【白馬青牛】瀬島龍三を語ろう【廣島もみじ民】
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考古学板・人類学板・歴史難民板などで他人を誹謗中傷する
レスを繰り返し、スレタイを無視して自分勝手なことを喚いてる
コテハン白馬青牛が、人類学板で瀬島龍三について語りたいと言い
始めました。
明らかに板違いなので、こちらに代行で立てました。適当に相手を
してあげて下さい。レスを辿れば分かると思いますが境界型で……
…な糞コテです。
元々のレスは
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/geo/1298637215/915
あたりから始まりました。
915 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2011/11/27(日) 00:03:20.92 ID:XJAnhJl7
>>414-416の洗脳された靖国カルトの宗教右翼が連投しよるのう。
まあ、こんなら(こいつら)戦記じゃの連隊史じゃ中隊史じゃの
読まんで、宗教集団の指定するもんしか読むまあ。
>>906
あんた、自分で調べた云うとるが、シベリア抑留について読んだ作品
と著者あるいは発行した団体でも挙げてみんさい。
ほいからシベリア抑留者が日本政府に賠償要求したことも、
あんたにゃ不満らしい。何しろあんたら「日本会議」の顧問で
あり、ソ連の工作員であった瀬島龍三氏がソ連に引き渡したんじゃ
けぇ都合が悪かろうのう。
考古学板でもあんた答えんかったが瀬島龍三氏は、赤の売国奴か
どうか? あんた真っ赤な空気が嫌いなんじゃろ?
>>20
日本の証言 瀬島龍三
https://www.youtube.com/watch?v=bX4pDNVIjsM
平成日本のよふけ 元伊藤忠商事会長 瀬島龍三 1
https://www.youtube.com/watch?v=lqeke4EUHGg&list=PL40MpH5enpLzcqBBerRNjb7jOjh-tOEe-
上側の動画(9:47〜)で、シベリア抑留中、ラジオを入手して情報が得られるようになったと瀬島が
話しているが、ゴルバチョフの偽証からヒントを得たんじゃないか?
口からでまかせで生きてきた男だからな。
ソ連でのクーデター未遂の頃、ゴルバチョフが監禁されていたというのは嘘で、別荘のプールで
悠々泳いだりしていたらしい。
ミハイル・ゴルバチョフ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%95
ゴルバチョフが軟禁された際、当然ながら外部との連絡は絶たれ、いつ「用済み」として殺されるか分からない
状況であったが、偶然別荘にあった日本製のラジオがニュースの電波を拾うことができたため、モスクワで
エリツィンや市民、軍部がクーデター首謀者側に抵抗していることを知り、救出される希望を捨てなかったという。 「昭和の怪物七つの謎」を語り尽くす−特別対談・保阪正康×半藤一利
週刊現代(2018-09-01), 頁:144
ttp://wgen.kodansha.ne.jp/archives/53099/
https://www.zasshi.jp/pc/action.php?qmode=5&qword=%E9%80%B1%E5%88%8A%E7%8F%BE%E4%BB%A3&qosdate=2018-08-17&qpage=5
――ところで、謎を秘めた「昭和の怪物」と言えば、筆頭に挙がるのが瀬島龍三です。大本営作戦参謀として暗躍し、
2007年に95歳で死去するまで、「ソ連スパイ説」がついて回りました。
半藤 私は4〜5時間話を聞きました。瀬島は昭和19年('44年)12月、単独でモスクワに出張し、その報告がもとに
なって、鈴木貫太郎内閣はソ連を仲介とする和平に傾いたわけです。そうしたことを突っ込んで聞いた。
すると、私が核心に触れるたびに、タバコを持つ手が震えるんですね。しまいにはカレーライスを食べながら、
スプーンを落としてしまった。
「秘密を墓場まで持っていくつもりですか」と聞いたら、「まあ、そんなものだな」と答えました。 半藤って十五年戦争とか頭の悪い言葉を平気で使える人だから……
半藤「小学生レベルの計算もできないだとー。歴史なんてもんは気分だ!勢いだ!
テキトーでいいんだよテキトーで。嘘も百回つけば本当になる(キリッ)
子供じゃないんだから分かれよな。日本は中国様と十五年間戦争をしていた。
これが唯一絶対の正しい歴史だ。俺達(媚中派)がそう決めた。」という思想信条の人だよね。 >>115
日本赤化を夢見た露探瀬島はソ連軍を招き寄せるためにロスケとつるんで日本の降伏を遅らせたんだよ。>>21 >>114
そのために広島・長崎・満州・シベリアなどで少なくとも50万人以上の日本人が殺された。 最新の研究成果と本人がお亡くなりになったこともあり
エリート軍官僚からソ連のスパイへと華麗なる転身が公然と語られる
ようになったようですね。 軍のエリート官僚が日本人同胞70万人を世界でもっとも凶悪な
犯罪国家であったソヴィエト連邦に売り渡していたとは!
戦争末期には軍のエリート官僚は特攻志願の若者を特攻機ではなく
まともな兵器とはいえないような潜水服で潜って竹槍につけた爆弾で
敵を突く伏龍などという作戦に従事させて、戦う以前の訓練だけで
多くの若者の命を失わせた。
また同じく参謀本部でインパール作戦など多くの愚作戦で日本人の
命を無駄にさせた辻正信も終戦を迎えても自決せずに、変装して
こそこそ逃げ続けて日本に帰ってきた。
軍官僚の親玉的存在である東条英機も他の将軍達が責任をとり
割腹自決するなか、戦犯指定されるまで自決せずに、しかも
戦犯指定されるやいなやピストル自殺未遂というおそまつな対応をした。 <結論>
なにもかも このバカが悪いw
自らの野望で日中戦争を勃発させたのは、このバカ↓
.
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 中国を空爆せよ!! r::- _
:::::::::'、 鬼畜蒋介石に 正義の鉄拳を!!! /:::::::: ´` '
::::::::':、 暴支膺懲!!! ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
::::::::丶 | | ,.::'::::::::::
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/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
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/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山本五十六
軍縮条約からの脱退に成功した山本五十六の次の一手は
中国との戦争勃発、泥沼化
そのドサクサに乗じて国民の戦意を高揚させ
マルサン計画の予算の議会通過。
これで陸軍の北進論を阻止し、アメリカに先制攻撃で勝てるw
世界中をを無理やり全面戦争に引きずり込んだ
なにもかも、このバカが悪いw 白馬青牛の間違うた広島弁が発覚したで!
「広島人なら使え」と、人に間違った使い方の言葉を使えと白馬語押し付けしとんじゃけぇ笑えるのう。 ちなみに武士道精神も無い
卑怯な手段で勝とうとするからな どんな手を使うてでも勝つんが戦闘じゃにの精神じゃけぇのう。
自分個人的な特殊な西日本人像、広島人像をあたかもそれが一般だとデタラメ垂れ流して語るけぇ他の広島人からも嫌われとるし
日本語もおかしいけぇ、日本語と朝鮮語の混ぜ言葉で育ったんかもしれんのう。
大体、還暦の日本人がハングルに堪能なんが異様じゃし。 ここの人は白馬青牛がクマモンやキティちゃん好きなことやリカちゃん人形に舌入れてセクハラしたこと知ってるの? 彼はソ連のスパイだったのか?「昭和の怪物」瀬島龍三の正体
「大本営作戦参謀」の虚実
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65321 サンデー毎日 2019年7月28日号
・〔対立軸の昭和史〕「陸軍と海軍」編/5 兵士たちの証言 幻の台湾沖航空戦=保阪正康
ttp://mainichibooks.com/sundaymainichi/backnumber/2019/07/28/
ttps://mainichi.jp/sunday/articles/20190714/org/00m/070/011000d
電報を握りつぶしたのは瀬島龍三か?
この台湾沖航空戦の誇大な戦果を基に、大本営陸軍部の作戦方針が変わり、ルソン決戦からレイテ決戦にと変更になった。
比島防衛に当たっていた第14方面軍司令官の山下奉文や参謀長の武藤章などはこれに反対したが、それは堀の見解を信頼
したからだった。この頃は、なぜ大本営の作戦参謀たちが海軍の戦果を信用し、そしてレイテ決戦にと変えたのか理由はわから
なかった。
戦後になって、作戦参謀だった瀬島龍三が堀に、実はあの電報を握り潰したのは自分だったと告白している(もっともこの点は
瀬島は否定したが、諸般の事情を検証していくと瀬島の告白は当たっているというのが私の見解である)。
陸海軍で作戦の打ち合わせはなかった
台湾沖航空戦の戦果誤報のツケはレイテ決戦を選ぶことによって、多くの実害を生んでいる。比島戦の戦死者はおよそ50万人
とも言われるが、これ自体決戦の変更に伴う犠牲とも言われている。
作戦参謀は情報参謀の上げてくる情報を基本的には信用しない。前述の有末精三に、この電報握り潰し事件のようなケースは
あり得るのかと質したことがある。有末の答えは極めてあっさりしていて、私は驚かされた。
「堀君の電報を作戦参謀が握り潰すのはあり得ることだ。作戦参謀というのは、自分たちに都合の良い情報しか信用しませんよ。
これは日本だけではないと思う。ドイツやアメリカだってそうだからね」
と言った後、レイテ決戦にと実に安易に変えたのは作戦課長の服部卓四郎らの作戦参謀だったとも名指ししている。 ソ連の、スパイ育成を受けたが、
瀬島は反共産へと舵を切る!
戦争責任は全て部下 9名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/08(日) 19:47:08.57
317白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2018/02/02(金) 01:02:01.46
>>314
さしくりよんは、おどれら九州人の歴史修正主義の嘘こき、ホラッチョ、隠蔽体質ど。
>>315
日本軍の強姦世界一も残念ながら事実じゃし、日本軍の中でも強姦部隊として
名高い九州兵が世界一云うことも事実じゃし。九州人憎し? 自虐、被害感情丸出しも
九州人の特徴よのう(笑)。玉砕負け戦を自慢する負け犬根性と云い、強姦殺人九州兵団
じゃったことも隠そうと姑息過ぎるんよ。
逃げ牛くんは強姦世界一の日本軍の事実は、どの史書にも書いてないと
分かったから逃げてるんだろうな(笑) >>129‐131
志位和夫の伯父の志位正二が、卑怯にも日本を売ってソ連のスパイになった
から、他の抑留された高級参謀も「国を売ったに違いない!」と日本共産党が
卑怯にもプロパガンダをやっている。
瀬島は11年も抑留されてたんだぜ。志位正二のように本物のスパイ
なら3年で帰国して、GHQや外務省など国家の中枢に勤務する。
瀬島は帰国後も、防衛庁に復帰するように散々元同僚達から勧められながら、
断り続けて畑違いの商社勤務を行うことになる。
共産党のクズどもは「志位正二が売国してソ連のスパイになったから
同じ立場の瀬島も転んだに違いない!」と卑怯にも決めつけているだけ。
卑怯者の志位一族みたいな根性の腐りきった人間のクズばかりじゃねぇんだよ、
売国奴め(ペッ
■志位正二
泰緬鉄道建設で危険な雨季の突貫工事を命じて数十万人を殺した
【ビルマの殺人鬼】こと志位正人陸軍少将の長男で関東軍隷下の第3方面軍
情報参謀に最終ランクは陸軍少佐。日本共産党委員長の志位和夫の伯父。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、
モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において諜報員、
共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。1948年11月シベリア
より復員[1]。しかし帰国後の志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理
課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた[3]。
1950年6月、GHQの取調べを受ける[1]。1951年10月以降G2在職のままソ連国家
保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。1953年11月、外務省
アジア局調査員となる[1]が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
ユーリー・ラストヴォロフがアメリカに亡命した後の1954年2月5日、警視庁
公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、海外石油開発株式会社常務となる。1973年
3月31日シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去
した[1]。 >>134
志位少将は物資輸送の任務だっけ?
無断撤退した佐藤師団長以下2名を叱責、
佐藤師団長は精神病扱いされて
汚名着せられたで良い?
ムダグチの保身のせい。 日本軍がアメリカの空母を沈めたはずがない…大敗北・レイテ決戦前の「握りつぶされた報告」
https://bunshun.jp/articles/-/39302
「瀬島龍三の言うことは、俺は信用しない」
戸高 それもこれも、情報を受取る側である作戦系の人が「聞きたくない」という情報を握りつぶして
いたからです。せっかくの情報が何の意味もなくなる。
瀬島龍三は戦後の「活躍」、実業界での仕事が評価されています。山崎豊子の小説『不毛地帯』の
主人公は瀬島がモデルとされています。しかし、海軍では、瀬島龍三の名前を聞いただけで
「あいつは嘘つきだから」と即座に反応するような人もかなりいました。「瀬島龍三の言うことは、
俺は信用しない」と、直接言う人がいたのです。 817 名前:白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2020/08/18(火) 02:12:04.08
>>812
平成世代のもんは、言葉が軽いのう。人様に「卑怯」云うたら、命賭して闘う覚悟が
必要なんど。
>>813
まあ、五百万以上は普通に行くじゃろう一千万以上かも知れんし。熊本師団に
久留米師団合わせるとのう。占拠期間も含めるとのう。
牛くんによる強姦世界一日本の誕生である ここは怖くて来れないが、
他スレで瀬島を語る弱虫牛ちゃん >>53
実はアメリカが軍事支援したソ連の北方4島占領
米ソの極秘作戦プロジェクト・フラはなぜ、長い間知られなかったのか?
高橋 浩祐 国際ジャーナリスト
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018121100006.html バカ
ソ連参戦の密約を小野寺からの電報で知ると
返送してモスクワへ行き 日ソ同盟で 米国と闘うと
バカ丸出しの工作をやって 当然相手にされず
日本に帰れず 満州でうろうろしていた 瀬島龍三とは何者? A
http://akm48.xyz/?p=9033
茂木誠のインタビューから。
茂木誠は予備校の世界史講師であるが、最近多くの本を出版している。
大東亜戦争の作戦立案を主に担当した大本営作戦課っていうところがありましてそこにですね、
瀬島龍三って人がいたんですよ。
この人は戦後逆に有名になった人で伊藤忠商事の会長になった人です。
ガダルカナル以降ですね沖縄戦まで全部の作成にかかわっています。
で、ことごとく失敗しているんですよ。
ことごとく失敗するのになぜか罷免もされずにですね、その大本営作戦課に居座り続けるんですよ。
そしてあの、いよいよもう日本が負けると分かった頃に彼はですね、忽然と東京を離れてモスクワに行くんですよ。
・・・(略)・・・
日本陸軍のトップがもうソ連とツーカーになっていた話があったんですよ。
そういうふうな資料いっぱいありますよ。
瀬島龍三とは何者? B
http://akm48.xyz/?p=9043
茂木誠のインタビュー記事を続ける。
・・・(略)・・・
あの昭和恐慌ってのがありまして、で本当にひどかったんですよ。
不景気でもう自殺者もいっぱいでて、娘の身売りとかあって、でつまり、もうこの日本においては
資本主義はもう続かないねって、で当時ソビエトは5カ年計画とかゔぃゔぃ言ってたんで、あれが
理想じゃないかと、強力な政府をつくって統制経済で5カ年計画やれば失業はなくなり、恐慌から
脱し人々は幸せに暮らせると言うふうな、その社会主義に憧れる人たちが沢山いたんですよ。
官僚から政治家から軍人から文化人から。で当時は治安維持法があったから共産党の活動はできないんですよ。
だけどほとんど言っていることは共産党と同じようなことを言っているような人がいっぱいいて、
赤い将校たちがいっぱいいたんですよ。すでに。
・・・(略)・・・
じゃあ、あの状況の中でどうすれば日本に社会主義を打ち立てていくかというと、残った道は一つじゃないですか。
それはソ連に降伏することですよ。
ソ連に降伏してソ連軍に東京まで進駐してもらってですね、ソ連型社会主義をやって貰ったらいいんです。
だから多分、瀬島はそういう話をしにモスクワに行ったと僕は思っています。
もう一個証拠があります。あのソ連の対日参戦という話です。
日ソ中立条約を破って参戦しますね。
それであの話もですね一応、教科書的に言うと、あれは、ヤルタ会談秘密協定ってね、あの〜、全く発表され
なかったから日本が知らなかったと、で、ずっ〜と日本はですね、最後までソ連を仲介に頼んで和平交渉を
やっていて突然殴られたっていうことになってますよね。
でもこれもですね、
そのヤルタ会談の対日参戦っていう情報をですね、手に入れた日本陸軍の情報部員がいたんですよ。
これは小野寺まことさんという人で、まことは信用の信て書くんですよ。
・・・(略)・・・
「えええっ!これはまずい。」って小野寺さんは東京の大本営に暗号で打電したんですよ。
ってことは東京の大本営、軍のトップは知っていたんですよ。
ソ連の参戦を。
ところが、一切発表せずね、政府にも伝えず、握りつぶしたんですよこの情報を。
本来ならばソ連が攻めてくると分かったんだったらね、すぐに政府と協議してですね、でもっと満州に軍隊を
まわすんじゃないですか。
何もしてないんですよ。
つまりこれはですね、攻め込んで欲しかったとしか考えられないんですよ。
ソ連の日本占領を容易にするために大本営は動いたんですよ。
その大本営を仕切っていたのが瀬島なんですよ。
これは鈴木(貫太郎)首相もですね、東郷(茂徳)外相も全く知らなかった。
で東郷は戦後になって小野寺からそれ聞いてですね、「えっ!」ってびっくりしてるんですよ。
闇が深すぎますよこの辺は。 瀬島龍三とは何者?(届かない電報)K
http://akm48.xyz/?p=9265
そのエリートの瀬島が作戦課作戦班でどのような態度を取っていたか。
朝枝繁春(陸士45・陸大52)の回想。
杉田大佐が惨憺たるインパール作戦の現状を視察し、作戦軍に撤退させるべき意見を、電報で具申した。
その後、帰国して参謀本部の作戦室に足を踏み入れるや、激昂した瀬島は、杉田大佐に向かって、
「この馬鹿野郎!なんちゅうことを言うんだ」と罵声を張り上げるや否や、杉田さんに矢立てを投げつけるんだ。
私は彼と机を並べていたから、その現場をつぶさに見ていたが、なんとも傍若無人のこの男に全身怒りが燃えさ
かった記憶がいまも鮮明に蘇ってくる。
これが「奥の院」の参謀の実態であって、参謀でもいわゆるヒラ参謀とは本質的に異なっていた。
権力の前には階級も先輩もないことを如実に物語っている。
因みに杉田大佐は、士官学校、陸大とも瀬島の7期も先輩である。
杉田大佐は「軍刀組」では無かったのだろう。
作戦課作戦班でもなかったのだろう。
参謀本部の作戦室に足を踏み入れただけであろう。
朝枝繁春は「軍刀組」(陸大3番)で、作戦課作戦班で瀬島と机を並べていた。
この朝枝繁春も志位正二と同じく「誓約引揚者」で警視庁に自首している。
瀬島は作戦課作戦班の責任者であった。
作戦にかかわる電報や情報の価値判断を下し、それをどのように生かすかを決める権限は作戦班にあったから、
瀬島が独断で堀の電報を握りつぶすことなど雑作もないことだった。
瀬島龍三とは何者?(天皇への電報)L
http://akm48.xyz/?p=9256
天皇に拝謁しルーズベルトの親書を読み上げる(午前2時半)
後に東条英機は、親書があと1、2日早く着いていたなら、
戦争ははじまらなかっただろうと述べている
これは2007年11月24日の産経新聞記事である。
「瀬島少佐と配達遅らせた」 日米開戦前
重要なので、全文を載せる。
瀬島龍三とは何者?(東条英機)N
http://akm48.xyz/?p=9140
野口健「レイテにマッカーサーが上陸した日」の記事から
先日「転進・瀬島龍三の遺言」を読んでいて驚いた事があった。1942年6月のミッドウェー海戦の敗北によって、
連合艦隊の機動部隊(空母4隻などが沈没)が壊滅的にやられ、これによって日本は南方の制空・制海権の大半を
失ったのだ。これだけ致命的な大損失を被りながら、なんと東条英機首相がその事実を知ったのが2年後の1944年
6月のサイパン陥落の時であったという。サイパン陥落の知らせに真っ青になった東条英機首相は「あの真珠湾攻撃で
成功させた海軍の誇る機動部隊はどうした」と尋ねている。そして東条内閣書記官長(現在の官房長官)である星野直樹氏が
「ミッドウェーで壊滅してとうの昔にありません」と伝えると東条氏は驚いて「そうとわかっていたなら、フィリピンに
こだわったり、あるいはインパール作戦などやらなかったのだが」と発言したとのこと。にわかに信じがたい情報だが
瀬島隆三氏もこの事実を認めている。 瀬島龍三とは何者?(司馬遼太郎)P
http://akm48.xyz/?p=9377
松本清張は瀬島は、ドイツと日本の軍人をソ連のスパイとして養成する「第7006俘虜収容所」にいたと書いている。
ソ連に降伏し武装解除された日本やドイツの将兵がシベリアに抑留されているころ、第7006捕虜収容所は、
「俘虜中もっとも共産主義に対して志操堅固なものを抜擢し、日独両国の共産革命の準備工作に関する機密要員を
訓練する特殊学校」だったとし、「俘虜であってもソ連市民と同待遇を与えられた」この学校の収容者に11人の
日本人がおり、氏名確認できる者のなかに志位や朝枝がいた。
瀬島龍三とは何者?(奥の院)Q
http://akm48.xyz/?p=9405
「帝国陸軍の本質」(三根生久大著)を参考に勝手に編集。
旧日本軍の本質と太平洋戦争の敗因には、当時の参謀本部作戦室作戦課に部外者はもちろん平の大本営参謀でも近づけない
「奥の院」と呼ばれるグループの存在とその暴走が深く関わっていたことが力説されている。
この事実はあまり知られず、語られることがないのは、ほとんどのメンバーが亡くなってしまっていることと、
「当時のすべてを知る『奥の院』の実力者」で多くを語れるはずの瀬島龍三(当時)がなぜか口を堅く閉ざしている」ことにある。
瀬島が語らない以上、ともに仕事をし彼をよく知る二人の人物(浅枝繁春、堀栄三)から「謎の真相と帝国陸軍の本質」が
何であるのかを語ってもらおうと、本書ではそれらの証言を克明に収録している。それらの証言から浮かび上がる帝国陸軍の本質、
とりわけ参謀本部・大本営の本質とは何か。
・・・(略)・・・
第2は、参謀総長といえどもその言うなりにさせられ、陸軍省人事局をすらコントロールすることができた一握りの作戦参謀による
「鉄の密室」グループの存在。
満州国皇帝と政府高官のソ連への抑留
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/81/page_1319.pdf
関東軍将官、満州国皇帝と政府高官のソ連への抑留(1945年)
1945年のソ日戦争時にソ連軍の捕虜となった関東軍将官は191名をかぞえた。将官以
外に満州国皇帝ヘンリー溥儀とその政府高官も捕虜となった。山田乙三関東車総司令官、
秦彦三郎総参謀長をはじめ関東軍司令部のほとんど全員が捕虜となった。捕虜となった
将官の内訳は、日本人164名、中国人24名、モンゴル人3名、朝鮮人1名であった。この数
字は、ロシアの著者達によって最近まで遺漏なきものと思われてきたが、完全とは言えな
い。満州にあった日本の特務機関や、さまざまな日本の機関に勤めていた将官待遇の多
数の日本人がソ連に抑留された。
八月十九日の密約説 古沢襄
http://kajikablog.jugem.jp/?eid=660765
志位は警視庁の取り調べに対して「米国のデモクラシーというものは、他国民を犠牲にして自国の安全と平和、繁栄を
築きあげる利己的なものである。日本の平和と独立のためには、ソ連と協力してソ連・中国と平和関係を結び、米国を
日本から追い出すことしかない」と供述している。ソ連から帰国した元高級将校には、志位と同じ考え方をするソ連派が
かなりいる。
その一方で反動の折り紙をつけられた草地氏のような元高級将校も数多くいた。瀬島氏はハバロフスクの第十六収容所
の21分所に収容されたが、約六百人の団長になって、ソ連当局との交渉役であった。「ある程度ソ連の言うことを聞いて、
健康な身体で帰国しよう」と説得していたとの証言がある。
ロシア国防省中央公文書館に一枚の軍事機密暗号電報が保存されてある。発信時は敗戦十二日後の八月二十七日。
関東軍から大本営参謀次長・河辺虎四郎宛のもので「原子爆弾保管の件、長崎ヨリ東京ニ持帰リタル不発原子爆弾ヲ
速ヤカニソ連大使館内ニ搬入保管シオカレタシ」。起案責任者は瀬島龍三となっている。
長崎に落とされた原爆の不発弾が存在したのか、今もって謎である。明らかなのは瀬島電報がロシア国防省中央公文書館
に保存されていることである。これについてソ連軍の元通訳のチタレンコが手記を残している。「瀬島氏の名前は正確には
覚えていない。だが彼は明らかにソ連軍司令部に日本から不発の原子爆弾を受け取るよう提案していた」と記していた。
彼は言ったという。「日本を占領するのは米国であろう。米国が原爆を独占したら、日本は植民地として二度と立ち上がれ
ない。原爆がソ連にもあれば、日本は近い将来、大国間でしかるべき地位を占めることができる」と。この「彼」は瀬島氏では
なかった。後に大本営参謀だった朝枝繁春中佐だったと分かった。電文は関東軍作戦主任の瀬島参謀に頼んで打電して
貰っていた。 元大本営参謀・瀬島龍三の太平洋戦争
(『元大本営参謀の太平洋戦争』インタビュー瀬島龍三、東京新聞出版局、1995年刊)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/cabinet/sejima0.htm <<そ連参戦の密約を小野寺からの電報で知ると
<<変装してモスクワへ行き 日ソ同盟で 米国と闘うと
<<バカ丸出しの工作をやって 当然相手にされず
<<日本に帰れず 満州でうろうろしていた
✕満州でうろうろ
〇工作が上手く行きそうだと ウソの報告をしたので
日本政府は喜んでソ連仲介工作を公言した >>117
沖縄戦をカウントしてないんじゃないか? >>53
どんなに少なく計算しても、70万人以上無駄に死んでいる。
他にも北朝鮮からの引き揚げ者は3万5千人死亡しているし、
放射能で遅れて死亡した人や、死ななくても顔面ケロイド状態で
人生を棒に振った被爆者も多い。 瀬島が単独でモスクワ主張をもとにソ連講和仲介という話は違うと思う
小野寺情報でドイツ敗北三か月後にソ連が満州侵攻約束を知り
それを秘密にして 瀬島は変装して訪露 日ソ同盟して対米英しようと
バカみたいな説得を試み 当然まったく相手にされなかったが
それを本国に報告できず いかにも実現しそうにウソの報告をして
東京に帰らず満州にとどまって 逃げ遅れて捕まった
出来もしないこと アホなことをいかにも出来そうにウソの情報を
あげて 上司を騙すのが参謀のやりかた
最後には嘘が全部バレたが 何の責任も取らず平気な顔 瀬島は 上司に ウソを言い続けたから
陸軍大臣も 参謀総長も 首相も 天皇も
日本が負けてる 餓死続出 の実情を知らなかった
そこそこ五分に闘ってると思わされていた
悪い報告を絶対上げないので 上司に好かれていた 戦後の日本を担った官僚あたりは瀬島のことかなりバカにしてるな 週刊新潮 38(41)(1929);1993・10・28
エリツィンの衷悼でまた火がついた「シベリア」と「瀬島龍三」/p138~142
https://dl.ndl.go.jp/pid/3378799/1/71
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「自殺しかねない」 史料
全抑協の斎藤六郎会長は、この二十年間で百回以上はモスクワへ行ったという事情通である。
「シベリア抑留の責任は、何といってもスターリンです。が、それと別に、私も最初は瀬島さんの密約を
考えましたが、八月十九日に限ってはその種の発言はしていません」
瀬島氏も、
「シベリア抑留問題の原点は昭和二十年八月二十三日に、スターリンがワスレフスキー元帥に出した
命令書であります。密約などありません」
と答えるのだが、斎藤氏はこんな事をポツリといった。
「東京裁判出廷のいきさつで、これを発表したら瀬島さんが自殺するかもしれないものがありましてね。
ロシア側の調書ですが、これは発表するつもりはありません」
ひょっとして〝国策参謀〟の仮面がはがされる史料なのだろうか。 伊藤忠特別顧問
ソ連軍スパイ瀬島龍三
ソ連工作員イワン・コワレンコと仲良し
『天皇制打倒!日本共産党万歳!』 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています