年度代表馬がホウヨウホウヨウヒカリデユールの時代wwwwwwwwwwwwwwwwwww [無断転載禁止]©2ch.net
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>>96
>>94(オペは入れ忘れました)だけど、確かに雑だけどこれ位大づかみの方が、本質が見えたりするよ
暗黒とした部分でも例えば0102とかマンカフェ、ギム、クリスエスとか強豪は出てるけど短命だったり不安定なので暗黒とした
で、一番言いたいのは磐石横綱名馬がいない暗黒の方が馬券や競馬は断然面白いってこと 今でも競馬原体験として
79のクラシックでリキアイオーが馬鹿みたいに前哨戦出まくって勝ちまくって本番散ったのと、
80春クラシックが毎回雨で、違う馬が圧勝しては消えて行ったのが今思うとたまらなく面白かった
ハーバーシャレード、リンドタイヨー、トウショウゴッド、サーペンプリンス、ハワイアンイメージ&ジュエル、レッドジャガーw >>102
サーペンプリンスいたなあ
サー・ペンフロの仔なのにサーペンwww
他にも、マルブツサーペンとかサーペンスールとかいた。
サーペンって何なんだよwww ホウヨウボーイ、カツラノハイセイコ、カネミノブ、メジロファントム
が4強を形成した時期があった事を知る人は今や少ないw
ホリスキーとミナガワマンナがいつも似たようなレースで対決した事も
ホウヨウボーイとアンバーシャダイの千代の富士と北勝海のような関係もw TTGが去ってからシービーまでは余り触れられることはないけど個性派だらけできっと当時の人は楽しかったと思うな!阪神大賞典を勝ったファインドラゴンとか知ってる人いたらどんな馬か聞きたい! ホウヨウボーイの血統構成を、8項目で評価すると以下のようになる。
@=○、A=□、B=◎、C=△、D=□、E=□、F=○、G=○
総合評価=3B級 距離適性=9〜12F
Royal Chargerを呼び水に、血の集合や結合がよく、スピード・スタミナのバランスのとれた血統構成馬であったことが読み取れる。
残念なことは、Cの弱点・欠陥が△となっているように、父内Beeming BeautyとUltimate Fancy内の米系の血がクロスできず、弱点を生じたことである。
このことは、ホウヨウボーイの能力を形成する上で、決してプラスとはいえず、使いかたを一つ誤れば、オープンクラスへの出世も危ういような状況を招いていたかもしれない。
まして、主導となる血が、晩成傾向を示すSolarioであることも考え合わせると、現代では、古馬になってから2度も年度代表馬に輝くことなど、予測することはできない血統構成といえる。 >>103
種牡馬になって1年ぐらいで死んだんだっけ??? ホウヨウボーイは、Royal Charger系の伝え手としての期待を担って、種牡馬になり、ヘイアンユウボーイやムスカリといった産駒は出したものの、種付け1年を終えた後に死亡してしまった。
したがって、産駒は1世代のみ。
Royal Charger−Turn-to系といえば、現代の日本の生産界をリードしているサンデーサイレンスやブライアンズタイムと、同系になるサイアーラインである。
配合の方法次第では、面白い産駒を出す可能性も残していただけに、早過ぎる死が惜しまれる。
Royal Charger−Turn-to系は、いまや日本の主流にはなっているものの、Nasrullah系に比べると、この系統の日本への導入率は、意外に低い。
その要因としては、Royal Chargerが早期にイギリスからアメリカに輸入されたために、欧州系主体に導入をしていた日本には、種牡馬として輸入される頭数が限られていたことも影響している。
そういう意味でも、ホウヨウボーイは貴重な存在であった。 >>98
ニチドウアラシがどれぐらい強かったのかは気になる
慢性の脚部不安抱えながら阪神マイルのOP特別でカツラノハイセイコに勝ったり
ダービー卿CTで1800とは言え4kg重い斤量背負ってサクラシンゲキ抑え込んだりで4着以下なしはすごい >>110
いちいち調べないが、ニチドウアラシは遅れて来た化け物て感じで
当時の最高峰の3200天皇賞からは逃げてるだけで(そっち担当はニチドウタロー)、
とにかくやたらいろんな重賞に出て、勝ちまくってた印象
これとカネミカサは2000までなら恐ろしく強くて安定してた
今だったら正にモーリスになれてたと思う
秋天、安田獲り放題みたいな >>112
番組編成が今と変わらなければニチドウアラシもカネミカサもマイル〜二千のG1を勝ってると思います
サクラシンゲキなんかも最強スプリンター論争に加われたはずですよね
当時は本当にスプリンター、マイラーが不遇な時代でした ヒーロー列伝の中でヒカリデユールのポスターが1番好き ヒカリデユールの祖父はラウンドテーブルという
アメリカの年度代表馬にもなっており血統評価は
@=◎、A=○、B=◎、C=○、D=□、E=○、F=○、G=○
総合評価=2A級 距離適性=9〜12F
St.Simon−Galopinを核に、強固な結合はみごと
とまさに名馬の血統構成である >>106
ファインドラゴンは強かったですよ、南井騎手が初めて出会った実力馬で、後のタマモクロス、ブライアンへと続く彼の黄金期の基礎になった馬ですね
79世代の関西の秘密兵器で、馬場不問で2000から3000まで重賞も勝ってます
好位からしぶとく勝ちきる戦法で南井は「ファインドラゴンで騎手としての自信をもらった」と言ってました
僕も大好きで天皇賞勝つと思ってたらいつの間にか引退してしまいましたw ちなみに79世代は年明けは低レベルでカオスで
関東は先の見えてるリキアイオーと狂気のビンゴガルーしかいなくて
やがて関西から次々と秘密兵器が出現
テルテンリュウ、ネーハイジェットと来てカツラノハイセイコが彗星のごとく一気にダービーを制覇
そこに続いたのがファインドラゴン、メジロトランザム、ハシクランツ&ハーミット、
そしてニチドウアラシ&タローと関西馬の層がやたら厚かった
世代レベルも高く三歳高松宮杯で関脇級のネーハイジェットが大関バンブトンコートを完封したりしましたね でもってその79世代の軍団に一頭で立ちふさがったのが、晩成の横綱ホウヨウボーイという図式でしたね、懐かしい 有馬記念ファン投票1位
1位 1989年 オグリキャップ 197,682票
2位 1981年 ホウヨウボーイ 185,747票
3位 1988年 タマモクロス 183,473票
4位 1994年 ナリタブライアン 178,471票
5位 1992年 トウカイテイオー 177,926票
・・・
21位 2016年 キタサンブラック 137,353票
24位 2015年 ゴールドシップ 120,981票
35位 2012年 オルフェーヴル 90,474票
37位 2013年 オルフェーヴル 81,198票
39位 2014年 ゴールドシップ 66,796票 >>104
馬名にうるさかった大橋巨泉さんは
皮肉たっぷりに
サー・ペンプリンス
て呼んでたよな >>121
ラフォンテースにも相当怒ってましたねw
「間違いなんだから変えさせろ」って
マルゼンスキーも命名は嫌ってた
「これだけの逸材、ニジンスキーの流れをくむ名馬に、冠+スキーという安易な命名…」
でもあの頑固さが良かった バウアーストック途絶えたみたいだな
ゴーディーみたいなサラ系はともかく昭和期に幅を利かせたサラ系は
ほとんど滅亡
中央競馬ワイド中継が始まるちょっと前
東の人は西の馬を西の人は東の馬をトップホースを除きほとんど知らない最後の時代 >>124
教えてくださってありがとう御座いました
ホウヨウが2年連続というのは全く予想してませんでした。すいませんでした 感情論にすぎないが
ヒカリデユールをけなすのはやめてくれ… >>118
ニチドウタローが勝った時の春天動画で見ていたら
たまには阪神競馬場で春天やるのもいいものと思った。 >>128
僕はけなしてませんよ
名前もいいし強いし、野武士ぽくて好きでした
天皇賞レース中に故障は残念でした >>127
本来つけたかったのはそれですw
小柄でも勝負強い牝馬でした
あの頃は旧三歳時に必ず強豪牝馬が出て牡馬をおびやかしてました
でも不思議と牝馬同士のクラシックでは取りこぼす
不思議なパターンがありました
ラブリトウショウ、シーバードパーク、ラフォンテース この頃の競馬は後世にあまり語られてないから、競馬の暗黒時代かと思ってたけど、リアルタイムで体験してた人からしたら面白かったのか。このスレ良いな ヒカリデユールの有馬記念が観たくて
有馬記念史2を買った 当時見てない人間からするとアンバーシャダイって常にもっと強い馬が他に居たイメージだけど、実際そうだったんだろな
大川さん存命中に二本柳厩舎のエースと言えば誰がどう見たってホウヨウボーイでアンバーシャダイはその次だったと
その後もモンテプリンス、ヒカリデユールやキョウエイプロミス相手に分が悪い >>44
賞金格差もいまほどの差はなかったのでは。
バブルが始まるまでは、地方でもわりといい賞金は出てたから、
決闘的な見劣りする馬でもどうしても中央に入れなければならない、というほどでもなかった。
バブルの途中から差が付き始めて、終わった後に決定的な差がついてしまって、
地方からは若駒の育成という概念がなくなってしまったけれど。 >>48
大レースはともかく、普段の競馬は東と西でまったく別々に進行しているような時代だしね。 >>134
実際に見てた人はモンテは兎も角、ヒカリデュールやキョウエイプロミスよりはアンバーの方が強いと思ってた割合の方が多いんでは無いかな
マスコミもモンテ引退後はアンバーシャダイを古馬最強と言ってたしね >>94
タマモ・オグリ〜マックの間が谷底?
たしかに直接の対戦こそないが、前者が引退するころにマックが台頭してきたわけで、つながってると思うが。 >>128
貶しはしないよ。
アンバーシャダイが好きだったので、ヒカリデュールは憎かったけど、あの春天は無いわ、切ない。 ハギノトップレディとブロケードの巴賞もあるし、暗黒とは程遠い >>135
自分は30代なかばだから直で見てない、親父の話や競馬読本やら新聞のコラムやらで色々知った
プリテイキャストの100馬身大逃げの翌年がホウヨウボーイとモンテプリンスの300mの叩き合い
リアルタイムで見てた人羨ましい >>139
間はサクラホクトオーとかオサイチジョーシとかミスタートウジンとかだから確かに暗黒 >>139
>>145の人が触れてくれてるけど、ウイナーズサークルという正真正銘完全に忘れられ、今ではまず振り返られる事の無いダービー馬の世代をお忘れですよw
それを暗黒どころか谷底と表したわけですw 平成元年
ドクタースパート
ウィナーズサークル
バンブービギン
の年か >>142
プリティキャストの3200秋天逃げ切りは正に逃げの芸術作品と言える巧みなものでしたよ
いきなり離すのではなく、徐々に徐々に一周目で異様なまでの大差をつけ、幻惑させ、圧勝フィニッシュ
スプマンテのようなノーマークの大惨事とは違う見事な作戦
タップJCみたいに腹をくくって行ってハマッたのとも違う
あれに匹敵する芸術逃げは長い日本競馬史でも後は横山のイングラぐらいでしょうw ノリはウンスカでもやったしな
なんだかんだで逃してはいかん プリテイキャストの秋天の
2番手以下は届かない!絶対に届かない!は名実況 >>132
TTGからシービー出現まで、というのは要するに血統にしろ馬主生産騎手にしろ
これという権威、主流が定まってない時代なんですね
だからマクロの目で振り返るとただのカオスで語るべきアイコンは無いんですが(今なら社台とかサンデー、ディープとか核になる権威がある)
興行としてはけして暗黒でもなく、面白かったですよ
種牡馬ひとつとっても、パーソロン、ミンスキー、イエローゴッド、テスコボーイ、ヒンドスタン、セダン…
いろんな種牡馬がいろんな活躍馬を出してました イエローゴッドの種牡馬成績は昭和50年代半ばに華々しく産駒が活躍してるのに
昭和60年代になるともう殆ど活躍馬居なくて尻すぼみ感が非常に強い印象 >>151
ヒンドスタン、って時代が違うだろwww シービー、ルドルフのように1強だと馬券妙味が薄く売り上げ低下。
単枠指定もあったしな。 キョウエイプロミスは最後だけ強かったよ
柴田政人800勝の天皇賞(秋)はかなり速めに先頭の横綱競馬で負かしにきたアンバーシャダイ潰して完勝だったし(カミノスミレだっけ2着来たの)
本格化してきたとこで潰れたのは残念だった
ヒカリデユールの有馬は背中に羽根が生えたかのような末脚だったね >>117
ありがとうございます!なかなか周りに馬の話できる人いないもんで。 >>156
どういたしまして
>>134>>138
先輩はホウヨウボーイで先に強くなってましたが、アンバーシャダイも十分横綱でしたよ、常に人気背負って受けて立つ存在でしたから
正にホウヨウという先輩横綱の胸を借りて育った横綱
結局77から82で横綱と言えたのはホウヨウ、アンバーだけでしょうね
後は大関が
プレストウコウ、サクラショウリ
カツラノハイセイコ、モンテプリンス
ヒカリデュール、キョウエイプロミスまでかな
横綱は少ないが、大関から小結位の中堅の層は厚くて、勝ったり負けたりしていて面白かったな ちなみに、上記の大関に僅差で続いてたのが
カネミノブ、キャプテンナムラ、メジロファントム、カツアール、ホリスキー、ミナガワマンナ、メジロティターン
などがひしめいていた
モンテを横綱にしないのは道悪がからきしだったからですw
こういう名前出せるだけで、このスレ嬉しいです、最初にどっぷり競馬にはまった時代なのでw ホウヨウボーイは三冠馬になっても不思議無い程、強い馬でした
新馬戦の勝ち方は今なら2chでスレが立つでしょうね
牝馬が側を走ると抜こうとしなかったり、パドックで馬並みを何時もギラギラさせてたりと面白い個性の持ち主でしたしね
念願のスタッドインしたのに早死にしたのは、少し可哀想でした 後、当時の関東は二本柳俊師と松山師親子が双璧みたいな状態でした
松山吉三郎師はここで出てきて無い馬でも、シービークロスやモンテファスト等も管理していてホウヨウボーイ、アンバーシャダイの二本柳俊師と競っていました 牝馬の稲葉師も健在だったで
あとミナガワマンナ、アズマハンターとか訳のわからない安馬を見つけてきて、クラシック勝たせた仲住師なんてのもいました。 >>162
ミナガワマンナもアズマハンターもそれぞれ谷川牧場、東牧場と名門の生産馬なので訳が判らないってのは違うような…
まあ、恐らく高い馬では無いってのは同意します アズマハンターの皐月賞は結構ビックリ、ダービー負けたのはもっとビックリ。
太さん、2年連続でやらかしましたね。
菊花賞は泰っさんが2年連続でやりました。 >>164
小島太は終生やらかしまくってましたからwww
でも、好きな乗り役さんでした 競馬読本でアズマハンターは1歳だかの時に東さんとこに
ダストコマンダーの凄いのが居るって評判になってたって話を読んだ事がある
そんな若駒の内にモノが違うと思われてたんだから、走って当然だと言うのはあったんじゃ アンバーシャダイは最強感はなかったが横綱感はあったな。
他の馬とは格が違うと言う感じで。
ホリスキー、ミナガワマンナらの挑戦を受け続けて跳ね返し続けたというイメージが強い。 アンバーは府中でもう少し勝ってればね。
目黒記念勝ったりレコードも出してるから左周りも苦手って訳でもないんだよな。 ハイセイコー産駒でダービー勝って古馬になってからも天皇賞勝ちのある
カツラノハイセイコーはとても影が薄い気がしますね、なんででしょう アンバーシャダイの子カミノクレッセは旧6歳時に阪神大賞典、春天、安田、宝塚と連続2着の珍記録を作ったが、
あの時の京都や阪神はめちゃくちゃ時計がかかる馬場でマックイーンやパーマーには千切られたとはいえカミノ自体も力のいる馬場が得意だったのだと思う。
距離適性外の安田でゼファーの2着も立派&惜しかった。 >>169
多分だけど、あなたが関東の人なら仕方ないと思いますよ
当時は東西の交流が殆んど無かったので、自分も関西馬全般に馴染みが無いですから 当時は重賞でも全国発売しないレースも結構あったし。
そういうレースは地元新聞での扱いも薄かったし。 >>141
完全に昭和競馬懐古スレになってますが、「最近の人に伝えたい昔の面白さ」にこれがあります
つまり旧四歳クラシック路線や古馬王道以外の、「片隅の名勝負」がたくさんありました(強い馬がセコいレースに結構出てくれた)
アイノクレスピン、スリーファイヤー、インターグロリア、リネンジョオーの同期牝馬が牡馬そっちのけで関西重賞でバチバチやりあったり
中山記念で2年連続、モンテプリンスとエイティトウショウの対マンとかw 後は時々語られるけど、名物の平場オープンw
確か土曜の9レースとかに天皇賞馬とか菊花賞馬とかがふらっと少頭数にぞろぞろ出てきて走る、ミニ有馬記念が年に数回見れました
でもってG1馬は誰も勝たなくて(まあ調整なんだけど)、メジロイーグルとかが逃げ切ったりw
あれは楽しい興行でしたw 井崎脩五郎が選ぶ名勝負十番シリーズに、この時代のはプリティキャストの秋天と、カツラノハイセイコのダービーしか選ばれなかった気がする。名馬だけでなく名勝負も少ないから、印象が薄いのかも プロレス板や懐メロ邦楽板は活発で
ブロディ、ファンクス、RCサクセションとか語られているが
競馬板2の50〜70年代にジャパンカップが有ったらスレも伸びないし
意外と競馬のレトロ、古典は話す人少ないな。
すぐに昔の方がレベル低い、今も大した高くない論争になってしまうからか?
芝が違う、重斤量でも出走、桜花賞馬でも1走挟んでオークス出走のようにローテきつめ、枠と単複のみの馬券、単枠指定馬
○外持ち込みに出走できるレースが限られる、皐月賞馬が観光地で馬車曳いたり宝塚記念馬(今よりもこの競争の価値低かった気が)が食肉
障害が盛り上がる、アラブがある、千葉産の馬が今でいうGT勝つ
レベルや良い悪いよりも考え方も違ってこちらのような新参から見たら今とは全く違う競馬が行われていたような この時代の天皇賞馬
グリーングラス
テンメイ
カシュウチカラ
スリージャイアンツ
ニチドウタロー
プリテイキャスト
カツラノハイセイコ
ホウヨウボーイ
モンテプリンス
メジロティターン
アンバーシャダイ
キョウエイプロミス
モンテファスト
ミスターシービー 3200時代の秋天は1番人気が来ないレースだったね。 >>178
レトロ派から言うと天皇賞はやはり3200なんで
やはりシービーがひとつの区切りでしたね
府中(昔の)3200天皇賞は死闘になりやすく痛ましい程面白かったですよ、昔も名勝負だらけですよ
・トウショウボーイ、グリーングラスが三角から一騎討ちで散った
・プレストウコウ鞍ずれ事件
・泥田の死闘スリージャイアンツ
・既出ですがプリティキャスト大逃げ番狂わせ
・ホウヨウ、モンテの長い長い叩き合い
(両方好きだったがあの時はモンテに勝たせてやりたくてホウヨウを憎みましたw)
シンザン以降一番人気全敗 >>176
競馬はかなり、進化も含めて質が昔より大きく変わってしまったのは否めない
それと例えば、ロック、プロレス、プロ野球などの娯楽に比べてファン層の入れ替わりが激しい気がします、だから話が通じない
そして何より、競馬の昔話があまり盛り上がらないのは…ハイセイコーブームこそあったけどシービー以前の競馬は世間的にはまだまだ超マイナーな趣味だったからですよ
シービー、ルドルフでちょっとあか抜けて来て女子が増え始め…
一番大きな節目はやっぱり、オグリ&武豊でしょうね
オグリキャップと武豊は日本競馬からしたら神社作ってまつってもいい大功労者だと思いますw オグリ前後の話する人とそれ以前の話する人で明らかに層が違うもんな・・・ スポーツ新聞の見出しに
「オグリvs武豊」
ってあったな。
馬vs騎手ってスーパークリークと南井の立場は? >>175
カツラノハイセイコのダービーってハナ差ではあるけどリアルタイムじゃなかったからテルテンリュウの斜行のせいで
リンドプルバンが行き場無くして結果的にカツラノハイセイコが勝てたという事実を先に知っちゃったせいで全然名勝負だと思えない自分が居る
「あれがなければ絶対に勝っていた」とレース後言った嶋田功に大川慶次郎さんが
「功ちゃん、アンタもタケホープ(イチフジイサミの進路を塞ぐ形で優勝)で同じ事をやったから」と諌められたという逸話の方が「へ〜」となった >>184
あのダービーを名勝負と思えない、と聞いては是非とも擁護したいw
まあ競馬では「あの不利さえなければ」は付き物ですよねw
不利てのは事象もすべて違うし一概に言えないけど、嶋田騎手の言い分を言い訳とは言わないけど
でも結局、勝負事は細かい不利や展開も含めて、総合的に運気が勝った方が勝つものですから
リンドプルバンも不利ありつつも内からしっかり伸びて力は出しきって見えましたし、迫力ある名勝負でしたよ
何より「あのハイセイコーの息子が父の最大の無念を晴らした」ことが当時大感動を呼んだのですがね(父を破ったのが嶋田) でもリンドプルバンが勝っていたら今年のレイデオロ並みに語られないダービーに
なっていたかもしれない。 イチフジイサミとリンドプルバン、似てるトコ多いなぁとふと思う
旧3歳時は10戦して未勝利、そんな成績でも格上挑戦をしていた
年明けてから3つ勝っててダービーでは不利を受けながら人気薄2着
もっともリンドプルバンの方はビッグタイトルは獲れなかったけど リンドは抽選馬だったから、勝っても関係者しか喜ばないって感じ
多分、かなり微妙な空気が流れたと思われ ミスターシービーのダービーは多頭数レースにもかかわらず大外ぶんまわして騎手は批判されなかったのだろうか?
勝てたから結果オーライになってしまった? >>189
大外回した所か、ミヤコオーダスやキクノフラッシュをブッ飛ばしてしまい、今なら失格モノ
非難されまくりでした >>12
サンゼウスだなそれ
生産者と馬主の関係が深かった(名義が違ってただけのような感じ) >>189
あれは時代が大目に見た感じw
TTG以来みんなが待ちに待った、前評判通りに活躍してくれる戦績の汚れてないクラシック馬だったから&苦労人吉永でw
(その前の二冠馬がカツトップエースですからw)
そこから便秘が治ったように翌年無敗ルドルフ誕生w ディープインパクトのダービーは後方からの直線大外とはいえ4角で大外に持ち出したから距離ロスはあまりない。
3角ではインを回ってたし。
シービーの場合は3角から大外ぶん回しで随分と長い距離を走ることになったし
直線では体当たりだの斜行だので他馬に迷惑かけまくりだった。
もう少し別の乗り方はなかったのか? >>178
ホウヨウボーイもモンテプリンスも
この中ではベスト5にはいるな。 ビクトリアクラウン
中々華のあった牝馬
スイートネイティブ
ルドルフを管理するまでの野平の祐ちゃんの代表管理馬!
あと、2戦連続でローカル重賞でメイジタイガー→ベルエアの組み合わせで決まったのがありましたね ビクトリアクラウンいたね〜
幻の桜花賞馬。
稲葉師曰く1つ上のオークス馬テンモンより上だったとか。
古馬になってからはサッパリだったけど その末裔(ビクトリアクラウンの末裔)がグレイトパール。
中内田先生には頭が上がらないよ、ホント。 ロベルトもヘイローもサーゲイロードも経ないターントゥ系で
セクレタリアトの半兄なんて面白い血統なんだから
日本競馬もそういうのを活かそうと努力すりゃいいのに、途絶えさせるにはもったいないだろうに ファーストファミリーね
豊洋ボーイには長生きして欲しかった... ファーストファミリー、ホウヨウボーイ以外は中央で活躍したのがローラーキングぐらいしか居ないでは・・・
んでホウヨウボーイが1世代30頭残して早逝、コトノアサブキが後継種牡馬では限界があるよ
コトノアサブキ自体は恵まれない立場から良駒を多く輩出した良い種牡馬ではあったとしても ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています