クラブチッタ川崎でみたライブを語ろう
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30年の歴史
クラブチッタ川崎でみた思い出のライブを語りましょう 昔はメタルLiveて決まってここだったから頻繁に行ったなぁ
モビエンの時は川崎ついてからチケット忘れに気付いて、取りに戻ってたら遅刻しちゃったけど前座のおかげで間に合ったんだっけ RHAPSODY見たわ 駐車場料金が凄いことになってたわ SYLは凄かったな
ジーンホグランのドラムがダークエンジェルやデスやフィアファクトリーの時よりも全然良かったしチケットも4000円以下で安くて最高だった
なおその後のデヴィンのソロで来た時は微妙だったけど IN FLAMES 初来日
SLIPKNOT IOWAツアー 私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな 私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
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そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな 私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな 私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
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そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
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バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
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悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな 私はこの死という事を思うと、何時いつでもソクラテスと基督キリストの死方に心を慰むることが多い。かのルソーもソクラテス
の伝を書いて、彼の自若として死ぬる様には非常に敬服したものと見えて、その伝の筆を擱おかんとする時に「ソクラテスは
実げに哲学者の死を遂げた」と書いてその文を結ばんとした時に、ふと眼前に閃ひらめいたのは基督の死方であった。
故にまた筆を執り直し殆んど附録のように「然るにエス・キリストは神の如くに死した」と書き加えた。外から見て、自若とし
て死を迎うる胆力は、世に稀とはいいながら、数えれば少くないと私は思う。ただややもすると、死を以て最上の戯曲ドラマ
の如く思っているものがある。俺が死ぬんだから、ここで一つ華やかにして見せようというようなのがある。内心、人と和し神と
親したしみ、心に一点の悔ゆることなく、安らけく死を迎う、これは頗すこぶる少いものだと思う。
プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある。
その死に臨んだ時なども、いわゆる武士気質を現わしているが、しかしその中に死を一のドラマ的に感じておりはせぬか
と思わるるものが沢山ある。これは私の感心しないところである。ただ、何にもない、当り前の通りにして死ぬる様は、
これこそ実に敬服に値するのである。僕は日頃南洲翁を崇拝するものであるが、この点に於ても益々翁の偉大なる
ことが分る。如何にも生きておっても死んでおっても何も変らんという風が見える。あるいは死を見ること生の如く、
その代り一方には生を見ること死の如く、形而上幽明有無の区別を知らなかった。実に平々淡々としている
。こういう修養が出来た人が、一番エライんじゃないかと私は思う。プルタークの英雄伝などを見ると、ローマ人などには、よく日本の英雄豪傑に似た人格が沢山ある
そうでもなきゃこんな事考え付かないでしょ、「人の会話をコピペしてブログにまとめて金儲けする」とか普通は考えないよね
昔から日本には他人の褌で相撲を取るとかあるけど、そんな次元じゃない、他人の会話で金儲けするとか流石に無いですわ
ほら最近忍者の里の新ルールだとか何だとかで「転載禁止言えといわれても書かなかったら水遁」とか出来たじゃん
いや実はそのルールの議論の中心人物俺なんだけど、だけど早く実施してほしいもんだよ、まだまともに聞かれてないみたいだから
バカは死ななきゃ治らないだとか言うだろ?アフィは水遁でもされて痛い目でも見なきゃ判らないんだよ、●持ってるだろうからVIP二度といきたくなるぐらい絶望の淵に叩き落されるぐらい
だから何十回でも何百回でも水遁されて何百回でも何千回でも後悔して何千回でも何万回でも金銭難の地獄に叩き落せ
クソアフィブログはそうしてついに潰えるんだよ、「ブログ読者の皆さん……クリック……して」といいながら哀しく死ぬんだ、それがアイツらの遺言にしてアイツらにふさわしい最後だ
悪いが俺はクソアフィには人権なんてないと思ってる、アフィは死んでも永遠に浄化されないとも思ってる、クソアフィは生きてても価値なし死んでも価値無し、つまり永劫価値なしな奴らだからな 最近、恵比寿リキッドルームや渋谷クアトロ、サイクロンのほうが多いんじゃね 川崎市は、健常者が障害者を差別し、虐待することを天賦の権利とし、それを非難する言説を「障害者虐待差別」としてヘイトスピーチとみなし、罰則規定を設け取り締まります。
以下はその実例です。
川崎市係長試験 行政判断 予想問題 (公職研作成問題に準拠)
4月に他局から異動してきたA職員は、担当業務の内容を十分に把握しておらず、ミスも目立った。
課長より「知らないことを逐一尋ねると、他の職員の邪魔になるので、業務上の疑問は他の職員の会話を聞き取って理解することで解決し、業務ミスをゼロにすること」という強い指示があったにも関わらず、A職員のミスはやや減少はしたもののゼロにはならなかった。
そこで、他のメンバーの面前での強い叱責、A職員を除く他のメンバー全員(担当係長、担当課長を含む)によるA職員の批判などの厳正な指導を実施したが、A職員のミスは改善しなかった。
数ヶ月後、A職員は抑うつ状態と発達障害の診断書を提出した。
