そして歯止めの効かなくなった軍備拡張は、中国、米国との衝突を産み、連合国との戦争につながっていく。
そして敗戦後のハイパーインフレは、社会構造を壊した。

もちろん、かつてのように軍が巨大な存在感を持つことは、現代日本では考えられない。
しかし一度、財政を増やし、利権や既成事実がつくられると、財政支出を止める事は難しくなる事情は軍事費も他の予算も変らない。
日本政府の債務残高(国債、政府借入金、政府保証債務の合計)の推計値が1122兆円と天文学的な数字になったのは、
「止められない」ことが繰り返されたためだろう。

アベノミクスの内容は大胆な金融緩和と積極的財政出動という。
ところが、その実態は高橋財政のときと同じように、日銀による財政ファイナンスであろう。
当時の軍事支出がそうであったように、生産性の低い部門に公的な資金を投入しても経済全体が強くなることはない。

ちなみに、白川日銀総裁は講演で次のようにまとめている。

高橋蔵相は軍部の予算膨張に歯止めをかけようとして凶弾に倒れ、結局はインフレを招いたわけですが、
たまたま軍部の予算膨張を抑えられなかったのではなく、市場によるチェックを受けない引受けという行為自体が
最終的な予算膨張という帰結をもたらした面もあったのではないかと思っています。
現在、金融政策を巡ってよく用いられる言葉を使うと、引受けという「入口」が予算膨張の抑制失敗という「出口」をもたらしたと解釈すべきではないかということです。

財政では一度「入口」がつくられてしまうと、その終局点は失敗という「出口」しかなくなってしまうという意見だ。

経済政策の失敗と時代の閉塞感、そして世直し願望が結びつくと何が起こるのか。1936年当時は誰も予想しなかっただろうが、
その9年後に大日本帝国は国土が米国による空爆で灰燼に帰してしまった上に、政治体制まで滅びてしまう。
そして財政の面からも破綻した。同じことが起こるとは言わないが、アベノミクスで財政破綻リスクをはじめ、未来に不透明感が増す事は確かだ。

「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」という使い古されたことわざがある。
「我田引水」という批判を受けそうだが、高橋是清の人生を、死の意味にも注目して現代の私たちは考えてみるべきではないだろうか。
「リフレは正しい」ではなく、「ヤバい政策は止められなくなる」ということを考える材料として。