「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将
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「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に
『全滅・憤死 インパール3』より
高木 俊朗
第二次世界大戦における旧日本軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。
かつて陸軍航空本部映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。
https://bunshun.jp/articles/-/39659
文春オンライン 吉良上野介や伊東祐親も地元じゃ尊敬されてるみたいなもんじゃないの インパールの牟田口か
GoToの安倍か
って事ですね。 日本が負けたのが佐藤がバカだから
■英国公刊戦史・第三巻
第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
The War Against Japan, Volume III
Defeat Into Victory: Battling Japan in Burma and India, 1942-1945
日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ずそうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 有能な敵は貶め無能な敵は褒めたたえる、今後の為に… 東京、南方、ビルマ、第15軍。
四重の無責任が悲劇を招いた。
最初に無茶やったのは、イギリスだけどな。
ttps://youtu.be/IP5hJhaUHes ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています