>>496
反論出来なくなったら論点をずらして無意味な長文を貼り付ける点はじいや長毛種の同類だねえw
肯定派ってのは毎回毎回同じ事しか出来ないのかねえw
『まるで全員同一人物のようだ』w

結局、今までこの主張の根拠が肯定派が「守る必要は無い」と主張した「1929年のジュネーブ条約」の足立純夫の解釈以外に『全く』出てこないのだがw

>471 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/02/23(金) 01:06:36.76 ID:5BOO7AOc0
>「いつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量」だと解釈することができる。

ちなみに支那事変の時点で日本軍は捕虜収容所を設置し実際に運用していたw
支那での捕虜収容所は労働訓練所扱いw

そう言えば肯定派はこれにもまともに回答しないで逃げ回ったままだよなw

メビウスの過去スレからw

その他の収容所の状況は、臨時に収容所を設置して捕虜を収容し、一定期間、労役に服した後、釈放(帰郷)または職業斡旋(労工派遣)を行っています。
1939年(昭和14年)10月に山西省を所管する第一軍が中央に提出した報告書では、太原市に設置された捕虜収容所「太原工程隊」について、以下のような報告がなされています。

各部隊ヨリ送致セル帰順兵及俘虜等 一度太原工程隊指導部ニ収容セラルルヤ皇軍ノ真意ヲ理解シ 本心ニ立返リ 嬉々トシテ労役ニ服シ 未ダ一名ノ逃亡者モナク其成績極メテ良好ナリ

イ 本月中ノ隊員活動状況
 寧武木廠 二〇〇名 森林伐採ニ従事シアリ
 隊外労役延人員 九二二名(太原市公署道路補修作業或ハ各部隊ノ雑役ニ服ス)
 隊内労役 残員(農耕作業或ハ冬営準備工築作業ニ従事)
 再転属 一六一名(第一野戦輸送隊ヘ転属セシメタル者ノ内一六一名ハ補給道路作業終了シタルヲ以テ寧武木廠ニ再転属シ森林伐採ニ従事セシム)

ロ 釈放
 収容人員中 強制徴発ニヨリ中国兵ニナリタルモノ及活動能力乏シキ年少者合計三十五名ハ 二回ニ亘リ旅費ヲ支給シ 帰農セシメタルニ 何レモ新政権下ノ良民タランコトヲ誓約シ 感激裏ニ離隊セリ

ハ 隊員ノ移動
将校 下士官 兵 計
前月末 二七 三八 二五〇 三一五
除隊者 一三 二五 二〇四 二四二
入隊者 一 一 三〇 三二
現在員 一五 一四 七六 一〇五

(出典:第一軍特務部「戦時月報(九月)」1938年)

これらの施設(収容所)はいずれも労働訓練所という位置づけがなされています。
相手国(国民政府または中共)に対して送還せず、手島報告にあるように「帰郷セシメ安居楽業ニ就カシメタル方針」だったと判断できますw