権だけは譲りません。天皇は主権者ではない
象徴と位置付けられました。象徴ってなんだかよく判りませんが、決めた人たちもよく判らないまま決めたでしょう。
そういう訳で今の日本は憲法改正の手続きを経て出来たので、大日本帝國の延長です。
国会も帝國時代から通算で数えてるし、首相も伊藤博文からの通算です。 >>992
えー、微妙に訂正します。「アメリカは民主主義の権化」と書きましたが
「アメリカは民主主義の狂信者」の方が適切でした。 ネット時代になって20年以上経つのに
なんで太平洋戦争はイカサマだった」というスレが立たないんだ .
.
山本は日本を救うために、真珠湾奇襲を決断した
誰よりも日本の未来を見抜いていた、その屈託した先見性
それが山本五十六の実像に他ならない。
.
.
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹きジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
74L
板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 600 -> 571:Get subject.txt OK:Check subject.txt 600 -> 599:Overwrite OK)0.63, 0.58, 0.63
age subject:599 dat:571 rebuild OK!
板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 599 -> 571:Get subject.txt OK:Check subject.txt 599 -> 599:Overwrite OK)0.58, 0.67, 0.66
age subject:599 dat:571 rebuild OK!
板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 599 -> 571:Get subject.txt OK:Check subject.txt 599 -> 599:Overwrite OK)0.53, 0.65, 0.65
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