岩倉使節団の目的は、あくまで「西洋視察」であって「交渉」じゃないからね。
不平等条約の改正のための下準備、というのはあっただろうけど。
視察であれば、語学ができないからというは、一番の理由じゃないでしょう。

薩摩藩は慶応元年に英国へ留学生を送り込んでいる(この時は密出国)。
一番年配でも34歳で、ほとんどが十代、二十代。
その中から五代友厚や、森有礼、長沢鼎らが出ているから、
目的は達成していると言える。
そんな前例がある中で、四十過ぎの自分が出張るのは気恥ずかしい、
若い人に機会を、と考えるのが西郷。
それでも自分の目で見ないと分からん、と考えるのが大久保。
どっちも理はある。