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  ■ 平 井 宜 雄 著 作 集 ■
0001法の下の名無し垢版2010/12/24(金) 01:51:32ID:744k9TiY

 第一巻 法律学基礎論の研究

平成22年12月20日初版第1刷
本文全387頁
定価本体6800円+税
発行所 有斐閣




ちょっと正確なところよくわからないのですが、どうも全3巻の予定なのでしょうかね。
法政策学関係については改訂したいと仰っており、4巻以降への言及が見当たらないんですよね。
あと、講演関係も割愛されてるのは残念ですね。

0002法の下の名無し垢版2010/12/24(金) 01:56:19ID:744k9TiY
第一巻 第一論文 「現代法律学の課題」
      初出 「社会科学への招待(法律学)」・日評・1979


以下は、まったく個人的な興味を引いたにすぎず、
全体要旨からすれば瑣末なところですが・・


現代の法律学が現代の法律現象に対処しうるだけの理論的成果を持つに至っているか、
民法の分野では、具体的な民法解釈の具体的手法ないし手順を示すことによって
「法の解釈」の論争の成果を前進させようとする動向があり、星野の利益考量論と、
石田の立法者意思を中核とした法の解釈の手順を論ずるもの、として紹介したうえで、


「民法の解釈の手法が語られるとき、その受取手として裁判官が念頭におかれているのか、
それとも法律学者なのかが、従来明確に区別されていなかったきらいがある。
もし、受取手が裁判官だとするなら、紛争を、与えられた稀少な資源(時間・費用)の限度で
解決するという、裁判官に課された制度的制約を無視する提案(たとえば利益考量の追求、
立法者意思の重視)は、裁判官にとって説得力をほとんど有しないであろうし、それどころか、
前述のようにコストが高価となりすぎている現在の訴訟制度にとって望ましくないであろう。」
(同書・34頁より引用)

結局のところ、理論的成果を持つには至っていない、
と平井先生はその後に記述されているのであるが、
すでにこの時(1979年)から利益考量論批判は始まっていたのね。

第六論文「法解釈論の合理主義的基礎付け」の追記も面白いこと書いておられます。

0003法の下の名無し垢版2010/12/24(金) 02:02:17ID:744k9TiY
この第一論文では、5頁にわたって「追記」が書かれています。


制定法の現代的現象として初出論文で指摘していた「権利義務規範」から
「資源配分規範」への変化は、「あらゆる法分野において「制定法のインフレ」
ともいうべき事態を生じさせている。」それにいかに対処するかは法政策学の
基本的発想が見通しの良いものにする道具として役立つだろう、、(同書・39頁)


川島の「日本人の法意識」論ですが、
「日本社会で訴訟が少ない理由を、権利義務を明確化することのを好まない「日本人の法意識」に
求めつつ、日本が「近代化」するにつれこの法意識も変化し、訴訟が利用されるようになるであろう、
という川島武宜教授の主張(「川島テーゼ」)」(同書・39頁)
と書いておられます。

これは川島本は、後半の近代化論に軸足があったということであり、
前半の日本人の紛争嫌いがあまりにも世に喧伝されていったということだったのですな。
もっとも、「そうかもしれない」、と感じた人達も多かったので一人歩きしたのかも。
しかし、よく言われる鎌倉時代の裁判や直訴の歴史などから、日本人の紛争嫌いというのも変だし、
たんに自己の利益をお上に保護してもらおうというのが封建的な力の支配の時代なので無理なこと
だったのであり、権利・義務の観念自体もよくつかめないので明確化しようがなかった、と
いうことだったと思います。

なお、この第一巻でのメインはもちろん第二論文以降の法律学基礎論です。

0004法の下の名無し垢版2010/12/26(日) 06:28:26ID:BGgxIgAv
大先生か…。不法行為で何箇所か細かいところを改説・追加するって仰ってたよ。
その執筆作業に専念するために退官なさるみたいだから。
0005法の下の名無し垢版2010/12/28(火) 00:18:45ID:DXEHe6V+
>>4
そうですか、、
私はなんの情報源もありませんので、ほかにもあったら教えて下さいね。
0006法の下の名無し垢版2010/12/30(木) 17:52:46ID:xd4Vos+5
事実的因果関係説はだけはいただけないな。

「事実的因果関係説=条件関係」としながら、あてはめでは明らかに相当性を
考慮に入れているよね。

相当性を考慮しない純粋な条件説では結論がおかしくなるから、相当性を
考慮するのは当たり前だけど、そのことを認めると、保護範囲の意味がなくなる。

事実的因果関係説は、実際には「事実面を重視する相当因果関係説」だよね。
それを認めずにドグマを押し通すところに無理がある。
0007法の下の名無し垢版2010/12/30(木) 22:50:35ID:bDiKLCw5
「主観を完全に排除した因果関係が究極の客観的な正しさを持つ」という
イデオロギーが強すぎるね。

因果関係は、それを探求する人々の心の中にしか存在しないのにね。
因果関係=物理法則として、因果関係を極少に限定すれば別だろうけど。
0008法の下の名無し垢版2010/12/31(金) 09:44:45ID:A2kGWVkb
(今回の民法大改正は)「当事者の合意重視」の改正だとされているくだりであり、
保守的な新自由主義的・市場主義的な潮流に乗ってしまいかねない

解釈論的に見解が分岐している場合でも、
「民法改正検討委員会の委員の意見の実定化」ということになっている。・・・
他の解釈論的主張を排斥することの責任をどのようにとるのか
近時の「民法(債権法)改正』目的・趣旨の再検討と法解釈方法論:法律時報2010.11

消費者契約法を充実すべきと主張する
「不実表示にかかる債権法改正に関する論点整理」金融法委員会、NBL2010.11.01
http://www.flb.gr.jp/

産業政策から見た債権法改正の論点
――詐害行為取消権および債権譲渡第三者対抗要件を中心に
経済産業省 奈須野  (金融法務事情2010年11月25日 1910号)
0009法の下の名無し垢版2011/01/08(土) 23:54:58ID:2qioKo/X
19 :法の下の名無し:2010/12/11(土) 08:59:51 ID:VWDNtLAI
2011年4月にパブリック・コメントの手続きをとり、これで パブ・コメは終了
そして速やかに改正案を起草し債権法改正法案は2012年の通常国会提出予定

民法という重要法案としては異例にあまりにも荒っぽい法改正。

20 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2010/12/11(土) 10:34:49 ID:LPq2nawJ
今の民法も帝国大学の三人の学者が作っているね。
民法改正は当時に比べるとかなりオープンな手続きを踏んでいると思う。

21 :糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y :2010/12/11(土) 17:03:55 ID:LPq2nawJ
法学教室の演習から、行政訴訟の訴訟類型の選択の方法をまとめてみました。
参考にしてください。
http://hogakukyoushitu.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-c669.html

22 :法の下の名無し:2010/12/11(土) 23:01:11 ID:VWDNtLAI
>>21
不自然にも、わざわざ過去の2010年6月掲示分を今まとめたように見せて何をしたい?
0010法の下の名無し垢版2011/01/13(木) 01:13:43ID:DrzbifEj

星野・利益考量論の、どこがいけないのか

前提としての星野・民法解釈方法論

『「現実に各自の価値観が異なること」、「現実に複数の解釈が存在する」ことにより、
価値判断が「主観的」であり、かつ、「複数の解釈の可能性」のあることは明らかである、・・
(引用者注・ここまでは、主観性を肯定しながら、以下客観説に立つ)
「客観的妥当性」のある「価値」に基づく判断が、「利益考量」を行った後になされるべき
民法の解釈の基準となるのであるが、・・・それは・・・
「できるだけ『何人も否定することのできないような価値』を捉えることに努めたい。
このさい、一方で、もっとも根本的・高次の(それ故に抽象的たらざるを得ない)価値を追及し、
他方で、ごく具体的な価値(判断命題)を把握し、両方からおし進めて、
価値(判断命題)のヒエラルヒアを構築したいと考えている。」
右にいわゆる「もっとも根本的・高次の価値」の例としては、
「人間の尊厳・平等・精神的自由」などが挙げられており、
「具体的な価値」として「取引安全」などが挙げられている。』
(平井・著作集1・51頁より引用)

前提としての星野・利益考量論

『「文理解釈・論理解釈」が「立法者意思による解釈」に優先するが、
結局は「利益考量と価値判断」による解釈によることとなる。
というのは、「法律の解釈とは、現在法律を適用して社会関係を規律し、
紛争を解決するための前提ですから、現在どう解釈するのが適当かを考えるべきもの」だからである。
そうして、「そのさいに、利益考量のプロセスを経て、結局価値判断によって決めるしかないし、
そうすべきものだ・・ある条文の解釈に際して、甲説、乙説、丙説がありうるとして、
それらがどのような利益を保護し、どのような価値判断に奉仕していることになるのか、
そもそもどのような価値判断から出発したものかということを突きつめいていく作業が必要だということです。
そうして、例えばAという利益をBという利益よりも保護した方がいいという価値判断が出るとすれば、
そこでそのような考え方にもっともふさわしい、例えば丙説をとろうとする。
これが利益考量をしたうえで価値判断をするということです。」
「この方法は、結局のところ『目的論的解釈』といわれたり、最近では条文の『趣旨』に従った解釈
などと呼ばれたりするものとほぼ同じものです。・・」』
(平井・著作集1・110頁より引用)

0011法の下の名無し垢版2011/01/13(木) 01:17:58ID:DrzbifEj

  で、平井先生の批判。

『「利益考量論」にとっては、「価値判断」が解釈の決め手である。・・・
その「価値判断」は−独断的に受け容れられぬ以上常に−「正当化」されねばならない。
しかも「ケース・バイ・ケース」な価値判断では足りないとすれば、「正当化」はさらにその「正当化」を必要とし、
これを追って行けば「価値のヒエラルヒア」の主張に赴かざるを得ない。
これはいわゆる「無限後退」であるから、どこかで停止させられなければならないが、
それ以上の「正当化」の根拠を問われなくてすむためには、
「客観的」な「何人も否定することのできない価値」を持ち出さざるを得ない。
つまり、以上のような考え方の背後には、「価値判断」は「学問的」になされる以上、
究極的に「確実な基礎づけをもって『正当化』されなければならない」という発想が
控えているわけである。
その結果、すべての法の解釈は、「最高次の価値」によって基礎づけられなければならなくなる。
そのような価値判断は−定義によって(「何人も否定することができない価値)−反論を許さないから、
反論は、より低次の「価値のヒエラルヒア」におけるもの(あるいは全くコミットをしない立場からのもの)
からのみ可能であることになる。
つまり理論的には、法解釈の争いは、争いがある以上、究極的には常に「価値のヒエラルヒア」
または「価値の序列」の争いに還元される。」
(平井・著作集1・137頁より引用)


  星野先生の反論

『価値判断はさらに高次の価値によって正当化されねばならず、
「何人も否定することのできない価値」にいきつかざるを得ない、
という筆者の主張のどこがおかしいかは、まだ理解しかねるところである。
それはまさしく(価値の)論理の必然ではあるまいか。
それは「無限後退」でなく、無限の高みに昇ってゆくことであり、
人間が価値を求める存在である以上当然なさざるを得ない営みのはずである。』
(星野・民法論集第8巻・120頁)

0012法の下の名無し垢版2011/01/15(土) 03:06:51ID:1Sj7YRfc
まぁ、端的に言えば、
価値のヒエラルヒアが形成されその順序に従うということになれば、その価値づけに縛られる、
そしてそれが権威をもってしまうなら、具体的妥当な結論が得られるような柔軟な思考が
できなくなるだろう(権威主義)、ということらしい。

価値ヒエラルヒアの具体的な適用として、星野先生は自著の「借地借家法」を挙げられるが、
貧乏時代の資本家家主・地主対零細借家人・借地人ならハカリは弱者に傾きがちなのは明瞭。
バブル後の豊かな社会ではハカリの傾きは単純にはいかないのでしょうね。

でも、「議論」というのも、主張を根拠付けるのが客観データならともかく、
理由付けが主観的な価値観ならば言いっ放しとなって、徒労感はおびただしい。
客観データといえども数字のトリックやら操作での虚飾が疑わしいこともある。
そもそも、この根拠、つまり証拠がなくて紛争になってるような面もあるのではないだろうか。
それでも無理やり法廷弁論としての議論をしなければならぬなら、証拠偽造・捏造も生ずるだろう。
実際カトシンは昔、「あること、ないこと」という慣用句を、「ないこと、ないこと」と表現していた。
法廷弁論でのご苦労がしのばれたのであった。
0013法の下の名無し垢版2011/01/19(水) 01:08:08ID:OdNw3t+T
何が言いたいのか良く分からんね。
知識の哲学でいう内在説と外在説のような争いの観があるけど。

完全に正しい理論があるという空想は、ホーリズムで半世紀前に否定されている。
「正しさ」は常に仮説であることは、議論の出発点に過ぎない

平井の議論は、「客観的に常に正しいものがある」という、すでに半世紀前に
捨て去られた仮説を求めるようなところがあって、肌に合わない。
あれは安保闘争時代の熱気のようなものか。
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