障害者雇用促進法に基づく合理的配慮を求めるという、障害者としての権利の濫用に及んだA職員を職場から排除するための制裁として、どのような手段が最も効果的か。
1.障害者としての権利の濫用を非違行為とした懲戒免職処分の手続を行う。
2.抑うつ状態では職務の遂行が不可能である上、発達障害により職務遂行能力の向上が困難であることから、分限免職処分の手続を行う。
3.引き続きかつより厳正な指導を継続し、かつ懲罰的な人事評価を行うことで本人の将来を戒める。
4.厳正な指導の強度を著しく引き上げ、抑うつ症状の悪化による休職に追い込み、相当年数経過後は分限免職処分とする。
正解:3
障害者が、他の職員に迷惑をかける存在である分際でありながら生存権・人格権等の基本的人権の保障を求めるなど、障害者としての権利を濫用することに対しては、残念ながらそれを誅戮する法令が未整備であるため、間接的な手段で本人に対する制裁を行うことが推奨される。
1、2は当該理由での免職事例が無く、免職されない可能性があるため最適な選択肢ではない。
4は休職時に公務災害申請をされるリスクがあるため最適な選択肢ではない。
よって、3が正解。
なお、この事例は障害者福祉担当部局である健康福祉局の総括担当部内での実例である。 今後はチッタでライブの最中に
クソ外人「FXXK ジャップ、Go to Hell!」と延々2時間罵られ
自分「うるせえクソ外人、Go Home!」と言ったら自分だけが罰金刑なんだよな Riotにいきました。オープニングで幕が開かないまま演奏された成田に涙を堪えることが出来なかったのが、よい思い出です。 ピュアロックジャパン。
ガルネリ、摩天楼オペラ、陰陽座のほか実力派を生で見れる貴重なライブ
川崎クラブチッタの伝統だわ チャックジュルディナーDeathの来日では
入場待ちのデスメタルTシャツが壮絶だった
ライブ自体は曲の間があきすぎだったり
誰もpull the plagueやzombie ritualを知らないかの如く
無反応だっり
決して初期デス愛好者は気合の集団ではなく
むしろバーン主流からつまはじきにされた
腰抜け共といった印象だった モービッド・エンジェルの時の客層には流石の俺もビビったな。どこにこれだけのデスメタラーが潜んでいたのかと。 >>110
そんなやつらが らんまの曲にのせトレイにサインせがむ公演後カオス風景
たしか6月6日6時に初日スタートだった
俺CriptpsyのNone so vile着てたぜ >>110.111
チッタは何人くらい入ったの?
大阪は100ちょいだったな
終わってアウトロ的に流れてたのはらんまの曲だったのか
22年ぶりに解決したわ そこそこ満員だったかなあ。音がエライ良かった。
ショウが終わった後トレイがフロア右横のドアから出て来てその場にいた客にお礼参りを始めたんだよ。
で、アナウンスで退場を促されたら客と一緒に外に出て行った。
あれは最初から最後まで見てたけど面白かったな。 CathedralとBrutalTruthがやってた気 >>115
カテドラル単独見たけど300人くらいしかいなかったんじゃないかなあ。
今迄見た中で一番面白かったけど。 dominationの時のライブすげー盛り上がってヤバかった記憶 Ragevs.GraveDiggerではライブそのものより
当時浸透し始めたばかりのモッシュをしてた男が
忘れられない。Light Into The Darknessだかなんだったかで実にスムーズに1人サークルピットで回る彼の
姿が何故か今 好感持って思い出される
最近の気持ち悪いサークルモッシュよりよっぽど潔い 正直チッタって音が悪くなること多かった
バスドラの音ばかりでギターがよくきこえない
Dioの時ユルイ客だったからギターリフが良く聞こえるところ探して会場ウロついたけどダメだった
そのうちダウンチューニングされたStandUp&Shoutが
聞こえてきて DIO音悪かったのか。右側PA前で見てたけど普通に良かったのに…。
パラダイス・ロスト二回見たけどどっちも音悪かったなあ。
真ん中で見てたのにギターの音が埋もれちゃってほとんど聞こえない。
カテドラルとモービッド・エンジェルは凄い音良かった。
あとチッタで見た中で一番衝撃的だったのがシナジーと言うか、ステージに走って向かってくるキンバリー・ゴス。
W.A.S.P.は両親と中学生くらいの男の子の親子連れがいたけど、目の前のモニターであの映像が流れた時は気まずかったんだろうなあ。 Exodusが90年代に来た時
客のノリとか最悪だった。当時デスメタルが最高潮で
過激なメタルとしては「これじゃない」ってみんな感じてたんだろうな。
それこそExodusはもう消えるバンドだ、みたいな雰囲気。スラッシュが老いぼれバンドノサばってる今では信じられないだろうけど間違いなく老バンドが自然に表舞台から消えるべきタイミングがあの来日だった Vicious Rumors Thunderhead Killers ローレンスアーチャーのいたUFOはガラガラだったなぁ。 Ravenの初来日もまたドラムの音ばっか前に出て音悪い感じだった
なんかその時から客とベタベタした感じだったが
最近の評判いい来日の話も
「…ああ、そういう感じであのテのお客と仲良しこよしなのね」と冷静に見れる。
豪雨災害浸水で家の中泥だらけになったニュース映像見るのと似た感覚。
Raven、川崎ではなんか高いとこ登ってたな
音楽となんも関係ねー MetalChurchの初来日は燃えたな
今では考えられないと思うけどオールスタンディング
なのにモッシュ無し。
何か見知らぬ同士の周辺3人で盛り上がっちゃって顔付き合わせてヘドバン…で、ステージろくに見れず ラーズロキットの初来日では
自転車車輪並のリアルモヒカンがいた 隣り街に住んでるけど一度も行ったことがない。ニルバナ観たかった! カニを捕まえてひっくり返すと「出」って漢字みたいに右左の手足を互い違いにシャカシャカ動かしモガくよね。
立った状態でそういう動きで音楽にノる客がいた。
再結成UDOのACCEPT ソープランドと離れてるのが敗因だったな
チッタR.I.P. VisionsOf Disorderやったはずだが
今思うとよくやったな、と Savatageの来日に家庭教師やってた血の気の多い教え子連れてったら
激しくノリすぎてたらしく再三
係員に注意されたんだと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています