西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男©2ch.net
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以下、テンプレ
Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。) 助命嘆願に対する政府軍川村の回答は、まずは西郷さん本人が出頭しろと、話はそれからと
これって圧倒的優位に立っている政府軍としては当たり前のことで
むしろ温情だわな
西郷さんが西郷軍の大義を説きたかったのなら出頭すべきだった
しかしそうしなかった 一方、山縣からの心のこもった手紙にはこう書いてあった
若者たちを無駄死にさせないために、西郷さんに自決してもらって、もう終わりにしましょう、と
これに対しても、西郷はそうしなかった 西郷さんの心中はいかなるものだったのか
あるいは、心中というものがもはや存在しない
心神喪失状態にあったのか 通説では、西郷軍の生き残りとともに最後の突撃をしたとなっている
生涯で兵士だったことは一度もなく、西南戦争中も前線視察すらしていなかったこの男が
突撃したというのは、美談としても無理がありすぎではないか 西郷軍は西郷の首を取られ、晒されることを心配していた
実際、西郷の首は西郷軍の手で切断され隠されていた
このような処置をした西郷軍が、首の回収がおぼつかなくなる突撃行為などを西郷にさせるはずはないのだ
武士の総大将の作法としても、洞窟で自決するのが正しい 西郷が突撃していないとすると、
なぜ西郷の遺体は洞窟の外の中途半端な場所に転がっていたのか
そう考えると、
状況的にいちばん合理的な答えはやはり
西郷逃亡 → 桐野に見つかり強制玉砕
なんだよな
逃亡という言葉が気に入らないなら
「徘徊」としてもいいけど
心神喪失状態に陥っていた西郷さんが
桐野に腹を切るように即されると
ヨロヨロ洞窟を抜け出し、政府軍に投降するそぶりをした
少なくとも桐野にはそう見えた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています