> 日本が「和」の未来指向をめざすなら、(中略) と考えてます。
この部分については君個人の信条・理想の告白なので、僕が批判できるものではない。
 「そうですか。」と言うほかはない。ただ同委はしないし、違和感がある。 僕個人の意見も述べさせてもらうね。
まず 「日本が和の同義国家を目指すなら」というが、「和の同義国家」(その定義がわからんのだが)なるものが現状の所 世界には見当たらない。
そもそも、「日本が和の同義国家を目指す」ことに国内のコンセンサスも取れていないし、僕は目指す必要も感じない。 よって以下の部分、

>そのためには、まず「人身売買された遊女は牛馬」の1872 年の人権の大原則を思い出し(後略)
については特に感想は無い。

>そのうえで、(中略)と申しあげた次第。
主旨は理解しました。 これについての感想は既述。

>ほんらい河野談話を発した25年前からはじめる作業でした。
> 自分も傍観者だった責任を痛感。発言させてもらってます

「少女像」を一面的に視るのではなく多面的に捉えて、反日モニュメントではない「別の付加価値」を見出そうとすることは理屈としては解るが、
その製造者の思想・経緯など「本来の政治目的」に目を瞑るための屁理屈にも思える。
この「本来の政治目的」に対する日本人の不快感を拭い去るには、代理屋氏のロジックは弱いな。
そこが僕の違和感の理由ということかな。