>>247 の続き、
梅雪が武田の財宝を埋蔵したのは2回あり、最初は元亀3年で、この時は信玄が生きており、6鉱山の閉鎖をした時で、
松木、野中、志村、山下の4金座にあった刻印済みの金子5万枚を埋蔵した。
第2回目は天正8年から9年にかけて行われ、主として鉱山に保管してあった棒金とされる。
★信玄が作った金子は記録によると、小判132貫320匁、甲州金119貫370匁とありますから、小判では33,080枚、
甲州金は59,685枚となります。
★新府城建設に使用した量については、天正9年に新府城を建設の為に、金子2万枚、棒金20貫匁、銀120貫匁を使用したとある。
★第1回の埋蔵の場所については、色々な文書によれば、柳沢峠と云われており、埋蔵の立会人がおり、この人の記録によると、
新府城建設の折、全量を掘り出したとある。
また残りの大半は新府城落城後に笹子峠の地蔵小坂に埋められたとある。