占領憲法成立前後の當時の政治家、學者の殆どは敢へて占領憲法を成立させずとも、帝國憲法下でも十分に「民主主義的傾向」は可能であると考へてゐた。
其は所有史料を紐解けば普通に判る縡だ。
 帝國憲法をして外見的立憲主義的なれば云々との理窟を以て帝國憲法と占領憲法とを對比して、帝國憲法を否定する護憲派の輩衆けれども、
根本的に帝國憲法の法制は英國の法制と大した違無く、其でも英國は世界一般的に民主主義國との認識あるなれば、帝國憲法をして外見的立憲主義的なれば云々と云ふ理窟は實は全く意味が無い。
 憲法に本づく數多の法の制定と運用とは世界情勢や外交・國内状況、經濟状態、安全保障環境等々數多の要因が重なつて做さるゝ者であり、
帝國憲法を現在に復原しえしとて、戰前戰中の世界情勢と全く異なる現代に於て、戰前戰中の世界が其の儘そつくり現代に現出さるゝ等とは常識的に考へられぬ。
 帝國憲法を復原させる縡を唯單純に復古主義なりと云ふ輩は思考が稚拙な證據である。