そんな大げさなものではありませんけど
西郷神格化と反政府右翼の狂気じみた活動は同根であるということです
同じ人たちがやっていた

ところで、この反政府右翼が刊行した「西南記伝」は西郷が最期まで戦い立派に自決したという伝説を創りましたが
その一方で、桐野が西郷を銃撃したと証言した"城川市二"の名前がこの「西南記伝」にはどこにも出てきません
城川の親友であり一緒にカゴを担いでいた小杉恒吉衛門の名前はしっかり出てくるのに城川の名前だけが無い

たぶんですけど「西南記伝」が刊行された明治42年ごろも城川説というのは存在していて
しかし不名誉な死に様ゆえに目撃者の城川市二の名前ともども無かったことにされたのではないかと思います
それくらい不自然なのです、城川市二の名前だけが無いというのは・・・
大隈重信に爆弾を投げた狂信的な右翼ならそのくらいの"検閲"はやると思います

>>539のように城川は生涯悔しさのようなものを心に持ち続けたようで、その原因は自分の目撃した西郷の最期、そして自分の存在さえも無かったことにされた
戦火の中を命をかけて別府晋介や西郷に最後まで付き従ったのに、その自分の名前も葬られた
ということに起因しているとすれば納得いきます