>>120
まぁ島津久光を過小評価する失敗は確かだけどねぇ
しかし1回目の上京では西郷の危惧した通り、久光上京に刺激された精忠組の突出グループが行動を起こそうとし、それを粛清した寺田屋事件が発生
江戸行きは武力を背景にした圧力で幕府へのごり押しに成功したものの、久光自身が単なる藩主の父と言う無冠の身で交渉の表舞台に出れずに終わる
帰路では生麦事件を起し薩英戦争勃発
2度目の上京も尊皇志士の暴走を懸念してわずか5日で帰鹿
3度目は参預会議を実現させ、雄藩合議による幕政改革と言う斉彬から受け継いだ悲願の第一歩を踏み出すが、すでに時期を逸していると言う西郷の警告通りに参預会議は空中分解の結末となる
これが結果的に倒幕へと薩摩藩の舵を切らせ、明治維新までの動きを急加速させることにはなるのだけどね
久光の予想だにしない強力なリーダーシップが政局を強引に前進させたのは事実だけど、西郷が危惧した心配事がほぼ当たっていたとも言えるのだわ