苗字というなら田んぼのある場所が名字だ。
多田の田んぼを耕している源さん家の行綱が多田行綱。
ここはうちの田んぼってのが一所懸命な基本的な役割。

前に300年一五代とかいっていた人がいたが、
その一族がそこで育てた作物で全身がつくられ、
ひとすくいの泥にすら代々の人間の手が入っている
それこそ一族と不即不離の土地でそれを除いたら語ることさえできないのが”苗”字。
他人が別姓を選択しようが一族の田んぼが存在する限りその価値は減ずることなぞありえない。
よそさまがどうであれ、その田んぼを耕してそこでとれる米を食うだけなんだからな。
逆に言えばスーパーで米買ってるような人間には関係ない話。
苗字が変わろうが一族にとって不即不離の田んぼの所有権そのものがないわけだからなw
はっきりいってすでに本来の存在意義などたいていの日本人において失われているんだよ。
それを大事にしようなんて守るべき法益が存在しないので
わざわざ法律で強制する意義がない。