ちなみに、「國體」を「天壌無窮の神勅」に結びつけると破綻する
その破綻の原因は「天壌無窮の神勅」が人間の意志を介在しなかったことを証明できないから
逆に、「天壌無窮の神勅」が人間の意志を介在した事例は多数証明されている
以下、その例

・天壌無窮の神勅によって当初統治した南朝は、人間の手により創出された北朝によって後に置き換わっている
(神勅が人間に蔑ろにされた事実がある)
(明徳の和約において南朝が三種の神器を北朝に渡しているが、これはつまり神勅による統治権限が世襲ではないことを示す証拠になる)
・史実書とされた書の著者が、権力者の身内である
(史実書の捏造を権力者が行ったことを一切否定できない)
・当事者が、天壌無窮の神勅の継承を放棄している
(人間宣言・三種の神器の形骸化)

そういえば、>>42は国体が云々とか根拠にしてたな
改めて訊こう
>>39=>>42
「國體」の起源は何?

どうせ「国体」の定義があやふやで、それを隠すためにうやむやにするだけだろうけど
そうしなきゃ自己論理が破綻するんでしょ?別すれで「改正勅令(昭和10年勅令第112号)は帝國憲法施行前に於ける敕《みことのり》」なんだと豪語した>>39君w