その馬の名は…ライジングヘリオス
2歳時 6月4週、宝塚記念開催日にデビュー。他馬を大きく引き離す大差勝ちにコースレコードのおまけつき。
2戦目の札幌2歳Sも馬なりで勝利。
3戦目、4戦目は東スポ杯2歳SとホープフルSを勝利し父子制覇を達成。
3歳時 放牧明けステップレースを使わずに皐月賞に5馬身差の快勝。
続くNHKマイルカップを勝利し日本ダービーはコースレコードを更新し7馬身差の圧勝。
さらにファン投票第1位で宝塚記念に出走する。古馬への初挑戦も難なく勝利。
この日、阪神競馬場の入場者数があまりにも多く入場を規制するほどの大騒ぎになり夕方のニュースや翌日のワイドショーでも大きく取り上げられた。
祖父ディープインパクト以来の競馬ブームが到来する。
宝塚記念の勝利によりその強さに確信を得た陣営はKGY&QEUSに挑戦を決定。初の海外レースは欧州の有力古馬勢に加え、同期のイギリスとアイルランドの2カ国のダービーを制した欧州最強の3歳を完封。この時、すでに芝のレースでは敵はいなかった。 帰国後、ぶっつけで挑んだ菊花賞は先行して押し切る競馬で勝利し無敗の3冠馬となる。この年、ライジングヘリオスがクラシック競走で2着につけた着差は皐月賞、ダービー、菊花賞の合計で30馬身であった。
菊花賞の反動もなくジャパンカップに出走する。この年のジャパンカップは近年例を見ない豪華メンバーが揃う。キングジョージでのリベンジに燃える海外勢と国内の並み居る強豪古馬をすべて蹴散らした。
世界各国の有力馬主グループや王族からのトレードの依頼が殺到し、ジャパンカップ翌日のスポーツ新聞の一面はすべてライジングヘリオスが飾った。
年末のグランプリ有馬記念。ファン投票堂々の第1位。
暮れの中山に集った多くのファン、競馬場に入りきれない者も多くおり周辺の道路、交通機関がパンクするほどの大騒ぎであった。また、メディアでは特集のテレビ番組が組まれた。有馬記念は他馬陣営より包囲網に組まれるも最後のコーナーの一瞬の隙を突き抜けそのまま大きく加速してゴール。最後の3ハロンは30秒であった。
競馬史上最強馬の伝説は古馬でさらに輝くことになる。