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【権力の】伊藤博文・山縣有朋・井上馨【亡者】 3
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0002名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 14:55:36.09ID:3m7ADGh40
クズ長州
0003名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 16:47:54.07ID:sN5rAfM10
長州閥なくして日露戦争の勝利も無し

ロシアに勝てる国力を形成した井上馨と山縣有朋の長州両巨頭の大功績である
0004名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 16:49:55.30ID:sN5rAfM10
今日の世でも何かと批判されがちな井上馨だが彼なくして明治期の重工業の成功はありえない
0005名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 18:13:07.55ID:sZz+m9h80
井上馨
 三井財閥を作る
 木戸の宿願の立憲主義者
 木戸の宿願の不平等条約改正に努める

普通に偉大な人である。
0006名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 23:03:51.29ID:9v3B5zKt0
井上も山縣も金銭汚職は多すぎたけどね。
それを上回る功績を残してるので良しとしよう
0007名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 23:38:57.98ID:9v3B5zKt0
明治大正の長州閥は功績七分、誤り三分。
昭和初期の日本を支配した東北人連中は真逆だが。
0008名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/29(火) 23:39:40.26ID:9v3B5zKt0
明治大正の日本を支配した長州閥は功績七分、誤り三分。
昭和初期の日本を支配した東北人連中は真逆だが。
0009名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/30(水) 06:44:45.21ID:MNsgJXCn0
南部なんて最大の負け藩の一つなんだから書類に不備があるんだから、接収されて当たり前。
戊辰戦争で迷惑をかけた藩なのに商人が持ってたら助かるのか?
0010名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/30(水) 19:35:02.92ID:O9i/DTxM0
長州の功績は無いだろな
近代化なんて幕府でもしてたし
戦争国家に変えて滅亡しただけ
国民に良かった事は何もない
0011名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/30(水) 21:56:01.79ID:1fyKz+4X0
徳川幕府ではロシア帝国や西洋列強には対抗できないから自滅したんだろう。
薩長閥支配の日本でこそ時の超大国に対抗できたのだ
0012名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/11/30(水) 23:05:42.00ID:aLxAqJ5z0
無能江戸幕府が続いてたなら日本人は絶滅してるだろう
0013名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/01(木) 08:36:26.97ID:mg54sZrz0
近代を体現してるの桂小五郎だからね。
桂和田両家150石のボンボンでありながら、江川英龍の丁稚になったり、
身分を超えて芸者と結婚したり、足軽や村医者を抜擢したり。
長州藩だけ異様に風通しがよかった。

薩摩や幕府には無理よ。
0016名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/01(木) 09:11:35.88ID:D17XAtAv0
伊藤の兄貴分で財界の超大物
0017名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/01(木) 11:13:02.41ID:HHZj91nJ0
すべては長州の無能クソバカどもが国家をグランドデザインしたことに問題と原因はある

結局日本のハード面もソフト面も整備して構築したのは旧幕臣らの知識人たちであり長州のやつなどなにもしてない
やったのは汚職と己の利権確保だけ
こんなデタラメな奴らが国家をつくったのだからそら欠陥だらけの構造になる
その欠陥ゆえに日本は昭和に滅亡することになったこの事実は誰もが知ってる周知の事実であり揺るぎない動かざる歴史である
これを国賊と言わずしてなんという
0018名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/01(木) 11:19:17.33ID:mg54sZrz0
五か条の御誓文の国会主義、立憲主義、士族廃止、徴兵制、知事の世襲禁止、近代教育・・・。
不平等条約改正

ほとんど長州がやったんですけどね。
0019名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/01(木) 21:09:00.89ID:gMlqZVrJ0
掲示板「爆サイ」社長に有罪 法人税法違反、懲役1年猶予3年

架空の外注費計上で法人税など計約5900万円を免れたとして、法人税法違反などの罪に問われた東京のインターネット広告業「Aegate(エーゲート)」社長高岡賢太郎被告(49)に東京地裁は5日、懲役1年、執行猶予3年(求刑懲役1年)の判決を言い渡した。

同社はインターネット掲示板「爆サイ.com」を運営し、高岡被告は女優高岡早紀さんの兄。島尻大志裁判官は「納税額を抑えて事業資金を確保するための犯行で責任は軽視できないが、反省し、会社も再発防止策を取っている」と述べた。

https://newsee-media.com/takaoka-kentaro

因みに爆サイに エーゲート と書くだけで書き込み禁止なる ワロタ
0020名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/01(木) 23:10:43.24ID:A0hCN3ML0
最悪に20世紀も無能徳川幕府が続いてたなら大国のなすがままにやられて日本人は絶滅していただろう
0021名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/02(金) 12:18:34.21ID:OcubkYxT0
>>20
それが分からんアンチ長州のバカもいるんですよ
0022垢版2022/12/02(金) 22:11:13.05ID:wWOGsWX50
>>13
それはない
大村益次郎も幕府の方が好待遇だった
長州は滅亡寸前になるまで冷遇してたけど
0023垢版2022/12/02(金) 22:15:21.46ID:wWOGsWX50
長州は暴走して明治維新に滑り込んだ
戦略が優れていたなら滅亡寸前に軍を近代化しているはずだし
0026名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/02(金) 23:17:20.15ID:BBM1sbRK0
木戸孝允が徹底して主張したように五稜郭に立てこもって官軍に抗戦した逆賊共を全員処刑すべきだったんだよ!
0027名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/03(土) 00:59:59.43ID:zuO4deHy0
前スレにも書いてあったが
たしかに薩長土肥では土佐藩が一番まともであったかもしれないが。

征韓論主体の土佐人は理想論が強すぎて現実の国際情勢の前では太刀打ちできなかったであろう。

リアリズム外交に徹する薩長閥が支配してたからこそ明治大正期の日本は大成功したのである。
0028名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/03(土) 20:40:50.36ID:FlPz4V/h0
山内容堂が友達の木戸の壮行会で
蜂須賀茂詔に盗人の子孫の分際でって
言い放ったらしいけど、蜂須賀公は
徳川家斉の孫w
0030名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/03(土) 21:55:56.53ID:FlPz4V/h0
国家運営ができたのは長州開明派と大久保だけなのが現実。
板垣なんて西郷と昔話して茶飲んでたらしいぞw
0031名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/03(土) 23:05:24.32ID:zuO4deHy0
どこの藩でも会津藩より無能バカはいねえよ
最後は土肥も半分は失敗したが無能バカ会津藩より全然ましよ
0032名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/03(土) 23:18:37.32ID:zuO4deHy0
>>30
薩摩だと松方正義と川路利良も内政での実務能力が高すぎるぞ。
0034名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/03(土) 23:30:03.27ID:zuO4deHy0
そういや渋沢を大蔵省の重役で採用したのは井上馨。

やはり長州閥の人材登用能力は神がかってる。

それだけに五稜郭立て籠もり逆賊の全員死刑を訴えた木戸孝允の主張が無視されたのは惜しすぎる!
0035名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/04(日) 00:10:57.02ID:XNrfuJOE0
土佐人は理想論が強すぎて政治家には不向きだろ。
土佐人は在野での活動こそが最適で力を最も発揮する。
三菱の岩崎弥太郎が在野の民間実業家として大成功したのもそれ。
0036名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/04(日) 21:49:37.44ID:fLFuPhNI0
土佐人で大成功した政治家は吉田茂ぐらいしか知らん
0037名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/04(日) 23:12:13.90ID:XNrfuJOE0
暗殺されなきゃ中岡慎太郎は明治の世でも超大物になれただろうに。
坂本龍馬はあそこまでの人だな。
後藤象二郎も同様。
中岡慎太郎こそ土佐藩では最高の政治家だった。
0038名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/04(日) 23:41:55.88ID:tQlVWMc70
>>33
項羽と劉邦の逸話宜しく実務を知らなくても実務能力に秀でた人材を見出して積極的に登用するリーダーの方が優れてるだろ
0039名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/05(月) 00:01:36.70ID:cHt0W3pU0
岩倉具視は自分を押し上げてくれた中岡慎太郎に終生感謝しつくしてたらしい。
0041名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/05(月) 22:35:43.73ID:A9qquF8P0
どこがだよw
0042名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/06(火) 00:12:16.79ID:310tj5VF0
>>39
20世紀の日本には数多くのフィクサーが誕生したが

19世紀日本の最大フィクサーこそ岩倉具視
0043名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/06(火) 15:59:08.47ID:GUmyYgIp0
岩倉は西郷、大久保との関係ばかり取り沙汰されるが
最も早く接触して表舞台に出してくれたのは土佐藩士だったんだよな
0044名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/06(火) 23:51:31.87ID:310tj5VF0
北海道、東北に世界的大企業がないことが
こいつら北日本土人の頭の弱さを証明してる

こいつら北日本土人が政治を支配してた昭和初期の日本が会津藩のごとく大失敗したわけだ。
0045名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/07(水) 01:05:02.52ID:RlBOUhFr0
国政は薩長閥に任せとけばよかったのに逆賊のクソ東北人どもが偉そうに国政の表舞台に出てきてから日本は米中二正面戦争で破滅したな。
0046名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/07(水) 18:40:46.62ID:QAzg2ui/0
TBSの歴史列伝の西郷隆盛の回で
井上の悪口ばかりってるけどねえ。
殖産が必要な時代に、財閥を作ることが
そんなに悪か?

西南戦争で南九州を壊滅させた金玉はらした
西郷よりはマシ。
西郷なんてネポティズムの権化のくせに。
0047名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/07(水) 21:55:10.46ID:Ilps5Bn70
やっぱり今でも幕末通から長州閥の井上と山縣は根強く嫌われてんだな
俺は大好きなんだがな。
明治日本の国力を増強した長州閥両巨頭がいなければ日本はロシアに勝てなかっただろ。
0048名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/07(水) 23:37:09.07ID:RlBOUhFr0
>>43
だが岩倉が明治維新後に維新の理想を裏切られたとかの理由で土佐藩士に襲撃されて殺されそうになったのは皮肉な話だ。
0049名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/08(木) 00:23:42.32ID:ZRiKIjVq0
>>47
山県有朋、井上馨、岩倉具視、大久保利通
この4人は特に敗者の佐幕派から妬み僻み嫉み感情から毛嫌いされてた。

だが大久保と岩倉は日本史上で類がないほどの最高級の政治力を評価されて名誉回復を果たしてきてる、
後の2人の名誉回復ははこれからかな?
0051名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/08(木) 11:09:38.89ID:JVXe5rMI0
当時の殖産は政府主導だから、ある程度はしょうがないだろう。
大久保みたいに商才ゼロの人間とは井上馨は才能が違いすぎる。
0053名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/08(木) 14:21:36.19ID:zccVupsq0
>>44-45
北海道東北の最大企業が東北電力だというw
経済でも白河以北一山百文なんですか?
0055名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/08(木) 23:34:03.24ID:ZRiKIjVq0
>>53
政治も経済も無能バカの東北土人に日本を任せると大失敗します。
0056名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/08(木) 23:49:35.24ID:ZRiKIjVq0
>>48
小御所会議で山内容堂を黙らせた逆転劇は見事。
良くも悪くもなにかと土佐藩と因縁が深い右大臣でもした。
0057名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/09(金) 00:51:28.05ID:hdXxQnhy0
西郷、大久保、木戸、岩倉で明治維新四傑になるが。

すべては高杉晋作たった1人から幕末は始まるのだ
高杉晋作が功山寺挙兵をしなければ長州藩も佐幕派の俗倫派に占領されたまま

高杉晋作こそ史上最強の露払い
0058名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/09(金) 13:45:33.35ID:HZYJuQP70
日本がアメリカとの戦争に突入して滅んだのはすべて長州クソバカどもが己の私利私欲と利権を確保するを第一優勢としたいびつな欠陥だらけの国家構造にしたことにある

そのことがわからんのはただのバカ
むしろわかってて見て見ぬふりしてるここの長州信者は大国賊のゴミカス
0059名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/09(金) 13:46:17.91ID:ToNA9xzb0
佐幕派で有能な人材は榎本武揚ぐらいか?
五稜郭で最後まで徹底抗戦してしまったあたりは今日の社会で評されるほど有能な人材だとは思えないが。
それでも明治政府で一石を投じた辺り榎本武揚は有能な人材だったのかもしれない。

反抗しただけで殺された土方歳三、河井継之助、小栗上野介よりかは格上かもしれん。
0062名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/09(金) 21:36:37.80ID:ToNA9xzb0
日露戦争の勝利は山縣と井上の最強元老が国政を支配してたおかげなんだが
0063名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/09(金) 23:14:04.06ID:hdXxQnhy0
>>62
それが分からんのがアンチ長州の脳無し屑どもよ。
明石元二郎みたいな奇人変人の埋もれた才能は長州閥でしか発掘するのが不可能よ。

東北土人どもが陸海軍を支配してた昭和初期は埋もれたまま消えた才能も多かったんだろう。
それが昭和の敗戦につながる。
0064名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/10(土) 00:41:10.26ID:okYw0KBo0
>>56
岩倉具視のラスボス感、バケモノ感は大久保利通や山縣有朋を超えてる感じもする。
同時期の大物たちより古代の蘇我馬子と比較できるかもしれない。
0065名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/10(土) 13:52:49.03ID:QdIeSu4X0
間違いなく幕末から明治10年までの日本は西郷、大久保の薩摩閥三巨頭が中心だった。
これは間違いない。

その後に山縣、井上、伊藤の長州閥三巨頭に受け継がれる

とまあ、ここまでは良かったんだが、その後の昭和に反薩長の東北閥の復権支配に逆襲が始まり日本は敗戦の大惨状を迎える。
0066少し修正垢版2022/12/10(土) 13:55:20.92ID:QdIeSu4X0
間違いなく幕末から明治10年までの日本は西郷、大久保、岩倉の薩摩閥三巨頭が中心だった。
これは間違いない。

その後の大正期までの日本は山縣、井上、伊藤の長州閥三巨頭に受け継がれる

とまあ、ここまでの国家運営は良かったんだが、その後の昭和に反薩長の東北閥の復権支配に逆襲が始まり日本は行く末を誤り敗戦の大惨状を迎える。
0068名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/10(土) 19:08:35.72ID:6snseIio0
木戸や伊藤の長州は議会になるべく力を持たせたないようにドイツ式を目指した
中国とソ連は第二次大戦で勝ったから素晴らしいみたいなもんだな
0069名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/10(土) 22:05:02.08ID:QdIeSu4X0
大久保が内務卿の時代の内務省は静まり返ったのに、
伊藤が内務卿になると内務省が西郷従道やら重臣達との猥談クラブになったと逸話を聞いて。
石田三成が生前中は静まり返っていた大阪城内が、
関ケ原で石田三成が亡き後は大阪城内が大名達の猥談クラブになった話を思い出してしまった。

たしかに大久保利通と石田三成は似てなくもない。
0070名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/10(土) 23:20:51.46ID:okYw0KBo0
>>69
石田三成は大久保利通に生まれ変わり打倒徳川を果たしたのだ
0071名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/10(土) 23:37:37.03ID:okYw0KBo0
西郷、大久保、岩倉、木戸の明治維新四傑の内で木戸孝允だけは怪物感が全くない。

幕末の長州藩士で無敵の怪物感を感じさせられるのは山県有朋だけ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/11(日) 00:44:30.56ID:zzDfxsF30
そういや日大理事長になった小説家の林真理子さんは西郷従道の大ファンみたいだな。
兄ではなくて何故か弟の方に惹かれたみたいだ

土佐藩の土方久元も西郷隆盛の如く人物は再び日本に現れるかもしれないが西郷従道の様な人物は二度と出てこないだろうとまで言わしめてる。
それだけの大人物だったのか西郷従道。
0073名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/11(日) 03:14:11.60ID:nYAZyhkw0
西郷従道の次男と岩倉具視の次女は夫婦
やはり岩倉具視は薩摩閥の人間
0074名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/11(日) 12:18:28.82ID:7QaDUTwA0
長州征伐の総責任者である小笠原壱岐守
その大戦犯の息子がいけしゃあしゃあと海軍兵学校に入ってるのはなぜなのか?
大戦犯の息子なら普通は遠慮して軍人なんて目指さないだろ?
合格させる方も寛大すぎる。明治の元勲たちはなぜ許したのか?
0075名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/11(日) 22:49:05.01ID:nYAZyhkw0
>>69
江藤新平も石田三成と比較されることが多いんだよな。
江藤も大久保も両方とも石田三成に似てると言われればそれまでだ。
0076名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/11(日) 23:43:17.23ID:zzDfxsF30
>>74
やはり木戸孝允の逆賊全員処刑の主張が正しかったんだよ!
0077名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/11(日) 23:53:24.19ID:zzDfxsF30
木戸孝允は顔に似合わず粘着質で恨み深く復讐心が強いところがあるが
池田屋事件で吉田稔麿など有望な長州藩士を会津藩新選組に皆殺しにされてるから仕方ないか
明治新政府が逆賊幕臣を寛大に処しすぎたのは事実だからな
0078名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/12(月) 00:49:25.04ID:5vvqW4//0
>>76
真に日本を未来を読めてた筆頭格が桂小五郎かもしれませんのう。

旧佐幕派の東北土人に国家が乗っ取られた昭和日本の悲劇を見ればね。
0079名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/12(月) 03:20:18.08ID:bkLBWgdU0
維新四傑の突出した能力値。

西郷→超革命家
大久保→超策略家
岩倉→超陰謀家
木戸→超政治家
0080名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/12(月) 06:41:37.51ID:/BeDQqDJ0
三家老切腹の上に首実験、周布切腹、来島久坂の討ち死に

長州の薩摩と会津に対する恨みはまあしょうがない。
松平容保も兄貴の尾張みたいに家老を大粛清したら許してもらえた。
0081名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/12(月) 23:35:52.33ID:5vvqW4//0
>>79
大隈重信の評ではないが幕末から明治最大の政治家はミスター政治家の木戸孝允なんだろう。
大久保利通や岩倉具視は政治家というより権謀家に近い。
もちろん二人の権謀能力は突出してる。
0082名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/12(月) 23:44:13.93ID:5vvqW4//0
大隈重信「吾輩が敬服すべき政治家は一に木戸公、二に大久保公」
0084名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/13(火) 13:31:58.87ID:F4OGeumE0
>>77
木戸は女たらしプレイボーイのようにも見えるが養子をもらったのみで実子は一人もいないぐらい色情は無い。

つくづく木戸は外見に似合わない漢の中の漢よのう。
0088名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/13(火) 21:27:56.92ID:F4OGeumE0
いったい江藤が何をしたんだ?
佐賀藩は無くても維新は可能だったよ
0089名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/13(火) 23:23:38.87ID:Gf3PhXzp0
>>85
にしても木戸は欲望に薄い真の志士だ。

大久保が明治最強の政治家なら木戸は明治最高の政治家だ。
0090名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/13(火) 23:24:29.54ID:Gf3PhXzp0
>>88
アームストロング砲ぐらいでしょ。
それは確かに当代一流であったけどね。
0091名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/13(火) 23:53:57.55ID:2P1q5ost0
>>86
え?
坪井自体は佐幕派とは言え甥の佐藤信寛は後の元老達とも親交があった維新志士なのに何で殺されると思った?
0092名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/14(水) 00:58:46.65ID:OwFs6ytH0
佐賀藩士で筆頭格は大隈重信だろうな。
それが佐賀藩の限界といや限界だったかもしれないが総理大臣を務めただけに大物ではある。
江藤新平は何を残してくれたのかよくわからん。
0093名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/14(水) 01:19:27.57ID:sWFBx5fR0
晒し首は江藤自体が反逆罪のみせしめのためにのこしたらしいな。それで写真に取られたと
東郷隆の桐野利秋の本に乗ってた。
0095名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/14(水) 20:02:39.40ID:sWFBx5fR0
木戸孝允
 国民議会、立憲主義、女子も含む近代教育・・・

明治維新で最も開明的だったのが木戸孝允公
0097名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/14(水) 21:47:47.36ID:Cn1sqaLq0
長州閥最後の帝王である田中義一のことを詳しく知りたい。

山縣、井上、伊藤の賛否両論は盛り上がるが。
良くも悪くも田中義一は超大物なのに余り話題にならない。
0098名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/14(水) 23:25:12.54ID:OwFs6ytH0
逆賊復権の抑えにもなっていた長州閥の田中義一がなくなった後に
陸海軍は逆賊の東北土人どもに占領されて日本は敗戦の悲劇を迎えたのさ
0099名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/15(木) 00:40:44.41ID:t+HdVp5B0
田中義一は長州閥のラスボスだな。
吉田茂、鳩山一郎、高橋是清など対外協調ハト派も多く田中義一内閣の閣僚に起用してるので強行一辺倒主義ではない。
関東軍暴走の原因は田中義一没後に出てくる賊軍出身者どもが元凶。
0100名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/15(木) 13:13:22.42ID:FBBW+uaR0
木戸孝允が蒔いて山縣有朋が育てた果実を食ったのが田中義一
0101名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/15(木) 19:00:08.50ID:diDGar4r0
その後は寺内寿一 貫目がどっと下がる
0102名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 00:03:25.80ID:VNznShXK0
米英とは基本は友好路線で行けというのが長州閥の外交姿勢。

この親米英外交を忠実に守っていた田中義一が消えた後に反長州閥の賊軍出身東北土人どもが日本政府を占拠して対米戦争に突入して最悪な失敗を犯してしまったわけだ。
0103名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 15:12:16.54ID:cd0d2xE90
その親英米路線を台無しにしたのがアメリカを仮想敵国と指定し、その予算根拠とそのための軍備増強させた海軍だろが

その原因は山縣が政府、政治と軍令権を完全に切り離させ、それを伊藤が容認したことにすべてある
政府も政治も軍には口出しできない不可侵にしておきなから、軍は政治にも政府にも口出しして介入できるというこんな近代国家としてあり得ないデタラメな国家構造にしたのが山縣であり伊藤のクソゴミ売国賊長州である

"広く会議をおこし、万機公論に決すべし"の天皇陛下のお言葉を公然と無視し、平気で蔑ろにして政党政治を完全否定、有司による専制をおこない、利権と権力と特権にまみれた軍に群がり、囲い、それを己が独占のものとするためにつくりあげたデタラメなこの国家構造の欠陥こそアメリカとの総力戦とその敗北を起こるべくして起こしたカス長州による人災そのもの

あまつさえ、これでは軍が暴走できるシステムであることをお互い認識して確認しておきながら敢えてそれを容認したのが国賊山縣と伊藤
このような判っててシビリアンコントロールを拒否し、政府政治と軍が解離することで己の私利私欲と利権確保をすべてとした結果が歯止めの効かない陸海軍の暴走へと繋がったのは日本人なら誰もが知ってる周知事実である

昭和に入って長州閥が駆逐されたからこうなったとか言ってる奴がここにはいるが、それは裏を返せば長州はずっと未来永劫権力のトップの座に居座り続ける国をつくったと安易に言って認めてるということだということをわかってないな
近代思想をまるで理解してない無知無学の長州マンセー馬鹿はただの国賊である
0104名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 20:52:01.17ID:k0/8vhDM0
長州閥への批判を反らすためありもしない派閥を作り出す 長州マンセー

開戦時の軍

総理大臣・陸軍大臣・東條英機   岩手・東京 
陸軍次官・木村兵太郎   東京
陸軍参謀総長・杉山元   福岡
海軍大臣・嶋田繁太郎   東京
海軍次官・澤本頼雄   山口
海軍軍令部総長・永野修身   高知
聨合艦隊司令長官・山本五十六   新潟
陸軍軍務局長・武藤章   熊本
海軍軍務局長・岡敬純   大阪
0105名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 21:00:05.72ID:k0/8vhDM0
長州閥がもっとも模範にしたのは憲法も軍も制度もドイツ
伊藤も日英同盟より日露交渉派だった
松岡もドイツと三国同盟結んだり日ソ中立条約結んだりしている
0106名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 21:03:26.87ID:hvEmgIwQ0
>>104
そこまで書いたなら南方軍総司令官も書いとけよ 連合艦隊司令長官のカウンターパートナーだ
0107垢版2022/12/16(金) 21:26:43.36ID:k0/8vhDM0
今回のW杯で学んだのはPKの重要さ
90分延長で勝ちきれなくともPKで勝てばよい
PKを強化するしかない
練習すれば外しやすい人と外しにくい人くらいはわかるだろう
0109名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 21:39:42.65ID:JJKTepCu0
>>104
対中戦争を拡大させただけの石原莞爾と板垣征四郎に対米戦争を拡大させただけの米内光政と井上茂美を意図的に外すなよ。
東北人ばかりじゃないか。
0110名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 21:49:17.04ID:k0/8vhDM0
石原はあっという間に満州事変を終わらせた
その後のシナ事変起こしたのは近衛だし
米内らが対米戦を拡大とか意味不明
0111名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 23:01:07.58ID:t5pDRHsc0
>>110
政府の方針を無視して関東軍を独断で動かす石原なんぞ不忠者の叛逆者
こういう連中を死滅させられなかった事が残念ながら栄光ある大日本帝国の限界
0112名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 23:11:55.56ID:bUM6K1Fd0
君命受けざるところあり
と先人の話を曲げるのが帝国軍人
0113名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 23:43:45.20ID:VNznShXK0
バーデン=バーデンの密約で長州閥排除を誓ったのが東条英機の糞東北人
0114名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/16(金) 23:45:03.18ID:VNznShXK0
米沢海軍と揶揄されたように糞東北人は直ぐに縁故採用したがる
能力主義より縁故主義になって自滅していく
0115名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 01:23:44.90ID:86Bgg1U80
>>113
そして国際外交を知る長州閥を排除した後に軍部は賊軍の東北土人に支配されて暴走して日本は破滅しましたとさ。
0116名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 01:37:04.00ID:w6bQiMXI0
■陸軍
板垣征四郎(盛岡)陸軍大臣
東條英機(盛岡)総理大臣・陸軍大臣・参謀総長
畑 俊六(会津)陸軍大臣
小磯國昭(新庄)総理大臣
石原莞爾(庄内)陸軍中将
今村均(仙台)陸軍大将

■海軍
米内光政(盛岡)総理大臣・連合艦隊司令長官・海軍大臣
及川古志郎(盛岡)海軍大臣・軍令部総長
山本五十六(長岡)連合艦隊司令長官
南雲忠一(米沢)海軍大将
嶋田繁太郎(江戸)海軍大臣・軍令部総長
井上成美(仙台)海軍大将
0117名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 06:08:47.99ID:JN+qC6mx0
「広く会議を興し」

は木戸公がねじ込んだ文言だし、
知事の世襲制を否定したのは木戸長州派。
大久保なんて久光が怖いからできないだろう。
0118名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 06:53:34.98ID:JN+qC6mx0
長州藩って代々貯めてた内部留保がたくさんあって、伊藤井上高杉は
1両が10万だと数千万、億単位で女遊びで使ってんだよなw

もう東北の武士とは全然違う。
0119名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 10:30:49.69ID:PnLChchg0
>>111
そのような運用されることも認識して相互確認してるのにそれでも軍令を完全独立を押し通した山縣とそれを容認した伊藤という大国賊

関東軍の暴走も、海軍の和平交渉を無視して完全につぶした上海事変からの南京攻略戦
0120名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 12:15:41.00ID:jsa764QG0
>>116
嶋田を入れたなら永野と杉山も入れてやれよ
中途半端だな
0121名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 16:04:41.27ID:1Tg/gM6c0
東北というか東日本出身者が多すぎんだよな。

見事に西日本の薩長土肥が作った明治新政府を奥羽越列藩同盟が敗戦の惨状によって破滅に追い込んだともいえるww
0122名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 17:17:56.90ID:SzgZyCYG0
陸軍に関しては山縣が藩閥をやりすぎてそのリアクションとして冷や飯食ってた閥外の将校が集まってやり返した格好
それが見事にハマって力をつけた連中が増長し長閥排斥から国家掌握までやりたい放題

海軍では東郷が長生きしたのもあって薩閥排斥などなかったようだが
0123名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 19:32:40.61ID:iAFA2KXN0
長州排除とか言っても日本の外交方針決めた松岡にしろ木戸にしろ長州
長州閥や山縣が嫌われてたのは全員からだし
0124名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 19:49:07.95ID:iAFA2KXN0
>>121
実際作ったのは山縣や伊藤
木戸は軍人が政治に関与するの危険視してた
大久保はイギリス型の統治を考えていた
軍が暴走する国家を自分たちで作り滅んだ
0125名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/17(土) 23:50:01.57ID:86Bgg1U80
国際外交の現実を知る長州閥を排除した後に日本は行く末を誤った。
反長州の東北閥が元凶
0126名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/18(日) 01:12:57.41ID:yAZ165oA0
長州閥の最後の帝王である田中義一が消えた後に逆賊藩の子孫に日本は牛耳られて滅びたのさ。
よって田中義一は最重要人物なのに余り語られることがないのは残念だ。
0127名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/18(日) 04:49:45.00ID:PLCzovS80
田中義一失脚の原因満州某重大事件の首謀者
河本大作が東北じゃなくて残念だったなw
0128名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/18(日) 16:03:36.23ID:8v2HnSbp0
田中義一の錦州出兵中止の命令に反発して河本を使って張作霖爆殺を主導したのは村岡関東軍司令官といわれている
村岡は佐賀出身 

そして日本が大陸へ干渉を始める契機となる対華21箇条要求は佐賀閥の巨頭、スーフリ早稲田を建学した大隈重信である

盧溝橋で大戦勃発の遠因を作ったのは自分と豪語するインパールの今ジンギスカン牟田口廉也も佐賀

このように佐賀人は日本をロクでもない方向に導いたのである
0129名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/18(日) 21:19:03.51ID:yYT/g5uy0
東北人と佐賀人は気質が似てんのかね。
たしかに佐賀藩と会津藩は幕末で共にろくでもない活躍をしてしまったんだが。
0130名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/18(日) 22:46:02.30ID:PFqhfwQJ0
宇都宮太郎、武藤義信と続く陸軍佐賀閥は徹底した反長州だから行動が似てくるというのはあるだろう
0131名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/18(日) 23:41:33.47ID:yAZ165oA0
佐賀の反長州精神は潔癖症の江藤新平から始まってんだろうな
0132名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 00:45:55.42ID:vm6fJGwh0
佐賀藩は軽挙妄動
会津藩および奥羽諸藩は逆賊

こいつら逆賊と軽挙妄動の子孫達が昭和の日本を暴走させて破壊尽くしたのだ
0134名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 14:48:58.33ID:AEm497xd0
いわば佐賀藩は政権内野党
それが時に首脳陣とは本物の野党より衝突しまう。
0135名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 15:02:01.01ID:Mt175Hie0
藩閥の主体は士族 藩ごとに思想があるが佐賀、会津、水戸などはその辺のアクが特に強い
佐賀閥は葉隠葉隠で3つ子の魂百までで陸軍では佐賀の左肩党みたいになる 
幕臣はその辺の色は薄いと思うが
0136名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 15:14:44.55ID:IrXcsah70
広く会議をおこし、万機公論に決すべしとの天皇陛下のお言葉を公然と無視し、いつまでも長州が国家、政権のトップに居続け牛耳ることを前提とした非近代的である徳川専制体制がただ長州専制に変わっただけの旧来となんらず変化することのない国家が明治新政府(笑)である
近代概念にのっとり議会と政党政治が機能しはじめると当たり前のごとく長州の無能を超えた無能のクソバカどもは排除された
これが自然の摂理である

無能のバカなのに長州がいつまでも未来永劫国家と政権のトップに居座ることを前提として国家をグランドデザインした結果がアメリカとの総力戦とその敗北である
長州はバカだから近代概念思想を理解してないので議会により排除されるというリスクもわかってないのがよくわかる
チンカス長州がいつまでもトップに居座ろうとする強欲と傲慢さが生んだ人災により日本は昭和に滅ぶことになったのは小学生でも知ってること

大国賊長州
0137名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 18:14:13.35ID:DwHiTi/C0
江藤が晒し首にされても大隈は大久保派だったし、
副島は大久保と仲が良かったという。
佐賀人はバラバラなのか。
0138名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 18:31:18.89ID:XXg77IsG0
薩摩も長州も身内が反乱してるからことさら佐賀がどうという事でもないと思うが
0139名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 19:50:14.98ID:AEm497xd0
いや薩長土は会津、水戸、佐賀より横の連携が取れてて内部抗争でも最悪は免れてるよ。
0140名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 19:54:33.64ID:AEm497xd0
>>137
潔癖症の江藤一匹だけがはしょぎすぎた結果かと
なにしろ鹿児島に下野したセゴドンまでもが順聖院様に頼れと江藤に捨て言葉を投げかけるしかなかったわけや
0141名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/19(月) 23:37:37.15ID:vm6fJGwh0
ああ見えて西郷は腹芸の寝技が、それも高等にできる強者だったが
佐賀および会津の志士たちは芸がなさすぎたのが致命的に災いしてる
0142名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 00:00:46.71ID:lqkc+ORO0
>>53
東北電以外だとアイリスオーヤマぐらいしか知らんわ。
まあ東北土人に商才がないのは事実。
0143名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 00:34:36.01ID:Eh1Jx2lh0
明治後に大財閥を起こすような大商才は近畿、北越、甲州、江戸といった地域に多い
後は新政府の伝手を存分に使った岩崎、五代、藤田、久原などの薩長土

東北、東海、維新の雄藩以外の中四国九州はパッとしない
0144名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 00:47:42.08ID:lqkc+ORO0
結局は賊軍の糞東北人と裏切り者の糞佐賀人が日本を敗戦に追い込んだわけよ。

国際外交を知る長州閥が支配してる明治大正の日本は無敵にまで強かった。
0145名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 01:17:49.73ID:lqkc+ORO0
田中義一没後も国政を長州閥に任せとけば敗戦の大惨状はなかったのに惜しい
0146名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 01:32:45.01ID:lqkc+ORO0
佐賀もんが通った後は草木も生えん。

日本を敗戦に大惨状に追い込んだキチガイ土人は賊軍東北人と佐賀の田舎もん
0147名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 12:56:52.69ID:A02lI/aD0
>>113
その東條を首相に押し上げたのが長州本流の木戸孝允に連なる木戸幸一侯爵内大臣
0148名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 14:02:16.55ID:LbqV0z0W0
>>141
薩摩の西郷は怪物だったが
会津の西郷は小物だったな
0149名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 16:20:37.64ID:Z1kdng6W0
>>145
人材がいない 綺羅星のようにいた長州の大物は昭和を迎える頃にはドンドン鬼籍に入り次の世代が全然いない

田中義一の次が大庭二郎大将あたりだろうが彼は全然力がない
長州の後輩達が陸大受験でハブられてる その状況を教育総監なのに何もできない 口出すなと言われて黙ってしまう 頼りないにも程がある

その次はボンボン寺内寿一元帥とか話にならない 長閥の人材払底も極まれり
0150名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 20:07:59.34ID:8/6SfmqK0
そもそも長州は人材が居たというより暴走してた
攘夷をするなら負けない様に軍を近代化するはずだし
幕府と戦うにしても同じ
滅亡寸前の所で大村や薩摩にお願いしただけで
司馬も長州の暴走は軍部の暴走とそっくりとか言ってた気がする
0151名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 20:13:35.55ID:8/6SfmqK0
>>149
庄内の石原並みの天才軍人も居なかったからね
石原に比べれば大山や児玉も一段落ちるだろうし
東北の方がド田舎長州より人材が多くいただけで
0152名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/20(火) 23:39:36.19ID:lqkc+ORO0
佐賀藩で正攻法で大活躍できたのは大隈重信だけだったんじゃないか
0153名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 01:37:11.76ID:1BsEqhco0
石原莞爾と板垣征四郎なんか満州事変を引き起こして対中戦争を泥沼化させただけの無能バカ軍人だろw
0154名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 01:38:14.30ID:1BsEqhco0
日露戦争の勝利は長州閥が日本を支配してたからである
太平洋戦争の大敗北は東北人が日本を支配してからである
0157名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 04:03:16.92ID:oBmjAOU40
>>99
まさしく田中義一政権は長州閥のみならずに大日本帝国最後の栄冠にして良心。
0158名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 10:21:06.00ID:J1dNjIRW0
満州某重大事件で田中義一は天皇に河本大佐他関係者の処分を約束したが、白川陸相他身内の陸軍にハシゴを外され天皇の不信を買い辞職 その心労もあってまもなく亡くなった

陸軍を抑えきれない田中の力量不足か、陸軍への影響力の無さ、それにより閣僚が首相に公然と刃向かう時流に飲まれたか 

田中の後の首相である濱口雄幸なら満州事変を抑え込めた可能性はあるが統帥権干犯を政争の具にした政友会の犬養毅、鳩山一郎により濱口雄は凶弾に倒れる
その後のウソツキ禮次郎こと若槻には陸軍を抑える力量はなかった

田中が陸軍部内にまだ影響力があれば日本の進路も多少変わったかもしれない
0159名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 15:44:39.32ID:1s9Mqvlk0
長州は議会制を理解してない非近代的で非開明的な脳ミソしかないただのアホ
議会により排除されることがあることをこれほど判ってないバカ無能集団も世界みても中々ない

いつまで国家の中枢に居続けれるとおもってるその傲慢さと、私利私欲と利権確保しか考えてないその果てなき欲望で国家の構造をグランドデザインした結果が民意と議会により排除されて機能不全を起こしてアメリカとの無謀な戦争に突入していかせるすべての骨子骨格をつくった大国賊
0160名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 17:41:41.23ID:oBmjAOU40
議会制も何も理解できなかったのは東条英機だろそれw
長州閥ほど外交上手もいなかったよ
0161名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 20:05:31.05ID:sSGh2kj50
議会を無視して超然主義とか言ってたのが薩長閥
幕末の先駆者が死んでしまって理想の高い幕末の志士と同じに思えない
伊藤も山縣も幕末は小物だった為か理想など無くシステムをめちゃくちゃにして暴走して日本が滅んだ
0163名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 21:52:18.97ID:oBmjAOU40
大政翼賛会の設立はいつだ?
0164名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 23:39:02.51ID:1BsEqhco0
太平洋戦争の指導者は東北土人ばかりじゃねえかよw
日本を破壊しつくしたのは東北土人
0165名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/21(水) 23:39:50.75ID:1BsEqhco0
明治、大正みたいに昭和も世界を知る薩長閥が支配してれば敗戦の悲劇は起きなかったに違いない
0166名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/22(木) 00:30:34.22ID:iaaRwPtl0
田中義一最強伝説が生まれた
0167名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/22(木) 00:58:35.16ID:iaaRwPtl0
勝海舟が晩年に当代の一流人物はスレタイの井上、山縣、伊藤だと評してたな。
その中でも井上馨の胆力が随一だと褒めちぎってた。
0168名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/22(木) 12:43:55.47ID:T9HJ99cS0
>>152
井沢元彦が大隈重信を大好きだったのを思い出した
0169名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/22(木) 13:34:56.59ID:22ZkzD5S0
早稲田だからか
0170名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/22(木) 23:31:17.50ID:iaaRwPtl0
>>168
その大隈重信いわく明治最大の政治家は大久保利通と木戸孝允の両巨頭らしい。
0171名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/23(金) 01:31:53.98ID:gZHxCAH20
井沢元彦は高杉晋作こそ超天才だと。

明治新政府の創設者が西郷、大久保、木戸、岩倉の、いわゆる維新四傑に疑いの余地はないが、
それも全て高杉晋作たった一人の功山寺挙兵なくして明治の代は到来しなかったに違いない。
高杉晋作こそ明治維新で絶対にいなくてはならない一人かもしれない。
0172名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/23(金) 02:35:49.57ID:si3XgM6H0
井沢は井上馨の悪口書いてるけど、
関が原で石見銀山取られてる毛利にとって、戊辰戦争の
負け藩の鉱山とって何が悪いって思っても不思議ではない。

今の価値観でみたらいかんと思うね。
0173名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/23(金) 03:45:44.40ID:+fEG/wkj0
井上馨と山縣有朋が歴史学界から好かれることは無いのか?
金銭汚職が多かったのは事実だが、
この長州閥の両巨頭がいなければ国力増強もなく日露戦争の勝利もなかっただけに俺は好きなんだがな
0174名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/23(金) 04:36:40.04ID:si3XgM6H0
鹿鳴館もビゴーの絵にやられてると思う。
文明国とみせつける価値はあった。
タリバンやボゴハラムに支配された国がアメリカ式の社交界やったらそれはそれで価値はある。
0175名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/23(金) 18:24:24.67ID:w9sNOwpn0
>>173
好き嫌いではなく評価が高いかどうかの話なら2人とも十分に高い
っていうか歴史学者の本や論文を読んだことがないの?
それなのに歴史学界での話してんの?
しかも好き嫌いという好みの話を?

腐ってもここは学問板
0176名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 00:14:49.80ID:hHuRcUsQ0
>>173
長州閥に好意的な保守派からも井上の鹿鳴館と山縣の統帥権独立の評判が悪いのは仕方ない。
伊藤、木戸は全方位から評判が良いが。
0178名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 00:21:19.26ID:hHuRcUsQ0
しかし萩市にある田中義一の銅像が明治の元勲より巨大で笑った。

長州閥最後の帝王で良心あっただけに昭和の日本人からは明治の元勲より仰ぎ見る存在だったかもしれない。
0179名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 01:00:39.08ID:RoiCdTGv0
大山捨松とか陸奥亮子を鹿鳴館の華とか言ってるし。
猿真似扱いだろうが外交にとって必要だった。
0180名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 02:53:51.95ID:qmN5I9v60
>>116
「 手紙をありがとう しつかりした精神をもつて 元気で居ることを聞いて 喜んでいます
 国家は多事であるが 私は丈夫でいるから安心してください
 今度のような決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど 先生とあまりにちがつたことをいうことになるのでひかえて居ったことを ゆるしてくれ 

 敗因について一言いわしてくれ
我が国人が あまりに皇国を信じすぎて 英米をあなどつたことである
我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである

 明治天皇の時には 山縣(有朋) 大山(巌) 山本(権兵衛)等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独軍の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知らなかつたからです

 戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民も殺さなければならなくなつたので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである

 穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があったらきいてくれ
 寒くなるから 心体を大切に勉強なさい

九月九日 父より明仁へ」
0181名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 03:59:41.59ID:rYVTddlQ0
もしかしたら明治維新で絶対にいなくてはならない1人とは

高杉晋作でも坂本龍馬でも西郷隆盛でもなく

何が凄くて偉いんだが分からない様な井上馨その人かも知れない
0182名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 06:45:42.18ID:x/ThshVp0
>>179

陸奥亮子は美人
0183名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 12:04:26.69ID:Fe/+8Ila0
秀吉の直江兼続、小早川隆景、立花宗茂の評は有名だが偉い人の評が歴史的評とは違ってくることはあるだろう

吉田松陰は久坂玄瑞と高杉晋作を高く評価していたがさらに上に前原一誠を上に評していた
前原は萩の乱を起こしたがそういう性向が松蔭好みだったのかもしれない

偉い人も結構好みで評するところがある
0184名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 15:42:28.52ID:rYVTddlQ0
ちな井上馨と徳川慶喜はすぐ側で晩年を暮していた
どこかで挨拶ぐらいは交わしていたかもしれん
渋沢栄一を共に部下とした共通点もある

徳川慶喜は薩摩への恨みは終生消えなかったが伊藤博文の葬儀に出席したり長州には甘かったみたいだ
0186名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 16:18:15.37ID:RoiCdTGv0
中島三郎助と勝は仲が悪い。
桂小五郎は師匠の中島三郎助を尊敬。

西郷隆盛と勝は仲がいい。
長州は西郷を嫌悪

勝は木戸を過小評価と。
0187名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 19:39:33.27ID:ppYdl7lq0
勝自身も色んな人に色んな事言われてるしな
0188名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 19:47:55.81ID:PYSaC+H90
井上は鹿鳴館とかやって条約改正しようとした
内容も外国人判事を入れるとか酷い内容
改正は当然の権利という陸奥のおかげで改正できただけで長州は特に何もしてない
0189名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 19:51:38.13ID:RoiCdTGv0
青木周蔵って木戸の部下がいてな、そいつが色々と外交交渉やったんだよ。
0190名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 19:52:22.40ID:PYSaC+H90
伊藤、山縣、井上は力量が凄かったのかと言われると?だろう
単に維新の中心になった長州藩の末に属してたってだけで
0191名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 20:02:22.27ID:PYSaC+H90
木戸は現役軍人が政治に関与するのを危険としていた
伊藤や山縣は何も感じてなかった
会議をおこし万機公論に決すべしとしたが
議会など不要としていた
先駆者より遅れてて保守化利権化してたのが長州閥
0192名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/24(土) 21:39:44.09ID:rYVTddlQ0
木戸と大久保が共に10年は長生きしてたら明治維新は中途半端に終わらず名に理想は実現してたんだろ。
二人とも短命に終わったのが悔やまれる。
0193名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/25(日) 00:53:10.23ID:7uLwm3Ax0
長州藩どころか広沢真臣こそ幕末史に残された最後の大物
西郷隆盛に次ぐ賞典禄1800石は長州閥の筆頭格だったのではないか
0194名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/25(日) 06:11:06.02ID:lkdKb6b00
広沢真臣は官僚としての事務処理能力は凄かったが
それ以外にどういう才能があったのか?
0195名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/25(日) 12:57:29.66ID:gjyXuhxx0
それ国家運営では最も大事じゃないか。

惜しすぎる人が殺されてもんだ。
広沢の暗殺は大久保の暗殺や木戸の早逝より明治政府には痛手だったかもしれん。
0197名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/25(日) 20:53:13.11ID:BPE9/bzR0
木戸みたいな立憲主義者は憲法なしに行政や国会を規定しても瓦解するだろうって
立場だから、憲法の次に作る予定だっただけだよ。
木戸の弟分の伊藤井上は憲法の後にすぐ帝国議会作ってるし。
0198名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/25(日) 21:07:55.89ID:w75IYKO+0
在野の板垣らが騒いだから
20年頃まで作るわーと言っただけだからね
薩長の本音は政府の邪魔になるもんは作りたくないだろう
0199名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/25(日) 23:56:39.06ID:7uLwm3Ax0
板垣および土佐人は理想論が強すぎて現実の国家運営には無理
無理だからこそ薩長閥に排除されてしまったわけだ
板垣や後藤の征韓論の強硬主張は西郷を超えているだろ
0200名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/26(月) 01:07:12.43ID:+R1GUxG00
>>192
やはり木戸孝允と大久保利通が明治新政府の中心だったんだな。
0201名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/26(月) 01:30:32.78ID:+R1GUxG00
>>199
理想を求めすぎるからこそ土佐藩こそ維新の良心でもあったんだろうな。
佐賀藩は太平洋戦争で東北人に負けず劣らず無能すぎるバカ軍人を出しすぎたのが失敗だった。
0203名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/26(月) 12:34:32.12ID:xXHVjxtU0
二重鎖国が原因なんだろう佐賀人の堅物は西日本人でも極めて浮きだってる
0204名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/26(月) 20:03:46.83ID:mj9XWq2n0
土佐が理想を追い求めすぎとは思わないな
一番思想的に乾いた立場
薩長が保守化しすぎてただけで
薩長を守るためにが根源にあったため憲法も軍も都合よくして恐るべき破滅を導いた
0205名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/26(月) 20:08:06.81ID:mj9XWq2n0
>>192
木戸は先進的な所もあるが漸進主義なんでさほど変わらないだろう
軍の恐ろしさを知ってたから統帥権は全否定したろう
大久保はやってることは無茶苦茶で専制だがイギリス型憲法を目指してた分理念もあった
0207名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/26(月) 23:18:21.15ID:+R1GUxG00
勝海舟「木戸松菊は西郷、大久保などに比べると非常に小さい。」
0208名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 00:15:38.19ID:TdNst++R0
土佐人は在野の活動家でこそ最も力を発揮する
官製業は土佐人には似合わなさすぎる
0209名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 00:15:56.58ID:TdNst++R0
まさに坂本龍馬なんかがそれ
0211名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 01:30:01.32ID:c/qk6jF70
明治を作ったのは木戸の部下ばかり。
伊藤井上大隈陸奥山田青木山尾・・

西郷なんて長州派と大隈なんて糞馬鹿にしてたから、
わしがやった勝爺の人物評なんてあてにならんよ。
0213名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 03:03:48.79ID:hY9GHQ1D0
勝海舟を19世紀の日本で最高最大の政治家と評してたのが井沢元彦と司馬遼太郎
0214名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 03:19:38.80ID:c/qk6jF70
司馬も井沢も井上嫌いだからな。
井上に最も近い木戸も嫌いなんだろう。木戸は近代国家に必要なのはすべてにかかわってるから
認めざるを得ないんだろうけど。
0215名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 13:07:14.20ID:hY9GHQ1D0
木戸孝允いわく維新で絶対に無くてはならない人物とは大村益次郎だったと
0218名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/27(火) 23:38:35.23ID:TdNst++R0
理想と現実の両瓶をこなした伊藤博文こそ維新の良心

いやまじで
0219名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/28(水) 00:37:34.32ID:UCYR1qmu0
>>214
井沢はともかく司馬はそこまで嫌ってないぞ
むしろ井上と山縣を明治の大物だと褒め称えるような文言も多く残してる
0220名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/28(水) 01:22:51.20ID:UCYR1qmu0
井沢はアンチ長州だな
0221名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/28(水) 21:46:29.73ID:zgyyGW9k0
>>220
高杉晋作を超天才だと認めてるが
どうもその後の長州が井沢の考えだと良くなったようで
0222名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/28(水) 23:52:49.94ID:UCYR1qmu0
山縣と井上だな
0223名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 00:55:30.83ID:IasM3TiZ0
岩倉具視卿こそ明治維新で絶対にいなくてはならない人物や
0224名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 01:06:39.84ID:I/JZ0Uy10
なんか朝廷工作の達人でさえ木戸!みたいな木戸万能神説のウソあるけど
朝廷工作の達人といえば大久保でその中でやってたの岩倉だよなー
0225名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 01:44:21.39ID:IasM3TiZ0
長州人で日本を大旋回させるほどの力量を持った人物は
好悪は分かれても高杉晋作と山縣有朋だろ

井上馨も経済産業分野での功績が大きすぎるから井上も入れて高杉、井上、山縣こそ長州三巨頭。

木戸孝允は優秀で有能だが中堅管理職にすぎん。
0226名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 02:16:53.23ID:I/JZ0Uy10
高杉は日本史上最強の革命戦士
革命家じゃなくて革命戦士なんだよな
それをうまく軌道に乗せたのが山縣らだな
0228名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 03:43:44.41ID:aTqyRwCt0
>>221
たった一人で功山寺挙兵を起こすまで薩摩どころか長州藩内部も佐幕派に支配されてたからな
たった一人で日本の歴史を変えたなんて高杉晋作だけじゃないか?
0229名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 06:53:36.47ID:LxLOGY/l0
木戸が帰ってくるまで攘夷派がはびこってて伊藤井上高杉は
逃げ回ってただろ。
木戸が伊藤をつけ狙ってた輩を一喝してやめさせたから、
大旱の雲霓といったわけだ。

高杉は天才だけどいい加減すぎる。
0230名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 17:46:27.54ID:wrFE1JuA0
高杉はビン・ラディンが闘争に勝利して生き残ったのと同じ
0231名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 19:12:36.40ID:/uuGLNgk0
結局の所は明治維新って失敗じゃないの?
最後は敗戦して終戦だし
伊藤や山縣が作り上げたシステムが暴走して滅んだんだし
0232名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 19:16:32.70ID:/uuGLNgk0
司馬が明治維新を過大評価しただけでしょ
大阪人だから西日本を美化して書いただけで
源氏や徳川など東日本政権は長く平和を持つが平家や豊臣など西日本政権はすぐ滅ぶ
0233名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 19:23:47.74ID:2fualaXm0
>>229

>伊藤井上高杉は逃げ回ってただろ。

ニック・ボックウィンクルよりマシだ。気にするな。
0235名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 20:34:12.87ID:URikonXT0
>>232
藤原氏と言うのがいてだね
0236名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 21:24:45.27ID:aTqyRwCt0
>>223
岩倉は大久保、西郷など懇意で娘も西郷従道の息子と結婚してたり薩摩閥の一員かと思えるが。
実は岩倉の才能を一番に見抜いて世の表に出したのは土佐の中岡慎太郎で岩倉は終生に中岡に感謝しつくしてたらしい。
0237名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/29(木) 23:57:55.33ID:IasM3TiZ0
明治維新は高杉晋作で始まり田中義一で終わる
0238名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 01:08:46.51ID:7t+R9P1M0
その後は日本の国政を支配した逆賊藩の東北人どもが暴走して日本は破壊された
0239名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 01:30:33.26ID:7t+R9P1M0
東北人が元凶
0240名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 04:25:20.72ID:rp20wxmr0
その暴走できるシステムをつくったのがすべての元凶逆賊長州な
0243名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 08:52:51.24ID:EidKaXln0
>>228
高杉が功山寺で決起した際真っ先に駆けつけたのが伊藤
山縣は奇兵隊軍監の癖に大勢が判明するまで日和ってたチキン野郎
0245名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 12:58:15.84ID:0qKErtPp0
>>237
>明治維新は高杉晋作で始まり田中義一で終わる

これが真実かもしれない。
0246名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 19:11:31.28ID:sbbECOC50
山縣が大田・絵堂で敵を撃破して大勢をきめたんだよ、
創作では高杉の功績になってるけど実務で功績を上げてんのは山縣だ
0247名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 22:18:00.33ID:0qKErtPp0
山県有朋
わしは一介の武弁である
0248名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/30(金) 23:56:08.64ID:7t+R9P1M0
>>245
まさに明治大正は長州で始まり長州で終わったということやね
0249名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 00:51:46.26ID:GE/rstGi0
>>237
田中義一が吉田茂と外交方針の対立で激しく口論した後に外務次官に任命した当たり
さすがは長州人の懐は広いと感心させられるわ。

まあ長州人と土佐系という幕末の同朋意識も働いたかもしれないが。

田中義一亡き後は完全に長州閥は中央政界から排除されて賊軍の東北閥に支配された日本も狂った方向に流れてしまった。
0250名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 12:58:01.20ID:YKw6kewh0
土佐最高の偉人は岩崎弥太郎
0251名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 13:32:22.10ID:6KHuRmFY0
傲慢強欲のクソ馬鹿無能を超えた無能の集団長州が、どうなるかわかっていながら己の利権独占と私利私欲を追及した結果、軍が暴走できる国家構造システムに敢えてしたというこの大罪は国賊以外なにものでもない

ただ徳川にかわって天下をとろうとしただけの思案のない逆賊長州なぞ、徹底的に征伐のとき殲滅皆殺しにしなかったから頭の悪い馬鹿長州によってこんな杜撰な日本にされた結果が日本滅亡と国体の危機という
こいつらゴミ以下のカスだわ
0252名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 17:33:01.70ID:YKw6kewh0
>>249
やはり日本を泥沼の戦争に追い込んだのは東北出身者たちか・・
0253名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 19:38:54.64ID:27lLe2NI0
第二次大戦の外交方針を決めた松岡は長州
日清日露の時の外交は陸奥や小村で長州は絡んでない
不平等条約改正も陸奥や小村で井上の外交方針は冷笑されただけ
0254名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 19:45:53.68ID:27lLe2NI0
>>251
軍に政治が口出せない、軍は政治に一方的に口出せる
こんな体制を平然と作ってるんだから長州は美化されてるな
0255名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 20:08:24.79ID:YKw6kewh0
満州事変を起こして対中戦争を拡大させたのは石原と板垣の東北人な。
0256名無しさん@お腹いっぱい。垢版2022/12/31(土) 20:14:22.34ID:NSv7R2Zc0
薩長だ東北だと地域対立を煽るものがいるが、今を生きる氏素性など持たぬものの子孫たる我々には甚だ愚かしい

明治維新から大戦まで日本の権力を争ったのは西も東も上は皇族から下は下級藩士、郷士、豪農、医師、僧侶
要するに江戸期に苗字帯刀の身分を持っていたわずか10%の間の権力闘争であり江戸期に名字を持たない9割の人民は維新も明治から昭和の政治にも全く関与できていない

そしてその武士階級は近年そこに来ただけで元々東北でも長門でもない エトランゼである
武士階級は武士階級で婚姻し地元の農民とは全く隔絶している
インドのカーストと変わることのない階級世界である

本来長門農民と会津の農民の間には何らの確執もない
そして日本を対米戦に導いた陸海軍の高官や政治家の大半もまた武士階級以上のものたちで江戸期に名字を持たぬ者たちではない

薩長会津だのの争いは同じ穴の狢、貴族階級の中の権力闘争に過ぎないのである 
0258名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 00:16:52.55ID:OQV1ssZs0
太平洋戦争の指導者は逆賊である北日本出身の糞土人どもばかりだろ

木戸孝允の主張通り五稜郭に立てこもった逆賊どもを全員処刑にすべしだったのに惜しいな。

薩長閥主導でこそ日露戦争は勝利の栄光を手にしたのである。
0259名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 00:16:54.87ID:OQV1ssZs0
太平洋戦争の指導者は逆賊である北日本出身の糞土人どもばかりだろ

木戸孝允の主張通り五稜郭に立てこもった逆賊どもを全員処刑にすべしだったのに惜しいな。

薩長閥主導でこそ日露戦争は勝利の栄光を手にしたのである。
0260名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 00:16:56.53ID:OQV1ssZs0
太平洋戦争の指導者は逆賊である北日本出身の糞土人どもばかりだろ

木戸孝允の主張通り五稜郭に立てこもった逆賊どもを全員処刑にすべしだったのに惜しいな。

薩長閥主導でこそ日露戦争は勝利の栄光を手にしたのである。
0261名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 01:06:55.52ID:OQV1ssZs0
明治維新は高杉晋作で始まり田義一で終わる。
長州で始まり長州で終わるのだ。

その間に出現した薩摩、土佐、肥前は中継ぎとして最強のセットアッパー。
徳川幕府および逆賊は売国奴にすぎん。

日本国は長州の掌に存在してるのだ。
0262名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 01:24:20.31ID:7w1iWp8Q0
聖戦大東亜戦争は、京の大元帥、参謀総長筑前 軍令部総長土佐の陣容で開始した
0263名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 10:59:19.78ID:Q/7DRFwq0
長州をなんの分析もできてない無知無学のドアホはすぐ感情だけでこうやって同じ事を連投して力押ししようとするゴミ

長州を盲目にマンセーしてるやつなどこの程度の頭しかないバカ
0264名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 13:02:59.56ID:Y/BZO8Jt0
>>260
たしかに昭和の軍部は東北人でごりかたまっていたんだよな。
2.26事件も東北人が引き起こしてる。
0265名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 13:45:33.24ID:KU0iL1xS0
このようにモノを知らぬものがテキトーこいているがが二二六事件の将校は西日本出身者が主力で東北なんてほぼいない
0266名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 16:08:03.54ID:xwom7utZ0
二・二六事件を多少なりとも知っている諸賢ならこの事件に長州東北などという括りなどありはしない事は常識として理解しているだろう

襲撃された側が越前の岡田、大阪の鈴木、仙台の斉藤と高橋、愛知の渡辺、薩摩の牧野
青年将校が担ごうとしたのが江戸の荒木、佐賀の真崎、土佐の小畑、
長崎の柳川等である
犯行の青年将校は首魁が長州の磯部、因幡の西田、備前の野中、出雲の栗原、北海道の村中、美濃の安藤である

これの構図のどこがどうすると東北閥の反乱になるのか
むしろ西日本の犯行にしか見えない

このようなあさっての主張をする一つの要因としてフィクションをまるッと信じているということが考えられる
青年将校が部下である東北出身の兵の姉や妹が昭和の大凶作で苦海に身を沈めたのに同情と義憤を覚えたというやつである

こんな話がおかしいのはすぐわかる 青年将校の所属は第一師団であり第一師団の兵は東京から徴募されており兵に東北人などいない 
こんな理由で反乱するなら仙台第二師団か弘前第八師団になるはずで第一師団なんてそもそも工員やリーマンで農民などほとんどいない

高倉健と吉永小百合の主演した映画動乱がそういう筋立てでこれを信じちゃったそそっかしいのがそのまま事実として伝えてしまって今日に至っているのではないか そう考えられる
0267名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/01(日) 20:13:57.86ID:MhbQI7Bh0
ありもしない東北閥だの派閥を作り上げ実際にあった長州閥を正当化しているのである
東北閥などあったら全国から批判を受けるだろう
長州閥が作り上げた軍主政従国家が破滅をもたらしたのも責任転嫁しているのである
0268名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 00:38:46.30ID:Ra5bDYlx0
太平洋戦争の指導部は東北土人ばかり
東北土人こそ諸悪の根源
東北閥が元凶
0269名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 00:39:26.24ID:Ra5bDYlx0
長州閥が作った明治日本を破壊したのが東北閥
0270名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 00:43:52.17ID:Ra5bDYlx0
日露戦争の勝利は長州閥の大栄光
0271名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 07:14:28.58ID:VpWU8bg10
どっかのスレにもいたな
新潟は東北だとか謎主張していたガイキッチ
0273名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 13:52:44.56ID:5zk7M+LE0
高杉晋作たった1人が出てこないと長州藩も佐幕の俗論派に支配されたままで明治維新も存在しなかった
高杉晋作たった1人で歴史を変えたともいえる
0274名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 14:33:54.03ID:5zk7M+LE0
維新三傑や坂本龍馬よりも高杉晋作こそが幕末人物の一等地だと評していたのが田中光顕と三浦梧楼
0275名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 20:25:47.26ID:Y1HEN0fq0
長州は暴走内ゲバしてただけだろ
高杉にどういう主張があって内戦したかも不明だし
分かるのは攘夷を公約にして実行した久坂くらいだな
後は功利主義で動いたくらいじゃないか
0276名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 20:48:33.72ID:bQWpPB4K0
功利主義は別に悪いことではない
0277名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 20:56:57.53ID:Y1HEN0fq0
功利主義で内戦内ゲバしまくっただけだから迷惑な話だ
目的は功利的にただ権力を握るためだけだったわけだよな
0278名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/02(月) 21:59:01.68ID:5zk7M+LE0
>>168
江藤新平も必死に持ち上げてる
佐賀藩が好きみたい
0279名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 00:23:55.58ID:HsrQROCZ0
功利主義と利己主義が混同されている?
0280名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 00:58:06.04ID:FhBByNPh0
そもそも佐幕側が日本より徳川王朝の存続のみを考えてた売国奴や

それに比べたら薩長の志士連中は巧妙主義はあったとはいえ自藩の利権より日本の国益を第一に考えてたわ

大欲は無欲に似たりを実践したのが薩長の志士
0281名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 00:58:41.72ID:FhBByNPh0
〇それに比べたら薩長の志士連中は功名主義はあったとはいえ自藩の利権より日本の国益を第一に考えてたわ
0282名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 00:59:24.43ID:FhBByNPh0
自ら世襲大名制度を廃止にして自藩を朝廷に返上した毛利敬親は神
0283名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 02:06:34.81ID:FhBByNPh0
>>278
江藤なんて石田三成みたいに傍にいたなら息苦しくて仕方ないだろ
0284名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 02:43:24.94ID:lkcRv58n0
>>282
敬親のそうせい、良きに計らえという態度が大きいな。これなかったら維新ないもんな
あと薩摩の斉彬

この2人は近代になって正一位を贈位されるだけあるな
0285名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 05:51:11.80ID:nXXvNofm0
>>283

大河ドラマ「翔ぶが如く」の江藤新平はファナティックで良かったw
0286名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 19:50:21.91ID:m54qxdcy0
日本を第一に考えてたのは大政奉還した徳川
薩長は自藩の為に不要な内乱を起こしただけで廃藩置県を当時から考えていたら戊辰戦争も必要ないはず
権力握るのが目的で近代化政策は後付けだった
薩長閥を作ったのも憲法をドイツ式にしたのも権力の温存が目的で幕府より酷いかった
0287名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 20:31:34.77ID:HtGRwMlD0
木戸、井上、伊藤、大隈、大久保あたりは急進的、漸進的の差はあれ
立憲主義者だろ。
憲法決めて民法刑法におろしていかないと
明治政府の悲願の不平等条約改正できないんだから。
0288名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 20:54:58.25ID:m54qxdcy0
戊辰戦争なぞは藩同士の権力闘争に過ぎない
当時廃藩を考えていたならやる意味がない
薩長は自藩の為にやっただけ
0289名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 22:42:33.90ID:rUBBVAQU0
幕府側で偉くて賢いのは大政奉還を決めた徳川慶喜と推し進めた勝海舟ぐらいだろ?
それ以外の佐幕派連中は頭が悪すぎる利権まみれの世襲利権集団よ。

とくに会津の連中は蝦夷地を外国に売り渡す寸前までいって日本の国益を度外視してまで世襲利権を守ろうとした最悪の国賊集団。
0290名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 22:53:46.92ID:HtGRwMlD0
近代的な革命を主張実行したのは木戸長州派だけなのに、
最も固陋だった佐幕派もできたとかいう現代の自称識者がいるのが悲しい。
0291名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/03(火) 23:17:20.67ID:rUBBVAQU0
しかし血みどろの抗争に発展してた長州藩の正義派と俗倫派を纏め上げた広沢真臣さんの手腕は超一流。
もしや政治力は木戸孝允以上かもしれないぞ。
0292名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/04(水) 01:37:52.03ID:D7h44OO00
もはや無名の超大物こそ広沢真臣
0293名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/04(水) 01:46:32.53ID:D7h44OO00
>>290
木戸孝允のいうように逆賊にすぎない会津の残党を抹殺すべしやったのに
0294名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/04(水) 03:04:22.82ID:DGp/+RE+0
伊藤博文って何回も名前変えてるけど、周りからは何も言われなかったのかねえ?
0295名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/04(水) 12:08:00.03ID:t88TmnQA0
>>293
反乱したのを全部抹殺してたら田中義一も首がとんでたな
0297名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/04(水) 15:56:31.00ID:Q8/z/W3G0
>>291
大久保利通もだが、まことに暗殺されて明治政府の大損失だったのは広沢真臣じゃないか?
墓が東京の松陰神社にあるみたいだから今度お参りしてこようっと。
0298名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 01:06:45.80ID:HiK9JVIK0
少なくとも幕末の長州藩において絶対にいなくてはならない一人こそが木戸孝允でも高杉晋作でもない広沢真臣なんだろ
西郷の次の賞典禄1800石が証明してる
0299名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 01:13:34.56ID:HiK9JVIK0
広沢の墓は世田谷の松陰神社だな
0300名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 05:50:23.46ID:hiojnFSH0
松平春嶽
「頗る人物なれども、大久保、木戸の比にあらず。しかしながら、地方のことには大いに注意、大功労ある人なり」
「広沢参議は、木戸に次ぎたる英雄にして、すこぶる練熟し徳望ある也。衆人之望を帰し、威ありて不猛、
勤王の志十分にして、
その深切なるは誰々も感ぜぬものはなし。木戸と相伯仲せり」
(ウィキペディア)
0301名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 11:54:26.88ID:iJYg0K2s0
木戸孝允は司馬遼太郎に逃げの小五郎などと言われたが、確かに命を狙われる事が多々あったがうまく逃げ延びている 危機察知能力が高いという事だろう

昭和の時代にもやたらに命を狙われた男がいてそれが牧野伸顕
牧野の暗殺計画は2桁に達しており狙ってくる相手も様々だったが牧野はそれらを全て凌いで生き延びた 暗殺に強い点でヒトラーの尻尾くらいの人物である

三傑の大久保利通はあっさり暗殺されたが、薩摩の大久保の倅の牧野が長州の木戸孝允の逃げ足を受け継いでいるのも不思議なものである
0302名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 13:48:34.82ID:qOsY7MAu0
やはり大久保といえども子供を徹底優遇してるのか
ここは木戸も山縣も伊藤も同じく。

真に子孫に美田を残さずを実行したのは板垣退助と西郷隆盛ぐらいか?
他に聖人としか思えない明治の元勲がいるなら教えてくれ
0303名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 14:33:57.48ID:9m8SSyNL0
勲功華族は一代限りとすべし、それを貫いたのは板垣くらいだろうが、家を残すのは家長の役目でもあり、子孫が残したものに答えられるだけの器量があれば、当時の価値観としてはそれも是だろう

美田を荒廃地に変えたのなら珍しくはない
岩倉具視、後藤象二郎のところの子孫は見事なもの、三文小説でもよう書かなさそうなボンクラぶりで家を一気に傾けた
0304名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 16:01:41.51ID:qOsY7MAu0
広沢さんの息子も伯爵になってる。
江藤新平の息子も国会議員さ。
これでは四民平等を目指した明治の理想とは残念ながら遠い。

実子が一人もいない高杉晋作が長生きしてたなら西郷隆盛みたいに子孫に美田を残さずを地で行ってたかもしれないが。
0305名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 16:20:42.31ID:kABJHK3q0
西郷隆盛は残さなかったんじゃなく残せなかったんじゃないか
反乱軍の首魁だ、と言ったところで息子は侯爵、弟の従道も侯爵、従兄弟の大山巌は公爵と一族大繁栄 これで残してないと言われてもな とは思う
0306名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 16:28:23.22ID:jmYjAmok0
四民平等と言ったところで明治から昭和の支配層は士族以上がガッチリで農民だの町人はお呼びではない

戦前の首相で明治以前に苗字を持たなかった家系のものは確かいないはず 恐ろしい事に戦後でも多くの首相が江戸時代から名字帯刀の家柄が大半だからね

最近親ガチャなどという言葉があるが、何を今更で戦前のガチャは今現在の比ではなかった
0308名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 17:54:34.57ID:2m38KmwT0
木戸も伊藤、陸奥、田中不二麿、河瀬秀治も嫁が芸者だしな。

そういう身分に緩いところは長州一派にはある。
0309名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 18:11:43.92ID:qOsY7MAu0
土佐藩は板垣退助も偉いが中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太にも嫁はいても実子がいなくて直系子孫無しで美田を残していない。

まさに四民平等の理想を貫いていたのが土佐藩。
恐るべし土佐藩。

薩長に佐賀まで最後は藩閥に固まったが土佐藩だけが明治維新の良心である。
0310名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 18:19:46.00ID:8W0SXXFt0
土佐といえば岩崎弥太郎が日本最大最高の美田を子孫に残し、さらにそれに蝿の如くたかる後藤象二郎の一族
0311名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 20:16:48.23ID:ona7GipX0
>>304

> 実子が一人もいない高杉晋作

いたぞ
0312名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 21:45:10.27ID:qOsY7MAu0
調べたら一人だけいたみたいだな。

こうなりゃ大物長州藩士で生涯独身は飽くなき理想郷を追い求め続けた永久革命家の前原一誠だけかな?
0313名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 21:51:40.45ID:qOsY7MAu0
おっと久坂玄瑞を忘れてた。
長州と土佐に実子なしの革命に命をささげた志士が多い
0314名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/05(木) 22:52:26.98ID:nUAizHh40
実子がいないのが良いのかどうかわからんが革命家に子供がいないのは確かに多い
フランス大革命のロベスピエールにサンジュスト、ロシア革命のレーニンにトロツキー、スパルタクス団のローザルクセンブルクにリープクネヒト

と言っても彼ら彼女らも大抵結婚してて子供ができなかっただけだろう
久坂玄瑞も嫁はいただろう
0315名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 01:01:41.06ID:FITRkOFv0
まさに革命に身命を捧げんとする烈士であろう。
前原一誠なんて革命人生そのもの。
0316名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 01:10:57.03ID:FITRkOFv0
>>309
我々日本人が明治維新を肯定的を捉えることができるのも土佐藩あればのことこそ
薩長と徳川幕府の抗争だけなら米国南北や戦争朝鮮戦争のごとく流血戦の事態を招いていたであろう
土佐藩士は日本の救世主である
もちろん会津と長州の遺恨は残されてしまったが
0317名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 01:24:27.85ID:FITRkOFv0
〇 薩長と徳川幕府の抗争だけなら米国南北戦争や朝鮮戦争のごとく流血戦の事態を招いていたであろう
0318名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 01:36:44.90ID:+BwzdYPg0
実際に攻めて会津を散々ディスってる乾退助はなぜか許されて、長岡に行ってて会津攻めには参加してない
長州だけ恨むのは頭がおかしい。

薩摩と土佐をうらめよ。
0319名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 01:53:48.84ID:FITRkOFv0
木戸孝允が命じた会津藩士の斗南送りが影響してんじゃないか
0320名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 03:43:58.06ID:xOFQv3VD0
>>305
それでも陸軍大将兼参議という明治最高級の官位も名誉も自ら捨てて一平民に成り下がった西郷南洲翁は偉すぎるよ

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ始末に困る偉人とは西郷南洲翁のことなり
0321名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 08:28:34.73ID:+BwzdYPg0
尾張藩も青葉松事件で家老を三人切腹とか佐幕派の大粛清してるし、
北海道移住してヒグマと闘ったりして苦労してる。
しかもアホの弟二人の助命までしてる。

会津だけしつこいし、しかも嘘ばかりってる。
0322名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 19:36:29.16ID:xOFQv3VD0
んまあ今も昔も右も左もどいつもこいつも他人の利権だけは偉そうに批判するくせして自分の利権だけは意地でも守りたがるからな

そんな中で子孫に美田を残さずを実行した多くの土佐藩士や極一部の長州人だけは幕末史どころか日本史における奇跡なのであろう
0323名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/06(金) 20:08:29.99ID:zgU4xLGJ0
土佐は山内と長宗我部の遺臣二重構造
地生えの大名で完全に潰されたのは最上、里見など他にもあるが遺臣が郷士として幕末までこれほど残存したのは土佐だけじゃなかろうか
非常に特殊な土地柄だと思う
0324名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 01:09:05.13ID:cvRpiVI80
吉田松陰の遺伝子を真に受け継いでる前原一誠みたいな狂信者は、
維新革命初期には大いに役立つが維新革命後の新政府には本来の敵であった旧幕臣より邪魔者になる。

やはり主義主張は関係なく狂信者が役立つのは露払いだけで安定期には用済みか。
0325名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 01:19:27.40ID:cvRpiVI80
>>322
子孫に美田を残さなかった土佐人は偉すぎるが理想論が強すぎて現実の政治に対応できなかったんだろう。
まあ幕末の土佐人は22世紀の日本を生きていたんだと信じたい。
0326名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 08:32:58.35ID:FoPCgZgQ0
土佐出身の首相は濱口雄幸と吉田茂
いずれもリベラルの大人物だが、自由民権の板垣といい自由な気風なんだろう

軍閥関係の本に書いてあったが長州、佐賀、薩摩など陸海軍中に藩閥を作る中で土佐は大将の数は負けていないが、土佐閥的なものはなかったと ただ個々人がそれぞれ大将というだけで周りに土佐人が集まってということがなかったらしい
0329名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 14:00:09.92ID:LpoBk03l0
>>322
>まあ幕末の土佐人は22世紀の日本を生きていたんだと信じたい

21世紀の今日の日本人ですら自民党も野党も右も左も関係なく世襲支配に利権まみれで反吐が出る
我々日本人が四民平等を実現した幕末の土佐藩士に追いつくのはまだまだ先の話か。。
0330名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 14:00:32.71ID:LpoBk03l0
>>325
>まあ幕末の土佐人は22世紀の日本を生きていたんだと信じたい

21世紀の今日の日本人ですら自民党も野党も右も左も関係なく世襲支配に利権まみれで反吐が出る
我々日本人が四民平等を実現した幕末の土佐藩士に追いつくのはまだまだ先の話か。。
0331名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 19:10:44.77ID:/ilzEW110
四民平等は長州藩だと思うよ。
農兵を組織した伊藤や山縣が力を持って徴兵制を主張したからでしょ。
0332名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 21:35:49.59ID:WNKW1z8u0
伊藤や山縣自体が貴族化しているからな
華族とか新貴族制度作ったのも伊藤だし
木戸までは分かるが伊藤や山縣に理念があるのか疑わしい
0333名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 21:42:08.05ID:WNKW1z8u0
土佐は幕末に死に過ぎたな
路上で死んだ志士は土佐が一番だったとか司馬も書いてた気もするし
龍馬や中岡なんて徒手空拳で幕末に活躍したんだから明治の方が活躍できたろう
特に周旋が得意だったので伊藤の様に重宝されたろう
0334名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 21:55:10.54ID:LpoBk03l0
これでは徳川幕府から薩長幕府に鞍替えしただけじゃないかという嘆き声も分かる。

大久保利通が暗殺されないで10年は長生きしてたなら藩閥政治は存在しただろうか?

もし大久保利通が長生きしても大して変わらないなら、やはり派閥を嫌う土佐人こそ救世主だったのか?
0335名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/07(土) 22:01:27.76ID:WNKW1z8u0
大久保が薩長で固めた人物だろう
有司専制と批判された
留守政府は土佐や佐賀の方が勢いがあった
薩摩や土佐が下野したからバランス取るため幕臣をちょっと入れただけで美化されてる
0336名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 00:34:08.68ID:ZFToiUEm0
幕末の土佐藩士どれだけ近未来を生きていたんだよ
0337名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 00:47:55.18ID:ZFToiUEm0
幕末では前原一誠こそ永久革命家にふさわしいかもしれんが。

あの辞世の句はかっこよすぎて涙を誘う

前原一誠こそ一切の奢侈に流れずに維新革命のみに身命をささげた永久革命家
0338名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 03:47:50.94ID:y5yImfzC0
土佐なら後藤象二郎はもっと評価されるべき大物
0339名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 03:48:00.20ID:y5yImfzC0
土佐なら後藤象二郎はもっと評価されるべき大物
0340名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 03:49:27.19ID:y5yImfzC0
子孫には美田を残してるが
土佐藩なら後藤象二郎はもっと評価されるべき超大物
0341名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 03:57:59.01ID:y5yImfzC0
3連投すまん
0342名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 11:41:22.49ID:vUj12xwI0
後藤は維新後が酷い
武家の商法を地で行き失敗の数々で主家にも迷惑をかけ岩崎家に泣きついてなんとかしてもらう

息子の猛太郎、孫の保二郎とこれまた象二郎そっくりで借金拵えては岩崎家にたかるの繰り返し
岩崎と後藤は縁組した親戚で後藤象二郎が残した美田の最たるものが岩崎との関係だった
0343名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 12:35:31.27ID:iLTubNNI0
維新の元勲たちも二代目以降は政治力はないものが大半で中には岩倉、後藤のように落ちるところまで落ちたのもいる

その中で昭和においても政治力を有していたのは大久保利通の次男の牧野伸顕伯爵と木戸孝允の甥の息子の木戸幸一の2名である

牧野は新英米の巨頭として右派からテロの目標となっていたが年も年で戦争に至る過程に何がしかの抵抗もできなかった 女婿の吉田茂が蟷螂の斧を振るった程度
0344名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 13:05:21.31ID:WVMXyUOk0
一方の木戸幸一は政治的才能を謳われていた牧野と違い、華族でなければ政府高官になる事などないといわれる凡才で取り柄は官僚的生真面目さだけ

だがその生真面目さが昭和天皇に受けた
昭和天皇は真面目な人間が好きで真面目でホウレンソウがしっかりしているからと東條とか木戸とかを信頼していた
一方田中義一とか杉山元とか大雑把な人間は嫌いだった

そして木戸幸一は元勲の家、侯爵であるが故に内大臣となり日本の命運を左右した
0345名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 13:08:29.26ID:y5yImfzC0
福沢諭吉は後藤象二郎を依怙贔屓してた。
現代社会では歴史の忘却と化してしまってる後藤象二郎と田中義一の二人だが
明治、大正の日本では二人の威光は山縣、伊藤、井上の長州三尊より輝いてたみたいだ

こんな感じで平成の日本政界を間違いなく支配してた小沢一郎、小泉一郎のダブル一郎も50年後には記憶から忘れ去られているのだろうか
0346名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/08(日) 13:18:27.97ID:CemV3KsG0
1941年10月に近衛文麿が対米戦争自信なしとして内閣を投げ出した
その後任首相に近衛は東久邇宮陸軍大将を推薦した 東久邇宮を首相にし皇族内閣の威光を持って日米交渉妥結を図ろう これが近衛の考えであり当の陸軍の東條もこれに賛成

ほぼ決まりかけた東久邇首相をひっくり返したのが木戸である 木戸は開戦は避けられず皇族内閣で開戦したら皇室の責任になると考え開戦責任を被せる最も適任者として東條を首相に推した 押しまくった

これで開戦は決定的となり日本は惨めな敗北を喫し東條は絞首刑となり皇室は安泰となった
木戸の先見性は恐るべきものがあるが皇室安泰のため犠牲になった庶民はたまったものではない

木戸が余計な事をせず東久邇内閣ができれば日米交渉では一気に譲歩ドイツとの同盟破棄という荒技も可能だった 東久邇宮は現役の陸軍大将であり今まで散々陸軍が使ってきた陸相辞任後任出さずの手は封じられているからである だから近衛は東久邇宮を推した

東久邇内閣でも開戦したかもしれないが少なくともやる価値はあった 大東亜戦争の最大のキーマンはある意味で木戸だった 浅い考えで歴史を変えた男それが木戸幸一である
0347名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 01:21:21.17ID:KljTPp0M0
土佐藩士がいなければ明治維新はフランス革命やロシア革命のごとく流血陰惨なものになったのはそのとおり。
なにしろ京都で幕府に殺されすぎたのに日光東照宮野焼きうちに反対して会津戦争後でも藩主を許してしまうほどの広すぎる大御心は土佐藩士だけ。
0348名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 01:26:13.76ID:KljTPp0M0
勝海舟を嫌っていた福沢諭吉が後藤象二郎だけは依怙贔屓してた理由を知ってる人がいるなら書いてくれ。
0349名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 02:01:55.81ID:KljTPp0M0
>>334
大久保利通は太政大臣になるべきやった
0350名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 12:35:01.05ID:bO7CusVM0
大久保も結局自分で権力掌握して自らの主導でコントロールしたいだけの人
大した人物ではない
0351名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 13:29:10.59ID:cMZxEvmU0
>>347
そういや昭和までは高知県人の職業人気一位は弁護士だったみたい
あれだけ土佐人は会津新選組に不条理に殺されまくっときながら加害者を弁護する寛大精神は土佐藩士の末裔から来てんのかと
不正を許せない佐賀人なら会計士が多かったみたいだがな
0352名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 13:34:39.08ID:cMZxEvmU0
>>350
そこは最高権力を手にしたとたんに猛威を振るったあたり井伊直弼と大久保利通は似た者同士かも。

国家の最高権力を自ら捨てて一平民に成り下がった徳川慶喜と西郷隆盛は聖人君子かも。
0354名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 16:13:41.27ID:bO7CusVM0
>>352
井伊とはまた違うね
井伊はやらなきゃならないことは決まってるのに、誰もが嫌がって避けてそのなり手のないポストに敢えてついて、ヘイトかうのわかってながら自己責任においてやるべきことをやって停滞してた政治に推進力を与え前進させた人

大久保は自分より優れた人が数多いるのにもかかわらず、それらを押し退けて権力を手中に入れて、自分主導のもとすべてをコントロールしようとした人
0355名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 16:20:24.23ID:bO7CusVM0
土佐が理不尽な殺され方したのは藩内の内ゲバと階級闘争においてだろ

普通に新撰組や会津に殺されたのはテロなんかやる自業自得によるもの
0356名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 16:34:24.51ID:GqBLzU0G0
土佐人は海援隊で一番優秀な近藤長次郎切腹に追い込んでるからな。
長州だとそういうことはしない。

上士の井上と足軽の伊藤が英国渡航費用の藩費300両を女郎通いで散財するような
人たち。
0357名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 17:18:18.49ID:bO7CusVM0
そんなことない
長井、周布、椋梨…まだまだ挙げてきりがないくらい長州は土佐を超える内ゲバだらけ
0358名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 17:33:24.89ID:bO7CusVM0
長州一優秀な長井を
いや、日本トップレベルの優秀な長井雅楽を切腹に追い込んでる時点で長州は海援隊の近藤などとは比較にならんほどだわ
0359名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 17:54:22.24ID:cMZxEvmU0
ついに井伊直弼の再評価論まで出てきたのか?
妖怪である鳥居耀蔵を主人公とする歴史小説を書く直木賞作家もいるし

ここまでくると反薩長史観の進行も醜すぎる
0361名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 18:18:55.07ID:cMZxEvmU0
しかし記念すべき大河ドラマ一作目の主人公が井伊直弼なのもなんだかなあ
0362名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 18:47:16.24ID:GqBLzU0G0
長州好きからみて早世しておしかったのは
小松、橋本佐内、大村の三人だな。
あとはまあまあだな。
0363名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/09(月) 19:10:22.91ID:FWKeEuPE0
船橋聖一が連載していた時期は、敗戦後まだ間も無くで戦前の価値観が大きく転換した時代
戦前の楠木、新田のような忠君ものが敬遠、幕末の水戸や脱藩浪士のような過激な攘夷派も戦前軍部の行動に被る 戦前は全然扱いの悪い開国派の井伊直弼が反動で見直された格好ではないだろうか

大河も戦後18年、まだまだそういう雰囲気もあっただろうし何より原作が人気あったからね
0364名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 00:56:26.07ID:LXdF/1t60
我々日本人が明治維新を肯定的に捉えることができるのも土佐藩あればこそ。

もし薩長と徳川幕府の抗争だけならフランス革命やロシア革命のごとく前の王朝支配層は一族郎党が皆殺しにされてたであろう。

残念ながら会津と長州の抗争だけは残ってしまったがな。
それでも土佐藩の寛容性が明治維新に注入されなければ陰惨な流血革命になっていただろう。
0365名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 01:17:25.18ID:LXdF/1t60
>>359
澤田瞳子だな
0366名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 01:32:36.15ID:LXdF/1t60
井伊直弼が長生きしてたならはポルポトになってたといえよう
0367名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 01:54:22.32ID:LXdF/1t60
土佐藩の大政奉還建白書こそが徳川慶喜をルイ16世にさしめなかったのである。
0368名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 12:51:49.89ID:TOFzyOhc0
司馬遼太郎「井伊直弼みたいに賄賂でも何しても動かない奴は暗殺するしかない」

さしずめ今ならプーチンかよ
0369名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 14:58:48.87ID:jyBYdm+Q0
慶喜や容保の首が繋がったのは海外に対する世間体もあった
戊辰戦争の直前に集結したアメリカの南北戦争では敗者の南部連合大統領ジェファーソン・デイビスや南軍最高司令官リー大将以下首脳達は誰も死刑にならず、それどころか日ならずして恩赦され自由の身となった

この結果は日本にも伝わっており戊辰戦争の後始末に相当の影響を与えたと考えられる
慶喜や容保の首をすっ飛ばしては列強からアメリカインディアン同様の蛮族扱いされるのは必至である
0370名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 20:08:20.87ID:qMuuxURA0
慶喜の首は取れんでしょ大政奉還、江戸無血開城と第一の功労者だし
徹底抗戦してたら日本が西と東で割れてどうなってたか分からない
結果容保も地方の反乱程度で片付いたし
0371名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 20:16:16.67ID:qMuuxURA0
最近は大した影響はないと言われるが
坂本龍馬や中岡慎太郎が生きて居ればまた歴史が変わったかも知れん
大政奉還や討幕の薩土の連携はこの二人が居たからできた
後藤は西郷ら薩摩にそこまで信用されて無かった
0372名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/10(火) 22:01:14.39ID:TOFzyOhc0
幕末の大物はいくらでもいるが
幕末を到来させてしまった大物は井伊直弼一人のみ
0374名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 00:46:48.03ID:7jcY29kr0
なぜか福沢諭吉は後藤象二郎を依怙贔屓してたぜ
0375名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 01:02:52.13ID:7jcY29kr0
>>368
井伊直弼しかり織田信長しかり暗殺でしか止められんかったな
0376名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 01:14:16.07ID:7jcY29kr0
長州閥こそ日本の至宝
0377名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 01:57:15.13ID:7jcY29kr0
大村益次郎こそ救国の英雄なんです
0379名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 10:31:25.73ID:fEkgbIQs0
幕末を到来させた人物は井伊でなく阿部正弘だろ
0380名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 12:52:19.51ID:NvlGyXF+0
阿部正弘と勝海舟は左右両派から批判されることが少ない貴重な幕臣。
0381名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 14:30:47.23ID:hLNdZcdE0
井伊がポル・ポトになったとかなんとも恥ずかしいほどの無知無学
0382名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 14:50:26.30ID:NvlGyXF+0
洋学は一切認めないという井伊直弼が大老のままで長生きしてたなら日本は自滅していただろうが。

これが竹やり戦法を生み出して敵性言語の英語の使用を一切禁止だとした太平洋戦中の日本だが。
0383名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 15:23:15.71ID:fEkgbIQs0
>洋学は一切認めないという井伊直弼が大老のままで長生きしてたなら日本は自滅していただろうが。

自ら無知無学を証明して恥を晒すという斬新なスタイルに草
勉強し直しなキミ
0384名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 18:11:46.39ID:NvlGyXF+0
だったら井伊直弼が西洋流兵法を取り入れた証拠を出せよ無知無学バカ。
0387名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 19:20:54.18ID:ekOY9NrQ0
>だったら井伊直弼が西洋流兵法を取り入れた証拠を出せよ無知無学バカ。

西洋流兵法wwwなんぞそれwwww
自らのレスで己の無知無学さを勝手に証明していってくれる超絶バカなのはよくわかった

井伊直弼が洋学は一切認めないとかいう
無知ゆえに言ってるのか、それとも大嘘ぶっこいてるのかどっちでもいいが、主語大きくでたらめを連投すんなやうぜーから
0388名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 19:25:00.19ID:ekOY9NrQ0
セイヨーリュウヘーホーはマジうけたwww
0389名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 22:00:47.64ID:NvlGyXF+0
>>387

おいアンチ薩長の井伊直弼バカ信者

井伊が洋学なんて一切認めてねえだろうがボケがw
0390名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 22:07:30.58ID:NvlGyXF+0
日米修好通商条約を結んだから開国派だとか本気で思ってんのか?

国内向けでは権現様の祖法とやらを厳守で洋式、洋学は全て禁止が井伊の政策だっただろうか

少しぐらい勉強しとけよ無知無学無能のクソバカぼんくら野郎がwwwwwwww

反薩長が行き過ぎて井伊直弼まで擁護とは腐るにもほどがあるわなおおおおおおおwwwwwwww
0391名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/11(水) 22:15:27.41ID:NvlGyXF+0
しかし安政の大獄も知らん無知無学無能のクソボケナスも実在したとはwwwwwww
歴史を語るなゴミがwwwwww
0392名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 00:05:04.30ID:IUTyG7tU0
井伊は橋本佐内と吉田松陰を刑死させたのが愚かすぎる
その後の会津新選組による土佐長州の浪士斬りも醜いものがあった

無能すぎる幕府側は糞塗れの土人ばかりだなと
0394名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 01:12:57.01ID:IUTyG7tU0
>>385
とんでもねえ時代遅れだな佐幕派のゴミは
0395名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 01:14:10.66ID:IUTyG7tU0
>>385
とんでもねえ時代遅れだな佐幕派のゴミは
0396名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 03:36:26.62ID:Qp5qYbvx0
>>392
昨日やっと世田谷の松陰神社に参拝に行きました
何故か吉田松陰の墓より広沢真臣の墓碑が巨大すぎて驚いた
やはり幕末長州藩の巨頭は木戸孝允より広沢真臣じゃないかな
0397名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 07:53:49.74ID:pf62bhrn0
韓国のアイドル「韓国史は情報量が多くない。数週間勉強すればいいw」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1673424147/
僕は歴史を勉強するのが好きだが、韓国史はなんだか情報量が多くないという感じ。

簡単に数週間勉強すればいい、というか。短編小説のような感じ。他の国は終わりがない。
様々な国の歴史を勉強したが終わらない。韓国史は渤海以前はあっという間に終わって、
三国時代以降は勉強するところが少しある程度。思ったより簡単だなと感じた」

属国の歴史だからなw
0398名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 12:29:50.70ID:Qp5qYbvx0
真の明治維新三傑とは西郷、大久保、広沢かもしれんね
0400名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 19:49:34.28ID:P/LEUpXi0
西郷がワシより上と言ったのは久坂、その久坂が西郷より上と言ったのは武市、武市が英雄と褒めちぎったのが坂本
やっぱ人気は坂本に帰ってくる
0401名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 20:30:15.07ID:wxMdytQF0
坂本が尊敬したのが勝海舟
その勝が褒め称え死を悼んだのが徳川家茂公
家茂公が長命であれば維新は違った形となっていたであろう
0403名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 22:21:41.13ID:eIdkiSAz0
坂本、勝、家茂←全部大していらない人挙げる(笑)

特に坂本なんて幕末のプレイヤーだったかすら微妙
今で言えばかなり市井のフォロワーがやたら多い活動する政治系ツイッタラー、ユーチューバーってだけなのに
そのツイート、YouTube動画を懐かしんでホルホルされても・・・ね?
0404名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 22:24:57.97ID:Qp5qYbvx0
武市半平太は一流の政治家として必要な権道を行えなかったのが弱い
0405名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/12(木) 22:26:50.91ID:Qp5qYbvx0
土佐の吉田松陰が武市半平太
自藩の殿様に殺されたのか天下の大老に殺されたのかが吉田松陰との違いだが
0407名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 00:30:13.87ID:KirtPWkL0
応需進斎の浮世絵「開明貴族表」ってのを見たんだが、
まー見事に各人の特徴捉えてんだよな
写真見て描いたんかな?
素晴らしいまでの特徴の捉えっぷりを踏まえると
これに描かれてる西郷隆盛が一番実像に近いんじゃなかろうか?
0408名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 01:54:23.33ID:vJojmWFC0
しかし他藩の一部の志士からも西郷より上と評されてた武市半平太の死は惜しすぎる
山内容堂も悔やんでたみたいじゃないか
0409名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 01:55:24.40ID:vJojmWFC0
なんとなくだが清河八郎と武市半平太は似てる感じがする
0410名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 03:57:13.69ID:MJQH/H1D0
吉田東洋は小松とか周布、長井みたいなもんだろう。
西郷も長州一派も暗殺してないしな。

吉田も武市も器じゃないんだよ。
0411名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 06:32:25.58ID:ImjZr8qL0
>>400
> 西郷がワシより上と言ったのは久坂

これはリップサービスだと思う
0412名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 12:40:38.65ID:uaw/952m0
やはり西郷が最後の死の寸前まで日本を託していたのは一蔵どん
0414名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 15:39:12.95ID:6up/aNjx0
ただ幕末に限っては維新志士はほぼ無名ばっかで大久保もそう
そんな中、西郷は珍しく幕末から有名人。だけど所詮はどいつもこいつも陰謀集団にしかすぎない

そんな西郷より圧倒的に有名人なのが板倉勝静
まあ当たり前だよね。当時の政権担当者なんだから
0415名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 19:52:13.35ID:ZSDhDJ7k0
>>411
西郷に限らず他藩士は皆久坂に心服してるんだよな
武市や中岡も久坂に心服してるし
坂本も久坂の話聞いて脱藩している
高杉さえ自分が年上だが兄と立ててたし兄弟の盃がしたいと言ってる
0417名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 20:58:57.71ID:2E4V7cj20
人間として器がどうこうという事と成したことの大きさとは必ずしも相関しない
人としてどうなんだ、というのでも歴史を左右したものもいれば皆が認める大人物でも何もなし得ずというのもいる
0418名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 21:41:56.66ID:zjI6GhpD0
>>417

>皆が認める大人物でも何もなし得ず

力量の割りにはイマイチ活躍できずに終わった人はいるなあ。
0419名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 22:09:58.64ID:uaw/952m0
土佐藩は武市半平太が心半ばで死んだが惜しすぎる
せめてあと10年は生きてれば明治は土佐藩が主導権を握っていたかもしれないぐらいの人物だったのに・・

道楽者の鯨海酔候は時勢が読め無すぎてバカ殿すぎるよ本当に
0420名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 22:13:30.52ID:uaw/952m0
長生きしてたなら超大物になってたと評される人物は幕末も含めて世に多いが
幕末期は武市半平太こそがそれ
0421名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/13(金) 23:08:14.06ID:Ab02jegh0
長生き出来なかったなら、それがその人の実力
何度も死線をくぐり抜けた伊藤博文・山縣有朋・井上馨こそ真の大物
0423名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 00:07:52.49ID:bdlcLl6L0
武市の場合自業自得だろ。山内容堂なんて公武合体論じゃなのに、
倒幕派の桂小五郎と飲み友達になるんだから、そこまで悪い殿様
でもなかろう。
0424名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 00:55:04.11ID:XVXNqevi0
武市半平太は岡田以蔵の扱いを誤った
西郷隆盛のごとく桐野利秋を飼いなずけなかったわ
0425名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 00:57:00.58ID:XVXNqevi0
運も実力の内。
人間として生命としての強さは勝敗よりも生き延びることにあるのは確かに、その通り。
0426名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 01:09:22.10ID:XVXNqevi0
>>368
まあ久しぶりに暗殺するしか解決策がない指導者が世界に出現してしまったよな
0427名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 01:34:53.02ID:bdlcLl6L0
薩摩の五代才助(1971年)
大和尚(西郷)は、所持の山林の樹木、当時役に立たず、大隈、木戸の林は山林中に良材あって
助けるゆえに日々盛えりと云えり
西郷従道
「兄が桐野ほか過激派に担がれたのは失敗だった」
0428名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 04:03:53.02ID:kMLP0blg0
>>425

その意味では井上馨や木戸孝允などの長州藩士こそ幕末史上最強。
0430名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 19:46:19.27ID:RYZLOe0F0
先駆者の大物が居なくなって伊藤とか山縣が残っただけだよね
西郷や木戸は例外で大物が持つ明治維新への理想も持って悩んでたけど
0431名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/14(土) 22:58:59.60ID:kMLP0blg0
山縣有朋の生存応力は最強だろ
旧ソ連のブレジネフみたいだ
0432名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 00:07:15.53ID:fsIxWStd0
井上馨は一回斬られて死にかけてるが生き延びた
命のやり取りをして生き残ることができないようでは大物とは言えないよ
0433名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 00:15:10.61ID:yrwNh6vg0
大久保が幕末・明治のチャンピオンなら
山縣は明治・大正のチャンピオン
0434名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 01:08:41.76ID:6Wn+Ws1l0
山縣有朋こそ最も完成された最強政治家。
大久保、木戸の両巨頭も一流に変わりないが、どこか感情任せの粗削りな面もある。

木戸が過去の恨みに粘着質で恨み深いのは有名。
0435名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 01:10:26.52ID:6Wn+Ws1l0
生命体としての強さが勝敗や記録よりも生き延びることにあるなら
井上馨こそが幕末最強志士かも知れないよな。
0436名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 05:59:50.54ID:Xatr2dVS0
井上と伊藤は英国渡航費用の300両を女遊びで散財して、
来島に金策してもらったから、撃ち殺した川路利良のことどう思ってたんだろうな。
西郷のことは二人とも嫌ってたけど。
0437名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 06:50:53.00ID:pPVZv3YL0
>>432

井上を救命した医師のほうは維新を見ずにあっさり病死しているんだよなあ。

戦死なら本人も納得できただろうが。
0438名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 10:51:04.61ID:SqBbKXUj0
>>431
ブレジネフは政治将校として独ソ戦で前線に出ていたという
ノヴォローシスクの攻防で乗ってた漁船が触雷して死にかけたとか独ソ戦の本に書いてあった

と言うか戦後のソ連指導層は全員独ソ戦で前線に出て戦ったものばかりでその点でみんなナチスとの死闘で死線を潜り、しかもその後はクレムリンでの死闘も生き残った蠱毒のような連中

日本の戦後の政治家は前線で米軍と戦って死にかけたなんていうのはあまりいない 大勲位中曽根少佐も海軍主計では敵に弾撃ってた訳ではない
他の首相達も吉田、岸、池田、佐藤、福田、大平など官僚系は官僚の仕事を、鳩山、石橋、三木などの党人系は田舎に引っ込むなどして戦争に行ってない
ソ連と違って政治的に敗れても命に何の不安もない

こんなのがソ連首脳と交渉したところで胆力が違い過ぎる
0439名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 13:34:07.19ID:5Iev7//X0
ただ今のプーチンは別にそこまで死線を潜り抜けていないよ
なにしろ天下のKGB中堅官僚で最初から過保護に保護されて何から何まで恵まれすぎて命の危機に遭遇していないからな
プーチンがアメリカの対応を見誤ってるのもこれ

むしろ地方に下放されて投獄されていた習近平のほうが幾度も死線を潜り抜けてると言える
0440名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 13:36:28.36ID:5Iev7//X0
>>436
最後の最後まで禁門の変の恨みを忘れずに文句を言ってたのが木戸。
商売人気質の井上と伊藤は利益になるなら過去は水に流すさ。
0441名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 20:51:40.90ID:+qF184iZ0
>>434
山縣は結局軍国国家作ったってのが評価だろ
政治家は結局何したかで後世に評価されるし
やれ誰が権力握っただのは政治屋の話
0443名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 21:42:57.81ID:4aaEJ9Un0
山縣自身は軍国主義者では全くないけれども、
軍国主義国家への端を開く仕組みを作ったのは万死に値する。
そもそも元老っていう特定の人物の協議で国を運営する仕組みが民主的・立憲的ではないよな。
0444名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 22:42:18.73ID:SqBbKXUj0
いくら仕組みで縛っても所詮運用は人による
当時最も民主的なワイマール憲法は欠陥がありそこをナチスに突かれ独裁の道を開いたという じゃあワイマール憲法に一部の隙もなければナチスは政権を奪取できなかったかと言えばそんなことはない

日本も明治の元勲達がどのような制度を作ろうと昭和の日本は必ずや軍部独裁の道を歩んだであろう
0445名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/15(日) 23:15:20.76ID:5Iev7//X0
しかし改めて武市半平太の死は惜しすぎる。
生き永らえてたなら維新は土佐藩が主導権を握ってた可能性が高い

そうすれば土佐藩主導で子孫に美田を残さない四民平等を目指すという明治維新の世は実現していた
0446名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/16(月) 00:04:25.41ID:EBuOM34E0
武市が土佐藩の軍を動かして明治維新の原動力になれたとは思えないな
軍を動かせなければ何もできないよ
0447名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/16(月) 01:17:22.47ID:+4kBn8ST0
軍人の板垣退助がぞっこんしてただろ
0448名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/16(月) 01:29:24.59ID:+4kBn8ST0
武市半平太は超カリスマ
0449名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/16(月) 02:46:32.71ID:+4kBn8ST0
土佐藩は明治維新の良心なり
0450名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/16(月) 13:42:14.05ID:oapoQp+w0
明治大正は山縣の試作品
0451名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/16(月) 22:06:31.95ID:oapoQp+w0
>>445
徳川幕府から薩長幕府に変わっただけの悲劇
土佐藩が主導権を握るべきだった
0452名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 01:02:07.58ID:4XOgqLhQ0
西郷南洲翁「一蔵よ日本のことはおはんに全てまかせちゃるぞ」
0453名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 04:06:02.41ID:hcaFt5+t0
大久保が頼りにしたのは木戸であり、病弱な木戸が理想主義に走ると
その子分の伊藤や大隈に頼ることになる。
0454名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 04:29:36.38ID:4qwGPp/O0
たしかに木戸と大久保がともに10年は長生きしてたなら明治維新は完成してたんだがな
薩長閥の両巨頭が短命に終わったことで明治維新は不完全に受け継がれて昭和初期の大失敗にも繋がってる
0455名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 10:36:19.09ID:XddjGBu60
日本の昭和の問題は陸軍の問題であり、陸軍の問題は長閥と反長閥の問題が根底にある

大正に入ると政界財界海軍ではすでに藩閥の影響も随分薄れていた
原敬以降首相は薩長はグンと減った

だが陸軍だけは山縣以下の長閥が大正時代においても一大勢力を築いておりこれに不満を持つ佐官級が下剋上を起こしそれが長閥妥当から軍先制にまで突き進んでしまった

木戸や大久保がどうだろうと山縣有朋ある限り日本陸軍は同じ道を歩み政界はそれに引きづられていっただろう
0456名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 12:47:19.64ID:u74BQNRx0
>>455
長州閥?山縣閥の間違いでは?そんな物はとっくになかっただろ
他ならぬ、副官であった渡辺錠太郎が山県公のおもかげで語っているぞ
0457名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 14:41:26.15ID:4qwGPp/O0
山県有朋の恩義を仇で返したのが原敬なんだがな
0458名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/17(火) 19:45:24.87ID:29mALsc30
軍は神聖にして天皇以外は政府も口出せない
一方の軍は政府に好き勝手に口出して内閣を潰すことも可能
しかも軍人が功績上げるとしたら戦争になるから
誰が居ても最終的には軍国主義なる流れ
0459名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 01:01:30.41ID:VZFBYU/G0
太平王戦争の指導者はバカ東北土人ばかり
バカ東北土人どもが日本を破壊した
東北閥が元凶
0460名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 08:27:19.97ID:IQUDi/+V0
>>458
明治維新の際に、政治体制として幕府的なものを絶対否定したから権力が分散しすぎて首相の権力が極めて脆弱になってしまった
羹に懲りて膾を吹くを地で行ったのが明治体制だろう

陸軍ばかり言われるが海軍も大概でベクトルがあっち向いたりこっち向いたりで制御不能 唯一制御できるはずの天皇に英国流の君臨すれども統治せずを教えこむ西園寺

もう破綻は見え見えに見えていた
0461名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 13:08:00.75ID:SlQ7cvl/0
>>459
昭和の日本も長州閥が支配すべきだったな
0462名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 14:01:59.45ID:A9Q0nidf0
イギリス軍も最高司令官は国王なんだが何世紀も前からしっかり文民統制されてんのにこの違いは何だ
0463名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 14:07:43.90ID:M4vrDrSA0
英国首相は国王大権を代行できる 日本の首相は天皇大権の代行などできない
政府がロンドン条約を結んだ事を統帥権干犯などと言われることはイギリスではありえない
0464名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 17:06:59.75ID:SlQ7cvl/0
イギリス式国家を目指していたのがイギリス渡航組の長州ファイブ。
だが実際はドイツ式に流れてしまっっために日本は大失敗した
0465名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 19:51:57.31ID:OORqyNNc0
強権をふるった大久保も理念はイギリス型を目指してし
理念のない伊藤山縣になると現実的にドイツ式で良いでしょとなったんでしょ
山縣は憲法だの議会だのも要らんだから前時代の三傑よりもヤバい
0466名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 20:00:02.15ID:OORqyNNc0
>>464
別にイギリス式など目指してないよ
伊藤は現実主義だからそんな理念は無い
日露戦争も日英同盟派より戦争するくらいならロシアと組んだ方が良い派だったし
0467名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 20:27:19.56ID:YTw1qIIh0
武市切腹させなきゃ、維新の新政府では薩摩長州と互角にやれたのに

維新後、木戸孝允が山内容堂との酒席で酔った勢いで「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と詰めたが、彼は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に臥せた晩年の容堂は、武市を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられwiki
0468名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/18(水) 22:05:36.86ID:SlQ7cvl/0
海洋国家の日本がイギリス型よりドイツ型にしてしまったのが大失敗なのは周知の事実

まさに海洋国でもある土佐藩が明治政府の主導権を握ってたならな・・惜しいな
0469名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 01:18:30.31ID:UCQq1geU0
大久保利通はビスマルクを崇拝してたらしいからな
0470名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 01:29:38.84ID:UCQq1geU0
農業支配から重工業支配を目指す過程が日本と似てるドイツこそ参考になったのも仕方ないかもしれない
0472名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 02:44:28.43ID:UCQq1geU0
やっぱり王道は土佐藩だよな
0473名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 02:54:29.98ID:7PAYuECJ0
坂本、福岡、後藤の土佐系は慶喜首班の諸侯会議論者で
長州系がやった版籍奉還、廃藩置県とかの大改革
できなかっただろうよ。
0474名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 02:55:55.75ID:UCQq1geU0
それでこそカリスマ武市半平太の死が惜しまれる
0475名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 04:42:50.75ID:B77zR4cI0
岩崎弥太郎が政治家になっていればな
あれだけの手腕があるなら木戸や大久保に匹敵する大政治家になれてたのに
0476名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 07:15:28.56ID:7PAYuECJ0
木戸公みたいな現代社会に通じる高潔で身分に寛容な人格者が土佐にいなかったんだろう。
中間の息子伊藤を新政府の参与に引き上げたのは木戸公。
0477名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/19(木) 13:51:00.02ID:B77zR4cI0
岩崎弥太郎は現代の国際金融世界でも通用しすぎるほどの名手腕家なんだが?
0479名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/20(金) 01:34:57.28ID:BrzrfK5U0
井上馨と山県有朋の見直し評価は必要。
0480名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/20(金) 01:52:36.13ID:BrzrfK5U0
>>474
山内容堂がバカ殿すぎた
0481名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/20(金) 02:50:33.32ID:Tg8j/pkq0
佐幕派、尊皇派というだけで大勢の流れで切腹に追い込まれてるケースが多々あるのに、
薩会のクーデター+寵臣を殺してる武市が切腹に追い込まれるのはいたし方がないかと。
0482名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/20(金) 13:12:15.15ID:PbgC2QMK0
だが司馬遼太郎の「酔って候」は最高の短編小説
0483名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/20(金) 17:50:07.82ID:PbgC2QMK0
>>479
井上馨の強靱性は幕末の志士では最高峰なのではなかろうか?

暗殺未遂で生死を彷徨って回復した生命力もさながらに、
身内の明治政府内からも非難轟々を浴びて国粋主義者に襲撃もされてもなお鹿鳴館外交を実行し続ける意志力の強さもだ。
0485名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/20(金) 22:06:41.37ID:PbgC2QMK0
だがまあ十文字切腹だけは見事といいたい
0486名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/21(土) 02:28:56.24ID:FtkR+HRv0
もし明治維新が薩長と徳川幕府だけの抗争なら
ロシア革命やフランス革命のごとく徳川将軍家および松平一族郎党は皆殺しにされていたであろう。

土佐藩は会津新撰組に藩士を多く殺されていながらも弁護人の役割も果たしていたかもしれない。
0487名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/21(土) 02:57:47.34ID:FtkR+HRv0
土佐藩こそ救世主
0489名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/21(土) 11:47:12.34ID:L9G7VLLr0
スセッテルに対した乃木とは大違いだな。
0490名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/21(土) 14:04:54.71ID:9bbXpkp20
>>488
池田屋事件をご存じで?
0491名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/22(日) 01:37:34.45ID:Zh/yGogd0
>>483
酷評まみれの鹿鳴館外交は何だったのか?
0492名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/22(日) 13:23:53.38ID:H4bRQpBL0
土佐藩が弁護役ねえ。

たしかに山内容堂も幕府から睨まれ続けてた外様大名なのに何故か必死に徳川幕府を擁護してた。
0493名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/23(月) 01:31:16.70ID:/QzP0mDf0
土佐藩と佐賀藩は戊辰戦争で終わった。
明治大正時代の旧土佐藩士と旧佐賀藩士は薩長政府からしたら獅子心中の虫
0494名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/23(月) 13:36:35.44ID:xEKR4jtS0
薩長=昨日の敵は今日の友

土肥=昨日の友は今日の敵
0495名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/24(火) 00:47:35.78ID:dG9IlJ9o0
まあ土肥は薩長のストッパー役でもありますから
0496名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/24(火) 04:20:39.73ID:ZNj7yrd+0
死後、嫁すら大切にされない坂本龍馬、愛人ですら木戸伊藤井上山縣に
大切にされた高杉晋作。

まあそういうことでしょ。
0498名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/24(火) 13:15:02.94ID:Z8LtX0xa0
死後に名声が大逆転したわけだがな
0499名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/24(火) 21:58:04.15ID:Z8LtX0xa0
>>488
近藤勇の処刑を断行した岩村高俊は土佐人らしからぬ土佐人
0500名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/25(水) 00:44:31.18ID:ftWf0iSC0
土佐は板垣と後藤が下野してしまったから、
板垣は軍に残っていれば、歴史は変わっていたのではないかと
0501名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/25(水) 01:52:03.02ID:zIL/ZRTR0
良くも悪くも板垣退助こそ土佐人の体現者。
0502名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/25(水) 01:52:51.66ID:zIL/ZRTR0
>>499
あれだけ池田屋で同胞が殺されてれば始末がつかないでしょう
0503名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/25(水) 02:00:16.79ID:zIL/ZRTR0
まあ「明治維新とは革命ではなくて単なる権力交代に過ぎない」との司馬遼太郎の批判交じりの評もあながち間違っていない。
0504名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/25(水) 14:40:29.97ID:fj0NJ8Ur0
徳川幕府から薩長幕府に変わっただけさ
0505名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/26(木) 00:50:19.89ID:gJ6TjprR0
広沢参議の暗殺だけは謎に包まれたままだな
0506名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/26(木) 14:14:35.23ID:7nS+/W2+0
妾にやられたんじゃなかったのか?
0507名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/27(金) 01:28:29.28ID:bPTIoEG00
土佐藩こそ日本の至宝
0508名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/27(金) 02:41:18.96ID:bPTIoEG00
しかし伊藤博文はオールラウンドプレーヤーで使い勝手が良すぎる。
どこか誰でも苦手分野があるのに経済産業、金融、軍事、外交、内政のすべてに精通してるのは伊藤博文ぐらい。
0509名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/27(金) 05:38:14.55ID:7Q6F+y9d0
木戸の従者として一緒に吉田松陰の亡骸を埋葬する
井上山尾と一緒に英国に行く
高杉の挙兵に誰よりも最初に駆けつける

まあ機を観るに敏というか凄まじいひとだな。
0511名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/28(土) 01:35:07.84ID:iugbicQN0
器用で女たらし金たらし伊藤博文は最も長州人らしい長州人
0512名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/28(土) 01:42:01.01ID:iugbicQN0
>>507
子孫に美田を残さずを最も実行できたのは土佐藩士だけ
0514名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/28(土) 14:38:02.81ID:Nq8Xs4OR0
田中義一が萩の乱に参加してたとは・・まあ10代の時だから思慮が無くても仕方ないか
0515名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/29(日) 01:31:46.29ID:YzAOyYjy0
佐賀の乱と西南戦争は士族反乱の大義名分がつくが
前原一誠の萩の乱だけは何だったのか?
0516名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/29(日) 12:45:58.66ID:+sDN1tEb0
萩の乱は長州内での西南戦争のような物ではないのかな。
士族の時代に終止符を打つ的な、
0517名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/29(日) 15:16:38.22ID:2jGxXYYn0
前原一誠は江藤新平にはなれなかった
0518名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/29(日) 16:50:50.23ID:kXD53Gju0
伊藤博文の国作りは失敗だったわけだろ
元老が一番偉いはずの首相決める制度作ったり
統帥権作り上げたり
華族とか永久貴族作ったり
理念のない現実主義だからその時の判断でやるんだけど
理念を理解できるのは幕末の志士じゃないと
0519名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/29(日) 17:21:52.10ID:5fCiA2ZS0
明治の土台を作ったのは維新の元勲たちだが、次世代の昭和の出来事まで面倒は見きれない

制度など状況に応じて絶えず変えていくのが当然で先人が決めたからで金科玉条にされては東照神君のお決めになったこと、で幕末まで海禁だのなんだのを墨守、硬直化していた幕府と変わらない

維新の元勲たちは自分たちが攘夷から開国へなど色々大転換した人々なので次世代もすこしはフレキシブルに対応すると思ってたんだろう

首相決めにしても原敬以降は第1党党首という事になりつつあった
犬養毅暗殺で元の木阿弥になったが

戦後の体勢を見ても日本人は安定期に入ると途端に改革とかしなくなるので変革期は後々も考えた方がいいに越した事はないが、維新の元勲たちも戦後体制の構築者たちも予言者じゃないからな
0520名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/29(日) 17:52:56.24ID:kXD53Gju0
俺らが権力を握りたいという思惑があるんだよな
イギリス型の議院内閣制を唱えた大隈を追放したのもそこにある
0521名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 00:18:18.15ID:o+P1gVVz0
いや、当時は列強からの脅威と不平等条約の改正が明治政府の課題だったんだから、
国民がまだ成熟してない段階で、イギリス型は危険だった。
あの時点でドイツ型を選んだのはある意味仕方ない面もあった。
0522名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 00:24:45.10ID:o+P1gVVz0
89年東大日本史IV問目
94年東大日本史IV問目
0523名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 00:31:23.06ID:+F6yY7Jg0
>>521
福沢諭吉も庶民が憲法発布を絹布の法被と聞き違えてお祭り騒ぎを起こした様を嘆いてたからな
イギリス型の方が合ってるが性急に過ぎる
だが途中で見直す事もせず軍部の独走に繋がるが
明治初期は統治体制をあんだけコロコロ変えたのにな
0524名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 01:58:53.87ID:FeXawjcN0
徳川幕府から薩長幕府に変わっただけもしれない
0525名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 01:59:48.39ID:FeXawjcN0
井沢元彦も言うとるが真の法治主義を目指したのは佐賀藩士だけだと
0526名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 07:44:43.20ID:R/FtBAIw0
佐賀藩士
 大隈重信 木戸派から大久保派へ鞍替え
 江藤新平 木戸の推挙で大総督府軍艦になり出世。薩長と敵対し
        大久保に晒し首にされる
 副島種臣 大久保の囲碁仲間

ばらばらすぎる。
0527名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 07:59:43.24ID:R/FtBAIw0
政府に逆らう逆賊は晒し首の規定は江藤が残したらしいな。
それで欧州人に写真取られて後世にまで伝わる。
0528名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 12:58:45.20ID:MY2EEfuz0
>>526
大隈は木戸からハッキリと長州政治家連中の世話役頼まれてるよ
伊藤、井上を筆頭にする次世代の政治リーダーは明治5年辺りから大隈を旗手としている
山縣に関しては木戸も大隈も軍人だと考えていたし山縣本人も軍事事務方トップとしてのキャリアしか選んでないから別だけど

この状況がひっくり返ったのは欧米視察団派遣の時
大隈は実務的にも欧米の実務を実地見聞して経済、産業政策を更に進めたいと考えて大隈が行く欧米視察団派遣を建言
これが実行されると大隈帰国後新政府の主導権は大隈が握ると焦った岩倉、大久保が薩摩、長州、旧幕臣を中心にする視察団派遣を建言し大隈案を潰した

なので大隈は留守役になった
この時点で大久保、伊藤、井上グループと大隈を筆頭とする留守政府グループに分かれた

その後の征韓論もこのグループ同士の対立軸の中で動き大隈と親しかった伊藤、井上が大隈を懐柔

江藤は大久保、大隈が新政府で主導権を握ると自分の立ち位置はないからどっちにもつかず孤立した

板垣、西郷は江藤とそもそもソリが合わないから江藤の佐賀の乱に関しても冷淡だった
0530名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 13:35:58.03ID:5P1dFsfH0
佐賀藩は維新革命に乗り遅れただけに薩長にも厳しく出れたみたいだが
それだけに味方がいない状況に追い込まれた
0531名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 15:33:47.83ID:MY2EEfuz0
他はともかく大隈に関しては味方はいた
ただ根回しほぼなしで独断でやるから遣視察団の話でも伊藤、井上は岩倉、大久保側についた

結局この時の大隈の独断は後々に明治14年の政変の時にも伊藤の大隈への疑念に繋がりまたこの時も大隈は和解に動きもせず多数派工作の動きもせずただ伊藤からの疑念が政府内で主流の考えになっていくのを見ていただけ

大隈と同じ佐賀閥の大木喬任すら伊藤側に回る始末
維新に乗り遅れたからとかっていう話ではなく江藤、大隈に関しては完全にパーソナリティの問題

この後の自由党、民進党系の対立までこの大隈の負のパーソナリティが憲政の常道の到来を遅らせた
0532名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 18:18:09.76ID:5P1dFsfH0
今は知らんが幕末を超えて昭和末期までも佐賀人は身内を優遇しないことで評判が良かった
むしろ身内ほど厳しくすることで有名
0534名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 19:51:51.85ID:shA+pfyu0
征台の講和の成功は明治から令和の歴史で最も成功した講話だね
中華支配の理屈のアキレス腱にピンポンイトで切り込んで清国は最終的に日本からの講和を飲まなければ中華ではなくなる

幕末の薩英戦争のケツを最終的に幕府が拭かなければ幕府は日本政府としての正当性を失うから幕府は煮湯を飲んででもこれをやらざるを得なかった

この時の経験を丸々活かしての講和で見事としか言いようがない
清国側のアドバイザーを務めたヨーロッパの顧問団も完全になす術なく講和を進めるしかなかった

大久保が凄いのは実務として外交や産業政策をした事がないのにその要点を的確に把握して何をするか決断実行してしまえるところ
0535名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/30(月) 20:25:24.65ID:dniWoIXb0
>>523
統帥権も天皇の権限を削るのかとか言われるだろうし
華族にしても途中で廃止にできない
最初からイギリス型をやるしかない
失敗しても民主主義だからみんなの責任で終わるし
今の憲法だって戦後のどさくさで作られたが良くも悪くも皆縛られるからね
0536名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 01:54:07.62ID:v7W6aCqz0
長州ファイブは英国型国家を目指していたのにドイツ型に流れていったのが失敗

特に昭和初期の東北クソ土人どものドイツ陸軍崇拝は醜いものがある
0537名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 02:12:36.53ID:v7W6aCqz0
>>530
江藤新平一人しかカリスマ的人物がいなかったんじゃ
0538名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 05:02:50.82ID:BBCVMsYd0
>>536
日本を真剣にイギリス式にしたかったのは長州閥だけやね
0539名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 06:10:04.89ID:noLcaAbn0
イギリス型にしてたら日清日露戦争には勝てなかったと思うぞ。
イギリスも同盟に応じたかどうかも
0541名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 08:28:22.21ID:WHBgtNh90
憲法の問題に関しては基本的に運用の仕方の問題なのであって細目はその時々によって別で立法化することで対応するのが普通

四民平等の原則の中でも最初は選挙すらないところから男のみ所得制限かけた制限選挙開始から所得制限なしまで変わった

これは選挙法の改正でできた
他の事に関しても同じでこんなのは近代史を知ってたら常識のレベル
イギリス型、ドイツ型とか全く無意味
0542名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 11:43:52.08ID:67I255v70
帝国憲法では総理には閣僚を罷免する権限がなかった。
そのために幾つかの内閣が倒されたのも事実。
0543名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 12:31:40.49ID:b8MKTDsJ0
元老が後継首班の諮問受けて推薦して天皇がそれを受けて指名する
この元老諮問の手続きがある間は基本的に政治家と軍部は決まった振れ幅の中での妥協をしていった

軍部大臣現役武官制があった時期であっても天皇が指名を決めた人物の組閣に対して軍部が撥ね付ける事はできなかった

つまり大臣辞任させて倒閣には成功しても次の内閣で軍部側の意向がそのまま通るなんてことは一度もなかった

そして天皇の諮問を受ける元老は憲法で決まった法制度の存在ではない
憲法の元で法制化されていない立場の人が首班推薦を行えているのは結局憲法そのものじゃなくて運用の仕方次第である事を明白にしている
0544名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 12:48:20.37ID:6GgW3EJb0
明治時代はある意味属人的だった 憲法だ法律だとか持ち出さずとも明治天皇と元勲たちで政治は回せたしそこに憲法や法の拡大解釈や抜け穴を突こうという動きがあるわけもない

代が変わると属人的だった弊害で憲法や規定が全てとなる 派ができ統帥権などを突き合う 天皇も維新後3代目となると押しが効かず大命降下の宇垣の組閣が陸軍の反抗で流れることにどうすることもできない 

だからと言ってきちんと縛っておけば回避できたかと言えばそうは思えない
ドイツでもワイマール憲法に欠陥がありそこをナチスがついて政権をとったという事をいうが、その穴がなければナチスは政権を取れなかったとは到底思えない
明治憲法がどうあれ日本は軍部独裁に進んだであろう 結局は人である
0545名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 18:17:40.76ID:BBCVMsYd0
長州閥はイギリス崇拝で固まってたけど
どこの派閥がドイツ崇拝に舵を切り取らせたんだ?
0546名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 18:34:07.55ID:Yu6qwNiY0
その長州閥の陸軍はドイツを呼んだんだろう
桂太郎、川上操六、児玉源太郎らがフランス式からドイツ式へ切り替え、そのためにドイツ陸軍からメッケルを呼んだ

普仏戦争の結果を見れば陸軍の兵制をドイツ式に切り替えたのは当然かも知れないが 政治体制も領邦国家の集合体であるドイツが似てると思ったんだろう

とにかく陸軍は長州閥時代から皇道統制派問わずまるっとドイツ好き
ドイツ軍が戦争に強いのは確かだからそうなったんだろうけど 政治的にはただのジャイアンで見習うべきではなかった
0548名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 20:06:37.90ID:Pte9O41S0
ナチスは議席で過半数も取れてないし
本来政権を取れない立場だから憲法の欠点ついたクーデターをした
政権取ったとしてもダメなら途中で辞めさせる事も可能だった
日本も軍部が当時の憲法の欠陥を利用したので当然防げたはずだ
0549名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 20:18:33.80ID:YPIBzqXH0
ナチスは共産党他の対立候補を突撃隊などの暴力でことごとく排除した
これを合法的投票で排除するのは不可能だろう 翼賛選挙と同じだ
ブリューニングの社会民主党など他党が同じ地平に下がり暴力に暴力で応じた内戦に持ち込めばまだ可能性があったが、彼らはその点で常識的すぎた
0550名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 20:36:19.79ID:Pte9O41S0
>>546
石原莞爾はモルトケ思想への鵜?みが日露戦争でたまたま日本を救ったと言ってるし
フランスドイツの戦争の様に国土の狭い所ではドイツ式は使えるかもしれんが・・・と
ドイツ式より一段高い見地から見ている
0551名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 21:03:34.59ID:+3YyKSxa0
石原のは高い見地というか評論家、上から目線なだけだろう
自分の為した事を思えばドイツの事をあれこれ言えるザマかと
0552名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 21:18:46.98ID:WHBgtNh90
石原莞爾は身の程知らずと身から出た錆という言葉以外いらん
0554名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 21:39:02.21ID:WHBgtNh90
石油が資源の時代に石炭しか燃料資源がない満州利権拡大に邁進したレベルの戦略オンチだけど

飛行機も船ももう石油では動きませんよっていうのを知らなかったのかも知れないけどね
0555名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/01/31(火) 22:26:26.39ID:BBCVMsYd0
石原莞爾ねえ
嫌いではないが対米戦争に繋がる対中戦争を満州事変で拡大させた責任は大きいぞ
0556名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 02:09:43.02ID:ACn6XbHP0
長州閥は親米英派の筆頭格でドイツ崇拝なんかしてねえよ
石原莞爾や東条英機など東北人どものドイツ崇拝が醜かった
0557名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 02:14:01.87ID:ACn6XbHP0
日露戦争の勝利は米英を完全に味方につけることに成功した長州閥の大功績
0558名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 11:20:48.35ID:HSzrKSEc0
時期によるけどね
明治15年ぐらいまでは幕末以来の縁もあって大体フランス、英国流を目指した
アメリカは君主制ではないので政治的にはほぼ参考にせず教育や産業振興の面で影響を受けた

憲法制定に向けて動き始めた時に新興国のプロイセンの憲法が今の日本には参考になると考えた政治家、官僚が多くなった
伊藤をはじめとする政府内に残った元勲達は運用の仕方次第で天皇をただの神輿にしたり場合によっては緊急勅令で行政が大権を振るえる余地が確保できればokという大枠で憲法草案を作り発布施行した

政治闘争に敗れて下野した板垣、大隈らは政権奪取の可能性がより高い憲法を目指してフランス、イギリスに近い草案を作った
0559名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 18:00:35.95ID:gHKOVIqT0
どの憲法だろうと昭和軍閥を縛ることはできないだろう
満州事変で天皇の命令なく師団を動かした事は明らかに天皇大権を侵犯している であるにも関わらず事後承諾でokとなりあまつさえ満州國建国の功績で当時の関東軍司令官本庄と陸海軍大臣の荒木、大角が男爵を授爵

河本大作の処分も甘々だったが、満州事変では君命に従わずとも結果オーライなら勲章をもらい華族にさえなれるということを満天下に示すこととなった

こんな無法状態ではどんなご立派な憲法があろうと全く意味がない
0561名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 19:58:42.32ID:nwJBTpjS0
そもそも長州は英国とさして親しくないし関係も浅い
英国と関係なら薩摩の方で海軍が英国式だった
大久保もイギリス型の憲法を目指していたし
0562名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 20:03:31.17ID:/OJXgt9Z0
1882~1883(明治15~16)年、伊藤博文らは、ドイツをはじめヨーロッパ諸国において、憲法や立憲的諸制度の調査にあたった。
その際、彼等はしばしばドイツの政治家や学者などから、明治維新以来日本政府が進めてきた改革は余りに急進的であり、日本がいま立憲政治を取り入れようとするのは、必ずしも賢明なこととはいえない、とする忠告を受けたといわれる。

そこで、諸君が伊藤博文らの調査団に加わっていたと仮定し、上述のようなドイツ側の忠告に対して、日本として立憲政治を取り入れる必要があることを説明する文章を8行以内(注:1行30字)で記せ。

89年東大日本史より
0563名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 20:05:50.03ID:nwJBTpjS0
まともな憲法だったら軍部も政府を無視して動けないし満州事変も無かったと思う
軍が神聖視されてたからどんどん独断が多くなって行った
0564名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 20:07:53.48ID:/OJXgt9Z0
94の東大日本史入試問題

1873(明治6)年、大久保利通は岩倉使節団の欧米視察の経験をもとに、政府に対して政体を定めるよう建言した。次の引用文はその一部である。これを読んで下記の設問に答えよ。なお、引用文は現代語に改め、一部は要約してある。

(1) 政体には、君主政治、民主政治、君民共治(後にいう立憲君主制)の三種類がある。

(2) 民主の政は、天下を一人で私せず、広く国家全体の利益をはかり、人民の自由を実現し、法律や政治の本旨を失わず、首長がその任務に違わぬようにさせる政体であって、実に天の理法が示す本来あるべき姿を完備したものである。アメリカ合州国はじめ、多くは新たに創立された国、新しく移住した人民によって行われている。

(3) 君主の政は、蒙昧無知の民があって、命令や約束によって治められないとき、ぬきんでた才力をもつ者が、その威力・権勢に任せ、人民の自由を束縛し、その人権を抑圧して、これを支配する政体で、一時的には適切な場合もある。

(4) イギリスは土地・人口の規模が日本とほぼ同じであるが、その国威は海外に振い、隆盛をきわめている。それは3200万余の人民がおのおの自身の権利を実現するために国の自由独立をはかり、君長もまた人民の才力を十分にのばす良政を施してきたからである。

設問

大久保は諸国の政体を比較した上で、日本には君民共治の制がふさわしいと主張した。なぜそう考えたのか。当時の日本がおかれていた条件や国家目標を考えて、5行以内で説明せよ。
0565名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 20:32:42.04ID:6FhpMIFP0
憲法が何かを具体的に理解していない人ばっかりやな
wikiで憲法を調べたら自分が語っているのは憲法の話じゃないって事分かるやろ

憲法を刑法などの六法と同じように勘違いしてる人多過ぎてビビるわ
0567名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/01(水) 21:34:43.94ID:Tte+hpHn0
長州五傑の渡航から長州人とイギリスは最も密接なんだが。

会津藩は蝦夷地をプロイセンやフランスに売り渡そうとしてた逆賊だが。
0568名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 00:36:11.12ID:PKoXcwx00
では大津事件の経緯を憲法施行前と施行後で扱いが変わったかどうか各々の意見を聞きたい
0569名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 02:01:15.66ID:8MyKOyuC0
日本がドイツ偏重に流れていったのは大正時代からでしょ
やはり原敬など逆賊の旧幕臣子孫の糞東北人どもが中央政界で復帰してからだ
0570名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 02:02:48.44ID:8MyKOyuC0
日独伊三国同盟に日ソ中立条約とか薩長政府なら絶対にしない最悪の愚行を平気でしてしまうのが
逆賊の旧幕臣の子孫である東北閥のゴミ連中
0571名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 02:35:55.40ID:1CJ4mxw90
岩手出身の米内光政は陸軍から大臣出してもらえず内閣総辞職に追い込まれた
0572名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 11:20:56.06ID:AjUUPjCl0
>>569
原敬の選挙戦拡大、経済政策は軍事より地方インフラ整備とそれによる所得向上と軍事産業依存の経済から脱出させようとするものでそれは天皇、西園寺らも支持していた

山縣は軍事費削減には反対していたけれど軍事産業以外の産業育成や地方のインフラ整備が必要だという点では原と同じ考えで外交による秩序構築と合わせて原と会談し陸軍としても原を支持する旨を明確に伝えている

憲法とは直接関係なく政策内容的には完全にイギリス、アメリカに近いものだった
0573名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 11:22:36.28ID:iD60XMbV0
皇族が参謀総長、軍令部総長と陸海軍のトップについたあたりから日本は破滅への道に突入し、近衛が仕上げ天皇が開戦を裁可した

暗黒期の日本はいけずの京都人によって動かされていたのである
0574名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 12:37:45.73ID:1eFcqdiQ0
>>569
大正三年に第一次世界勃発 日本は日英同盟により直ちに対独参戦
ドイツは革命が起きボロボロの敗戦国に 大正10年の裕仁皇太子欧州歴訪の訪問国にも当然入ってない

という時代が大正時代 ドイツ偏重に流れるも何もない
0576名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 13:12:53.36ID:ya9vnXrw0
総理大臣も陸海軍の首脳陣も東北出身者ばかりだぞ
0578名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 13:23:03.89ID:ya9vnXrw0
日本政界が東北出身者に完全支配された1930年代以降と書けば通じるだろ言う
0579名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 13:30:49.70ID:ya9vnXrw0
具体的に書けば斉藤実が総理就任してから敗戦の昭和二十年まで東北出身者の黄金時代。
それは日本にとっては暗黒時代でもありましたが
0580名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 13:45:49.34ID:VoRdb5k60
斎藤実から鈴木貫太郎まで
岩手福井福岡石川京都岡山石川岩手京都岩手山形大阪

1/3か、しょぼい黄金時代だな しかも青森秋田宮城福島がおらず全然東北を代表していない
これで東北黄金時代とかいったら我こそが東北の中心と考える宮城県民が怒るだろう
0582名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 14:25:49.19ID:DQ2AVSE/0
宮城県は戦前の政界では全く存在感ないからな
軍人も陸軍で安藤利吉、多田俊、今村均、海軍は井上成美くらいで多田今村井上なんて冷や飯食いばかり

何が動機か知らんがどうしても東北で括りたいんだろうけど事実は事実
0583名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 16:15:00.78ID:ya9vnXrw0
1930年以降の陸海軍首脳部は東北人ばかりな
対米戦争に繋がる対中戦線を満州事変で拡大させた石原も板垣も東北人。
0584名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 16:17:53.48ID:ya9vnXrw0
日米戦争の指導者は東北人ばかりなのは歴史の事実。
陸軍だけじゃないで海軍の山本五十六、井上成美、米内光政の3人とも東北人。
0585名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 16:23:11.37ID:ya9vnXrw0
ようするに敗戦の責任が松岡洋右ただ一人にあると言いたい奴が東北人を擁護してるんだろ
対米対中戦争の最高指揮官である東条、板垣、米内は旧南部藩の子孫。

対米対中戦争たるものが国政から薩長閥を排除するための旧南部藩の復讐戦争であると指摘したのは山田風太郎。
0586名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 17:01:00.21ID:g83g1ViQ0
>>584
米内と井上が日米戦争の何を指導したというんだ
日米戦争開戦の海軍の責任者は、山本、嶋田、永野

米内は予備役、井上はイチ艦隊司令長官その後兵学校校長の窓際
君は関係ない人物を東北人だというだけで混ぜるから支離滅裂になるんだよ 

相変わらず新潟県を東北扱いにしてるし
日本広しといえど新潟を東北と思っているのは君くらいだろう
常識ある日本人なら律令国に従い北陸、近年の区分の中部、でなければ天気予報の関東甲信越だ
0587名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 17:38:22.62ID:PYyf6blg0
>>584
日米戦争の陸軍の指導者は、陸軍三長官である東條、杉山、山田
現地軍の最高指揮官である南方軍総司令官の寺内寿一 以上

岩手福岡長野山口 
ご執心の板垣征四郎は戦争中ずっと朝鮮軍司令官という陸軍きってのド閑職
0588名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 18:25:45.38ID:AjUUPjCl0
226でハッキリ処罰されなかっただけで皇道派の中心人物と憲兵上層部は国内の中枢部からは追放されてるからね

ただ226は天皇の詔勅を使ったのが良くなかった
結局三権の司法で責任者は憲法違反で起訴して処理しないと結果として天皇の意に沿えば三権は統帥権の的に統括される軍部には及ばないという超法規的解釈をする余地を残した

昭和天皇が本来追求されるべきは三権の権限範囲を期待した憲法遵守した措置を取らなかなった事
太平洋戦争の終え方も最終的に天皇の聖断待ちになって完全に時遅しとなつた

東京裁判時にも軍人への追求ではこの三権無視は厳しく質疑が行われたけど天皇に関しては占領政策時の利用も見据えて見逃されていた
0589名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 22:18:06.00ID:ya9vnXrw0
>>586-588
どうでもいいがイチイチID変えてないで俺みたいに変えないで堂々と語れや根性無しが。

おまえは敗戦の責任を松岡洋右、木戸幸一の長州閥に持っていきたいんだろうが
歴史の真相を知れば満州事変も真珠湾攻撃も東北軍人が仕掛けたのは動かしようのない現実
0590名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 22:20:20.05ID:ya9vnXrw0
>>586-588
どうでもいいがイチイチID変えてないで俺みたいに変えないで堂々と語れや根性無しが。

おまえは敗戦の責任を松岡洋右、木戸幸一の長州閥に持っていきたいんだろうが
歴史の真相を知れば満州事変も真珠湾攻撃も東北軍人が仕掛けたのは動かしようのない現実
0591名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/02(木) 22:22:11.88ID:ya9vnXrw0
そうかそうか新潟県を管理区域に指定してる東北電力社員は全員キチガイなのか
0593名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/03(金) 01:43:37.27ID:pi9cskQx0
米内光政はソ連のスパイ説が根強いな
山本五十六もアメリカで軍需産業に買収された

旧幕臣の子孫どもはガタガタに骨抜きにされて国賊の裏切り者だらけ
0594名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/03(金) 01:44:34.87ID:pi9cskQx0
薩長閥→親米英主義
東北閥→反米英主義

けっこくこの差が出たのかと
0595名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/03(金) 01:48:09.24ID:pi9cskQx0
東北人が時流から大きく立ち遅れてるのは今もたいして変わらん
0596名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/03(金) 02:08:12.49ID:cIfZWaFi0
>>591
電力会社の営業エリアで地域区分する人間とか見たことないな
その地理的認識だと岐阜、三重、福井は関西ということになるわけか
0598名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/03(金) 02:15:03.29ID:pi9cskQx0
米内光政はソ連のエージェンシー
0599名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/03(金) 02:21:17.63ID:pi9cskQx0
中川八洋
0604名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 02:16:01.72ID:J418SpEU0
その3人しかいないのが哀れ東北土人よ
しかも高橋や後藤に原敬までも長州閥の温情で国政に引き立てられただけじゃねえか

その長州閥に牙をむくとは逆賊藩は救いようが無い屑どもよ


まさに  白川以北  一文無し


無能すぎる東北人ここに極まれり
0605名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 02:18:04.85ID:J418SpEU0
原敬は山縣有朋
高橋是清は田中義一
後藤新平は児玉源太郎

すべて発掘して国政に引き上げた一番偉いのは長州閥
0606名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 02:19:49.72ID:J418SpEU0
今でも白川以北に大企業は皆無


白川以北 一山百文


無能すぎる東北土人
0607名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 06:29:48.38ID:CsRfs92x0
時代錯誤の東北蔑視、新潟まで東北で括り白河を白川と書く地理的無知、官軍側の青森秋田までまでまとめて括る大雑把さ
病的なまでの長州上げと薩摩への希薄さ、文章の品位の無さと攻撃的性格

これらから見えてくる人物像 そう世良修造である
0608名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 10:42:51.54ID:EbN9FoAA0
>>605
原は陸奥、伊藤によって外務、商務の官僚ポストを与えられ政友会誕生後は井上馨の誘いで政友会入り
政友会内で西園寺に特に見込まれて大臣ポストを得た
陸奥、伊藤、井上、西園寺と政友会系の元勲元老がその才を認めて西園寺の後継者と目された

桂園時代には対立相手の桂も西園寺の次は原しかいないと認め桂と袂を分かっていた山縣もこれからは原の時代になると考えた

山縣は原を発見、抜擢はしていない
したのは政友会を作った人達
事実誤認も甚だしい
0609名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 11:54:39.15ID:yUcBooqf0
政友会は松田正久が死亡したから原敬がその後継になっただけ。
0610名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 12:13:13.97ID:EbN9FoAA0
>>609
松田は後継者と見込まれたけど病の為に現実的な選択肢ではなくなったからね
改進党系の人との繋がりもあったから裏方での仕事や根回しなどもできたけど党首、総理として原がやったほどの事が松田にできたかは分からない
0611名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/04(土) 13:51:21.84ID:PAU9oYxg0
世良修三は明治に従四位を与えられて名誉回復してるんだよな
仙台を挑発するために土佐の岩村精一郎みたいな役割を与えられて官軍から送り込まれてしまったのかもしれない
0613名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 01:43:03.89ID:ZGCFaJJg0
>>97
田中義一といえば息子の田中龍夫はぱっと見は世襲のボンボンに見えるけど
実際は中学生の頃には父親から家のことを任されて父親の妾の生活の世話まで焼いていて勉強する暇がなく高校受験に失敗して浪人したり
大学生の頃は父親が急死(自殺説もあり)して苦労しているせいか弱者の気持ちを汲み取れる人だった

セメント工場が被災して復興のためのセメントが足りないと聞くと漁師を説得して朝鮮まで漁船でセメントを取りに行ったり
国に支援を求める時も電話では内容に漏れが出るからと当時珍しかったFAXを事務所に導入したり
自衛隊が災害派遣できるようになるきっかけを作ったり、激甚災害法の指定も柔軟に適用できるようにしたり
困っている人を助ける時の動きが早かった
0614名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 02:18:19.67ID:ihSlCgPg0
南部藩の原敬から逆賊南部藩の国政支配は始まり
斎藤実に続き東条英機において南部藩独裁支配は完成して日本は破滅した

日本を敗戦に追いこんだ諸悪の元凶は南部藩にあり南部藩こそ史上最悪の逆賊藩
0615名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 02:21:28.66ID:ihSlCgPg0
山形有朋など長州閥の情けの温情を仇で返した屑こそが原敬
逆賊を大量に生んだ南部藩は会津藩を超える史上最悪の逆賊藩

ひたすら中国大陸と太平洋で戦線を拡大させた板垣征四郎も米内光政も南部藩の逆賊ゴミ子孫
0616名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 02:21:59.31ID:ihSlCgPg0
南部藩のゴミ逆賊に乗っ取られた昭和初期の日本は破滅しました
0617名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 02:37:30.76ID:ihSlCgPg0
南部藩は日本史上最悪の逆賊藩
0620名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 13:43:04.45ID:/1//xv0Z0
戦後の話だが旧南部藩出身の鈴木善幸が総理大臣時代も日米関係は悪化したんだよな。

しかし原、斉藤、米内、東条と僅か20年の間に岩手県人(血が流れる)の総理が4人も誕生したのは驚愕に値する面もある。

これもって大正後期から敗戦の昭和二十年までを旧南部藩を中心とした東北出身者の黄金時代と捉えるのもあながち間違ってはいない。
0621名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 21:30:30.74ID:zcyoqGTn0
>>116

>>180
0622名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/05(日) 22:36:19.40ID:/1//xv0Z0
つまり山縣、大山、山本こそ名将だと
0623名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/06(月) 02:19:20.80ID:1iXcXTPI0
>>620
同時代に4人も首相を輩出するなんて奇跡といえば奇跡なんだろうな。
まだ原敬は大改革派の一面もあるからいいとしようが最後のウルトラ復古主義の東條はいただけない
0624名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/06(月) 02:21:45.39ID:1iXcXTPI0
岩手は小沢一郎が最後の大物政治家になりそうだな。
0625名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/06(月) 02:50:14.95ID:1iXcXTPI0
>>97
田中義一と広沢真臣は幕末史で最後に残された長州人の大物。
0626名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/06(月) 14:38:37.54ID:pTKmq/vX0
田中義一後の旧南部藩の大復権が始まったのさ
0627名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/06(月) 17:18:22.41ID:rhMwq9au0
伊藤、山縣、井上の家を継いだのは皆養子 木戸孝允もだな
桂太郎は嫡孫が継いだが長州の元勲の家は薩摩や土佐に比べ随分と寂しい

岩倉や後藤の嫡子嫡孫を見ると養子の方が良かったのかもだが
0630名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/07(火) 02:21:49.72ID:VPDx2m1J0
>>620
鈴木善幸もだが小沢一郎が与党幹事長時代も日米関係は悪化した
岩手は反米の雄か
0631名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/07(火) 02:22:48.71ID:VPDx2m1J0
昭和も薩長支配が続いてたなら対米戦争など起きなかった
対米戦争は旧南部藩により主導である
0632名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/07(火) 22:33:22.85ID:bwSMvnPj0
吉田茂は田中義一を終生崇めてたらしいが
まあ長州藩と土佐藩の同朋意識もあったのかもしれんが

なにしろ長州藩と土佐藩は池田屋事件で共に新選組に襲撃されて殺されるほどの仲
薩長よりも長土は一蓮托生に近い
0633名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/08(水) 02:29:24.98ID:3acr4QVe0
会津新選組を最後まで許せなかったのが長州と土佐
0634名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/08(水) 02:37:35.93ID:3acr4QVe0
>>631
たしかにそうだな。
昭和の東北閥政権から極端に反米化してしまった
0636名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/08(水) 15:35:29.33ID:0cPYkdWz0
家督は江戸期では母は八百屋の娘だろうが湯殿の下女だろうが男子優先だったが、維新後は妾の男子より正妻の女子に婿を取る正腹優先の傾向が出てくるんだよな

西欧キリスト教的倫理観の影響なのかその辺わからないが

佐賀の大木喬任の息子の大木遠吉伯爵には正妻の子は女だけだが芸者に産ませた男子がいたが扱いは非常に悪い 後継の話など全くなく正妻の娘の伸子に徳川慶喜の孫の喜福を婿に取って跡を継がせた

でもってその伸子が事もあろうにその庶子の弟と浮気という大惨事
0637名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/09(木) 02:28:34.34ID:3VIqujxl0
>>630
そこは東条英機の遺伝子でw
0638名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/10(金) 01:57:56.38ID:xCqeed8I0
東北土人に滅ぼされた日本
0639名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/11(土) 02:36:12.28ID:7afrQcja0
東条はアヘン密売しまくってた糞野郎
あんなのは擁護できん
0640名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/11(土) 02:56:45.06ID:7afrQcja0
週刊ポストの逆説の日本史を毎週読んでるが井沢元彦は山県有朋と井上馨が嫌いなんだな
0641名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/12(日) 02:20:39.86ID:tdSvUsPr0
元老の山縣と井上がいなくてどうやって日露戦争に勝利できたんだ?
0642名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/12(日) 11:47:16.29ID:X3zQnal90
公職すっぽかして薩摩に帰った西郷派に比べたら、
国民軍作った山縣のほうがはるかに偉大だからな。
全部悪く言うのはいかがなものかって思うよ。
0643名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/12(日) 22:04:26.51ID:+xPRxeDe0
>>641
それまでの過程で重要な役割だった事は事実だが、
日露戦争の最中に山縣は大した事してないだろ
参謀総長に祭り上げられて実質蚊帳の外
0644名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/14(火) 02:11:33.42ID:T8qU4L3H0
まだ少し井上馨と山県有朋の再評価は先の話か
長州閥両巨頭の大功績が軽んじられてる
0645名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/16(木) 18:51:46.12ID:n8Oca7y70
日露戦争は国家事業 1人2人欠けたからといって勝ち負けを左右するようじゃギャンブルにすぎる

開戦前に川上操六と田村恰与造を失ったのは痛恨事だがそれでもその穴は残るみんなでなんとか埋まった
0647名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/17(金) 01:51:54.77ID:ed9zbCyM0
あの時代で、もっともマトモすぎたのは板垣退助なのはそのとおり。
0648名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/17(金) 19:55:01.34ID:zN/6FASN0
元から私心のない西郷、板垣、江藤に政治は任せとけば良かったよね
大久保が政変で邪魔して藩閥政治になり、藩閥が既得権益化してプロシア型国家になり最後軍国主義国家に変貌して壊滅
0650名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/17(金) 20:12:29.59ID:zN/6FASN0
私心が無ければむしろ妥協もするだろう
実際明治維新を主導したのは西郷、板垣、江藤で大久保とか木戸はヨーロッパ旅行してただけで
0654名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/19(日) 02:29:55.97ID:+09RH5dk0
>>644
大久保、岩倉の名誉回復の次は井上、山縣のみ。
0655名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/19(日) 21:46:56.43ID:Fs1gnls60
明治維新が徳川幕府から薩長幕府に移っただけという批判は当たってるかもしれないが
子孫に美田を残さなかった土佐藩士が主導権を握ってれば明治の四民平等の理想は実現していただろうに


それだけに土佐藩士で西郷、大久保、木戸に対抗しえる全国区の実力者であった武市半平太をつまらん理由で刑死させた山内容堂は無能の暗君すぎるし暴君かも知れん
0657名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/19(日) 22:06:06.33ID:xt1CF4+F0
>>655
土佐の岩崎弥太郎1人が残した財産は残る全維新関係者の美田を上回っている
その岩崎に美田に寄生したのが土佐の英雄、後藤象二郎と子に孫 後藤の一族は三菱にタカリにたかった
0658名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/19(日) 22:07:09.27ID:Fs1gnls60
いや武市半平太を刑死させてしまったことが結局は明治維新が藩閥化の失敗に終わったとしか思えない
薩長の志士からも神人のごとく崇められてたのは全国規模で武市半平太のみよ

武市半平太の刑死が藩閥化の失敗に繋がってる
酔っ払い山内容堂はアホとかバカすぎる
0659名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/20(月) 02:18:58.18ID:TXcJEnYZ0
誰々が殺されて明治維新が中途半端に終わったほどの超大物は
大久保利通でも吉田敏麿でも坂本龍馬でも広沢真臣でもない

武市半平太ではないか?
0660名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/20(月) 02:23:56.51ID:TXcJEnYZ0
土佐藩こそが四民平等の元祖
0661名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/20(月) 07:20:18.20ID:2r0rkDBv0
武市のあの性格では容堂が許したとしても到底明治まで生きられたとは思えない 仮に生き延びて明治政府に加わっても他の高官と衝突して下野必至だろう
0662名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/20(月) 18:16:11.97ID:R/158W5v0
板垣退助も維新後に武市半平太の損失は巨大すぎると嘆いてたな。
確かに土佐藩でカリスマリーダになれそうで実際なってたのが武市半平太
龍馬は一匹狼で後藤や中岡だと見劣りする

土佐藩が明治政府で主導権を握れなかった原因を作ったのが他ならぬ藩主であった鯨海酔候だが。。
0663名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/20(月) 21:13:26.56ID:HCH7E8XG0
維新後、木戸孝允が山内容堂との酒席で酔った勢いで「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と詰めたが、彼は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に臥せた晩年の容堂は、武市を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられwiki
0664名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/21(火) 02:37:50.93ID:T9j3ruz80
西の山内容堂 東の松平容保

幕末の二大暗君

佐幕派の共通点あり
0665名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/21(火) 02:41:57.72ID:T9j3ruz80
久坂玄瑞がべた褒めしていた武市半平太
0666名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/21(火) 14:10:12.28ID:gYg5wQ0Z0
>>664
会津藩に関しては藩主よりも家老の西郷頼母など重臣の大失策が重すぎる。
土佐藩は藩主が酔っ払いでも藩士が一流ぞろいで助かってた。

まさに武市半平太の処刑だけは酔っ払い藩主の大失策。
0667名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/21(火) 16:35:06.05
関係ないけど、井上は明治3年に兄が亡くなって井上姓に復姓するまでは志道(しじ)姓だったので
幕末期は志道聞多(しじもんた。正式にはぶんた)と呼称するべきだけど浸透してないね
0668名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/21(火) 18:23:43.69ID:v1tOdajt0
結果が全て
早死にした武市半平太はヘタレ
0670名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 02:15:57.42ID:yosKQxEy0
岩崎弥太郎を輩出したり土佐藩は薩長に負けず劣らず人材の宝庫だっただけに
武市半平太の処刑は惜しすぎるし
山内容堂はバカ殿もバカ殿すぎる
0671名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 02:24:33.45ID:yosKQxEy0
政財官軍の全てを掌握できるほどの人材が土佐藩はいたことはいたが
『政』の頂点に立てる力量があった武市半平太の死で台無しに
0672名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 02:35:44.75ID:yosKQxEy0
政→武市半平太
財→岩崎弥太郎
官→中岡慎太郎
軍→板垣退助

冗談ではなくて武市、中岡が長生きしてたなら掌握できた。
0674名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 13:40:34.78ID:TBxzRINk0
>>672
そういや司馬遼太郎は幕末で人物を見抜く観察力では中岡慎太郎が最高峰だと評価してたわな。
最下層の公卿だった岩倉具視を押し上げたのも中岡慎太郎だったわな。
薩長同盟よりも薩土友好の方が早しだが要人が暗殺されすぎて明治では土佐藩は時勢から消えてしまった。
0675名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 14:28:44.14ID:0FdxxJak0
土佐が維新で死者を多数出したのは確かだが長州も相当に死んでいる
薩摩大提灯、長州の小提灯などというが長州も同郷の面倒見は存外によく、閥を作る性向は薩摩と変わらない

一方土佐人は徒党を組む傾向が薄い 土佐勤王党が敗れて以降土佐人は個々人が維新に参加し個々人が明治政府に加わる その数はまだまだいたが土佐人同士が集まって閥を作るということがない 個人主義的とも言える

土佐といえば首相なら濱口雄幸に吉田茂、陸軍なら谷干城に山下奉文、海軍なら永野修身などだが彼らは誰も土佐閥めいたものは作らなかった 後藤象二郎、板垣退助、岩崎弥太郎もしかり

武市その他が生きていても土佐閥のようなものは作らなかったのではないか 彼らは土佐人を超え正しく日本人であった
0676名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 16:09:06.27ID:TBxzRINk0
>>659
そうです武市半平太の処刑は大久保、広沢の暗殺や木戸、高杉の短命以上の大損失だったのです。
0678名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 18:30:06.66ID:rEY/PpDj0
腹話術師w
0679名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/22(水) 19:13:34.20ID:kaJlx2Dg0
そりゃ人物眼ナンバーワンは木戸に決まってる。
三傑死後は伊藤率いる木戸派が占めたんだからな。
0680名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 02:41:09.39ID:6IIKXl670
>>772
その中で文句なしに活躍したのは岩崎弥太郎のみ
もとから土佐人の性質は政官より民間業でこそ力を発揮できる
0681名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 02:57:34.04ID:6IIKXl670
>>674
しかし土佐人は暗殺されすぎ
池田屋事件でも土佐人の死者は長州人とほぼ同数
近藤勇を許せなかったわけだ
0682名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 03:33:05.38ID:6IIKXl670
>>679
たしかに東北人の敗戦処理の扱いを見る限り先見性の点では木戸が筆頭格だったかもしれんな
0684名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 13:32:00.80ID:qoQPRs8y0
勝海舟「西郷、大久保に比べると木戸は実に小さい」
木戸が見かけによらず恨み深く嫉妬心が強いのを勝海舟は見ぬいていたんだろう。

薩長同盟後も最後まで薩摩に対する禁門の変を恨んでいたのが木戸なら会津藩及び旧幕臣の厳罰を最後まで訴えたのも木戸。

暗殺されたわけじゃないのに43歳の短命で終わったのも自らの怨念性が祟ったのか?
それでも維新三傑の超大物には変わらんがね。
0685名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 13:57:26.41
今はホラ吹きで独善的な自分の都合の良いことしか言わない勝の人物評は何の価値も信頼性も無いとされているのが常識
0687名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 16:25:22.59ID:DGYCbP830
勝みたいなホラッチョお爺さんの氷川なんとかが出回りすぎなんだよw
アホすぎて明治期に全然相手にされてないし。
0690名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/23(木) 19:04:32.51ID:Fn1gdT120
>>684
>会津藩及び旧幕臣の厳罰を最後まで訴えたのも木戸。

ここは評価しないと駄目だろ
0691名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/24(金) 02:15:58.12ID:E4cv3TLO0
原敬など逆賊藩の子孫を復権させた山縣有朋は爪が甘かったな
ああ見えて山縣が人情派なのは知ってるが
その後に東北土人連中に日本は支配されて泥沼の戦争に突入して崩壊さ
0692名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/24(金) 02:19:24.43ID:E4cv3TLO0
山縣は冷酷無比に思われがちで確かにそういう面も多いが
西郷の死に号泣したり逆賊藩士を国政で活躍させたり温情主義者の一面も多い
時にそれが爪の甘さを覗かせたりもする
0693名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/24(金) 02:25:35.32ID:E4cv3TLO0
30年先いや50年先を見据えていたのは木戸だけかもしれんな
五稜郭の旧幕臣全員の処刑を必死に訴えてたのも今となっては正論である

選挙制度も直ぐに導入しても国民に根付くわけないから20〜30年は待つべきだと主張していたが木戸の死後に
直ぐに民選選挙を導入してしまった結果に金権腐敗政治が蔓延してしまい
まことにそれも木戸の予言が当たってしまった
0694名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/24(金) 13:10:43.71ID:XbRSEhKv0
真っ先に徳川慶喜の助命を主張したのも木戸だったな。
生かす人間と殺すべき人間を理解してた。
0696名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 02:02:30.22ID:PxK/rgwT0
>>667
井上馨なくして明治産業の急成長は無いよ。
日本が江戸時代の重農主義国家から脱する事ができたのも井上馨の功が大きすぎる。
0697名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 02:04:19.55ID:PxK/rgwT0
>>684
大村益次郎も木戸孝允は嫉妬心が強すぎて困ると西園寺公望に手紙で書いてるからそこはそうなんだろう。
0698名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 02:09:29.65ID:PxK/rgwT0
>>695
木戸は旧幕臣勢力復権の完全阻止を求めていたんだろう。
0699名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 06:25:07.43
それは完全に正しいな
旧幕臣が政権の中枢に就いたんじゃ革命を起こした意味がなくなる
結局、東北出身者たちが権力を握って日本帝国は滅亡した訳だが
0701名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 08:32:26.50ID:NhtgUZfq0
原敬でさえ維新時は子供 東條英機や板垣征四郎、米内光政など生まれてすらいない
これらを永久に排除しようとすれば東北地域出身者の軍官採用制限をつける事になる
つまりは地域差別化で当然差別された側は中央に従わなくなる

東北は独立前のアイルランドのようになり分離独立運動とテロの温床と化し第二次東北戦争へ 
当然対外進出などやる余力はないから大戦に巻き込まれることもなかっただろう
0703名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 13:53:15.93ID:Ie5RojMw0
>>670-672
土佐藩だと後藤象二郎が過小評価されとる。
福沢諭吉に後藤象二郎でしか国家百年の大計は不可能だと言わしめている。

いかにせよ暗殺や刑死がなかった場合は土佐藩の人材力は幕末一位だったかも知れない。
0704名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 14:18:32.71
土佐は上級武士の後藤・板垣・佐々木がいなかったら容堂は動かせなかっただろうな
容堂は下級武士の武市・坂本・中岡らの言うことを聞くような人間ではない
まあ、武市は上士の身分を持っていたんだが
0705名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 15:03:17.24ID:Ie5RojMw0
武田鉄也「お〜い竜馬」の影響か未だに私の中では幕末とは土佐藩
土佐藩だけ見れば幕末の流れが分かるという土佐藩を中心に見てしまう癖ができてしまった

幕末=土佐藩になってしまった
0706名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 15:13:16.13ID:NhtgUZfq0
幕末漫画は多々あるがやはり漫画の神様
手塚治虫の陽だまりの樹は外せまい
後はみなもと太郎の風雲児たちか
0707名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 15:35:15.76ID:ccc1eeyc0
土佐三伯といえば後藤象二郎、板垣退助、佐々木高行

と言っても土佐に他に伯爵がいないわけではなく田中光顕も伯爵である まあ田中光顕は十分有名である

土佐の幕末の志士で現在最も扱いが悪いのが土方久元伯爵である
志士として土佐勤王党に加盟、七卿落ちに同行、第一次長州征伐にも関わり、薩長同盟成立に尽力しとその経歴は華々しい
維新後も大臣を歴任するなどした

が、現在幕末の話をしていて、土方が、というと100人中100人が土方歳三を思い浮かべるだろう
大久保も利通が圧倒的多数だとは思うが一翁を思い浮かべるのも数人くらいじゃいるだろう
その点土方は歳三のパーフェクトゲームである あまりにも歳三が有名すぎて土方の姓を独占状態
高知県民はもう少し久元の名を宣伝すべきと思う
0708名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 17:53:44.89ID:Ie5RojMw0
他にも谷干城などいぶし銀の名脇役揃いが土佐藩士
武市半平太が生きていればとつくづく思わせる
0711名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/25(土) 22:35:26.69
佐々木高行は伯爵のイッコ上の侯爵に陞爵したから土佐人の中では一番出世したんだけどいまいち知名度はないな
福岡孝弟もいたな
0712名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/26(日) 02:31:48.63ID:ocNbX/zw0
>>705
あとは司馬遼太郎小説だよな。
これで土佐藩目線で幕末を見る日本人が急増した。
土佐藩から幕末を眺めるのが通例となってる。
0713名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/26(日) 02:35:59.98ID:ocNbX/zw0
薩長と徳川幕府の抗争だけで終わってたならフランス革命やロシア革命と同じく
血みどろの明治維新革命になっていただろう

徳川幕府にも温情をかけた土佐藩が仲介を果たしたことで日本は長期内戦を阻止できた
多くの日本国民が明治維新を肯定できるのも土佐藩あればのことこそ
0714名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/26(日) 02:38:44.20ID:ocNbX/zw0
まあ土佐藩から見た幕末というものが最も正確に中立的に偏らない幕末史を見ることができるかもしれないな
0715名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/26(日) 14:07:30.26ID:E2JlOwRr0
>>699
今日は東北青年将校が反乱した226事件の日
永田鉄山を暗殺した相沢三郎も旧仙台藩士
0718名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/26(日) 16:06:15.70ID:ZNqyWpp60
出身地域で見る二二六事件
本事件では青年将校16人が死刑、2人が自決しこの18人の出身地は次の通りである
北海道1、東北3、関東1、中部3、中国4、九州6

このうち首魁とされた6名は次の通り
野中岡山、香田佐賀、安藤岐阜、河野長崎、栗原島根、村中北海道、磯部山口

標的となった重臣たちは次の通り
岡田福井、鈴木千葉、斎藤岩手、高橋東京、渡辺愛知、牧野鹿児島

青年将校が担ごうとした軍人
荒木東京、真崎佐賀

本事件は中国九州の将校連が何も知らない東京生まれの兵隊さんを動員し帝都を混乱に陥れたと言える
0719名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/26(日) 19:38:15.82
土佐第一の英雄と言えば後藤象二郎だが、彼には土佐勤王党の弾圧の指揮を執ったというでっかい経歴上の瑕(きず)があるからな
0721名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/27(月) 02:27:24.17ID:r+Eq2GaX0
>>719
後藤が維新前の志士時代を執拗に語りたがらなかったのはそれかもしれんな。
山内容堂は死の直前まで悔やんでいたらしいが。
なにしろ武市半平太を超える巨魁が土佐藩にはいない。
0722名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/27(月) 02:30:02.93ID:r+Eq2GaX0
>>712
たしかに土佐藩から幕末を見れば薩長と徳川による流血の抗争劇という殺伐感がなくなるから不思議。
長州や会津から幕末を見れば怨念まみれになるが・・
0723名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/27(月) 02:50:36.91ID:r+Eq2GaX0
>>715
相沢の悪影響か2.26事件は東北人の薩長政府への逆襲だと思われてる感がある。
0724名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/27(月) 10:15:09.37ID:EVIA2jpE0
>>723
二二六事件は東北だ薩長だと言った地域性はない 
>>718
に見るように首魁に東北人はいない 奥羽越まで広げて強いていえばイデオローグの北一輝が新潟出身と言うことぐらいだが北は新潟といっても佐渡で戊辰戦争などほぼ無縁

このように二二六事件は東北の軍人などほとんど関与していないのだが東北の逆襲などと思い込んでいる理由だが言われるように相澤中佐の事は一つあるだろう

もう一つ、東映が制作した二二六事件を題材とした高倉健と吉永小百合の動乱 この影響だろう 高倉健の役は安藤大尉がモデルだが相当に脚色しており、仙台の第二師団所属で部下の兵の姉、吉永小百合だが売られるのを苦にして脱走といった展開にしている

史実では青年将校で東北の師団勤務など誰もいない 東北の姉や妹が売られる兵の家庭に同情したという話も出ることがあるが、将校たちは第一師団と近衛師団所属だからそもそも東北の兵など部下にはいない

映画の影響というには大きいもので、二百三高地、八甲田山、日本の一番長い日など歴史大作にも虚構は含まれているがやはり信じてしまう人はいる 海外の映画史上最大の作戦とかバルジ大作戦なんかも同じではあるが
0725名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/27(月) 13:35:00.58ID:UyB5nsEW0
>>721
個人で殺人までしたことがある伊藤博文は逆に喜んで過去を語ってたみたいだが。
0727名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/27(月) 22:14:44.99ID:UyB5nsEW0
土佐藩だと田中光顕は自伝で貴重な証言を多く残してくれてるから有難い
後藤象二郎は墓場まで持っていく秘密があったんだろう
0728名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 00:06:31.88ID:zguw3RrS0
71 本当にあった怖い名無し (アウアウエー Sa93-KI4B [111.239.161.4]) sage 2023/02/26(日) 04:40:14.36 ID:Hfr+fEkJa
アーネスト・サトウ回顧録に伊藤博文は英語ができ、他の誰より意思疎通ができたという一文があったと。

それが伊藤が初代首相に選ばれた理由だと私は考えてます。

日本は明治から五・一五までは英国の完全管理下だったという認識です。

日露戦争も英国の代理戦争でロシアの農奴と日本人。人命が最安の日露

https://mobile.twitter.com/yoshiokahideto/status/1629481297436626947
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0729名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 00:07:53.93ID:zguw3RrS0
73 本当にあった怖い名無し (アウアウエー Sa93-KI4B [111.239.161.4]) sage 2023/02/26(日) 04:42:52.06 ID:Hfr+fEkJa
日露戦争は大国であるロシアに勝てるはずがなかったですが、 ロスチャイルド財閥と関わりがある銀行家ジェイコブ・シフに国債を大量に買ってもらうことで戦費をまかない日本は勝利しました。

しかしその借金を払い終えたのは1986年で、どれだけ巨額の借金をしていたかは容易に想像できます。
0730名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 00:16:06.85ID:bz67wI0G0
>>719
後藤の親父代わりの吉田東洋は土佐勤王党に殺されてるから止むを得ない

薩摩藩でも公武合体派と武力討幕派の路線対立があった様に新政府に登用された人材達は必ずしも当時一枚岩ではなかった
0731名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 00:28:23.27ID:Um8h+nZj0
小松帯刀がおらんかったら精忠組も瓦解してたぐらいやからな
まあ薩摩はなんだかんだで島津本家だけじゃなくて支流に面倒見の良い知識人がいて下級藩士のフォローや育成の後押ししてたのが大きい
0732名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 02:16:29.09ID:Q6LqEAF30
後藤象二郎は維新で終わった人。
竜馬、慎太郎も同様。

土佐藩自体が最高の仲介者として維新で終わった藩かもしれない。
0733名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 02:32:59.00ID:Q6LqEAF30
薩長土肥で藩主が無能なのは土佐の容堂だけ
0734名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/02/28(火) 23:25:03.59ID:JP44+RkZ0
そりゃあ明治では土佐藩最大の重鎮と化した板垣退助が武市半平太の処刑は土佐藩には損失が大きすぎたと最後まで悔やんでいた
後藤象二郎が負い目に感じないわけがない
0735名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/01(水) 02:37:15.77ID:Q9ZcRCoY0
武市半平太が初代総理大臣だと日本は土佐国よ
0736名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/01(水) 02:49:53.41ID:Q9ZcRCoY0
後藤が板垣の存在を超えれなかったわけだ
0737名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/01(水) 17:03:06.78ID:yIyzOlgV0
土佐藩の生き残り最大物が板垣退助
後藤象二郎でも一歩譲る
0738名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/01(水) 19:45:59.59ID:5Ttp7yn90
人柄がそもそも正反対で板垣は他藩の人にも好かれてて大きな組織やグループで常に担がれる
旧幕臣や北関東、東北の民権運動家も後藤や大隈じゃなくて大体板垣のところに行った

後藤は大政奉還を容堂と企てて討幕グループ内クーデターをやったというのもあって薩長とはずっと距離があった
更に大政奉還もひっくり返される間抜けさで旧幕臣や親藩の人達の中でも中途半端な策士扱いで不人気

幕末維新の政争で薩長や岩倉とかも方向転換したりほとんど裏切りに近い事をやってるんだけども主流派になって自分達が維新を成し遂げるんだっていう意思を貫徹して内ゲバも乗り越えた

この辺りが明治後も重鎮でい続けた薩長の元勲、板垣と誰だっけ?になった後藤の差かな
0739名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/01(水) 20:26:40.36ID:Mu3/NDYy0
武市はともかく龍馬や中岡の死は土佐藩が匿ってれば防げたはず
この二人が生きてれば後藤や板垣よりも先駆者として評価されたはず
0740名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/01(水) 20:42:24.99ID:Mu3/NDYy0
板垣は自由民権運動を起こし国会を開かせたから軍事より政治の方が功労ある
西郷は外国と戦争になったら板垣を総司令官にしろと言ったらしいが
それだけの人物が野で活動した事にも意義があった
0741名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/02(木) 02:40:54.35ID:UVBmk3SZ0
どこか伊藤博文と風が似てるといえば似てる
0743名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/02(木) 03:02:45.02ID:UVBmk3SZ0
土佐藩の大商人だと、どうしても岩崎弥太郎ばかり目立つが
最期は失敗したが一時は鈴木商店の売上を日本のGNP一割に到達させた金子直吉も土佐藩生まれ
0744名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/02(木) 03:03:47.84ID:UVBmk3SZ0
土佐藩士は商才に長けすぎてる
0745名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/02(木) 13:48:29.04ID:Ason9qrr0
>>725
伊藤博文が功績の割には大物感が薄いのがそれかもしれんぞ。
まだ後藤象二郎は得体のしれない重厚感を出してる。
0746名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 00:51:45.52ID:/Dzbss/W0
板垣が軍に残っていれば、山縣を抑えられただろう
0747名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 02:29:57.60ID:uBPxHvJm0
大久保利通を超えてたかもしれない怪物である山縣有朋を抑えられる人間は誰もいなかった
0748名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 02:39:07.84ID:uBPxHvJm0
20世紀の大物政治家順位

1位、山縣有朋
2位、井上馨
3位、田中角栄
4位、中曽根康弘
5位、小沢一郎
0749名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 03:03:20.95ID:uBPxHvJm0
>>713
徳川幕府の旧勢力を完全に根絶できる最大のチャンスを逃してしまい、
逆に維新革命が中途半端になってしまったともいえる。

明治新政府での旧幕臣勢力の巻き返しを恐れて完全に旧幕臣を根絶すべきと主張したのが木戸孝允だが。
0750名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 13:22:42.32ID:qNeeQxv30
山縣有朋なくして明治時代はない
0752名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 18:15:03.88ID:fRPItckp0
>>751
井上は縁者の文献や三井物産ほか三井系の社史の方に記録がよく残っているよ
特に物産の序盤はほとんど井上馨物語と言って良いぐらいの中身
縁者も大物財界人、官僚が多くてその人達の評伝や日本経営史の本に細々と書いてある
多分全部読むのは無理だと思うんでツテがあるなら三井系の企業の社史が手っ取り早く総合的な話を仕入れられる
0754名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/03(金) 20:31:17.16ID:XF+EdIzj0
伊藤、山縣、井上は長州閥の親玉という事で国家権力振るっただけ
大久保なんかも天皇とか国家権力使って政敵倒したから似たようなもの
一人で政府と対立できた西郷や野で民権ブーム起こした板垣のが個の能力では上
0755名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/04(土) 02:53:29.50ID:okYw0KBo0
江藤新平を忘れてもらっちゃ困る
0756名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/04(土) 03:00:23.24ID:okYw0KBo0
>>750
井上馨なくして明治日本の産業革命もなし

ここを井沢元彦は理解していなさすぎる
0757名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/04(土) 09:44:53.57ID:e09eamJw0
三井の井上、三菱の大隈とか当たり前だからな。

大隈は自分もきな臭いのに、井上や五代を助けないから
藩閥政治から省かれることになる。
0758名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/04(土) 11:46:47.03ID:W2b/x+450
大隈は空気を読めないというらか読まないレベルでゴリ押しで何とかなるやろうで独自の動きをし過ぎて伊藤、井上と袂を分かったからな

伊藤も割と大隈ちっくに動いた局面はあるものの憲法制定に関しても政友会の与党化にしても味方を増やす工作もやるから基本的に主流派
井上は主流派になる、する為の工作のプロ
この辺りは幕末の長州が外交的孤立で蛤御門、長州征伐などの苦難を受けた経験から多数派であることの重要性を痛感していたからかなと想像する
0759名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/04(土) 14:31:37.51ID:QdIeSu4X0
大隈も最近は持ち上げられて過大評価されてるが所詮は小策士にすぎなかった。
藩士時代では生死を共にした江藤が佐賀の乱後に裁判中でも大隈は自らに火の粉が降りかからないように徹底無視してた小策士。

だが幕末みたいな動乱期では大隈みたいな小策士でこそ必要とされて活躍するのもまた事実。
0760名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 02:21:13.92ID:NpfzUazx0
大隈重信と山県有朋は同年生まれで同年死亡だが力量の差は随分と差がついた
0761名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 02:22:27.25ID:NpfzUazx0
>>757
>>759
平気で恩を仇で返す糞野郎が大隈かもしれんのう
0762名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 08:56:45.58ID:N3V+3F860
井上馨は骨董が趣味だったがそのコレクションは尋常なものではなかった 現在国宝指定されているほどの名物が幾つも井上の元にあった

馨の死後井上家は馨の収集品を競売にかけたのだがその売上額が245万 ほぼ同時期に酒井伯爵家も家宝の売り立てを行っていてそれがほぼ同額の240万

酒井家は小浜10万石の大名だったがその家宝と井上馨一代が収集したコレクションとが同額というのが驚きである
ちなみに当時の総理大臣の年俸は1万2千円 井上コレクションは総理の年俸200年分である

大美術品蒐集家は他にも大勢いた 松方、根津、赤星、大原美術館やブリヂストン美術館も元は個人のコレクションである
そのほとんどが実業家でありその莫大な資力を持って収集した

しかし井上は彼らのような実業家ではない じゃあなんなのかと言えばブローカーなのである 

その権力と情報を持って三井や鴻池を財布にしていた それだけではなくその美術品を収集するにあたっては古美術商に対し値切るわ脅すわで、金に詰まった名家があれば便宜を図っては伝来の秘宝を持ち去る 

それほどまでしたコレクションも残された家族にはただの骨董に過ぎずあっさり蔵払いの憂き目に合うのである
0763名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 08:59:11.24ID:BYKSqi6Y0
>>760
葬儀は対象的だったそうな。

国葬だったが事実上の陸軍葬の様相だった山縣
国民葬となった大隈
0764名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 11:40:38.24ID:Gs7i5Xkv0
>>763
その国民葬に集まった人数は盛りまくって東京都の規模としてはおかしい人数になっているのが大隈でそういうハッタリぶりが大隈らしいんだけどなあ
0765名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 13:40:57.18ID:mNsNxXWc0
山縣は今日でもアンチが多すぎるのが残念だ
大隈は最近過大評価されすぎてるが
0766名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/05(日) 13:43:09.48
隈侯(わいこう)の葬式の人出は盛ってたのか
山公(さんこう)の葬儀は言われてるほど淋しくはなかったとどこかで読んだ記憶があるが
0767名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/06(月) 02:32:45.36ID:Deu3MIBq0
>>765
民権政治家を貫いたところが高評価されてんだよな
0768名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/06(月) 02:33:47.99ID:Deu3MIBq0
どことなく大隈重信は勝海舟と性質が似てる
そこらへんが人気が高い所以でもあろう

残念ながら山縣有朋の人気が出ることはないと思われ
0769名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/06(月) 05:47:00.06ID:koHk4skq0
大隈なんて五代に
「大名のように暮らしてる、性格が悪いから伊藤みたいに人が寄ってこない」
って直に苦言を呈されてるよな。
0770!id:ignore名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/06(月) 10:49:34.80ID:hqkMCRva0
五代の謎は華族令公布の明治17年の時点まで生きてたのに爵位を与えられなかったこと
明治18年に亡くなってるが、官僚と財界人としての功により本人あるいは跡を継いだ息子に男爵か子爵ぐらいは与えられるのが相当だったのでは
0771名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/06(月) 13:58:41.02ID:3ZH5zHJ80
ひたすら大隈、江藤の佐賀人を持ち上げて井上、山縣を嫌い、
二人の明治日本への大貢献を何も理解できていない井沢元彦に近代史学を語る資格はない。
中世、戦国だけは奥深いことが書いてあるから一読の価値はあるが
0772名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/07(火) 02:18:21.95ID:Ng2mldnb0
明治政府内での佐賀人は獅子心中の虫だろ
0773名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/07(火) 02:18:46.37ID:Ng2mldnb0
佐賀人と東北土人は日本を崩壊させた
0775名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 00:23:15.89
TwitterかなんかのSNSで惟精が諱、馨は通称というのは二、三度見たことあるけど典拠がなかったからほんとかわからないな
0778名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 02:09:44.59ID:VV3foBSC0
>>771
室町〜戦国あたりの時代考察なら最高峰なんだけどな
幕末史以降は近代日本国家を創設する上での山県有朋と井上馨の重要度を認識できていない
0779名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 02:11:47.86ID:VV3foBSC0
>>773
そいつら佐賀と東北は日米戦争の敗戦責任者。
0780名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 13:30:36.25ID:mq1DQSHI0
それでも土佐と佐賀は明治維新の良心だと思いたい。

子孫に美田を残さなかった藩士の最多数が土佐と佐賀。
0782名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 19:03:37.87ID:vFI3XHCD0
土佐藩岩崎弥太郎の残した美田はそれ以外の維新志士全美田を超えてる
明治の大財閥は他は三井、住友、鴻池、安田、古河、川崎などで官軍藩士は岩崎弥太郎くらい
岩崎の築き上げた資産は五代友厚や井上馨なんか足元にも及ばないからな
土佐こそが一番ゼニを蓄積した成功者
0784名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 19:41:44.11ID:uXcwmtnG0
>>783
高知で始めた事業でもないしビジネスの中心は長崎、大阪、東京と移っていったからね

鉱山開発にしても航路確立も土佐はビジネスの中心にはなり得ないから仕方ない
三菱が財閥化できたのは弥太郎より弟や甥っ子達のおかげだし
0785名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 20:38:09.16ID:TypzBIqI0
薩長土肥 鹿児島山口高知佐賀
どこも最近寂れたんじゃなく明治時代に既に泡沫地域
出世した連中が総じて木綿のハンカチーフの彼状態で地元はさびれるばかりなり
0786名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 20:53:20.29ID:dgqGC8oT0
>>775-777
そうなんだよ
明確な出典がないし、
何で惟精と名乗らず馨と名乗ったのか理由も分からん
山縣や伊藤みたいな最下層士族ならまだしも井上家は上士だからな
0787名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 23:04:05.58ID:mq1DQSHI0
土佐はカリスマ武市半平太の死が最後まで尾を引いてる
0788名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/08(水) 23:26:37.73ID:TypzBIqI0
薩長土肥の偉くなったのは国に帰らなかった
というか帰ったのはそこそこいるが、これが西郷前原江藤など反逆者ばかり 当然地元が繁栄するわけがない

少し後の世代も薩摩の東郷、長州の乃木と故郷に帰って故郷のためにという事は全くない 大半が生涯現役だろうと引退だろうと東京から帰ることがないのである

秋山好古のような故郷の中学校の校長になり郷土の子らを教育するというのは極々稀な事例と言える
そうして維新で倒幕した田舎は結局田舎のままなのである
0790名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 02:13:40.50ID:ijnlGvDT0
最後まで国家より世襲大名家の存続に固まっていたのが佐幕派の東北土人の屑どもだな
0791名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 02:19:47.02ID:ijnlGvDT0
>>787
実子も作らなかった武市半平太が生きていたら明治政府は土佐藩が主導権を握って四民平等の世が実現していたと板垣退助も嘆いてたぐらい。
0792名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 02:22:31.00ID:ijnlGvDT0
四民平等
一代華族
子孫に美田を残さない

薩長だと西郷や前原が個人では成し遂げたが集団だと土佐藩士だな
0794名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 12:10:55.82ID:JLPxz2XX0
板垣も陸軍に残っていれば山縣だってデカい顔できなかったろ。
0795名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 12:36:41.81ID:30sm8DOc0
軍政の山縣にはそれほど関係ないやろ
初期は陸軍の組織をどう作るのかが重要で御親兵編成までしか軍政に関与していなかった板垣はその時点で陸軍の主流派にはなり得ない
0796名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 14:08:22.86ID:aLvuXCfF0
薩→西郷隆盛
長→前原一誠
土→板垣退助
肥→江藤新平

有り余るほど貰えた富も名誉も自ら全てを捨てて在野に身を投じた真の革命家四天王ともいえよう
0797名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 14:22:27.06ID:aLvuXCfF0
参議、外務卿の地位を捨てて下野後に中国大陸を放浪してた副島種臣も真の革命烈士。
0798名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 15:18:46.93ID:cHh2L7W70
大村が生きていれば山縣なんぞ出番はない
板垣が軍に残っていたら山縣なんぞ出番はない
前原が軍に残ってれば山縣なんぞ出番はない
山田が軍に残ってても山縣に出番なぞこない
もののみごとにこの4人が居なくなった奇跡によって怪物山縣は生まれた
0799名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 15:27:51.19ID:30sm8DOc0
いや大村も戦略はやっても軍政はやってないんやで
山田顕義は戦略も軍政も得意で亡くなるまで軍政のナンバー2

ホンマに歴史知ってんの?
0800名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 16:29:45.16ID:w66ry3hN0
軍政だ軍令だと棲み分けされて運用されるのはもっと後の話

そんなことも知らんのか?
歴史知ったかすんな

そもそも大村は戦術だけでなく運用、編成などすべてにいたる軍そのものにおいてトップ

山縣のぺーぺー風情があのようになれたのは高杉の死からはじまり、上がドンドン抜けた結果、ロケット鉛筆のごとき状態でプリッと押し出されたたまたまそのポストに就けた奇跡中の奇跡においてのこと
0801名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 16:32:18.27ID:w66ry3hN0
上がこれだけ残ってたら山縣などよくて谷干城同等レベル止まりになったのは間違いない
0803名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 20:30:02.84ID:fkwbvBVX0
幕末で凄いのはすぐに命捨てれる志士
こいつらが突撃して明治維新はなった
外国も志士とゲリラ戦を恐れてなるべく戦争を仕掛けなかった
生き残ったのは凡庸な常識的人物
0805名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 20:59:22.20
天才山田でも松下村塾で最年少?だし流石に山縣よりは若輩だろう
長州軍閥のNo.2、山縣と右腕といったところか
0807名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 21:03:56.96ID:H0OkvSVI0
山田は大村暗殺されたあと中央の兵力が空っぽの問題解決できなかったり政治力は高くない感じがある
0809名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/09(木) 22:59:28.72ID:aLvuXCfF0
大久保利通を超えてたかは分からんが同年生まれの大隈重信を力量で圧倒してたのが山縣有朋
0811名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/10(金) 02:13:57.37ID:PwpDoVQ+0
木戸公が、江藤、大隈を新政府に向かい入れたのに、
木戸伊藤が欧米視察してる間に長州派を追いやるからだな。

最初に自分らがやったこと。
0812名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/10(金) 02:48:51.10ID:PaQneLT40
最後は人生を見上げて気づいてた時は誰一人も頭上にいなかった無敵の超人になったのが山県有朋
0813名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/10(金) 02:53:55.72ID:PaQneLT40
山県有朋には大久保利通でも一歩譲る
0814名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/10(金) 13:31:47.16ID:Lp4RpML60
伊藤、井上は幕末期からイギリス留学を任せられていて活躍していたが
その時の山縣なんて無名の事務屋にすぎない

それが明治の世からあれよあれよと駆け上がり日本国の頂点に君臨してしまうなんて誰も予想できないだろ。
0815名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/10(金) 13:46:54.55
伊藤、井上は密航で当時は公言が憚れるし、長州の内々の仕事すぎて天下に名を知らしめるような性質のものではなかったのでは
少なくともリアタイでは
0816名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/10(金) 18:22:58.36ID:PeGYpb7J0
>>800
大村は木戸や西郷には軍政も含めて支持を受けていたけど徴兵に反対する大久保と対立して大村の徴兵、鎮台制の構想は生前には実現できなかったのは知ってんの?

大村死後に山縣、山田がそれを引き継ぎ木戸、西郷の強い後押しもあり大久保も徴兵制への以降は避けられないとして廃藩置県と合わせて話がようやく進んだ

長州内での兵制改革は木戸の後押しで実現したけど新政府では兵制改革を含めた軍政はやれてない
知らんのは君やで
0817名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 02:33:40.12ID:VmshV4F30
しがない事務屋から20世紀最強の政治家に変貌をとげた山県有朋。
どことなく徳川家康的。
0818名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 02:38:12.49ID:VmshV4F30
>>814
岩倉遣欧使節団より先にイギリスを見渡した事実は大きい。
長州閥が目指してたイギリス型国家にしなかったことが昭和初期の失敗につながってしまうが。

結局は旧幕臣の逆賊東北土人どもが国政でも復帰するにつれて日本は反米英路線を歩んでソ連との中立条約や日独同盟など大陸性志向になってしまう
0819名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 18:16:25.71ID:bdh+FUKt0
ヨーロッパからの外遊後の山縣の御親兵で西郷を引っ張り出しつつ中央の兵力確保して
西郷への廃藩置県への要請の流れは芸術的
この辺りから政治センスがずば抜けていたのがわかる
0820名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 18:54:55.01ID:lepZWAAa0
>>818
田中義一がもう少し長生きしてたなら昭和初期も長州閥支配で悪夢の戦争に突入しないで済んだんだけどな。
0821名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 20:49:58.78ID:j3/bPNgn0
山縣や田中等がシーメンス事件を利用して山本権兵衛を失脚させなければ、その後もだいぶ違ったのでは。
0822名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 21:49:35.25ID:HF43xHkP0
田中義一が張作霖爆殺事件で大コケしていなければ、田中派の宇垣一成は総理になれたかもね
それでどうなったかはわからんが
0823名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/11(土) 22:10:35.09ID:j3/bPNgn0
軍部大臣現役武官制の改正に強烈な反対運動をした宇垣が、復活したその制度のせいで組閣に失敗したのは因果応報。
0824名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/12(日) 02:56:31.95ID:lyD0BDQz0
>>817
高杉晋作でさえ山県には期待も何もしていなかったみたいだからな

それが最後は無敵状態の大宰相になるとは山県こそ天に選ばれていたのか
0825名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/12(日) 03:01:29.45ID:lyD0BDQz0
>>813
大久保をさらに強化させたような人間
0827名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/12(日) 09:36:06.00ID:DyqPppac0
>>823
官僚、軍人にありがちだが、天下国家とかいいつつ、行動原理はその立場でのポジショントークだからね

宇垣の組閣を潰した石原にしても参謀本部から関東軍の独断を抑えに現地に行ったら石原閣下と同じ事をしているだけと返され絶句した
東條も陸相の時陸軍の立場で散々首相に楯突いたが首相になってみると陸軍のことばかりにはいかず陸軍からの突き上げに苦慮する羽目となる

姿勢が揺るがないのは立場が普遍の天皇だけ 本当は政治家がそうあるべきだが原敬、濱口雄幸、井上準之助、犬養毅と殺されるか斎藤隆夫のようにパージされるかで、もの言える時代じゃなくなってしまった
0828名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/12(日) 13:37:00.98ID:3ItixX0C0
>>824
高杉晋作が吉田稔麿と山縣有朋を比較した逸話は有名だったな。
あくまでも事務屋としか思われてなかったんだろう。
0830名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/12(日) 17:54:37.78
死んだ志士には業績がないからな
何かをやる前に死んでしまった
だからロマンチックな思いに浸りたいのは解(わか)るが過大評価は無用
0832名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/13(月) 03:11:20.85ID:6WmqAYfF0
そりゃ20代の山県なんて奇兵隊の事務係に過ぎないんだから誰も期待していないでしょ
伊藤、井上、高杉は20代から暴れ馬として活躍して全国的に有名だったが
0833名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/13(月) 03:12:49.29ID:6WmqAYfF0
山県が国政の表舞台で頭角しだしたのは30後半から
しかも長州閥より島津久光、西郷、大久保などの薩摩閥の推薦が大きい
0834名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/13(月) 03:15:00.92ID:6WmqAYfF0
勝海舟でも大久保利通でも高杉晋作でも、こいつは大したことないと中々に読ませなかった自己韜晦術の名人こそ山県有朋。
旧ソ連のブレジネフも似たような人物だったな。
0835名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/13(月) 13:50:10.34ID:OORbyQ6c0
しかし井沢元彦だけでなく松本清張や半藤一利も山縣有朋を批判的に書いてる
どこかに山縣有朋を賛美してる有名作家はいるのかと

足軽出身同志でも愛嬌がある伊藤博文が嫌われることは今も昔もいないが愛嬌がない山縣有朋が好かれることは無いか
0836名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/13(月) 15:18:07.30ID:tDKSEm5l0
作家w
0837名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/14(火) 02:08:51.85ID:Rs8rnDWS0
>>835
わりと司馬遼太郎が評価してた一面もあるが山県を持ち上げたのは岡義武ぐらいだろ?
明治の栄光を作ったのは他ならぬ山県だとな。
それでも山県の批判が多すぎるのは人間性ゆえんのものなのか。
0838名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/14(火) 02:16:11.56ID:Rs8rnDWS0
>>809
大隈が山県に圧勝できたのは人気だけで他は全て山県の圧勝。
まあ今日の直接選挙制度では山県は当選できるのかも疑わしいが。
大隈なんか如何なるスキャンダルまみれになろうともトップ当選を果たしてしまいそうだが。
0839名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/14(火) 14:03:35.53ID:0XUyDsQp0
岡義武の「山縣有朋」は菅義偉の愛読書だったな。
0840名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/14(火) 17:59:13.87ID:0XUyDsQp0
>>817
今清盛と呼ばれてたんじゃないですか?
0841名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/15(水) 02:34:15.47ID:QmFr3Lby0
>>840
それは井上馨だが山縣が完成させた長州閥が死後に崩壊してしまったのは
平清盛の死後に平家が崩壊した類似性はあるわな
0842名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/15(水) 02:49:59.15ID:QmFr3Lby0
山縣の唯一つの失政は原敬を厚遇したことだ
あれで逆賊東北土人どもの薩長閥に対する逆襲の機会を与えてしまった
0843名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/15(水) 16:03:47.89ID:Xw1sLFpe0
>>840
伊藤博文は今太閤。
0844名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/15(水) 16:37:06.32ID:saY6cGE/0
>>816
大久保がそもそも兵を率いて佐賀討伐にいけるくらいこのころは軍政も軍令もないんだよ

無知すぎるだろおまえ
0846名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/15(水) 23:14:23.92ID:Xw1sLFpe0
個人的には
今清盛→井上馨
今太閤→伊藤博文

今家康→山県有朋
0847名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/16(木) 01:35:44.04ID:hNHmXDEv0
>>844
江藤の佐賀帰郷申請のところから順に説明していかないといけないぐらい君は無知なんか?
そもそも元参議の帰郷は士族に担がれその旗頭にされかねないから禁止されていた
同じ征韓派の板垣や後藤象二郎、副島種臣らも帰郷をやめるよう説得するが江藤は拒否
その上で江藤は帰郷申請をし政府さこれを却下
しかし江藤は征韓派参議だった西郷にも帰郷を進め共に決起するようはたらきかけた
西郷は決起を断った上で帰郷は禁止されているから大人しく東京に残るように江藤を諭すも江藤はこれを拒否
この辺りの話が政府にも伝わり江藤と同郷の大木喬任が江藤に帰郷を留めようと使者を送るがこの使者が江藤に会う前に江藤は横浜から船で帰郷

その後江藤が佐賀で士族を集めて決起を決めた
この情報が内務省に通報された
内務卿大久保は熊本鎮台谷干城に佐賀の士族への備えを命じし政府には自分の佐賀行きの承認を求めた
政府は全権委任の権限を大久保に与えこれを承認

当時の政府では治安維持は基本的に内務省管轄で鎮台はその指示を受ける立場
これは管制規則として明確に決まっている

そして政府から全権委任を取り付けた大久保が熊本鎮台を含むこの戦役全体の指揮を取ることは法律上何の問題もないく軍政、軍令問わず問題がない
言い換えると佐賀の乱の戦役に関しては大久保利通が全権委任された状態でこれは常態ではない

そして明治2年時点で大村益次郎の鎮台案が実現しなかったのは大久保がこれを拒否したことが原因
この時点では各省庁の権限は法的に整備中で政府首脳間の合意と天皇の裁可がその都度必要だった
だから大村益次郎生前では政府軍政はできなかった
これが整備されていくのは西南戦争後で軍政、軍令のそれぞれの機関も西南戦争後に整備された

無知なのは誰かがもう分かるやろ?
0848名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/16(木) 02:29:25.93ID:dqgZhvWe0
>>846
今太閤だけ除けば。

平清盛
徳川家康
井上馨
山縣有朋

日本史上で好かれてることがない四人組じゃないか
0849名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/16(木) 03:00:54.11ID:dqgZhvWe0
江藤新平や大久保利通は今三成とでも言えよう
0850名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/16(木) 13:38:01.77ID:S9hRdHqM0
江藤を司法卿に推薦したのは井上馨みたいだが
その江藤から汚職を追及されて辞職に追い込まれるとはな
江藤からしたら石田三成みたいに仕事をしただけの気分ではあろうが。
0852名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/16(木) 23:06:13.81ID:S9hRdHqM0
太閤検地って地味か?
0853名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 03:06:57.00ID:FmFvXp3R0
地味ちゃうで江藤新平にも狂信者が今日でも存在するのは石田三成と同じか
0854名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 03:18:53.83ID:FmFvXp3R0
江藤のみが山城屋事件、尾去沢銅山事件、小野組転籍事件で長州閥に一撃を加えて山縣有朋を追い詰めることに成功したが
長州閥との抗争に巻き添えを食らいたくない大隈や佐賀藩の同胞が黙り込んだから失敗に終わったがな
0855名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 03:43:10.45ID:FmFvXp3R0
江藤新平こそ幕末最強の一匹狼しれんのう
0856名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 04:06:42.52ID:Vr8ke6Rz0
江藤を京都で世話をし、新政府の要職につけたのは
木戸公。長州を嘲り打倒しようとした江藤を木戸は助けようとは
したからな。
佐賀に行く大久保に河野を推薦したのは木戸だけど、
河野に裏切られる江藤。
0858名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 09:09:23.70ID:IJpgxR9e0
江戸時代の武士道的美学からすると明智光秀、石田三成は悪側とはいえ敵もさるもの
一方で洞ヶ峠の筒井順慶とか弁当食ってた毛利宰相とかはカッコ悪い ってなったんじゃないだろうか
0859名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 09:46:41.43
三成が西軍決起の策謀を働いたという一次史料は存在しないんだよね
関ヶ原の以前は三成は失脚していて五奉行の職も解かれ佐和山に謹慎していた
毛利輝元に働きかけたのは他の三奉行、前田玄以、増田長盛、長束正家であってね
輝元は後世云われてるよりはやる気があったらしいけど吉川広家の内通でほとんど仕事が出来なかった
それもあって吉川氏はのちのちまで毛利家中で白眼視され続ける
0860名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 14:19:23.14ID:7O90S67z0
>>755
勝海舟「あれは実に驚いた才者だよ。ピリピリしておって、実に危ない」
0861名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/17(金) 14:23:13.33ID:7O90S67z0
山縣と井上の長州両巨頭を辞職に追い込むなんて並大抵の力量ではできない。
やはり佐賀藩最大の実力者は大隈ではなくて江藤だな。
0863名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/18(土) 02:58:05.33ID:Hsav8Et60
佐賀人と東北人は明治大正の日本において獅子心中の虫
太平洋戦争敗戦の責任もこいつらにある
0864名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/18(土) 03:01:17.19ID:Hsav8Et60
>>861
不死身の井上馨は江藤新平の攻撃にも九死に一生を得た
0865名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/18(土) 14:09:43.23ID:vprWGR530
フランス、ドイツの大陸贔屓の佐賀藩さえ妨害しなければ長州閥が目指していたイギリス型国家は完成したかもしれん。

会津藩は完全に成敗したが佐賀藩には大いに手を焼いたのが長州閥。

そもそも佐幕にも討幕にもなりきれなかった佐賀藩とは何だったのかと疑問が残る。
0866名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/18(土) 20:21:08.37ID:jD10yi0p0
追及も江藤が悪いんじゃなく井上や山縣の汚職のせいだし
辞任で済ましてもらったんだから井上や山縣は江藤に感謝するのが筋だよね
0868名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/18(土) 22:28:00.05ID:vprWGR530
まあ江藤は超管理式の葉隠教育を受けてきた佐賀人の体現者そのものだが、
鍋島一族の蓄膿症じみた葉隠教育(司馬遼太郎談)を徹底的に嫌った大隈なんか伝統的な佐賀人的ではないからこそ薩長の木戸、大久保と友好関係であり明治政府内でも重鎮になれたわけだ

大隈と江藤が同藩士ながら明治政府では疎遠関係にあり佐賀の乱でも江藤及び佐賀人の惨状を無視していたのは大隈の生い立ちにあり
0869名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/19(日) 02:42:16.75ID:W9RKWn380
佐賀人らしからぬ佐賀人→大隈重信
長州人らしからぬ長州人→山縣有朋
薩摩人らしからぬ薩摩人→大久保利通
土佐人らしからぬ土佐人→岩崎弥太郎
0870名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/19(日) 02:43:22.22ID:W9RKWn380
佐賀人そのもの佐賀人→江藤新平
長州人そのもの長州人→伊藤博文
薩摩人そのもの薩摩人→西郷隆盛
土佐人そのもの土佐人→坂本龍馬
0871名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/19(日) 02:51:51.09ID:W9RKWn380
もはや幕末史で最後に取り残されてるのが佐賀藩のみ
0872名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/19(日) 16:05:34.61ID:sLl+p0ML0
>>863
二重どころか三重に近いような鎖国藩政策が会津と佐賀の共通点
0873名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/20(月) 02:47:45.03ID:zryv6iXT0
大隈重信は明治14年の政変さえなければ大物宰相になれたんだけどな
0874名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/20(月) 03:08:33.15ID:zryv6iXT0
大隈重信もイギリス式憲法を目指していたのさ
0875名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/20(月) 06:07:28.61ID:E2UTJ3nx0
大隈はなんでも突っ走って後はなんとかなるだろだから。
台湾出兵では大久保公がそれなりに収めてくれたけど。
対華21か・・・・。
0876名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/20(月) 15:21:59.72ID:mzTAj8nV0
木戸と大久保の後ろ盾が消えて明治14年の政変後に大隈が敗れてから日本が社会全般の何もかもがプロイセン式にされたのさ
0877名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/20(月) 15:27:45.17ID:mzTAj8nV0
伊藤、山縣、大久保の理想国家が米英、ドイツ、ロシアと繰り返されていたのに
大隈が終始イギリス崇拝を貫いてたのは偉い
0878名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/20(月) 18:12:25.70ID:1SPF4uN20
肝心の天皇がフリードリヒ大王伝来のプロイセン王的では全然なく、神聖ローマ皇帝みたいなお飾りに
0879名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 02:53:58.52ID:k06yspqF0
>>877
伊藤と大久保は英国贔屓からドイツ贔屓に切り替えた。
山県にいたってはロシアのツァーリ主義に憧れる始末で日本に導入してしまった暗黒面もある。

大隈のみブレず海洋国家同士の英国式を追い求めていたのは偉いといえば偉い
0880名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 03:26:20.03ID:k06yspqF0
伊藤博文は渡欧で心変わりがあったのだろうか?
0881名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 03:26:59.08ID:k06yspqF0
帝政ロシアのツァーリズムに憧れてた山県は論外だが
0882名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 03:34:10.57ID:hMQH1xPK0
1882~1883(明治15~16)年、伊藤博文らは、ドイツをはじめヨーロッパ諸国において、憲法や立憲的諸制度の調査にあたった。
その際、彼等はしばしばドイツの政治家や学者などから、明治維新以来日本政府が進めてきた改革は余りに急進的であり、日本がいま立憲政治を取り入れようとするのは、必ずしも賢明なこととはいえない、とする忠告を受けたといわれる。

そこで、諸君が伊藤博文らの調査団に加わっていたと仮定し、上述のようなドイツ側の忠告に対して、日本として立憲政治を取り入れる必要があることを説明する文章を8行以内(注:1行30字)で記せ。

89年東大日本史より
0883名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 03:36:29.72ID:hMQH1xPK0
94の東大日本史入試問題

1873(明治6)年、大久保利通は岩倉使節団の欧米視察の経験をもとに、政府に対して政体を定めるよう建言した。次の引用文はその一部である。これを読んで下記の設問に答えよ。なお、引用文は現代語に改め、一部は要約してある。

(1) 政体には、君主政治、民主政治、君民共治(後にいう立憲君主制)の三種類がある。

(2) 民主の政は、天下を一人で私せず、広く国家全体の利益をはかり、人民の自由を実現し、法律や政治の本旨を失わず、首長がその任務に違わぬようにさせる政体であって、実に天の理法が示す本来あるべき姿を完備したものである。アメリカ合州国はじめ、多くは新たに創立された国、新しく移住した人民によって行われている。

(3) 君主の政は、蒙昧無知の民があって、命令や約束によって治められないとき、ぬきんでた才力をもつ者が、その威力・権勢に任せ、人民の自由を束縛し、その人権を抑圧して、これを支配する政体で、一時的には適切な場合もある。

(4) イギリスは土地・人口の規模が日本とほぼ同じであるが、その国威は海外に振い、隆盛をきわめている。それは3200万余の人民がおのおの自身の権利を実現するために国の自由独立をはかり、君長もまた人民の才力を十分にのばす良政を施してきたからである。

設問

大久保は諸国の政体を比較した上で、日本には君民共治の制がふさわしいと主張した。なぜそう考えたのか。当時の日本がおかれていた条件や国家目標を考えて、5行以内で説明せよ。
0885名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 08:27:16.03ID:4l8jJYpO0
>>883
この頃はアメリカ合州国表記だったんだな そっちの方が訳語としては適切だろうけど、本田勝一が合衆国表記にとにかく文句をつけてたのを思い出す
0886名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 15:17:31.36ID:m1mjBLY60
>>881
日本に大陸式の皇帝崇拝を根付かせてしまったともいえるな
0887名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 20:58:45.08ID:vzZr67jh0
山縣って後の軍国主義に繋がる事やりすぎてるんだよね
それで評価が低くなる
天皇が神扱いになったのも山縣らが神格化したからでしょ
明治天皇は家臣らと酒飲み明かしたりざっくばらんな関係だった
0888名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/21(火) 23:21:01.35ID:T7HG20uG0
>>887
明治天皇は親政をやろうとし過ぎて三権に介入する動きを繰り返したから完全に神棚に上げられた
立憲君主じゃなくて後醍醐天皇みたいに直にあれこれしたら行政、立法、司法が犯される
だから山縣に限らず伊藤、西園寺らまで含めて天皇が政治、軍事に介入しない様に宮中に監視役を置いた
0889名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/22(水) 03:11:13.94ID:LJbgI1gp0
岩倉遣欧使節団に参加したほぼ全員がドイツ崇拝に成り下がって帰国したが

参加しなかった井上馨、大隈重信はイギリスこそ日本が目指すべき手本と訴え続けても無視されていたが  昭和最初の20年間の大失敗  でその正しさが証明された
0890名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/22(水) 03:13:19.76ID:LJbgI1gp0
今も昔も海外で接待攻勢を受けると弱すぎるのが日本人
大隈の対外情報能力の高さはほとんど一人で西洋人を相手に交渉していた志士時代に身につけられたものだね
0891名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/22(水) 03:22:47.70ID:LJbgI1gp0
山県に関しては日本版皇帝礼賛。 昭和最初の20年間だけ日本には皇帝がいた。
0892名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/22(水) 17:02:07.85ID:v5M5KVlA0
江藤新平も最後は佐賀の時代遅れ利権集団に担ぎ上げられて自滅してしまい
司馬遼太郎ではないが一切の藩閥も利権も無視したネーションステートを目指していたのは大隈重信だけだったのではなかろうか。
0893名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/22(水) 17:30:19.80ID:yL5cN4na0
三菱の岩崎家やその番頭らと改進党系議員の婚姻政策を積極的に進めたのは誰やねん
無知過ぎるやろ
0894名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/22(水) 18:39:51.54ID:v5M5KVlA0
しかし真の大平民宰相は原敬ちゃうで大隈重信や
0897名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/23(木) 02:51:19.85ID:Hj9CblGz0
>>891
帝政ロシアのツァーリ主義なんか恐ろしい紛い物を日本に輸入してしまったからよ。

長州贔屓の歴史小説家や学者連中までもが山縣有朋に関しては一同に批判的なのは仕方ない。
0898名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/23(木) 02:56:34.75ID:Hj9CblGz0
日本と国体が似通っていたドイツに多くの志士が魅了されてしまったのはまだ理解できるとしても
ニコライ・ロマノフ2世の戴冠式に感動してツァーリ主義に魅了された山縣有朋が長く最高権力者だったのが日本の不幸
0899名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/23(木) 02:58:37.18ID:Hj9CblGz0
山縣を追い詰めることには成功した江藤新平は明治日本には清涼剤として一種の救いだった
0900名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/23(木) 11:09:14.61ID:lVRg5z0l0
また鸚鵡が自分にレス
キツイなあ
0901名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/23(木) 13:28:16.70ID:Y9eNx7x80
>>897
高杉晋作が吉田利麿と比較した山縣有朋評が正しかったということですかね?
0902名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/23(木) 13:38:53.98ID:Y9eNx7x80
漢字だと吉田稔麿でした
0903名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 00:48:46.15ID:nW5zneyx0
議会制→憲法→内閣制ではなく、

内閣制→憲法→議会制の順に制定した所が
キモ
0904名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 02:23:15.66ID:Tfwhbouv0
山県後の田中義一は吉田や鳩山など対外協調派を多く閣僚に起用してまだよかったんだがな
それでも関東軍の暴走を止められなかったのは山県に因子がありといえばある

田中義一こそ長州閥最後の帝王にして良心
写真からもえも言えぬ風格を感じられる
0905名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 02:31:57.09ID:Tfwhbouv0
同藩の同じ下級藩士出の伊藤や井上と正反対の方向に行ってしまったのは何故なんだ?
異性と金にだらしない自由気質の長州人らしからぬ長州人とは山県有朋のこと
0907名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 09:16:56.89ID:QxU6qpZ80
>>904
吉田茂はそうだろうが、鳩山一郎のどこが対外協調なんだ
海軍艦隊派のお先棒を担いで、犬養毅、鳩山は、策謀家の森に乗ってロンドン海軍軍縮条約に際し濱口雄幸内閣を統帥権干犯と攻撃し、それを真にうけた右翼の佐郷屋留雄が濱口を銃撃し濱口は重傷を負う

濱口はなんとか一命を取り留めたが、人非人の鳩山は回復もしていない濱口の国会出席を執拗に要求 濱口も責任感が強いものだから周囲が止めるのをおして出席 演台の濱口は幽鬼のようだったという

これで濱口は病状が悪化して死んだ 後任の若槻には軍を抑える力はなく濱口の死後、待っていたかのように満州事変勃発 民政党は
内閣は退陣
犬養は念願の首相の座につき鳩山も与党返り咲き
その犬養が515事件で統帥権干犯を叫ぶ青年将校たちに殺されたのは因果応報としか思えない

対英米協調の幣原外交も濱口がいたからこそで、濱口という重しを失った幣原や若槻にはもうどうすることもできなかった
戦後鳩山がリベラルの騎手ヅラで出てきたのは全く解せない
はだしのゲンの町内会長だよ
0908名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 11:32:29.38ID:tJk3jWiC0
>>907
幣原、吉田のラインは昭和天皇、西園寺らのサポートも受けてそれも込みだったしな
0909名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 14:06:33.10ID:i3Fqjt5H0
>>905
井伊直弼しかり期待をされず閉じ込められてきた奴が最高権力者になると典型的な見本。

権力、権威への憧れが人一倍に強くなるから米英より独露の皇帝礼賛の専制主義に共感してしまう。
0910名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 15:15:53.71ID:tJk3jWiC0
井伊は専制というより幕政を幕閣の手に戻す常態に戻しただけ
阿部正弘が江戸サロンの大名に実務の相談してしまうという失態から始まった親藩、外様大名の政治介入が異常だった

山縣は親ロシア外交を前提としながらも日英米による太平洋秩序の安定には一度も反対したことがない

>>909は全部間違い
どうやったらそこまで間違えられるのか?
0911名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 15:28:34.60ID:i3Fqjt5H0
井沢元彦も井伊直弼は埋もれ木小屋生活で人格が捻じ曲がってロべス・ピエールのごとく恐怖政治を徹底したと主張してるだろ。

山縣はビスマルクを崇拝しきる専制主義に共感してなければ

あそこまでの   天皇の皇帝化   に努めるわけがねえよ

こればかりは井沢元彦が大正論
0912名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 15:30:52.44ID:i3Fqjt5H0
井伊直弼の埋もれ木小屋人生しかり山縣有朋の一介の事務屋人生しかり専制独裁主義に共感してしまうのは
閉じ込められてきた奴が最高権力者になる典型的な見本

井沢元彦の説が大正論
0913名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 15:34:32.22ID:i3Fqjt5H0
今週号の週刊ポスト上でも井沢元彦は
シーメンス事件は権威権力の亡者である山縣が仕組んだ陰謀だと正論を主張しておられる。
さすがだ
0914名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 15:57:10.40ID:i3Fqjt5H0
汚職が多くとも井上馨には秀吉の如くどこか憎めない愛嬌を感じさせられるのは

徳富蘇峰の語るが如く官制主義の山縣とは正反対の徹頭徹尾の民間主義者であったからであろう
0915名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/24(金) 22:24:38.84ID:ryUZk+d60
大久保も韓国大使派遣潰して台湾出兵したり言論統制したり滅茶苦茶やってるが理念があったから
許容されてるんだろうね
0917名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/25(土) 02:32:01.14ID:v70102my0
>異性と金にだらしがない自由気質の長州人らしからぬ長州人とは山県有朋のこと

松本清張か司馬遼太郎のどちらの本に書かれてたか忘れたが山県は同じ長州藩士同士との食事でも一人で黙々と食うだけだったらしい
0918名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/25(土) 02:37:18.74ID:v70102my0
大久保利通が石田三成的なら山県有朋は徳川家康的ともいえようか
0919名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/25(土) 02:53:59.86ID:v70102my0
>>911
>天皇の皇帝化

岩倉、大久保でさえタケノコ大好き山県みたいなことは考えてなかったのに。
0920名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/25(土) 08:28:38.44ID:XVeqH2Pf0
長州は撫育金という内部留保が凄いからな。
伊藤と井上は500両(今でいう5000万ぐらいか)ぐらいの英国渡航費用を女遊びと洋服代で
すってんてんにして来島に金策頼み込んでる。
高杉も1000両単位で長崎で遊んでるらしいw

長州だけ大金持ちで糞笑える。
0921名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/25(土) 11:07:26.66ID:VtB/9ezy0
>>918
大久保利通が徳川家康の言葉を座右の銘としていた話は有名
リアリストで結果重視の大久保がテクノクラートの枠を出ない石田三成と同じ括りって

どういう歴史観だよ
0922名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/25(土) 14:03:55.09ID:jB3xelvp0
石田三成は江藤新平じゃないか?
たしかに大久保利通も似てもなくはないが

とくに大久保利通亡き後の内務省が石田三成亡き後の大阪城の如く重臣の猥談場と化してたのは似すぎてる。
また内務、司法こそ最重視していたのも似てるが
どちらかというとやはり江藤新平の方が石田三成に近いかな

ああみえて大久保利通には諧謔を楽しめる遊びがある
0924名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/26(日) 03:00:08.46ID:iauDUTtv0
>>919
タケノコばかり食ってたから痩せてたのか?
井上馨のほうは自ら手料理を振舞うぐらいに料理に凝ってたらしいが
0925名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/26(日) 03:13:51.16ID:iauDUTtv0
何故か小田原で山県有朋好みの筍尽しの会なんて主催されてたみたいで。

この人は口癖の一介の武弁らしく槍術の師匠で人生終わってたらどれだけ日本のためになってたんだと。

絶対に総理大臣を任せてはならない人間に総理大臣を任せてしまった気もする。
0926名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/26(日) 15:46:34.80ID:07Giw9Ow0
明るい明治から暗い大正、昭和を作った元凶
0927名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/27(月) 00:07:09.36ID:mRYBfQU/0
山縣は主権線・利益線とか現代にも通じる価値観を提唱してたのは流石なんだがやっぱ理念というかあるべき姿というか理想像が稀薄
0928名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/27(月) 02:45:41.59ID:0/qRpc7w0
山縣を最高権力者の総理大臣に持ったことが明治以降の最悪の不幸で失敗の元。
0929名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/27(月) 03:25:06.29ID:0/qRpc7w0
大隈重信が明治14年の政変で下野しなかったらねえ
0930名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/27(月) 15:22:12.15ID:h9f7AW3O0
>>928
首相にならず内務相止まりなら今日と評価が真逆になってた予感もする。
大久保利通と同評価の扱いを受けていたんではないか。

中央より地方復興のために無私の奉公を捧げたみたいな高評価。
0931名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/28(火) 03:24:12.89ID:AnfszXcd0
山縣はロシアにわたりニコライ2世の戴冠式で人生観が変わってしまい
大久保はドイツにわたりビスマルクと出会い人生観が変わってしまい
長州五傑はイギリスにわたり産業革命を目の前にして人生観が変わり鎖国攘夷を捨ててしまい

日本人に外交が魔物であるとは司馬遼太郎の金言
0932名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/28(火) 03:27:32.83ID:AnfszXcd0
>>929
大隈は外交官としては一流だった評価もある
0934名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/28(火) 15:07:00.03ID:rU4f3n6z0
>>931
当時のイギリスとドイツ帝国の国家体制が真逆なだけにどちらを参考にするかで内紛になるわな
最悪はロシア帝国の皇帝専制主義に憧れてしまった山縣有朋だが
大正から日本社会が一気に暗くなったわけだ
0935名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/28(火) 16:19:06.67ID:CJGJaPK40
欧州王皇室は、日本の大名諸侯同様、親類だらけだった
特に英独露はジョージ5世、ヴィルヘルム2世、ニコライ2世は従兄弟同士 徳川家光と豊臣秀頼と同じである

当時の日本人からは欧州諸国の違いは日本国内の藩の差程度に見えたって事はないだろうか
0936名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/28(火) 21:35:31.52ID:H2Usqpbr0
大久保はイギリス型の君民共治を目指していた
司馬がビスマルクやドイツを目指してたとか書いてるがそれは伊藤の方
薩長閥が利権化したので漸進主義の国家を作れなかった
イギリスの政党政治になれば政権交代があるからね
山縣は政党を生涯敵視していた
0937名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/29(水) 03:07:30.87ID:jUyioYPn0
大正昭和を最悪の国にした山県有朋の罪は重すぎると書きたいところだが。

200年以上も鎖国政策下で井の中の蛙状態の日本人が世界最先端の米欧露の技術力と国情を直に見るのは
今日の地球人類が異星人の最先端技術を目のあたりするのに等しい衝撃度があったのだけは理解できる

大隈重信は志士時代から西洋人や西洋技術に対する免疫力がついてたからよかったんだけどな
0938名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/29(水) 03:09:51.68ID:jUyioYPn0
井上の鹿鳴館外交官だけはいただけないわ
0939名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/29(水) 15:58:33.89ID:ygA5eVCG0
>>936-937
遣欧使節団は第二次産業革命でドイツ全盛時代と重なってしまったからな。
米英よりドイツの威光が全世界で増していてドイツ狂信者になるのも半面仕方あるまいが、

それでも親英主義を貫いた大隈、井上の戦略眼の確実性は外交家としては一流だと思いたい。
伊藤、大久保は内政家としては一流でも外交面は弱かったんじゃないか?
0940名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/29(水) 17:12:03.54ID:enBIaNRh0
アホかな
0941名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/29(水) 20:58:29.10ID:6Lj4lH030
ボコハラムやタリバンみたいなキチガイ攘夷がわんさかいた時代に
鹿鳴館をつくることには意義はあったと思う。
0942名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/29(水) 22:52:45.60ID:ygA5eVCG0
岩倉使節団とドイツ帝国全盛時代が重なってしまったことが日本の不幸
もう10年早ければ全員がイギリスにぞっこんして帰国してたというのに明治以降の日本外交はタイミングが悪いことが多すぎる
0943名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/30(木) 02:30:53.48ID:frnhGnD70
徳川幕府も大日本帝国も外交の失敗で崩壊してるからなw
0944名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/30(木) 03:21:00.15ID:frnhGnD70
井上馨は内政二流、外交一流
0945名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/30(木) 19:28:12.37ID:051ON9AG0
井上は外交に優れてるとは思わないな
鹿鳴館やれば列強が条約改正してくれるという発想が利害で動く外交を理解してないし
外国人判事を入れるとかの案も主権を侵害する案で
外交は陸奥や小村のおかげ
0946名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/30(木) 19:34:50.52ID:051ON9AG0
>>942
根本はイギリス型の政党内閣になれば政権交代が起きて薩長が追い出される心配だよ
それが心配だからドイツ型で良いとなったと思える
岩倉も天皇にできるだけ権限与えたいという考えで
そのせいで天皇が戦争責任問題とか追及されることになったが
0947名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/31(金) 03:01:59.35ID:YGJMmeaN0
山縣は自己保身の塊だけの最悪馬鹿野郎だったな
0948名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/31(金) 03:14:04.73ID:YGJMmeaN0
>>941
鎖国で島国根性丸出しの日本人は外交の重要性をまるで理解できていないからそれはある。
この国は何度も外交の失敗で崩壊を繰り返してる。
0949名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/31(金) 03:50:31.84ID:YGJMmeaN0
井上馨こそ超一流の外交家かもしれんね。
一介の志士時代に英語もできないのにイギリスに密航するほどの猛者だから我々一般人の感覚では理解できないの当然。
ベルツも日本人で外交官として適任なのは井上馨だけだと。

大久保や伊藤は内政家としては超一流かもしれんが外交面は弱かったんじゃないか?
0952名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/31(金) 11:30:11.71ID:nkcmF15l0
近代の外交は欧州諸国の間で散々磨かれた代物でアジアアフリカや新大陸の国が急にやれ言われてやれる方がどうかしている
グロチウス以降の国際法にしても欧州の理屈で全世界が話あって決めたわけでもなんでもない

外交のプロトコルも側から見ればバカみたいなものだらけ
本質はポトラッチやクラ交換と何も変わらん
明治日本はよく頑張った方だと思うわ
0953名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/31(金) 15:06:39.28ID:CLAtc5/E0
>>951
そういえばないかも
他の大物連中は何かしらミスってるが

やっぱり大陸の皇帝礼賛主義を日本に導入させた山縣有朋だけはいただけんわ
0954名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/03/31(金) 18:38:22.58ID:ZWz2jOTV0
>>932
一流なのに開国以来最大友好国のアメリカと戦争寸前まで日本を危機におとしいれるか?
0955名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/01(土) 03:01:12.13ID:lVH+qoB60
>>953
あとは原敬を引き上げたのもまずかった。
0956名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/01(土) 03:04:06.53ID:lVH+qoB60
>>948
当時の日本人からしても中国朝鮮など同じアジア圏は異国風情という感じまでしないが。
欧米なんか江戸日本人から見たら丸で宇宙そのものだったからなw
0957名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/01(土) 03:05:52.03ID:lVH+qoB60
大隈の対華21か条は失敗にされることが多いが
あれが限界だったんじゃないかと他がやればもっと酷いことになって実際に大隈没後の大陸外交は大失敗に終わった
0958名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/01(土) 10:50:35.89ID:aPwZK9Za0
反対
対華要求が無謀過ぎてその後の条件交渉のベースが下げられなくなった
これは相手に対してではなくて大陸侵攻を前提にする国内の勢力が要求ベースを下がる交渉を許さなくなった

小村のポーツマス講和条約など他の外交交渉終了後の国内世論や現在進行中のロシアによるウクライナ侵攻の講和条約に向けた話が進まないのを見ても分かる話
一度出した要求のベースを下げると外交的に負けたと世論が反応して政府や指導者の信用が失われて政権維持が難しくなるから

近衛の国民政府を相手とせずの発言も興和条件を国民政府がのまないならもう国民政府とは交渉しないと発言して日中戦争の停戦が不可能になったのと同レベルかそれ以上に外交交渉として最悪のケースとして国際関係論ではまずい外交と言われている

入江や高坂の時代からこんなのは常識
近代史を語るのに国際関係論の概説レベルの話も知らんとか
0959名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/01(土) 14:27:38.73ID:1cMeIPrc0
>>957
他が主導した結果に日中戦争の泥沼化なのは理解できる。
結果論だが大正期までの日本外交は合格点。
0962名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/01(土) 18:58:57.97ID:YE6VlQW70
>>961
それは山縣に言っても仕方ない 一旦廃止したんだから
復活させたのは寺内寿一 寿一は長閥最後の元帥だがほんとろくなことをしなかった

長州には限らないとは思うが、2代目、3代目は人物の出来が急降下するのになまじ派閥が強いから寿一のような超ボンボンという到底器じゃないのが陸軍大臣だの総軍司令官という重責について周囲に多大の迷惑をかける

ゴーストップ事件、ハラキリ問答、現役武官制復活 南方軍総司令官としてインパールにゴーサインを出し、山下奉文の反対を押し切ってレイテ逆上陸を強行 ほんとロクでもない事ばかり起こしている 長州の恥
0963名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 03:24:37.03ID:fRFZaTOd0
独露で感化されて日本の天皇を大陸式皇帝化させた山県有朋は真性のゴミ
0964名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 03:35:13.17ID:fRFZaTOd0
首相に就任してからやることなすこと全部ミスってるのが山県
内務大臣時代が人生最大の花を咲かせていたな

まあ大久保利通も首相になっていたなら山県のごときボロが出まくって今日みたいな大英傑の評価をされていなかったのかもしれん
0965名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 03:45:30.06ID:fRFZaTOd0
>>955
倉山実が忌み嫌ってやまない金権腐敗政治の原点である原敬を依怙贔屓するとは、
人間を見る目がなさすぎるのが山県有朋。
0966名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 15:56:59.97ID:SVBIpYvd0
原敬が首相就任後に同郷の南部藩士の子孫どもに日本は乗っ取られて破滅したとは山田風太郎の指摘だが
その破滅の道を切り開いてしまったのが原敬を厚遇してしまった山縣有朋だったもいえるな
0968名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 18:43:04.20ID:ZSipR0x40
>>967
明治の軍ならともかく昭和の軍がのさばった責任と言われたら山縣も堪らんだろう
山縣が亡くなる頃は、陸軍は大軍縮で大正デモクラシー全盛で世間の軍人への態度は冷たく、軍人は小さくなっていた

のさばりだしたのは、政党の腐敗と経済失政、政友会が政争の具に軍を利用するなど山縣後の政治家達の責任だろう
0969名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 22:01:02.52ID:2nOQnHie0
>>968
現役武官制が倒閣の道具になると実証してしまった
大正デモクラシー終わって復活
天皇でも元老でもなく軍部が総理大臣を事実上指名できるなんておかしいんだよ
そんな制度導入した山縣は赤点だ赤点
0970名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 22:27:51.65ID:K7kJzd/Y0
西園寺内閣時の前例があるのにストッパーもかけずにそのまま復活させた広田はどうかしているし、煮湯を飲まされたはずなのに何もしなかった西園寺はもっとどうかしている

自分の内閣がこれで潰れ、復活した後は推薦した宇垣内閣が流産とか西園寺は完全に耄碌したとしか思えない

現役が悪いのではなく畏れ多くも大命降下した首相に指名された軍人に拒否などという不忠行為ができてしまうのが問題で、そういう態度に出ないよう首相と一緒に陸海軍大臣も大命で引っ張ってくるようにでもしておけと

君臨すれどもの西園寺の英国流君主を気取ってる状況ではなかった
0971名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 23:08:19.77ID:SVBIpYvd0
結局は権力欲に目が眩んだ山縣が明治維新の理想理念を壊してしまったな。

まだ田中義一には明治維新の理想理念を守ろうとしてた気概を感じるが。
0972名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/02(日) 23:15:06.36ID:2nOQnHie0
>>971
軍の暴走を止められなかった田中も赤点だよ赤点
古巣なのにな
昭和天皇がのちに後悔するほど叱責するのもやむを得ない

軍部、政党、マスコミ、こいつらがどれもダメだったわけだが、軍部を付け上がらせる根拠をつくったのが山縣
赤点だ赤点
0973名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/03(月) 03:47:02.84ID:wTOANoNZ0
おらが総理の田中義一の写真からは偉ぶってる感じが全くしないから庶民派だったんだろ

しかもどことなく田義一の写真から修羅場を潜り抜けた凄みを感じさせるのは
さすが13歳で萩の乱に参加して死線を潜り抜けてる志士なんだと実感させられるわ
0974名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/03(月) 03:48:28.26ID:wTOANoNZ0
おらが総理の田中義一の写真からは偉ぶってる感じが全くしないから庶民派だったんだろ

しかもどことなく田中義一の写真から修羅場を潜り抜けた凄みを感じさせるのは
さすが13歳で萩の乱に参加して死線を潜り抜けてる志士なんだと実感させられるわ

事務屋あがりにすぎない山縣有朋とは違う人生観をもっていたんだろうとは思わせる
0975名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/03(月) 15:22:58.46ID:yve/2/QQ0
山県は首相の器ではない、内務大臣で終わってれば最高の補佐役としか名が残っていただろう
0976名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/03(月) 19:48:23.88ID:uhFO5FXI0
だから平然と命捨てれた志士が凄かったんだって
生き延びたのは打算が効く常識化
志士の真似は誰もできない
0977名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/03(月) 19:57:23.27ID:yve/2/QQ0
池波正太郎が愛してやまなかった伊庭八郎を思い浮かべてしまった
0978名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 03:14:00.88ID:ITJBVWkD0
革命戦で出遅れた佐賀藩士で白刃を乗り越えてるのは大隈重信ぐらいやな
0979名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 04:10:29.91ID:ITJBVWkD0
山縣は時代を逆戻りにさせて明治維新の意義を完全に破壊した元凶ということや。
0980名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 14:52:28.32ID:EXISMwp00
山県だけの責任ではないが超特権階級の華族制度もいけない、
廃藩置県で世襲大名の不満を抑える気休めのために作ったのかもしれないが。

華族制度こそ四民平等を目指した明治の理想をぶち壊したとも言えるではないか?
0981名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 17:58:40.88ID:GVkII9qY0
華族制度は世襲政治家を貴族院にまとめるのには役に立った
今の衆議院は世襲だらけ、特に自民党は4代目までいる有り様で、ここ数代の首相も世襲が主体

だが戦前の衆議院には世襲はほとんどいなかった 偉くなれば授爵して、子孫は衆議院の非選挙権を失う そのようにして世襲は衆議院から排除され、文字通り衆議の院だった
戦前は首相たちも意外なまでに世襲はいない 軍人含めほとんどが実力でその地位についたものばかり 世襲チックなのは公家の西園寺と近衛くらいだろう
0982名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 21:09:36.76ID:NeshGw/Z0
華族制度や皇室制度ってなんかで山縣が悪の元凶がごとく言う人がいるけどさ
ちょっと調べればわかるけど伊藤が主となって作っていて関わりが薄いんだよなあ
0983名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 22:31:32.52ID:EXISMwp00
伊藤もかよ・・
どうしてこうも長州三尊は権力欲が強すぎるんだ

あと日本を破滅に追い込んだ東条など旧南部藩出身の軍人は世襲貴族2世3世そのもの
0984名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 22:45:50.62ID:bXbp35wm0
東條は貴族じゃないだろ 反貴族だ
器は全く違うがその点ではナチスヒトラーと似ている
ドイツにおいてナチスは旧貴族階級を反動として廃し、日本においては軍部独裁は華族階級を宮中勢力として蔑ろにした

東條内閣には華族はおらず、ナチス中枢にはドイツ貴族はほぼいない
0985名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 23:00:56.57ID:EXISMwp00
南部藩士で陸軍中将の息子なんて世襲特権者そのものだろ
あまり知られてないが東条には親の七光での裏口入学の指摘もあるぞ
0986名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 23:22:03.97ID:bXbp35wm0
南部藩士がまず特権でもなんでもなく、そもそも能楽師など南部藩士としてもの数にもならん 陸軍軍人としても少将で首、温情で名誉進級の中将もなど七光などと言えるレベルじゃない

特権階級というのは東條の陸士同期の加賀百万石前田侯とか東條の陸大試験の面倒を見た土佐閥男爵家の小畑敏四郎、長州閥の大物寺内正毅の嫡子寿一など こういうのがゴロゴロしてるのが当時の陸海軍 東條英機などものの数に入らない

東條自身南部藩士の自覚は薄く南部侯を囲む旧藩士との付き合いも悪い その辺、板垣征四郎や米内光政とは全く違う
0987名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/04(火) 23:39:47.84ID:EXISMwp00
中将の息子で散々に特別扱いされてきた放蕩息子が東条英機だろ
中将の息子が特別扱いされないなんて笑えるわ
0988名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 03:31:22.49ID:9TJFVd0M0
華族制度だけは本当に大失敗
ほんと最悪や

無試験で学習院にも東大にも入学できて世襲財産法とか特権も特権すぎる
こんな糞まみれ制度を作り上げた伊藤、山県は明治の理想を破壊した三流志士と言わざるを得ない
0989名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 03:36:16.24ID:9TJFVd0M0
子孫に美田を残さなかった板垣退助および多くの土佐藩士こそが明治維新の体現者
次が佐賀藩士。

薩長は維新二世代目から完全に権力体と化してしまって失格
0990名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 03:41:58.86ID:9TJFVd0M0
世襲藩閥に弱すぎる日本人の意識を変えて国民国家を形成するための明治維新だったんじゃありませんか?
その旗手を振ってた御本人達が世襲貴族化とは呆れて果てて本末転倒

ただ土佐人と佐賀人だけが救いなり
0991名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 03:43:49.86ID:9TJFVd0M0
華族からは近衛文麿という最悪の戦犯も出してしまった
0992名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 11:31:30.89ID:AlhHsBFr0
板垣の一代華族論とその実行は、板垣のプライドの高さからくる薩長藩閥に対するやせ我慢で信念でもなんでもないは定期

もう何度もそう言われてるのにイチイチ毎回毎回馬鹿のひとつ覚えの如く板垣ageしてくるのなんなん?
0993名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 14:44:42.80ID:NfvsHKMT0
反骨心だろうがなんだろうが、
皇族に匹敵する超特権を目の前にちらつかられながらも辞退できるのは偉すぎることよ
華族を辞退できるのは本物の義侠心がないと無理だぜ

中途半端に終わった井上毅と比べたら板垣退助は誠の志士
0994名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 20:18:11.13ID:CNwekuTf0
板垣は元々爵位すら拒否している
政府側の3度の説得でこれ以上の拒否は天皇への非礼にになるぞと貰わしたんで
0995名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/05(水) 20:49:15.44ID:y8c4Nxhi0
土佐の後藤象二郎、公家の岩倉具視の家の体たらくを見れば華族制度のダメさがよくわかる
板垣は自分だけええかっこしいじゃなく後藤にも言っとけよと
0996名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/06(木) 03:37:41.00ID:fPVhqlYL0
西郷隆盛、前原一誠、江藤新平、板垣退助。
富も名誉も官位も全てを捨てることができた志士の中の志士は4人ぐらいだろ?
0997名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/06(木) 03:47:39.75ID:fPVhqlYL0
木戸、大久保、大隈は藩閥政治を徹底批判してたが華族制度だけは批判しないで黙認してたのを見ると
どこかで権力欲が残っていたんだな

木戸幸一は無試験で学習院と京大に入学した後に貴族院侯爵議員。
0999名無しさん@お腹いっぱい。垢版2023/04/06(木) 09:53:24.82ID:bGggMTrV0
英国貴族やプロイセン貴族は王の藩屏の任を果たしておりノブレスオブリージュの精神通りの行動をとっていた 明治の元勲がこれをモデルとして導入したのが華族だが、結果はというとできたのは選民意識だけは高く義務は果たさない高等遊民の集団 
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