廃藩置県は封建制度の解体の最重要課題だったことは、新政府の誰もが認識していたことであり、
当然、士族の反乱は予想されていた。

明治4年7月9日木戸家で廃藩置県の相談会が開かれている。
従道、大山巌、大久保、山県、井上肇、木戸が出席
西郷は「もはや論議の余地無し。反対するものはあろうが、今は『断』の一字あるのみ。
実施に当たって不穏の事態があったら、その処理は拙者が引き受け申す」

その後天皇へ
「恐れながら臣西郷が居りますれば、何卒、大御心を安んぜさせられますように」と申し上げ、
明治4年7月14日廃藩置県の大号令発布。