安川は『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の366-371頁において、
福澤の代表作「学問のすすめ」の中の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」を取り上げ、
この文章は(江戸時代に編纂されたという古文書の)[[『東日流外三郡誌』]]が起源であり、
福澤はそれを盗用したものであると主張した。
その理由は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という思想が、
福澤のアジア蔑視思想とそぐわないというものであった。
この『東日流外三郡誌』起源説は、もともと1990年代、
元昭和薬科大学教授の[[古田武彦]]が『真実の東北王朝』(駸々堂出版)などで唱えた説であるが、
安川は369頁において、この「古田説を基本的に支持する意向を表明」した。
さらに、2006年(平成18年)8月30日に安川は京都のアバンティホールで古田と対談をおこない、
改めて古田説を支持する見解を表明した。
また、2006年(平成18年)12月に発行された古田武彦直接編集の雑誌『なかった
真実の歴史学』第2号においても、安川 (2006b, pp. 366-371)の再録である「論考・エッセイ
 「天は人の上に人を造らず」をめぐって」が掲載された。
ところが2000年以降、「東日流外三郡誌」は現代人による偽作という見解が定着していた。
1990年代、『東日流外三郡誌』が偽書である理由の一つとして、
江戸時代の古文書に明治時代に執筆された福澤の文章の模倣としか思えない文章が出てくる不自然さが指摘された。
『東日流外三郡誌』を擁護していた古田は、福澤が古文書を読んで模倣したと主張したが、
学会の検証に足りる証拠は提出されなかった。
『東日流外三郡誌』については古代史研究家の[[安本美典]]の著作のほか、
新聞でも度々取り上げられていた。これらの経過を全く把握せずに、
古田の主張を鵜呑みにして発表したため各方面より批判を受けた。
平山に指摘された安川は(平成19年)2月19日の平山宛ての私信において、安川は古田説への支持を撤回した。
さらに高文研刊行書籍の正誤一覧に掲載した正誤表において公式に古田説への支持を撤回した。
だが専門外の偽文書を資料調査もせずに取り上げたことで、安川の研究の信頼性は損なわれることとなった。