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【偉人】福沢諭吉について【悪人】(其の13) [無断転載禁止]©2ch.net
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0001名無しさん@お腹いっぱい。垢版2016/10/26(水) 22:01:11.16ID:RiYRiGHC0
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過去スレ
【偉人】福沢諭吉について【悪人】(其の12)
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history2/1435105647/
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の11)
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1404555135/
【三十一谷人】福沢諭吉について(其の10)
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【三十一谷人】福沢諭吉について(その9)
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【三十一谷人】福沢諭吉について(其の8)
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【三十一谷人】福沢諭吉について(その7)
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【偉人】福沢諭吉について(その6)【悪人】
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【偉人】福沢諭吉について(その5)【悪人】
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【偉人】福沢諭吉について(その4)【悪人】
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【偉人】福沢諭吉について(その3)【悪人】
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【偉人】福沢諭吉について(その2)【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1226896359/
【偉人】福沢諭吉について語るスレ【悪人】
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1147733623/
0180名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/22(水) 09:03:10.03ID:1cnoSv9W0
>>179
と、云へり

だね。これは当時主流だった天賦人権説。今のサヨクの思想。
それに対して福沢は実力主義を唱えている。
0181名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/22(水) 13:47:58.01ID:gz78x3Jy0
147 名前:名無しさんダーバード 2017/11/22(水) 13:23:28.45 ID:4QQXYqge
九州産黒毛和牛(鹿児島/佐賀/長崎)のA5ランクの
ベクれた最高級品質赤身や美味い最高級熊本産馬刺し馬肉。

テレビや新聞、ネットではベクれた国産牛肉を食べろと洗脳
猛毒 崩壊好きな本や文春でもベクれた国産推進
ホルモン漬けアメリカ産牛肉
http://bunshun.jp/articles/-/4917

ベクれたモチ麦笑
0182名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/23(木) 06:20:28.54ID:9TozfcqxO
とにかく齋藤孝を
0183名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/23(木) 08:07:43.85ID:doe9QNHE0
斎藤さんは現在福沢礼賛の巨頭だから、やってみる値打ちはあるかもな

向こうは相手にしないだろうが

効果的な宣伝の方法を考える必要があるね
0184名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/24(金) 12:11:48.31ID:SJ8C1ay40
福沢諭吉は中国語(簡体字)での紹介でも肯定的に扱われている
http://www.sohu.com/a/200633136_100038786

安川派の積極的売り込みにもかかわらず、侵略論者説は受け入れられていない
0186名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/25(土) 19:42:06.73ID:3J9s5G010
>>170

『西洋事情』の衝撃<等々力短信 第1101号 2017.11.25.> ― 2017/11/25 07:10

 平山洋さんから、11月30日刊行の『「福沢諭吉」とは誰か』(ミネルヴァ書 房)をご恵贈頂いた。 
静岡県立大学国際関係学部助教、2004年の『福沢諭吉 の真実』(文春新書)で現行版『福澤諭吉全集』収録の「時事新報」無署名社説 から福沢執筆のものを限定し、
福沢は侵略的絶対主義者ではなく市民的自由主 義者であることを主張して、福沢研究に一石を投じた。 
さらに2008年のミ ネルヴァ日本評伝選『福沢諭吉』では、『西洋事情』がベストセラーとなったの は、幕末の当時、
日本の国家体制をどうするべきか考えていた人々にとって、 冒頭で文明政治の六条件を提示した上、西洋諸国の政治体制が詳述されていた からだとした。 
新刊書では、第二章「『西洋事情』の衝撃と日本人」で、『西 洋事情』の影響をさらにくわしく述べていることが、私の関心を引いた。

 福沢は慶應2(1866)年10月の『西洋事情』初編で、文明政治の六条件と して、
(1)自由の尊重と法律の寛容、(2)信教の自由、(3)科学技術の奨励、 (4)学校、教育制度の整備、(5)法律による安定した政治体制のもとでの産 業振興、
(6)福祉の充実と貧民の救済、を挙げた。 アメリカ合衆国の独立宣 言、憲法を全文紹介し、イギリスの憲政史や税制の詳細、国債、紙幣、商人会 社、外交、
兵制、新聞、病院等にもふれた。

 平山洋さんは、これが維新前後の思想界に甚大な影響を与えたというのだ。  慶應3年(1867)5月の赤松小三郎(信州上田藩兵学者、薩摩藩兵学教授)「口上書」から
山本覚馬「管見」まで、大政奉還を挟んでの約1年間に書かれた新 体制に向けての提言や、坂本龍馬の「新政府綱領八策」、明治新政府から出された由利公正ら
立案の「五箇条の誓文」や福岡孝悌ら起草の「政体書」といった 重要文書が、ことごとく福沢諭吉の著作、とりわけ『西洋事情』初編の強い影 響を受けていたことを、
それぞれ例証する。

 それにも関わらず、なぜ『西洋事情』にもっと高い評価が与えられてこなか ったのか。 平山洋さんは、三点を挙げる。 
第一は、明治維新を挟んで活動 した人々にとって、『西洋事情』を読んだ時の衝撃はあまりにも自明で、わざわ ざ表明する必要を感じなかった。 
第二は、福沢の明治政府への非協力が、新 政府始動時に彼の与えた影響について言及させにくくしたのではないか。 
第三に、日本憲政史研究における『西洋事情』の完全無視が、現在の研究者の目 を『西洋事情』からそらさせている。

 福沢諭吉が一万円札の顔になった時、私は、地下の福沢さんに聞けば、「人間 当前の仕事をしている者を誉めるなら、
先づ隣の豆腐屋から誉めて貰はねばな らぬ」と辞退するに違いない、と書いた。 発行当時の為政者には、
福沢の日 本国への貢献に対して、密かな反省の気持があったのかもしれないと思うので ある。

by 轟亭 [福沢] [政治] [歴史] [日本] [コメント(0)|トラックバック(0)]

http://kbaba.asablo.jp/blog/2017/11/25/
0187名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/26(日) 01:57:51.26ID:pJ0WN7240
福沢諭吉ってそんなに凄い( -_・)?ですか?
とてつもない偉人何ですか?天才なんですか?
0188名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/26(日) 07:13:11.53ID:qbZ6i2wuO
>>187
人材を育成して日本を経済大国にしたんだよ
0190名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/27(月) 20:51:14.84ID:YRv/ybUW0
天才とかそういう範疇じゃないだろ

起業家だよ
0191名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/28(火) 16:17:55.21ID:q322I7Dn0
韓国人のやり方

●友好を餌にすれば、日本人は何度でも騙せる。
●日本人相手なら、どんな非道も許される。
●善人ヅラで日本人に接近しろ。
●嘘は堂々と言え。
●「日本は加害者」と植え付け、優位に立て。
●嘘の歴史も映画化・小説化すれば真実に生まれ変わる。
●慰安婦像建てれば、日本に モラハラ出来て 優越感♪
●慰安婦合意後もゴネ続けろ。賠償金を百倍、千倍に膨らませろ。
●「日本=ナチス、旭日旗=ナチスの旗」と世界中で同一視させろ。
●日本で テロを起こせば 英雄だ。
●日本の神社に放火しろ。神仏を破壊しろ。御神木を薬物で枯らせ。
●日本人に成り済まし、世界中で悪事を働け。
●対馬の土地を侵略目的で買い漁れ。
●歌のように平和だけを叫ぶ日本は侵略の標的。
0193名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/11/28(火) 17:17:07.87ID:93EKAXzqO
安川さんたち反福沢運動から手を引いたみたいだね

ぐぐっても何も出てこない
0194名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/05(火) 21:25:47.80ID:ohLfJGiB0
>>193
名古屋大学・安川寿之輔名誉教授らが「福沢諭吉神話」を徹底検証! 
福沢諭吉は「自由と平等を主張した天賦人権論に同意、同調していない」 161204

Posted on 2017年12月3日 by 管理人

https://iwj.tubematome.site/%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e5%a4%a7%e5%ad%a6%e3%83%bb%e5%ae%89%e5%b7%9d%e5%af%bf%e4%b9%8b%e8%bc%94%e5%90%8d%e8%aa%89%e6%95%99%e6%8e%88%e3%82%89%e3%81%8c%e3%80%8c%e7%a6%8f%e6%b2%a2%e8%ab%ad%e5%90%89/
0195名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/06(水) 09:48:05.66ID:eg7uKWS20
>>166
目次

はじめに

第一章 福沢諭吉先祖考
1 天保五年夏、福沢百助自家の系図を作成する
2 福沢家系図の概略
3 飯田家系図の提供
4 人物データを整理する
5 福沢家飯田家統合家系図の作成
6 小笠原家分限帳による飯田古右衛門と福沢兵助に関する調査
7 在中津史料による小笠原家改易までの調査
8 初代小笠原長次
9 二代小笠原長勝
10 三代小笠原長胤
11 地獄浜
12 荒瀬井路
13 今一つの問題、信州福沢の所在
14 小平雪人による茅野福沢説の論証
15 天正10年、善徳入道と太郎左衛門、武田家に殉ず
16 では信州福沢とはどこのことなのか
17 信州福沢11カ所めぐり
18 信濃国福沢についての暫定的結論

第二章 『西洋事情』の衝撃と日本人??赤松「口上書」・龍馬「八策」・天皇「誓文」・覚馬「管見」等へ与えた影響
1 赤松小三郎「口上書」は『西洋事情』の日本化
2 嵯峨根良吉「時勢改正」は赤松「口上書」と同一
3 坂本龍馬「船中八策」は偽文書
4 坂本龍馬「新政府綱領八策」は『西洋事情』の抜粋
5 明治天皇「五箇条の誓文」は『西洋事情』の換骨奪胎
6 山本覚馬「書付」は赤松との協同を示唆する
7 太政官「政体書」は『西洋事情』の復古的解釈
8 山本覚馬「管見」は『西洋事情』への応答
9 『西洋事情』の衝撃

第三章 福沢諭吉の「脱亜論」と〈アジア蔑視〉観
1 『時事新報』社説としての「脱亜論」
2 「脱亜論」を書いたのは誰か
3 「脱亜論」批判の不当性
4 「脱亜論」は朝鮮の甲申政変後の情勢を前提に書かれている
5 支那人・朝鮮人とは誰か
6 批判と蔑視の違い
7 「脱亜論」はアジア蔑視ではなく、清国・朝鮮両政府批判である
0196名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/06(水) 09:48:28.92ID:eg7uKWS20
>>166

第四章 福沢諭吉と慰安婦
1 福沢は天皇に娼婦の出稼ぎの指示を与えたか
2 全集への収録状況と文体の判定
3 『福翁百話』と『福澤先生浮世談』での娼婦出稼論
4 慰安婦問題と娼婦出稼論

第五章 武士道・ビジネスマインド・愛国心??福沢諭吉と大西祝の場合
1 福沢と大西における人格と良心
2 福沢と大西にとっての人格
3 福沢と大西にとっての良心
4 福沢と大西にとっての武士道・ビジネスマインド・愛国心
5 福沢と大西の共通点と相違点

第六章 福沢署名著作の原型について
1 『時事新報』社説はいかにして刊行されたか
2 長編論説と原型の関係
3 明治15年刊行の著作
4 明治16年・明治17年刊行の著作
5 明治18年・明治19年刊行の著作
6 明治21年刊行の著作
7 明治25年・明治26年刊行の著作
8 発見された新事実
9 本章の研究史上の意義

文献目録
おわりに??『時事新報』社説研究の現状と安川平山論争の帰趨について
福沢諭吉演説一覧
事項索引
人名索引
0197名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/08(金) 00:22:01.18ID:sfjE3NoL0
今生きてたとしたら116歳になるんだよなあ、、、
0198名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/08(金) 12:37:50.70ID:J2fMel6e0
>>197
誰が?
0199名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/11(月) 03:54:44.28ID:s/qgijM/O
ヘイトスピーチ・アジア蔑視・日本帝国主義思想の元祖=福沢諭吉

安川寿之輔・雁屋哲・杉田聡『さようなら!福沢諭吉 日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し』(花伝社、2016年)

一読して、驚愕。自分の無知にも茫然とする。しかし、決して言い訳ではないが、この無知は私だけではなく、
日本人の多くに共通するだろう。
0200名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/11(月) 13:03:03.28ID:N+b7fmHm0
福沢諭吉が好きになった男2017/11/18(Sat) 21:48:56ID:Y5ODc4MTg

右翼「在日死ね!ゴキブリが!」安倍「ヘイトスピーチ禁止」
文「親日精算!」韓国右左「文大統領万歳!!」
安倍が総理になる前
韓国「やつらは必ず竹島を侵略してくるニダ!
表面ではいい顔して韓国を侵略しようとしているニダ!チョッパリを倒せ!」
安倍就任→韓国「日本は右翼!韓国を侵略しようとしている!チョッパリを倒せ!」
●中韓「人道支援するニダ!→北韓ミサイル発射→安倍「これは憲法改正が必要です」
→韓国「安倍は北朝鮮に助けられているなww」
「これを理由に軍国主義になろうとしている。チョッパリは信用出来ないな」●に戻るループ
これはかなり最近の韓国の行動集(しかもその中の一部)である。もっと遡ればもっと多くなるぞ。
この国に大日本帝国賛美者はとても少なない。
賛美者であればアメリカを好きなわけがない(パヨクのほうが多い)だが嫌韓は増えまくっている。
お前らは勘違いしているが、日本は「右翼」になっているのではなく、韓国の「本当の姿」を知り始めただけである。
0201名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/12(火) 11:36:38.70ID:gbJ/zrdk0
>>200
まあ、そうだろうな。だから岩上や安川なんかの福沢ヘイトスピーカ説に誰も反応しなくなっている。
0202名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/13(水) 07:11:46.97ID:zU7GRrtEO
だから齋藤孝批判をするべきだと

失敗しても失うものはないだろ
0203名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/14(木) 19:56:13.96ID:utHsdliB0
知り合いの諭似のやつも結構男前なんだが、デコのほくろがちょっと大きくて毛が一本ヒョロッて伸びてるのはワロタ
ウルトラマンみてー
ビビビビビビビwww
0204名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/16(土) 14:29:45.81ID:y+vzgOkg0
福沢諭吉はどんなとこが素晴らしいのでしょうか?
わかりやすくお願いします。
0205名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/18(月) 13:55:13.91ID:Q0Jx7q8t0
極東ブログ

by finalvent

2017.12.15

[書評] 「福沢諭吉」とは誰か(平山洋)


 書名『「福沢諭吉」とは誰か』(参照)が意味するのは、本書にも書かれているように、
「第二次世界大戦の終結以来議論されてきた、福沢の本質は市民的自由主義者なのか、
それとも侵略的絶対主義者なのか」という択一を問う意味合いがある。現代のネット的な用語で単純化すれば、
福沢諭吉は、@市民主義のリベラル、あるいは、Aネット右翼のような侵略主義者、そのいずれかかということである。

 こうした昨今のネット風の単純化は愚かしいかのように思えるが、本書第4章「福沢諭吉と慰安婦」を読むと、
あながち笑えないものがある。この短い挿話的とも見える章では、まさに福沢諭吉の思想が従軍慰安婦問題と関連付けられる論調への駁論となっているからだ。
そもそもそんな議論が必要なのかすら疑問に思える人もいるだろうが、その関連付ける議論の一方は安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(参照)に依拠している。
しいていうならこの安川の書籍が今日のいわゆる「福沢諭吉問題」の根となっている。そして本書書名の択一の問いかけも、つまるところ、
安川の福沢諭吉像(あえて簡略化すればネット右翼的な像とも言える)の反駁というモチーフがあると言っていい。
そのため、本書の読者は、安川の前述書が既読であることが好ましいし、それを読めば、
いわゆる左翼的リベラルが一万円札から福沢諭吉の肖像を除去しようと運動していることも理解できるだろう。いわゆる「福沢諭吉問題」の象徴的な表出である。
 少し迂回するが、安川のモチーフは、見方にもよるだろうが、二段構えになっている。
一つは、単純に福沢諭吉という思想家の右翼的・アジア蔑視・侵略的な側面の評価であり、他面では、
福沢諭吉がモダにストとして市民主義者の原型であるとした丸山真男への批判である。後者については、安川の『福沢諭吉と丸山眞男』(参照)が詳しい。
なお、2003年に出版された同書は昨年増補改訂版として出版されている。一万円札批判関連の運動などの高まりが背景にあると見てもよいかもしれない。
0206名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/18(月) 13:57:29.86ID:Q0Jx7q8t0
  ここで本書の著者平山に視点を戻すと、平山が安川との対立的な構図のなかに置かれるようになったのは、
平山による文春新書『福沢諭吉の真実』(参照)がきっかけになっている。同書は2004年の出版当時話題になったので既読の人も多いだろう。
本書は一見すると福沢諭吉全集の編集問題を扱った、いわば文献学の地味な種類の書籍ように見えるが、その全集を批判的に見直すと、
福沢諭吉の作品とされてきた文書が必ずしも福沢本人に帰属しないことが示唆されていた。そしてここからが「福沢諭吉問題」との関連になるが、
概ねではあるが、安川が批判したような右翼的な福沢像の論拠となる文書がどうやら福沢本人のものではない可能性が出てきた。

 問題はここから錯綜し始める。福沢諭吉全集に含まれている右翼的な福沢像がすべて福沢諭吉本人のものでないなら話は単純である。
だが、そこの切り分けはそう簡単にはいかない。そしてその切り分けの難しい地点に「脱亜論」が存在する。研究者によっては、
この脱亜論は福沢自身によるものではないとする見解があったが、本書で指摘されているように、
現在では「脱亜論」は福沢本人の執筆であると見てよい。すると、やはり安川の論点は基礎を持つといえるだろうか。


 この議論については先の新書の第五章「何が『脱亜論』を有名にしたのか」で言及されているが、
本書第三章「福沢諭吉の『脱亜論』と<アジア蔑視>観」は同じ基調でありながら原典を参照した補論となっている。
この議論を今回も読み返した私の印象では、平山の考えが整合的であると思われるし、
安川の議論はイデオロギーが突出しすぎて文献学的な基礎が弱いように思われる。ただし、福沢諭吉のこの面での思想評価は存外に難しいだろうとも思う。

 本書の構成に戻る。本書は書名から予想されるように、安川の福沢像の反駁論の基軸を持ちながらも、
実際には、まとまった書籍というより、平山の、いくつかの多面的な福沢論考集を合本にしたものであり(そのため章はキンドル用電子書籍としても販売されている)、
第一章の福沢諭吉の祖先探索などは、こういう言うとなんだが、今日的な意味合いはほとんどないだろう。また第五章の大西祝との対比も、挿話的な印象を受ける。

 さて、本書の今日的な話題、福沢諭吉問題とも言えるものは、丸山眞男との関連もありイデオロギー的に興味深いとも言えるが、
一歴史愛好家の私としては、本書第二章「『西洋事情』の衝撃と日本人」がより興味深いものだった。驚いたと言っていい。近代日本観が変わった。
雑駁に一言で言っていいものかためらうが、私の印象では、明治維新政府というか近代日本のグランドデザインを決定したのは、
福沢諭吉の『西洋事情』であったのかという驚愕である。
従来私は、『西洋事情』という書籍は当時の西洋に関心をもつ日本人に西洋の基本情報を与えた情報書くらいにしか理解していなかった。
が、本章を読み進めると、そんな参照レベルではないようすが察せられる。莫大な影響力がありそうだ。ただし、歴史学的に見るなら、この部分の考察はまだかなり粗い。

 それにしても、これから一万円札を見るたびに、その金銭的な価値だけではなく、「おお、福沢先生!」と敬意を表したくなる気持ちに駆られるだろう。
0207名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/19(火) 07:43:12.31ID:I8HTXLK/0
>>204
功績その1:翻訳者として洋書の翻訳にあたった

福沢諭吉は翻訳者としての功績が知られている人物です。
適塾の塾生時代には、その翻訳のスキルを買われて洋書の翻訳を行う事を条件に塾への住み込みが認められている程でした。
その後も江戸時代末期の錯綜する国際情勢の中、外国から届く外交文書の翻訳にあたり、旗本として江戸幕府の外交を支えました。


功績その2:言論人として様々な提言を行った

明治時代になると、諭吉は言論人として政府とは異なる立場で様々な主張を行っています。
不平士族問題解決のために地方分権を推奨し、木戸孝允と学制を制定したほか、新聞に「国会論」を掲載するなど国会開設や憲法制定にも尽力しました。


功績その3:作家として様々な書物を記した

福沢諭吉の功績の中で1,2を争うものと言えば、当時の大ベストセラー『学問のすすめ』を記し、その中で実学を推奨した事ではないでしょうか。
これ以外にも諭吉は『西洋事情』や『福翁自伝』、『文明論之概略』など多くの著作を記し、それらの中には今なお多くの人に読まれているものも少なくありません。


功績その4:多くの学校の設立に関わった

福沢諭吉の功績として一般的に有名なのは、慶應義塾を創立した事だと考える方もいるかもしれません。
実は諭吉は慶應義塾以外にも、東京専門学校(早稲田大学)や専修学校(専修大学)、商法講習所(一橋大学)など、
当時設立された多くの学校の設立に関わっているのです。


功績その5:近代日本の商業の発展に尽力した

中央銀行の概念や複式簿記、保険制度などを日本に導入し、近代日本の商業の発展に尽力したのも諭吉の功績と言えます。
前述した商法講習所や神戸商業講習所(神戸商業大学)などの商科大学の設立に尽力した事も、
諭吉が日本の商業の発展に尽くした功績と言ってもいいかもしれません。
0208名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/23(土) 16:25:09.67ID:vsVzLpUiO
安川派はこのまま黙っているつもりかな
0209名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/27(水) 03:30:51.21ID:2ra+tEPB0
>>205>>206
ずいぶん丁寧な書評だな
0210名無しさん@お腹いっぱい。垢版2017/12/30(土) 19:24:02.08ID:NyfOa7X60
79文責・名無しさん2017/05/05(金) 13:53:52.69ID:yIPyO2n90
4/30の熊本日日新聞の読書欄の精神医の野田正彰による「誤読された思想と実像を暴く」を読む
と、安川寿之輔氏の『福沢諭吉と丸山真男』を肯定的に紹介し、福沢さんを「この程度の人」とくさし
ています。

しかし、安川氏と平山洋氏との、亡くなってから出た福沢全集中の無署名の論説文が果たして福沢
本人の真筆かどうかをめぐっての論争は果たして決着をみているのでしょうか。

少なくとも、そうした論争の事実のあることくらいは触れておかなければ、こうした一般購読者向けの
新聞書評では、かなり偏った一方的な主張とみなさざるをえませんし、隣の県の福沢諭吉さんに対
しても失礼な話でしょう。

なお、野田正彰は安川氏と共闘している雁屋哲氏のことをマンガ家と誤解しているが、正しくは、漫画
原作者にして、ヘイトスピーチとレイシズム反対運動活動家と、これはウィキペディアに、きちんと書
かれておりますよ。
0211名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/07(日) 16:06:19.81ID:NuPqNTP30
ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、
すなわち行動によって反応することが禁じられているので、
単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
ルサンチマンを持つ人は社会的弱者であり、自身では社会的格差を解消できず、
一般的な価値観を否定したり、逆転した価値判断を行っている。
如何ともしがたい社会的格差を前にして、価値判断を転倒させ、自分の無力を正当化
し、社会的強者を攻撃してしまう精神性は、反社会的行動にも繋がって行く。
0212名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/11(木) 15:47:00.98ID:xZ9hZDLW0
http://www.sankei.com/images/news/180111/plt1801110004-p1.jpg
▲10日、ソウルの韓国大統領府で行った記者会見で、質問に答える文在寅大統領(聯合=共同)

 「福沢諭吉が現代に蘇(よみがえ)ったら、何と言うだろうか?」。帯紙の惹句(じゃっく)にひかれて読み始めた。
拓殖大学学事顧問、渡辺利夫さんの新刊『決定版 脱亜論』(育鵬社)である。
「我(わ)れは心に於(おい)て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」。

 ▼福沢は明治18(1885)年に発表した「脱亜論」をこう結んだ。
福沢は、朝鮮の近代化をめざす開化派のクーデターを支援していた。しかし、清の介入によって失敗に終わる。
悪友とは、清と朝鮮を指す。

 ▼一部の福沢研究者は、「脱亜論」をアジアへの侵略主義の表れと批判する。渡辺さんの見方は違う。
開化派への心情的な思い入れを改め、朝鮮半島の問題に現実的に対処しよう。これが福沢の真意だという。
実際、福沢は「謝絶」することなく、朝鮮論を書き続けている。

 ▼韓国と北朝鮮による南北対話が始まった。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、
記者会見で首脳会談の可能性にまで言及した。平昌五輪への参加を表明した北朝鮮の術策に、
まんまとはまったようにも見える。対話は、核・ミサイル開発を進める時間稼ぎに使われるのではないか。

 ▼慰安婦合意をめぐる日韓合意に対する、韓国政府の新方針については、あきれるしかない。
日本政府が拠出した10億円を凍結して、同額を韓国政府が負担するというのだ。
合意の骨抜きが狙いだろう。日本大使館前の慰安婦像については、解決するよう努力する。
そんな約束を守るつもりは最初からなかった。

 ▼福沢は「脱亜論」から10年余で、ついに朝鮮を突き放す。
「左(さ)れば斯(かか)る国人に対して如何(いか)なる約束を結ぶも、
背信違約は彼等の持前(もちまえ)にして毫(ごう)も意に介(かい)することなし」(「事実を見る可(べ)し」)。
その覚悟で韓国との付き合いに臨め、と福沢は言うだろう。

ソース:産経ニュース【産経抄】背信違約は彼等の持前にし
http://www.sankei.com/politics/news/180111/plt1801110004-n1.html
0213名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/11(木) 19:10:42.39ID:xZ9hZDLW0
>>166>>195>>196>>205>>206
5つ星のうち1.0
不毛な「社説真偽判定」までして福沢諭吉を美化するのは、いい加減に止めてはどうか2018年1月11日
形式: 単行本

著者は1961年生まれの福沢諭吉研究家であり、自著の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004年刊)に見られるように、
近年は「諭吉美化」にひたすら励んできた。その手法は「井田メソッド」なる非科学的な著者判定法で諭吉を擁護するもので、
いまだにその手法にしがみ付いて本書を刊行した、という訳である。痛々しい限りだ。
不毛な「社説真偽判定」までして福沢諭吉を美化するのは、いい加減に止めてはどうか。以下、詳しく説明しよう。

「安川・平山論争」なるものがあり、「福澤諭吉がアジア諸国を蔑視していたかどうか」が議論された(Wikipedia)。
平山氏が諭吉を「アジア侵略主義者」(安川寿之輔説)ではなく、丸山真男が唱えた「市民的自由主義者」であると擁護する際の最大の根拠が、
諭吉が創刊した『時事新報』の無署名社説で侵略主義的言説を振り撒いているものは、
実は諭吉ではなく別の社員が執筆した、というものである。本書でもこの「社説真偽判定」が用いられている。

(1)「諭吉とは誰か」を知るには、生涯に渡る著作全体を分析する必要があること
福沢諭吉(1835−1901年)はその生涯で初期の啓蒙思想家から、その後の「明治政府のお師匠様」としての政府寄り言論活動まで、
膨大な著作がある。生涯を通じれば互いに矛盾する言説も珍しくない。「諭吉とは誰か」を知るには、
生涯に渡る著作全体を分析する必要があることは言うまでもない。本書のように、一部社説やその中の片言隻句を取り上げればいかような説でも仕立て上げられる。
このような「恣意的摘み食い」手法の創始者が丸山真男であり、諭吉を「市民的自由主義者」として美化したのだった。
このような「恣意的摘み食い」手法による諭吉美化を徹底批判したのが、安川寿之輔氏の一連の著作である。
特に『福沢諭吉のアジア認識』(高文研、2000年刊)では、諭吉の全著作から419件の言説を抽出して、その内容を徹底分析した。
それによれば、アジア蔑視、好戦的、対外侵攻、強権的植民地支配など、侵略主義的言説が圧倒的に多い。

(2)「井田メソッド」は、テキストの著者判定法として恣意性が高く非科学的であること
本書の著者が頼りにした、論説の真贋を判別する手法である「井田メソッド」とは、井田 進也氏が『歴史とテクスト』(光芒社、2001年刊)で説明しているように、
中江兆民のテキスト分析用に1980年代に開発された。手法の詳細は不明だが、真贋判定のキーとなる単語を抽出し、
その頻度の多寡でテキストの真贋を判定しているようである。30年前にはこのような手法でも通用したのかもしれないが、
客観的にテキストを比較分析可能な、最新のテキストマイニングの観点からこの手法を見ると疑問だらけである。
手作業では恣意性が高く、第三者による再現が不可能であり、とうてい科学的とは言えない。現在は無償で入手可能なテキストマイニングツールがあるのに、
なぜこのような古色蒼然たる手法に拘るのか、不思議である。
0214名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/11(木) 19:10:55.90ID:xZ9hZDLW0
(3) 社説は無署名であっても諭吉が丹念に添削しているので、実質的に諭吉作であること
上述のように本書の著者は、『時事新報』の無署名社説で侵略主義的言説を振りまいているものは、実は諭吉ではなく別の社員が執筆した、
という自らが作り上げた「神話」に拘り続けている。いまだにこの「神話」を信じている人が少なくないので、実に始末が悪い。常識で考えても、
諭吉がオーナーである『時事新報』の社説は、たとえ無署名であっても、諭吉の考え方を反映していると見做すのが当然である。
慶應義塾大学で諭吉を専門に研究している都倉武之氏は次のように述べている(同大学出版会HP、時事新報史 第9回:『時事新報』論説をめぐって(1) 論説執筆者認定論争、
2006年10月31日掲載)。「『時事新報』の社説は一切無署名で、他の社説記者の起草に係るものでもすべて福沢の加筆修正を経て発表されたもので、
漫言や社説以外の論説もほとんど無署名または変名であるから、新聞の紙面からその執筆者を推定判別することは、今日の我々ではよくなし得ない」。
つまり『時事新報』の社説は実質的にすべて諭吉の考え方を表わしており、たとえ「井田メソッド」が正しいとしても、社説の片言隻句から執筆者が諭吉かどうかを判定するのは、
全くの徒労なのだ。この都倉氏の10年以上前の発言は、本書の手法を完全否定していることがお分かりだろうか。本書の「おわりに」で、
著者は安川氏から正式な再反論がないから自分が正しい、と主張しているが、とんでもない! 諭吉研究家でも何でもない評者が少し調べただけで、
平山説が謬説であることが分かるのだ。まともな研究者であれば、平山説を相手にしないだけのことである。

さて、「福沢諭吉とは誰か」。安川氏の一連の著作が実証したように、啓蒙思想家としてのごく初期を除けば、諭吉の著作には、アジア蔑視、好戦的、対外侵攻、
強権的植民地支配などに加えて、女性蔑視、弱者(低学歴者など)蔑視、貧乏人蔑視、などの言説が溢れている。その内容は、昨今の極右派の評論家・政治家・雑誌・
新聞やネトウヨおよびヘイトスピーチ団体による発言と酷似している。「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」(ヘーゲル)。
評者は諭吉に「元祖ネトウヨ」のタイトルを進呈したい。このような人物を、無自覚にも日本が最高金額の紙幣に飾り立てている限り、アジア諸国との真の友好関係を築くことは無理だろう。
0215代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/11(木) 19:42:45.31ID:3wIRu9OL0
【諭吉殿が草葉の陰で】の1

>>212
理屈で考えると真逆に思えるのですが。

慰安婦が人身売買だったと認め、不可逆的合意に達したときは
安堵したです。
が、その直後、政府は「人身売買だが奴隷ではない」と、ふたたび
公言しはじめた。これには呆れ果てた。

「人身売買された遊女が牛馬」であるのに、ではなぜ、
「人身売買された慰安婦は奴隷ではない」のか?

このヘンテコな結論を筋道たてて説明できないかぎり、あるいは
「奴隷条約違反でした」と認めないかぎり、韓国は日本の拠出した
10億に手をつけるべきではないでしょう。
韓国の文大統領の今回の決定を支持します。

じっさい安倍政権の奴隷否定は、諭吉殿の名誉にも関わるかも。
             ↓
0216代理屋垢版2018/01/11(木) 19:45:16.99ID:3wIRu9OL0
【諭吉殿が草葉の陰で】の2

1898年、諭吉氏は娼婦の「外出・出稼ぎ」を奨励した。
フェミニストでない当方は、これを支持します。
一身独立≠オた娼婦が、人権にもとづき自らの肉体を本人の意志で
売って外貨を稼ぐかぎり、非難される筋合いのものではない。

が、明治のカラユキさんでは本人の意志によらない人身売買が頻発。
内外から非難をあびて日本の体面を傷つけた。
(※要は日本軍慰安婦と一緒)
奴隷の輸出など文明国として論外だから当然です。
諭吉殿がその子息を守った、1872年奴隷裁判の大江卓裁判長の成果を
踏みにじる行為といえます。
(※1900年、司法が娼婦の場合は契約内容に関わらず、廃業の自由が
最優先されると裁定したのは、カラユキさん抑制の事情もあったろう)

すでに21世紀。河野談話から25年もたって、いまだ奴隷か否かの分水嶺で
ある「本人の意思」の意味を国民に説明しようとしない日本とあっては、
諭吉氏が外貨欲しさに人身売買された娼婦の輸出を奨励していたと
受取られかねないのではないでしょうか。
0217名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/13(土) 09:33:52.02ID:Iyy8zgtC0
>>216
安川寿之輔先生は性の解放論者ですが、いっぽうで慰安婦問題で福沢を激しく批判していますね。
これはなぜなのですか?
0218代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/13(土) 18:51:09.79ID:V5cPJa/e0
>>217
? 意味が?

当方、安川さんの主張に矛盾は感じてません。
当方の視点は以下です。

諭吉殿の1898年の論説は言葉足らずだったといえます。
誤解をまねく論文で、そこに安川さんの「仮説」が生まれる
余地があると考えてます。
諭吉殿は娼婦の「外出・出稼ぎ」を戦略的に推進するなら、
まず送り出す娼婦は、大江卓裁判長らが1872年奴隷裁判
で示した、文明国の「人権」をふまえた「一身独立」した
ものに限ると釘をさすべきだったでしょう。
その大前提に言及がない点が惜しまれる。

それがないと、伝統的な「親による身売り」という
「人身売買」や、それにともなう甘言誘拐による
「奴隷輸出」(※要は慰安婦制度とまったく同じ)を
多発しかねなった。じっさい、それは多発した。
ゆえに内外から批判されたのが歴史でした。↓
0219代理屋垢版2018/01/13(土) 18:53:29.69ID:V5cPJa/e0
>>217の2
当方の解釈では、安川氏は諭吉氏のキャラからすると、
直近の国益を得るためなら、慰安婦のケースのように
人身売買してでも娘を集めて送り出してかまわなと
する「大胆な仮説」で問題提起したのだと読解しました。

当方は、娘を喰いモノにする(※魯迅らが食人に重ねた)
儒教的家族制度を……親による「身売り」を合法とする
制度を諭吉氏が承認していたとは思いませんが、戦争と
いう緊急事態のなかで一時、人権から眼をそらしても
仕方ないと思わなかった、とまでは断定できんでおります。
0220代理屋垢版2018/01/13(土) 18:58:44.19ID:V5cPJa/e0
>>217の3

で、一番の当方の疑問は、貴兄の「性の解放論者」の定義が理解できないこと。
そのへんを詳しく説明願いしたいです。

「性の解放論」というと、むかしは「自由恋愛容認」から、それこそ
ウィルヘルム・ライヒのように一夫一婦制の否定まで多々あったかと?

安川さんはなんと?
0221代理屋垢版2018/01/13(土) 19:22:03.48ID:V5cPJa/e0
>>217の4
一応、思いつくまま「性の解放」に関連するあれこれ。

○フェミニズム的な「性解釈」は一般的に、
1)「性」の商品化である「売春」そのものに異を唱える。
(※身体の物象化に異を唱える)
2)まして「本人の意志」を無視した売春なぞ論外。
3)日本軍慰安婦など「奴隷」そのものとみなす。

○宗教者は上記と結論的に共通点はあるかも。
1)生命と身体の所有権は神にある。(人は使用権のみ)
(※人権思想に異を唱える)
2)「本人の意志」でも売春は認めず、神の所有物を
汚す行為として禁ずる。
3)よって「本人の意思」の慰安所でも反対し、
4)ましてや日本軍慰安婦制度など論外。

○一方、新自由主義的「性の解放論」はあるようで。

1)需要あるものはなんでも商品化ok。

○リバタリアンまでいくと、

2)「制限・規制」そのものに反対??
(※この辺は浅学非才な当方には断定できませんが)↓
0222代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/13(土) 19:29:13.81ID:V5cPJa/e0
捕捉で【性の解放と儒教】

○儒教の忠孝の家族制度のもとでは「自由恋愛」はNG。
江戸期は公式には御法度。
1723年、親の反対を押し切り恋人のもとに走った娘を
親がお上に訴えた。結果、男は島送り。娘は人別帳から
外され、無期年季の奉公人として遊廓に送られ、死ぬまで
遊女にされました。「奴(やっこ)」の刑です。
    (*森永種生『犯科帳』岩波新書 100-101)
この刑は近松門左衛門『曽根崎心中』が著された時代に
処されたものがおおかったとか。
それも女性自身が罪を犯したのではなく、「縁座・連座」に
よって……。で、こうした文化を魯迅は……(略)

長文失礼しました。
0223名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/14(日) 11:21:43.64ID:1ZFsox750
>>220
ここの過去スレに、こんなのがあったんですよ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/28(火) 21:37:28.65 ID:yE0HeQZm0ところでなんですか? これ
      ↓

標題「埼大 コーマン・エリア」

安川寿之助※におどらされ
女のケツを追っかける

女性解放の名の下に
合宿ゼミでやりまくる

理論も 実践も コーマンの口実

埼大 コーマン・エリア
埼大 コーマン・エリア

※安川寿之助
当時埼玉大学にいた共産党シンパ
(党員だったかは不明)の教授。
フェミニズムのゼミを開き、
真の女性解放とは性からの解放だと唱え、
ゼミの学生に複数の男女関係を強いたり、
合宿ゼミで乱交させたりしていた模様。
勉強ばかりの軟弱左翼学生が、コーマン
したさに入信していた。

瀬戸口 2009-03-12 14:51:34 >>このコメントに返信

■訂正

すみません、「安川 寿之輔」が正しいみたいです。
どうでもいいけど。

瀬戸口 2009-03-12 14:56:15 >>このコメントに返信

http://ameblo.jp/bankrobber-hr/entry-10222487107.html
0224代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/14(日) 17:55:38.75ID:/W8ShSf30
>>223

出展が低俗な便所のラクガキにしか見えないのですが??


「複数の男女関係を強いたり」したのが事実ならただのレイプでは?

犯罪ですので、慰安婦の方々のように勇気をもって告発されるのが
理想でしょうね。

なおレイブは性の自由ではなく性の「抑圧」の象徴です。

そのトイレのラクガキが真実なら、氏は「性の解放論者」ではなく
「性の抑圧論者」となるかと。以上です。

……当方、誤字脱字はご勘弁いただくとして、これでも
まじめに書いてます。諭吉氏の件の社説に関する当方の
認識に異論などおありならお聞かせください。では。
0225名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/14(日) 18:49:58.98ID:1ZFsox750
>>224
ああ、これはこれは。まじめな話だったのですね。
ただ、>>223は便所のラクガキではなく、安川さんの本性を明らかにしたザレ歌ですよ。
0226代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/14(日) 22:53:55.74ID:/W8ShSf30
>>225
>安川さんの本性を明らかにした

下品な妄想で本性を見失ったトンチンカンなザレ歌かと。

「共産党シンパ (党員だったかは不明)の教授」>>223との
ことですが、当スレで以前指摘したとおり、安川さんは党員どころか
シンパでもないでしょ。
「性の解放」など論じておられたとしたら、フロイト左派系の影響を
うけた方でしょうか。
共産党さんはお固いので、その手の主張をする方は別系譜。

ま、それはともかく、

p.s.
よろしければ再度のお願い。
諭吉氏の件の社説に関する当方の認識に(拙>>218-219
異論あらば聞かせください。では、おやすみなさい。
0227名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/15(月) 20:57:42.89ID:pnYzpc4r0
>>226
>>219の書き込みを見ると、あなたは慰安婦を人身売買と捉えているんですね。
でも、現実にはそうではなかったのでは?

それに福沢は、自由意志での娼婦の渡航を是認しているのであって、
そこに軍の介入を想定はしていないんじゃ?
0228代理屋垢版2018/01/16(火) 17:53:32.79ID:UjjhkhHc0
>>227
>あなたは慰安婦を人身売買と捉えているんですね。

? いまさらそこからですか? 政府も認めてますよ?
>>72以降、当方の視点は詳しく開示済みです。

「人身売買」でないとおっしゃるなら今度はあなたが
論理的にご説明ください。

諭吉殿の視点にたって、もし氏が日本軍慰安婦制度を
みたらどう結論するかぜひお考えをお聞かせくだされ。
0229名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/16(火) 19:15:58.80ID:CLZqWotL0
>>228
売買だとすると、その女性は売られたことによってどこかに所有者をもつことになりますね。
慰安婦の場合、だれが所有者になるのですか?
0230代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/16(火) 20:13:18.25ID:UjjhkhHc0
>>229
? それが問題に関係しますか?
 
江戸時代も戦争中も、身売りしたのは親。買ったのは民間の
遊廓であり慰安所です。よってどちらも所有権は民間業者が
もったといえるのではないでしょうか。

問われているのは制度です。個人の所有権を売買(人身売買)
する権限・権能をどこが与えたかが問われてます。
与えたのは、江戸時代は幕府で、戦争中は日本国と日本軍でした。

1872年、その種の権限・権能を与えた幕政時代の儒教的家族制度に
もとづく公娼制度は奴隷制度であることを明治日本は自覚し「文明国」
をめざして法改正し、制度改正しました。

ところが日中戦争がはじまると、日本はその権限・権能を軍の
指定業者にかぎってふたたび与えました。
その国家責任を問われているのが、20世紀最大の人身売買事件とされる
日本軍慰安婦問題です。以上です。
0231名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/17(水) 10:51:47.23ID:TvQogHmL0
>>230
>ところが日中戦争がはじまると、日本はその権限・権能を軍の
>指定業者にかぎってふたたび与えました。

その根拠法令をぜひ教えてください。
0232代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/17(水) 17:05:04.93ID:5iIiMEye0
>>231
? 法令? 法改正はしとらんかと?

現人神を盾に統帥権もつ軍の要請に従い、外務省は省で旅券を発行せず
(条約違反ですから)、たとえば台湾では、《此の種渡航者に対しては軍の
証明書に依り渡航せしめられ度し》と、軍の証明書で渡航できるようにしました。

上は「南方方面占領地に対し慰安婦渡航の件」として、昭和17年1月に
外務大臣が台湾総督府に発した通達です。
アジア女性基金サイトの文書庫で確認できたかと。

それらを総称して「通行証」と表現しました。
(※憲兵隊が大陸の麻薬密売人に必須の「安導券」を「通行証」などと
表する感覚で)  
0235代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/18(木) 09:23:05.78ID:IlVOXscr0
>>234
>そうではなくて、奴隷扱いを可、とするための法令です

ちがいます!

a)親による身売り=人身売買=(性)奴隷

b)親による身売り+警察の「本人の意思」の可視化=
非人身売買=非奴隷(※1872年法令+1900年裁定)

b)から警察を抜けばなにが残るか問うてるんです。



親(戸主)に対し、娼館への身売りすら合法とした戦前法は、
ちょっとタガを外せば性奴隷を生み出す法令だったんです。
日本軍慰安婦制度は、そうした制度だったんです。
0236名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/18(木) 18:26:53.63ID:bxmvMTY40
>>235
奴隷というのは物品扱いだから所有者がいる、と考えるのです。
自由を束縛している、だけでは奴隷とはいえない。
0238代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/19(金) 13:02:26.33ID:GxhezPDs0
>>236
ごめんなさい……読解できず。
奴隷といえない、と言われても……。

こちらは明治の法令や20世紀の各条約から判断して奴隷と
認識してます。その認識は世界共通で、かつ「河野談話」
時点まで、日本も共通しておったと考えます。

では、少し具体的にお聞きします。

諭吉氏は後に国際法で禁じられことになる(公娼の定義を示した)人身売買禁止に関する国際条約に反したような娼婦の輸出に賛成したか否か。(慰安婦は違反)

これは安川氏のifに沿った質問ですが……。
彼女らが牛馬/奴隷でないとしたら輸出もokということ? お考えをお聞かせくだされ。では。
0239代理屋垢版2018/01/19(金) 18:59:03.92ID:GxhezPDs0

>>236  拙>>238の捕捉

意味が分からないのは慰安所は「自由を束縛している」だけ
ではないため。
慰安婦制度において慰安婦は、居住・移動の自由を制限され、
人の所有権(オーナーシップ)≠ニ不可分の性≠売ら
される存在です。廃業届けの受付先すらない環境で。

これで奴隷でないとする論理がまったく理解できず。

諭吉殿が、この環境を承認するとしたら、どんな主張をするか
思考実験されてみては?
0240名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/20(土) 08:11:30.52ID:+bPQzCdB0
>>239
私は奴隷を所有の観点から理解しています。
奴隷とは人間であるが、家畜と同等の存在を意味しています。

慰安婦はそうじゃないでしょ、ということ。
0241代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/20(土) 14:35:46.38ID:OPrmzsZV0
>>240
やはりあなたの視点がみえない。
「慰安婦はそうじゃないでしょ」といわれても……。

慰安婦のおかれた環境はじつに千差万別。

確かなのは「親による身売り」という典型的な人身売買すら
是認する「奴隷制」の下に拘束され働かされた現実です。

それは16世紀の戦国時代の昔から、日本の奴隷を生む風習
のひとつ≠ニ西欧が認定していた人倫を喰らう文化でした。
(*岡本良知 『十六世紀日欧交通史の研究』原書房 1974頁758)

その「風習」に対し日本は、1872年、就・廃業の権利を娘に
与えることで、辛うじて「文明国」の体裁を取りつくろいました。
(拙>>235参照)
その体裁すら破壊した制度を、平山さんの福沢諭吉像の視座で、
眺めたとき、どのように映るものなのか是非シミュレートしてみて
いただきたい次第です。
できれば平山流石河像と比較し、お考えいただければと思います。
0242名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/20(土) 16:40:45.78ID:+bPQzCdB0
>>241
なんで平山さんがでてくるのかと思ったら、新しい本に慰安婦についての章があったのか。
まったく無関係なこととして慰安婦は奴隷といえるのかどうかについて考察してました。
0243名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/22(月) 18:17:47.96ID:FDvjN/9V0
朝鮮で近代的司法制度を整えたのは日本である。
高等法院(京城=現・韓国ソウル)−覆審法院(京城・平壌・大邱)−地方法院の三審制、それぞれに対応する検事局が設けられた。

起訴や捜査、法務行政を握る検事が強大な権力を持っていたのは日本統治下の朝鮮でも変わりはない。
検事の中で朝鮮人として出世頭のポジションにあったのが、大和田元一(げんいち)(朝鮮名・李炳●=1905〜92年)である。

九州帝国大学を出て昭和9年の高等試験司法科(現在の司法試験に相当)に合格。
30代で朝鮮人としては異例の平壌覆審法院検事局検事(現在の高検検事に相当、ランクは高等官四等)に出世した。

19年1月の司法部職員録を見れば、京城覆審法院検事局の朝鮮人検事として大和田より上位(高等官三等)に閔丙晟の名前がある。
ただ、明治23年生まれの閔はこのとき50代。
京城専修学校出身の“たたき上げ”であり、「キャリア組」の大和田が朝鮮人検事のリーダー格だったと言って差し支えないだろう。

大和田の前半生は日本の朝鮮統治と重なっている。
出身は、朝鮮半島南東部の慶尚北道・金泉の名家(両班(ヤンバン))、父親は日韓併合前の大韓帝国時代、郡守(首長)を務めていた。

生後5年で日韓併合(明治43年)となり、朝鮮の教育環境は日本によって急ピッチで整備が進む。
具体的なデータを挙げてみたい。

■開かれた高等教育

当時、朝鮮人の初等教育は、寺子屋にたとえられる書堂(ソダン)が主だった。
日韓併合直後の明治44年の統計によれば、朝鮮人が通う普通学校(小学校)が173校(児童数2万121人)に対し書堂は1万6540校(同14万1604人)。
それが昭和8年には普通学校2100校(同56万1920人)▽書堂8630校(同14万2668人)と児童数で逆転している。

法律や医学の高等教育機関である専門学校は明治44年に5校(学生数409人)だったが、昭和8年には15校(同3785人)へと急増。
1校もなかった大学は京城帝大が創設(大正13年予科)された。

大和田は、地元の普通学校→京城の高等普通学校(中学)→官立の京城法学専門学校と進み、京城帝大はまだ開設されていなかったため(学部は大正15年設置)、朝鮮から最も近い帝国大学である九州帝大法文学部法律学科へ進学した。
高等試験司法科に合格した大和田は、検事の道を選び、光州地方法院検事局・長興支部検事(昭和14年)→新義州地方法院同(15年)→平壌覆審法院同(18年)と検事として順調に出世の階段を上る。

朝鮮人の司法職員数も、明治44年・364人→昭和8年・1232人へと増加した。
朝鮮人に高等教育の機会が開かれ、法を司(つかさど)る検事や判事(裁判官)のポストに就くことができたことは注目すべきであろう。

■親日派として指弾

だが、大和田の輝かしい経歴も戦後の韓国ではマイナスとなった。
日本統治時代の“協力者”をリストアップし、韓国で2009年に出版された『親日人名辞典』の大和田の項では、「創氏改名」(昭和15年実施)の記述に大きなスペースを割き、大和田が当時の新聞や雑誌に発表した見解を紹介した上で、同制度を積極的に支持したと書いている。

確かに《栄光的な大日本帝国の兵站(へいたん)基地としての2300万の(朝鮮)半島民衆》などと刺激的な記述はあるものの、《古代的氏族の代名詞である「姓」を止揚(※古い物は保存し、より高い段階で生かすという意味)させ、それに代わって創氏制度が新たに制定される》と法律家らしく明快に説明しており、どこが問題なのか分からない。
創氏改名ほど誤解が多い政策もないだろう。

大和田の言う通り、これは朝鮮伝統の金、朴、李などの「姓」(儒教文化的男系一族の象徴)は戸籍に残したまま、日本風の山田、田中といった家族的な「氏」を新たに創設する制度だ。朝鮮人の「姓」は数が少なく混乱の原因になる上、女性は結婚後もその姓には加われない。
古代→近代、一族→家族化を図り「内鮮一体」の同化も進めましょう…というのが目的だった。

本貫と呼ばれる出身地と併せて「姓」を一族の誇りにしてきた名家には、いらぬ“おせっかい”だったかもしれないが、日本人と同等になれる、差別がなくなる…と歓迎した朝鮮人も多い。
一方、日本には朝鮮人の犯罪抑止を理由に反対する意見もあったのである。

重要なのは強制でなかったことであろう。
日本風の氏を創設したのは約8割。期間中に届け出なければ、金や朴など従来の「姓」をそのまま「氏」として使うことができた。

http://www.sankei.com/column/news/180121/clm1801210008-n1.html
0244名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/22(月) 18:18:34.67ID:FDvjN/9V0
陸軍中将になった洪思翊や世界的なダンサー崔承喜も、前述の検事、閔も日本風創氏をしていない。
もとより「改名」は任意(申請制)である。

■日本に阿ることなく

大和田の家族は「(大和田は)日本の統治に対して『良い物は良い、悪い物は悪い』という是々非々の態度を毅然(きぜん)と貫いた。
そもそも『創氏改名』は強制ではなかったし、同姓同名による混乱を避けるために考慮すべきだという意見だった」と話す。

大和田は、保身のために日本に阿(おもね)るような朝鮮人ではなかった。
家族の記憶には、民族衣装を着た母親を日本の官憲に侮辱され、敢然と怒鳴り返した姿が鮮明に残っている。

大和田は、韓国誕生後の1948年11月、大田地方検察庁検事正に就任するも翌年には退職を余儀なくされてしまう。
まだ44歳。
大和田のような優秀な法律家こそ、戦後の新国家建設に生かすべきでなかったか。

●=王へんに穴かんむりに合の一を取る
0245名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/22(月) 23:38:58.17ID:eNnc4RM40
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0246代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/01/23(火) 23:08:28.15ID:xN3PlrNi0
【慰安婦関連カキコのもくじ】
えっと、こっちが荒れるとなんなんで、慰安婦関係のハナシは
主にこっちに書いてます。興味ある方はご笑覧を。
           ↓
■■日本人の犯罪、性奴隷=従軍慰安婦問題26■■
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1495943012/
           の【もくじ】
174【人権からみた退位と廃業】
175-176【身売りした親に告げる言葉】1〜2
241【問題は出身民族?】
276-277【歴史改竄に手を染める者】1〜2
286-288【歴史改竄に手を染める者】3〜5
300-301【19世紀人身売買と奴隷禁止の流れ(簡略版)】
302【国連による世界の公娼の実態調査】
412-413【宋神道さん】1〜2
417【親分がシロといえば】
423-424【不可逆は不可避的に】
435.438【フェミニズム??】
461.463【沈黙せぬ者のシンボル】
468(諸レス)
488-489.494【食堂と慰安所レス】
495【秦氏の暴論】補遺編
574【日本兵証言と韓国3DCG】
575(諸レス)
579(おまけレス)
0247名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/24(水) 12:32:43.32ID:5MPBKg9B0
こちらは福沢諭吉中心でないとね
0248名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/24(水) 22:15:22.36ID:KaDcjN3A0
>>213>>214
まあ、安川たちはあれだからね
糾弾のための材料をむざむざ手放すはずはないさ
0249代理屋垢版2018/01/24(水) 22:38:28.17ID:GxU1tX000
>>242
まとまったら開陳よろしくです。
0250名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 12:20:30.35ID:I/Y5AjPQ0
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

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0251名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:43:01.75ID:ZyNEtwcl0
都倉武之さんの福沢「執筆名義」考・序論 ― 2018/01/20 07:25

 毎年、クリスマスの頃に届くのが『福澤諭吉年鑑』(福澤諭吉協会)である。  最新『福澤諭吉年鑑44』2017の、山田博雄さんの「研究文献案内」で都倉武 之さんの「福沢諭吉にお

ける執筆名義の一考察―時事新報論説執筆者認定論へ の批判」という論文を知った。 山田博雄さんの「研究文献案内」だが、その 年の福沢研究を目配りよく渉猟し、深く読み込んで

、案内してくれていて、ま ことに有難い。 都倉さんの論文は、2016年12月『武蔵野法学』第5・6号 371〜409頁所収、山田さんが親切にも大学紀要論文等がインターネットで閲 読可能

であることを紹介し、URLまで書いてくれていたので、さっそく読むこ とにした。 http://id.nii.ac.jp/1419/00000438/

 「はじめに」に、以下のようにある。 福沢諭吉の著作を特定するというこ とは、福沢研究の当然の前提である。 しかしいわゆる「時事新報執筆者認定 論」が提起され、福沢が創

刊した『時事新報』の無署名社説のどれを福沢の全 集に収録するかという判断の基準がかならずしも明確でない事実が共有された ことにより、この当然の前提が揺らいでいることは、

周知の通りである。 都 倉武之さんは、大正14〜15年刊行の『福沢全集』全10巻と昭和8〜9年刊行 の『続福沢全集』全7巻(併せて『旧全集』と呼ぶ)の編纂者である石河幹明 の恣意

性をことさら強調し、現在の議論の混迷の原因を石河の人格に帰する如 き議論には一切与しない。 しかし所与の前提と考えられていた全集の存在が、 今日の研究水準に合致しないこ

とが明らかになっていることはきわめて重要な 問題である、とする。

 都倉さんは、『時事新報』が一般に福沢の新聞として知られていた事実も重視 すべきであると言う。 福沢は『時事新報』の経営や執筆と無関係であるとい う建前を整えていたが、

これは当時の言論取り締まりを回避するための方便で あり、実際は福沢の新聞であり、彼が筆を執っていることは公然の秘密であっ た。 伊藤正雄編『明治人の観た福沢諭吉』をみれ

ば、同時代人が『時事新報』 と福沢を一体のものと認識していたことは明らかである。

 福沢は晩年の明治31年、全5巻で自ら全集を編纂した(この稿で『自選全 集』と呼ぶ)際、基本的に単行著作のみを収録し、日々の『時事新報』社説は 収録しなかった。 『福沢全集

緒言』で、自らの著作を「寄集めて之を後世に 保存」することは「近世文明の淵源を知るに於て自ら利益なきに非ず、歴史上 の必要と言ふも過言に非ざる可し」とまで自負している。

 素直に読めば福沢 が収録しなかったものは「後世に保存」する「利益」がないと言っていること になる。

 福沢はどの文章を誰がいつ書いたと世に示すか、といういわば執筆者の名義 に極めて強い自意識を持っていたと考えられる。 福沢は自分の書いた文章を 自分の書いたものとして世

に問うだけでは飽き足らず、時に他者の名を騙り、 あるいは無署名とし、それがどのような媒体で世に出るかにも固執した。 そ れは自分の情報発信が何らかの結果をもたらすことに

激しく貪欲な功利的姿勢 から出た自意識といえよう。 言説に対する尋常ならざる鋭敏な感性を持ち、 それを駆使していた人が福沢なのであり、それが福沢という人物のその人物た る

所以の一角をなしているのである。 これについて、鎌田栄吉(慶應義塾長、 文相)は、思想は常に一貫していながら、表面的言説が自在に変化するコンパ スに例え、丸山真男は「状

況的思考(situational thinking)」、土橋俊一は「複 眼思考」と形容した。

 しかしながら、近年は個別の言説(特に『時事新報』社説)を同時代性から は分離し、それぞれを一個独立の著作のように解釈し批評する研究が多くみら れる。 そこには福沢とい

う民間の一個人によるトータルな社会活動や国家構 想との関連でどのような意味を持っているかという同時代的視点からの整理が 欠如している。 福沢の言説は後日並べて比較すれば

「自家撞着」(同じ人の言 行が前と後とくいちがって、つじつまのあわないこと)に満ちているのである から、侵略的な言説のすぐ近くには、リベラルな言説が同居したりしている。

  重要なのは、福沢がその言説をそのタイミングで、そのような表現で発信しよ うとした意図を検討して位置づけることであり、そうすることで福沢の言説は その時点の読者との関係

性において「自家撞着」ではなくなるはずなのである。
0252名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:43:16.08ID:ZyNEtwcl0
 都倉武之さんの、この論文の目的は、福沢の言説が表面的に「自家撞着」に 満ちているだけでなく、体裁を自在に変え、時に他者の名前さえ騙ることなど を明らかにすることを通じ

て、実に多様な側面を有することを再確認し、福沢 の言説の再構築を図ろうとするものである。 このことを、端的に福沢の「執 筆名義」(authorship)の問題と呼ぶことにする。

 以上、都倉武之さんの論文の「はじめに」を概観した。


http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/20/8773054
0253名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:44:02.69ID:ZyNEtwcl0
伝えたいことが伝わり、人を動かす文章 ― 2018/01/21 07:19

 そこで都倉武之さんの論文「福沢諭吉における執筆名義の一考察―時事新報 論説執筆者認定論への批判」の構成だが、「はじめに」の後、 一 福沢による文書の代作 1 『福翁自伝』における回想
 2 福沢による文 書代作の例 二 福沢著作の執筆名義 三 『時事新報』社説に関する自意識 「おわりに」 となっている。

 今日は「一 福沢による文書の代作 1 『福翁自伝』における回想」をみ てみたい。 それぞれに引用されている福沢の文章が面白いのだけれど、それ は論文で読んでもらうことに

する。

 『福翁自伝』に出てくる文書の代作の逸話は、適塾時代の「遊女の贋手紙」、 長崎から大坂への転学の途中、無銭宿泊のために中津の商人鉄屋惣兵衛の名を 騙った船宿への贋手紙、

戊辰戦争で捕えられた榎本釜次郎(武揚)の老母の代 りに書いた助命嘆願書である。 これらの逸話は、福沢が贋手紙の内容のみな らず、その内容を記す文体、表記、書体、そして届

け方などを総合的に偽ると いう多面的な考慮のもとに実行されたことを語っているのだ。 求める結果を 導き出す文章を作り上げるために、文章の書き手と読み手を意識し、その文章

がいかに読まれるかということに配慮を巡らせ、種々の工夫をし、実際に求め る結果を導いている。

 福沢の文章表現の柔軟性について、適塾時代に赤穂義士は義士か不義士か議 論した一節が引用されている。 そこからは、物事を両面から相対的に見据え た福沢の視座に加え、自分

の説とは別次元の問題として、議論の技術が必要で あることを認識し、それを適塾時代に磨いたことが語られている。 明治5年 に東海道を歩いて、行き違う人々に様々な言葉遣いや態

度で話しかけ、相手の 反応が変わる様子を観察する逸話がある。 福沢は『旧藩情』(明治10年)で 身分間の言葉の差異を詳細に考察しているように、語彙や語感の違いへの高い 関心

を持ち、それを巧妙に使い分ける素地を持っていたといえよう。 年少者 向けの作文教科書『文字之教』(明治6年)の末尾には、文章の表現技術を磨 く必要を説く興味深い下りがある



 福沢は議論の中身と外形は一体ではなく、難解なことも平易に、無意味なこ ともさも重要なこととして表現しうるといい、文章の技術(art)の重要性を自 覚していた。 中身を読者

に伝えることに傾注し、「伝える」という実用の目的 に徹して、その目的を達成しうるならば外形の見栄えには拘泥しない姿勢を鮮 明にし、後進に推奨している。 さらにいえば、彼

の書く文章は現在(書かれ た時点)の実用一辺倒であり、後世に向かって書かれたものではなかった。

 伝えたいことが伝わり、動かしたい人々が動けば、その文章は成功している と割り切れる人が福沢であり、福沢の文章は実際そのような意図に満ちている のである。 換言すれば、

福沢の文章には必ず何らかの意図があり、意図と離 れて存在し得ないのである。 そうであるから、全ての言説を対等な存在とし て平等に並べて批評することは、福沢の思想を検討す

る場合不適切なアプロー チとなる。

 これまでの例は私文書に類する例だったが、福沢は公文書でもこれに類する 話を残している。 適塾への留学を中津藩に届ける際、「蘭学修業」と書くと前 例がないので藩庁が認め

てくれないと知ると、白々しくも医者である緒方洪庵 のところへ「砲術修業」に出かけるという、前例に則した願書を出すことに、 何の拘泥もしないのである。 名分でなく、実が取

れればそれでよいというこ とだ。 福沢はこの逸話で、名分ばかりを重んじ実益を軽んじる日本人の倫理 観を暗に批判しているともいえるだろう

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773556
0254名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:44:36.16ID:ZyNEtwcl0
最も効果的な執筆者の名義を使う ― 2018/01/22 07:19

 つづいて、一の「2 福沢による文書代作の例」である。 福沢には他者の 依頼に応じた代作、あるいは自らの意思で他名を借りて作成した文書がいくつ もある。 [長沼事件に関す

る願書案文](明治7年〜20年頃)、[西郷隆盛の 処分に関する建白書](明治10年7月24日)、[横浜瓦斯局事件関係文書](明 治11年〜12年)、[春日井事件に関する願書案文](

明治11年末頃)、[国会開 設の儀に付建言](明治13年6月7日)、[埋葬引払控訴補遺](明治14年)。

 これらは政治的な事件や裁判等に、福沢が名前を伏せて関与した事例である。  それは福沢自身に政治色がつくことを忌避しているともいえるが、国会開設な どは、福沢が書き手と

して名前を出さないことに積極的な意味があると考えた 可能性がある。 つまり、福沢個人が主張するのではなく、同時多発的に国内 から政府への穏健な手段による異論がわき起こる

ことこそ、『文明論之概略』に 福沢がいう多事争論、ないしは異説争論の状況であり、新しい政治体制を許容 する「時勢」を伴う民情なのであり、国会開設を実現してよい国民になり

得る ことを意味したからである。

 学校や結社関係の趣意書もあげる。 [慶應義塾之記](慶應4年4月)名 義はない、主語は「吾党」「吾曹」、[中津市学校之記](明治4年11月)旧中 津藩主奥平昌邁の名義、[旧

紀州藩士の為の義田結社の趣旨](明治10年)旧 和歌山藩主徳川茂承名義、[慶應義塾維持法案](明治13年11月23日)福沢 の高弟たちの連名。 結局福沢は、文書の名義が誰と表示

されるか、というこ とが文書のもたらすその後の効果との関係で重要であることへの自覚を有して おり、ある時には他者の名前にし、ある時には無記名にすることによって、そ の文書

がより効果的に読まれることを意図していると考えられよう。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774328
0255名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:45:32.71ID:ZyNEtwcl0
多様な著者名を揃え「時勢」を動かす福沢の演出 ― 2018/01/23 07:03

