「昔の日本人のほうがモラルはあった」は本当か? [無断転載禁止]©2ch.net
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「モラルを高めるシステム」とは、
人は一人一人では弱いし能力を十分に発揮できない。
しかし会社組織のように数十人が適材適所で助け合えば大きな仕事ができる。
ところが企業方針とリーダーがずれていたり、部長・課長・係長が自分の役割を正しく行わないと全体が崩壊し、けんか別れになる。
この「喧嘩別れ」が地域レベルで自治組織が起こせば「戦争」だ、とすれば戦争にならない方法論は簡単に導ける。
もう一つ喧嘩を起こさせる原因が気候変動で移住せざるを得なくなったときに、行く先に先住者がいたとき 話し合いに失敗した時だ。
正しくは「すぐに先に行くから一時的に助けてね」というのだろうが、先が海とか砂漠だと双方が我慢するか決裂する。これが大陸製民族の悲劇だ。
さて、日本は黒潮に守られて気候変動が少ない。地震や噴火が来ると「死者多数」で逃げる前に人口問題が軽度になる。
日本列島は自然の掟が適度に厳しく、適度に優しかったので「民族文化設計」がし易かったと考えられる。 250 自分:名無しの心子知らず[] 投稿日:2018/05/28(月) 22:34:48.42 ID:lGGCDhss
昔は向こう三軒両隣はみんな家族みたいなもんで、ご近所づきあいも活発で
みんなで子供を育てていたから、わざわざ出かけなくてもストレスなんかたまらなかったのだろう。
今は他人に干渉されることを過剰に嫌がる世の中になってしまったから、はけ口が見つからないと。
身の回りの閉鎖的な人間関係を少しでも変えていければ一番いいんだが、難しいだろうなあ。 日大アメフト的な絶対服従のモラルがあった
トップの問題は部下が責任とるのが美学 「昔の日本人のほうがモラルはあった」かもね。
でも、信長のころ火縄銃が伝来して戦術が変わり、武士のモラルが見直され始めた >>137
筋のとおらない不条理を命じられても絶対服従。
それを身体にたたきこむことが「教育」と信じてるやつがむかしはゴロゴロいた。
日大体育会系ってのは日本軍式のその手の連中がワンサカいた。
それに黙々と耐えて黒い烏もしろといわれりゃ白といいはるようにする。
あの学生もぜんぶ自分がひっかぶれば、「使える男」「根性ある男」に
育つとか思ってたんだろ。 >>138
義経が船頭狙ったころからモラルかわった >>138
義経が船頭狙ったころからモラルかわった なまじ自由があるから悩みも深くなるのかもしれない。
自由があるように見えて実はないから、一々自分を奮い起こさなければならない。
忙しすぎて悩んでる暇なんかないという境地に突き抜けられない。 でも最後は人生に出口なんかないということに思い至れるかどうかだと思う。
それが当たり前になれば見える景色も違ってくるのだろう。 >なまじ自由があるから悩みも深くなるのかもしれない。
だからっつーてお前はこう生きろ
地位の高い偉いひとの命令にしたがって一生生きろって世の中のほうがいいのか
おれはまっぴら 人生が楽しい、そうあるべきというのがそもそもの勘違い。
面白くもない世の中をどう面白がって生きていくかで、環境を自分のものにできるかどうかが決まる。 人生に過剰な意味づけをする人間ほど、少しでもうまくいかないと
自暴自棄になって犯罪を犯したり自殺したりする。
全ての人間が成功する社会など存在しないので、
落ちこぼれた人間でもそれなりに生きていける社会を目指すべき。 俺は鼻の穴が小さい。だから持久力競技は苦手だ。
大きい人は3倍くらいあるが、それでも一部の黒人には かなうまい。でも、それは自然や野生動物が相手だけど、
日本の武道は「武+道」だから やたら殺さない。中国みたい大量虐殺はそもそもしない。それが島国の文化だ。ハワイとかタヒチ、台湾とかキューバは行ったことないから知らんけど 大陸と一緒にするな。
しかし、これから氷河期がきつくなるとヨーロッパは大変だな。ロシアはどーなるんだか。
飛び道具を使う気分が理解できるかも。 自分の中に譲れない一線を持っていない人間が人から尊重されるわけがない。
周りとの調和も通すべきは通す自分があった上でのこと。
もちろん譲り合いの精神は大切。
ただここから先を譲ると自分が自分でなくなるというラインが分かっていれば
相手にそれを押し付けることもなくなる。
それがお互いの人格を認め合うということ。 人生なんか所詮暇つぶしなんだから、もっといい加減に生きればいいのにな。
四角四面の真面目バカにも困ったものだ。
狭量・過信・自己保身といった不誠実は、
人生に確かな手ごたえを過剰に追い求める態度から生まれるということは言い添えておく。 何も知らない世代が増えたな。
かつて、全世界が驚嘆した会津サムライ
柴五郎の勇気と礼節をググってみよ! 別に充実した人生をおくるだけが人生じゃないから。
そういう人は心の空白を穴埋めしてるんだなと思ってる。 何だか平和な人ばかりだな。それぢゃ- ダメだろ。
日本は昔から立派な武人と平和な国民が助け合って続いてきた国柄なのに、
何を思い上がってかアメリカは日本から気高さと強さを2つともに取り上げた。
代わりに悪平等を義務付けたし、世界中に行うという- 植民地時代の西欧の流れを汲んでいた、けれどオバマでエンストを起こし、
トランプで急転回なのだが、全体はまだついて来ない。
日本は主権を回復してもいまだに「駐留軍と武装解除法文」がセットで奇妙な安定状態にあったけれど、もしアメリカが本気で方針変更するなら
これは世界規模の大問題である。これまでの歴史観の歪みを修正する大チャンスでもあり、巨大隕石が落下して恐竜が絶滅したことに匹敵する歴史的事件となる。
そもそもカンブリア紀恐竜によって地上が荒れ狂っていた過去を、近世の人類は繰り返すような暗部を抱えていた。
それがゴルバチョフによる人心解放、インターネットの普及や、スノーデンの登場、パナマ文書流出などと、一般知識レベルの変化で
、これまでの暗黒支配がさらけ出されて秘密が保てなくなってきている。逆に存亡の危機にある旧支配体制側はムキになって支配を強めようと足掻いている。 >立派な武人と平和な国民が助け合って続いてきた国柄
w 柴五郎、嘉数の戦い、ペリリュー島の戦いは
アパッチ砦やアラモを超えただろう 自分が優勢なアメリカはインディアンとも、メキシコにも いちゃもんを付けて相手に非があることにして正当な戦いにして勝つ。
気に入らない相手に対して口喧嘩を吹っ掛けて、怒り心頭の弱虫に先に震える手で拳銃を抜かせて おもむろに打ち殺す。
あるいは手を出させてぶん殴る 。と西部劇で種明かしをしてるんだが、
ぶん殴るヤツと 種明かしは別で。色んな役割分担が、国外の外国人にもいたりする。金銭的なつながりは銀行から銀行を経由して世界中に他人というものが存在しない程連携している。
そこにあるプラスの連携とマイナスの連携が交錯して 見境がつかないのが・・・洋風のモラルかも。
我が国のモラルは戦前までだろうな。戦後はGHQが勝手に憲法を作ったから「どの国の憲法か不明」だ。命令者はGHQで、担当者の多くはユダヤ系だったというから単なる「試供品」。 少なくとも戦後になって立小便は減ったな。
アーロン収容所の著者によると、立小便は日本人の文化だったらしいw 日本は自然と神と平等に敬愛する文化よ。
あっちは自然は野蛮であり、神の教えによる支配を考え、人身売買も盛んなんで「南蛮人」と呼んだ。
今の日本政府はこの人買いを直ちに止めるべきだ。 損しない限り他人には親切にすること。
しかしながら物事の筋は通すこと。
これさえ押さえておけば自分本位でいい。 うっそくせ〜
タイミングからしてモラルもへったくれも感じない
さすがだれかさんの40年来のお友達だわ マスコミ新聞NHKが下らない情報と犯罪を垂れ流して国家を汚染した。 みんな自分のことで精一杯。
他人のことにかまけてる余裕はない。
また情けをかけている相手がそれをすんなりと受け取るかどうかという矜持の問題もある。
明日は我が身という緊張感があれば過度の深情けはお互いの為にならないと気づくはずだ。 417名無しさん@恐縮です2018/07/01(日) 11:57:40.73ID:TipfIeBI0
>>154
サムライというか新撰組なんかも美化なんだよ、実際は愚連隊なのに
伏見奉行所与力の横田蔵之允が邸宅に押し入られ惨殺された。
犯人は新選組の後藤大介と数名の新選組隊士たち
殺害理由は将軍御用の禁猟区で新選組隊士が再三密猟するので
与力の横田が注意をした、その逆恨みだった
これが現実 他者への善行は身の丈の自分にできることの積み重ねに過ぎないということを弁えないから、
同調しない人間にむやみに攻撃的になるんだよな。
歯止めの利かない思いやりは裏に憎悪が貼りついている。 >>167
分からんことはない
だけど、多数派を形成するには思いやりとルール作りは不可欠
そして多数派なくして治安は維持されない
アメリカでもそうだと思うよ 善意であればなんでも受け入れてもらえるとは思わないこと。
押しつけの善意は相手のプライドを傷つける場合もある。
相手の人格を認めるということは、相手を救う対象としてのみ見ないということ。
過度の深情けが相手の人格を踏みにじることにつながることもあるってこと。 もう少し噛み砕いて言うと
他者への親切も所詮自己満足に過ぎないという自覚があれば、
親切も相手あってのもの、
相手の存在が見えれば相手の為であると同時に自分の為でもある
お互いの為のものだと分かるはず。
いずれにせよ義務ではないのでやりたければやればいいし、嫌ならやらなければいい。
相手の存在が見えるとはそういうこと。 柴五郎という明治時代のラストサムライのことは
想起されてもいいだろう。 怒り・苛立ち・イライラといった負の感情をコントロールするためには、
まずそれらの感情を自分のものにして手元に引き付けておく必要がある。
中途半端に打ち消そうとするから振り回されるのであって、
怒るなら本腰を入れて怒ることで細かなつまらないものはふるい落とされていくと思う。
赤の他人に中々できることではないので、受け止めてもらえる家族の存在は重要。 人ぞれぞれに抜きがたい個性があるので、どうしても相性ができる。
でも、同じ企業の社員とか、学校の同級生のように リーダーシップが明快なら乱れは少ない。
そのように国家の基本方針に沿った普通のケースでは問題が起きても収束しやすい。 自分でも抑えられない罵詈雑言を浴びせ続けるぐらいなら、
感情をしっかり込めて身についたものにしろってこと。 道徳教育なんかをいくら上から借り物の言葉で教えても何の効果もないよ。
やって良いことと悪いことの違いは、駄目なことは駄目ときちんと叱ること、
どんなに嫌なことでもやらなければいけないことはきちんとやらせるという意志を
家庭・学校が身をもって示すことでしか個人の倫理観は生まれない。 そうそう、国語算数理化社会道徳というんじゃ全然ない。根本的に違うんだ。 モラルがあったら内務班で一等兵が二等兵をしごいたり。
職場で先輩が新米を殴ったりせんだろ。
うす短気で立場弱いと強きに出て長いものには巻かれるのが日本人だろ。
口よりも先に手が出るぞ。 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
T7Y >>178
戦争に行くと、やるかやられるかだが、逆にやられたら終わりだ。
ここで問題になるのが「戦争目的」だが、今は合理的正当性が求められ、そのためのルールがある。
ここで兵士には鉄砲を撃つことも起こるので、普段の大人しい人でも、鬼になる訓練が必要になる。
(もっと昔には、動物的な戦い〜野獣の戦いが、もし普段通りの意識で行えるなら 切り替えなくて済むかも知れない)
でも平和国家なら少し激しく切り替えさせる必要を生ずる。 昔はよかった式の追憶は年寄りの繰り言として聞き流していい
これが政府が言い出したりするからお間抜けなことになる
インフラの再生や産業の再生はわかる、それぞれ新品だったり好調の時代があったのだから
謎なのが、内閣が設置した教育再生実行会議とやらで、再生というからには今の教育がだめで
いい教育がなされていた時代があったということになる
しかし実際のところ、戦後を通じていい教育だった時代はいつか、というのがさっぱり出てこないのである 国際大会ではゴミ拾いするけど国内では知らん顔するモラルが唐揚げ もちろん今の世の中の平和は享受しているし、ありがたいと思う。
ただ戦後民主主義の帰結として、大人と子供・男と女・目上と目下の境目が
ぐだぐだに煮崩れて来ている気がするんだわ。
誰もが傷つくことにやたらと敏感で、人を傷つけることを極度に恐れる薄っぺらい善人が幅を利かせる社会。
その意味で左右対立は歴史認識や軍事・外交に留まるものではないと思っている。 現実としてあり得ないことだが、例え世界で俺以外誰も支持しない意見であっても
自分の中で完全に得心がいくのであれば、主張することをためらわない。
何故支持されないかを分析する客観性は必要だとしてもな。
個人の倫理はそういう構えの中から生まれるもの。 もちろん自分が間違っている可能性もある。
その時は素直に認めればいい。
いずれにせよアウトプットしてみなければ、分からないこともある。 男と女・大人と子供・目上と目下に奉仕者と消費者・加害者と被害者を追加しておく。
ワイドショーの野次馬根性に全く真実がないとは言わないが、
それは自分たちの下劣さを自覚した上でのことに限られる。
低俗なのぞき見趣味を高尚な正義と取り違えた異様な社会になった。 若干訂正
ワイドショーの野次馬根性に全く真実がないとは言わないが、
それは自分たちの低俗さを自覚した上でのことに限られる。
下劣なのぞき見趣味を高尚な正義と取り違えた異様な社会になった。
と言いながら我々は何やかや突っ込みを入れつつもそういう情報を
楽しみながら受け入れてしまうものなので、
あまり悲憤慷慨ばかりしていてもしょうがないのかもしれない。
問題意識はそれとして、程々に世間と付き合っていくしかないのだから。 >>33
まともに日本語分かる人は自衛隊って違憲だろって思うはずだが
自衛隊幹部だって違憲だと思ってるし最高裁は判決だせずにいる
但し、それと自衛隊の必要性は別問題 犬の糞をきちんと処理するようになったのは進化だと思う。 下がアスファルトだと電信柱に小便しても地面に浸み込まずに流れてきて 持ち上げてない方の足が濡れることが有るんだワン。 やはり日本人はモラルあると思う。
陸軍の超強硬派だってこんなことはできなかった。
世界中の左翼、共産主義、社会主義者の総本山であった
ソヴィエト社会主義共和国連邦の共産党書記長スターリンによって
行われたナチスを上回る数々の大虐殺については誰によっても裁かれて
いない。
大粛清100万人以上、カティンの森2万2千人以上、ホロドモール1450万人以上、
ヴィーンヌィツャ大虐殺9千422人以上、シベリヤ抑留10万人以上、満州引き上げ
民間日本人20万人以上、その他占領地域で行った数々の蛮行虐殺の
スケールのでかさは東京裁判をはるかに超えるものである。 おれは防空頭巾は常に持ち歩いてるよ。
甲子園のウーが鳴ったらすぐに地下道や橋の下に退避してる。
お前らにその自覚はあるか? 自分の行動の結果は自分一人で引き受けること。
風当たりを弱めるために、人をなじったり第三者の同意を得たりして優位に立とうとしないこと。
自分がやりたいからやるんだ、という倫理を徹底させれば、
自分の落ち度が明らかになっても、自分を責めたり卑下したり他人に転嫁することもない。 そうか、今の子たちはGHQの洗脳で腰砕けになった親や先生に育てられたんだ。 日本人でありながら日本人が嫌いというのは、開国以来連綿と続く日本の伝統ではあるが、
行き過ぎた自虐はしばしば大衆蔑視に支えられていることもある。
どういう経緯で日本人が嫌いになったのか、サヨク思想の刷り込みによるものか、
具体的な人間関係の挫折によるものか、開放的な外国人との遭遇体験によるものか。
結論は同じでもそれを支える内実は様々なので、形成過程は丁寧に言葉にしておいた方がいいだろう。 暴徒から各国大使を救い
世界から賞賛を浴びた
日本陸軍中佐柴五郎の武勇と責任感は
今でも世界トップクラスだろう。 昭和期の日本って平気で戦争していたのに、
今は領土が占領されても平和主義だからな。
明らかに今の方が論理的だと思うが。 柴五郎柴五郎うるせえなぁ
誰だよそれ?
て言うかお前は誰なんだよ?
柴五郎か? 怒濤の202ゲット!
>>200
200ゲットおめでとうございます 日本史を学べば解るけど、
源平合戦、応仁の乱、戦国時代の合戦、
戊辰戦争、西南戦争があったように
日本人はウヨが考えるような
平和主義ではないし平和愛好民族でもない。 >>204
素手の喧嘩なら自分も痛いから手加減する
刀を使うと刃こぼれするし汚れるから後が大変。その前に相手の人品や腕前を推測する「名乗り」があって、いきなりズドーンはない。名乗れば知り合いだったりする。
そのように人間としての対決が機械的になった銃や大砲など名乗らずに攻撃するようになって大量殺戮が始まった。 >>204
新撰組のメンバーとか名乗り出ること
なんてなかったと思うけど。
宮本武蔵にしてもそんな事してたんか? 夜とかだったら暗いから名乗りでないと
相手がわからないけど、
昼のように明るい時は相手の顔が
見えるから名乗りでる必要性も
ないんでないの?
親交があれば、相手の顔くらい
知っているはずだしさ。 姿・形だけで日本人と分かるし、言葉が日本語だし、
日本語は大和言葉なので、それだけで敬意が生まれる。例外は悪人が相手の場合だけ。
それほど日本語が素晴らしい、他言語と違うという解説本多数 。他人言語でない」らしい。 古代日本にはナウマンゾウがいた。縄文時代よりも前の旧石器時代のこと。
ナウマンゾウが滅んだ原因の一つは人間の乱獲という説もあるから
あんまり良い時代じゃなかったかも。
縄文時代になると人は海産物をよく食するようになっていた。
そのせいか世界中で日本人だけが焼いてない海苔の栄養分を
消化吸収できる腸内細菌を持っている。
干潟に行けば豊富な食材は拾い放題、季節ごとに自然界に実りがあるから
飢饉も異常気象の時以外は起きなかったらしいよ
ちなみに土器で作った鍋料理っぽいものはけっこう美味とのこと。
漆加工の技術や発酵食品も作られていて、なにより戦による怪我の
痕跡がある人骨が発見されていない。
約一万五千年も戦のない社会形態が続いたって人類史でもきわめて稀なこと。
いろいろ調べたらすごく興味深かった。 世界は武器の発展。
日本は土器が縄文から文化。戦争はこれに背くのでカワラケを割って自らの行為を卑しめる。 . そもそも東朝鮮人(日本人)が、本国朝鮮に侵略などしなければ、在日などいなかったし、
真珠湾奇襲攻撃などしなければ、原爆など落とされることはなかった。 日本は平和国家だったのにアメリカだ黒船だペリーとかが争いに巻き込んで
覇権国家中国に蹂躙された朝鮮はどーでもいいけど
大英帝国、ロシア帝国が東進してきたので 極東全体が大変なことになった。
それを我々は払い除けただけ。まだ恨んでる国があるか知らない。
というか、それを考えるのが人間なのに「考えずに恨んでる人間ではないものが何かをよく考えろ」ってことだ。 本日、餃子の王将に一人で行ってきました。
本来ならビールに餃子と洒落こみたいのですが、
財政難故、モヤシ炒めに中ライスのみとしました。
仲間連れや一人で晩酌を楽しむ人々の隅でモヤシライスを堪能しました。
また行きます。 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 >>222
今も変わらんやろ
酒、女、ドンチャン騒ぎの大醜態 日本本来の平等感覚を否定してアメリカを上とする差別を教えたGHQ
どっちが偉いか自明なのに日本の文化人はGHQ作成の日本国憲法を崇拝する。
そりゃ矛盾だもの、対立もする。これがGHQの狙い。日本人同士が対立し、中国朝鮮韓国と内輪もめをさせて弱体化を図る。
民主主義と言いつつ資本主義を教えて伝統的な美意識を損ねる。と言うかアメリカ人に美意識が欠落しており、アメリカインディアンを殺しまくり、殲滅し
日本人も殺しまくった。ベトナムでも殺しまくる。アメリカ白人は、アメリカインディアンも日本人も血縁の人が憎くて仕方がない。だって白人が2番目なんて堪らない。中東まで出かけてもダメなのよ
「殺してたら学べない支配者で 、リーダーシップとは根本的に違う」と知るトランプは大方針転換をした。
今の時代は、善悪揃い踏みの大劇場が開催されている。 本日は金玉丸出しで眠りました。
台風が来ました。
観測しました。 人間も世界も徐々にしか進歩しない。だからって決めつけるな。 生態系を逸脱した生きものになる前の日本人は良かった。
仏教の末法思想では苦しみは単一種族内で起きる四苦八苦がメインだった。
要するに悪いことした人間が自業自得で苦しいだけ。
聖書系の世界の終わりの概念は物理的にも生物学的にも全部滅びる。
キリスト教もイスラム教もルーツは旧約聖書だからその辺りは共通している。
地面をコンクリで固めたのが原因なのに猛暑とゲリラ豪雨にびびって
ペンギン可愛いとか言いながら温暖化で生息域なくなっていくのをスルーして
北極海航路ができて儲かるウハウハプラン立てて、原発のダメなとこ
分かってるのに動かして滅びへまい進している。
人類は惑星まるごと巻き添えにして集団自殺の真っ最中。ずいぶん
ろくでもない生きものに成り下がったと思う。 日本は文化国家であり、文明国とは鎖国してたんだよ。
それを新参者アメリカが開国を強要した。
そりゃ開国したら文明の衝突になる。何考えてんだか 本日は閉店30分前のスーパーにて買い物をして参りました。
売れ残ったお総菜やお弁当の半額おつとめ品を
浮浪者風の老人や肉体労働者や脳足りん学生らにまざり買い漁ってきました。
皆半額シールが着くまでお総菜コーナーを目を光らせうろつき、相手よりも良いポジションを得ようと必死のせめぎ合いを繰り広げていました。
半額のシールが一斉に貼られだすと、皆自分が狙った獲物に向かって突進し、他人を押し退けて買い物かごに商品を入れていました。
私は半額になったプルコギ弁当と中華丼を手に入れると、近くにいた親子連れの女の子の足を踏みにじってレジへ向かいました。
日本人の和の心と他人を思いやる気遣いに涙が出そうになりました。 中国は文明の継承者が誰になるかという平原地域であるし、
日本は文化国家だっただよ・ ところが中東を見れば分かるけど、人間は文明に負けるだよ。
日本の安倍首相は中国を訪問して息を吹き返させるシンデレラの王子さまになれるか?w 文化と文明の違いについての解説が欠けている。
とはいえ、文明国ってそんなに残虐なんだ。というのが
文章全体から見た印象。
強さを求めすぎて正しさを蔑にして暴虐って感じ。
文化は平和ボケできるくらい戦禍の遠い暮らしの中でしか
発展しない。
のんびり趣味の時間を満喫してグダグダ考え事して可愛い動物を
モフって愛でるのは衣食住に余裕のある時代にしかできないし。 昔は良かった病になるにはイマドキの文明の利器で
手抜きできる便利さに鳴らされ過ぎてしまった。
……脆弱になっちゃったなぁ。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 そうなるには色々積み重ねないといけないのだろうなぁ 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 良いことと悪いことの内容は流動的に変わるけど
比率はあんまり変わってないよね。
紀元前から「今どきの若いもんは……」って愚痴る
じいさんはいたもの。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 学校の知識や本の知識、誰かの口説は 殆ど受け売り。
最近の言論界はステロタイプ+病的になった。
正しくは自由民主な報道であるが、不自由支配な報道だから病気という。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ 落語とか聞いていると、大岡越前の三方一両損なんか、やたら江戸の町民がモラルあるんだよな。大岡越前もどうだけど。
これをどう解釈する?所詮物語だから理想の話を追っているのか?
でも、大正期の新聞見ると、街に落ちていた失せ物が何件も何件も記事になっているんだよね。 日本人の平等感覚は広大無辺で、アメリカお仕着せの民主主義とはわけが違うってことだな。
日本人の評価ベクトルはアメリカと違う星形になる。 90年代初頭ぐらいまでは街中の交差点は歩行者が捨てたタバコの吸い殻だらけだったな 江戸時代の江戸は紙屑拾いって仕事があった。
和紙は何度も再生紙として蘇り、品質は再生されるごとに悪くなっていき
最終的には便所紙として使われた。
糞尿も回収されて農家に売られて肥料として活用されていた。
生活用品の多くも損料やで格安で借りて不自由のない暮らしができた。
リサイクルもレンタルのサービス、高レベルすぎ。 >>270
江戸時代の物語、妲己のお百のストーリーを読むと、紙くず買いは、最低限の職業だったことがわかる。 >>269
駅のホームも。
あと空き缶も多かったな。
今時ポイ捨てなんかしてたら驚かれるだろうな。 瓶のポイ捨ても多かった
デポジットのビールやコーラ ラムネはほとんどないんだけど
ワンカップ酒やオロナミンなんかはバンバンその辺に捨てられてた 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 >>267
江戸時代も長いが例えば中山勘解由が盗賊改をしていた時は火事場泥棒の疑いをかけられるのを恐れるあまり江戸市民は落し物も拾わなかったという
まあ秦の商鞅と似たような話ではある
モラルではなく恐怖で治安を維持したということだね 今どきの若い者はって愚痴なら古今東西どの時代にもあった。
どうやら現存する人類の性癖には破滅好きなところがある。
ただ生存欲をまっすぐに満たしたいだけなら、歴史に学び
現状を知り未来を選択するだけで済んだんだが、しなくていい葛藤をして
わざわざ間違った方も試行錯誤したがるから戦争とらやが絶えない。 体罰や私的制裁のオンパレードだったなwwww
学校の授業や部活はもちろん、スポーツクラブでもぶん殴られたwwww 指導する立場の人が(どうして良いか分からなくて)
生徒に向かって「すみません、解決してください」という代わりに
取り敢えずぶっ飛ばして 反論を防止する
いわば安全策だなw 昔は秩序正しかったから>>280のような問題行動は起こりにくかったが、
今は平等がはびこって知能が足りないのに先生になるから腕力の出番になる。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 そういやスイミングスクールで頭押さえ付けられて溺れかけたりしてたなww
毎週涙目で通ってた。
着替え室で、飲んだプールの水吐いたりしてたわ。
今なら間違いなく大問題。
当時は厳しい先生って事で通ってたからな。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 何か流れやスレに関係あるならまだしも突然過ぎて意味不明。 今もあるだろうけど、地下道や高架下は落書きがあったな。
エロいのや暴走族の名前やら。
昔はホントよく見た。 怒濤の299ゲット!
>>300
300ゲットおめでとうございます 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 >>297
モラルのない人々にモラルを教えることは困難だし、
特定思想の人に教えることは逆立ちするより難しいのだ。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 昔は本屋にエロ本がいっぱい並んでたなあ
しかも未成年者やら露出やらかなり通なのが 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 1980年代のヤンキー全盛期より
今のほうがモラルがあると思うが・・・ 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 欠点を隠そうとしないこと。
そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。
むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 人の意見はどんな耳の痛い意見でも聞く耳を持つ。
しかしながら従うことも含めて、最後に決めるのは自分。
それが個人の自由ということ。 怒り、あるいは相手を嫌うことを人間関係の選択肢の一つに含めない情愛は、
どんなに必死に押し付けて来ようとも愛情とは認めない。
それはどこまでいってもまがい物の愛情。
波風を立てずにいこうとしてもいずれは追いつめられて人を恨むんだから、
怒りぐらいは自分の手元に引き付けておけってこと。
どこまでなら大丈夫かの匙加減さえ見誤らなければその方が健康的。 衝突する前からへしょれてしまうような骨なしならしょうがないが、
少しは気骨があるのなら緊張の高まりをセーブしたり、後からリカバリーするテクニックはいくらでもある。
が、それは衝突を恐れない構えがあった上での話。日々の経験の中からつかみ取るしかない。 自分や他人に過剰な期待をしないこと。俺はそれしか言っていない。
向上心の意味を履き違えないこと。 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 今のような清潔でお行儀がいい日本ができたのはこの10−20年くらいのことだよ >>334
まあ、昔から宣教師や西洋人の旅行者に誉められていた面もあるが、基本はそうかもな。
仕事となると法令を厳密に遵守するのを青臭いとか若いとか言って批判する傾向は悪化しているんじゃないのか? 【日本人はサマリア人】 日ユ同祖論、もう証明完了って感じ、ようやく月刊ムーに科学が追いついてきた
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543029282/l50
ムー編集長 UFO「存在する」「自衛隊は隠してる」「米国は正体を知ってる」「生きているうちに分かる」
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543627498/l50
ブッシュも安倍も、世界教師マ¥トレーヤにはかすりもしない! >>334
犬の糞も見なくなったよなあ
昔はあちこちであったのに 傷つくことを恐れる気持ちは誰にでもあるが、受けた心の傷の痛みを薄めようとしないこと。
痛みを痛みとして感じることができるのは人間にとって幸せなこと。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 ちゃんと教えることのできる大人がどこに居るよw 大笑 1970年代にアメリカ人ビジネスマンが書いた「外人はつらいよ」の中で
日本在住の外国人たちが日本に長くいすぎたなと感じるときという項目があって
タクシーの運転手が客を乗せているとき突然車を止めて立ちションを始めても
驚かなくなった時というのがあった 舞い上がった気持ちを抑えきれない向きは、一度吐き出すだけ吐き出して、
行く所まで行った方がいいのかもしれんな。
中途半端に押さえつけるのは心の健康に良くないのかもしれん。 自分の存在がそこにいるだけで、多くの人間を押しのけ可能性を塞いでいるという宿命を噛みしめること。 日本人のモラルを低下させようとする力が増してきている。 正月に某有名温泉旅館へ泊ったが、若い人たちのマナーの悪さには辟易した。
夜中までクソみたいに騒ぐし、入浴マナーもムチャクチャ。
(掛け湯せずに、そのままドボン。従業員に注意されてたがw)
一泊4万ほどする旅館だけど、カネ持ってりゃ誰でも泊まれるのは当たり前だけど、
一昔前、若いのはもっとカジュアルで開けた感じの旅館に泊待ってたような気がする。
レストランにしても、東京の某高級フレンチなどでも、一昔前は若いのは見かけなかったが、今は良く見かける。
で、大声でベチャクチャ喋ったり、イチャついてサービスマンに注意されたり…w
相席居酒屋とか個室のあるレストランバーみたいなノリで、落ち着いた環境を破壊してる。
節操がないのと、親がアホやから、ますます勘違いしたまま鼻だけ高くなってるんやろな。 相手の気持ちは気持ちとして理解するとして、それに自分を左右されないこと。
どんなに距離の近い相手でも、どこまでいっても自分とは立場・人格の異なる人間。
情の存在は不可欠だが、それに流されないこと。 人間は他人に迷惑をかけずには生きられない。
逆に言えば他人から当然のように迷惑をかけられながら生きるしかない。
どちらの可能性も引き受けること。 自分の人生と自分が関わる世界にどのような未来が待っているか誰にも分からないということを受け入れること。 人生に過剰な意味づけをしないこと。
それが分かれば、他人のことを詮索することも主観を押し付けることもない。 人生を楽しむなんてことをやたら力こぶを入れて強調する奴もなんだかなあって感じ。
それは生きる過程においてそういう瞬間も訪れることもあるってぐらいのことで、的にして追いかけるようなものじゃない。 どうしても人に悪意を向けざるを得ない時は正面から。
相手から反撃される可能性を奪わないこと。 弱みを見せることは恥ずかしいことではないよ。
あるものをないものとして扱うことはできない。
人間突っ張って生きていてもしょうがない。 もっとはっきり言えば、自信なんてもんが要らんねん。
そんなものにすがるから人間は自分が道を踏み外すことにも気づかへん。
努力や積み重ねは必要だとしても、一瞬で崩れ去るものと自覚すべきだな。 前向きなものにせよ後ろ向きなものにせよ感情に気持ちを入れすぎないこと。 煮詰まったらさっさと諦めて次に進むこと。あまり考えこみすぎない。 人の気持ちなんてものをごちゃごちゃ考えない。それは考えるものではなく、感じるもの。 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 外的な刺激に心が揺れ動くのを抑える。
物事に動じないといった硬直した態度ではなく、心の波をなだらかにする。
心に極端な山と谷をつくらない。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 昔が悪かったからといって今が一番良いとは思わないな。
人同士のモラルはきれいに見えるようになったけど上辺だけ。
地球に対してはどの時代よりも無体なことをしている。
禁止用語が増えることは言葉狩りに該当する。
昭和のテレビ番組を放送するときの事前テロップ「不適切な表現が〜」の
注意書き見るたびに日本語が減ったことを実感する。
表現する言葉が無くなれば思いを伝えることはできない。
会話に不自由するから人間関係が希薄な隠れぼっちが増える。
悪いことを表現する言葉が狩られているから、悪いこととは
周知されずに悪事は野放しになる。
原発問題そっちのけで東京オリンピックだの大阪万博だの。
カジノ法案通している間は加計学園問題がどーのと。
日々の暮らしにおいて大問題な事が起きている時ほど
どうでもいいことで騒ぎ立てて目くらまししている。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。 めんどくさいけど付き合っていかなあかんにゃなあ。やれやれ。
>>373
食べてへん 俺はやることはやるよ。どんなに風当たりがきつくてもな。
今の世の中、何かをやったつもりになってる奴ばっかりだ。 俺の思うがままwそろそろ終わりが見えてきたな。やってられへんわ。 昔は文通相手を募集する雑誌の読者ページがあったんだ。
個人情報の悪用なんて概念がなかったから。 >>378
あったな。
90年代までは個人での売買を扱った雑誌があって、そこに電話番号なんかも書いてあった。 通すべき筋さえ通せば、後は何やってもいいよ。
誰も自分を否定することはできない。 >>374
君は欲望に勝ったのだ。
それは称賛に値する。
あとはそれを続けられるかどうかだ。 後は分からんことを分かったつもりにならないこと。それだけ。
>>383
家になかった。あったら食べてた。 受け身で何が悪いねん
何にでもポジティブにがっつく人間なんて逆に気持ち悪い めんどくさいことごちゃごちゃ考えずに生きたいように生きればいいんだよ。
そら色んなことあるわ。 >>384
つまり結果オーライの辛勝か。
それでも勝ちは勝ちだ。
次に繋がるかは君次第。
ミニストップのストロベリーチョコモナカはメチャクチャ美味い。
しかも期間限定。 俺も力説しすぎたな。
あまり必死になると、どんなにちゃんとしたことでも人は聞いてくれへん。
といって、何も言わなければ何の返りもない。
ということで、何事も程々に。
>>388
コンビニのは美味いけど高い 生活にかくあるべき姿を持ち込み過ぎないってことだな。
日々の縛りの中をどう気持ちを楽にやり過ごすかというか。 自分と他人の間に明確な一線を引くこと。
自分の問題は自分の問題。他人の問題は他人の問題。
揺れ動かない。 有るわけないだろ。
体罰立ち小便当たり前。
学校の先生、たまに二日酔いで来てたぞ。 誰が何と言おうが今ある自分が自分。
無理に足掻かない。 人生なんて試行錯誤の繰り返し。
間違ったり、くよくよしたり、思いつめたりしながら進んでいく。 どうせ大したことはできひんよ。いくらうんうんうなってもな。ま、やってみ? 人の心なんて分からんよ。分かるのは見えてるところだけ。 >>389
コンビニアイスくらい少し我慢したら買えるだろうが!!
甘えるな!!
生きろ。 市場に流通している食品の放射能汚染の心配が無用だった昔は良かったなー。 そうかあw
実は核実験が盛んだった頃は東京にも放射能の雨が降って、マグロには放射能が… 昔の西日本の為政者は国家全体の利益を考え均衡した発展を目指したけど
今の東日本の為政者は地元の利益ばかり考えて東日本に偏った発展を目指して西日本が衰退した
そして日本を牽引してきた西日本から人材が輩出されなくなり日本全体が衰退しつつある 縄文時代の人骨には戦の傷跡がなかった。
日本に農耕という生活様式が根付いて飢饉と戦が起きるようになったのは弥生時代以降。 昔は屋台や飲み屋街では喚き散らしたり、吐いたりする輩が普通だった。 >>402
千年以上も栄えた畿内(西日本)は、江戸期以前まで東日本は完全無視やったからな。
史料を見てたら、畿内以外の地域は完全無視。見事なまでに、ほぼ無視。
あと、東京一極集中と地方の衰退は関係ない。
https://chikirin.hatenablog.com/entries/2015/12/05 【 令和 ≒ 令徳 】
徳川家が大政奉還するとき、ダメ出ししたのと類似の元号、天皇制復活=日本軍再建、を狙った元号では?
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1554171656/l50 自然崇拝・先祖崇拝・多神教・仏教をコンプリートしてた昔の日本人なら
原発なんか作らなかっただろうな。 ●『リー・クアンユー回顧録(上)』
・「日本人は我々に対しても征服者として君臨し、英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。日本の占領の三年半、
私は日本兵が人々を苦しめたり殴ったりするたびに、シンガポールが英国の保護下にあればよかったと思ったものである。
同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。日本人は、日本人より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われることを嫌っていたのである。
日本人は天照大神の子孫で、選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分は違うと考えていたのである。」
●『リー・クアンユー回顧録(下)』
・「池田勇人首相との会談で私が取り上げたのは血の負債≠キなわち戦時中の日本軍によるシンガポール人虐殺に対する償いの要求だった。
池田はシンガポールで起こったことに対して「心からの遺憾の意」を表明したが、謝罪はなかった。
・「日本は経済大国として先進国首脳会議の正式メンバーとなり、世界の主要国として果たすべき役割を模索し続けてきた。
とりわけ深刻なのは指導者たちの過去の戦争に対する残虐行為に対する姿勢だった。西ドイツの政治指導者は明確に戦争犯罪を認めて謝罪し、
犠牲者に賠償を支払い、若い世代に戦争犯罪の歴史を教えて再発を防ぐ努力を行ったが、日本の指導者はどうだろう?
多くはいまだ曖昧な態度で言を左右にしている。天皇への配慮に加えて、国民を困惑させたくない気持ちや先祖を侮辱したくない思いがあるのだろう。
理由のいかんを問わず、歴代の自民党政権は日本の過去と向き合うことはなかった。」 昔の方がモラルも知性も低いよ
今の日本の60以上の老人見て見ろよ
どうしようも無いから 世代間ギャップを対立の種にしない方がいい。
生活文化の違いに、良い悪いの線引きはできないよ。
紀元前から「イマドキの若いもんは……」って愚痴はあったわけだし。
祖父母に可愛がられて育った孫は、良い感じにジジババっ子に育つし、
内なる童心を大切に残していれば、老いてからも若者と意思疎通が
容易にできる
レトロな黒電話やレコードプレイヤーの使い方を知らない平成世代と
昭和世代の常識の違いをちゃんと笑い話にできているテレビ番組を見て
つくづくそう思う。 日本人もそうだし外人もそう
人間は池沼ゴミクズ
最近確信に変わりつつある
悪人か池沼が大半 やる気見せて服従してたら通用してたのが昔。
今はもう無理やぞ。
結果出せ。 最近の日本人は何でもオリーブオイルで和えたがるからなぁ。
もしくは仕上げに少したらすか。
一昔前はマヨラー。
うちの爺さんなんか、マヨラーを勘違いして、わしは徘徊なんぞせん!って断言してたからな。
因みにサラダやから揚げにはマヨどばどばかけてた。
今は茨城あたりかな。 時代による
コズミックフロントの再放送で天地明察みたいな話やってたけど主人公だけでなく
関孝和のようなコミュ力弱めの天才が埋もれずに和算の神様として名を残せた
時代は良い時代だったなと
今は平穏に暮らせる世の中だが世渡りが下手だったら天才でも埋没させられる 少なくとも戦前までは世界一の教育がありました。戦後の日本は、義務教育学校の教員採用選考試験に国籍条項が無くなってしばらくたちます。
現在の小学校には、在日や帰化した韓国<朝鮮>人が非常に多くいて、日本人の子弟を教えています。一時問題になった常軌を逸した性教育など
その一例です。教師による淫行やいじめなど日本の初等教育は崩壊の危機に瀕しています。 江戸=人材の宝庫
大坂=人なし
京都=情なし
・竹斎(伊勢人)
今でこそ海軍には諸国の人があるが、明治の初めには旧幕の者でなければ、人らしい人がなかった。
おかしい話じゃないか、函館から脱走の人が送られてくるのに、肝心の送ってくる人には船が動かせないから、
よんどころなく捕らわれの脱走降参人に頼んで、船を運転してもらった。
『幕末の武家』より
・清河八郎(出羽人)
大阪は天下の富地にして、黄金の会すること山のごとく、実に将軍家の外府ともいふべき。
すべて百姓町人などの豪富家は、黄金の番人に異ならず。
世間饑飢に苦しむとも格別の施しもいたさず、執拗して人の誹りを得、英雄豪傑の世となりては、
あへなく奪ひ取らるも知らで、いたづらに番をいたすの愚痴なるものばかり多し。
『西遊草』より
・清河八郎(出羽人)
京師は高位貴官の在る王城にも似合ず万事軽薄鄙吝を専となし、何事も陰等に事をはかろふ故、遂に弁舌の工みと相成、内大小相違するなり。
それ故近辺のうわさにも「京の弁舌」といひて、人を欺く習ひと相成、歎ずべきの至りなり。
其故男児らしき英偉磊落の気風はさらに無し。うちめうちめと計ろふなれば、少しく侠心のある人々は、とても永住のならぬ地なり。
『西遊草』より 足尾鉱毒被害民
「陸奥はその姻戚なる古河の利益を保護するために
態度を曖昧にして以て責任を免れたりき」
>猛毒垂れ流し隠蔽野郎のゲスの極み陸奥宗光
>環境破壊者最低人間ゲスの極み陸奥宗光
>新選組に撃退された元ヘボテロリストゲスの極み陸奥宗光
>若い頃のあだ名はウソツキ小次郎ゲスの極み陸奥宗光
勝「陸奥が悪いのサ。息子が、古川にやつてあつたけノ」
勝海舟は教え子の中でも陸奥を嫌ってたからこんな言い方してるけど
一番悪いのは示談詐欺師の京都人古河w 平安 京都貴族 京都人 政治放棄で地方修羅状態
室町 京都武士 京都人 応仁の乱で京都廃墟
江戸 松倉親子 奈良人 暴政で島原の乱勃発
明治 古河財閥 京都人 足尾鉱毒垂れ流し まぁ正直そう思う
五輪終わって緩やかに確実に民度上がっていった
未だに地方のマナーは最悪 ゴードンスミスのニッポン仰天日記
トーキョーのにおいは、私がこれまで他のどんなところで嗅いだにおいよりも強烈だ。たとえば悪臭で名高いあのナポリと比較しても、トーキョーがどれほどひどいところか。 昭和ではまだ残っていた立小便よけの鳥居マークは見なくなったな。 そもそも野良犬野良猫が減った。
山には産廃や廃車が山積みされてたりしたがそれも随分減ったなぁ。
モラルがしっかりしてきたとは思うが、反面、寛容さは無くなってきたと思う。 意味のないこじつけに乗ったお人好しの意見に難癖つけて、今も昔も日本人はクソだと誘導したい、つまらぬスレw >>406
関東は二足歩行するケダモノが跋扈する化外の地と考えられてたから仕方ない 立ちションするおっさんやパチンコ屋にたむろする子供は減ったな。
駅のホームの吸い殻もないし。 ルールに関しては、現在の方が守られている。
ただ、思いやりのある人は昔の方が多かったと思うが、
その反面、どうしようもないクズも多かった。
要するに、両端の幅が狭まったという感じだと思う。 何言ってんだ昔の方が酷いだろ
年寄り見てみろよいまだに医者に袖の下渡すのが常識だと思ってるぞ
まともな医者は受け取らない迷惑だよと言っても渡すのが礼儀だと本気で思ってるそれだけ昔の医者が当たり前に受け取り差別してたって事だ
オッサンはその辺で立ちションはするしタバコの吸殻なんて道端に捨てる物だと思ってるし
上司は部下を奴隷みたいに扱っていい物だと思ってたし(これは今もだが)セクハラなんて当然女は性欲を満たす道具と言う扱いだったし
親や先生は当たり前に子供殴ってたし根性論で虐待指導してたしクソみたいな民度だったぞ
昔を美化するにも程があるわ 確かに美化はあるな
昔は地域や集団を重んじてた
それが嫌で今に至ったんだろ
しかしタバコやゴミの出し方、犬の糞なんかは改善されたと思う 荒々しさを許容する大らかさが辛うじて残っていた時代。
その中でも息の詰まるような細々とした作為に包まれる現在は準備されていた。
いずれにせよ今の生活に馴れ切ってしまった我々にとっては暮らしにくい世の中かもしれない。 個人のモラルは乱世だと底辺になっても仕方がない
ただ社会のモラルは泰平の頃の江戸時代の方が勝っている部分がちょいちょいある
徳川幕府の治世だったら科学が発展しても廃仏毀釈しなかっただろうから、神々の宿る
自然を穢して数多の命と健康を害する原発には手を出さなかったろうし 今の社会は所詮、息のつけないテーマパークだ。
あらゆる物事に隙間なくテーマが張りめぐらされ、そのテーマに沿った生き方しかできない。
そのテーマがどんなに優しい美辞麗句で飾られていようとも、
そこを踏み越えた途端、寸分の揺るぎもなく排除される。
この抑圧・管理の構造は、上流が下流を搾取しているなどといった
お気楽な図式で説明できるものではなく、むしろそういう「弱者に優しい」言説が
社会の管理の構造を強化してきたことに気づくべきだろう。 オリンピックを中止と言わずに延期と発表する優柔不断ぶりが
日本を滅ぼすかもしれない 簡単に中止できるわけないだろ
経済損失どのくらいだと思ってるんだ >>441
競技場建設費用、企業が捻出した宣伝費、その他もろもろ考えると、中止は莫大な損失になるね。
延期も負担が凄いことになるが、中止よりは何倍もマシ。
東京都の負担が増えて経済疲弊し、その余波で地方交付税が減ると困るのは地方。
五輪誘致(オワコンの万博も含め)なんて愚の骨頂だよなぁ… 最近の学生はというがいつも学生は酷いというかむしろ昔の方がひどい
戦前の旧制高校のストームだのの乱痴気騒ぎ
早慶戦の後青山墓地の卒塔婆を燃やす早稲田の学生
だが遡れば中世欧州で大学生は酔っ払いにかっぱらいで都市の鼻つまみ者だった
頭がおかしいのは学生というものの本質である タコが言うのよタコが
日本は熊襲の産地で極めて民度が低いって 今はシャワーとアマゾンの発達によってアナルを開発している男子が急増している
三十年くらい前と比べても格段の差がある 【西村博之vsF爺・Part2】在仏歴54年の国際言語学者・小島剛一氏(75)に論破された西村ひろゆき(44)「辞書に書いてあることすら知らない不勉強な自称・専門家に騙される人が多いんだなぁ、と。」★8
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1625961315/ おてもやん「飲食店にカネばら蒔いて
五輪コロナが大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ!」 東京水産振興会のサイトに昔の漁業規制の歴史について紹介記事があった
昔は国策で漁業の大型化を推奨し乱獲を推し進めていく一方で漁民は地域で取締を要望していたようだな
今の漁民は国に規制を緩和させて取り尽くしてますます不漁に喘いでいる
>各地方の漁業は、各地の漁業者同士で作り上げた自主的ルール、藩の権力による漁業規則が何らかの形で残った。国の中央集権による水産体制が整うまで、
>各府県等は国の体制整備を待つまでもなく日常の漁業秩序を保たねばならず、各府県等がそれぞれ江戸時代からの慣例に従い、国を先取りし「捕魚採取藻取締規則」
>「漁業取締規則」を定め府県等の漁業行政を司った。
>各県のそれぞれの規則を詳らかにする余裕はないが、山口県の漁業取締の歴史が参考になる(有薗眞琴 平成14 P50?52)。
>それによると、国による最初の漁業法が制定される1901(明治34)年よりも11年以前に、「(山口)県は、明治23年(1890年)に制定した『漁業取締規則』によってその取締りと
>保護を励行してきました」とし、「明治39年・44年・大正8年と逐次改正した」とする。「44年(1911年)の改正では、瀬戸内漁業に対する制限禁止の章を設けたとし、政府も
>瀬戸内海における乱獲を防ぐため、42年11月に『瀬戸内漁業取締規則』を設けたが、なかなか励行されませんでした」としている。
>また、「政府は(瀬戸)内海漁業不振の原因として、漁場に比べて漁民の数の多いことをあげ、その打開策として朝鮮海への通漁と漁民の移住を奨励するよう指示」したとされる。
>他方、明治政府は遠洋漁業奨励法を1897(明治30)年に公布したが、そのことは漁船の機械化と大型化が進む中で、「零細な沿岸漁民は機船底曳網による無法な乱獲により苦しめられた」とした。
>山口県は「政府は大正10年9月に『機船底曳網漁業取締規則』を公布したがそれだけでも十分でなかったため、沿岸零細漁民は禁止区域の拡大と違反船の取締り強化を求めて
>広範な請願を行った」としている(下線は筆者が付した)。
>ここで特徴的なのは、「(山口)県は下関水上警察署に漁業取締りのため防長丸(明治41年建造、最大速力10ノット)と鴻城丸(明治37年建造、最大速力9ノット)の2隻を配置し。
>違反船の検挙に務めましたが、この両船は老朽船である上、予算不足のため燃料石炭も毎月10日分くらいしかなく、十分な取締まりは出来ませんでした。こうして沿岸水産資源は
>次第に枯渇していきました。」としている。
>ここで注目したいのは、山口県は漁業取締の実行を警察の水上署に求め、そのための船を配備したという事である。
>政府が遠洋漁業奨励法を公布した1897(明治30)年は、ちょうど農商務省に水産局が常設された年に当たり、これを契機に遠洋漁業や沖合漁業が急速に伸長していく。
>最初の漁業法1901(明治34)年の条文の中には漁業に関する取締官の制定に関する条項はなく、主に漁業権の事だけが規定された。しかし、遠洋漁業奨励法が制定されてから
>次の漁業法改正1910(明治43)年の頃には、遠洋・沖合漁業が拡大してきて、これらの強力な漁業については許可制にしていくとともに操業区域・禁止区域等を制定したため、
>それに伴い取締りが必要になった。そのため、大規模な漁業から順次年を経るにつれて漁業種類に応じて取締規則を定めていくことになる。
>これはいわば、遠洋漁業奨励法で強大な漁業を育成するため、奨励金を与えアクセルを噴かせ漁業を育成するとともに、育ってきた大規模で強力な各漁業種類から許可制を
>敷いていき、漁業の秩序を順守させることとしたものである。これら漁業取締規則を制定してブレーキとして制御していくこととなった。
>この奨励策の下で、実際遠洋漁業が北洋や南洋、東シナ海等に膨張拡大していくこととなり漁業生産力の面で大いに拡大し、光の面から見れば殖産興業や富国の観点から
>国策として望ましいことであった。他方、影の面としては特に沿岸に隣接して沖合で操業する機船底曳網漁業は沿岸漁業者との間に深刻な摩擦を起こしていくこととなった。
>特に機船底曳網漁業は機動性があり漁獲圧力が強いため資源枯渇を招き、零細沿岸漁業者にとっては生活の困窮を引き起こすことから、上述のように山口県でも漁業取締規則で
>定められた禁止区域の拡大要求請願と高速な取締船の導入などを求めていくこととなった。 制作費が安いせいか、ワイドショー型の情報番組が多すぎて
テレビをつけたら悲惨な事件が起きるとしばらくそればっかりになってうんざりする。あんなもんみてたらこっちが鬱になるわ。
おかげで現代のほうが凶悪犯罪が多いと勘違いするヤツ続出。 支倉常長の研究第一人者である佐藤宗岳氏は
支倉家に代々伝わっていた表具料領収書について
64年前に初版発行した書籍で言及するも
未だに支倉常長死亡の定説は帰国後2年だし
表具料領収書の存在意義についても
ブログか何かでテキトーに触れて終わるだけ。
明治維新で乗っ取られてからは別の国だよな。 >>56
その世代なら認知症か衰弱し切ってる人も多いな >>433
おもろいおっさんな爺さんも多かった気がする
キャラが色々分かれてた感じ
昭和40年代までは昔型、昭和50年代以後は
ドルオタ、アニオタ、アスリート、イケメンと
大体四型に収斂されてきてる感じ 爆弾配るにしても、周りへの配慮があったからな
母子家庭やお年寄りの一人暮らしなんかには率先して配ってた
特殊部隊なんかは少ない方だった そうだな
今は小学生が気軽に持ち歩く世の中だからな
機銃掃射が来ても普通に買い物してるわw どういう神経してたらそうなる?
ションベン臭いのにおいてえ。 モラル高い人のレベルがつきぬけていたと思う、昔の方が。
今って落伍者を少なくしようって考えだと思う
日本人の犯罪率が低下しているだけでモラルが高いかっていうとちがうと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています