【師匠】法学者の師弟関係スレッド【弟子】
しかし、ここまで書いてみて学部と大学院が一致しない先生も多いし、師匠自体が本務校以外で教えている場合も多いので、なんか意味あるのかなとも思うのだが、一応暇を見ては書き込んで見ます。
ところで、これまでの書き込み見る限りで、みんなきちんと退職記念論集なんか読んでるの?と思ってしまいます。また、博士論文のまえがきやあとがきを読むと誰が師匠か、誰が兄弟子か分かるのだけれど、そんなのは読まないんだ。
たしかに、例えば京都大学の法理学の師弟関係なんかは簡単で加藤新平→田中成明→亀本洋→近藤圭介と一筆書できれば簡単だけれど、そうでないからこのレス立てのではないかい。総人で宇佐美誠→那須耕一の別筋はあるが。
みんなには、民法や商法や訴訟法の詳しい系譜書き込んでもらいたいと切に願います。
暇になったら、早稲田公法の法学部系統と政経系統の系譜を書き込みたいと思います。 訂正です
阿部知子→阿部純子
追加
小林節先生の弟子
青柳卓弥(平成国際大学) 手塚崇聡(中京大学)
大沢秀介先生の弟子
新井誠(広島大学)
早稲田の師弟関係は膨大なのでしばし待たれよ!それと、簡単なところで浦部法穂先生の神戸大学時代の弟子
宮地基(明治学院大学)
井上典之(神戸大学)
門田孝(広島大学)
浮田徹(摂南大学) アラフォーになると物忘れが酷いわ
浦部先生の神戸大学時代の弟子の最初の方に追加上脇博之(神戸学院大学)
ついでだから、京都大学の土井真一先生の弟子
尾形健(同志社大学)但し、佐藤幸治先生と土井先生の指導端境期
見平典(京都大学)
内野広大(三重大学)
白水隆(帝京大学)
御幸聖樹(横浜国立大学)高橋政明(帝京大学)など まー、一番いいのはここの書き込み読んで、本人が間違っていたら修正することなんだが。さすがに、今日はこれで書き込みやめるわ。 わたし(第三者)に聴いてるの?
おそらく、ロー出身で、宍戸・小島帰還以前の在学生で、ドイツ語が出来ないことを勘案すると木下昌彦氏は長谷部恭男先生の弟子でないかな〜
その証拠の1つとしては、かつての助手論文にあたるものが東大のロージャーナルに掲載されているのだけれど、その掲載の推薦者が長谷部先生だったハズ。ここらへんの東大系の学者の系譜は判りづらい。
ここのところの清水潤(崇徳大学)や江藤祥平(上智大学)の人事は、外部からは不透明だと思う。おそらく、それは東大出身者でも東大に残っていないと判らないのでは?
反対に、神戸大学から立教大学に移った赤坂正浩先生の弟子って誰なのか?知っている人がいたら、書き込んでください。 田口精一先生の弟子で追加
日笠完治(駒沢大学)
国分典子(名古屋大学)
訂正
那須耕一→那須耕介 なかなか早稲田に言及できないが、更に補足
栗城壽夫先生の弟子で以下の2名を追加
近藤敦(名城大学)
永松正則(島根大学)
慶應義塾関係では
鈴木秀美先生の弟子は以下の通り
鈴木秀美先生の広島大学時代の弟子
丸山敦裕(甲南大学)
大日方信春(熊本大学)
両名は阪本昌成先生の弟子でもある。しかし、二人が情報法担当であるのは鈴木秀美弟子であったから
杉原周治(愛知県立大学)鈴木秀美先生の大阪大学時代の弟子
丸山敦裕が博士課程で広島大学から
駒村圭吾先生の弟子は以外の通り
西貝(中岡)小名都(首都大学)ゼミ出身者、大学院は東京大学に進学、指導教授は長谷部先生か石川先生のどちらか
小林裕紀(朝日大学)など
小山剛先生の弟子は以下の通り
小山剛先生の名城大学時代の弟子
上村都(新潟大学)
永松正則(島根大学)
小山剛先生の慶應義塾帰還後の弟子
上代庸平(武蔵野大学)
苧野圭太(尚学社社長)
中野雅紀(茨城大学)、旧文部科学省内地留学訪問教官の引き受け先
など
ところで、神戸大学関連で棟居快行先生の弟子は以下の通り
棟居先生の神戸大学時代の弟子
西土彰一郎(成城大学)
浮田徹(摂南大学)←そもそもは浦部先生の最期の弟子だったが、浦部先生が名古屋大学に移籍したため
棟居先生の成城大学時代の弟子
菊地洋(岩手大学)
棟居先生の北海道大学時代の弟子
板東雄介(小樽商科大学)
とりあえず、今夜はここまで。
しかし、このように整理するとどうしてこの先生と、この先生が共著なのかわかるような気がする。 慶應義塾大学関係で山元一先生の師弟関係
清水望(早稲田大学)→山元一(慶應義塾大学)
大学院で樋口陽一先生を慕って東京大学大学院へ
山元一先生の新潟大学および東北大学時代の弟子菅原真(南山大学)
田上シューレの補足
杉原泰雄の弟子に成嶋隆(新潟大学)と大津浩(成城大学)を追加
成嶋隆先生の新潟大学時代の弟子
黒川伸一(旭川大学)
齋藤一久(東京学芸大学)菅原真(南山大学)
それぞれ、大学院後期は長尾(中央大学)、戸波(早稲田大学)および山元(東北大学)につく
公法・法思想の一橋大学と慶應義塾大学のつながり
町田實秀(東京商科大学)→勝田有恒(一橋大学)
勝田有恒先生の弟子は以下の通り
山内進(一橋大学)
森征一(慶應義塾大学)
王雲海(一橋大学)
松本尚子(上智大学)
屋敷二郎(一橋大学)
山内進先生の弟子
松本尚子(上智大学)
屋敷二郎(一橋大学)
内藤淳(法政大学)
藤本幸二(岩手大学)など
森征一先生の弟子
小山剛(慶應義塾大学)
薮本将典など
そろそろ早稲田の公法の系譜に入るが、その前提として
有倉遼吉先生による中野富美雄先生の排斥以降に話を限定することとする では、早稲田大学の憲法の師弟関係の系譜を見てみることにしよう。
まず、戦後の早稲田憲法の代表的な学者は有倉遼吉先生であったことは否定できない。
有倉先生が定年前に急死してから、約四半世紀は彼の弟子の浦田賢治先生と大須賀明先生に早稲田憲法の系譜は受け継がれることとなる。
したがって、この幹の部分から説明するのはひとまず於いておいて、枝の部分から述べることとしよう。
まず、中堅で憲法学者と勘違いされているされることが多いが、三宅雄彦(埼玉大学)は佐藤英善先生の弟子なので行政法学者である。
次に、ゲルバーやラーバント研究で知られる西村清貴(法政大学)は笹倉秀夫先生の弟子なので法制史学者である。
さて、来年定年を迎える戸波江二先生の弟子で就職しているところは以下のようなものである。
齋藤一久(東京学芸大学)實原隆志(福岡大学)
大森貴弘(常葉学園大学)高橋雅人(拓殖大学)
千国亮介(岩手県立大学)である。
藤井康博(大東文化大学)は水島朝穂先生の弟子とのこと
ここらへんの詳しい系譜は早稲田の現役院生が書き込んでください。 ※261
それなら、あなたが早稲田をまとめてくださいな。 こんなところに書くよりwikipediaの編集でもしてくれた方がいいよ 七帝大、三高商、早慶中の基礎法、公法、刑法あたりの系譜までまとめるつもりだったけど、やめるわ。わたしとしては、wikiで書き込むより、ここでみんなから情報を得てより精確度の高いもの作りたかったんだが。
そもそも、ここのスレッドはそのためのものじゃなかったのか。
但し、これまでの書き込みで間違っているところは、気付き次第訂正はします。 >>266
資料価値が高いです。是非続きをお願いします。 やめるの?
意外と撃たれ弱かったなw、
まだ2ちゃん初心者かな。
私は応援してるから続けてね♪ まー、ふつう2ちゃんはしないわな〜
ただ、中断するのはおそらくわたしの後輩と思われる連中によって背後から撃たれる無気味さかな。結構、ここまでの記述からも判るように、最終学歴以前の情報も書いてるからね。
個人的には、早稲田125年法学部史の記述は黒歴史を隠蔽している感が半端なかったから、ここ読んでる早稲田の院生クラスの人がいるなら、このあとの記述はお願いするわ。 田上譲治先生の一橋大学時代の弟子追加
熊田道彦(新潟大学)
杉原弘修(宇都宮大学) 民法は誰か他の人がやってください。
わたしは、ここまでの書き込みの訂正と修正まで。
橋本公亘先生の弟子を追加
藤田尚則(創価大学)
小野田昌彦(日本大学)
梅木崇(駒沢大学)
ついでだから、中央大学繋がりで
畑尻剛先生の弟子
太田航平(青森中央大学)
工藤達朗先生の弟子
木原淳(富山大学)←但し、法哲学は東北大学の樺島博志先生の弟子
武市周作(東洋大学)
神戸大学もあと少しなので
井上典之先生の弟子
春名麻季(金沢学院大学)
戸波先生の弟子で追加
山本真敬(下関市立大学)
よくわからんのが、明治大学の生え抜き教員の系譜
↑
明治の院生クラスがいたら、書き込んでください。
なんか忘れてる気もするが、これで積極的な書き込みは終了するわ。
だいたい、公法系はどこも多くて二三人だったから、系譜追えるけど、その意味で訴訟法もだが、民法は難しい。
あと、携帯とスマホから書き込みしてるんで、大量の書き込みは1度にできない。 神戸大学の井上典之先生の弟子で追加
植木淳(名城大学)
一橋大学の山内進先生の弟子で追加
櫻井徹(神戸大学)
坂井大輔(明治学院大学)
こんなものかな〜 山下威士先生の新潟大学時代の弟子
石崎誠也(新潟大学)
小貫幸浩(駿河台大学)←早稲田での師匠は大須賀先生
沢登文治(南山大学)
あと面白いところでは、巻美矢紀(千葉大学)の指導教授は法哲学の井上達夫先生→高橋和之先生
井上達夫先生は千葉大学から東大に帰還、そう考えると法則性みたいなものがあるのかな〜 東大系法哲学の系譜
尾高朝雄先生の弟子
小林直樹(東大)後、憲法に専攻変更
碧海純一(東大)
碧海純一先生の弟子
長尾龍一(東大駒場)
島津格(千葉大学)
井上達夫(東大)
長谷川晃(北海道大学)
桂木隆夫(名古屋大学)
森際康友(名古屋大学)
森村進(一橋大学)
石山文夫(中央大学)
井上達夫先生の弟子
瀧川裕英(立教大学)
大屋雄裕(慶應義塾大学)谷口功一(首都大学)
米村幸太郎(横浜国立大学)
藤岡大介(亜細亜大学)
横濱竜也(静岡大学)
吉永圭(大東文化大学)
吉良貴之(宇都宮共和大学)
池田弘乃(山形大学)
浦山聖子(成城大学)←学部は慶應義塾大学
安藤馨(神戸大学)など 千葉大の藤井俊夫先生は成文堂からたくさん出版しているのに
どうして早大に帰還しなかったのかな、それともできなかったのかな。 中山道子先生は今どうしてはるやろか、
せっかくの輝かしいキャリアだったのに。
遠藤比呂通先生は最近復活してはるようで、ようございました。 答えは簡単。ポストが浦田先生と大須賀先生で埋まっていたから。そこに、早稲田大学法学部三人体制に拡張したさい、年下の今関先生が採用されて完全に目がなくなった。まー、藤井先生自体は千葉大学晩年は教育学部から法経学部に所属が変わったから満足していたのでは。
可能性としては、あともう少し早く、博士論文書いていたら帰還もなくはなかったかもね。でもその場合、カール・シュミット研究で一足早く博士論文を提出していた山下威士先生が新潟大学から帰還していたかもしれず、難しいかな。
しかし、藤井先生とは懐かしい名前だな。非常勤では山下先生も藤井先生も早稲田で教えていたよ。 訂正
島津格→嶋津格
指摘ありがとう。
それと
石山文夫→石山文彦
豆知識
森村進先生の奥さんの森村たまきさんは山田八千子先生と同級生のはず。 283
まー実際、東大系の先生も彼女のことは「黒歴史」扱いだよね。公法学会運営と喧嘩したんだからね。
総会報告と、彼女の反論論文は翌年の公法研究では不掲載で、質疑応答もその前後はかなり削られている。むしろ、何喋ったのか興味深い。誰かこのこと知っている人、書き込んでください。 284,286
サンクス
早稲田民訴といえば、中村、鈴木重勝、櫻井孝一先生とか、、
櫻井先生は口角泡飛ばして講義してましたぜ(他校非常勤で)。 重勝先生は仏だったから、毎年マスター1学年に5人前後の入学者がいた。オレの同期も、そんなわけでふたり鈴木シューレ。まー、早稲田の院はマスター入試は笊で、結局、ドクター入試以降からが実質競争。
ところで、↑さんは40歳半ばの年齢かな? あと、大学院は非常勤で木川統一郎先生と吉野正三郎先生を呼んでいたよ。 該当『公法研究』を見てみた。
該当報告が掲載されていない。ここまでは、おなじ。
質疑応答の活字化においては、若尾典子先生(広島女子大学)、樋口陽一先生(早稲田大学)が中山報告を補足。
続いて、阪本昌成先生(九州大学)、中野雅紀先生(茨城大学)と辻村みよ子先生(東北大学)が質問してるけど、なんか一問一答のようなおかしな応答なんだな。おそらく、その前か後にひと悶着あったと予測。 浦田先生門下なら大体分かる。以下敬称略。
諸根貞夫(愛媛→龍谷)
古川利通(大阪経法→大阪健康福祉短期、多分学部は名古屋)
鮎京正訓(名古屋→愛知県公立大学法人理事長、学部は慶応)
根森健 (埼玉→東洋→新潟、元々は有倉門下)
川津一義(愛知学院、故人、元々は有倉門下)
高橋洋 (鹿児島県立短期→九州国際→愛知学院)
船木正文(大東文化、元々は有倉門下)
水島朝穂(札幌学院→広島→早稲田)
田島泰彦(神奈川短期→上智、学部は上智)
高橋利安(広島修道、修士課程は大須賀先生)
荒牧重人(山梨学院、博士課程は専修)
宮井清暢(愛知学院→富山)
君島東彦(北海学園→立命館)
志田陽子(武蔵美) >>284
>三人体制に拡張したさい・・・
正確には有倉先生・浦田先生・大須賀先生の三人体制で有倉先生が亡くなられて
しばらく二人だっただけ。 それから当時の早稲田法は純潔主義でD入学と同時に助手採用以外は教員になる
道はなかった。多分当時の教員で例外は法社会学の畑先生と黒木先生くらいだと
思う(ずっと前には戒能先生や福島先生が外から来たが・・・)。
普通に外からも受け入れるようになったのはもっと後のこと。 だから当時は今関さんが仮に助手になってなくても藤井先生が早稲田に来る
可能性はそもそもなかった。 細かい点で追加
高橋利安(広島修道、修士課程は大須賀先生、学部は中央) そういえば篠塚先生が昨年末に他界されたとの新聞報道に接しました。
先生の物権法の講義で優をもらったのは懐かしい思い出です。
先生のご冥福をお祈りします。 藤井先生の千葉大学法科大学院の後継者が大林圭吾先生
大林圭吾先生の師匠は学部・大学院共に大沢秀介先生(慶應義塾大学)
ちなみに、大林先生のお父さんは大林文敏先生(愛知大学) 昭和40〜50年代、早稲田大学法学部憲法学の健全な発展を考えるなら、非常勤で早稲田に教えに来ていた小林孝輔先生(青山学院大学)が帰還した方がよかったのではないか。
それと↑さん、わたしと同期かもね。修正ありがとうございます。 石川健治シューレ
金井光生(福島大学)
二本柳高信(専修大学)
小島慎司(東京大学)←石川先生が博士論文の主査 阿部和文(大阪市立大学)
毛利透シューレ
山田哲史(岡山大学)
篠原永明(甲南大学) 日本には仄めかしという犯罪が確実にあります。
私は2014年の秋頃からずっとこの仄めかしという犯罪の被害を受け続けています。
そして、おそらく私の他にもこの犯罪の被害者は多数存在すると思います。
この仄めかしという犯罪には、大手広告会社、数多くのメディア、政党が関与しています。
この仄めかしという犯罪は、まずハッキングやストーキングといった違法な手段を用いて、被害者の個人情報を収集します。
次に、集めた情報を被害者に分かるように様々なメディアで仄めかします。
これにより、被害者は恐怖心を感じ、生活が脅かされます。そして自由な言論が封殺されます。
どうしてこんな犯罪が私に対し仕掛けられたのか。
それは仄めかしの被害に遭うまでの私の積極的なインターネットへの批判書き込みが原因かと思われます。仄めかしの被害に遭う前、私は、政党に対し、メディアに対し、そして広告会社が手掛けた仕事に対し、批判する内容の書き込みを大量にしていました。
然し無論、これは言論の自由の範囲内です。
どうしてこんな大きな犯罪が実行可能なのか。
それは今の一業種一社制という規制の無い状態で、ある広告会社がほぼ独占状態になっていること、それから、その力を持った広告会社とメディアと政党が癒着していることが原因だと思います。
今の日本の首相の奥方はその広告会社の出身です。 中央大学清水睦先生の弟子
高見勝利先生(学部中央大学時代の所属ゼミ)(上智大学)
植野妙実子先生(中央大学)
横尾日出男先生(中京大学)
藤野美都子先生(福島県立医科大学)
福岡英明先生(國學院大学)
佐藤信行先生(中央大学)←実質指導は長内了先生か?
佐藤修一郎先生(東洋大学)←学部は早稲田大学政経学部
蛯原健介先生(明治学院大学)←大学院は立命館大学山下健次先生の弟子
寺川史朗先生(龍谷大学)←学部は立正大学
なにか忘れていると思ったら、清水先生の門下生だった。 あと、誰か明治大学の和田英夫先生、吉田善明先生、野上修市先生の系譜で清野幾久子先生や江島晶子先生を整理してください。
そうすれば、関東の主要な大学の憲法のシューレはだいたいフォローできたのではないか。 >>297
国際私法の土井輝生教授は、法政大学出身だった。 >>300
どんな講義だったか詳しく教えてもらえませんか?
去年まで早稲田の学部生でしたが、本を見てすごい先生だと思いました。
二十人以上も弟子が大学教員になってすごいですよね。 情報が間違いだらけで笑える。
デマ情報流すのもほどほどにしてくれ。
なんでもかんでも慶應関係者にするなよ!
お前、さては慶應関係者だろ。 >>306
だいたいフォローできたと言っていますが、メジャーどころで結構誤りがありますよ。 とりあえず、間違っているところがあれば、訂正しておいてください。
あと、博士論文を書いている先生は、博士論文の審査報告書を見れば、主査と副査の先生が分かるはず。ただし、こちらは形式的なもので、実質上の師匠は本人に聴かないとわからない。その意味で課程博士が増えたいまの方が、両者の乖離があまりないように思います。 うむ。確かに間違いだらけで、書かれている本人が可哀想だな。
弟子が師匠を詐称しているみたくなっており、はなはだ迷惑な話やわ。 >>286
昔、自分のHPで全文掲載していたの読んだ記憶があるな。
もう残ってないのかな。 対米不動産投資家のHPに変わって、その記事自体が中山先生によって削除されちゃったみたいだよ。
その内容については言及する人がいるけど、それは又聞きになっちゃうからな。
個人的には、50歳前後で公法学会総会に出ていた人の書き込み希望。 >>317
オレ読んだけど、さすがにもう10年以上前に読んだヤツだから、細かい内容はほとんど忘れたわ。
骨組みだけ言えば、「いつまでも先輩ヅラするな」的な。
過干渉にブチ切れた!って感じの記憶やなぁ〜。 インポって言葉が出てきてた(アルファベット表記)のは覚えてる 阪本昌成が最近引退しちゃったけど
あの独特すぎる立場を受け継いでる門下って誰かいないの? 阪本先生の弟子は学部から修士までなら甲南大学の丸山敦裕先生、博士なら熊本大学の大日方信春先生。
ただし、基本的な理論を継承していても、両人とも情報法や知財関連で憲法の研究してるから、明示的には子弟関係は分からないのでは?
むしろ、九大時代に阪本先生が弟子を養成したのか? やっぱり分かりやすい直系(?)は今のところ見当たらないのかな。
『これでわかる!?憲法』で執筆してるような人達は、多かれ少なかれ関係がありそうだけど
なんか地味な人が多いね。やはり強いて言うなら大日方氏ということになるのかね。 まー、阪本先生は広大→九大→立教→近大で教員生活を終えたから、その弟子は必然的にローカルな大学の教員になるからね。どうしても、研究者の弟子は東大京大早慶中の出身者がメインを占める。これも地方大学の宿命だね。
それと、どちらかというと弟子の先生は阪本先生の気質は引かない、どちらかというと大人しい人が多い気がする。
(追記)
阪本先生の学部時代の弟子として、千葉商科大学の合原理映先生を追加。 秋葉原通り魔事件で逮捕された加藤智大さんは犯人ではありません。
この事件を詳しく検証した下の動画を見ていただければ加藤さんが
冤罪であることは明らかです。 皆さんの目で一度確かめて見て下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=OD87ETBXMKY
※どうやら秋葉原通り魔事件の真相を世間に知られたくない輩が上の動画の信頼性を損なわせることを目的として
youtube評価の「よくない」の方に毎日一票か二票ずつ投票するという粉飾工作をしているようです。
すでに事件から何年も経過しているのになぜ今になってそんな工作をするのかは不明です。 日比野先生の弟子というか指導を受けた研究者が宮崎に居る
高橋門下で「現代的論点」にも書いている人だけど、
修士課程の時の指導教官が日比野先生だったと本人から聞いたことがある
博士論文も通って東京付近に残ろうと思ったところ、地元の宮崎から
頼まれて戻ったみたい >>330
大学卒業後いったん自治省の官僚になってから辞めて大学院に入ったので
修士課程の指導教官が日比野先生になったらしい 自治省云々と日比野になったことと論理的な繋がりあるか? >>333
卒業後すぐ大学院に行く通常のパターンと違うことが関係あったようだけど
また、同じ年に助手が2人(宍戸・林先生)が入ったから人数の関係もあったらしい
で、博士課程は全員高橋先生が指導教官という決まりだったと聞いたけど
上の方で誰か書いてたけど、東大の憲法はかなり自主性に任せるということで、
指導教官にはそこまで深い意味はない気もする それより、4月から各法学部に着任した先生を書き込んで欲しいな それより、木庭顕先生が東大定年になったんだね。知らなかった。 >>274
熊田先生ものすごくいい人で授業も真面目に教えてくれて
当時は今よりずっと法学部の左翼色が強かった中でかつ憲法という条件においては、左寄りでなく真ん中と言っていいし
学生からすごく人気があった
ゼミも熊田ゼミを第一志望にする人がすごく多かった
と折角名前が出たので書き込んでおく 知っているだけ書くの趣旨に沿って
今年、京大に来た吉政知広先生の師匠は山本敬三先生
てっきり、松岡先生の系列のひとが来るのかと思っていた 新潟大学関連で
新潟大学の憲法の先生で思い浮かべるのは
結城光太郎先生と菅野喜八郎先生
次の世代が熊田先生と山下威士先生
そのつぎは成嶋先生等か あと、山元一先生、大津浩先生、大河内美紀先生も最初の就職先はここだったんだね 木庭顕が退職されて、東京大学法学部からローマ法担当の教員がいなくなってしまった。源河達史先生は教会法だから、ローマ法の研究が主だろうが、戦後東京大学法学部から船田亨二先生から続いてきたローマ法講座が名前の上で無くなってしまうのは残念
それと、この板読んでる人のなかで源河先生の講義を聴いたことのある人はいますか? >>342
松岡先生系列の人は誰が京大の先生になってるの? たしかにそうだね
京大民法の若手の3人、木村敦子、西内康人、和田勝行先生の師匠は誰なの? 長野史寛先生もモノグラフィーに山本敬三先生への献辞を書いてるので、京大民法は山本シューレだらけということだね しかし、奥田シューレはいったいどうなっているのか