>>244はスレ主のレスですが、ちょっと興味深い。

スレ主は、小御所会議で西郷が「短刀一本…」と発言したのは100%捏造としています。
もとになっているのは、ウィキペディアの脚注です。

ウィキペディア「小御所会議」脚注より
>なおこの休憩中に岩下方平が屋外で警備兵を指揮中の西郷隆盛を呼び出し、
西郷が岩倉に対して「短刀一本あれば片が付く」と、
暗に岩倉に反対派と差し違える覚悟を迫り、
それを承知した岩倉が短刀を忍ばせて会議に戻ったといわれる。
この話の出典は会議の出席者である浅野長勲が半世紀後に口述した
『浅野長勲自叙伝』(昭和12年(1937年))などに見られるのみで
『徳川慶喜公伝』『丁卯日記』『岩倉公実記』『明治天皇紀』などの他の史料には見えない。
井上清なども著書『明治維新』(新政の演出 岩倉具視)の中で触れているが特に出典は記されていない。
(引用終わり)

ところがこの「短刀一本…」の逸話は、西郷を顕彰する人たちばかりではなく、反薩長史観の原田伊織なんかも、明治維新がテロによってなった根拠としてあげています。
もし逸話が捏造だと仮定しても、西郷という人は、正反対の立場の人々からそれぞれ祀り上げられなければならなかった、ということは言えるんじゃないでしょうか。

ところでスレ主は、『浅野長勲自叙伝』とほぼ同時期(昭和16年・1941年)に発表された竹崎櫻岳著「肚之西郷」に記された、「桐野利秋が西郷を射殺しようとした」説は真実だと言っています。
西郷の死後何十年もたって、ほかの証言もないまま突然出てきた「肚之西郷」は真実だとする根拠はなんでしょうか。ソースをあげた答えを聞いてみたいものです。
あ、片岡吾庵堂著「横目で見た郷土史」に依拠した、古いテンプレのコピペは飽き飽きしているので、貼らないでくださいね。