>>647
>@ 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。

バカだろうコイツw
抵抗した連中が《敗残兵》として射殺され、投降の意思表示をした連中は捕虜として収容されているw
だから戦闘詳報に《敗残兵》と記録されているんだがw

南京戦史 p329 安全区の掃蕩
安全区の掃蕩を担当した歩七は、十二月十四日より二四日に至る間、便衣兵六、六七〇名を処分した。
また戦車第一大隊第一中隊(歩七に配属)は戦闘により撃滅した七、八十名のほか《二五〇人を捕虜として収容》。
以上を含む第九師団の処分累計は約七、〇〇〇名である。
(第九師団作戦経過の概要、歩七戦闘詳報、
戦車第一大隊第一中隊戦闘詳報、『伊佐(歩七聯隊長)日記』)

戦車第一大隊第一中隊の敗残兵掃滅と捕虜の護送
十四日、歩七に配属された戦車第一大隊第一中隊は安全区周辺を掃蕩中、
我に抵抗する敗残兵七、八十名を射殺。
なおこの際《投降の意思表示をした二五〇人は捕虜として収容し、後送の処置をとった》。

歩七戦闘詳報(南京戦史資料集 p630)
自 十二月十三日 至十二月二十四日
南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊
二、刺射殺数(敗残兵) 六、六七〇

伊佐(歩七聯隊長)日記』(南京戦史資料集 p440)
十二月十六日 三日間ニ互ル掃蕩ニテ約六五○○ヲ厳重処分ス。
南京戦史 p330〜331

>A 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。

違法殺害という根拠皆無w

>B 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。

同上w

>C 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。

過去スレで完膚なきまでに肯定派が反論できずに逃亡を繰り返している定番自爆資料www
ちなみにこれが事実だとすると@〜E全てで「捕虜殺害には旅団長以上の命令が必要」と事が確定するw

>D 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。

Cと同じw
さらに日本軍の指揮階梯上、山田支隊に命令を出せた部隊は南京に存在せずw

>+
>E 歩兵第20連隊第4中隊陣中日誌 敗残兵328名ヲ銃殺シ埋葬ス
>  (「南京事件京都師団関係資料集」P407 /「南京戦史資料集」P611)


>それに「敗残兵だ」とか「過去スレで散々論破済み」なんてのは、全然論駁にはならないから。

日本軍の判断は「敗残兵」ですがw
それを否定できる程の根拠が提示できなければ当然日本軍の「敗残兵」という判断が確定しますw

過去スレで悉く肯定派が逃亡している事実の前では、お前如きが俺様ルールで「全然論駁にならない」と言っても無駄w
お前の言う事が事実であれば肯定派が逃亡する必要など無かったのだからw
現実を認められないアスペってのはミジメだねえw