 次に都倉武之さんは「二 福沢著作の執筆名義」で、単行本を検討する。 福 沢関連の著作中には、福沢による純然たる著作とはいえなくとも他の著名人の 全集であれば収録されて

いても不自然では無い程度に福沢が関与しているのや、 逆に全く福沢とは無関係の体裁でありながら、福沢の証言に基づき全集に収録 されているものなど、微妙な位置づけのものがい

くつか存在している。

 『万国政表』(万延元年)福沢範子囲閲 岡本約博卿(岡本節蔵(古川正雄)) 訳、『西洋衣食住』(慶應3年)片山淳之助名義、『洋兵明鑑』(明治2年)福沢 諭吉・小幡篤次郎・小

幡仁三郎合訳、『清英交際始末』(明治2年)福沢諭吉閲 松田晋斎訳、『学問のすゝめ』初編(明治5年)福沢諭吉 小幡篤次郎同著、『国 会論』(明治12年)藤田茂吉・箕浦勝人名義で

『郵便報知新聞』に連載。

 『万国政表』、『洋兵明鑑』、『学問のすゝめ』初編、『国会論』は、いずれも福 沢の筆が入っていると考えることに無理がなく、このうち『学問のすゝめ』初 編は100パーセント福

沢執筆の可能性が高い。 『万国政表』、『洋兵明鑑』、『国 会論』の三点は、100パーセントの福沢著作ではないことが明らかなものとい えよう。

 福沢自身による全集収録状況は、『洋兵明鑑』、『学問のすゝめ』初編の二点は 採録、『万国政表』、『国会論』は不採録となっている。 『万国政表』、『国会論』 は、出版前に

福沢が閲する機会があったとしても、実質は他者の手によって最 終的に仕上げがなされているものである。 任せた時点で、その後最終的に完 成したものを福沢は自分の著作とする気

がなかったと考えられる。

 『西洋衣食住』、『清英交際始末』の二点は、名義を完全に福沢のものと改め て全集に採録している。 100パーセントの純然たる福沢著作で、ただ名義だ け片山、松田にしていたと

考えるのが自然だろう。 このようなことをした理 由は何だろうか。 福沢の著作活動が門下生や教員と一体をなし、単に福沢一 人が突出して活動するのではなく、慶應義塾の人々が

足並みをそろえて幅広く 発信していくことが心がけられ、そのように福沢が演出していたと見ることが できないだろうか。 『国会論』は、福沢がイギリス型の議院内閣制導入をし た

ことで知られる『民情一新』(明治12年)を引用しながら、その主張を支持 し、特に官界に向けて福沢の説く議院内閣制の長所を補強している。 つまり 福沢が一人で主張しているわ

けではなく、それを支持する声が福沢以外から挙 がっているという世間向けのアピールとなっているのである。 そのアピール は成功し、福沢が「図らずも天下の大騒ぎになって、サ

ア留めどころがない、 恰も秋の枯野に自分が火を付けて自分で当惑するやうなものだと、少し怖くな りました」というほど、国会開設論を刺激することになった。 『文明論之概 略』

の「時勢」論を想起すれば、やはり自らが突出するのを嫌い、「時勢」を動 かすことによって文明が進歩すると説いたことと連動しているといえよう。

 そして維新前後に西洋の文物への関心を喚起し、あるいは世界情勢に目を開 かせ、新しい学問へと人々を誘う仕掛けとして用意されたのが、『西洋衣食住』、 『清英交際始末』の二

冊の本だったのではないか。 福沢だけでなくその周囲 も含めて多様な発信を行っていることを演出するために福沢は出来るだけ多様 な著者名がそろうことが得策と考え、これら二書

は、全文自分で執筆しておき ながら、名義だけ関係者の中から割り当てたのではないだろうか。

 福沢は『自選全集』編纂の過程で、出版当時の事情から自由になったことで、 執筆の実態と当時の形式的名義の峻別を行なったということであろう。 『万 国政表』『国会論』とも

に福沢の筆が基本になっているとはいえ、「これで完成」 という判断を自ら下しているか否か、という点が、自らの著作か否かの判断基 準といえるのではないか。

 そのように、都倉武之さんは推論するのだ。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/23/8775007
0256名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:46:25.18ID:ZyNEtwcl0
福沢と『時事新報』の関係、著書と新聞の効果 ― 2018/01/24 06:41

そして、「三 『時事新報』社説に関する自意識」である。 ここでは具体的 に事例を検討することは困難なので、『時事新報』での執筆に当たっての福沢の 基本姿勢についてのみ検

討する。 福沢は創刊直前に荘田平五郎に送った書簡 (明治15年1月24日)で、慶應義塾で幾多の卒業生を輩出し、それぞれが様々 な主張を展開することを放任してきた福沢であったが

、そういった卒業生の中 の政治活動の動きを契機にして明治14年の政変が起こったことが推定される 状況下で、慶應義塾が「何か今之社会に対して求る所ある者之如くに思はるゝ は、

俗に所謂割に合はぬ始末」と考え、そうであれば、慶應義塾の態度を時事 に照らしてその都度表明していくことが必要であるとし、その場として『時事 新報』を位置づけている。 福

沢には新聞発行の前例があった。 明治7年2 月から翌年6月まで12回、様々な論説を掲載した『民間雑誌』を発行、明治9 年9月から『家庭叢談』という雑誌を刊行、明治10年4月になる

とその体裁 を新聞に改め再び表題を『民間雑誌』とし、発行頻度を徐々に増やして、最後 は明治11年3月から日刊新聞となった(編輯兼印刷人 箕浦勝人、後に加藤政 之助)。 内容は

新聞らしく官報欄や雑報欄、広告もあり、論説や社説には記名 があったり筆名があったり無記名であったり一定せず、福沢の記名は時々見ら れる程度である。 日刊になる際の『民間

雑誌』の広告によれば、地方の購読 者を多く求めたようで、日本中への知識の普及、議論の活発化を狙ったものと いえ、そこにはやはり「時勢」論を念頭に置く必要があろう。

『民間雑誌』では、その後の『時事新報』ほどの福沢の関与の形跡は見られ ず、最初の日刊新聞の試みは、わずか2ヶ月余りで廃絶を迎える。 「壮年輩 に打任せて顧みさればこそ、彼

の不始末を来たし候」(荘田平五郎宛書簡)。 明 治11年5月14日、大久保利通暗殺を受けて掲載した社説に「大久保氏に限り 特別に気の毒と云ふ訳もなきことなるが」云々と記したこ

とを当局に咎められ、 以後このような不穏な記事は書かないという「請書」を出すように求められ、 福沢は加藤政之助に「そんな請書を出すものがあるか、かゝる無茶無法な政府 の下

では新聞紙などは書けないから、いっそ思い切ってやめてしまはう。請書 の代りに廃刊届けを出して来い」といって、廃刊してしまったとされている。

しかし、『福沢諭吉伝』の永井好信による回想では、福沢は進歩的な大久保が 暗殺されたのは実に惜しむべきことだとし、暗殺のような野蛮な陋習に同情を 寄せるが如きは怪しからぬ

と、何故か喜ぶ塾生らを誡める演説をしたという。  「彼の不始末」とは、大久保暗殺に対する政府との無用な摩擦を生んだような 自分の失態、という意味ではないか、と都倉さんは

指摘している。 その原因 は「壮年輩に打任せて顧み」なかったことなのである。

唯一の関連書簡、大久保一翁宛(明治11年6月1日付)にも「既往の失策 は幾重にも御海容奉願上候」とある。 その後の福沢の『時事新報』との関係 は自ずと示唆される。 つまり、

紙上の発言は、福沢の、あるいは慶應義塾の 主張と見られることを前提として、これからは監督していく、ということを述 べているわけである。

福沢が新聞という媒体をどのように意識していたか、「著書、新聞紙及ビ政府 ノ効力」(明治17年5月31日付)という興味深い社説がある。 言葉を使い 分けて、主体的に「輿論」を作

り出すという視点を有する福沢にとって、著書 と新聞は、効果的に使い分けるべきものと認識されている。 新聞は即効性が あり、瞬時に輿論を大きく動かすが、翌日にはすぐに忘れ

去られてしまう。 ま さに「時事に切」であり、その時の情勢の中で、すぐに求める効果を導く道具 でしかないのである。 対する著書は、即効性はない代わりに、長い年月をか けて
0257名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:46:36.94ID:ZyNEtwcl0
徐々に人々に浸透していくものである。 従って将来にわたって読まれる 価値のあるものを著書として世に問うべきである、ということである。

『自選全集』では、『時事大勢論』(明治15年)から『実業論』(明治26年) に至る、『時事新報』創刊後の15冊の著作は全ていったん『時事新報』に掲載 後、単行本となった。 こ

のようにいわば「著書」の役割を持つ論説は、社説 としていったん家庭に届けた上で、改めてじっくりと読み続けられる本の体裁 にして歴史に残し、それ以外の社説は「近世文明の淵

源を知るに於て」は「利 益」がなく、「歴史上の必要」がない(『福沢全集緒言』)、すなわち福沢にとっ ては、その時限りで役割を終えた使い捨ての言説であり、極言すれば後世に

読 まれる必要がない無価値な社説ということなのである。 従って、そのような 意図の元で福沢が記したものとして読み解く必要がある。 上記15冊の著作 は、いずれも「福沢諭吉立

案」として他者が「筆記」をした形式になっており、 これは前にみた通り法律上の責任が福沢に及ばぬにしただけのことである。  そしてその名義は、『自選全集』ではすべて「福沢

諭吉著」と変更されている。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/24/8775572
0258名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/01/31(水) 19:47:14.69ID:ZyNEtwcl0
独立維持と日本における文明の模索 ― 2018/01/25 07:08

 都倉武之さんの論文「福沢諭吉における執筆名義の一考察」の「おわりに」 も読んでおく。  福沢は、著作や『時事新報』を通じて、戦略的な情報発信、情報戦を展開し 続けていた

と見ることができよう。 自分が発した情報が、どのように社会に 受容されるか、あるいは世界に伝播するか、どのようにすればより効果的であ るか、そのような関心を生涯持続して

いたのが、福沢という人物であった。 効 果を期待する相手は、時に身の回りの人であり、慶應義塾の人々であり、政府 の高官であり、実業家たちであり、日本国民であった。 時に

その範疇は朝鮮 へ、そして欧米諸国の国際世論にまで広がった。 それを支えていたのは日本 各地のみならず、世界各地に輩出した門下生たちの存在であり、彼らと頻繁に 文通や往来

を維持することで情報を収集し、それを『時事新報』等にける戦略 的な情報発信に活かしていた。

 別の言い方をすれば、福沢は民間独立の情報機関の主宰者とでもいうべき役 割を自負していた。 それは第一に西洋列強に対して日本の地位を維持してい くために民情を先導してい

くための自主的な輿論工作であり、政府と直接利害 を持たず、あくまで福沢に主体性のある活動であった。 のみならず、実は福 沢には日本政府を換骨奪胎して、より「文明」的に持

続する日本の国家体制へ と徐々に作り替えようという、より上位の工作が企図されていた。 福沢の後 半生は、この両者――すなわち独立維持という卑近な課題と、日本における文 明

の模索という高遠な課題の二つ――を同時に見据えた、たゆまない政治工作 の日常だったといえるのではなかろうか。

 正月早々、よい論文をじっくり読むことが出来て、教えられることが多く、 勉強になったのだった。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2018/01/25/8775995
0259名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/03(土) 06:40:58.93ID:CXSQKSnKO
よく分からんのだが、福沢が他人名義で書いた論説が全集に入っているのだから、
他人が書いた論説を全集に入れてもかまわない、
ということ?
0260代理屋垢版2018/02/03(土) 23:05:37.11ID:MKuTMYsj0
>>251-258
情報さんくすです。都倉武之さんは未読ですが、そのサイトの方の
とおりだとすると、平山さんや安川さんに比べ遥かに当方のプラグマ
ティスト諭吉像に近いです。

ただ晩年は金甌無欠だけでなく、より「文明的」に持続する体制を
めざした……か。

としたら個人的には1896年「娼婦出稼ぎ論」に「一身独立した
娘が自ら」の警句ぐらいは入れておいてほしかった、と、つい
思ってしまう。所詮は後世のアホの寝言でしかないのだけれど。
0261名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/04(日) 17:44:13.34ID:Znixtcjz0
>>260
 http://id.nii.ac.jp/1419/00000438/

で都倉論文を読んでみたのだが、ようするに社説全部を福沢と見なすってことだね。
そんなに範囲を広げて、個人の思想なんていえるんだろうか?

福沢本人は生前に自分の全集を編んだ気でいたわけだから、
そんなに広がってしまっては、かえって迷惑なんじゃなかろうか。

安川さんなんかが批判する社説も含まれるわけでね。
0262代理屋垢版2018/02/04(日) 22:59:58.26ID:l/oM1iYB0
>>261
>かえって迷惑なんじゃなかろうか。

それは仰る通りでしょうね……。

ただ、自選ものは諭吉のホンネという表現も可能な反面、
諭吉氏が後世、自分をこうみて欲しいという希望で「偏向?」
しているともいえそう。

現実との妥協、判断への迷い、躊躇、著名をためらう心理、
一時の激情までふくめトータルに諭吉氏の「思考過程」を
トレースするには、彼を頂点とする『時事新報』という形で
社会的に発信された言説も、やはり無視してはならないと
思っています。

p.s.
報告しませんでしたが、坂野潤治さんの『帝国と立憲』を
読みました。そこで平山説に触れられており、坂野氏も
筆が石河氏のものだとしても諭吉殿の思想と乖離している
とは考えない立場でした。
(上は意訳です。すみません、どっかに埋もれてしまった)

p.s.2
坂野さんの同書にからめ、慰安婦と諭吉について次回、
少し書いてみます。
0263名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/05(月) 11:55:03.07ID:+gtlr3mt0
>>262
へえ、坂野さん、そんなことをおっしゃっているの?
ますます安川さんに有利な状況になってきていますね!
0264名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/06(火) 06:42:03.96ID:ie2mVyy5O
とうとう孤立無援か、平山先生
0265名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/06(火) 10:32:51.63ID:OoPPNSD00
>>213>>214という評価もあるしな
0268代理屋垢版2018/02/06(火) 21:47:58.64ID:NvqwACW00
>>諸氏
自分は平山さんのアプローチは一石を投じたと思うです。
が、結論の石河陰謀説?にはついていけません。
逆にいえば、「文責をもちたくないから、この件は
お前がこんな調子で」とした可能性もなくはない。

諸般の事情で当時そう主張せざるを得ないと判断したが、
自分で手を汚す気にもなれなかった、とか。
慰安婦問題への戦前の外務官僚の態度にはそれを感じます。

坂野潤治氏は戦前日本が帝国と立憲の間を揺らいだように書いて
いましたが、立憲の外務官僚的には人身売買条約違反の業者に
「旅券」発給は認めがたかった。ゆえに天皇大権もつ軍の権限で
やってくれ、と責任を回避した。拙>>232
結果、軍の身分証を旅券がわりに指定業者は人身取引罪の
適用をまぬがれ女性を出国できたわけで……。
わしゃ知らんということ。

これは奴隷否定の外務省サイトの見解にも似た臭いがします。
外務省サイトでは「なぜ奴隷条約に抵触しないか」の論理展開
一切なし。「トップの者がこういってます」と書くだけ。
……内容説明など命じられても官僚としては明文化できないから
ああした記述で責任を回避した。
(政府見解を盾にした2000年高裁判決もその類)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1495943012/412-413

p.s.(失礼しました)
>>216&218訂正
× 1898年
○ 1896年
0269名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/06(火) 23:48:01.27ID:ie2mVyy5O
孤立無援ながら

慰安婦問題については平山新本四章に単行本と整合とある

あと、石河が福沢真作と知りながら全集に入れなかった証拠が出てきた
六章
0270名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/07(水) 12:58:55.06ID:tvL+khaK0
>>267
それはどの程度新聞に関与していたかによるな

毎日の社説を事前にチェックすることなど、不可能だろ
とくに年をとってから
0271名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/07(水) 13:01:16.33ID:tvL+khaK0
>>268
無知なんで教えてもらいたいのだが

慰安婦の女性は、内地人でも朝鮮人でも、旅券を所持していなかったの?
0272代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/02/07(水) 18:30:10.39ID:LNF0H0uH0
>>271
>内地人でも朝鮮人でも、旅券を所持していなかったの

十把一絡げの誤解まねく表現を謝罪します。<(_ _)>
>>232の外務省記録は、書いた通り1942年の文書。
詳細は吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書の65−67頁にありますが、
軍発行の身分証で渡航者を管理しようとしはじめたのは'42年から。
'38年の麻生軍医が診察した未成年朝鮮人慰安婦は条約違反でも、
れっきとした外務省発行の旅券を手にしていました。

>>269
平山さんの未読の新刊の慰安婦の章は、少し前までwebで
開陳されていた内容とほぼ同じと勝手に推測しとりました。
安川さんifをスルーしただけ。違っていたらご指摘くだされ。

ただ仮に内容に差があってたとしても、平山さんが「諭吉なら
慰安婦を奴隷とみなかった」と論ずることはあり得ないと
確信してます。なぜなら……
 ↓つづく
0273代理屋 ◆XFizselqIb3B 垢版2018/02/07(水) 18:34:34.22ID:LNF0H0uH0
【諭吉と慰安婦と狂人日記】

福沢諭吉ともあろう人が、
○「子供の手術のために身体を売る」ことと、
○「子供の手術のために娘を売る」ことの違いを
理解できていなかったとは到底思えません。

後者の本質は人身売買です。
「忠孝」の儒教的家族制度の信奉者の眼には、それは
「孝行娘の美談」と映るかもしれませんが、たとえば
16世紀ポルトガル宣教師からみれば日本の奴隷を生む
「風習」にしかみえませんでしたし、拙>>241
精神を患った『狂人日記』のトリックスターの眼には
「食人行為」にすらみえたかもしれません。

いまから100年前、《中国の古い社会制度、とくに家族
制度と、その精神的支えである儒教倫理の虚偽……》を
食人イメージに重ねて告発した小説が魯迅『狂人日記』と
されるのですから。 (*竹内好の岩波文庫版の解説)

家長に娘を娼婦にする権限を認めた古の儒教的家族制度を
諭吉氏が是認していたと平山洋さんが判断されたとしたら、
その根拠を是非教えてほしいと思うだけです。
0274名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/07(水) 19:28:33.18ID:tvL+khaK0
>>272
1942年以降は軍属としての身分を認めた、ってことじゃないかな

だとすると慰安婦の地位は向上したことになるんでは?
0276名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/07(水) 19:47:00.18ID:tvL+khaK0
連投スマソ 今外務省のHPで調べて分かったんだが、中国渡航についてはパスポートは不必要だったそうだ
                ↓
 戦前、日本人が中国へ渡航する際に旅券は必要でしたか。

Answer

 1878年(明治11年)に定められた「海外旅券規則」には、旅券携帯免除の正式な決まりはありませんでした。
しかし、明治時代後期になると、日本から中国へ渡航する者が非常に増加し、旅券発給事務が追いつかなかったことから、
中国渡航に際しては旅券を携帯しない例が多くみられました。
 その後、1917年(大正6年)に中国政府が中国への渡航者に対して旅券の携帯を義務づける旨の通牒を発したことにより、
この問題について日中間で交渉が行われました。
その結果、日本人は中国への渡航に際して旅券を携帯しなくてよいことが正式に認められました。
さらに、1918年(大正7年)1月15日付で駐中国芳沢謙吉臨時代理公使より陸徴祥外交総長に宛てて
「外国人本邦入国規則ノ除外ニ関スル交換公文」が発せられたことにより、日中相互に旅券を免除することが確認されました。
 外務省記録「旅券査証出入国ニ関スル諸外国ノ法規並取扱関係雑件」にはこの間の経緯に関する記録が含まれています。
0277代理屋垢版2018/02/07(水) 21:54:13.07ID:LNF0H0uH0
>>274-276
レスさんくすです。

>だとすると慰安婦の地位は向上したことになるんでは?

ん? 軍属はその通りですが、親に売られて娼婦にされた
女性の地位は人身売買された牛馬であり、その奴隷が軍の
一員(軍属)だったことを批判されとるわけですが?

>中国渡航についてはパスポートは不必要だったそうだ

情報さんくすでした。ただ自由往来できたのは1937年日中戦争
開戦前の話で、いずれにせよ売春目的で女性を国外に連れ出す
こと自体、'20年代には条約違反の人身売買で取り締まり対象
だった事情は変化ないです。
 
最後に「人民の移住と娼婦の出稼ぎ」は全集で読んでましたが、
ttp://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2014/07/post-29b3.html?optimized=0
これも情報さんくすでした。

ただ、以下は「逆」です。
>子供を売る、みたいなことは書いていないね

書いてない(警告ない)ことを問題視してます。拙>>260など

諭吉はたしかに「婦人」と書きました。おそらく「一身独立した
婦人の自由意志による出稼ぎ」を前提としていたのでしょう。
が、明治日本も儒教的家族制度を継承し、「親が子を娼館に売る」
権限を与えていました。その環境で警告を発しなければ(半島慰
安婦で多発したように)人身売買が多発するのは目に見えて
いました。
実際にからゆきさんでは、上記サイトの方が憤るように、
《借金の形、良い働き口があるとの詐欺まがいの誘い、拐かし》
という自由意志でない人身売買事件が多発して内外から批判を
あびた次第でした。(※この件は「娼婦の出稼ぎ」論と条約/
法令とのからみで次回書きます)では。
0278名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/07(水) 22:50:29.83ID:tvL+khaK0
>>277
んー

でも、この社説では、自由意志によらない状況を想定していないよね
繰り返しになるが

福沢かどうかはともかく、なぜこの社説が批判されるのかわからん
0279名無しさん@お腹いっぱい。垢版2018/02/08(木) 07:02:49.27ID:CXlXBtSSO
出稼ぎ社説は書いたのは石河だが福翁百話に同じ中身の話があるんだよ
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