昭和まで生きた江戸時代生まれの人物
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尾崎 行雄 (安政5年11月20日(1858年12月24日) - 1954年(昭和29年)10月6日)
北里 柴三郎 (1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日)
牧野 富太郎 (1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)
江戸時代末年1868年、昭和元年1926年
58年しかないんだから沢山いるでしょ
戦後までならともかく
河本にわ
文久3年(1863)〜昭和51年(1976) 100歳まで生きたとして、1850年〜60年代に生まれて、しっかり江戸時代の記憶もあって
そこから明治、大正、昭和、終戦まで体験して、高度成長まで見届けた人とか羨ましすぎる >>11 さすがに戦後まではないが、
拙者のヒイジイサン(1848〜1929)、残念ながら会える歳回りではなかった。
黒船より前に生まれ、元服の5年後に明治維新。
日清戦争に従軍し、震災をくぐり抜け、
最後はラジオも飛行機も郊外電車も微積分もデパートも映画もオペラも知っていた。
佐幕派だったので、薩長閥から痛い目にも遭わされたらしいが、
やはり幕末の頃から頑張って英語が出来たたから何とか生き残れたのだと
言っていたらしい。勉強量が半端ではなかったのだろう。
最後の元老 西園寺公望 嘉永2年(1849年)-昭和15年(1940年) 西園寺は大日本帝国の崩壊を目前にして死んだんだね。 幕末の動乱をしっかり体験したのが、大体1850年代半ば生まれまでとする
1960年代に最長寿級だった人は、本当に高度成長期まで見届けてるんだな
史上稀に見る社会の変化幅を体験した人達だ 泉重千代さんが本当に江戸時代生まれなら1986年までに生まれた人は江戸時代生まれの人と同じ時間を少しでも生きたことになるんだけどね
河本にわさんなら1976年までに生まれた人が該当する 小林やそって女性。
1846年生まれで無くなったのが1964年。
黒船より前に生まれて新幹線が開通する時代まで生きたとか
凄すぎ。
生きた元号は弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和 >>21
昭和三十八年九月の朝日新聞縮刷版に彼女のインタビューが出ているのを
読んだことがあるのだが、長生きの秘訣とかそういうどうでも良い話ばっ
かりで、肝心の若い頃の社会情勢の話が全く出ていないのには正直かっかり
した。徳川家茂や和宮とタメなんだから江戸の頃の思い出話のひとつくらい
あっても良さそうなんだが(画家のゴッホに会った話をしていたフランスの
ジャンヌ=カルマン婆みたいに) 介護の仕事で80歳ぐらいの方の祖父が1866年生まれで、一生定職にもつかずに賭け事ばかりしていたというどうでもよい話しか聞けなかった >>22
小林やとさんは30歳くらい逆サバだよ。
30歳より前の記憶が無いし、実子との年齢差が孫ほどある。 泉重千代さんも怪しいとなると、最近の長寿の方で江戸時代生まれは河本にわさんが一番信憑性高いんてすかね? >>24
出典は?。よかったら教えてくれませんか。 出典は覚えてないが当時の複数のメディアが伝えてたような。 だな。さすがに俺もリアルタイムで見てた訳じゃないがw 中村重兵衛
1852年〜1969年
テレビCMにも出たことがあるらしい。江戸時代から高度経済成長期 中村さんもかなり怪しい。
100歳の時に医学的にありえない体力測定結果が出ている。 牧野伸顕 1861(文久元)〜1949(昭和24)
曾孫の麻生太郎財務相(1940=昭和15生)が物心つくまで
生きてたんだな、この人 昨夜、大河ドラマに出ていた徳富蘇峰も、けっこう長生きだったようだね。 みんな新島八重はベタ過ぎて避けてるだろ
会津戦争の最前線で鉄砲ぶっ放してた人が、昭和天皇から勲章貰ってるとか凄過ぎ >>42
幕末の動乱、明治の躍進、そしてその崩壊と戦後の高度経済成長(の黎明期)を体現した希有な存在の人物。 江戸時代を実感出来そうな出来事の最後が幕末の動乱、その前が黒船来訪
そして現代の象徴になる物や光景は、個人的にはテレビと新幹線だと思う
黒船来航から新幹線開業まで111年
一人の人間が記憶や理解出来る年齢で両方を見るにはギリギリの間隔
大政奉還とテレビ放映なら96年、かなりの人が体験しているんだろうね >>31
ドラマ水戸黄門とかみて「あー、まげはそんな太くないんだけど.」とかダメだししてそう 16歳まで江戸時代で亡くなったのが昭和44年か
羨ましい 父親の話では俺の曾祖父で幕末生まれだったが
昭和まで生きていた人がいる
戦争中に亡くなったそうだ
自分の親が江戸時代に生まれた人と話をしてたかと思うと
何か感慨深いものがある もし、木村次郎右衛門さんがあと40年前に産まれていたら
1857-1973になるが、このあたりが一番ロマンがあるな
慶応より安政あたりの方が歴史を感じる。
この116年だと幼少時代に幕末の動乱、中高生時代に明治維新、
働き盛りが明治時代、定年後に昭和突入、終戦を経て、100歳前後で高度経済成長、新幹線、そして死ぬ間際にキャンディーズや山口百恵、アグネスとか…
すごい人生だ。 >>52
自分は維新からほぼ百年後の生まれなので、当時は維新前に生まれた人
も結構沢山残っていたはず
今の四十歳位までは、江戸時代に生まれた人と会話をした事がある者も
少なからずいると思われる
ウチの爺さんも明治末期の生まれ、と言うとなんて事は無いが
19世紀の生まれ、と言うとなんだか凄く昔の人っぽい 9>新撰組結成からゴレンジャー放映開始
レヴェルが違うw 拳銃は指を引くだけで1つの動作しか行なわないが
刀は抜刀から間合いを詰めて振りかざす3つの動作を必要とする
刀の方が断然不利に見えるがこの状態だと拳銃側には大きな弱点が一つあるんだよ
心の余裕が命取りになるんだよ
この弱点を明確に示した面白い史実が残っていてな、今日は特別に教えてやるよ
嘉永6年(1853年)に、マシュー・ペリー代将が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した。
この時アメリカ合衆国海軍のペリーの側近であったノルマン•ダグラス少将に江戸幕府の下っ端役人であった近江伊右衛門が切りかかる事件があった
拳銃を突きつけられた近江伊右衛門はゆっくりと目を閉じ右手を刀に添え直立した
ノルマン少将は刀が拳銃に勝てないと悟り諦めたと思い油断した
が、それが甘かった。
心に余裕ができノルマン少将が一瞬くしゃみをした瞬間に拳銃を構えていた両腕の肘から先が宙に舞ったのだ
腕が飛び先程まで2m程離れた場所に直立していた伊右衛門はノルマン少将と30cm程の間合いまで近づき、閉じていた瞳を大きく見開き表情一つ変えずに動揺するノルマン少将の首を一刀両断したのだ
この時間はわずか5秒程だったと言われている >>56
そういうのを踏まえると面白いよね
河本にわさんの前の長寿日本一だった梅田ミトさん(1863-1975)。
生まれたのは高杉晋作が「奇兵隊」をつくり、京都では「新撰組」が結成され、
アメリカでは奴隷解放宣言や「人民の人民による人民のための政治」とリンカーンが発言した年。
リアルで西部の荒野で保安官が銃を打ち合いしてたりインディアンを追い払っていた時代。
↓
死去したのは武田鉄也が「海援隊」で母に捧げるバラードをヒットさせた次の年、
あんたあの子のなんなのさとかつなぎ服きたバンドが世間をにぎわし、宇宙戦艦ヤマトが放映されていた時代。
アメリカだとベトナム戦争が終結し、アポロとソユーズが宇宙空間でドッキングした年。
この人、熊本市内出身ということで西南戦争の熊本攻防戦をリアルで
(満の14歳のときだから記憶もはっきり残ってるはず)体験してるんだよね。
西南戦争で燃える前の熊本城と、83年後に再建された今の熊本城の両方を見ているのはすごいw
その前の長寿日本一だったのが森本いとさん(1853-1970)
生まれたのがペリー来航の年。幕藩体制まっただ中で徳川将軍12代家慶の時代。
明治維新が1868年だからリアルで大名行列だの丁髷の刀持った武士だの飛脚だのを経験してる世代。
↓
死去したのが大阪万博の年。前年にアメリカがアポロで月へ行き、
国産初の人工衛星おおすみが打ち上げられ、新幹線高速道路も既に建設。
カー・クーラー・カラーテレビが普及しミニスカートからパンタロンがはやった時代。
「(アニメ)サザエさん」「笑点」「オールナイトニッポン」など
現在でも続いている番組がもう存在していた時代。
リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね。 >リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね
おれもすごく知りたい。
ちょっとスレちだが、実際に兵隊経験があったひとが、戦争映画のアクションをどう思ったか知りたい。
叔父がレイテの生き残り、祖父が関東軍満鉄警備隊だったが、別になにも言ってなかった。
どうでもよかったのか。 >「笑点」・・・現在でも続いている番組がもう存在している時代
ペリー来航のときに生まれリアル江戸時代を経験している人間と
スマホにパソコンにオンラインゲーム三昧の21世紀生まれの子供が
「笑点というテレビ番組に出演している落語家・桂歌丸」
という、共通の認識・実体験を持っているのはなにげに凄いことではないか? >>59
レイテの生き残りなら、ジャングルでの銃撃戦のシーンなんか、目を背けたくなるんじゃないかな。
何もしゃべる気になれないだろう。
満鉄警備隊なら激しい戦闘はなかったかもしれないが、シベリアでさぞや辛い思いをしたと思う。
やっぱり思い出したくないだろう。
あるいは、戦争映画というものは、けっこう正確に作られているのかもしれない。 http://www.pinterest.com/wingedpilgrim/1840-s-photography/
ここの住人はこういうのも好きだと思う。
日本に黒船が来る前から、ヨーロッパでは市井の人々も、あまり現代と変わらない姿で
写真を撮っていたかと思うと感慨深い。
ちなみに、重千代さんが1865年生まれでないとすれば、世界最後の江戸時代生まれは、
アメリカのファニー・トーマス(1867-1981)さんという人だと思う。 1840年代って、まだルイ・フィリップがフランス王だった時代か。
日本では水野忠邦が天保の改革やったり、遠山の金さんがお奉行さまだった時代。
そんな時代に、もうこんな写真があったなんて不思議な感じがする。 良レスの流れだ...
>>64
ダゲレオタイプは1840年以降はどんどん普及していったから、
そのルイ・フィリップも1850年に死んでるけど写真は残ってるし。
日本への本格的な写真導入・普及が遅かったのは残念。
将軍だと徳川家斉以降は写真技術に間に合ってることになるんだよね。
そういう意味で島津斉彬の銀板写真、あれはほんと奇跡的な一枚だと思う。 日本人で最初に写真に撮影されたのは、1851年で、浜田彦蔵(ジョセフヒコ)ら、
アメリカへの漂流民たちだったみたいね。
しかし、写真館ができて、庶民でもお金を払えば写真を撮影できるようになったのは1860年以降。
最後の将軍・徳川慶喜は写真好きで有名で、将軍就任前の京都時代から写真が残っているが、
徳川家茂も現存しないものの写真を撮影していたといわれる。
調査の際に、和宮のお墓から出てきた湿板写真で、大阪に出ずっぱりの家茂から、江戸城の和宮に、
西陣織などのお土産とともに届いた写真との説も。しかも届いたのは家茂の訃報のあと。
調査の際に、写真を赤外線にあてたら烏帽子姿の若い男子の像が移ったものの、
定着状況が悪く、翌日にはただのガラス板になっていたとか。
死の直前に和宮に唯一の写真を送った家茂も、その写真を墓まで持ち込んだ和宮も、
幕末の写真に関するエピソードでは、一番ロマンチックで好きなエピソードかな。
って、厳密にはスレチだね。 >>66
婚約者の有栖川宮の写真じゃないかとも言われているけどね 軍艦マーチ作曲者の瀬戸口藤吉は慶應4年6月29日生まれでギリギリ江戸時代。
没年は昭和16年11月8日で真珠湾の1か月前。
明治初期からピアノやクラリネットを学んだモダン日本の象徴。 日本以外の国ではどうかな。
辛亥革命(1911年〜1912年)とか。
清の王室は、革命以降もしばらくはずっとかつてのような、
旧態依然の生活様式を続けていたようなので、
その後の、社会の激変は日本以上に急激だったはず。
現在でも、まだ、若い頃に纏足をしていた人がお婆さんになって生きているよ。
20世紀前半の中国に生まれた人の激動はハンパないな。
あとは、台湾(20世紀初頭頃?)、ニューギニア(20世紀末頃?)
まで、首狩りの風習のあった、原住民の人達の生活の激変ぶりは
どうだろう。
ただ、むしろそういう原始的な形態を残していた人たちの方が、
近代的な生活への適応は、むしろ容易だったのかもしれないな。
ガチガチの中世封建制度の生活環境に晒されていた地域の人の方が、
社会の激変の中で感じたストレスは、相当なものであっただろう。 イシ 生涯の多くを欧米人社会から全く隔絶されて暮らした
生粋の「野生のインディアン」のひとりだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7 明治は慶應四年1月1日に遡っての改元だったから慶應四年生まれは明治人
江戸時代と呼べるのは慶應三年12月9日(王政復古)まで
王政復古以後の慶應三年年末は厳密には明治でも江戸時代でもないが
明治天皇の時代だから明治になるかも 河本にわ
文久3年(1863)〜昭和51年(1976)
1863 新撰組結成
1976 ゴレンジャー放映開始 若槻礼次郎(1866〜1949)大正天皇崩御時の首相。
>>75むしろ大政奉還だよ。欲を言えば太陽暦も慶応3年12月7日を明治元年元旦にすべき。だから鈴木貫太郎は違う。
本当の江戸生まれの最後の首相は平沼騏一郎だな。江戸生まれで戦後没した人、19世紀生まれで21世紀に没した人、
大正天皇崩御前に生まれていたが、天皇陛下崩御時にはまだ没してない人の方がもっとすごいだろう。 西園寺公望はあと五年生きてれば、歴史の大証人になったのに… そろそろ、明治生まれもカウントダウンぐらいかな。
さいごの明治生まれの人なんて大々的にとりあげて
ほしいけど、戸籍のいいかげんなことがこないだ
報道されちゃったしなぁ。 そのうち「22世紀まで生きた昭和生まれの人」のスレが立つ。
…22世紀や元号の概念があればだけど。 俺の家系は江戸時代に帯刀できる身分の商人で爺ちゃんは屋敷住まいだったが、戦争と創価学会に入信して没落した。
劣悪な家庭で育った母親は毒親となり、俺を育てストレスのはけ口にしやがった。
何という急落ぶり。創価恐るべし。江戸時代の末期は賭け事ばかりやる先祖がいて、かなり散財したらしいわ。 医療職をやっていて90代の高齢者と話をしているんだが、禁門の変を爺ちゃんによく聞かされていた。などと言ってるから面白い。
幕末なんて、つい最近の話なんだよな。
会話で「ついこないだ火災が遭ったでしょ?それで燃えたのよ」
何て事を言うから俺の感覚では、数年前の話でもしているのかと思ったら、長州が京都の寺社仏閣を焼き払った話だったりするから、京都の人の感性は面白いと思うわ。
90代の祖父母が江戸時代生まれがいたりするしね。 因みに90代で満州で育った人など戦時中の話もよく聞くのだけど、従軍慰安婦が存在したという話は全く聞かなくて
当時から普通に風俗店が存在していて、そこに朝鮮人が働いていたんだと。
現代のように借金して嫌々ながら働いた人もいただろうけど、日本政府や日本軍が無理矢理働かせたと言っている高齢者には未だに会ったことがない。 わしゃ、横浜で飲み屋の隣のお爺ちゃんから
「お爺ちゃんのお父さんは黒船見た」なんて話を
きかされたことがある。
ありゃ衝撃だったから子供の頃の
記憶を一生忘れずに話し続けたろうからね。
その頃の横浜の地形も知ってたから本当なんだろうな。
似たような話で、初めて岡蒸気見た、というのもたまにある。
あれだってどえりゃぁびっくりしたろうなぁ。 >>87
それは、応仁の乱、とかいうオチが有名だけど
禁門の変の時は、長州ではなく
会津が燃やした、と京雲雀は言ってた。
長州人はそれなりに大衆には人気あったのね。
ペリー以降の物価高に文句付けてくれる、という感じで。 つい最近燃えたというのが、応仁の乱。というのも実際聞いたことがある。 今の90歳が子どもの頃に90歳の老人と会ってる事を考えると面白いな。
それだけで180年か。 真珠養殖の御木本幸吉あたりが、幕末・明治維新の体験と、戦後復興を遂げつつある日本の姿とを生き身で繋いだ著名人の代表格かなと思ってる。 やっぱり医療職楽しくないわ。キチガイ患者のせいで評価落とされた。くたばって欲しい。 80才のばあさんだが、人生驚いたと言えば
初めての 水洗トイレの「轟音」にあわてて逃げ出した 明治元年(1868年)に戊辰戦争か。80歳の人が10歳の頃に当時高齢者の人に戊辰戦争の話を聞かされていたと言っていたが、計算上あり得るな。
そして今の高齢者の祖父母が江戸時代生まれも充分あり得るのか。
面白いな。 俺(四十代)の親父が子供の頃には幕末を覚えている人が
まだ結構いたかと思うと親父スゲー、昔の人じゃん 今の子ども達は長生きしたら、2100年まで生きるわけか。
大して今とは変わってはいないのだろうけど。 資源枯渇せず文明が普通に継続したとしても、今後80年で
明治10年代生まれの人が高度成長期までに遭遇したような変化を
体験することはないと思う。
逆、ヒャッハー化の激変ならあるかもw 戦争終わって70年経ったのか。俺が小さい頃は30代が戦争体験者だったとはね。 >>11
確かに
同じ100年でも1750年〜1850年とかめっちゃつまらなそう >>102
その期間だと文化文政あるから、江戸情緒を満喫するって点じゃ最強。
天明の飢饉とかあるから、つまらないってほどでもないと思うし。 明治生まれだけど
きんさん、ぎんさんって宮沢賢治より歳上だったんだな
成田きん(1892年8月1日-2000年1月23日)
蟹江ぎん(1892年8月1日-2001年2月28日)
宮澤 賢治
1896年8月27日−1933年9月21日(満37歳没) 今、火垂るの墓を書いた野坂の書籍読んでいるんだけど、内容は火垂るの墓についての懺悔したもの。
妹には実際はアニメのように優しくはしておらず両親や妹が亡くなってホッとした。などと書かれてあるんだが、
戦時中というのは1940年代なわけで、この時の高齢者は江戸時代生まれの人達なんだよな。
最期の最期にあのような死に方をするとはね。 気が付いてない人がほとんどだと思うが1965年から現在までの50年こそが
有史以来の激動期だと思う。50年で寿命が15歳延びるなど縄文どころか
人類誕生以来あり得ないことだからね。勿論医学頼みの人口寿命
この代償とてつもなく大きい計り知れない重度の病的社会へキリモミ式に落ちてゆく
遺伝子の劣化が進み老化が速くなり初潮が極端に速くなる
高齢主産不妊治療が拍車をかける。50年後国民の半数は障がい者やね 平均寿命伸びたのが有史以来の大変動?そうは思わない。 >>60さん、そんな歌丸さんが昔テレビで言ってましたが、歌丸さんがマダ子供の時に、元大奥の女中をしていた、おばあちゃんと話した事があるって、言ってましたよ。 当家(うち)の父親(おでいさん)は、先帝(昭和さん)と同い年だけど、
幼い頃の印象深い記憶と言えば、日露戦争勝利の提灯行列だと言っているぞ。
そのまた父親は、明治初頭の生まれだったけれど、俺が聞いた話の中では、
初めて正式な洋食を食した際に、無言で給仕(ボーイ)が皿を下げようとしたので、
「訳も無い!」と一喝して叱りつけたという一幕が、一等想い出深いものぢゃぞゑ。
母方の曾祖母(某大名家息女)は、輿(女乗物)に乗って入輿して来たが、母の思い出の中では
いつも床の間を背にし、香を焚いた手焙りを前に据えて端座していた姿しか印象に残らぬとのこと。
幕末維新当時の話も色々と聞いたが、とうていここには書き切れないぞ。 >>111
お父さんが昭和天皇と同じ年ってことは、おたくさんは天皇陛下と同じ世代ってこと?
スゴイねw 揚げ足だけは反応早くね?
つまらん野郎だが、「ここでは書ききれね。」とか気分が悪くなる事を最後に書くから反感もたれるのだろうな。
しかし、歌丸さんの反応ないのが寂しいわな。 アマゾン社のサイトに、
武光誠・監修の和書
『日本男色物語』
の新しくも正しいレビュウが
掲載されているぞ。
たいへん参考になるから一読の価値あり。 >>113
下郎めが!
地下にも劣る賎民風情は口を利くナッ!!!
向後、下種下賎の徒輩は一切無視するぞ!
穢多部落へ戻っておれーイッ! 最近の日本史近代史板は会津・南京・慰安婦ばかり
もううんざり 仙台市長で島野武という市長がいた。長くやっていた。死んで何者だろうと本屋で
立ち読みした。親は島野翠といい仙台藩士で17歳で額兵隊で戊辰の役を戦い日露戦争
では陸軍大佐で激戦を戦った男だった。その十何番めかの子が武市長だった。明治維新を
戦った男の子がつい最近まで市長だったことが驚きだった。 江戸から昭和など幼児死亡率を除いた当時の平均寿命で見ても誰でも到達できる
1868年から数えて55歳定年制の時代なので定年まで働けないということになる ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 最期の江戸時代生まれの首相が終戦宰相鈴木貫太郎というのも何かの因果か >>88
その真実が真実として広まる日は来るのでしょうか・・・。 おじいちゃんが聞いた話 80年前
そのまたおじいちゃんが聞いた話 60年前
そのまたおじいちゃんが聞いた話 60年前
代々受け継がれていたら
簡単に200年にも遡れるわな >>75
明治改元を1868/10/23とすると、中山イサ(1868/6/15〜1977/5/25)が最後の江戸時代生まれとなるらしい。ソースはウィキペディア。
生1868年→戊辰戦争、明治維新
没1977年→コロコロコミック創刊、スターウォーズ公開 団塊だが、子どもの頃、ラジオニュースだか何だか覚えていないが、昭和27年に講和条約が発効して日本は独立国となったと聞いて驚いた憶えがある
昭和27年などほんの数年前のことだが、日本が独立国でなかったとは知らなかった
前後で世の中に何も変わりがあるように思えなかったのに >
>>57 へ〜そんな話が!
その隙の無い華麗なる剣さばきが、一番の話題になって、実は黒船の内部で語り継がれ、日本は敬遠され、白人連中も狼狽え、辟易して侵略されなかったのだとしたら…
その武士は神の仕事をしたと言えるだろうね。 だいたいこれ見よがしに銃を突き付けるヤツなんか、猟奇的趣向のサイコだったんじゃないのかな?
夜の黒船での会話】
船員A,『こいつらはちょっとヤバイかも…今迄侵略出来た連中とは何かが違うぞ…ノルマン少将の腕が切り落とされたかと思った矢先、ホント瞬きしてる間に、次の瞬間には首がボールが回転するみたいに吹っ飛んでたぜ。』
船員 B.『あんな剣術見たことねーよ!マジックだぜ!あっという間にあの嫌われもんのノルマン少将を切り刻んじまって大人しくさせちまったんだからな!』
船員C.『危ない、危ない…止めとこう、止めとこう。しかしあの侍とやら、表情も変えずに、あっという間に人をやっちまうんだからな…かなりクールなやつだったよ。アレで下級武士になる訳?』
その伊右衛門さん、そんな真似してどうなってしまわれたのか?…とても気になる。 >>121
1863年生まれとか光明天皇の時代から、山口百恵、ピンクレディーのデビューを見届けたのかよw 江戸時代から昭和時代までは59年
いまより平均寿命がみじかいとはいえ、昭和のはじめには江戸時代生まれがたくさんいた たまたま見たお宝鑑定団の長寿の回に出た95歳のおじいさんの宝が
嘉永3年(1850年)生まれの祖父から貰ったというエピソードで驚いた。
95歳で言葉も姿勢もハッキリしていてそれだけで凄いのに
江戸時代の人(それも親族に)に会っているという事実で更に衝撃だった
大政奉還で既に17歳で江戸の文化で育って確実に江戸の記憶がある人が身近にいたわけだ。
ゲストのアメリカ人のパックンが嘉永3年を1850年と即答で答えたのも驚いた。
良いもの見れた気がしたな。 >>135
パックンの凄いところは、95歳の人に対して自分から「おじいさんは何年生まれですか」って聞いてるところなんだよね
95歳が自分から「私のおじいさんは嘉永3年生まれです」って言ったわけじゃない
大正生まれのおじいさんなら江戸時代生まれの可能性は大いにある
パックンはそれに気付いて、自ら聞いて知識を披露したわけだ
頭良すぎるだろ
俺は平成一桁生まれだけど大正生まれの曾祖母とは関わりはある
それと同じように、大正〜昭和戦前生まれの人にとっても、当たり前のように江戸時代生まれの人と関わってきたんだろうな
昔は大家族が多かったし、祖父祖母と暮らしてた人も多いしな
Evaluation: Average. 今年24歳の俺も父方のひいおじいちゃんが大正9年でひいおばあちゃんが昭和2年生まれだった。
母方は祖父母の代で俺が生まれる前から既に故人だったので不明。
曾祖父母の家には記憶が合っていれば3代前の祖先の白黒の肖像画が飾ってあったのを覚えている。
幼稚園の時に
俺「あの写真の人誰?」
曾祖母「ばあちゃんのご先祖様だよ」
なんて会話したこともあった。
小学6年の時にひいおばあちゃんが亡くなって後を追うようにひいおじいちゃんが亡くなった。
今の頭脳のまま生きている頃に戻れればもっと昔の話と
江戸時代の人の話も聞けた可能性があるわけだな。
江戸って遠いような近いような不思議な時代とも言えるかな。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 昭和28年(1953年)は
寛永通宝と現在の10円硬貨(ギザ10)が
一緒にお金として使えた年 もうすぐ平成も終わり、再来年には明治大正昭和平成??の五元号を生きた人のスレが立つのかなあ
あと親が江戸時代生まれの人って残っているんだろうか。母は難しいけど父ならまだいるかな
囲碁の藤沢秀行(1925〜2009)は父が69歳のとき生まれたって書いてあったし 2050年頃になると最後の戦前生まれは誰かって語られるんだろうな >>141
数年前に亡くなった森繁久彌の父親が江戸時代生まれだったね 昭和天皇が信頼していた
鈴木貫太郎も江戸時代生まれ。 >>142
2050年というと昭和生まれが全員還暦過ぎた頃か
「大日本帝国」に生まれた人は100歳以上
中国北東部、東南アジア、南洋に進行して
大東亜共栄圏を築き、
あのアメリカとドンパチやって本土が原爆や大空襲で焼け落ち、戦後高度経済成長とか
昭和という元号は激動過ぎてもう神話や伝説の世界みたいになってるだろうな
世界大戦と世界分断の冷戦がすっぽり入るインパクト絶大
あの昭和の時代生まれが100歳以上とは言え、
まだ存命で会話可能とか不思議な感覚だろう >>145
俺の祖父(ちな満州国出身)は107歳か
可能性はゼロではないかな
今でもグータラの寝てばかりだが
小泉純一郎の母方祖父の小泉又次郎(1865-1951/86歳没)
ヤクザのような政治家でかなり破天荒な生き様してる
西南戦争、戊辰戦争、第二次世界大戦まで体験。
純一郎が10歳の頃まで生きててインタビューで祖父のエピソードを語ったぐらい記憶があるというのが貴重で凄い。 慶応4年に生まれた人が還暦になれば昭和やないか
どこに希少性があるねん 御年98歳の祖父の曾祖母もこれまた長生きで
60年から63年(103歳)まで生きたらしいが琉球の記録ガバガバな農村で生きてたもんで怪しい
戦中は婆ながらフィリピンで開墾してて奇跡的に戦闘地域を避けながら帰国できたらしいが、兄弟その他一族全員死んでしまったらしく
以来幼少期の話はきけなかったと
まあ琉球だから日本人としての話ではないかもだが >>148
自分から数えて6代前の祖先か
そこまで家系を遡れるのも凄いな
あと1年生きてれば東京オリンピックと新幹線開通もみれたわけだ
ドラマチックだな 伊都ヨシギク(1856〜1966)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%83%BD%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%82%AE%E3%82%AF
安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和と、8つの元号を経験し、110歳まで存命だったのが驚き。
110年間、世の中の激しい移り変わりを体験した事だろう。 伊都さんが生まれた1856年は、初代米国総領事のハリスが着任した年で、激動の幕末に突入したばかり。
生涯を終えた1966年は、ビートルズ来日、笑点の放送が開始され、高度成長の真っ只中。
比べ物にならないほどの変化に、伊都さんも度肝を抜いた事だろう。 鈴木 貫太郎(1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)
江戸時代生まれ最後の首相らしい 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
Y98EH 今の90歳くらいの人なら1855年生まれくらいのリアル江戸時代生まれの生き残りの人から
直接生で話を聞いている可能性はあるよね? その90歳くらいの人からの伝聞で
何か聞いていることはないですかね?? いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
1V1 松の廊下って、160年後の幕末までそのまま存在してたの??
ボロボロになってそうだが・・ >>121
梅田ミトさん
結婚が1900年 37歳のとき・・
凄い晩婚だなw 石黒 忠悳(いしぐろ ただのり、弘化2年2月11日(1845年3月18日) - 1941年(昭和16年)4月26日)
明治時代の日本陸軍軍医、日本赤十字社社長。草創期の軍医制度を確立した。
岩波文庫(絶版)に「懐旧九十年」がある。
ドイツ医学にこだわったせいか(森鴎外の上司みたい)で日露戦争で陸軍に脚気が蔓延した遠因になったようだが…。
このあたりの議論は素人のオレには分からん 江戸時代に生まれて東京オリンピックをテレビで見た人達がいたってこと?
今まで気づかなかったけど、信じられない時代の変化を見てきた世代がいたんだね。
ネットや携帯と共に成長してきたゆとり世代の私よりすごい変動の時代に思えるわ。
もっと早く気づけてたらご高齢の方に色々教えてもらえたのだろうか。 うちの爺ちゃん 関東大震災の年に生まれ iphone6s発売まで 先日、某県境の旧家のリフォームに仕事で入った。
名家らしく、現在は空き家で年に何回か帰省するぐらいなのだそうだかが、仏壇にものすごい数の位牌が置いてあった。20〜30個くらいあったかな。
どれが1番古いか調べて見ると、「宝永」の記載が!
1700年代初頭、将軍は五代綱吉の時代だった・・・ 最後の外様大名 浅野長勲
最後の譜代大名 林忠崇
最後の幕末志士 田中光顕
最後の公卿 西園寺公望
最後の会津藩士 柴五郎 >>163
こういうこと書く人って、実際は40代・50代だったりするからタチ悪い 幕末生まれの最後の有名人って、やっぱり徳富蘇峰と牧野富太郎?
ギリで小笠原長生? 奈良武次、宇垣一成、鈴木貫太郎、横山大観は明治維新の年の生まれなので、江戸時代の記憶はない。
前年の夏目漱石、正岡子規、幸田露伴、小笠原長生も同様。 昭和生まれの最高齢者が今年の年末で94歳
もう明治生まれどころか大正生まれですら昭和まで生きた江戸時代生まれの人物みたいになっている >>170 >>172
江戸時代の記憶がある最後の有名人&最後の生き残り。
それは泉重千代。
1865年8月20日生
1986年2月21日没 江戸の享保年間(1720年)に生まれた人は、
寛永年間(1624年)に生まれた老人の話を聞いてどう思っただろう?
そして100年後、
文政年間(1820年)に生まれた人が生きる時代をどう思っただろう?
同じ江戸時代だし、そんな時代は変わってないなと、200年の時の差は、
あまり感じないのだろうか?
ゲゲゲの鬼太郎の第66話「死神と境港の隠れ里」で、
200年前で時を止められた人に会う話があった。
文政年間生まれの境港の子供達は、もしかすると
1922年生まれの幼い水木しげるに、会ってた可能性があるんだな。
https://mantan-web.jp/article/20190726dog00m200081000c.html 鳥類は一般に長寿命で、オウムとインコは130年以上、カラスは100年以上、
ハヤブサは150年以上生きるものもいるらしい?
https://iec.co.jp/media/corner/kotowaza/05
ご高齢のオウムが、突然江戸時代の話を喋ったりするかもしれん。
そこらへんに飛んでる鳥が、何か、重大な事件の目撃者であったりする可能性も。
鳥の言葉が分かったら、ぜひ聞いてみたいものだ。 そういえばこの前、水曜のダウンタウンで
「徳川慶喜、生で見たことある人、まだギリこの世にいる説」
の再放送をやっていたな
YouTubeにもあったけど 吉田トメ(1849/3/27〜1958/12/15、109歳) >>179
吉田トメが産まれた1849年は葛飾北斎が亡くなり昭憲皇太后、西園寺公望、乃木希典が産まれた年 >>180
一方生涯を終えた1958年は日本ではスバル360発売や東京タワー開業といった高度経済成長への歩みが始まった頃
トメさんの109年に渡る人生の中で世の中が劇的に変化したことが凄いと思う >>181
トメさんはそれらに対してどう思われたのたのだろうか? >>157
うちの祖父(1923年生まれ)にその質問すると「俺が子供の時はみんな長生きしてなくて江戸時代生まれなんてほとんどいなかった」としか言わないんだよなぁ
村の古老とかいなかったんだろうか? 大正天皇の母柳原愛子(1855-1943)
晩年の写真が残ってて戦時中まで生きてたんだな
曾孫になる上皇が10歳まで生きてた
話したこととかあるのかな 河本にわが亡くなられた1976年はゴレンジャー放送中だったので、ゴレンジャー放送開始って表現は違う。1976年はこち亀連載開始の年。 ゴレンジャー放送開始の年に亡くなられたのは、梅田ミトさん。 但し、梅田ミトも河本にわも1863年生まれで学年は1個しか違わないので、以下の時代を過ごしたには変わりない。
新撰組結成、ゲティスバーグ演説、大政奉還、明治維新、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、関東大震災、満州事変、日中戦争、第二次世界大戦、テレビ放送開始、高度経済成長、オイルショック、ゴレンジャー放送開始。 <<最後の元勲と言われた西園寺公望
帯欧十年で 外国人に知り合いが多く 国際感覚があったので
山形が後継者にした
秘書の原田に騙されて 無能な近衛を首相にして 日本を破滅させた
近衛が南進を決めたと聞くと
我が国は滅びる 近衛は畳の上では死ねない といって 死んでいったらしい 作家の中山義秀は1900年の生まれだが、身の回りには江戸時代生まれの人が
いっぱいいた。それはそうだろう。中山が生まれたときに、1868年生まれの人は
32歳。中山が18歳のときに50歳以上の人も江戸時代生まれの人。
中山は江戸時代生まれの人は肌の色が違うと言っている。
鉄のようだという。
赤いような黒いような顔色で、ピカピカしている。
鉄のような肌の色だというのだが、何となく分かるような気がするようなしないような。 明治元年に西郷は42歳、大久保は39歳、長州系では木戸孝允が36歳、井上馨が
34歳、山県有朋が31歳。
伊藤博文は28歳だった。
元勲といわれる人たちの中で、明治元年に二十代だったのは伊藤の他には薩摩の
黒田清隆(29歳)だけである。坂本龍馬ももし生きていれば34歳であった。
伊藤博文より6歳上である。
龍馬は維新の一年前の1867年12月に横死している。龍馬が活躍したのは
30歳を越えてからであり、「竜馬がゆく」が主人公を青年として扱っているのは
少しおかしい。当時の32〜33歳といえば今の40歳ぐらいの感じだろう。 1953年(昭和28年)1月5日〜12月31日
の期間
法律上では
寛永通宝と今で言うギザ10円硬貨が
使えた期間である
寛永通宝 銅1文銭・・・・・・1厘
寛永通宝 真鍮4文銭・・・・2厘
ギザ10円硬貨・・・・・・・・10円
寛永通宝 銅1文銭
1626年〜1953年12月31日
ギザ10円硬貨
1953年1月5日〜現在 渋沢栄一の孫の鮫島純子氏が最近テレビに出たそうな
99歳で姿勢も話し方もハッキリしていた
亡くなった1931年時で9歳
孫の代がまだ存命なのも凄いし記憶も残ってるのも凄い
夫は岩倉具視の曾孫で息子が三人
渋沢栄一と岩倉具視の血を引くとか凄いロマンあるな 東郷平八郎
1848年1月27日〈弘化4年12月22日〉 - 1934年〈昭和9年〉5月30日
山本権兵衛
1852年11月26日〈嘉永5年10月15日〉- 1933年〈昭和8年〉12月9日
コ川 家達 とくがわ いえさと
1863年8月24日〈文久3年7月11日〉- 1940年〈昭和15年〉6月5日 三毛別ヒグマ事件でヒグマを退治した山本兵吉
1858年(安政5年)〜1950年(昭和25年)7月 >>192
鮫島純子さんが1月19日に亡くなりました
100歳の大往生だったそうです
ご冥福をお祈りします 井伊直弼の息子で昭和二桁まで生きていた人いるね 国会議員でもあった 天保14年から昭和19年まで95年も生きた土佐藩の田中光顕は驚異的に長生きすぎだろ
まさに歴史の生き証人 長州の田中義一の方は65年で人生を終えてるが、
運よく幕末と昭和最初を股をかけて生きることができた。
田中義一の黄金時代は大正だが。 大正時代が短すぎたんで田中義一は昭和の世を見ることができて幸運だな 土方久元や山縣有朋も共に83歳まで生きる長寿だが昭和まで数年及ばず
これだけは運命に左右される >>197
なお、純子さんの死去により、生前の栄一と面識ある子孫は渋沢雅英さん(98)だけになったそう。ちなみに雅英さんは栄一と岩崎弥太郎のひ孫だそう しかし江戸生まれが第二次世界大戦開戦年まで存命してたのは奇跡。
他に探してもいない。
田中光顕こそ歴史の生き証人にふさわしい。 維新から敗戦までの年数を敗戦から現代までで超えたんでしょ 軍隊経験者だってまだ生き残っているんだから、
終戦時、維新の志士が残っていたって不思議ではない >>198
四男の直安
1851年(嘉永4年)生まれで1935年(昭和10年)に没 タモリの本名森田一義の一義は祖父が尊敬していた田中義一から拝借して付けたらしい 今の 幼稚園児 保育園児は
2100年以降も生きるであろう人たち
1900年代組ももちろん多数いるのが
現2023年 中村 純九郎(なかむら じゅんくろう、1853年8月7日(嘉永6年7月3日) - 1947年(昭和22年)12月18日)
戊辰戦争、佐賀の乱に従軍して大日本帝国の敗戦を見届けてから死去 エミリオ・アギナルド
1869年3月22日 - 1964年2月6日
戊辰戦争・函館戦争の最中に生まれる。
1896年〜1902年のフィリピン独立革命の指導者の1人で、
フィリピン第一共和国初代大統領。
その後のアメリカの統治と二次大戦をくぐり抜け、戦後迄生きて、
マルコス体制初期までを経験。
晩年の1960年代には、皇太子時代の平成上皇に会ってる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています