スバル360をはじめとする軽自動車や、トランジスタラジオ、ウォークマン等は、
それらに零戦の技術が活かされているというよりも、零戦と同じ思想の上にある工業製品だと考えた方が適当だろう。
小型化、軽量化。それは資源なき国が必然的に帰着した節約の思想を明瞭に表す方針である。
最も顕著なのは自動車であり、徹底した軽量化に支えられた性能追求や、燃費の効率化に対する執心は、零戦に通底する日本的思想と言える。
さらに言えば、日本の軽自動車が交通事故には脆弱であるという点は、零戦の弱みをそのまま受け継いでいるかのようである。
アメリカの艦載機は、被弾に強く、また着艦に失敗しても搭乗員に致命的なダメージを与えないよう、強靭な構造となっていた。
これに対し、零戦は被弾にも着艦失敗の衝撃にも脆弱だった。元来、構造上の強度は実用化のための最小限度に近いものだったためだ。
ここにあるのは、人はミスを犯すものだとして機械にそれを補わせるアメリカ的発想と、個人的努力によってミスを防止することを優先し、
システムや機材の工夫によって個人のミスをカバーしようと考えることは一種の甘えであるとする日本的発想との差異である。
日本的発想では、軽自動車の脆さは問題ではなく、事故に遭わないようドライバーが安全運転に努めれば良いと考えられている。
これは、いかに零戦が構造的に弱くとも、搭乗員の技量によって被弾を避ければよい、あるいは着艦時のミスを避ければよいとする思想と同一の根源を持っている。
これだけではさしたる問題ではない。単なる考え方の違いであり、優劣の比較を検討すべき事象とは言い難い。
だが、物理的・制度的欠陥を人的努力で補うべしとする思想は、工業製品のみならず、日本社会全体に行き渡り、少なからぬ弊害をもたらしている。
それは人材を酷使する企業の姿勢となり、それを容認する社会的風潮となっているのである。