満州人脈から読み解く近現代史
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満洲人脈とは満洲国で形成された右派勢力の名称。戦後も日本政治に大きな影響を及ぼした。
また、日本による統治に協力した朝鮮のチンイルパ(親日派)の人物も多く含まれており、彼らは戦後韓国の軍事独裁政権の中で大きな影響力を及ぼした。
両者は日韓基本条約の締結以来関係を深め、「日韓癒着」と称される日本保守陣営との蜜月関係を築いた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲人脈 日本における満洲人脈
満洲国の実質的支配層であった日本人上級官僚や当時の大陸右翼、満鉄調査部の関係者などが母体である。
二・二六事件に関与して左遷された軍人や、共産主義者からの転向者も多い。
ソビエト連邦の経済政策を参考として、満洲国の経済建設の実績をあげた。
満鉄調査部事件などで共産主義活動の嫌疑をかけられ検挙された者もいる。
ここで培われた経済統制の手法は戦時体制の確立や、戦後の日本の経済政策にも生かされていく。
岸総理や右翼の児玉誉士夫などの大物が名を連ね、戦後保守政治に影響力を及ぼした。 大韓民国における満洲人脈
大韓民国のチンイルパの中でも最大勢力の派閥である。メンバーの多くは日本統治時代満洲国軍人であった。
朴大統領などもこの人脈に属していたことからかつての軍事独裁政権下では一大勢力を誇った。民主化が達成された現在は影響力を低下させている。
満洲国軍出身者の多くは北部(現在の北朝鮮)が故郷だったが、共産化によって越南して南朝鮮国防警備隊に入隊した。
彼らは五族(日、韓、満、蒙、漢)の競争で生き残る能力を鍛え、また満洲国軍の日本人顧問に慣れていたので米軍政の顧問制度に適応した。
そのため建軍期の韓国軍で日本軍出身者と共に影響力を拡大していった。 満州系と北京系と半島系が今の日本を食いモンにしている 街中でも大陸系の人達がすごく多くて
もう満洲や北京みたいな感じですね? 皇道派と統制派は成り立ちが違うんだよな
○陸軍派閥
後に皇道派の中心となるのは長州嫌いの重鎮である上原勇作を中心とした上原派
山岡・小畑・山下など派閥にも勉強会にも参加している者はたいてい皇道派とみなされる
上原派(上原勇作・武藤信義・村岡長太郎・真崎甚三郎・荒木貞夫・秦真次・柳川平助・香椎浩平
山岡重厚・小畑敏四郎・山下奉文)
○勉強会
後の統制派の中心となる一夕会はバーデンバーデンの密約にはじまる中堅幕僚たちの勉強会から成り立つ
ただし一夕会が統制派となったわけではない。反長州閥の活動で上原派と気脈を通じていくうちに皇道派に与した物も少なくない
皇道派に与さなかった残りが皇道派自滅後に統制派と呼ばれたと理解したほうがわかりやすい
二葉会(永田鉄山・小畑敏四郎・岡村寧次・東条英機・河本大作・板垣征四郎・山岡重厚・磯谷廉介・小野弘毅・小笠原数夫・土肥原賢二・黒木親慶・
渡久雄・松村正員・工藤義雄・岡部直三郎・中野直三・山下奉文)
無名会→木曜会(石原莞爾・村上啓作・鈴木貞一・根本博・土橋勇造・武藤章・深山亀三郎・横山勇)
二葉会と木曜会が合流し一夕会 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています