>>389
全部読んだ。(なお、著者の書物も読んだので著者のリベラル的な考え方は承知している。)
本題だが、確かに集団的自衛権は被攻撃国を自衛するもので、行使する側からすれば直接的には他衛である。
しかし、その行使の結果、自国の安全を確かなものにすることになるし、
それ以前の問題として、実際上他国の防衛を約束することによって自国の防衛を保障させるのが典型であり、自衛に必要な措置とも言え、自衛と全く関係ないとは言えない。
そして集団的自衛権行使にも様々なケースがあり、他国への攻撃が自国の存立の明白な脅威になるというケースもある。
今回の限定的行使容認論に基づく閣議決定はまさにそれである。
日本のような島国でのケースを論じる場合、やや特殊であるが、それでも限定容認論からでも理論上様々な事例を想定できる。
しかし、限定容認論ではそのうちの大半は日本周辺の公海で日本を防衛する米軍に対する攻撃に限定されるだろう。
論者は集団的自衛権に含まれるこうした様々なケースを無視し、一部の事例だけを取り上げて十把一絡げに論じ、今回の閣議決定を批判しているので説得力に欠ける。
刑法の正当防衛行使の要件の一つは「急迫不正の侵害」であるが、たとえ自己防衛の場合でも、
自己に対する相手の攻撃の着手までは必ずしも要求されていないのは言うまでもないことである。
このことからも分かるように、形式的に個別的自衛権・集団的自衛権という枠組みで、つまり自国に対する攻撃の着手があるかどうかという区別で、合憲・違憲を区別する手法は、実態を視野に入れていない、まさに木を見て森を見ない机上の言葉遊びにすぎない。

集団的自衛権が国家固有の権利ではないというならそれで良い。
しかし繰り返しの議論になるが、自衛権の一部に国家固有の権利が含まれるという立場に立ち、
自衛隊は戦力に該当しないとして自衛隊を一度合憲な存在として承認したのであれば、
それをどのように活用するかは憲法上の制約がなければ自由である。
例えば大雪災害や地震災害に自衛隊が対応するのは、国家固有の権利である本来の意味での自衛権行使とは異なり、あくまでも災害救援である。
しかし、もちろん違憲ではない。なぜなら憲法が救援活動を禁じていないからである。
集団的自衛権行使についても同じ理屈が当てはまる。憲法が禁じているのは侵略的戦争のみである。
憲法が禁じているのであればそれを主張する側に立証責任があるが、日弁連・学者・マスコミを含め、説得力ある主張は一度も見たことがない。