おおお!中久喜の人でしたか!お久しぶりです。
精力的に調査しているようでなによりです。
社ですか?私も紹介したあの天満宮の祠のことですか?あの祠の話だと仮定してお話をします。
以前も書いたかもしれませんので、そのへんはお許しください。
あの祠の堤下の不自然にへこんでいた部分が神社跡です。
私も神社跡が怪しいと思っていたんですが、
その昔、結城を調査してた女史グループが神社を掘り返したという話を聞きました。
移転で取り壊したのか、発掘のため取り壊したのかは不明です。
女史の結果はダメでした。※女史は金光寺の三種の和歌を解読したと言ってた人だそうです。
久しぶりにGooglemapで確認したところ、線路わきのへこみが見れましたのでご確認ください。
私が見た当時より整地されていますね。ショベルカーで再度掘り返したんでしょうかね。そこに神社がありました。
この神社は、中久喜城の縄張りから見ると丑寅の方角ではありませんが、曲輪T(主郭)から見ると丑寅になります。

庭石は、中久喜城内なのですか?
城内ならとあるグループが掘った際にドーム状の大岩に当たって(当てた?)、
なぜかここで発見したらヤバイと発掘を中断した話があります。
その大岩の下が空洞なのか、その伝説をもとに掘ったのかは不明です。
発掘場所はピンポイントではわからないのですが、神社跡(Googlemap)の南側(線路の向こう側)の
へこんだ(禿げた)部分だと思います。